街道歩き

2012年10月 7日 (日)

伊勢街道を歩く【松阪→伊勢神宮(内宮)】(2012年10月6日)

 気候がよくなってきたので、旧街道歩きを再開することにした。前回(2012年6月 3日)は旧伊勢街道を津市の江戸橋から松阪まで歩いたので、今回は松阪から先、伊勢神宮に向かって歩けるところまで歩くことにした。8:12江戸橋駅発の近鉄急行で、まずは松阪駅へ。
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20121006blog02 ここは前回の終着点の和歌山街道との分岐。
 歩き始めて間もなく、「小津安次郎 青春館」を発見。まだ朝早いので開いていなかった。
20121006blog03 JR紀勢本線の徳和駅を過ぎたあたりで、キリギリスが何頭も鳴いている場所があった。キリギリスは真夏にさきがけて出現する夏の始めの虫だと思っていたので、まだ鳴いていたのは意外だった。ここからさらにしばらく歩いて櫛田川へ。
20121006blog04 さらに歩いて祓川。河岸の緑が豊かである。
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20121006blog06 松阪の街を出たあたりから、家の玄関に「笑門」と書かれたしめ飾りを付けた家がたくさんあることに気付いた。津市の界隈では見た記憶がない。
 明和町に入ったあたりでお昼になったが、街道筋には飲食店が全く見つからない。そんなときに目についたのは「へんば餅」と書かれた看板。
20121006blog07 「へんばや」の本店である。国道23号線の宮川の近くにある店は知っていたが、本店がこんなところにあるとは知らなかった。しかしここは旧伊勢街道。江戸時代からある店なので納得である。
 仕方がないので「へんば餅」でも食べて昼食にしようかと思って店に入った。すると、「へんば餅」だけでなく、赤飯などもあった。赤飯を買って店の中でいただくことにした。冷たいお茶のサービスもあった。
20121006blog08 400円なり。ちょっと量が多かったが、ちょっと残すのも中途半端なので、全部食べてしまった。奈良漬けと昆布の佃煮もついていたが、それも美味しかった。
 店の中は、このとおり。店の謂れも書かれていた。
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20121006blog10 店の前には駐車場があり、その脇にはトイレもあった。街道歩きをしていると、トイレに困ることもあるので、これはありがたい。
 腹ごしらえをして、しばらく歩くと宮川である。宮川の堤の下にも1件中華料理屋を発見した。宮川を渡れば伊勢市の街に入る。伊勢市の街の中に入れば、飲食店に不自由することもなくなる。
20121006blog11 「へんばや」を出てから1時間15分ほどで外宮に到着。一応お参りをする。
20121006blog12 外宮を出てからは伊勢市の街の中であるが、旧伊勢街道は丘を越える道になっており、ここの上り坂が一番きつかった。もう20kmぐらい歩いていて、既に足も張っていたので、ちょっとの上り坂でもきついのである。
20121006blog13 坂を下ると猿田彦神社。ここまでくると見慣れた風景である。
20121006blog14 さらに歩いて「おはらい街」へ。さすがに連休なので人が多い。歩く時、適切な速さで歩くと疲れを感じないのだが、「おはらい街」では人が多すぎて、適切な速さで歩くことができず、少々ストレスを感じた。ゆっくり歩くのはかえって疲れるのである。
20121006blog15 やっと宇治橋のたもとに到着。ちょっとした充実感を感じた。
20121006blog16 ここでも一応お参り。
20121006blog17 境内にいたチャボ。人に慣れている感じであった。
20121006blog18 帰りは「おはらい街」から「おかげ横町」にちょっと入ってみた。これまでに何度も「おはらい街」には来ていたが、「おかげ横町」の奥まで入ったのは今回が初めてである。20121006blog19 とにかく人がいっぱいである。いろいろ店はあったが、昼食の量が多かったので、何も買わなかった。
 ここを後にして、さらに歩いて近鉄五十鈴川駅まで歩く。内宮にお参りする人はたくさんいるが、ここから五十鈴川駅まで歩く人はほとんどいない。「おはらい街」の入り口から20分ほど歩く。
20121006blog20 ということで、どこまで歩けるか見当がつかなかったが、結局旧伊勢街道の終点の内宮まで辿り着くことができた。
 五十鈴川駅に到着したのが16:15頃。16:38発の伊勢中川行きの普通列車に乗った。さらに宇治山田で16:55発の大阪上本町行きの急行に乗り換え、またさらに松阪駅で17:19発の名古屋行きの急行に乗り換えたが、最初の伊勢中川行きの普通列車に乗っていても、一度は大阪上本町行きの急行に抜かされたが、松阪で名古屋行きの急行より先発したので、松阪か伊勢中川まで普通列車に乗っていても、最後に乗れる列車は同じだった。
 17:50頃には帰宅。足は張っていて、日に焼けた顔がほてるが、ほどよい疲れである。
 今回の総歩行距離は30kmを超えた。これまでに旧街道歩きをしたうちでは最長距離である。これまでに、桑名の七里の渡しから四日市の日永の追分までで1日、日永の追分から津市の江戸橋までで1日、江戸橋から松阪までで1日、今回の松阪から内宮までで1日の、計4日で桑名の七里の渡しから内宮まで歩き通したことになる。
 今後は、東海道を京都の三条大橋まで歩きたいが、良い地図が入手できないのが問題である。

