芸能・映画・舞台

2009年12月20日 (日)

3日連続『のだめカンタービレ』三昧

 一昨日と昨日の夜のテレビを見たのに続いて、今日、映画館に行ってきた。
 「のだめカンタービレ最終楽章 前編」
 以前、連続テレビドラマとして放映されていたときも毎週観ていたが(テレビをあまり観ないぼくとしては例外的なことだ)、面白さが期待できたので、導入編とも言えるテレビ番組とともに、昨日封切られたばかりの映画を観に行った(映画をあまり観ないぼくとしては例外的なことだ)。
 期待に違わず、最初から最後まで安心して楽しめる映画だった。笑いあり、涙あり。
 それにしても、ずいぶん手間をかけて作られた映画だったと思う。外国でたくさんの人を集めて映画を作り上げるのは大変だったと思う。
 ルー・マルレ・オーケストラのコンサートマスター。主役2人に負けず劣らず、なかなか魅力的でした。

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2009年9月23日 (水)

嬉しい偽りの看板・・・今日は一日『沖縄ポップス』三昧

 今日は午後から夜まで、NHK-FMで「今日は一日『沖縄ポップス』三昧」という番組が放送されている。もちろん「沖縄」に反応してラジオを流しっぱなしにしているわけだが、『沖縄ポップス』というのはまさに「看板に偽りあり」で、ポップスだけでなく、懐かしい八重山民謡もいっぱい流されている。こういう偽りの看板は嬉しい。
 石垣島に住んでいた頃、三線を手に少し練習した「かたみ節」や「鷲ぬ鳥節」や、いつも耳にしていた「とぅばらーま」なども流れてきて嬉しかった。まるで沖縄に居るかのような錯覚に陥る。

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2009年9月12日 (土)

中江裕司監督作品『真夏の夜の夢(さんかく山のマジルー)』

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 伊勢市の「進富座」という映画館中江裕司監督の『真夏の夜の夢』(沖縄では『さんかく山のマジルー』という表題で公開されているとのこと)が公開され、中江裕司監督がやってきてトークライブがあるというので、妻と二人で伊勢市まで出かけた。映画を見にわざわざ伊勢市まで出かけるのは、例によって例のごとく沖縄の空気に浸りたいからだ。
 中江裕司監督を見るのは『ナビィの恋』と『ホテル・ハイビスカス』に次いで3作目だ。他にも見たい作品があったが、津市の映画館では上映されなかったので、まだ見る機会を得ていない。『白百合クラブ東京へ行く』や『恋しくて』なども見てみたい。
 沖縄はヤマトと較べると、現実世界と精神世界の境界が遥かに曖昧だ。『真夏の夜の夢』は、そのあたりを表現した作品のように思われた。『真夏の夜の夢』は、もちろんシェークスピアの作品だと言うことは知っているが、作品は読んだことは無く、表題を知っているだけだ。中江作品の『真夏の夜の夢』では、マジルーというキジムン(木の精)が人間の世界の恋を混乱させて騒動を起こす。この部分がシェークスピア作品との共通点ということらしい。中江作品では『ホテルハイビスカス』にも少し精神世界が描かれていたが、この『真夏の夜の夢』では、作品の核心部分になってると言っても良いと思う。沖縄の自然観とか精神世界についての知識がないと理解しにくい作品かも知れないが、ぼくにとっては大変楽しめる作品だと思ったし、後味が良い作品だとも思った。ホテルハイビスカスの美恵子を小学校3年生のときに演じた蔵下穂波が高校生になりマジルーを演じたが、性を感じさせないマジルーをうまく演じていたと思う。平良とみが男性を演じ、平良進が女性を演じていたのは面白かったし、照屋政雄、玉城満、川満聡など、沖縄には欠かせない俳優の演技も味があった。
 映画の中の結婚式の宴会の場面で、弘前大学の城田安幸先生にそっくりの人が一瞬出てきた。アンコー先生は大阪出身だが、ルーツは沖縄だということなので、ロケ地の伊是名島に似た人がいても不思議ではない。まさか本人ではないと思う。それから、映画の中で気付いたセミの鳴き声はクマゼミだけだったので、その点での違和感はなかった。
 映画のあとの中江監督のトークライブでは、作品そのものや作品作りについての話を聞く事ができて、映画の背景などを理解するのに役に立ったともう。また、出演した俳優さんについての裏話も、なるほど、と思わされることが多く、楽しむ事ができた。中江監督の話を聞くのは、石垣島で『ナビィの恋』が上演されたときに聞いて以来だが、その時の中江監督の話はただ面白い話だったというだけだったように思うが、今日の話は、それに較べるとかなり深みを増した話だったように思う。『ナビィの恋』から10年も経っているわけだし、中江監督も自分もそれだけ齢を重ねているわけだから、それも当然だと思う。最近の映画に対する批判は本音だったと思うし、中江監督が「約束事」を敢えて入れない映画を作ったのは一つの冒険だと言っていたが、ぼくにとっては『真夏の夜の夢』が素直に受け入れられる作品だと感じられたのは、そのようなところに原因があったかも知れない。
 進富座という映画館は今時の映画館と違って小さな映画館で、主人というか席亭というかの水野昌光さんの魂が感じられるような映画館だと思った。似たような映画館がついこの前まで津にもあったが(大門シネマ)、主人が高齢になり営業を止めてしまった。小さな映画館をやっていくのは大変だと思うが、映画館の古き良き遺伝子を引き継いでいる映画館(もう82年続いているとのこと)をずっと続けて欲しいと思う。

