写真・カメラ

2009年7月31日 (金)

オリンパスOMシリーズの生みの親亡くなる

 今朝の新聞を見たら、米谷美久(まいたに・よしひさ)氏の訃報が載っていた。76歳。まだそれほど歳でもない。米谷氏はハーフサイズカメラのオリンパス・ペンシリーズと、一眼レフカメラのOMシステムの設計者として名高い。直接の設計者でないにしても、デジタルカメラのEシステムの思想にも影響を与えていることは間違いないだろう。
 ぼくが持っている一眼レフカメラはOMシステムだ。OMシステムはよく考えられたシステムで「バクテリアから宇宙まで」のキャッチフレーズで、何でも撮ることができると謳われていた。ぼくは、マクロレンズで昆虫をたくさん撮った。「撮った」と過去形で書いたのは、石垣島を離れて以来、被写体がなくなり、撮らなくなってしまったと同時に、デジタルカメラで済ませてしまっているから、OMシステムを使わなくなってしまったからだ。OMシリーズのボディは小型で、ダイヤルやボタンが使いやすく配列されている。またゆっくりとOMシリーズのボディにマクロレンズをつけて虫の写真を撮りたいものだ。
 それはともかく、生みの親の逝去に合掌。

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2009年5月12日 (火)

OM-3Ti

 このブログの"My favorite blogs"に挙げてある「野田俊作の補正項」の5月9日の記事をみて、「お主、やるのぉ」と思った。ブログの主の野田俊作先生は、この世に5000台程度しか存在しないと言われているオリンパスのフルマニュアル一眼レフOM-3Tiをお持ちだのだ。実はぼくも1台持っている。石垣島在住時代にはそれなりに活躍していたのだが、こちらに引っ越してきてから写真をほとんど撮らなくなってしまったので、防湿箱の肥やしになってしまっている。使ってやらなくては、と思うのだが、写真へのモチベーションが下がったままだ。
 石垣島在住時代には、OM-4Tiにはコダクロームを入れて、OM-3Tiにはフジクロームベルビアを入れて、OM-2Nにはフジクロームアスティアを入れて、というように、オリンパスOMシリーズは大活躍だった。撮る対象を考えて、フィルムも使い分けていたのだ。こちらに引っ越して、撮る対象が無くなってしまったということは、本当に寂しい。
 OM-3Tiのメーカー希望小売価格は20万円だった。これだけのお金を出せば、オートフォーカス一眼レフの中級以上の機種が買えた。それをあえてフルマニュアル(フォーカスはもちろん、絞りもシャッター速度もマニュアルである)のメカニカル(露出計以外は電池がなくてもちゃんと動く)のカメラを買うわけだから、OM-3Tiの所有者にはそれなりのこだわりがあるのだと思う。
 ぼくは欲しくて仕方がなかったのだが、なかなか踏ん切りがつかず、なかなか買えずにいた。ところが、ジリジリと実売価格が下がって14万円ほどになったとき、「買い時は今だ」と思って、清水の舞台から飛び降りる気持ちで金をはたいて買った。
 OM-3Tiは今でもそれなりに人気があるらしく、中古の販売価格は15万円程度で、ぼくが新品を買った価格よりも高い。もっとも、買い取ってもらうとすると、そんな値段は付かないだろうから、売る気は無いのだが。やはり、所有していることに(使用することができればさらに)意味があるのだ。
 5月11日の記事を見ると、さらに面白いことが書かれていた。「最新型のデジタル一眼レフに勝った」というところだ。この気持ちは大変よくわかる。ライカやコンタックスのレンジファイダーカメラには勝てないが、そんじょそこらのデジタル一眼レフには負ける気がしない。
 我が家のコンパクトカメラはコンタックスの"TVS II"だ。これも「強い」カメラだと思う。同じコンタックスの"T"をはじめとする固定焦点のチタンボディのカメラには負けるが、それ以外のカメラには負ける気がしないのだ。これは、一昨年の石垣島旅行に持参した。これも使う機会を作ってやりたい。
 話は変わるが、野田俊作先生のブログの5月11日の記事の本題は、ぼくも常々考えていることと似ている。「真理は中間にある」という表現が使われているが、そこまで言うのは極端だとしても、本文に書かれているように「最適解は中間にある」ということだ。どうも最近、何事につけても極端な方向に走ってしまうことが多いようだが(自分自身でもそうなってしまうことがある)、極端なところに最適解などあるはずはないのだ。

