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2016年4月 7日 (木)

日本昆虫学会第76回大会・第60回日本応用動物昆虫学会大会・合同大会(2016年3月26日〜29日)印象記

前置
 学会誌の編集の仕事で忙しくてブログを書くのが億劫だったり、体調の不良などもあって、ブログをしばらく書いていなかったので、学会参加の印象記を書いていなかったので、本当に久しぶりの印象記である。
 普段この時期は日本応用動物昆虫学会(応動昆)の大会が開催される時期である。普段日本昆虫学会の大会は秋に開催されるのであるが、今年は秋に国際昆虫学会議がアメリカ・フロリダのオーランドで開催され、日本からも多数の参加が予想されるの。そのため、秋の日本昆虫学会(昆虫学会)の大会の開催の時期をずらして、春の応動昆の時期に合わせ、合同大会として大阪府立大学で開催された。一時期、両学会の合併を視野に入れて合同大会が続けて開催されていたが、今回の合同大会は1996年の山口大学以来、実に20年ぶりである。
 会期は普段のそれぞれの単独の大会より長い4日間である。齢も重ねてきたので、会期が長くなるのは疲れもたまってだんだん大変になってきた。

前日(3月25日)
 まずは大会前日の評議員会。ボクは評議員ではないのだが、代理の出席を依頼されて昆虫学会の評議員会に出席した。津駅10:45発のアーバンライナーを予約していたのだが、早く準備ができたので1時間早いアーバンライナーに変更しようと思って津駅まで出たところ、何と満席だった。ホームの特急券売り場に係員がいなかったので、一旦改札を出て外で切符を変更し、11:00発の賢島行き特急にして伊勢中川で乗り継ぐことにした。この賢島行きはそこそこ混雑していたが、伊勢中川で乗り換えた難波行きは4両編成と短かったにもかかわらず、それほど混雑していなかった。
 13:00前に大阪難波駅構内の「船場カリー」で黒いカレーを食べた。イカ墨が入っているそうである。可もなく不可もなくといった感じである。特にリピートしなくなるわけではなかった。
 南海難波駅から13:15発の橋本行き快速急行で堺東駅に出て、とりあえずホテルに荷物を預けてチェックインして、もう一度堺東駅から白鷺駅まで普通電車に乗り、定刻より20分ほど早く会場へ。
 評議員会は法人化を前にして解決しなくてはいけないことがたくさんあり、執行部のみなさんは大変そうである。18:30に終了の予定であったが、議事が終わらず、19:00過ぎまでかかった。評議員の懇親会もあったが、それには参加せず、ホテルに戻った。最寄りの南海白鷺駅から堺東駅まで電車に乗った。夕飯をどうしようかと考えていたところ、堺東駅構内に551蓬莱で「豚まん」を売っていたので、2つ買って夕食にした。やはり551蓬莱の「豚まん」の誘惑には勝てない。
 ホテルに戻りメールをチェックしたら、新しい論文が割り当てられたとの通知が来ていたので、ダウンロードした。こんなことをしていたので、なかなか寝付けず。

1日目(3月26日)
 午前中は両学会の総会。多少時間はずれているが、ほぼ同時並行で開催である。両学会共通の評議員もいるので、ちょっと大変ではなかったか?ボクは前日の昆虫学会の評議員会に出たので、総会は応動昆の方に出て、ほぼ終わってから昆虫学会の総会に顔を出した。
 午後の最初は一般講演4コマ。F→E→E→Fと会場を移った。大型ヒョウモン類の「夏眠」についての考察(低地と高地の間を移動しているだろう、ということ)は的を射ているだろうと思ったのだが、データが少なすぎて何とも言えない。イラクではタマムシによる果樹の被害があるということ、興味深い。
 その後は学会賞の受賞講演があったのだが、それはパスして休憩室で雑談など。
 時間がきたらチャーターバスで懇親会の会場へ。懇親会では「昆虫学会モード」で参加。自分のギョーカイの人とはあまり話をせず、博物館とか分類関係の若い人たちが集まるテーブルに陣取った。ツノゼミの知久さんと初めてお話したのは知久さんが初めて昆虫学会で講演した2014年の広島大学での大会の半翅類学会小集会の懇親会でのことだったが、今回初めてゆっくりお話できた。
 二次会には様々な祝賀会が企画されていたが、それには参加せず、セミの税所さんと一緒に歩いてホテルまで。やはりなかなか寝付けず。

2日目(3月27日)
 この日は応動昆の編集委員会に出れば良い、というぐらいのつもりであった。プレナリー講演はパスして一般講演から、と思ったのだが、最初の講演を聞いてから休憩室へ。さらに子供たちによるポスター発表と「昆虫じまん」の会場へ。三重県総合博物館に出入りしている子供たちのポスターや「自慢の標本」が展示されていることを知っていたが、そこで思いがけずお母さんから声をかけられ、ボクの職場でパートで働いているとのこと。部署が違うとパートさんの顔も知らない人が多いので、こういうことはありえる。息子さんはスズメガが好きということで、スズメガの話で盛り上がった。
 昼休みは応動昆の編集委員会。内容については特に何事もなく終わってしまった。
 午後も休憩室で雑談して過ごす時間が長かったが、夜の小集会に出席するつもりだったので、ホテルには戻らず。休憩室では出身大学の研究室の後輩たち(と言っても年上の後輩がいたり)が集まっていたので、仲間に入れてもらったり。一度ゆっくり話をしたいと思っていた後輩とも色々話ができた。
 小集会の前に腹ごしらえで、大学の門の前にある徳島ラーメンを謳っているラーメン店へ。それなりに美味しかったが、味が濃すぎるので、しょっちゅう食べようと思える味ではなかった。若者向きであろう。
 夜は「応動昆モード」になり、殺虫剤作用機構談話会の小集会に出席。ジアミド系殺虫剤の抵抗性に関してはある程度知っておいた方が良いので、とりあえず情報収集のため。
 会場を出たところ、別の小集会に参加していたと思われるクモの田中さんがいたので、話をしながら中百舌鳥駅まで歩いた。堺東駅構内の551蓬莱の隣にあったお菓子屋さんでシュークリームを買ってホテルに持ち帰った。