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2009年8月 1日 (土)

八重山の風に吹かれて

 八重山の人が来るということがわかれば、そこに行きたくなるのは、やはり八重山病患者の症状だと思う。甲子園球場に八重山商工が来たときには、ついつい甲子園球場まで行ってしまったこともあったし・・・・・
 今日は、三重県のあちこちを会場にして開催されている全国高校総合文化祭の郷土芸能部門に八重山農林高校が出場するというので、伊賀市まで出かけた。八重山は芸能の島で、島に三つある高校のいずれのにも郷土芸能部があり、そのいずれもがレベルが高い。今年はその中でも八重山農林高校が抜きん出ていたということなのだろうと思う。
 八重山農林高校は「稲粟の稔り(いにあわぬなうり)」というタイトルで、マミドーマなどを歌い踊った。他のいくつかの高校の演技も見たが、八重山農林高校の演技は、見ていて美しさが感じられた。美しさが感じられるのは、他の高校の演技にはなかった。やはり、八重山のレベルの高さというか、生活の中に芸能が息づいていて、自然に演技ができていたということなのだろうと思う。
 長男の小学生時代の同級生も三人出演していた。演技が終わったあと、長男は会場の外で同級生たちと旧交を温めていたようだった。
 八重山の風に吹かれるのは、やはりいいものだ。
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マミドーマを踊る

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長男の同級生のヒロキくん大活躍

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演技を終えて会場の外で

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2009年6月21日 (日)

沖縄物産展@津松菱2009

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 今日はお昼から、津松菱百貨店で開催されている沖縄物産展に出かけた。とにかく、沖縄の匂いが恋しいのだ。このところ毎年開催されているようで、何年か前にも出かけ、いろいろ買い込んで散財したような記憶がある。
 まずは腹ごしらえ。沖縄そば。沖縄本島本部のそば屋の出店だ。麺も汁も具も美味しかった。
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 次に買い物。アンガマの面に目が止まると、そこは石垣島の「ひるぎ工房」のブース。石垣島に住んでいたことを話しはじめると、いろいろ話がはずみ、箸を買うことになった。値段を引いてもらった上に、「売り物にならないものだから」とキズ物もオマケにつけてもらう。
 島唄ライブとエイサーの時間になると、その会場へ。濱盛重則さんと「まいふなエイサー」の面々。あとから聞いたら、いずれも名古屋で活動しているとのことだったが、八重山訛りのトークと勇ましいエイサーの踊りを見ていたら、涙が出そうになってきた。やっぱり沖縄というか石垣島というかに恋をしているのだろうと思う。ああ、石垣島に帰りたい。
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 最後はブルーシールのアイスクリームで締めて会場を後にした。
 ひとときではあったが沖縄の空気に触れることができたことは良かったことだと思う。

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2009年5月26日 (火)