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2008年4月21日 (月)

月刊むし447号の表紙のオオヒゲブトハナムグリの写真

 仕事を終えて帰宅したら「月刊むし」が届いていた。2008年5月号。通巻447号になる。
 封筒を開いて中から取り出したところ、信じられない光景が目に飛び込んできて驚いた。オオヒゲブトハナムグリが目の前にあるのだ。
 オオヒゲブトハナムグリは八重山諸島だけに分布し、「樹冠の宝石」とも形容されるように、個体ごとに、金青色、金緑色、金赤色など多彩な金属光沢を持ったコガネムシの一種であるが、いつも樹冠を活動場所としているので、すぐ目の前で見る事は非常に困難なのだ。石垣島に住んでいた頃、長い竿の先につけた網を振り回して採集したことが懐かしく思い出される。
 とにかく、「月刊むし」の表紙の写真には、ヤンバルアワブキの花に集まった雌雄のそれぞれ異なった色のオオヒゲブトハナムグリが5頭も写っているので、このような光景が見られるとは信じられないのだ。この写真を撮ったのは西野嘉憲氏。このような場面に出会うためには、相当な苦労をされたのではないかと思う。努力もさることながら、このような光景に出会えるとは、実に羨ましい。

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2007年12月 1日 (土)

日本鱗翅学会東海支部第136回例会

 名城大学で開催された「日本鱗翅学会東海支部第136回例会」に出かけた。今回の目玉は昆虫写真家の海野和男氏の特別講演だ。自分は日本鱗翅学会の会員ではないが、会員でなくとも広く一般への参加を呼びかけていたようだ。
 9:42津駅発の快速みえ4号で名古屋に向かった。休日の快速みえ2号と4号は4両編成だと書かれていた。津駅を出たときは、ほぼ座席が埋まった感じであったので、2両編成ではきついだろう。途中、桑名でもたくさん乗り込んできたので、2両編成ではとてもさばききれない人数だと思った。名古屋の駅に進入する直前、いつもは停車しない場所で信号停止となった。隣の中央線の電車も駅に進入する直前で足止めをくらっている感じだった。数分遅れて名古屋駅に着くと、中央線のどこかで人身事故があって、中央線のダイヤが乱れていたとのことのようだった。関西本線と中央本線は名古屋駅でホームを一部共用しているので、そのとばっちりう受けた感じだった。
 名古屋から金山に出て、さらに地下鉄で上前津まで出て、例によって電子部品屋を冷やかした。時間があまりなかったので、上前津駅近くの吉野家で牛丼を食べ、地下鉄鶴舞線に乗って塩釜口に向かった。

