Ham Radio

2012年7月15日 (日)

第17回関西アマチュア無線フェスティバル KANHAM2012(2012年7月14日)

 一度行きたいと思っていたアマチュア無線のイベントに出かけた。第17回関西アマチュア無線フェスティバル KANHAM2012@大阪府池田市民文化会館。経費節約のため、近鉄の急行に乗って大阪へ。
 江戸橋駅6:56分の伊勢中川行きの急行に乗ろうと思ったら、その列車は伊勢中川から折り返して、そのまま大阪上本町行きの快速急行になる列車だった。江戸橋から鶴橋まで乗り換えなし。7:30江戸橋駅発の伊勢中川行きの急行も、折り返して大阪上本町行きのなるので、実質上の近鉄名古屋発大阪上本町行きの急行は、少なくとも1日2本あることがわかった。
20120714blog01 大阪環状線で大阪駅に出て、阪急梅田駅まで歩いて阪急宝塚線で石橋駅へ。大阪駅周辺の地図が頭の中に入っていないので、少々混乱したが、とにかく無事に乗ることができた。ネットで検索した時刻より、10分到着が遅れたが、鶴橋駅で乗り換えに時間がかかり、そこで1本遅れたらしい。大阪環状線は103系の古い電車だったが、まだけっこう残っている様子だった。阪急宝塚線の急行はロングシートだったが、ところどころに手すりがあり、快適感があった。
 阪急石橋駅から歩いて10分弱で会場へ。10時の開場にはやや遅れたが、入り口付近では、これから入場しようとする人でごった返していた。
20120714blog02 開場の前の公園ではクマゼミの鳴き声を一声聞いた。まだ本格的に鳴いているわけではないと感じた。ニイニイゼミは何頭か鳴いていた。
 中のいろいろなブースを見たが、ここはJARL QRP CLUBのブース。小電力で通信しよう、という人たちの集まりである。
20120714blog03 その隣のKCJのブース。KCJとは"Keyman's Culb of Japan"。電信マニアの集まりである。
20120714blog04 あちこちのブースで、作品の現物を前に話をすると、いろいろ刺激を受けて脳が活性化される気がする。
 15:00からは小ホールでの「JARLそこまで言って委員会」。JARL(日本アマチュア無線連盟)についての本音トークである。
20120714blog05 JARLについての現状を少し理解できたが、JARLへの入会はもう少し待ってみようかと思った。
 これで1日目の日程は終了。1日目だけの出席の予定だったので、これにて退散。
 阪急石橋駅17:20の普通電車に乗って梅田駅へ。そこから大阪市営地下鉄御堂筋線に乗って難波に出ようとしたが、やはり地図が頭の中に入っていないので、少し迷った。
 難波で近鉄に乗り換えて、大阪上本町駅で一旦降りて、上本町駅の構内でうどんを食べて、地上ホームに出て鳥羽行きの快速急行を待っていると、こんなものを発見。
20120714blog06 1日に1本ある「鮮魚列車」の停車位置表示標識らしい。伊勢中川駅で名古屋行き急行に乗り継いで20:30過ぎに自宅に帰還。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月 3日 (木)

今年も電波で狐狩り 中電津ハムクラブ主催 第28回FOXハンティング(2012年5月3日)

 昨日までの雨が上がるかどうか心配されたが、朝にはどんより曇っていたものの雨も上がり、昼頃には空も明るくなってきた。というわけで、今年も恒例の中電津ハムクラブ主催のフォックスハンティングに出かけた。フォックスハンティングとは、無線機(受信機)を持って歩き回り、電波の発信源を探り当てる競技である。電波に関する知識と歩き回るための体力が必要とされる。第三級アマチュア無線技士の資格を持っている三男坊と一緒の参加である。
20120503blog1
20120503blog2
 今日は何故か津市長の前葉氏が来ており挨拶をしたが、要するに「災害時にアマチュア無線が頼りになるので、アマチュア無線家のみなさん、ヨロシク」という趣旨のようであった。行政からアマチュア無線が頼りにされるという状況は、悪いことではない。
 競技は途中で無線機の電波が止まってしまうなどのトラブルもあったが、まあ、そこは気楽な会であるので、目くじらを立てるような人はいなかった。しかし、今年も残念ながら入賞はできなかった。先月末の街道歩きの筋肉痛がまだ残っていたのと、何となく息切れがして十分に走れなかったのが敗因の一つであったと思った。
 途中からは陽も射すようになり、チョウも飛び始めた。クロアゲハとアオスジアゲハを今年初めて見た。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年1月21日 (土)

高橋雄造著『ラジオの歴史』

20120121blog1
高橋雄造著『ラジオの歴史 工作の<文化>と電子工業のあゆみ』

法政大学出版局
ISBN978-4-588-37117-2
4,800円(+税)
2011年12月5日発行
359+31+ix pp.