マジシャンの若すぎる死・・・マーカ・テンドー

 今日は職場の研究設計検討会があり、そのあとに懇親会があったため、帰宅がいつもより遅くなった。帰宅すると、実家の母から電話があったと妻が伝えてくれた。「ヤブちゃんが亡くなった」と。食道癌で入院治療していたことは知っており、その手術の費用のカンパもして、復活できることを信じていたのだが。それにしても、色々なことが思い出されてくる。
 「ヤブちゃん」とは藪下隆男君のことで、小学校と中学校のときの同級生だ。極めて親しいというほどではなかったが、何となく気が合うことが多かった。ぼくもヤブちゃんも、どちらかと言えばスポーツ音痴で、小学校の体育の授業や、放課後にサッカーやソフトボールをやるときには、ぼくもヤブちゃんも「二軍」に入れられた。ヤブちゃんは強度の近眼で小学生の頃から眼鏡をかけていたが、あるとき、ソフトボールのキャッチャーをやっていて、キャッチャーフライを取り損ねて眼鏡を壊したことを憶えている。
 1学年10クラスもあった中学校では2年の時に同じクラスになった。担任は栗本先生。この頃ヤブちゃんはマジックに興味を持ったらしい。しばしば学校に手品の道具を持ってきた。もちろん、そんな物を学校に持ってきてはいけないことになっていた。それでも持ってきていたのだ。
 ある日、手品の道具を栗本先生に見つかってしまい、取り上げられてしまった。チャイニーズ・リングだった。3本の金属の輪が離れたり繋がったりするやつだ。栗本先生はそれをマジマジと見て、「こうなっているのか」とタネをばらした。それにもめげず、ヤブちゃんは毎日のように手品の道具を学校に持ってきた。
 ぼくは2年生までは生物部に入っていたが、3年生になったとき、顧問の先生が転勤されて別の先生が顧問になり、生物部が面白くなくなっていた。ちょうどその時、合唱部の顧問の先生から「合唱部においで」と声をかけられた。一悶着あったが、ぼくは生物部から合唱部に移籍した。どういういきさつだか知らないが、何故かヤブちゃんも合唱部にいた。合唱コンクールに混声合唱で出るため、男声を集めていて、コンクールには6〜7人の男声が出ていたと思う。しかし、卒業アルバムのクラブの写真を見ると、合唱部はほとんど女の子ばかりで、男はぼくとヤブちゃんの2人だけだった。
 中学を卒業すると別の高校に進んだので、ぼくとヤブちゃんが顔を合わせることはほとんど無くなった。人づてに、プロのマジシャンに弟子入りしたらしい、という話が聞こえてきた。実家がすぐ近くなので、ぼくの実家の近くで喫茶店を経営しているヤブちゃんの両親とぼくの母親はしばしば顔を合わせていたので、そんなところからも話が聞こえてきていたのだろうと思う。
 その後、テレビや新聞で「マーカ・テンドー」という名前で活躍するようになったヤブちゃんのことを知るようになった。手先の器用さがモノを言うマニュピュレーションという部門のマジックの世界的な大会で入賞するなど、もはや「ヤブちゃん」ではなく、世界の「マーカ・テンドー」になっていた。
 直接顔を合わせたのは、中学を卒業して15年も経った頃のことだ。ぼくが結婚することになり、結婚式の披露宴に来て欲しいとお願いしたのだ。世界の「マーカ・テンドー」になったヤブちゃんは、二つ返事で来てくれることになった。披露宴で本格的なカードマジックを披露してくれたのはもちろんのこと、披露宴の二次会でもサービス精神旺盛で、会を盛り上げてくれた。ぼくはどうやらヤブちゃんからは「変わり者」として認識されていたらしく、ぼくが結婚できるなんて考えてもみなかった、などという失礼な発言をしたことも記憶に残っているが、もちろん彼のジョークだと思いたい。
 その後、NHKのテレビ番組「音楽・夢コレクション」の準レギュラーの様な形で出演していたので(レギュラーは松尾貴史、中島啓江、森公美子などで、Gクレフなども毎回のように出演していた)、毎週のようにヤブちゃんのマジックを楽しませてもらった。
 その後、テレビで見る機会も少なくなったが、どうやらステージ中心に仕事の場所を移していたからということらしい。そういうわけで、その後は年賀状のやりとりだけの状態が続いていた。
 ところが、今年の春になって、mixiを通して彼が癌に冒されていることを知った。しかも、簡単な手術では治療できないということだ。普段不義理にしていたので、あの最高のテクニックのカードマジックがまた見られることを期待して、手術の費用をカンパした。しかし、それも無駄に終わってしまった。非常に残念でならない。実家のご両親はまだお元気なので、息子の死を見送ることは、大変辛いことだろうと心中をお察しする。
 カンパ運動に関しては、マジシャン仲間のブラボー中谷さんにお世話していただいた。この場をお借りしてお礼申し上げたい。

