研究

2009年12月28日 (月)

河野和男著『カブトムシと進化論 博物学の復権』

河野和男著『カブトムシと進化論 博物学の復権』
新思索社
ISBN978-4-7835-0231-9
2,500円+税
2004年11月30日発行
346 pp.

目次
カラープレート
はじめに
1 カブトムシとダーウィン
2 リンネまでの静的自然観
3 流転のラマルク理論
4 至高の銀メダリスト:ウォレス
5 進化論は進化しないのか?—ネオダーウィニズムと「バベルの図書館」
6 主体性の進化論:今西錦司
7 分子進化の中立説:木村資生
8 進化と進歩、偶然と必然—人間の測り間違い
9 ゆっくリズム対断続平衡—グールドの異議申し立て
10 大進化と小進化—前途有望な怪物、ゴールドシュミットの挑戦
11 進化は末広がり、それとも先細り?
12 たくさんある種の定義—奇人ホールデンとマイヤーの種概念
13 地理的隔離と生殖隔離、種分化の仕組み—ドブジャンスキーの見識
14 種の実在性
15 高位分類群の定義:分岐分類と進化分類
16 高位分類群の実在性:系統発生制約
17 似ているということ—相同と相似そして並行進化
18 生物多様性:熱帯と温帯
19 地球上に生物は何種類いるのか?
20 進化にセカンドチャンスはあるのか?—目下、六回目の大絶滅中
21 甲虫類の性的異型—カブトムシの角はどこから来たのか?
22 カブトムシの角はなぜ長い?
あとがきに代えた最終章—人はなぜ虫を集め、進化を考え、それを語るのか?
文献
著者紹介

 『自殺する種子』に続いて河野(かわの)和男氏の著書である。『自殺する種子』は河野氏の「表芸」である育種を中心に語られた著書だったが、その中にもカブトムシやクワガタムシが登場していた。本書は河野氏の「裏芸」であるカブトムシとクワガタムシを通して進化について河野氏の考えが語られた著書である。この本も5年も前に出版されたものだから、読んだのがいささか遅すぎたという感がある。
 育種家である河野氏は、頭の中で考えたことだけでなく、実際のモノを見ているところが強みだと思う。カブトムシやクワガタムシの実物を手にして、見て、触って、肌で感じているところは、頭の中だけで考えている人と違うところだと思う。その河野氏が、種の壁を越えることをうまく説明できないネオダーウィニズムに違和感を持ち、グールドの断続平衡説に惹かれる様子がよくわかる。
カブトムシの角とクワガタムシの大顎の形態は、いくつもの系統で独立に進化したと考えなければ理解が難しく、それをネオダーウィニズムだけで説明するのは難しい。グールドの断続平衡説はこれをうまく説明できる。ある系統群にはある発生のパターンが備わっており、ある種では表現型として現れるが、ある種では現れないと考えると納得し易い説明ができる。
 河野氏の進化に対する考え方は、『自殺する種子』の中にも書かれていたが、進化は先細りにあるのではないか、というものだ。同所的に近縁な種が何種も棲息するのは、あるときに爆発的に種分化が起こり、今残っているのは絶滅を免れた種であると考えた方が、徐々に種分化したと考えるより説得力がある。
 構造主義生物学という言葉を表に出してはいないが、河野氏の考え方は構造主義生物学的だ。ネオダーウィニズムだけで大進化を説明しきれないわけだから、生物進化に構造主義的な考え方は不可欠だと思われる。
 本書には、河野氏を惹き付けたカブトムシとクワガタムシを通して、進化に対する河野氏の考え方が語られている。いわゆる虫屋には必読の書だと思うし、もちろん虫屋でなくても、生物進化に興味がある人なら読んでみたら良いと思う。細かい目で見れば突っ込みどころはあるだろうが、説得力のある本だと思う。また、頭の中で考えるだけでなく、実際のモノを見ることの重要性を教えてくれているように思う。

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2009年11月23日 (月)

