Neuroptera

2017年7月 8日 (土)

いしもりよしひこ(石森愛彦)著『昆虫って、どんなの?』

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 著者の石森さんと初めてお会いしたのは、今から10年以上前のこと。ハサミムシの話を訊きたい、とのことでわざわざ拙宅まで出版社の方と一緒においでいただいた。
 そのときいろいろお話をしたのだが、自然と接する感覚がボクと近い感じで、気軽にお話できる方だと思った。
 仕事をしている世界が違うので、お会いする機会はそれほど多くないのだが、7年前には子供向きの月刊誌の付録で初めて一緒にお仕事をさせていただいた。

 今年になってから、本の内容をチェックして欲しいと依頼されたのが本書。
 ラフを読ませていただいての最初の印象は、「絵本で昆虫形態学の基礎をやってしまおうという本だな!」ということ。石森さんにそのことをお話したところ、ご本人はそのような目論見でやったわけではなかったとのこと。しかし、ボクの印象が石森さんの無意識の部分を言葉にしたものだとご自身も納得された。

 ボクと石森さんの自然に対する感覚が近いと書いたけれど、見方はかなり違っていて、ボクが虫の暮らしぶりに興味の重点を置いているのに対して、石森さんは虫の形に重点を置いている。
 この本(に限らず石森さんのほかの本も)の虫のイラストは、虫の形を抽象化したものには違いが無いのだけれど、石森さんのイラストは現物に忠実で、基本的な形をデフォルメしたりしていない。だから(だと思うけれど)、精密画ではなくイラストなのだけれど、たいていの場合、種まで同定できる。だからこそ、「昆虫形態学の基礎」の教科書になりえるのではないかと思ったのだと思う。子供向きの本ではあるけれど、だからこそオトナにも役に立つと思う。

 この本には様々な昆虫が登場している。日本産昆虫の目(もく)のレベルで登場していないのはシロアリモドキ目ぐらいではないかと思う。ありとあらゆる昆虫が登場している本は他に例が無いのではないかと思う。虫オタクを自認される方にもオススメする。

 出版社のサイトはこちら

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2012年2月28日 (火)

ウヅキコモリグモが走り回る(2012年2月28日)

 今日は恒例の野外調査であった。いつもは水曜日なのだが、諸般の事情で先週から火曜日になっている。来週と再来週も火曜日で、その次からは月曜日になる予定である。
 今朝はほどほどに冷え込み、津地方気象台でも氷点下まで気温が下がった。しかし、風もなく、陽射しも十分にあったので、気温が低かったにもかかわらず、日向にいれば十分な暖かさを感じるほどであった。
 今年の1月、2月は気温が低かったようなので、春の生物の出現は遅れるかも知れないが、もう2月も終わりなので、年によってはモンシロチョウが飛ぶのを見るような時期である。きょうもモンシロチョウが飛びそうな雰囲気だけはあったが、さすがにまだ出ていないようであった。
 そのような暖かさの中、ウヅキコモリグモのサンプリングをしたわけだが、畑の畦を歩くと、足元から次から次へと這い出してくる。まだ小さい幼体もいたが、成体や亜成体の方がたくさん目についた。もう腹部がパンパンに張っているメスも見つかった。卵嚢を付着させているメスを見ることができるようになるのも、もう間もなくのことではないかと思われた。
 職場に戻ってからのこと、Iさんがウヅキコモリグモのオス成体に付着しているカマキリモドキの幼虫を発見したとのこと。カマキリモドキの幼虫は、意外なほど高頻度で見つかるようである。
 午後からは曇って来た。夜中には雨になるらしい。


 そう言えば、「コモリグモ」は1972年頃までは「ドクグモ」と呼ばれていた。ボクがウヅキコモリグモの名前を最初に知ったときは「ウヅキドクグモ」であった。ウヅキコモリグモの「ウヅキ」とは「卯月」のことなのであるが、最初に「ウヅキドクグモ」として名前を知ったときは、噛まれると「疼く」ほど強い毒があるから「ウヅキドクグモ」なのだと勝手に想像していた。実際にも、コモリグモの仲間にはそれほど強い毒を持つものはいないそうであるから、メスが卵嚢を付着させて歩き回る習性から「コモリグモ」に改称したのは妥当なことだったと思う。今はウヅキコモリグモを見ると「かわいい」と思えるが、「ウヅキドクグモ」という名前だったら「かわいい」と思えたかどうかわからない。

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2012年2月 6日 (月)

福岡伸一著『動的平衡2』

福岡伸一著『動的平衡2 生命は自由になれるのか』
木楽舎
ISBN978-4-86324-044-5
1524円+税
2011年12月7日発行
254 pp.