目次
はじめに
第I部 ラジオの初めからテレビ普及まで
第1章 電波の発見、無線電話、真空管の登場、放送の開始−欧米におけるラジオ
 無線電話−ロッジとマルコーニ/無線通信周波数帯の拡大/無線電話、連続波、真空管の発明/アマチュアの拡大と放送のルーツ/KDDA局による放送開始/ラジオ放送の拡大、大恐慌とラジオの普及/BCLとSWLの楽しみ
間章1 ラジオ雑誌の系譜I−柴田寛と『ラジオ科学』
第2章 日本におけるラジオ放送開始とラジオ雑誌−濱地常康の『ラヂオ』から『無線と実験』へ
 ラジオ放送事業の開始/濱地常康の『ラジオ』刊行/『無線と実験』の登場と成功
間章2 ラジオ雑誌の系譜II−第二次世界大戦後のラジ雑誌
第3章 日本のラジオ工業のあゆみ−自作ラジオと富士製作所(STAR)
 第二次世界大戦までの日本のラジオ工業/佐藤祐次郎・俊父子と富士商店/第二次世界大戦後のラジオ工業と自作ラジオ/スターコイルの富士製作所/ラジオ用高周波部品の規格全国統一/部品工業界のリーダー、富士製作所/コイルの横綱、スターとトリオ
間章3 山中電機の足跡−第二次世界大戦前のラジオメーカーと戦中の成長
第4章 日本のテレビと受像機工業−JAT、TVK、テレビキット、大企業による量産
 日本におけるテレビ放送の開始/テレビ放送とunofficialなセクターの貢献/日本アマチュアテレビジョン研究会(JAT)/TVK(テレビ部品技術研究会)、関西と名古屋の研究会/テレビキットのブーム/大手メーカーによる受像機量産と市場制覇/JATとTVKの評価
間章4 ポータブルラジオの白砂電機(シルバー)−ラジオ少年がつくった中堅企業
第II部 ラジオ工作とラジオ工業の諸相
第5章 ラジオ・エレクトロニクス技術通信教育の歴史−ラジオ教育研究会の通信教育
 日本における通信教育の歴史/本間晴の『東京無線技術講義』/戦後日本における社会通信教育の制度化/ラジオ教育研究所の設立/星合正治、溝上銈、高木昇らの役割/ラジオ教育研究所のラジオ工学講座の教育内容/代理部、ラジオキット、技術講習会/ラジオ工学講座の受講生たち/ラジオ教育研究所の終末
間章5 神田・秋葉原の電気街−ラジオ少年のふるさと
第6章 ラジオ・テレビと修理技術−修理サービスの重要性
 ラジオの故障と修理/テレビの故障と修理/カラーテレビの場合/修理技術者検定試験/ラジオ技術学校とテレビ技術学校/セットメーカーの受像機サービス要員訓練/修理サービスと海外市場の日本製電子機器/電子機器修理技術の今後
間章6 unofficialな研究グループ−十日会、テープレコーダー研究会、学校のクラブ
第7章 オーディオ愛好家と日本オーディオ境界−「世界のステレオ工場」への道
 電気蓄音機からハイファイへ/日本におけるLPレコードとハイファイ/レコード・コンサートと名曲喫茶/日本オーディオ協会設立のメンバー/全日本オーディオ・フェアの開催/日本オーディオ協会の工業会化
間章7 東京大学の「電気相談部」−第二次大戦後の学生アルバイト団体
第8章 トランジスターラジオ輸出とロックンロール−日本の電子工業の繁栄をもたらしたもの
 第二次世界大戦後の電子工業の成長と輸出の拡大/ロックンロールとトランジスターラジオ−米国の状況/トランジスターラジオ製造−輸出側日本の状況/戦後日本の繁栄はプレスリーや冷戦のおかげである
間章8 戦争、政治とラジオ・テレビ−技術進歩とプロパガンダ
第9章 ラジオ工作とunofficialなセクターの役割−男性性、電気技術者教育、「電気リテラシー」
 unofficialなセクターとofficialなセクターとの関係/ラジオ技術は学校の外で始まった/少年が男になるための技術習得/アマチュア精神とプロフェッショナル/ラジオ・テレビ・オーディオ工作の男性性/ラジオ工作、電気技術教育、市民の「電気リテラシー」
間章9 文芸に見るラジオ、女性とラジオ−世につれて変わるラジオ
おわりに
史料・文献
索引