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2012年6月 3日 (日)

伊勢街道を歩く【江戸橋→松阪】(2012年6月3日)

 今朝は雨は降っていなかったものの、どんよりと曇っていて、昆虫観察の天気ではないように感じられた。そこで街道歩きの続きを行うことにした。4月28日に旧伊勢街道を起点の日永の追分から江戸橋まで歩いたので、今日はその続きで、江戸橋から歩けるところまで歩くことにした。
 朝9時過ぎに江戸橋を出発。雲出川の手前でお昼になり、「長崎屋」でラーメンを食べ、順調に歩いていたが、午後3時頃、松阪市の市街地に入った頃から腹具合に不調をきたし、我慢できなくなり、松阪駅のトイレに駆け込んで出す物を出した。トイレに入ったのが15:25頃。
 もう少し先まで歩くつもりだったが、このトラブルで気力が減退し、今日は松阪までで終了することにした。15:47発の「快速みえ」に乗って津まで行き、津から自宅まで歩いた。歩いた距離は全部で23kmちょっとぐらい。

20120603blog01伊勢別街道との分岐にある常夜灯

20120603blog02上浜町の阿部喜兵衛商店

20120603blog03栄町の四天王寺

20120603blog04大門の津観音

20120603blog05大門の「とらや本家」
いちご大福発祥の地

20120603blog07藤方の香良洲道の分岐

20120603blog08ラーメンの長崎屋
屋台でラーメンを作って建物の中で食べるシステムになっている

20120603blog09長崎屋のラーメン
ゆで卵がサービスで500円なり

20120603blog10雲出島貫の常夜灯

20120603blog11松浦武四郎(北海道の名付け親)の生家
松阪市(旧三雲町)小野江町

20120603blog12奈良街道との分岐点の道標

20120603blog13初瀬街道との分岐点の道標

20120603blog14松阪市域に入ると参宮道(伊勢街道)であることをうかがわされるものがたくさん目につく

20120603blog15m旧三雲町あたりの格子のある家には屋号がかかれた札があるが、ここに案内板があった(クリックすると拡大します)

20120603blog16昔の面影を残す須川屋
松阪市の中心部にほど近い場所にある

20120603blog17ここが参宮道であることが示されている

20120603blog18松阪牛の「和田金」

20120603blog19松阪市の中心にある和歌山街道との分岐点の道標

 この先、もう少し伊勢方面に歩き始めたのだが、腹痛が我慢できなくなり、松阪駅方面に方向転換。トイレにしゃがんでから松阪駅に向かったら、まもなく名古屋行きの「快速みえ」が来ることがわかり、心が折れてここで終了。

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2012年4月28日 (土)

伊勢街道を歩く【日永の追分→江戸橋】(2012年4月28日)