目次
美は、動的な平衡に宿る−まえがきにかえて
第1章 「自由であれ」という命令−遺伝子は生命の楽譜にすぎない
 生命体は遺伝子の乗り物か/働きアリにみる「パレートの法則」/ホモ・ルーデンスがロボット機械か/サブシステムは自然選択の対象にならない/生命の律動こそ音楽の起源/演奏家それぞれの「変奏曲」/生命を動かしている遺伝子以外の何か/遺伝子は音楽における楽譜/卵環境は子孫に受け継がれる
第2章 なぜ、多様性が必要か−「分際」を知ることが長持ちの秘訣
 子孫を残せないソメイヨシノ/植物は不死である/進化で重要なのは「負ける」こと/センス・オブ・ワンダーを追いかけて/なぜ、蝶は頑ななまでに食性を守るか/動的だからこそ、恒常性が保たれる/多様性が動的平衡の強靭さを支えている
第3章 植物が動物になった日−動物の必須アミノ酸は何を意味しているか
 なぜ食べ続けなければならないか/なぜ、動物が誕生したか/グルタミン酸においしさを感じる理由/「うま味」を探り当てた日本人/地球を支配しているのはトウモロコシ/アミノ酸の桶の理論/運動、老化にはBCAAが効果的/窒素固定のプロセスは細菌が担っていた/Cの時代からNの時代へ
第4章 時間を停めて何が見えるか−世界のあらゆる要素は繋がりあっている
 昆虫少年の夢/日本最大の甲虫ヤンバルテナガコガネ/ファーブルの言明/人間は時間を止めようとする/この世界に因果関係は存在しない
第5章 バイオテクノロジーの恩人−大腸菌の驚くべき遺伝子交換能力
 タンパク質研究の最大の困難/大腸菌が遺伝子組み換え技術を可能に/大腸菌とヒトの共生/風土に合ったものを食べる知恵/大腸菌の驚くべきパワー/細菌たちのリベンジ/遺伝情報を水平伝達するプラスミッド
第6章 生命は宇宙からやって来たか−パンスペルミア説の根拠
 地球外生命体の証し/DNAが先かタンパク質が先か/チェック博士のRNAワールド/「生命誕生までに八億年」はあまりにも短い/パンスペルミア説
第7章 ヒトフェロモンを探して−異性を惹き付ける物質とその感知器官
 ファーブルが探した誘引物質/ブーテナントとシェーンハイマー/なぜ「生理は伝染る」か/ヒトにもあるフェロモン感知器官/フェロモン香水を作った人たち
第8章 遺伝は本当に遺伝子の仕業か?−エピジェネティックスが開く遺伝学の新時代
 トリプレット暗号とは何か/なぜ、生命の起源は単一だと言えるか/生命は不変ではなく、動的なものだ/ダーウィンの予言/遺伝子以外によっても遺伝現象は生じる/ヒトとチンパンジーの違い/遺伝の鍵を握っているマターナルRNA
第9章 木を見て森を見ず−私たちは錯覚に陥っていないか
 花粉症は、薬では治らない/生命は水でエントロピーを捨てている/達成できそうにないCO2削減目標/排出権取引の胡乱さ/相関性と因果性は異なる/DNAの傷にどんな意味があるか/生命現象からシステムを学ぶ/常に分解していることの大切さ/細胞は相互補完的に役割を決める
生命よ、自由であれ−あとがきにかえて