日高敏隆先生の訃報

 京都大学名誉教授の日高敏隆先生の訃報が届いた。11月14日に亡くなられていたそうである。10月に三重大学で開催された日本昆虫学会第69回大会にもおいでになると聞いていたのだが、実際にはおいでにならなかったので、ご病気だろうと想像はしていた。
 ぼくは子供の頃から虫が好きで、遊びと言えば「虫採り」だった。そんな子供が中学生の頃だったか、日高先生が書かれた「昆虫という世界」(朝日新聞社)という本を読み、本当の昆虫の面白さを知り、大学でも昆虫を学びたいと考えるようになった。
 もっとも、日高先生がおられた京都大学理学部に入学できるだけの学力がなく、農学部に進学したが、やはり日高先生のことは意識していた。
 ぼくは日高先生の弟子ではないので、直接お話しする機会は少なかったが、石垣島で勤務していたとき、日高先生が石垣島に来られ、先生を含めて4人という少人数でテーブルを囲んでお話する機会がたまたまあった。その頃日高先生は『動物と人間の世界認識—イリュージョンなしに世界は見えない 』(筑摩書房)という本を書かれて、「絶対的なものは存在しないのだ」ということを主張されていたようなので、そのときの話もその本に書かれたことが話題の中心になった。イリュージョンという言葉も、そのとき初めて意識した。
 日高先生はダンディで、先生の周りにはいつもすてきな女性がいたような気がする。いつも若々しいと思っていたが、病魔には勝てなかったということだ。ご冥福をお祈りしたい。合掌。

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2009年11月20日 (金)

第19回天敵利用研究会−千葉大会−2日目

 今日は一般講演が14題。お昼ちょっと過ぎまでだ。
 今日の講演は、今年2月に生物農薬として登録されたスワルスキーカブリダニに関する発表が目白押しだった。普段は露地野菜しか相手にしていないので、スワルスキーカブリダニについては状況を把握していなかったので、それなりに勉強になった。
 終了後、同僚と一緒にJR千葉駅に向かう途中のチェーン店の饂飩屋に入った。チェーン店ではあるが、それなりに美味しいと思う。「けんちんうどんセット」780円也。
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 千葉駅からはJR総武快速線に乗り、錦糸町で緩行線に乗り換え、秋葉原へ。昨日の夜、NHKの「ブラタモリ」で秋葉原が紹介されていたので、また行きたくなった。紹介されていた公園は確かに存在し、橋の名残りが見つかった。「佐久間橋」と書かれていた。
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 秋葉原駅で電車に乗ろうとしたら、見慣れない色の電車が走ってきた。確認するとE231系なので、単なる色違いの山手線の電車だった。「山手線命名100周年」と書かれていた。
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 その後、東京駅に出て家族への土産を買い、横浜石川町の某所に向かった。某所でちょっと買い物をし、石川町から新横浜駅に出て新幹線に乗った。千葉→秋葉原、秋葉原→石川町、石川町(横浜市内)→名古屋(市内)と3つに分けて乗車券を買ったが、あとで計算してみたら、千葉→名古屋(市内)と乗車券を買うのと、ピッタリ同じ値段になった。さらに細かく見てみたら、東京から名古屋に行くのに、東京→石川町、石川町(横浜市内)→名古屋(市内)と移動する方が安くなることがわかった。意外な発見だ。川崎駅も横浜市内の扱いなので、東京→川崎、川崎(横浜市内)→名古屋(市内)と移動すればさらに安くなる。
 たまたま新横浜で乗った「のぞみ」は、東京を16:30に出発した博多行きだった。名古屋到着は18:13。名古屋18:30の「快速みえ」に乗るのにちょうど良い時間だったので、名古屋駅の地下街「エスカ」で担々麺を食べるのを諦め、そのまま「快速みえ」に乗った。

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2009年11月19日 (木)