 暖かくなったので街道歩きを再開する機会をうかがっていたが、これまで天気が悪かったことが多かったので、なかなか実現できないでいた。今日は一日中晴れるという天気予報だったので、去年の秋以来の街道歩きを再開した。
 今日の予定は、旧伊勢街道の起点である四日市市の日永の追分から津市の江戸橋までである。
 朝7:41江戸橋駅発の近鉄急行に乗り、塩浜駅まで乗る。最寄り駅は近鉄内部線の追分駅だが、一旦四日市まで行って、さらに戻る形になるので、塩浜駅から日永の追分駅まで歩いても10分程度余計に時間がかかるに過ぎない。というわけで、歩き始めは近鉄塩浜駅である。
20120428blog01 ここから歩いて40分弱で日永の追分へ。8:43出発。電車に乗っていたときは、セーターも着ていたが、暑くなったのでTシャツ1枚になる。
20120428blog02 快調に歩いて神戸(かんべ)の街へ。ここは昔から今まで営業している旅館「加美亭」。なんと築250年。
20120428blog03 しばらく歩いて近鉄鈴鹿線の鈴鹿市駅のあたりまで来ると、集団で歩いている人々に遭遇。近鉄主催のハイキングらしい。すごい勢いで歩いて行く人多数あり。東玉垣町の正信寺でしばしのトイレ休憩。
20120428blog04 さらに快調に歩き、白子の街へ。ほとんどお昼になったところで食堂を見つけたので昼食休憩。街道の町並みに調和した佇まいの「めんくいくん」。
20120428blog05 たまごとじうどん。600円なり。かなり美味しかった。
20120428blog06 白子を過ぎると近鉄主催のハイキングの人々が居なくなったので、また孤独な歩行である。さらに歩いて寺家(じけ)の街中。廃業した銭湯を見つけた。
20120428blog07 昼食休憩まではトイレ以外の休憩はしなかったが、さすがに暑くなってきたこともあるので、ときどき休憩するようになる。さらに歩いて東千里の巡礼道との分岐点にある甕釜冠地蔵堂(かめかまかぶりじぞうどう)。ここは以前、巡礼道を歩いたときに通ったので記憶に残っている。
20120428blog08 さらに進み、津市河芸町上野にある弘法井戸。
20120428blog09 さらに進み津市栗真小川町の逆川神社(さかがわじんじゃ)。普段は国道23号線側から見ていたが、こちらから見るのは初めて。
20120428blog10 さらに進むと見慣れた風景。国道23号線を渡り海側へ。コンビニエンスストアがあったので、また休憩してアイスクリームを買って食べる。しばらく歩いて津市栗真町屋町にある巡礼道との南の分岐。
20120428blog11 ここまで来たら終着点は近い。江戸橋を渡って、伊勢別街道との分岐の常夜灯。
20120428blog12 到着時刻16:33。歩いた時間は7時間弱で、だいたい7里ぐらいを歩いたことになる。上半身はほとんど使っていないので元気だが、さすがに腰から下は疲れた。

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2012年1月 1日 (日)

穏やかな元旦(2012年1月1日)

 今日は日帰りで尾張一宮の実家に帰省した。まずは出かける前に近所の小丹神社(おにのじんじゃ)に初詣。
20120101blog1 朝は曇っていたが、それほど風もなく、穏やかな日である。運転は長男に任せて、後部座席で窓から景色を見る。鈴鹿の山が白くなっていたが、四日市を過ぎたあたりでやっと写真を撮ることができた。右側の山は藤原岳だと思うが、左側の山は御在所岳だろうか?
20120101blog2 2時間ほどで実家に到着。まずは墓参り。この頃には天気が良くなってきた。
20120101blog3 弟一家も一緒に食事を済ませてから、尾張の国の一ノ宮「真清田神社(ますみだじんじゃ)」に初詣。だいたい毎年ここに初詣に行っているのだが、今年は例年にない混雑ぶり。何が違うのであろうか?
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20120101blog5 帰りにはちょっと寄り道をして、駅の西側へ。何気なく通った通りに小さなお稲荷さんなどがあり、そこが巡見街道であったことを思い出した。これも街道歩きを初めていなければ多分気付かなかっただろうと思う。
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20120101blog7 尾張一宮を通っている巡見街道はそれほど有名な街道ではないので、地図などの資料を入手するのが困難かも知れないが、資料が揃えばぜひ歩いてみたい。
 夕方5時前には実家を後にして、7時前には帰宅。まずは穏やかな元旦だったと思う。

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2011年12月18日 (日)

名古屋へ(2011年12月16日〜17日)