 2009年に出版された『動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』の続編になるエッセイ集である。「世界は止まることなく動いている」という自然観から生まれた「動的平衡」という言葉であるが、その自然観に基づいた福岡氏の考え方が綴られている。還元論一辺倒ではない自然観には親しみを感じる。
 全体的には良い本だと思ったのだが、明らかな間違いも書かれており、残念である。
 まず最初はカゲロウの写真。33ページの「口を捨てたカゲロウ」として紹介されている写真に写っているのはカゲロウではなくクサカゲロウである。カゲロウは蜉蝣目(Ephemeroptera)であるしクサカゲロウは脈翅目(Neuroptera)であるから全く別の昆虫である。クサカゲロウには立派な大顎がある。
 次には50ページに書かれているドーキンスの「ミーム」の説明が明らかに間違っている。「ミーム」を"meam"と書いてあるが、正しくは"meme"である。だから、「意味」の"mean"にかけてある、と書いてあるのも当然間違っていて、「遺伝子」の"gene"にかけて"meme"とした、というのが正しい。ドーキンスの「利己的な遺伝子(生物=生存機械論)」は福岡氏が学部の学生の頃に邦訳が出たが、実はそのころには福岡氏は読んでいなかったのではないかと思える。そうでなければ、こんな間違いを書くはずもないと思うのだが。
 と、まあ、間違いも目についてしまったが、たいへん読み易く、全体的に見れば良書だと思う。書かれている内容は、目次を見ていただければだいたい想像できると思う。

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2012年1月12日 (木)

カマキリモドキの幼虫か?続報その1(2012年1月12日)

 去年の12月7日のエントリーに「カマキリモドキの幼虫か?」ということを書いたが、その続報である。
 Iさんはずっと飼育していたのだが、寄主のウヅキコモリグモの雄の亜成体が脱皮に失敗して死んでしまった。カマキリモドキの幼虫らしきもののその後の経過を観察するためには、別のクモに移してやらなくてはいけない。
 Iさんから呼び出されて昆虫飼育室に撮影に出かけたところ、その幼虫は容器の中を歩き回っていた。そこでとりあえずその幼虫を撮影。体長は1mmほどしかなく、大変小さい。成虫はそれなりに大きな大顎を持っているので、幼虫も大きな大顎を持っているものだと想像していたが、大顎は思ったより小さかった。カマキリモドキの幼虫はクモの卵嚢に侵入してクモの卵を食べるので、それほど立派な大顎は必要ないのかも知れない。
20120112blog1 新しいクモを与えてしばらく観察していたのだが、なかなかクモに取り付かなかった。ぼくはしびれを切らしてあきらめてしまったが、その後Iさんが面相筆を使って新しいクモに付けてやったところ、頭胸部と腹部の間の「定位置」に落ち着いたそうである。

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2011年12月 7日 (水)

カマキリモドキの幼虫か?(2011年12月7日)

 今日は恒例の野外調査だった。
 1か所目の調査地では、毎回Iさんがウヅキコモリグモを採集している。冬になって気温がかなり下がってきたが、陽が当たっている場所ではクモはかなり活発に活動している。ほとんどが亜成体であった。
 2か所目の調査地では堆肥にゴミムシダマシの仲間と思われる甲虫が発生していたので、これはぱきたさんへのお土産にと思ってたくさん採集した。
 そこそこ天気も良く、風もなかったので、気持ちの良い調査となった。

 職場に戻ってきてからのこと、Iさんが顕微鏡を覗きながらクモの大きさを測っていたときに、クモに何かが付いていたのを見つけて、「コウノさん、これ何ですか」と訊いてきた。クモに付いていると言えば、真っ先にカマキリモドキの幼虫が思い浮かぶ。ボクも顕微鏡を覗いてみたが、頭胸部と腹部の間に潜り込んでいるような感じなので、よくわからない。でもカマキリモドキの幼虫の可能性が高いように思われた。
 何種類かのカマキリモドキ仲間の幼虫はクモの卵嚢に入り込んで、クモの卵を食べて成長することが知られている。今日見つかったカマキリモドキの幼虫と思われる虫が付いていたクモは、ウヅキコモリグモの雄の亜成体であった。雄のクモに取り付いていも卵にはたどり着けない。ひょっとしたら、アシブトヘリカメムシの卵寄生蜂のように、クモが交接したときにオスからメスに乗り移るのだろうか?
 Iさんは、とりあえずこれを飼育しようと試みるようだ。
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2011年5月15日 (日)

今年もあまご御飯&鱒料理いろいろ@津市美杉町「大吉」(2011年5月15日)