3日目(3月28日)
 体調も万全でない上に疲れも溜まってきているが、一般講演で自分の発表もあるので気力を振り絞って会場へ。
 自分は2番目だったが、自分の前は日本人の大学院生さんによる英語の講演。秋のアメリカでの国際昆虫学会議で講演するため、その練習を兼ねているとのこと。自分も一度だけ英語で講演したことがあるが、やはり大変であったと思う。
 自分の講演はキャベツで被覆作物を同時栽培したときの天敵類の発生について。事前に練習したときは16分もかかったのでスライドをかなり削ったところ、13分ぐらいに収めることができた。会場からの質問はほぼ想定内のもの。
 その後、午前中はほぼF会場。シカの死骸に発生する昆虫を調べた研究、ミノムシの蓑の捕食者に対する防衛、セミの羽化日のばらつきが交尾率に与える影響、ニクバエの休眠の臨海日長の性差の進化の研究、いずれも面白かった。
 午後はやはり休憩室にいる時間が長く、ポスターもあまり見なかったが、西川さんのオオハサミムシの地理的変異と分子系統の話は面白かった。Labidura japnicaという名前はLabidura ripariaのシノニムにされているが、種として復活するかもしれないし、南西諸島のオオハサミムシには別の名前が付くかもしれない。
 講演もキャベツの被覆作物としてカラシナや葉大根を使う研究の講演を聴いたぐらい。アブラナ科作物の被覆作物にアブラナ科を使うとは、常識に囚われない面白い発想である。
 夕方の2コマの小集会は「日本半翅類学会小集会」に出てから「昆虫の生物音響学の最前線」の途中まで出た。やはり夜はしんどいのである。税所さんが一緒だったので、堺東駅の地下の食堂街で一緒に食事をした。多少落ち着いた感じの定食屋さんのような店だったが、そこそこ安くて美味しくて満足した。
 やはりなかなか寝付けず。

4日目(3月29日)
 朝一番の長島さんのピンセットの講演を聴くために遅刻しないようにいないといけないので、いつもより早い電車に乗った。朝一番であるのに、この異色の講演を聴きにきた人はさくさんいて驚いた。良い標本を作る時など、良いピンセットを良い状態にして備えておくのは、実は大切なことなのであるが、これまでなかなかこういう情報が無かったのも確かである。
 その後はミバエの繁殖干渉を聴いた。この講演のあと、講演をした本間さんをつかまえて、自分が興味を持っているカメムシの繁殖干渉についての話を聞いてもらった。職場ではこのような話をなかなかできないので、やはり学会に参加する意義は大きい。
 一段落してからI会場に移動して斑点米カメムシの講演を昼まで続けて聴いた。
 昼休みは今野さんと一緒になったので、話をしながら一緒に食事をした。「なぜ陸上生態系は緑色なのか?」という疑問に答える今野さんのモデルの話は面白い。近くEcological Monographs誌に論文が掲載されるとのこと。
 最後は外来種問題に関するシンポジウム。外来種なくして我々の生活が成り立たないという状況の中で、外来種の問題を扱うのは難しいことであるが、意義のあることだと思う。港湾近くでハサミムシが見られるということでスライドにハサミムシの写真が登場したが、コブハサミムシの写真であった。コブハサミムシはそんな場所にはいないはずなので、違和感を感じた。東京の港湾で見つかったヨーロッパクグヌキハサミムシは現在どのような状況なのだろうか?
 個人的な考えでは、外来種すべてを目の敵にするのには違和感がある。是々非々で対応するしかないと思う。未侵入の外来種が国内でどのような振る舞いをするのかは予想がつかないから、外来種問題で最も重要なのは水際での抑止だと思う。既に定着してしまった外来種については、それを駆除する価値があるかどうかで判断せざるをえないと思う。何が何でも根絶させようという原理主義的な考え方には違和感を感じる。

個人的な印象
 このところ分子系統に関する研究が増え、それはそれで悪くないことだと思うのだが、形態や生態などと関連付けられていない「分子系統だけ」しか見ていない研究はやはりダメな研究なのだろうと思う。

帰路
 シンポジウムが終わると知久さんが若い人二人と一緒にいたので、何となく一緒に白鷺駅まで歩いた。二人はいずれも若い大学院生。同じ電車に乗り、堺東駅で乗り換えて難波まで。知久さんは翌日広島で仕事ということだったが、その夜は大阪泊まりとのこと。南海難波駅で別れて、ボクは一人近鉄の大阪難波駅へ。20:30発のアーバンライナーを予約していたが、食事をしても時間が余りそうだったので、20:00発のアーバンライナーに変更。当初からデラックスシートを予約していたので、変更した列車でもデラックスシート。なんばウォークの和食の店で食事を済ませて土産を買ってホームに降りると、発車まで15分ぐらいあったのに、既に入線していた。何と21020系、アーバンライナーNextであった。初めて乗ったデラックスシートが21020系だったのは運が良かったのか悪かったのか。座席はゆったりしていて気分は良かったが、ヘッドレストの位置が良くなく、思ったほど快適ではなかった。アーバンライナーの最前部は(最後部も)展望室になっているので、青山トンネルに入ったあたりから中川の短絡線あたりまで、展望室で前の景色を楽しんだ。青山トンネルの中は初めて見たが、単調な景色が続くので、運転する人も気が滅入るのではないかと思った。

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2012年10月 7日 (日)

伊勢街道を歩く【松阪→伊勢神宮(内宮)】(2012年10月6日)