 一昨日から昨日まで、1泊で名古屋に出かけた。主目的は一昨日の午後から昨日のお昼まで開催された「第43回 食と緑、水を守る全国集会」への参加である。何も好き好んでこの集会に参加したわけではない。職場の労働組合からの動員の要請があったからである。しかし、動員費が支給されるので、ついでに名古屋で買い物ができる、というメリットがあるのは確かである。さらに都合が良いことに、昨日の午後はアマチュア無線関係の「第11回 名古屋大須QRP懇親会」が上前津駅の近くの名古屋市中生涯学習センターで開催され、夜には「名古屋昆虫同好会12月例会」が名古屋市中小企業振興会館(吹上ホール)で開催されることになっていたので、この両方にも参加することにした。さらについでに、健康を考えて、できる限り歩くことにした。
 まずは江戸橋駅8:15分発の近鉄急行で名古屋へ。この急行は近鉄四日市駅で7分も停車して2本の特急に追い抜かれるので、気分は良くない。が、1時間ちょっとで名古屋に到着。まずは買い物のために大須へ。名古屋駅から40弱分歩いて「第2アメ横ビル」へ。Google Mapで調べた時間より余計にかかったが、途中で何度も信号に引っかかったからだと思う。街道歩きをしているときは、信号に引っかかることはあまりないので、「表程速度」が上がるが、街中の道はダメである。その後、「第1アメ横ビル」などへ。最近、普段使用しているニッケル水素充電池が弱ってきた感じがしているので、「エネループ」と充電器などを調達。
 次は、栄駅近くの中日ビルの地下の「名古屋わしたショップ」へ。今日の「宿」への土産を調達。さらに、今日の目的地である、東区上竪杉町にある「ウィルあいち」へ。まだ時間が早すぎたので、場所だけ確認して、前もって目星をつけておいたラーメン屋へ。途中、「主税町」という地名を見つけ、大昔のこと、名古屋昆虫同好会の月例会が「ちからまち会館」で開催されていて、中学生の頃、そこに参加していたのを思い出した。「ちからまち会館」がどこにあったのだか、さすがに今では思い出せない。
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20111216blog0 清水口交差点近くの「あおい」へ。11:50分ぐらいに到着したが、既に5人ほどの待ち行列が店の前にできていた。行列ができる店だとは思っていなかったので、少し迷ったが、ラーメンを食べたい気分だったので、そのまま並ぶことにした。ほどなく店内に入ることができたが、店内にも待っている人が5人ほど。人気店のようである。「中華そば」の食券を買う。出てきたのはこれ。
20111216blog2 麺は中細のやや平たい縮れ麺。魚ダシが効いていてかなり美味しかった。スープも飲み干してしまった。ボクの基準では合格点である。ランチタイムは無料でご飯が付けられるが、最近は「食べ過ぎは良くない」と考えているので、ラーメンのみを食べた。
 さらに時間があったので、周囲を散策しながら会場に向かう。途中で「東海総合通信局」の入っている合同庁舎を見つけ、かつて、「第1級アマチュア無線技士」の試験をこの近くのどこかのビルで受けたのを思い出したが(結果は不合格)、その時は全く土地勘がなかったので、こんな場所だったとは思わなかった。
 と、まあ、ブラブラしながら会場へ。会場のすぐ前には「名古屋市市政資料館」がある。国指定重要文化財に指定されており、風格がある建物である。
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20111216blog4 会場の入り口と、集会の様子。大村秀章愛知県知事や近藤昭一衆議院議員も来ていた。
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20111216blog6 夕方5時頃には1日目の日程が終了。名古屋駅近くの「ウィンクあいち」で開催される懇親会への輸送のためにバスが出るとのことだったが、敢えて歩いた。大体の方向の感を頼りに名古屋駅へ。会場から名古屋駅まで40分弱。2分ほど遅れていた17:45発の大垣行きの特別快速に滑り込みで乗車。この日の宿は「ホテル・ジッカ」。6時過ぎには到着。
 夜寝るまで、母と喋り続けた。いつもより少し早く22:00頃就寝。