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 名城大学に行くのは初めてだ。名城大学は名古屋の私立大学の中ではおそらく一番大きな大学だと思うのだが、キャンパスもそれなりに広く、会場を探すのがちょっと大変だった。定刻15分ぐらい前に会場の講義室に入ると、既にたくさんの人が集まっていた。さすがに海野さんの人気のなせる業だろう。
 海野さんの話は、自分の生い立ちから虫の世界に入るところから始まり、海外へと話が及んだ。東南アジアの昆虫は自分にとっても少し馴染みがあるが、南米の昆虫となると、見慣れないものばかりで新鮮だった。夥しい数の蝶が飛び交う道も素晴らしかった。
 海野さんの話し振りから感じられる海野さんの自然観は自分のものとそれほど大きく違わないように感じられた。だからこそ、海野さんの話を自然に聴くことができたのだろうと思う。それがそのまま海野さんの作品としての写真やビデオ映像になっているのだと思う。
 海野さんとは初対面だったが、ぼくにとっての海野さんは、昆虫写真を撮るための技術を教えてくれた師匠だ。もちろん、海野さんの著書を通してだ。講演のあと少し言葉を交わすことができ、感激した。
 その後3題の一般講演があったが、学術的なことに面白さを感じるぼくとしては、少々的を外しているものだった。レッドデータブックの話は少なからず政治的なこともあり、また、自分自身で直接関わったことがなかったので、ちゃんと真面目に話を聞いて、レッドデータブックのことを少しは理解できた感じがした。
 例会が終了したあとは懇親会があって、そこでまた海野さんと話ができたら良かったのだが、家庭の事情で遅く帰る訳にはいかなかったので、涙を飲んで欠席した。
 名古屋駅の西口の地下街エスカの「想吃坦々麺」で担々麺を食べた。上海の担々麺を知っている友人の話だと、かなり本場物に近いということらしいのだが、とにかく美味しく食べることができた。しかし、850円という値段はちょっと高い気がするが、場所を考えればこの程度の値段も仕方がないのかも知れない。
 ここから名古屋駅の太閤口に近いので、関西本線の列車に乗るには都合が良い。19:30発の快速みえ21号に乗ることになった。ホームに上がって行くと行列ができていた。入ってきた列車は2両編成だったが、行列を作っていた人のほとんどすべてが着席できた。この時間の快速みえは混雑することが多いという印象だったが、今日はそれほどでもなかった。列車の中は読書の時間。ゆっくり本を読むことができた。

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2007年8月 5日 (日)

石垣島紀行・・・出かける前の準備など

 7月30日から8月4日までの5泊6日の日程で家族揃って石垣島へ出かけることになった。石垣島は観光地なので、観光旅行のような感じでもあるのだが、石垣島には7年間住んでいたので里帰りのような気分でもある。中でも三男は石垣島生まれなので、まさに里帰りだ。
 石垣島へは船でも行けないわけではないが、普通は飛行機に乗って行く。今回も飛行機だ。夏のこの時期には割引運賃が少ないので、多少は安くなるパックツアーを使うことにした。もっとも、パックになっているホテルに泊まるのは1泊だけで、4泊は馴染みの民宿に泊まる。気持ちとしては全部民宿に泊まりたいのだが、航空運賃のことを考えると仕方がない。
 最初は中部国際空港発着で考えていたのだが、日本トランスオーシャン航空に乗ろうと思うと日本航空と組み合わせなければいかず、そうすると良い時間帯の便が無いので、ちょっと困った。ところが、大阪発着を探してみると、適当な時間帯の便があるので、伊丹空港発着で行くことにした。結果的には、大阪までの鉄道運賃を考えても、こちらの方が運賃が安くなったので、一石二鳥だったと言える。日本トランスオーシャン航空にこだわるのは、機内誌のCoralwayを読みたいからだ。
 飛行機に乗るとなると、窓から写真を撮りたくなった。最近はデジタルカメラを使うことが多いのだが、離着陸時には使用できないので、石垣からこちらに引っ越してからはほとんど使用していなかったフィルムカメラを防湿箱から取り出してきた。石垣島に住んでいた頃にはフィルムで写真をたくさん撮ったので、その間にカメラの数も増えてしまった。
 その中で石垣島に持って行くカメラをどれにしようかと思案したが、最終的にはOlympus OM-2NとContax TVS IIの2つに候補を絞った。さらに思案した結果、TVS IIを持参することにした。TVS IIはコンパクトカメラだが、露出補正もできるので、十分に役割を果たしてくれると思った。
 TVS IIはコンパクトカメラと言っても、いわゆる高級コンパクトカメラに分類されるカメラなので、結構高い買い物だった。もっとも、後継のTVS IIIが出た後の在庫処分のものを買ったので、多少は安く手に入れることができた。
 ちゃんと動くことを確認したあと、フィルムを買いに出かけた。何にしようかと迷ったが、自然な発色をして粒状性が良いという売り出し文句のFUJICHROME ASTIA 100Fにした。石垣島の景色を撮るのならFUJICHROME VERVIA50を使うところなのだが、そちらはデジタルカメラに任せる予定だから。
 と言うことで、久しぶりにフィルムカメラとフィルムをいじることになった。

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