 とあるSNSで本書の存在を知った。出版されて間もない本なので早速津市津図書館にリクエストしたところ、既に旧郡部である白山町にある津市うぐいす図書館に所蔵されていることがわかり、それを取り寄せてもらって借りてきて読んだ。かなりマニアックな本なので既に津市の図書館、しかも白山町にある図書館に所蔵されていたのが驚きであった。
 本書は表題のとおり、ラジオの歴史について記述されたものであり、副題の「工作の<文化>と電子工業のあゆみ」というのも、本書の内容をよく表している。
 本書の表題は「ラジオ」というものであるが、内容には「テレビ」や「オーディオ」も含まれている。また、ラジトやテレビの技術全体を扱ったものではなく、テレビやラジオを放送する側の技術やそのの歴史には全く触れられておらず、ラジオやテレビを聴いたり観たりする側のみの技術やその歴史について記述されている。テレビやラジオを放送する側の技術の歴史も興味深いものであるが、さすがにあまりに専門的すぎて、一般書としては売れないであろうことが容易に想像できる。
 本書を読むと、ラジオの普及にも、テレビの普及にも、officialなセクターよりもunofficialなセクターが重要な役割を果たしていたことがわかる。大きなメーカーが量産を始めたのはテレビやラジオがある程度普及してからの話で、それまでは小さなメーカーの製品が主流であり、自ら部品を集めて組み立てる自作も大流行したとのことである。ラジオぐらいならそれほど回路も複雑ではないので、自作をするのも容易だったと思うが、テレビの初期にはキットも売り出されていたというから驚きである。この背景には、ラジオやテレビには高率の物品税がかけられていたことも自作を後押ししたということがあるとのことである。また、ラジオやテレビは故障して当たり前であったから、それが多数の技術者が必要となる原因となり、技術者を養成するための学校もたくさんつくられた背景となっているということである。ラジオやテレビの普及の背景には、今となっては想像もできないような歴史があるのには、大変驚かされた。
 本書の内容からは少し外れる。ぼくが物心付いた頃に、既に我が家(実家)にはテレビが存在し、小学校に上がる頃(昭和40年頃)には既にカラーテレビがあった。その背景には、ぼくの父が名古屋にある民間放送テレビ局に勤務していた(技術者ではないが)ということも関係しているはずである。我が家のテレビは本書に書かれているようにしばしば故障し、近所の「スギヤマラジオ」のご主人が、多数の真空管と工具やテスターが入った箱と回路図やサービスマニュアルを持参して修理に来て、それを横から眺めていたことを覚えている。ぼくが中学生ぐらいになり、このカラーテレビがお払い箱になったときには、中を分解して部品を取り外したのだが、これには大きくて重い電源トランスが搭載されており、真空管のヒーターは全部6.3Vの電圧で点灯されていたことがわかった。一番大きな水平出力用の真空管には6JS6Aが使われていた。コスト削減のためにトランスレスのテレビが多かったであろう時代に、大きくて重くてコストがかさむ電源トランスを搭載していた我が家のカラーテレビは高級品だったのかも知れない。
 それ以前の話になるが、我が家(実家)にはST管のマジックアイ付きの中波と短波の2バンドの6球スーパーラジオが存在しており、ぼくが中学校に上がるまではけっこう活躍していた。意外なことに、これが故障したという記憶は残っていない。いくら古くても、テレビとは真空管の数が全然違うので、故障する確率も低かったのだろうと思う。
 こうやって思い返してみると、ぼくがアマチュア無線に興味を持った背景には、「スギヤマラジオのオジサン」がカラーテレビを修理しているのを見ていたことが関係しているのかも知れない。その後、電子機器が壊れると、たいてい中身を見てはバラしたし、ときには壊れていないものでも、中を見たくてバラしてしまうこともあった。今でも、バラせそうなラジオなどは中身を見たくて仕方がない。2003年頃にはダイソーが105円でラジオを売っていた(一般に「100円ラジオ」と呼ばれているものである)ので、それを買って中身をバラしたのだが、中にはワンチップのICが使われているのではなく、普通のトランジスタを使った教科書的なスーパーヘテロダインのラジオだったことに甚く感激した。
 話を本書に戻す。ともあれ、本書は、めまぐるしく変わる情勢のなかでの日本の民生品における電子技術の発展の歴史を俯瞰することができ、最後まで面白く読むことができた。もっとも、ぼくが面白く読むことができたのは、ぼく自身に多少ともなり「ラジオ少年」の遍歴があるからかも知れない。
 ここで、現代に話を移すが、現代の電子機器はあまりに高度に複雑になりすぎて、unofficialなセクターが影響力を持つことができない(アマチュアの手に負えない)ものになっている。本書に書かれているように、テレビやラジオの普及にはアマチュアの存在が大きな影響力を持っていたが、今では電子技術の推進は大きな資本をもっている者に依存せざるをえない状態になっている。コンピュータや携帯電話などもそうで、もうアマチュアが貢献できる場所はほとんど無くなっているように思われる。聞くところによれば、大学の工学部の入学において、いま最も難易度が低いのは電気・電子の分野だそうである。ぼくが大学に入る頃には、電気・電子の分野はまだ工学部の中では上位の方であった。電気・電子機器がブラックボックス化されてくると、電気・電子機器そのものに興味を持つ若い人が少なくなることは自然の流れなのかも知れない。一時期「電子立国日本」などというキャッチフレーズが使われたこともあったが、今となっては霞んでしまっているように思える。そういう意味では、本書は日本が「電子立国」として発展しつつある時代を描いたものであり、本書のような記録が残されたことは意義のあることだと思う。
 話は全く変わるが、本書のなかにコオロギの研究家として著名な松浦一郎氏の名前が出てきたことに驚いた。昆虫少年でもあるぼくが知っている松浦一郎氏はコオロギの研究家であり、まさか本職が音響技術者であるとは知らなかった。コオロギは鳴く虫であるから音響技術者である松浦一郎氏が興味を持ったのか、鳴く虫であるコオロギが好きだったから松浦一郎氏が音響技術者になったのかはわからないが、この繋がりには「なるほど」と思わされた。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2011年12月20日 (火)