 2日目は7時前に起床。まずは新聞を読みながらコーヒーを1杯飲む。朝食時にもさらにもう1杯のコーヒー。
 8時過ぎには出発し尾張一宮駅へ。8:11発のホームラーナーは「別料金」がかかるのでやり過ごし、8:15発の岡崎行き普通列車に乗車。それほど混雑しておらず、立ち客も多かったが、空席を見つけて着席。
 ふと窓の外を見ると養老山脈の山が白くなっていた。そう言えば、前の日の夜には名古屋で初雪が観測されたとのことだった。
20111217blog1 8:30頃に名古屋駅着。駅前のツインタワーには圧倒される。しかし、大地震でも起こったらそうするのだろうか?こんなビルには入りたくない。
20111217blog2 この日の会場は名古屋駅前の「ウィンクあいち」なのですぐに到着。
 2日目は分科会である。希望していた分科会には参加できず、上部組織からは別の分科会への参加を指示されていた。原発の話(ビデオを観るだけ)とCOP10の成果についての話。原発と生物多様性は直接関係がなさそうなのに、一緒にやるところがヘンである。生物多様性についてはいろいろ勉強したし、考えるところもあったので、講演のあと、せっかくなので意見を述べた(「ツッコミを入れた」とも言う)。写真も撮られたので、組合の新聞に顔が載るかも知れない。これもお昼少し前に終了。
 今日の昼食は「西安刀削麺 矢場町店」で食べることにしていたので、矢場町(正確には「大須 4丁目」)へ。このビルの1階に入っている。集会の会場からここまで40分弱。
20111217blog3 これが入り口。
20111217blog4 「トマトと卵の刀削麺」を注文。
20111217blog5 以前食べたときより、唐辛子がよく効いていた感じだったが、辛すぎることはなく、スープまで完食。
20111217blog6 ここから歩いて10分ほどで「名古屋市中生涯学習センター」へ。「第11回 名古屋大須QRP懇親会」である。
20111217blog7 いつもは和室だったが、今回は会議室だった。参加者は10数名。何人かは自作の機械を持ち込んできているので、その「作品」を前に色々ディスカッション。いろいろなアイデアに感心させられることが多く、この会に参加するといつも何か新しい知識が身に付く感じがする。
20111217blog8 これは参加者が製作した「136kHzの送信機」。これにも色々なアイデアが盛り込まれている。
 16:00頃にはお開きになり、参加者の何人かはそのまま「第1アメ横ビル」へ行き、部品の調達。このあと「QRP懇親会」の忘年会が予定されていたが、ボクは別行動。一路「吹上ホール」を目指して歩く。
 しかし、ここで一つの失敗をしたことが発覚。夕食は軽く「マクド」のハンバーガーを2つぐらい食べようかと思っていたのだが、それを買うのを忘れていた。大須から若宮大通りに沿って東へ歩くのだが、大須を抜けると商店がほとんど無くなってしまった。丸田町の交差点を過ぎて中央線の線路が見えたところでコンビニエンスストアを発見。サンドウィッチを1つ調達する。そこから先、「吹上ホール」まで、商店は全くなかった。
 5時半頃には4階の会議室の「名古屋昆虫同好会12月例会」の会場に到着。会場内でサンドウィッチを食べる。本当に軽い夕食である。最近は体重を絞ったせいか、体調が良くなり、食べ過ぎが良くないことを実感しているので、これぐらいの夕食で十分である。
 例会では一人一話で、信州大学で開催されたときにチッチゼミの抜け殻の見つけ方を教えてもらった話と、いま仕事でやっていることの話をした。後半は卓話だが、その前の休憩時間のこと、Nさんから話しかけられて、いろいろな昔話を聞いた。そろそろ歳なので昆虫採集から「卒業」を考えているというような感じであった。いろいろ考えさせられた。
 例会の後半の卓話はHさんによる「北ボルネオ サバ州 熱帯雨林の蝶」の話。現地での昆虫採集での苦労の話など。
 会場は21:30まで借りられているので、まだ話の途中だったが、帰りの電車のことがあるので、21:00ちょっと前には会場を後にした。さすがにここから名古屋駅まで歩く余裕はないので、吹上駅まで歩いて21:08発の地下鉄に乗って名古屋駅へ。さらに近鉄名古屋駅に向かい21:31発の津新町行きの急行に乗る。この電車を逃がすと、急行は22:06発まで無いので、やはりこの電車に乗りたい。これに乗れば22:30に江戸橋駅に着くので、マトモな時刻に寝られるが、乗れないと江戸橋駅到着が23:05になるので、これはさすがにシンドイ。例会の会場が名古屋駅に近いと良いのだが・・・

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2011年11月27日 (日)

巡礼道を歩く【栗真町屋町→東千里】(2011年11月27日)

 今日は午後から時間が空いたので、少し街道歩きでもしようかと思いついた。伊勢街道を自宅近くから歩いてみようかと思って地図を見たら、津市栗真町屋町(くりままちやちょう)の三重大学の北で伊勢街道から分かれている「巡礼道」と記されている別の街道があるのに気づいた。それを辿って行くと、津市河芸町東千里(ひがしちさと)で再び伊勢街道と合流していることがわかった。距離は8km程度。半日のコースとしては手軽である。さっそく歩いてみることにした。同行したのは妻。13:15頃に自宅を出発。
 まずは江戸橋の伊勢街道と伊勢別街道の分岐点からしばらくは伊勢街道を北上する。