 気候がよくなってきたので、旧街道歩きを再開することにした。前回(2012年6月 3日)は旧伊勢街道を津市の江戸橋から松阪まで歩いたので、今回は松阪から先、伊勢神宮に向かって歩けるところまで歩くことにした。8:12江戸橋駅発の近鉄急行で、まずは松阪駅へ。
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20121006blog02 ここは前回の終着点の和歌山街道との分岐。
 歩き始めて間もなく、「小津安次郎 青春館」を発見。まだ朝早いので開いていなかった。
20121006blog03 JR紀勢本線の徳和駅を過ぎたあたりで、キリギリスが何頭も鳴いている場所があった。キリギリスは真夏にさきがけて出現する夏の始めの虫だと思っていたので、まだ鳴いていたのは意外だった。ここからさらにしばらく歩いて櫛田川へ。
20121006blog04 さらに歩いて祓川。河岸の緑が豊かである。
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20121006blog06 松阪の街を出たあたりから、家の玄関に「笑門」と書かれたしめ飾りを付けた家がたくさんあることに気付いた。津市の界隈では見た記憶がない。
 明和町に入ったあたりでお昼になったが、街道筋には飲食店が全く見つからない。そんなときに目についたのは「へんば餅」と書かれた看板。
20121006blog07 「へんばや」の本店である。国道23号線の宮川の近くにある店は知っていたが、本店がこんなところにあるとは知らなかった。しかしここは旧伊勢街道。江戸時代からある店なので納得である。
 仕方がないので「へんば餅」でも食べて昼食にしようかと思って店に入った。すると、「へんば餅」だけでなく、赤飯などもあった。赤飯を買って店の中でいただくことにした。冷たいお茶のサービスもあった。
20121006blog08 400円なり。ちょっと量が多かったが、ちょっと残すのも中途半端なので、全部食べてしまった。奈良漬けと昆布の佃煮もついていたが、それも美味しかった。
 店の中は、このとおり。店の謂れも書かれていた。
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20121006blog10 店の前には駐車場があり、その脇にはトイレもあった。街道歩きをしていると、トイレに困ることもあるので、これはありがたい。
 腹ごしらえをして、しばらく歩くと宮川である。宮川の堤の下にも1件中華料理屋を発見した。宮川を渡れば伊勢市の街に入る。伊勢市の街の中に入れば、飲食店に不自由することもなくなる。
20121006blog11 「へんばや」を出てから1時間15分ほどで外宮に到着。一応お参りをする。
20121006blog12 外宮を出てからは伊勢市の街の中であるが、旧伊勢街道は丘を越える道になっており、ここの上り坂が一番きつかった。もう20kmぐらい歩いていて、既に足も張っていたので、ちょっとの上り坂でもきついのである。
20121006blog13 坂を下ると猿田彦神社。ここまでくると見慣れた風景である。
20121006blog14 さらに歩いて「おはらい街」へ。さすがに連休なので人が多い。歩く時、適切な速さで歩くと疲れを感じないのだが、「おはらい街」では人が多すぎて、適切な速さで歩くことができず、少々ストレスを感じた。ゆっくり歩くのはかえって疲れるのである。
20121006blog15 やっと宇治橋のたもとに到着。ちょっとした充実感を感じた。
20121006blog16 ここでも一応お参り。
20121006blog17 境内にいたチャボ。人に慣れている感じであった。
20121006blog18 帰りは「おはらい街」から「おかげ横町」にちょっと入ってみた。これまでに何度も「おはらい街」には来ていたが、「おかげ横町」の奥まで入ったのは今回が初めてである。20121006blog19 とにかく人がいっぱいである。いろいろ店はあったが、昼食の量が多かったので、何も買わなかった。
 ここを後にして、さらに歩いて近鉄五十鈴川駅まで歩く。内宮にお参りする人はたくさんいるが、ここから五十鈴川駅まで歩く人はほとんどいない。「おはらい街」の入り口から20分ほど歩く。
20121006blog20 ということで、どこまで歩けるか見当がつかなかったが、結局旧伊勢街道の終点の内宮まで辿り着くことができた。
 五十鈴川駅に到着したのが16:15頃。16:38発の伊勢中川行きの普通列車に乗った。さらに宇治山田で16:55発の大阪上本町行きの急行に乗り換え、またさらに松阪駅で17:19発の名古屋行きの急行に乗り換えたが、最初の伊勢中川行きの普通列車に乗っていても、一度は大阪上本町行きの急行に抜かされたが、松阪で名古屋行きの急行より先発したので、松阪か伊勢中川まで普通列車に乗っていても、最後に乗れる列車は同じだった。
 17:50頃には帰宅。足は張っていて、日に焼けた顔がほてるが、ほどよい疲れである。
 今回の総歩行距離は30kmを超えた。これまでに旧街道歩きをしたうちでは最長距離である。これまでに、桑名の七里の渡しから四日市の日永の追分までで1日、日永の追分から津市の江戸橋までで1日、江戸橋から松阪までで1日、今回の松阪から内宮までで1日の、計4日で桑名の七里の渡しから内宮まで歩き通したことになる。
 今後は、東海道を京都の三条大橋まで歩きたいが、良い地図が入手できないのが問題である。

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2012年9月30日 (日)

豊後紀行3日目(2012年9月28日)