第19回天敵利用研究会−千葉大会−1日目

 昨日、東京都内で開催された某シンポジウムに参加し、南千住の安ビジネスホテルに泊まり、今朝、京成線の千住大橋駅まで15分ほど歩き、京成線の電車を3本乗り継いで京成千葉中央駅直結の会場にやってきた。千住大橋は隅田川を渡る橋だ。松尾芭蕉の奥の細道への旅への出発点はここらしい。隅田川はコンクリート3面張りのきたない川だとしか思えなかったが、芭蕉の時代はもっときれいだたのだろうと思う。20091119blog2
 昼食は駅近くの「タンメン胖(ばん)」という店で食べた。ちょっと時間が早かったので、誰も客がいなかったが、ぼくが入った後からは、続々と人が入ってきた。食べたのは「タンメンセット」。タンメンと餃子と小さい御飯で800円。タンメン単品なら650円。野菜たっぷりで美味しかった。出張に出ると、野菜が不足するので、たっぷりの野菜は嬉しい。この店のメニューに「ラーメン」というのもあるのだが、入ってくる客のほとんどが「タンメン」(セットを含む)を注文し、ごく一部の人が「みそタンメン」を注文して、「ラーメン」を注文する人は誰一人としていなかった。
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 研究会は午後からの開始。最初は一般講演が8題。そのあとは「露地作物における天敵の保護利用とそのための植生管理」という題目のシンポジウムだった。天敵利用研究会は、これまでに地元開催だった一昨年に参加したことがあるだけで、今回は2回目の参加だ。今回参加したのは、このシンポジウムがあるからだと言って良い。
 シンポジウムの1題目は平井一男さんによる「海外における植生管理と天敵保護の事例−環境直接支払いから機能的生物多様性の活用までー」、2題目以降は具体的な事例紹介で、國友義博氏と赤池一彦氏による「山梨県の有機栽培圃場における間作・混作とその普及」、豊嶋悟郎氏による「長野県における複合交信撹乱剤を用いたキャベツほ場の土着天敵保護とその問題点」、豊島真吾氏らによる「果樹栽培における植生管理と土着天敵の保護」。平井氏の話題提供は、ヨーロッパ各地における取り組みの紹介で、広大なコムギ畑の周辺の植生を管理したり、ビートルバンクを設置したりすることによって生物多様性を維持し、それに対して、農家に対する直接支払いが行われている国があることなどが紹介された。後の3題は、日本国内における、畑と果樹園の園芸作物における事例の紹介だったわけだが、平井氏によって紹介された、普通作物における事例とは性格的にかなり異なっており、ヨーロッパの事例をそのまま日本に当てはめるわけにはいかないと感じた。ヨーロッパにおける事例を日本にあてはめるなら、水田作であろうと感じたので、その点について総合討論のときに平井氏に質問しようと思ったのだが、討論は後の3題の方に集中し、平井氏に質問するのが場違いな雰囲気に思われたので、質問するのを躊躇し、そのまま総合討論は終わってしまった。
 シンポジウムが終了したあと、平井氏に直接質問したところ、平井氏が言いたかったのは、ぼくが質問しようと思っていたまさにそのことであり、平井氏も総合討論の雰囲気の中で発言できなかったとおっしゃっていた。日本で生物多様性を考えた農業を行うとすれば、やはり水田作を中心に据えなければ話にならないと思う。
 そのあとは、情報交換会という名の懇親会。料理は美味しかったと思うが、開始後30分でほとんどの食べ物が無くなってしまい、量的に不満が残った。ちょっと高級感のあるホテルが会場だったので、会費(安かったわけではない)を考えるとそんなものかも知れない。

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2009年11月 4日 (水)

三中信宏著『分類思考の世界 なぜヒトは万物を「種」に分けるのか』

三中信宏著『分類思考の世界 なぜヒトは万物を「種」に分けるのか』
講談社現代新書2014
ISBN978-4-06-288014-5
800円+税
2009年9月20日発行
328 pp.

目次
プロローグ 生まれしものは滅びゆく(2006年オアハカ、メキシコ)
第1章 「種」に交わればキリがない
第2章 「種」よ、人の望みの喜びよ
第3章 老狐幽霊非怪物、清風名月是真怪
第4章 真なるものはつねに秘匿されている
第5章 いたるところにリヴァイアサンあり
第6章 プリンキピア・タクソノミカ
インテルメッツォ 実在是表象、表象是実在(2007年ニューオーリンズ、アメリカ)
第7章 一度目は喜劇、二度目は茶番
第8章 つながるつながるつながるなかで
第9章 ナボコフの“ブルース”
第10章 目覚めよ、すべての花よ
第11章 時空ワームの断片として
第12章 「種」よ、安らかに眠りたまえ
エピローグ 滅びしものはよみがえる(2008年トゥクマン、アルゼンチン)
あとがき「分類のための弁明」に代えて
私的ガイド付き文献リスト(現世で迷わないために)
索引