東京出張2日目(2011年12月20日)

 部屋が暖かくて乾燥していたためか、夜中に喉が渇いて何回か目が覚めて飲み物を飲んだが、それなりに熟睡できた感じである。モーニングコールを7時にセットしていたが、その前に目覚めてしまった。昨日コンビニエンスストアで買ってきたもので朝食を済ませた。南青山会館の朝食はバイキングで700円なのだが、それほど高価ではなくても、バイキングだとついつい食べ過ぎてしまうので、バイキングを自重したわけである。
 ここはフロントにインターネットに繋がったコンピュータがあるのだが、このブログを書き込むサイトにアクセスしようと思うと「ウィルスバスター」にブロックされてしまって書き込めなかった。困ってしまったので、フロントの人に「何とかなりませんか?」と言ったのだが「何ともなりません」と言われてしまい、またまた困ってしまったのだが、そこで「自分のコンピュータを繋がせてもらえますか?」と訊いたら、「少しの時間なら良いです」と言われて、とりあえずメールを吸い上げてブログへのコメントへコメントを返した。今回はこの宿が便利だったからここにしたのだが、来年2月の霞ヶ関への出張のときはどうするか、ちょっと考えてしまう。この宿から霞ヶ関までは地下鉄千代田線一本で8分で行けるから、そこそこ便利なのである。
 会議は予定より少し早く11:45頃終了。会議の中で、アマチュアの蛾屋さんが欲しがっている蛾について少し話題が出た。これは会議の本題ではなく余談である。アヤモクメキリガという冬に発生する蛾がいるのだが、H県の農業試験場のYさんによると、この蛾はけっこう採集が難しいらしいというのだ。春から初夏にかけて、この蛾の幼虫は時々見かけるのだが、これを採集して飼育しても、前蛹か蛹で休眠している夏から秋の管理が難しく、なかなか羽化させられないというのだ。ボクも幼虫を採集して飼育を試みたことがあるのだが、やはり蛹のときに死なせてしまった。この採りにくいアヤモクメキリガは、オオタバコガの発生予察用の合成性フェロモン誘引剤に誘引されるのである。ボクが調査している場所でも、フェロモントラップにそこそこたくさん入るので、そんなに採りにくい蛾だとは思っていなかったのだ。
 次の会議はツクバで明日の午後からなので、今日の午後は自由な時間ができた。サンマーメンを食べたいと思ったので、横浜まで行くことにした。南青山会館から渋谷駅まで歩いて15分ほど。12:15発の東横線の特急にゆっくり間に合った。目指すは一度行ったことがある「玉泉亭 横浜ポルタ店」。二度目なので迷わずにたどり着くことができた。
20111220blog1 食べたのはもちろん「サンマーメン」。600円なり。ごくわずかに縮れた細麺である。
20111220blog2 完食。
20111220blog3 食事のあと石川町まで出てエジソンプラザに行ったが、あまり面白い出物はなかった。仕方がないので駅まで戻り、京浜東北根岸線で秋葉原に転戦。夕方まで電気街を徘徊した。電子部品は秋葉原でないと手に入らないものもあるが、そうでないものは名古屋の大須の方が安かったりするものもあるようである。
 秋葉原で喉が渇いたのでDrPepperを探した。かつては500mlのPETボトルがごく普通に見つかったが、今日はいくら探してもも350mlの缶入りしか見つからなかった。缶入りでは持ち歩くのが不便なので、結局買わなかった。500mlのPETボトル入りのDrPepperは絶滅してしまったのだろうか?
 そのあと南千住の定宿へ向かう。秋葉原から上野までの京浜東北線はかなり混雑していたが、上野からの常磐線は座れなかったものの、思ったほどの混雑ではなかった。駅の近くのコンビニエンスストアで食料と飲み物を調達してホテルへ。
 ホテルに着いて名前を告げると「いつもご利用ありがとうございます」と言われてしまった。機会がなかったのでしばらく泊まっていなかったのだが、どうやら常連客として認識されてしまっていたようである。このホテルは部屋が狭く、アウトバス・アウトトイレなのだが、無線LANも利用でき、南青山会館よりもアットホームで気に入っている。問題点は、霞ヶ関まで地下鉄日比谷線一本で行けるのだが、25分ぐらい時間がかかるのと、時間帯によっては滅茶苦茶混雑することである。2月の霞ヶ関での会議のタイムスケジュール次第ではこちらに泊まろうかと思っている。明日はツクバなのだが、このホテルからは「つくばエクスプレス」でも常磐線でも一本で行けるという便利な場所である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月18日 (日)