 朝起きてすぐ温泉に浸かった。昨日の夕方に入った時には濁っていなかった温泉は、朝には白く濁っていた。昨日聞いた説明の通りであったが、どういう理屈であろうか?
20120928blog01 久住高原荘の朝食。これにご飯、味噌汁、納豆、野菜サラダ、漬物がついた。コーヒーが無いのが不満。コーヒーはロビーで1杯200円で売られていたので、それを買って飲め、ということらしい。しかし、朝食はコーヒーが無かったことを除けば、質、量ともに不満なし。
 朝食をとったあと、南の方角を眺めると、阿蘇の外輪山の山々がよく見えた。
20120928blog02 8時半前に出発し、ピーマンとトマトの生産現場を視察し、「道の駅すごう」で昼食休憩。
20120928blog03 ここには「丸福食堂」が入っており、そこで昼食をとった。
20120928blog04 「とり天」と「からあげ」が名物らしい。「とり天定食」を注文。600円なり。「とり天」の数が多いのもあり、数によって値段も違う。
20120928blog05 とりたてて美味いというほどでもなく、普通に美味しかった。
 ここからバスに揺られて午後2時頃に大分駅で解散。当初の予定より30分ぐらい早かったので、予定していた特急の1本前の特急に乗ることができた。
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20120928blog07 今度は「白いソニック」である。885系。
 行きに乗った883系よりも新しく、内装も奇麗であった。さらに気付いたのは、883系よりもスピードが出ている感じがすることであった。カーブでもあまりスピードが落ちていなかった気がする。あとから調べてみたら、885系は振り子式の電車であるということで納得した。眠気に襲われ、少しうたた寝をした。
 小倉で新幹線に乗り換えて新大阪へ。自由席はかなり席が埋まっており、広島駅で座れない客が出てきた。新幹線の中では持ち歩いていた某査読原稿を眺めて赤を入れていた。新幹線はあまり揺れないので、こういう仕事もできる。
 新大阪で降りて駅の構内で夕食をとろうと思っていたところ、新幹線駅構内にたこ焼き屋を見つけたので、そこで「明石焼き」を食べた。明石焼きは初経験である。美味しかったが量が少なかった。
20120928blog08 夕食後、東海道線と大阪環状線を乗り継いで鶴橋の駅に着いて近鉄ホームに行ったら、ちょうど松阪行きの快速急行が来たので、それに乗り込んだ。座れなかったが滅茶苦茶混雑しているわけでもなく、最初の停車駅の五位堂で座ることができた。伊勢中川で白塚行きの普通列車に乗り換えて21時ちょっと過ぎに無事帰宅。
 行く前はあまり気乗りのしない出張であったが、結果的には高原の空気にも触れることができたし、温泉にも入ることができたので、悪くない出張であった。

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豊後紀行2日目(2012年9月27日)

 泊まったホテルに食堂はなかったが、80mほど離れた場所の同じ系列の別のホテルのレストランで朝食をとることになっていた。バイキング形式で、宿泊客は600円。
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20120927blog02 和食も洋食も揃っており、品数も少なくなかったので、悪くはなかったが、コーヒーだけは不味かった。普段の朝食バイキングなら3杯ぐらいコーヒーを飲むところだが、おかわりをする気にはならなかった。
20120927blog03 別府駅前にある銅像。油屋熊八という人らしい。別府の観光開発に尽力した人とのこと。
 別府駅から列車に乗り、大分で乗り継いで豊後竹田駅へ。豊後竹田は「たけだ」ではなく「たけた」と読むらしい。乗った列車が駅に着くと、反対側のホームに止まっていた「九州横断特急」が発車した。この夏の豪雨で豊肥本線は、この豊後竹田駅から宮地駅まで不通になっていて、代行バスが運転されているとのこと。だから、この特急は豊後竹田駅が始発である。
20120927blog04 豊後竹田駅は小さかったが奇麗な駅だった。
20120927blog05 集合時刻までに2時間ほどあったので、市内を散策。古い城下町で、奇麗に整備されている感じであった。お菓子屋さんには「銘菓 荒城の月」との暖簾がかかっており、竹田市が滝廉太郎ゆかりの地であることを思い出した。
20120927blog06 駅から歩いて30分ほどで岡城跡へ。ツクツクボウシの鳴き声がいくつか聞こえた中で、ミンミンゼミの鳴き声を1回だけ聞いた。途中は上り坂なので汗をかいてしまった。
20120927blog07 ここには滝廉太郎の銅像もあった。
20120927blog08 ヒガンバナも花の盛りで、普通の赤いヒガンバナに混じって、白いヒガンバナがまとまって咲いている場所もあった。このようにかたまって咲いていると、ヒガンバナが種子繁殖か、あるいはそれと似たような繁殖様式をとっていると疑わざるをえない。
20120927blog09 街に戻る途中にあった広瀬神社の下には廣瀬中佐の胸像があった。日露戦争のときに活躍した人らしい。
20120927blog10 集合時刻までに昼食をとらないといけないので、歩いていて目についた「心笑庵(こころえあん)」という蕎麦屋に入った。
20120927blog11 席に着くと、さっそく冷たいお茶と栗の甘露煮が出された。
20120927blog12 盛り蕎麦を注文。750円なり。
20120927blog13 写真右上に見えるのは「蕎麦茶ゼリー」。山葵も本物の生山葵だった。これで750円ならお得感十分。蕎麦も美味しかった。
 豊後竹田駅を12時半に出発したバスに30分ほど揺られて久住高原へ。途中、けっこう標高の高いところまで水稲が作られていたが、さらに標高を増すとカシワが混じった疎林になり完全に高原の風景であった。三重県では見ることができない風景である。会議の会場と宿泊は「国民宿舎久住高原荘」。なかなか奇麗であった。
20120927blog14 カシワは実をつけていた。
20120927blog15 カシワというとハヤシミドリシジミやウラジロミドリシジミを思い出すが、久住高原にこれらのシジミチョウが棲息していたのかどうかは思い出せなかった。昔は覚えていたはずなのに。
 夕方は温泉に浸かって、そのあと会議の参加者一同と宴会。最初の1杯はビールを飲んだが、あとはウーロン茶ばかり飲んだ。料理は値段相応だったと思ったが、まだ完全に食べ終わらない皿を下げられたりして、気分はよくなかった。
 部屋に戻ると布団が敷かれていることを期待していたが、布団は敷かれていなかった。そこそこの宿泊料金をとっているのだから、布団ぐらいは敷いていてほしかった。

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豊後紀行1日目(2012年9月26日)