20111127blog1江戸橋の伊勢街道と伊勢別街道の分岐点

20111127blog2志登茂川にかかる伊勢街道の江戸橋

20111127blog3ここが伊勢街道と巡礼道の分岐点
 ここまでは伊勢街道を歩いた。ここからが巡礼道である。伊勢街道が左で巡礼道が右。

20111127blog4松林山専稱寺(専称寺)
 伊勢街道から分岐してまもなくのところにある寺である。写真を撮っていたら、そこにいた爺さんから「中を見て行きなさい」と言われたので、中をじっくり見ることになった。

20111127blog5「白塚まんじゅう」の前田屋
 お土産におまんじゅうを買った。

20111127blog6廃業したと思われる銭湯(河芸浴場)
 少なくとも2003年頃までは営業していたらしい。(→参照サイト

20111127blog7松林寺の前(河芸町中別保)
 ここのお寺でトイレを借りた。街道歩きをしているとトイレが気になる。現在の国道沿いにはあちこちにコンビニエンスストアがあるのでトイレには困らないが、旧街道を歩いていると、コンビニエンスストアどころか、店らしい店に出会うこともないので、食事にも困ることが多い。しかし、旧街道沿いにはお寺や神社はたくさんあるので、トイレを使おうと思ったらお寺や神社が狙い目である。

20111127blog8東千里の街中は由緒ある街道とは思えないほど細い道
 田中川を渡ったところから巡礼道はこれまでまっすぐ歩いていた道から外れ、一本海寄りの道を通っている。この道は、由緒ある街道とは思えないほど細い道である。地元に住んでいる人も、この道が由緒ある道であることを知らない人が多いのではないかと思う。

20111127blog9伊勢街道との接続点にある甕釜冠(かめかまかぶり)地蔵堂(今日の目的地)

 ここから伊勢街道を南下して、近鉄の千里駅まで歩いた。切符を買ってトイレに行ってホームに上がったらまもなく16:00発の電車が来た。電車に乗ったら江戸橋駅まで10分である。16:15前には自宅に帰着。

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2011年11月13日 (日)

伊勢別街道を歩く(番外編)【江戸橋←→一身田高田本山専修寺】(2011年11月13日)

 天気もよく暑くもなく寒くもないので、午後から一身田高田本山専修寺の寺内町の祭りに出かけた。せっかくなので、伊勢別街道経由で歩いていった。我が家から江戸橋の伊勢街道との分岐点経由約40分で到着。一身田の寺内町の百五銀行の近くに天保8年(1837年)に建立されたという道標を見つけた。帰りは江戸橋に近くなったあたりで少し街道を外れて近道。
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2011年11月 4日 (金)

東海道を歩く【小古曽→市ノ瀬】(2011年11月4日)

 今日は代休だったので、10月8日に続き東海道を歩くことにした。10月8日は桑名宿の七里の渡しから四日市市小古曽まで歩いたので、今日はその続きである。さて何処まで歩けるか?
 江戸橋7:42発の近鉄急行に乗り近鉄四日市へ。そこでナローゲージの内部線に乗り換え。近鉄四日市では一旦改札を出てから内部線と八王子線の専用乗り場に行く。
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今日の出発点の近鉄内部(うつべ)駅前。
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杖衝坂(つえつきざか)。ちょっと坂がきつい。
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石薬師宿の入り口。
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佐佐木信綱の生家。佐佐木信綱が石薬師村の出身だとは今日まで知らなかった。
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石薬師宿の中。
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石薬師宿を抜けたところ。
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庄野宿の入り口。
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庄野宿本陣跡。
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中富田一里塚。
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亀山市和田町。このあたりでちょうどお昼。出発して間もなくの四日市市釆女にコンビニエンスストアがあったが、それからここまで、コンビニエンスストアも食堂も全くなかった。食堂の情報も入手しておく方が良かったと思うが仕方がない。
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国道1号線と関西本線を跨ぐ歩道橋を渡ったところに食堂らしきものが見えたので行ってみると、思った通り食堂であった。ここで昼食休憩。食堂は満員でしばらく待たされた。
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「卵とじうどん」500円なり。定食物もあり、ボリュームもあって安かったが、食べ過ぎると歩けなくなると思ったのでこれを食べた。
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亀山市内「東海道」と「巡見道」の分岐点。「巡見道」は国道306号線である。
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亀山宿の入り口。
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亀山宿の中。亀山宿の中に入ると飲食店はたくさんあるので全く困らない。ちょっと頑張って亀山宿まで歩いてから昼食をとっても良かったかもしれない。
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亀山宿の出口付近。
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野村一里塚。
20111104blog18このあとしばらく鈴鹿川に沿った道を歩くが、日陰がなくてちょっと辛い。