 今年で4年目になるが、毎年この時期に津市美杉町川上にある「大吉」に行っている。三男坊の誕生日のプレゼント代わりである。釣り堀で鱒を釣って、つり上げた鱒を料理してもらう。釣り堀なので釣れないことはまずないので、それなりに楽しい。そしてなによりも空気が良い。今日も爽やかに晴れて気分は良かった。
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 食事のあと、すぐ前を流れる坂本川の流れの中の石を持ち上げてみた。すると、ほとんどの石の下には何らかの生き物がくっついていた。カワゲラの幼虫、トビケラの幼虫、ヘビトンボの幼虫、プラナリアなどなど。実を言えば、今日、生まれて初めてプラナリアを意識して見た。こんなに普通に見られるものだとは思わなかった。教科書に載っているのと同じように目のようなものが見えた。

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2010年7月29日 (木)

新開孝著『ぼくは昆虫カメラマン』

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新開孝著『ぼくは昆虫カメラマン 小さな命を見つめて』

岩崎書店
ノンフィクション・生きるチカラ3
ISBN978-4-265-04289-0
1,300円+税
2010年8月10日発行
152 pp.

目次
まえがき−ヘッセ「少年の日の思い出」との出会い
教育映画の仕事[ミミズのうんち/昆虫カメラマンへのあこがれ/馬糞にまみれて/ミミズの撮影の工夫]
池上本門寺のアカスジキンカメムシ[昆虫雑誌「インセクタリゥム」/カメムシとぼく]
アリスアブとの出会い[ナメクジ歩きをする奇妙な生き物/もう一種類のアリスアブ/すみわけ/幼虫、発見!/成虫のくらし/クリ林での発見/月刊誌「アニマ」]
カマキリモドキ撮影記[初めて買った自家用車/カマキリとクサカゲロウの合体生物(キメラ)/不思議な生活/深まる謎]
ウスタビガの繭[ケヤキの梢で/羽化の撮影]
身近な自然を見つめて[散歩の楽しみ/チビアメバチの秘密]
九州の自然[あこがれのダイコクコガネ/雑木林のある家で/常緑照葉樹の森へ]
あとがき

 昆虫写真家・新開孝さんから新刊を贈っていただいたので紹介したい。
 新開さんと初めてお会いしたのは、ぼくが石垣島に住んでいた2002年頃のことだったと思う。何を見に行った時だか憶えていないが、石垣島白水の谷に入ろうとしていたときのことだったということだけは確かである。車で白水の入り口に向かおうとしていたら、地面に這いつくばって写真を撮っている人物がいた。虫の写真を撮っていることは確かだと思われたので、声を掛けて少し話をしたところ、それが新開さんだということがわかった。
 ぼくにとって昆虫写真家と言えば、年齢順にまず栗林慧さんであり、次に海野和男さん、さらに今森光彦さんであった。栗林慧さんはぼくより20歳年上、海野さんは一回り年上、今森さんは5歳年上である。それぞれ作風が異なり、誰が一番とは言えないが、これらの写真家の作品にはぼくの心に訴えるものがある。
 石垣島で新開さんとお会いした時、新開さんのことは知らなかった。その後、「里山 昆虫ガイドブック」(2002年)、「里山 蝶ガイドブック」(2003年)などを見て、新開さんもぼくの心に訴える写真を撮る方であるということがわかった。新開さんの作品は、決して珍しいとは言えない身近に見られる虫の、あまり知られていない暮らしの部分を捉えたものが多い。昆虫の生活史の解明に焦点を当てたところは、ぼくが昆虫を見ることに関して心がけていることと共通する。新開さんの写真の光の使い方も穏やかで、自然な感じを与えてくれる。そういうことで、新開さんの作品を知って以来、新開さんも、栗林さん、海野さん、今森さんと肩を並べる実力者であると理解した。新開さんはぼくより1歳年上。ほとんど同世代である。ついに自分と同世代の昆虫写真家の大物が登場したと思った。
 本書は、そういう写真を撮る新開孝という写真家がいかにして作られたか、ということが書かれている自伝のようなものとも言える。これまでに新開さんが歩んできた人生の中で出会ったキーになる虫を中心に、そのとき新開さんが何を感じて、どのように行動して、どのような新しい発見があったかが紹介されている。昆虫の生活史の中での新しい発見をすることが紹介されている部分は、昆虫観察のための方法のガイドブックのような役割も果たしていると思う。
 本書を出版してる岩崎書店は、子ども向きの本をたくさん出している出版社である。本書には漢字に振仮名がつけられており、また子どもにもよくわかるような語りかけるような文章で書かれているので、小学校の中学年程度でも楽しむことができるし、ぜひともまだ若い人に読んでもらいたいと思う。もちろん、大人が読んでも「なるほど」と感じさせられることが多い。
 新開孝さんのウェブサイトはこちら。 こちらのブログ『ひむか昆虫記』はほとんど毎日、新しい写真と文章が掲載されている。