 著者である三中さんの日録を見て本書が出る事を知った。リクエストしなくても図書館に入っていたので借りてきて読んだ。
 三中さんと言えば系統学である。前著『系統樹思考の世界−すべてはツリーとともに』(2006)も手にした記憶はあるが、読後感を書き残していないので、最後まで読み通したかどうかはっきりした記憶がない。
 三中さんは以前から「種は実在しない」という主張をされているので、本書もそれに沿った考えが述べられているのは容易に予想がついた。
 本書では、ヒトがどのようにモノを分類してきたかという歴史が整理されている。本書をひととおり読めば、歴史をほぼ理解する事ができるのではないかと思う。生物学者は生物を分類し、区別して名前をつけてきたが、分類や「種」に関する問題は未だに解決しているわけではない。
 「種」に関する問題が未解決だとは言え、我々「種」の利用者は、「種」がないと不便で仕方がない。三中さんは「種」を利用する立場の人ではないので、「種」とは何か、という問題について考え、様々に論考することもできるだろうが、「種」の利用者であるぼくにとっては、便宜的ではあれ、やはり、生物を分類し、記載して「種」を決めてもらわないと困ると思う。
 三中さんが言いたい事はわからないわけではないが、だからと言ってすんなり納得できるものではありませんよ、というのが感想だ。三中さんは何か月かに一度ぐらいこのブログを読みに来ているようなので、ちょっと書きづらかったなぁ。

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2009年11月 3日 (火)

日本のアカヘリカメムシは誤同定かも知れない

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【写真は波照間島で撮影したコフウセンカズラ(ムクロジ科)の上のアカヘリカメムシ(ヒメヘリカメムシ科)】

 最近、下記の文献(河野・高橋,2006)を読んだと思われる外国人研究者二人から立て続けに電子メールが届いた。一人はアカヘリカメムシとフチベニヘリカメムシの標本が見たいと言ってきている。もう一人はアカヘリカメムシのLeptocoris augurLeptocoris vicinusの誤同定ではないかと言っている。台湾ではLeptocoris augurはもっと明るいオレンジ色のような色でタイワンモクゲンジに寄生し、Leptocoris vicinusはコフウセンカズラに寄生しているという。ここに示した写真はコフウセンカズラに寄生していたもの。八重山諸島でみられるアカヘリカメムシはコフウセンカズラとアカギモドキに寄生しているのを確認している。タイ国に出張したとき、アカヘリカメムシだと思われるものを見たが、それは赤色というよりはオレンジ色と言える色だったが、単なる色彩変異だと思っていた。ぼくは分類学に関しては素人なので、事の真偽はわからない。今後の研究の進展の経過を見守りたい。

文献
・河野勝行・高橋敬一 (2006) 八重山諸島におけるアカヘリカメムシとフチベニヘリカメムシ(カメムシ目:ヒメヘリカメムシ科)の生態と分布.Rostria (52): 72-74.(英文要約付き)

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2009年11月 1日 (日)

養老孟司・河野和男著『虫のフリ見て我がフリ直せ』

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養老孟司・河野和男著『虫のフリ見て我がフリ直せ』
明石書店
ISBN978-4-7503-3045-7
1,800円+税
2009年9月25日発行
228 pp.

目次
第I部 虫の目で世界を眺めて
 人はなせ虫を集めるのか
 「種」や「属」は存在するのか
 進化論者たち
 発生遺伝子と遺伝率
 種の分布と分化の関係性
  コラム
   個体発生と系統発生
    −クワガタムシの大顎のパターンによる属の記述(河野)
   高位分類群とホックス遺伝子(河野)
   内部選択説(養老)
   バベルの図書館(河野)
   進化は末広がりではなく先細り(河野)
   ネオダーウィニズム(河野)
   工業暗化(河野)
第II部 生き物たちのつどう社会
 人為的な生態系
 文化と地形
 「お国のため」と「愛国心」
 日本人と森
 世界と日本−大気、海洋資源、森林
 進化と進歩
 生物は遺伝子の「乗り物」なのか?
 生物学は情報学だ
  コラム
   愛国心か「お国のため」か(養老)
   ダーウィンの図(河野)
   似ているということの異端児−並行進化(河野)
対談のあとで(河野)