名古屋へ(2011年12月16日〜17日)

 一昨日から昨日まで、1泊で名古屋に出かけた。主目的は一昨日の午後から昨日のお昼まで開催された「第43回 食と緑、水を守る全国集会」への参加である。何も好き好んでこの集会に参加したわけではない。職場の労働組合からの動員の要請があったからである。しかし、動員費が支給されるので、ついでに名古屋で買い物ができる、というメリットがあるのは確かである。さらに都合が良いことに、昨日の午後はアマチュア無線関係の「第11回 名古屋大須QRP懇親会」が上前津駅の近くの名古屋市中生涯学習センターで開催され、夜には「名古屋昆虫同好会12月例会」が名古屋市中小企業振興会館(吹上ホール)で開催されることになっていたので、この両方にも参加することにした。さらについでに、健康を考えて、できる限り歩くことにした。
 まずは江戸橋駅8:15分発の近鉄急行で名古屋へ。この急行は近鉄四日市駅で7分も停車して2本の特急に追い抜かれるので、気分は良くない。が、1時間ちょっとで名古屋に到着。まずは買い物のために大須へ。名古屋駅から40弱分歩いて「第2アメ横ビル」へ。Google Mapで調べた時間より余計にかかったが、途中で何度も信号に引っかかったからだと思う。街道歩きをしているときは、信号に引っかかることはあまりないので、「表程速度」が上がるが、街中の道はダメである。その後、「第1アメ横ビル」などへ。最近、普段使用しているニッケル水素充電池が弱ってきた感じがしているので、「エネループ」と充電器などを調達。
 次は、栄駅近くの中日ビルの地下の「名古屋わしたショップ」へ。今日の「宿」への土産を調達。さらに、今日の目的地である、東区上竪杉町にある「ウィルあいち」へ。まだ時間が早すぎたので、場所だけ確認して、前もって目星をつけておいたラーメン屋へ。途中、「主税町」という地名を見つけ、大昔のこと、名古屋昆虫同好会の月例会が「ちからまち会館」で開催されていて、中学生の頃、そこに参加していたのを思い出した。「ちからまち会館」がどこにあったのだか、さすがに今では思い出せない。
20111216blog1
20111216blog0 清水口交差点近くの「あおい」へ。11:50分ぐらいに到着したが、既に5人ほどの待ち行列が店の前にできていた。行列ができる店だとは思っていなかったので、少し迷ったが、ラーメンを食べたい気分だったので、そのまま並ぶことにした。ほどなく店内に入ることができたが、店内にも待っている人が5人ほど。人気店のようである。「中華そば」の食券を買う。出てきたのはこれ。
20111216blog2 麺は中細のやや平たい縮れ麺。魚ダシが効いていてかなり美味しかった。スープも飲み干してしまった。ボクの基準では合格点である。ランチタイムは無料でご飯が付けられるが、最近は「食べ過ぎは良くない」と考えているので、ラーメンのみを食べた。
 さらに時間があったので、周囲を散策しながら会場に向かう。途中で「東海総合通信局」の入っている合同庁舎を見つけ、かつて、「第1級アマチュア無線技士」の試験をこの近くのどこかのビルで受けたのを思い出したが(結果は不合格)、その時は全く土地勘がなかったので、こんな場所だったとは思わなかった。
 と、まあ、ブラブラしながら会場へ。会場のすぐ前には「名古屋市市政資料館」がある。国指定重要文化財に指定されており、風格がある建物である。
20111216blog3
20111216blog4 会場の入り口と、集会の様子。大村秀章愛知県知事や近藤昭一衆議院議員も来ていた。
20111216blog5
20111216blog6 夕方5時頃には1日目の日程が終了。名古屋駅近くの「ウィンクあいち」で開催される懇親会への輸送のためにバスが出るとのことだったが、敢えて歩いた。大体の方向の感を頼りに名古屋駅へ。会場から名古屋駅まで40分弱。2分ほど遅れていた17:45発の大垣行きの特別快速に滑り込みで乗車。この日の宿は「ホテル・ジッカ」。6時過ぎには到着。
 夜寝るまで、母と喋り続けた。いつもより少し早く22:00頃就寝。