動画1
動画2

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2009年5月 3日 (日)

シイノキの開花

 今日は珍しく映画を観に行った。わざわざ鈴鹿まで。津の映画館では上映されていないのだ。去年も『西の魔女が死んだ』を鈴鹿まで観にいったのだが、これも津では上映されていなかったからだ。
 『鴨川ホルモー』・・・母校のとあるサークルが舞台になっている映画だ。登場人物が携帯電話を使っていることを除けば、ぼくが学生時代を送っていた1980年前後と見間違うような情景が多く、青春時代を思い出すような気分で、リアリティも感じさせられ、何となく気恥ずかしさも感じた。登場人物も、あんな人は確かにいたなぁ、と思わされるキャラクターになっていた、テンポも早すぎず遅すぎずで、楽しめる映画だったと思う。1980年代から1990年代ぐらいにかけて京都大学で学生生活を送った人は、同様な気分を感じさせられるのではないかと思う。一般の人が観たら、また別の感覚を持つかも知れないが。
 鈴鹿からの帰り道、車を走らせていると、シイノキの林が所々が白くなっていた。花が咲いていたのだ。もうそんな季節になってきたのだ。我が家の近所にもシイノキの林がある。帰宅してから嗅覚を集中させると、シイノキの花の臭いが感じられた。

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2009年3月27日 (金)