 解剖学者の養老孟司氏と熱帯作物であるキャッサバの育種家の河野(かわの)和男氏との対談である。両者とも、昆虫の収集家でありアマチュアの昆虫研究者としてよく知られている。
 「対談のあとで」で河野氏が「この対談は好みと思考パターンが初めから一致している仲良し子供会的な話し合いではなかったのは当然として、またもう一方の極端である思い込みと見解の表示様式に初めから全く共通点のないすれ違いの意見交換でももちろんなく、知的緊張感がバランスよく保たれた議論の時間だったと思う。」と書いているように、これまでの養老氏を交えた虫屋どうしの対談(例えば、「虫屋」である池田清彦氏や奥本大三郎氏などとの)とはひと味もふた味も違うものだったように思えた。これまでの養老氏による虫屋との対談は、学問的なものというよりも、放談に近いものだったが、本書では、生物進化という現象に対する考え方についてかなり真面目に議論していると感じられた。
 ぼくは学生時代に出現したネオダーウィニズムの洗礼を受けないわけにいかなかったが、その後ずっと生物を見てきていると、ネオダーウィニズムだけでは大進化を説明できないということが徐々にわかっていた。育種家として仕事をしてきた河野氏は、生物進化は先細りである、という考え方を肌で感じてきているようだが、この対談を読んでいると、確かにそのように思えてくる。
 原理主義的なネオダーウィニストが読めば、滅茶苦茶けなす対象になるかも知れないが、目の敵にせずに読んでみると良いと思う。
 面白い本だったが、ちょっと残念なのは、写真の印刷が悪いこと。本文と同じ紙にモノクロで印刷されているので仕方がないのかも知れないが、もうちょっと鮮明な写真を載せて欲しかった、というのが本音だ。できればクワガタムシの写真だけでも、アート紙にカラーで印刷して欲しかった。
 それともう一つ。『虫のフリ見て我がフリ直せ』という表題は編集者が付けたものだろうと思うが、本書での対談の内容から全くひねりだせないような表題だと思う。だからと言って、どんな表題が良いかと言われても困るが、もう少し内容に即した表題の方が親切だと思う。『虫のフリ見て我がフリ直せ』の方が本がよく売れるかも知れないが。

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福岡伸一著『世界は分けてもわからない』

福岡伸一著『世界は分けてもわからない』
講談社現代新書 2000
ISBN978-4-4-06-288000-8
780円+税
2009年7月20日発行
278 pp.

目次
プロローグ パドヴァ、2002年6月
第1章 ランゲルハンス島、1869年2月
第2章 ヴェネツィア、2002年6月
第3章 相模原、2008年6月
第4章 ES細胞とガン細胞
第5章 トランス・プランテーション
第6章 細胞のなかの墓場
第7章 脳のなかの古い水路
第8章 ニューヨーク州イサカ、1980年1月
第9章 細胞の指紋を求めて
第10章 スペクターの神業
第11章 天空の城に建築学のルールはいらない
第12章 治すすべのない病
エピローグ かすみゆく星座

 福岡氏の前著『動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』にも共通するが、生命をどこまで還元的に解析しても理解することは不可能である、という基本的な考えが感じられた。いくら細かいところが見えるようになっても、視野が狭くなりるばかりで、全体像を理解することは不可能である、という考え方も感じられる。
 ニューヨーク州イサカという町にあるコーネル大学で起こった「スペクター事件」(この本を読むまで知らなかった)は、ガン細胞の中で起こっている生化学反応を解明する研究の過程で起こったマーク・スペクターという人物によるデータ捏造事件だが、その顛末がドラマチックに記述され、途中で読むのを止められなくなってしまった。あらためて福岡氏の文章のうまさを感じさせられる。
 生命現象は物質やエネルギーが常に動いている中での平衡状態にあり、ちょとした操作を加えても、しなやかに次の平衡状態に移るので、人間が頭の中で考えたようには事が進むことを確認できない。
 福岡氏の研究室では、トリプトファンの代謝産物である神経毒のキノリン酸を分解するキノリン酸ホスホリボトランスフェラーゼの遺伝子を解明し、その遺伝子の働きを人為的に停止させたノックアウトマウスを作成し、現在は研究の途中であるとのことである。遺伝子の働きを止めたマウスは死んでしまうのか、別の動的平衡状態に移り、何事もなく過ぎてしまうのか。その結果は、福岡氏が繰り返し書いている「動的平衡」の考え方が妥当なのかどうかを示してくれるはずである。
 『世界は分けてもわからない』という表題は単純な還元主義に対して疑問を投げかけるものであり、これはぼくの考え方とも矛盾しない。

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2009年10月25日 (日)

福岡伸一著『動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』

福岡伸一著『動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』
木楽舎
ISBN978-4-8634-012-4
1524円+税
2009年2月25日発行
254 pp.