 2日目は7時前に起床。まずは新聞を読みながらコーヒーを1杯飲む。朝食時にもさらにもう1杯のコーヒー。
 8時過ぎには出発し尾張一宮駅へ。8:11発のホームラーナーは「別料金」がかかるのでやり過ごし、8:15発の岡崎行き普通列車に乗車。それほど混雑しておらず、立ち客も多かったが、空席を見つけて着席。
 ふと窓の外を見ると養老山脈の山が白くなっていた。そう言えば、前の日の夜には名古屋で初雪が観測されたとのことだった。
20111217blog1 8:30頃に名古屋駅着。駅前のツインタワーには圧倒される。しかし、大地震でも起こったらそうするのだろうか?こんなビルには入りたくない。
20111217blog2 この日の会場は名古屋駅前の「ウィンクあいち」なのですぐに到着。
 2日目は分科会である。希望していた分科会には参加できず、上部組織からは別の分科会への参加を指示されていた。原発の話(ビデオを観るだけ)とCOP10の成果についての話。原発と生物多様性は直接関係がなさそうなのに、一緒にやるところがヘンである。生物多様性についてはいろいろ勉強したし、考えるところもあったので、講演のあと、せっかくなので意見を述べた(「ツッコミを入れた」とも言う)。写真も撮られたので、組合の新聞に顔が載るかも知れない。これもお昼少し前に終了。
 今日の昼食は「西安刀削麺 矢場町店」で食べることにしていたので、矢場町(正確には「大須 4丁目」)へ。このビルの1階に入っている。集会の会場からここまで40分弱。
20111217blog3 これが入り口。
20111217blog4 「トマトと卵の刀削麺」を注文。
20111217blog5 以前食べたときより、唐辛子がよく効いていた感じだったが、辛すぎることはなく、スープまで完食。
20111217blog6 ここから歩いて10分ほどで「名古屋市中生涯学習センター」へ。「第11回 名古屋大須QRP懇親会」である。
20111217blog7 いつもは和室だったが、今回は会議室だった。参加者は10数名。何人かは自作の機械を持ち込んできているので、その「作品」を前に色々ディスカッション。いろいろなアイデアに感心させられることが多く、この会に参加するといつも何か新しい知識が身に付く感じがする。
20111217blog8 これは参加者が製作した「136kHzの送信機」。これにも色々なアイデアが盛り込まれている。
 16:00頃にはお開きになり、参加者の何人かはそのまま「第1アメ横ビル」へ行き、部品の調達。このあと「QRP懇親会」の忘年会が予定されていたが、ボクは別行動。一路「吹上ホール」を目指して歩く。
 しかし、ここで一つの失敗をしたことが発覚。夕食は軽く「マクド」のハンバーガーを2つぐらい食べようかと思っていたのだが、それを買うのを忘れていた。大須から若宮大通りに沿って東へ歩くのだが、大須を抜けると商店がほとんど無くなってしまった。丸田町の交差点を過ぎて中央線の線路が見えたところでコンビニエンスストアを発見。サンドウィッチを1つ調達する。そこから先、「吹上ホール」まで、商店は全くなかった。
 5時半頃には4階の会議室の「名古屋昆虫同好会12月例会」の会場に到着。会場内でサンドウィッチを食べる。本当に軽い夕食である。最近は体重を絞ったせいか、体調が良くなり、食べ過ぎが良くないことを実感しているので、これぐらいの夕食で十分である。
 例会では一人一話で、信州大学で開催されたときにチッチゼミの抜け殻の見つけ方を教えてもらった話と、いま仕事でやっていることの話をした。後半は卓話だが、その前の休憩時間のこと、Nさんから話しかけられて、いろいろな昔話を聞いた。そろそろ歳なので昆虫採集から「卒業」を考えているというような感じであった。いろいろ考えさせられた。
 例会の後半の卓話はHさんによる「北ボルネオ サバ州 熱帯雨林の蝶」の話。現地での昆虫採集での苦労の話など。
 会場は21:30まで借りられているので、まだ話の途中だったが、帰りの電車のことがあるので、21:00ちょっと前には会場を後にした。さすがにここから名古屋駅まで歩く余裕はないので、吹上駅まで歩いて21:08発の地下鉄に乗って名古屋駅へ。さらに近鉄名古屋駅に向かい21:31発の津新町行きの急行に乗る。この電車を逃がすと、急行は22:06発まで無いので、やはりこの電車に乗りたい。これに乗れば22:30に江戸橋駅に着くので、マトモな時刻に寝られるが、乗れないと江戸橋駅到着が23:05になるので、これはさすがにシンドイ。例会の会場が名古屋駅に近いと良いのだが・・・

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年10月 1日 (土)

牛久市周辺&秋葉原(2011年10月1日)