亀山宿と関宿の間。ここで国道1号線と交差する。
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関宿の入り口。
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関宿東の追分。10月9日に歩いた伊勢別街道との分岐点である。
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関宿伊藤本陣跡。
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「関の戸」のお店。「関の戸」は上品で美味しいお菓子である。
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関宿地蔵院。
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関宿西の追分の休憩所。トイレもある。関宿西の追分で大和街道が分岐する。
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さらにしばらく歩いて市ノ瀬の西願寺。
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この時点で時刻は16:10。今日はここで終わりにする。国道1号線の起点から426.2km地点。
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この先に坂下宿がある。
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 ここから関宿西の追分まで東海道を戻り、そこからは東海道を外れて国道1号線を歩いて関駅へ。関駅に着いたのは16:50頃。亀山行きの列車は17:30までなかったので、付近を散策したり、ホームのベンチで本を読んだり。
 列車に乗れば、亀山駅まで7分ほど。亀山駅で17:59発の新宮行きの列車に乗り換えると、津駅には18:19着。ここで近鉄に乗り換えて江戸橋まで行こうかと思ったのだが、18:31まで列車がないことがわかったので、これなら津駅から歩いて帰っても2〜3分しか違わないと判断して津駅から歩いて帰ることにした。
 これがちょっとした間違いで、帰り道で段差があるところに気づかずに足を踏み外して転倒してしまい、左の膝と両手の掌にかすり傷を負ってしまった。暗かったこともあるが、やはり疲れていたのが原因だと思う。
 ということで、最後に若干のトラブルはあったが、まあ何とか大した事故もなく18:35頃帰宅した。
 足の疲れはそれほどでもなく、明日も歩けそうである。しかし、鈴鹿峠から先の東海道の地図を入手していないので、東海道を歩くわけにはいかない。安息日にするのも悪くないかも知れない。

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2011年10月10日 (月)

伊勢街道を歩く【江戸橋→栄町】(2011年10月10日)

 一昨日、昨日と二日続けて街道を20km前後歩いたが、思ったほど疲れなかったと言えたのは昨日までだったかも知れない。少し遅れて疲れがやってきて、歩くのがしんどくなってきた。
 それでも何とかなるのではないかと思って、今日の午後から伊勢街道を江戸橋の伊勢別街道への分岐から津駅前の栄町まで約1.1kmを歩き、そのまま津駅ビル「CHUM」の3階にある別所書店に立ち読みに行った。しかし、歩いているときには何とか持ちこたえたものの、じっと立っているのが辛かった。
 読みたいと思っていた、某オーディオ雑誌の某心理学の先生が書いた記事だけをとりあえず読み、そそくさと書店を後にした。帰りは最短経路で自宅へ。電車に乗れば楽なはずだが、電車賃の150円が惜しかった。それにしても、腿の筋肉が張っているので辛い。

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2011年10月 9日 (日)

伊勢別街道を歩く【関宿→江戸橋】(2011年10月9日)