目次
「青い薔薇」−はしがきにかえて
プロローグ−生命現象とは何か
第1章 脳にかけられた「バイアス」−人はなぜ「錯誤」するか
第2章 汝とは「汝の食べた物」である−「消化」とは情報の解体
第3章 ダイエットの科学−分子生物学が示す「太らない食べ方」
第4章 その食品を食べますか?−部分しか見ない者たちの危険
第5章 生命は時計仕掛けか?−ES細胞の不思議
第6章 ヒトと病原体の戦い−イタチごっこは終わらない
第7章 ミトコンドリア・ミステリー−母系だけで継承されるエネルギー産出の源
第8章 生命は分子の「淀み」−シェーンハイマーは何を示唆したか
あとがき

 ワトソンとクリックによるDNAの構造解明以降、「生物は遺伝子、分子へと還元すれば理解できる」という考え方が主流となっている。本書は様々な視点から、そういう流れに対して、「はたしてそうだろうか」と疑問を投げかけている。
 本書全体を通して、生命は物質の流れのなかの動的な平衡状態として理解すべきだ、ということが貫かれている。
 ぼく自身、生命現象を還元的に理解することに対して常々疑問を持っていたので、本書はその多くの疑問に答えてくれたように思う。
 池田清彦氏によるところの、システムとして生命現象を捉える観点と通じるところがあるように感じられた。
 福岡伸一氏の著書は何冊か読んだが、いずれも落ち着いた語り口で、大変読み易いと思う。本書も、生物学を専門にしていない人にとっても読み易いものだと思う。

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2009年10月15日 (木)

『不偏長軸』という概念

 今日は帝京大学医学部の池本孝哉先生をお招きして、『昆虫の「内的な発育最適温度」とその意義』という演題でセミナーを行っていただいた。昆虫の発育は温度の影響を受け、ある一定の温度範囲のうちでは、温度環境と発育速度との間には直線的な関係にあることが経験的に知られている。しかし、ある一定の温度範囲をはずれると、低すぎても高すぎても発育速度はその直線関係から外れてしまう。極端な温度になれば、発育できないばかりか、死亡してしまうことになる。このあたりの関係について、池本先生には熱力学に基づいた非線形モデルを使えば、昆虫の発育速度について、色々な考察ができるようになる、という話をしていただいた。大変勉強になるセミナーだった。
 さて、この話の中で「不偏長軸」という概念が出てきた。これまでに全く知らなかったし、ネットで検索してもほとんど何も出てこない。これは何かと言えば、ある2つの変数の間の関係を見たとき、一般的には y = a + bx という一次回帰直線で関係の傾向が示されることが多いのだが(例えばxが温度でyが発育速度)、その場合には実際にxとyのあいだのばらつきから想定される関係の直線よりも、傾きが小さくなるので、実際に見て取れる関係に近い直線を導こうというものだ。
 具体的にどうするかと言えば、y = a1 + b1x という回帰直線と x = a2 + b2yという回帰直線を描いたとき、その交点を通り傾きが2つの回帰直線の傾きの幾何平均(√[b1/b2])になる直線を求めるのである。xとyの間に極めて高い相関がある場合は、yをxで回帰した直線と不偏長軸との間に大きな違いが無いのであまり不都合はないのだが、やはり不偏長軸を使った方がいろいろな利点があるらしい。
 ぼくがよく使うのは、発育零点(温度が下がった場合に発育速度が0になるという仮想的な温度)を求めることだが、これは一般的にはこれまで y = a + bx (xが温度でyが発育速度)という直線に一次回帰し、発育速度に0を代入して求められてきた。不偏長軸を用いると、一次回帰した場合よりも、この発育零点がより高く計算されるということになるようだ。
 不偏長軸という概念がどれほど使い物になるかはよくわからないが、とにかく一つ勉強になった。

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