 Tさんの家に泊めていただいて、今朝は「牛久周辺にもいる」というスジハサミムシモドキを求めて牛久市や阿見町周辺を何か所か回った。しかしながら、スジハサミムシモドキは見つからなかった。霞ケ浦まで行けば確実に採れるということなので、またの機会に案内していただくことにした。目指すものは見つからなかったが、ムカゴが採れたので、今日のTさん宅の晩御飯はむかごご飯になったのではないかと思う。
 Tさん宅でお昼までご馳走になって駅まで送っていただいた。次の目的地は秋葉原。アマチュア無線家の集まりに参加するためである。毎月第一土曜日に秋葉原の某喫茶店で開催されている。わざわざそのためだけに出て行く訳にはいかないので、なかなか参加できないが、2009年6月6日にも出張と日程があったので参加したことがあり、今回で二度目である。前の会場の喫茶店は廃業してしまったので、今回の会場の喫茶店を訪れるのは初めてである。普段なかなか半田ごてをいじる時間も持てないが、こういう機会にバリバリ現役でいろいろな工作をされている無線家の皆さんの話を聞けるのは勉強になる。二次会も予定されていたが、帰るのが遅くなるのは体に堪えるので、一次会のみの参加で失礼した。秋葉原の金券ショップでは自由席の値段よりも安い値段で指定席の回数券のバラ売りをしていたので、それを購入して名古屋まで指定席に乗った。名古屋駅で歩く距離が少なくても良いように、と思って11号車を指定してもらった。東京18:30発の「のぞみ117号」広島行き。結果的にはベストではなかったが、まあまあの位置だった。12号車の方がさらに歩く距離が少なくて済んだように思えた。近鉄の乗り場までの距離もそれほど遠く感じられなかったので、普段乗っている自由席の位置から近鉄に乗り換えるのが、いかに長い距離を歩かされていたのかがよくわかった。
 近鉄名古屋20:31発の伊勢中川行きの急行に乗って、21:30過ぎに帰宅。それなりに疲れた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月18日 (土)

第9回名古屋大須QRP懇親会(2011年6月18日)

 今日は天気が良ければ昆虫観察に出かけるつもりだったが、今日は一日雨模様だという天気予報のため、久しぶりにアマチュア無線の集まりに出席することにした。第9回名古屋大須QRP懇親会。ちなみに「QRP」とは、大電力ではなく、小電力で通信することを意味している。この会はほぼ3か月おきに開催されている。第1回と第4回に出席したことがあるので、今日で3回目である。
 ということで名古屋に出かけたわけだが、まずは買い物。栄の中日ビル地下1回の「名古屋わしたショップ」へ。2週間前に来たばかりであるが・・・・・。ここではマルマサの「ミキ」とA&Wのルートビア、それに久米仙酒造の「泡盛コーヒー」を調達。
20110618blog1
 さらに上前津に出て「沖縄宝島にらい」へ。いろいろ「名古屋わしたショップ」と見比べたが、やはり品揃えが微妙に異なる。「名古屋わしたショップ」には、沖縄の人が普通に飲んでいる普通の安い泡盛の三合瓶が手頃な値段で何銘柄も並んでいたが、「沖縄宝島にらい」にある泡盛はほとんどが上等なものばかりであった。唯一普通の泡盛の三合瓶があると思ったら、プレミア価格がついている波照間島の「泡波」で、しかもその値段は12,600円であった。「泡波」は普通の泡盛だと思う(石垣島に住んでいたときに、当時同じ職場に勤めていた波照間島出身のパートさんからいただいて飲んだことがある)が、普通の泡盛の10倍以上の値段がついているのは尋常ではないと思った。「泡盛コーヒー」も並んでいたが、「名古屋わしたショップ」より高かった。「名古屋わしたショップ」で買って良かったと思った。ここでは、その場で飲むために冷えたルートビアを1本だけ調達。
 次は食事。2週間前に名古屋に出た時に目を付けていた「ブンガラヤ」というアジア料理店に行くことにした。「沖縄宝島にらい」からはちょっと北の方に行ったところで、若宮大通りに面している。
20110618blog2
 ここでは、ミーゴレンを注文。インドネシア風の焼きそばである。しかし、出てきた物は、想像していたものとはちょっと違っていた。味も想像していたものとは違っていて、値段相応かなと思った。たぶん、もう入ることは無いと思う(そんなにしょっちゅう名古屋に行くわけではないので)。
20110618blog3
 腹ごしらえをして「第9回名古屋大須QRP懇親会」の会場へ。会場は「名古屋市中生涯学習センター」。上前津駅よりも南の方なので、しばらく歩くことになった。3階へ上がると会場。
20110618blog4
 初対面の人もあったが、毎回参加されているような常連さんもあり、ちょっと安心。参加人数は10名ほど。まずは順番に自己紹介と近況報告をしてから、各自が持参した自作の無線機器などを見ながら雑談というか討論というかをする。例えばこんなものを前にして。
20110618blog5
 普段は半田ごてを握るような時間もないので、本を読んだり、ネットの情報を見たりするだけだが、実物と回路図を前にして会話をすると、理解も進み、頭が刺激され、リフレッシュされる感じがする。時間とお金をかけてわざわざ名古屋まで出かけた価値があったと思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月 3日 (火)

今年も電波で狐狩り 中電津ハムクラブ主催 第27回FOXハンティング(2011年5月3日)