 某会議と現地視察のため、大分県竹田市に行くことになった。当日出発では集合時刻までに間に合わないため、前日の出発である。豊後竹田駅には27日のお昼に集合なので、途中の適当な場所に宿をとれば良かったので、この日は温泉がある別府に宿をとることにした。
 まずは近鉄で大阪に出て、新大阪から新幹線に乗って小倉駅で降りた。2006年の鹿児島大学での昆虫学会以来の九州上陸である。日豊本線に乗るのは初めて。特急ソニックである。
20120926blog01小倉から別府までは1時間20分ほど。乗った列車は883系の青いメタリックの車輛だった。車内は近代的なデザインだったが、ちょっと古さが感じられた。
20120926blog02 さっそく駅前のホテルにチェックイン。本当に駅の目の前である。これはホテルの客室から見た別府駅。
20120926blog03 夕食は別府駅の構内の「豊後茶屋」という店で食べた。「だんご汁定食」。「だんご汁」というのは、このあたりの名物らしい。
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20120926blog06 野菜や椎茸がたっぷり入って、味噌で味付けがしてある。たいへん美味しかった。
 このあとホテルの部屋に戻ったが、部屋は狭く、古く、ネットも繋がっていないので、ロビーのパソコンの前にしばし座った。
 風呂は部屋の風呂には入らず、最上階の展望大浴場に入った。他の客は誰もおらず、広々していた。温泉のはずだが、風呂の色も臭いもなく、あまり温泉らしくない。

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2012年9月22日 (土)

日本昆虫学会第72回大会(2012年9月16日・17日)印象記

 東京都町田市にある玉川大学で9月16、17日に開催された日本昆虫学会第72回大会に参加した。ボクは評議員ではないのだが、代理出席を依頼されていたので、その前日の15日の午後に玉川大学入りした。日本昆虫学会の評議員会は、各地域の支部選出の評議員が、各地域から最低1名が出席していないといけないという規約があり、東海地域の評議員が0になってしまう可能性があるから出席して欲しい、ということで依頼されたわけである。
 15日に玉川大学に着いたときは、蒸し暑くて、駅から大学までのダラダラの上り坂を歩いていると汗が噴き出してくるぐらいだった。しかし、評議員会の会場になっている教室に入ると、冷房が効いており、寒いぐらいだった。議事は滞り無く終了した。夕方5時半頃、評議員会を終えて外に出るとヒグラシの鳴き声が聞こえた。その他にも玉川大学ではアブラゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクボウシの鳴き声を聞いた。
20120916blog01 16日からが学会の本番である。16日の午前中は一般講演。主に生活史関係の発表が行われる会場にいた。
◎C102 山崎和久・Schüte Kai・名和哲夫・土田浩治「ムネアカハラビロカマキリ(仮称)の日本からの発見と分布に関する報告」
 ハラビロカマキリに近縁なハラビロカマキリよりも大型の日本未記録種が岐阜その他数か所で発見されたという発表である。こんな大型種がこれまで気付かれずにいたというのは驚きである。ハラビロカマキリよりも大型で前胸が長く、胸部の腹面が赤色を帯びているので、ハラビロカマキリとの識別は難しくないと思われる。もともといた種なのか、移入種なのか、興味惹かれる。
◎D108 横地亮祐・三浦一芸・山岸健三「ミンミンゼミの形態的・地理的変異と遺伝子変異について」
 ミンミンゼミは斑紋や色彩の変異に富む種であるが、それの遺伝的変異を調べた研究である。が、遺伝的変異はほとんどない、ということであった。ミンミンゼミとクマゼミは棲み分けているという通説があるが、愛知県の知多半島にある美浜町では、両者が混棲する地域があるという言及があった。発表者の横地氏は広島大学の大学院生であるが、同じ広島大学に勤務していてセミの図鑑の著者でもある税所康正氏とは全くコンタクトしていなかったらしい。同じキャンパスにいるのにもったいない話である。

 午後の最初はアメリカ昆虫学会の会長のG. C. Brown氏による研究の国際連携に関する講演。アメリカ昆虫学会からは日本昆虫学会に対して、学生会員の相互会員制度が提案されており、その宣伝でもあったようだが、随所に日本語のスライドが使用されているにもかかわらず(「Google翻訳」を使ったそうである)、英語を聞くのが苦手なボクには内容を十分に理解できたとは言えない。情けないことである。

 次は学会賞受賞講演2題。
◎上村佳孝・三本博之「Comparative copulation anatomy of the Drosophila melanogaster species complex (Diptera: Drosophilidae).
 ハサミムシの交尾器の形態の進化を得意とする上村氏がショウジョウバエの交尾器についても優れた論文を書いているところがすごい。
◎丸山宗利・小松貴・R.H.Disney「Discovery of the termitophilous subfamily Termitoxeniidae (Diptera: Phoridae) in Japan, with description of a new genus and species.」
 アリやシロアリの巣に見つかる昆虫を得意とする丸山氏が日本産のシロアリの巣からもノミバエを発見したという興味深い発表である。

 次は総会。議事は滞り無く進行し、九州大学名誉教授の湯川淳一先生が名誉会員に決まった。

 さらに、大会主催のシンポジウム「昆虫の社会的貢献」。
◎Y. J. Kwon「Role and contribution of entomology for public in Korea」
 韓国昆虫学会の会長による、韓国の事例の紹介であった。マルハナバチが授粉昆虫として利用されていることなど。
◎中村純「みんなが知っている昆虫ミツバチは本当によく知られているか」
 ミツバチは、よく知られているようで実は誤解されていることが多い、という事例の紹介であった。一度誤った理解が定着してしまうと、その誤解を解くことはなかなか困難である、とのこと。この話を聞いて、「カマキリの雪予想」の話を思い出してしまった。
◎松浦健二「シロアリ研究における基礎と応用のフィードバック」
 新進気鋭のシロアリ研究者、この春、30代にして京都大学昆虫生態学研究室の教授に着任した松浦氏の講演は面白かった。緻密な観察に基づいた基礎的な研究から、シロアリの新しい防除法の開発に至るまでのワクワクさせられる話だった。松浦氏の今後の研究の発展を期待させられる内容であった。

 夕刻終了したシンポジウムの後は懇親会。大学内の食堂で開催された。懇親会の料理は学会の印象を大きく左右するだけに、学会で最も重要なプログラムだと言っても良いかも知れない。今回は去年の松本大会のように料理が足りなくなってしまうようなことはなく、落ち着いて話をしながら食事をすることができた。料理の質は素晴らしかった2009年の三重大会のように、これと言って高いわけではなかったが、最後に玉川大学特製のハチミツ入りアイスクリームが出たところは良かったと思う。
 このあと二次会には参加せず、おとなしく町田市内のビジネスホテルへ。町田の駅前は異様に人口密度が高く、息苦しさを覚えた。