第53回日本応用動物昆虫学会大会・前日

 明日から北海道大学で開催される第53回日本応用動物昆虫学会大会に参加するために、今日は札幌へ移動した。まずは「快速みえ」で名古屋へ。トイレに行くために近鉄の乗り場の近くに行くと、先日近鉄と阪神が繋がったためか、津駅の表示にも「神戸」の文字が書き加えられていた。今年の関西病虫害研究会の大会は神戸で開催されるので、近鉄と阪神を乗り継いで行くことになるだろう。
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 春休みになったせいか、「快速みえ」は大変混雑していて、名古屋まで座れなかった。腰が辛い。名古屋で中央線に乗り換え金山へ。金山からは楽をしようと思って、名鉄の特別車輌(名鉄ではこういう言い方をするらしいが、ようするに座席指定だ)で行くことにした。ミューチケット(座席指定券)を買ったら、全車特別車輌の「ミュースカイ」だった。座席はゆったりしていて快適だ。金山を出ると、次の神宮前に停まると中部国際空港まで停まらない。所要時間はたったの24分だ。
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 昼食は空港のなかの「若鯱屋」で味噌煮込みうどんを食べた。味はまあまあ。
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 「快速みえ」で座れなかったせいか、疲れてしまって飛行機の時間までしばし居眠り。搭乗ゲートを通ったところで、G大学のT先生とバッタリお会いして、ちょっとご挨拶。行く先が同じ人には誰かに会うのではないかと思ったが、予想通りだった。
 飛行機の中でも「JAL名人会」を聴きながら半分居眠り。春風亭柳好の「崇徳院」は大阪の落語家さんがやる大阪の高津さんではなく、東京の上野が舞台。ぼくが今まで聴いた「崇徳院」は、やっぱり桂雀三郎のが好きだ。大瀬ゆめじ・うたじの漫才と、桂小春団治の「職業病」も悪くはなかったが、心にはあまり響かず。
 今日は雲が多く、あまり下界を望むことはできなかったが、佐渡島や北海道の亀田半島は望むことができた。
 新千歳空港に着いたら雪がチラチラ舞っていた。やはり寒いようだ。新千歳空港をサッと後にしてJRに乗り込み、新札幌駅へ。そこから地下鉄東西線に乗り換え、南郷7丁目駅へ。
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 目指すは「マジックスパイス」。今では札幌の名物にもなったスープカレー発祥の地だ。駅からほど近い住宅街の一角にある、一風変わった怪しい雰囲気の建物。一見レストランには見えない。17:30開店のはずが、17:30を過ぎてもまだ中でミーティングが行われている様子。結局17:45頃まで待たされた。
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 注文したのはチキンのスープカレー。辛さは、覚醒(一番辛くない)、瞑想、悶絶、涅槃、極楽、天空、虚空(一番辛い)の7段階ある中の、ちょうど真ん中の涅槃にした。自分なりに、これを一番基本的なものだと判断したのだ。
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 辛さはちょうど良いぐらい。辛いのだが、辛すぎて我慢できないほどではないギリギリのところで絶妙だ。骨付きの鶏肉がひとつゴロンと入っていて、野菜もたっぷり入っている。
 開店して時間も経っていなかったので、客も少なく、マスターやスタッフの人がいろいろ話しかけてきてくれた。店を出して16年になるとのことだった。4年半ほど前にも一度札幌に来たことがあり、そのときにもスープカレーを食べたのだが、その頃には既にいくつものスープカレーの店はできており、札幌の新しい名物として定着している感があった。東京の下北沢と大阪の難波にも店を出しているのだが、名古屋にも近々出店するとのこと。場所はどこかと訊いたのだが、ヒミツ、と言って教えてくれなかった。栄からそう遠くないところだというヒントだけはもらった。大須あたりではないかと思うが、それもおいおい明らかになっていくことだろう。
 とにかく、スープカレー発祥の地でスープカレーを食べられたことには満足した。4年半ほど前に食べたスープカレーと較べると、明らかに複雑な味をしており、完成度が高いと思った。メニューも豊富でいろいろ食べてみたいと思ったのだが、札幌に来ることはそうないだろうから、名古屋の店に期待したいと思う。
 南郷7丁目の駅から再び地下鉄に乗り、大通駅で乗り換えてさっぽろ駅へ。ここから今日の宿に向かおうと思ったのだが、ホテルのすぐ近くの古書店の南陽堂書店が開いていたので、ホテルに行く前にまずここに立ち寄った。自然関係、特に昆虫の古書が充実している店だということは知っていたが、入るのはもちろん初めてのことだ。2階が昆虫関係の本の売り場。見てびっくり、とても短時間では見きれないほどの量だ。学会を抜け出してまた来なければ、と思って、2階の主の若旦那さんに定休日を訊ねたところ、日曜日とのこと。これで会話が始まったのをきっかけにして、雑談を始めてしまった。石垣島の蝶の話などをして長話になってしまったら、気が付いたら閉店時刻をとうに過ぎてしまった20:30頃だった。閉店時刻は19:00なのに。ま、ともかく、仕事とはあまり関係のない虫の話をすることができて、楽しい時間を過ごすことができた。若旦那さんにはご迷惑だったかも知れないが。
 南陽堂書店を出たらホテルに直行。チェックインを済ませてから、飲み物を調達しようと、すぐ近くのコンビニエンスストアへ。コーヒー、お茶等を買う。

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2007年1月13日 (土)

ちゅらさん4

 見ずにいられない。ただそれだけ。

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2007年1月 6日 (土)

『瑠璃の島 SPECIAL 2007』

 ドラマの内容には考えさせられるテーマがいろいろ散りばめられている。多少は離島の暮らしを知っているだけに、このドラマのメッセージがどれだけ都会人に伝わるかどうかやや疑問も感じるところがある。それはともかく、鳩間島の風景が見られるというだけで見ないわけにはいかなかった。ついでながら、連続テレビドラマ『瑠璃の島』も風景を見るためにほぼ欠かさず見た。
 鳩間島には豊年祭のときに一度だけ行ったことがある。島の日常は見たことは無いが、さぞ静かなことだろうと思う。石垣島の生活も本土の都市の日常感覚が通じないことがたくさんあったが、鳩間島の生活は想像することすら難しい。

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