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2007年7月16日 (月)

ヒグラシとアミメカゲロウ

20070716blog2  今日は休日だが、毎週月曜日に行っている粘着板トラップの粘着板の交換や、飼育している虫の餌の交換などのために出勤した。台風一過で久しぶりの晴れだ。
 仕事を済ませ帰宅する前、ヒグラシ Tanna japonensis (Distant, 1892) がいないかと思って職場の畑の近くのヒノキ林に立ち寄った。人工のヒノキ林は太陽光が地面まで届かないので、下草も生えず、中は歩き易い。ところが、太陽光が届かないということは、すなわち暗いということなので、幹にヒグラシが止まっていても、向こうに気付かれる前にこちらが発見するのは困難だ。結局撮影することはできなかったが、3頭のヒグラシを確認できた。まだ鳴き声は聞いていないが、近々鳴き声を聞くこともできるだろう。
20070716blog1  するとそのとき、何やらフワフワと飛んでヒノキの葉に止まる昆虫を発見した。よく見るとアミメカゲロウ Nacaura matsumurae (Okamoto, 1912) だった。アミメカゲロウを前に見た記憶が残っているのは久留米に住んでいたときのことなので、十数年ぶりのことになる。それほど珍しい種だという気はしないが、意外に目にする機会は少ない。意識していればもっと見つけることはできるのだろうが。

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2006年9月25日 (月)

アリジゴク?

 職場で落とし穴式のトラップを使って地表を徘徊する捕食性昆虫の調査をしているが、今日はそこにアリジゴクのような昆虫が落ちていた。アリジゴクはウスバカゲロウの仲間の幼虫だが、落ちていたものはけっこう活発に歩き回っており、形態も何となく本当のアリジゴクとは違って見えるような気もするので、ヘビトンボの仲間の幼虫ではないかと思う。どちらなのだろう?
 コマダラウスバカゲロウ Dendroleon jesoensis Okamoto, 1910 の幼虫ように擂鉢状の巣穴を作らないアリジゴクの存在を知っていたものだから、石垣島に住んでいたときも、木の幹に止まっていた"アリジゴク"を本当のアリジゴクの仲間だと思って、アリジゴクの生態学的研究で有名なM先生のところに送ったことがある。M先生から最初に来た返事は、新種かも知れない、というものだったが、そのあと届いた返事は、ツノトンボの仲間だと思います、というものだった。要するに、分類が専門ではない昆虫の専門家でも間違えることがあるぐらいに、一見したところでは似ている、ということだ。両方とも脈翅目に分類されているわけだから、決して他人の空似ではない。
 ツノトンボの仲間だとすれば、まだ大きくなるはずなので、種名を確定するには飼育しなければいけない。捕食性だということは疑いないが、何を餌として与えればいいのか、よくわからない。

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2006年8月20日 (日)

歩いて動くセミヤドリガの繭?

 今日やらなければいけない仕事が少しだけあったので、休日だが職場に行った。行ったついでにセミヤドリガ Epipomponia nawai (Dyar, 1904) の幼虫を探そうと思って、畑の隣の杉林に行った。
20060820blog1  暗い杉林の中でも、真っ白のセミヤドリガの幼虫が寄生しているヒグラシ Tanna japonensis  (Distant,1892) も、樹皮にくっついた繭もよく目立つ。体調があまり良くなく、蒸し暑いので、長居をするつもりはなかったが、セミヤドリガが寄生したヒグラシを1頭、樹皮につくられたセミヤドリガの繭を3個見つけた。
 と、そのとき、セミヤドリガの白い繭が動いて歩いているように見えた。ところがよく見てみると、動いていたのはセミヤドリガではなく、セミヤドリガの繭についている蝋状の物質らしきものを背負っているクサカゲロウかヒメカゲロウの仲間の幼虫だった。こんな暗い場所で真っ白の物体を背負っていると、かえって目立って都合が悪いのではないかと思うのだが、実際はどうなのだろう。
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