 学会2日目の午前中は2本の公募シンポジウムが同時並行で開催された。ボクは「ネオバイオミメティクス:昆虫学と工学の協調」に出席した。昆虫の形態や機能を模倣した技術が様々な用途に利用されつつあることが紹介された。普段はあまり聞かない内容の話だったので、目新しさもあり、面白かった。

 昼休みには会場で売られていた玉川大学ブランドのハチミツを買った。何種類かあったが、それほどお安くなかったので、いくつも買うことは躊躇させられ、結局、「ソバとシナノキのハチミツ」を1つだけ買った。
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 学会2日目の午後は一般講演。この日もやはり生活史関連の講演が行われる会場にほとんど張り付いていた。ボクはC213の講演で「ヒメジュウジナガカメムシの生活史に関する若干の知見」という演題で、このブログに断片的に書いてきたヒメジュウジナガカメムシの観察記録をまとめて話をした。オチの無い話ではあったが、京都大学名誉教授の藤崎先生から「秋にガガイモの種子に来ているカメムシはヒメジュウジナガカメムシではないのか?」と質問され、「多分そうだと思うが、ヒメジュウジナガカメムシは、種子がなくても、茎葉からの吸汁だけで繁殖ができるところが生活史戦略的にみても面白いところだと思う」と答えた。
 一般講演の後は小集会。参加したい小集会が2つ重なってしまい(と言うか、今回の大会では会期が2日間と短いために、小集会の時間帯が1つしかないのがそもそもの問題であるわけであるが)、よく考えたあげく、「日本半翅類学会小集会」の前半に出席したあと、「第14回昆虫の季節適応談話会」の後半に出席することにした。
 「日本半翅類学会小集会」では、北九州の小倉高校の高校生によるクワキヨコバイ類に関する研究発表があった。奥寺繁さんの指導のもと、今年の春から研究を始めたばかりだと言うことだが、しっかり調査されていると感じさせられた。
 「第14回昆虫の季節適応談話会」では田中誠二さんの「亜熱帯昆虫の休眠の意義と進化」の話を聴いた。季節適応としての休眠は温帯地域を中心に研究されてきており、亜熱帯地域の昆虫における休眠はまだ十分に研究されているわけではない。田中さんは自身の豊富な亜熱帯地域での研究経験をもとに、いくつかの昆虫(クモを含む)の亜熱帯地域における休眠の適応的意義について解説した。ボク自身、石垣島に暮らしていた経験から、亜熱帯地域の昆虫の生活史に深く興味を抱いており、納得させられる話が多かった。

 小集会の終了後は、再び「日本半翅類学会」のメンバーと合流して、町田市内に繰り出して飲んで(ボクはノンアルコールビール)いろいろ虫談義に花を咲かせた。世界でも片手で数えられるほどしかいないハサミムシの分類の専門家のNさんが参加していたので、ハサミムシの話をたくさんした。まだ、日本のハサミムシには分類学上の問題がたくさん残されているようである。

 学会の最中は天気が不安定で、突如として激しい雨に降られたりと、けっこう大変であった。18日の朝に帰路についたわけだが、ボクが乗った新幹線は何事も無く無事に名古屋まで着いたが、少しあとの新幹線は岐阜羽島と米原の間で運転が見合わせになったので、名古屋に着くのも大変だったかも知れない。とにかく、昼過ぎには無事に自宅に帰り着き、自宅で昼食をとった。

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2012年7月15日 (日)

第17回関西アマチュア無線フェスティバル KANHAM2012(2012年7月14日)

 一度行きたいと思っていたアマチュア無線のイベントに出かけた。第17回関西アマチュア無線フェスティバル KANHAM2012@大阪府池田市民文化会館。経費節約のため、近鉄の急行に乗って大阪へ。
 江戸橋駅6:56分の伊勢中川行きの急行に乗ろうと思ったら、その列車は伊勢中川から折り返して、そのまま大阪上本町行きの快速急行になる列車だった。江戸橋から鶴橋まで乗り換えなし。7:30江戸橋駅発の伊勢中川行きの急行も、折り返して大阪上本町行きのなるので、実質上の近鉄名古屋発大阪上本町行きの急行は、少なくとも1日2本あることがわかった。
20120714blog01 大阪環状線で大阪駅に出て、阪急梅田駅まで歩いて阪急宝塚線で石橋駅へ。大阪駅周辺の地図が頭の中に入っていないので、少々混乱したが、とにかく無事に乗ることができた。ネットで検索した時刻より、10分到着が遅れたが、鶴橋駅で乗り換えに時間がかかり、そこで1本遅れたらしい。大阪環状線は103系の古い電車だったが、まだけっこう残っている様子だった。阪急宝塚線の急行はロングシートだったが、ところどころに手すりがあり、快適感があった。
 阪急石橋駅から歩いて10分弱で会場へ。10時の開場にはやや遅れたが、入り口付近では、これから入場しようとする人でごった返していた。
20120714blog02 開場の前の公園ではクマゼミの鳴き声を一声聞いた。まだ本格的に鳴いているわけではないと感じた。ニイニイゼミは何頭か鳴いていた。
 中のいろいろなブースを見たが、ここはJARL QRP CLUBのブース。小電力で通信しよう、という人たちの集まりである。
20120714blog03 その隣のKCJのブース。KCJとは"Keyman's Culb of Japan"。電信マニアの集まりである。
20120714blog04 あちこちのブースで、作品の現物を前に話をすると、いろいろ刺激を受けて脳が活性化される気がする。
 15:00からは小ホールでの「JARLそこまで言って委員会」。JARL(日本アマチュア無線連盟)についての本音トークである。
20120714blog05 JARLについての現状を少し理解できたが、JARLへの入会はもう少し待ってみようかと思った。
 これで1日目の日程は終了。1日目だけの出席の予定だったので、これにて退散。
 阪急石橋駅17:20の普通電車に乗って梅田駅へ。そこから大阪市営地下鉄御堂筋線に乗って難波に出ようとしたが、やはり地図が頭の中に入っていないので、少し迷った。
 難波で近鉄に乗り換えて、大阪上本町駅で一旦降りて、上本町駅の構内でうどんを食べて、地上ホームに出て鳥羽行きの快速急行を待っていると、こんなものを発見。
20120714blog06 1日に1本ある「鮮魚列車」の停車位置表示標識らしい。伊勢中川駅で名古屋行き急行に乗り継いで20:30過ぎに自宅に帰還。