 今年も行ってきました。中電津ハムクラブ主催FOXハンティング。今年で27回目とのことである。これまでに5回参加したので、今年で6回目になる。3回目のことはここ、4回目のことはここ、5回目のことはここに書いた。何度も書いたので、FOXハンティングのルールについての説明は省略。
 今年は三男坊と2人で参加した。朝から今にも雨が降りそうな天気だったが、何とか終了まで降られずに済んだ。
 144MHz帯の電波は弱すぎ、430MHz帯の電波は強すぎて、両方とも発信場所を捉えるのが難しかった。結局、ぼくも三男坊も40分ぐらいでゴール。約20名の参加者のうち、三男坊は6位、ぼくは7位だった。
 毎年このような機会を作っていただける、中電津ハムクラブの皆さんには大いに感謝している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月16日 (水)

停電とゲルマニウムラジオ

 震災による停電によって、一部ではゲルマニウムラジオが話題に上がっているようだが、誤解もあるようなので、一応ぼくが知っていることを書いておきたい。ご自分でゲルマニウムラジオの実験をされたことがある方には釈迦に説法と思われるので、あえて読んでいただく必要はないと思う。
 ゲルマニウムラジオは電源が無くても聞こえるラジオである。それは正しいのだが、実用的であるかどうかには、いろいろな条件が関わってくる。
 普通のラジオは、空中の電波を捕えて、エネルギー(電源)を使ってトランジスタ(昔なら真空管)によって電波の信号を増幅し、最終的にはスピーカを鳴らしている。ところが、ゲルマニウムラジオは増幅するためのエネルギー(電源)を使用しないので、最終的な音声信号エネルギーになるのは、ラジオの電波そのものが持っているエネルギーだけである。しかも、アンテナで捕えた電波は最終的な音声信号になるまでに、多くのエネルギーの損失が発生する。だから、ゲルマニウムラジオの音は大変小さいのが普通である。
 だから、大きな音でゲルマニウムラジオを聴こうと思えば、効率良く電波を捕える必要がある。具体的には、長いアンテナか良好なアース、できればその両方が必要になってくる。したがって、通常はゲルマニウムラジオを携帯できる大きさで作ることは非常に難しい。
 今の家に転居してからはまだ試していないが、転居する前は、ぼくはゲルマニウムラジオをそれなりに実用的に使っていた。夜寝るときには毎晩のようにイヤホンを耳に突っ込んで「ラジオ深夜便」を聞いていたのだ。アースはエアコン用のアースにとり、アンテナはアルミサッシの窓枠を使っていた。ここ津市ではっきりわかるように放送を聞けたのは、NHKラジオ名古屋第一放送とCBCラジオ(名古屋)だけだった。そのほかNHKラジオ名古屋第二放送がかすかに聞こえるのはわかったが、話している内容は全くわからなかった。
 これをもって実用的であるかどうかを言うのは難しいが、やはり非常時に使うには難があると言わざるをえないと思う。送信所の近くであれば、アースが無くて短いアンテナでも聴くことはできるし、しっかりしたアースをとって長いアンテナをつなげばスピーカも鳴るかも知れない。だから、試してみる価値はあると思う。
 ゲルマニウムラジオの作り方は、ネット上にいくらでも情報があるので、検索して参照していただきたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月 3日 (日)

ゲルマニウムラジオ@湾岸長島パーキングエリア

 長男が出場するロボコンの大会の応援に行く途中、高速道路に乗ってすぐの湾岸長島パーキングエリアで休憩した。今日は、普段は寝床ラジオとしているゲルマニウムラジオを持参していた。というのは、湾岸長島パーキングエリアがNHK名古屋とCBCのラジオの送信所のすぐ近くにあるので、どれぐらいの大きさの音で聞こえるのかを確かめたいと思ったのだ。
 自宅で使用しているときはアースとアンテナを接続しており、NHK第一放送とCBCラジオを明瞭に聞くことができる。そして普段は、耳にセラミックイヤホンを突っ込んでNHK第一放送の「ラジオ深夜便」などを聞いている。
 さてそこで、送信所のアンテナが見えるような場所ではどうか、と思って試したわけだが、1053kHzのCBCラジオがアースもアンテナもなしでよく聞こえた。残念ながら、周波数が低いNHKは、729kHzの第一放送はもちろんのこと、909kHzの第二放送も、同調できる範囲から外れてしまい、全く聞こえなかった。
 アースとアンテナを接続すると同調周波数が変わってしまうことは身をもって知っていたが、ここまで大きく変わってしまうとは思わなかった。
 しかし、CBCラジオはアースもアンテナもなしでよく聞こえたので、この場所でアースとちゃんとしたアンテナを使えば、スピーカーを鳴らすこともできるのではないかと思った。一度試してみたいと思うが、そういう機会は無いだろうなぁ。
 ちなみに、今日の実験に使ったゲルマニウムラジオはこれ。
Germanium_radio_with_spider_coil
 ちょっとここで、ゲルマニウムラジオをご存知ない方のために若干の解説。ゲルマニウムラジオは、空中を飛んでいる電波をつかまえて、その電波のエネルギーだけで音を出す無電源のラジオです。基本的には、周波数を合わせるための同調回路と、高周波から音声信号を取り出すための検波回路と、音声信号を音声に変えるイヤホンからできています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)