 昨日の東海道の七里の渡し〜小古曽に続き、今日は伊勢別街道の関宿〜江戸橋の全行程を歩くことにした。持参した地図はこちらの三重県のサイトのもの。昨日は一人だったが、今日は妻と三男坊が同行した。まずは津駅まで歩いた。江戸橋駅から近鉄に乗れば楽だが、たかだか1kmちょっとのところに150円を払うのが惜しいと思った。今日も鈴鹿サーキットでF1レースが開催されているのと、津祭りが開催されている関係で、津駅ではいつもよりかなり多くの人がいた。9:32津駅発の亀山行きの列車は8分ほど遅れて到着。このままの遅れだと亀谷まで加茂行きに乗り継げなくなりそうなので駅員さんに確認したところ、ちゃんと連絡を取れるようにしてくれているらしい。列車に乗り込むと、いかにも「これから歩きますよ」という格好の年配のご婦人の団体が乗っていた。亀山駅ではそれらの人たちと一緒にゾロゾロと跨線橋を渡り、加茂行きに乗り込んだ。これらの人の多くは、我々と一緒に関駅で下りた。関駅前はそれなりの混雑。トイレを済ませていざ出発。まずは東海道の関宿へ。団体さんは何処へ行ったかわからなかったが、伊勢別街道を歩こうなどという人は我々以外にはいなかった。
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関宿の中では、銀行もこんな姿。
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ここが東海道と伊勢別街道の分岐点の東の追分。我々の出発点である。
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これは鈴鹿川を渡ったところにある鈴鹿駅跡。
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これは芸濃町楠原の集落に入る手前の庚申塚。
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これは芸濃町林の集落の入り口付近にある小堂。この手前でツクツクボウシの鳴き声が聞こえた。
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これは芸濃町林の集落を抜けたところにある石灯籠。現在の県道10号津関線との交差点にある。
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芸濃町中縄の家並のなかにこんなものがあった。
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その下を見ると、ニホンミツバチが出入りしていた。家の壁の中に巣を作っているらしい。
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芸濃町中縄の集落を出たところで見かけたメスグロヒョウモンの雌。そろそろ産卵の季節だと思う。
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芸濃町中縄の集落と芸濃町椋本の集落の間にある「横山池」という大きな溜池の横の道。けっこうな距離があり、日陰もないので、精神的にちょっと辛い場所。写真左側が「横山池」。
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芸濃町椋本の集落の中の曲がり角。ここで街道が直角に曲がっている。
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さらに次の直角に曲がっている角にある古い宿屋。今でも営業している様子だった。
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椋本の集落あたりでは既に12:00を過ぎていたので、このあたりで食事ができないものかと思っていたのだが、街道沿いには全く飲食店がなかった。結局、椋本の集落を通り過ぎ、さらに伊勢自動車道を通り過ぎた。そこには蕎麦屋兼うどん屋「平尾屋」があることを知っていたので、そこに入ることにした。この時点で13:00。
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この店では蕎麦はすべて冷たい蕎麦で、暖かい蕎麦はなかった。暖かいものを食べたいと思ったので、「卵とじうどん」を注文した。
20111009blog17出汁の味は良かったが、麺が柔らかすぎて、ボクの好みではなかった。これで880円。全体的に値段は高めであった。大して量のない「ざる蕎麦」が1000円だった。
昼食休憩は約30分。気合いを入れ直して再出発。高野尾の集落の中で妻が「セミのような形のガがいる」と言うので見てみるとエビガラスズメであった。セミのような形と言われれば、似ていないようでもないとも思われるが、典型的なスズメガの格好である。
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高野尾の集落の中で見つけた道標。安濃への分かれ道なのだろうと思う。
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高野尾の集落を抜けて窪田宿までの間はバスも通っているような広い道で交通量も多く、ここを歩くのは少々つまらなく感じた。窪田宿を抜けようとするところには大きな常夜灯があった。昨日歩いた東海道にも、これほど大きな常夜灯は無かったように思う。このあたりまで来ると、見慣れた場所なので、目的地が近くなったと感じられる。
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さらに歩いて一身田駅。今朝、列車に乗って通り過ぎた場所である。なかなか風格がある駅である。
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さらに歩いて一身田小学校の前、やっとのこと伊勢別街道の解説が書かれた案内板を見つけた。昨日歩いた東海道はあちこちに案内板があったが、やはり伊勢別街道はかなりマイナーな存在なのだろうと思う。(クリックすると拡大します)
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さらに歩いて目的地の江戸橋。伊勢街道との分岐点である。ここにも常夜灯があるが、窪田宿の出口にある常夜灯と比べると遥かに小さい。ここを右に行けば伊勢街道の日永の追分方面。ここを正面に行く方向が今日我々が歩いてきた道である。後ろ方向が伊勢方面。
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ここに着いたのが16:05頃。思ったよりも早く歩けたように思った。ここからわが家までは3分ほど。
さすがに二日続けてそれぞれ20kmほどを歩いたので、腿の筋肉はパンパンに張っていて、下半身は疲れているが、腰から上はほとんど使っていないので、大変元気である。
歩くのも悪くはないが、全身運動ではないので、上半身も使うことを考えないといけないように思う。

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