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2012年6月17日 (日)

越後長岡へ(2012年6月13〜16日)

 「第17回農林害虫防除研究会新潟大会」に参加するために越後長岡に出かけた。
 大会前日に出発し、前日は長野に泊まった。長野駅前のホテルは安くて極めて便利であったが、かなり古さを感じさせられた。最上階のラウンジからの眺めはけっこう良かった。
20120613blog01 翌朝はまず普通列車「妙高」に乗る。普通列車であるが指定席があり、かつて特急列車に使われている車輛なので快適であった。「妙高」は直江津行きであるが、乗り継ぐ列車が新井始発なので新井で下車。ここからは快速列車「くびき野」に乗る。これもグリーン車と指定席車もある、特急と同等の列車で、直江津までは各駅停車であるが、直江津から先は特急列車並みの停車駅で、非常にお得感がある列車であった。
20120614blog01 これは鯨波あたり(だと思う。停車駅が少ないので正確な場所がわからないのだ)の日本海の風景。遥か向こうに佐渡の山と思われる山影が見える。
20120614blog02 11時過ぎに長岡駅に到着。まずはホテルに行って大きな荷物を預けて、再び駅方面へ。
 長岡駅は駅も立派で(新幹線が通っているから当たり前か?)県庁所在地である三重県津市よりも大きな街に見える。
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20120614blog04 石垣島に住んでいた10年ぐらい前に一度長岡を訪れ、その時に壊してしまったカメラの代替機を買った「東京カメラ」は健在であった。
20120614blog05 昼食は「越後長岡小嶋屋本店」で「野菜天へぎそば」を食べた。「へぎそば」は独特の歯ごたえがあった。美味。
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20120614blog07 ブラブラ歩いて長岡駅まで戻る途中、奇抜な外観の建物を発見。
20120614blog08 「アオーレ長岡」。市役所の一部でもあるらしい。
 駅を通り過ぎて、会場へ。「第17回農林害虫防除研究会新潟大会」の印象については別のエントリーに記述。
 懇親会には参加したが、二次会には出席せずにホテルに戻る。部屋に入ったところ、何やらタバコ臭い。見回してみると灰皿もあった。禁煙室を予約したつもりだったが、どうやらそうではなかったようだ。
 翌朝は前の夜にコンビニエンスストアで買ったもので朝食を済ませた。ホテルには840円の朝食バイキングがあったが、バイキングはついつい「元を取ろう」と思ってしまうので、840円の朝食は高すぎる。
 9時頃には会場へ。12時過ぎに午前の部が終わり昼食休憩。前の日には本店に行ったが、駅ビル「Cocolo」に入っている「小嶋屋」の支店に行った。
20120615blog01 「えび天冷ぶっかけそば」。それなりに美味。
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 研究会は15時半ぐらいに終了。駅前からバスに乗って長男の下宿、というか義理の叔母の家へ。家についても誰もおらず、しばらく待っていたら長男が帰宅。義理の叔母は親類の葬式にいっているということだったが、予定よりかなり遅れて帰宅。ぼくの息子からみると再従兄弟にあたる姉妹(こういう関係を自分からみた場合にどういうのか知らない)も一緒だった。80歳になる義理の叔母が「ファミレスに食事に行こう」と言うので5人揃って息子が運転する車で出かけたが、行った先はファミリーレストランではなく居酒屋だった。「和処ダイニング暖や長岡店」。義理の叔母はこれをファミリーレストランだと認識していたらしい。誰も酒を飲まなかったので、5人分あわせて通常の1.5人分ぐらいの会計。
 その後、息子は学習塾の講師のアルバイトへ。息子の再従兄弟にあたる姉妹は買い物に出かけ、しばらくして戻り、義理の叔母が運転する車で駅まで送られて帰っていった。
 義理の叔母はよくしゃべり元気である。息子がアルバイトから戻ってしばし3人で雑談してから就寝。
 翌朝は食事のあと、息子が運転する義理の叔母の車に乗って息子が通う大学へ。雨が降っていたので、キャンパスをグルッと一回りして戻り、長岡駅まで送ってもらった。土産と昼食の弁当を調達。
 長岡駅10:20発の直江津行き普通列車に乗り直江津へ。さらに長野行きの普通列車に乗り長野へ。この列車は往路のときと違って115系の普通の電車だったが、クロスシートだったので、列車内で長岡駅で買った弁当を食べる。
20120616blog01 車窓からの景色。まだ雪が残っている。場所は妙高高原の近く。
20120616blog02 長野からは「特急しなの」に乗る。「特急しなの」はほとんど名古屋行きであるが、1日に1本だけ大阪行きがある。乗ったのはその大阪行きだった。
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20120616blog04 長野は始発駅であり、乗り継ぎ時間がたっぷりあったので、一番乗りで特等席をとった。8号車自由席15番C席である。
20120616blog05 名古屋までの3時間は、前方に見える景色に釘付けである。3時間もたっぷりと(大阪まで乗れば5時間である)前方を眺めることができる列車は他に無いと思う。振り子電車であるので、カーブを走る時に車体が傾いているのがわかって面白い。
20120616blog06 姨捨駅付近の車窓からの景色。日本三大車窓のひとつに数えられている。このあたりを走っているときは、まだ晴れ間の見える天気だったが、塩尻を過ぎて木曽路に入ったあたりからは雨になった。
 大阪まで足を伸ばす「特急しなの」はJR東日本、JR東海、JR西日本の3社をまたいで走る。東日本と東海の境界の塩尻駅で乗務員が交代し、名古屋の先の米原(ここは東海と西日本の境界である)で交代するらしい。塩尻までは運転席には一人しかいなかったが、塩尻からは二人になり、途中で運転を交代していた。長野から塩尻までは1時間ちょっと。塩尻から名古屋までは2時間近くかかるので、交代要員が必要ということなのだろうと理解した。
 名古屋からはごく普通に近鉄の急行に乗った。18時半前に帰宅。それほど疲れはなかった。

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2012年5月24日 (木)

和歌山2日目(2012年5月24日)

 昨日は既に暗くなっていたので気がつかなかったが、今朝起きてホテルの窓の外を見たら真正面ぐらいに和歌山城が見えた。その後ろには加太あたりの山が見え、左側には淡路島と思われる山がうっすらと見えた。
20120524blog01 ホテルの朝食は同じフロアだった。和食と洋食があったので、洋食を予約しておいた。パンと飲み物は食べ放題飲み放題。コーヒーはエスプレッソ、ジュースはグレープフルーツジュース。パンは2枚食べ、コーヒーは3杯も飲んだ。
20120524blog02 研究会は同じ建物の12階で受け付けをして、12階と8階の2か所の会場があった。この内容については別のエントリーにあらためて書きたいと思う。
 昼休みに出かけたラーメン屋「丸寅」。下調べしておいたつもりだったが、営業していなかった。あとから調べたら、営業は夜のみであった。
20120524blog03 もう1軒下調べしておいたので、そちらへ向かった。こちらは営業していたのでひと安心。「丸山」。和歌山のラーメン屋には「丸」がつく名前が多いようだ。
20120524blog04 店内は昨日の「井出商店」よりも新しくて明るい。
20120524blog05 出てきたラーメンは見た目も味も「井出商店」のものに似ていた。チャーシュー、蒲鉾、メンマ、青ネギが乗っているのがデフォルトのようである。
20120524blog06 「早すし」がテーブルに乗っているところも「井出商店」と同じ。ただし、こちらには巻き寿司もあった。
20120524blog07 ラーメンに満足して会場に戻る。東側の景色を見ると、これから水が張られると思われると田圃と住宅地がモザイクのように入り乱れていた。津市界隈では、水田と住宅地はこのように入り組んではいないので地域の違いを感じた。
20120524blog08 研究会は午後4時頃に終了。歩いて和歌山駅に向かう。土産を買って天王寺までの切符を買って紀州路快速に乗り込む。天王寺で降りて一旦改札を出て、JR難波までの切符を買い、もう一度天王寺駅の改札を通って中に入る。大和路快速に乗ってJR難波へ。なぜ天王寺で切符を買い直したのかと言えば、和歌山からJR難波までの切符を買うより、このようにした方が運賃が安いからである。
 JR難波駅から「なんばウォーク」方面に歩き、「551蓬莱」で夕食。「海鮮丼」940円なり。値段設定がやや高いが美味しかった。
20120524blog09 「551蓬莱」では「豚まん」をお土産に買い、難波から近鉄に乗り、午後9時頃帰宅。電車の中は読書タイムであった。思ったほど疲れていない。

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2012年3月 8日 (木)

福山へ(2012年3月5日〜7日)

 今週の月曜日から2泊3日の福山への出張であった。研究会のようなものであったが、一般に公開されていたわけではないので、用務については一切省略。
 日曜日ぐらいから腹具合が悪く、体調不良のままの出発であった。体調が良ければ、在来線をより多く利用して新幹線の特急料金をより少なくしようと目論んでいたのだが、結局のところ無難に新大阪から新幹線に乗る事にした。乗ったのはN700系の「さくら」。まだ新しく快適であった。
20120305blog0 福山に着いてからは駅の土産物屋などをブラブラ見てから食事に向かった。
20120305blog1 朱華園福山元町店。尾道ラーメンの店である。時間が早かったせいか、客は数人入っていただけであった。「中華そば」を注文。
20120305blog2 背脂の塊がゴロゴロと入っている以外は、普通のラーメンと特に違っているところは無いように思えた。麺は細めの平打ち麺。とくに感激するほどの味でもなかったが、スープも全部飲み干してしまったので、十分に美味しかったと思う。
 用務は午後から。夕方ホテルにチェックインしてHさんに連絡をとる。ボクが初任者研修を受けたのは約27年前のことだが、その当時わずかな期間だったが合唱団に所属し、そのときにいろいろお世話になったのがHさんである。5日の夕食はHさん宅で手作り料理をいただく。
 6日は自分の発表もあった。この日は夕方6時半ぐらいまでのスケジュールだった。
 この日の夜は、同じ頃に合唱団に入団したKさんのお世話で、当時の合唱団員の方を集めていただき、街中で食事。顔を見るまで名前を思い出せなかった人も、顔を見たら当時の思い出がいろいろ蘇ってきた。記憶というのは面白い物である。普段は完全に忘れてしまっているのに、何かのきっかけがあると、忘れていたはずの記憶が蘇ってくる。思い出話に花を咲かせ、楽しい時間を過ごす事ができた。Kさんに感謝である。
 相変わらず体調はすぐれないままに3日目を迎え、昼前までで用務を終えた。軽く食事を済ませ、チケットショップで安い切符を買い、土産物を買い、改札口に行ったら12:13発の「ひかりレールスター」に間に合った。
 新大阪で降り、在来線で大阪に向かおうとしたちょうどその頃に吹田駅で人身事故が起きたとのことで、電車が来なくなってしまった。しばらくしたら振替輸送をするというので、地下鉄御堂筋線の駅に向かい、梅田まで乗り、JR大阪駅から大阪環状線で鶴橋に向かった。鶴橋に着いたら、ちょうど宇治山田行きの急行が出たばかりだったのだが、次の急行を1時間近くも待つのはしんどかったので、特急券を買って14:36発の特急に乗った。疲れていたので、電車の中ではかなり居眠りをした。
 16:15頃には帰宅。疲れていたので、夕食まで布団の中に潜り込んでいた。

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