社会科学

2013年5月 5日 (日)

マイケル・サンデル 著『それをお金で買いますか』

マイケル・サンデル 著(鬼澤 忍 訳)『それをお金で買いますか 市場主義の限界』

早川書房
ISBN978-4-15-209284-7
2,095円+税
2012年5月15日発行
329 pp.

目次
序章−市場と道徳
 市場勝利主義の時代/すべてが売り物/市場の役割を考え直す
第1章 行列に割り込む
 ファストトラップ/レクサスレーン/行列に並ぶ商売/医者の予約の転売/コンシェルジュドクター/市場の論理/市場vs行列/市場と腐敗/ダフ行為のどこが悪い?[ヨセミテのキャンプ場を転売する/ローマ教皇のミサを売りに出す/ブルース・スプリングスティーンの市場]/行列の倫理
第2章 インセンティブ
 不妊への現金/人生の経済学的アプローチ/成績のよい子供にお金を払う/保険賄賂/よこしまなインセンティブ/罰金vs料金/21万7000ドルのスピード違反切符/地下鉄の不正行為とビデオレンタル/中国の一人っ子政策/取引可能な出産許可証/取引可能な汚染許可証/カーボンオフセット/お金を払ってサイを狩る/お金を払ってセイウチを撃つ/インセンティブと道徳的混乱
第3章 いかにして市場は道徳を締め出すか
 お金で買えるもの、買えないもの/買われる謝罪や結婚式の乾杯の挨拶/贈り物への反対論/贈り物を現金にする/買われた名誉/市場に対する二つの異論/非市場的規範を締め出す/核廃棄物処理場/寄付の日と迎えの遅れ/商品化効果/血液を売りに出す/市場信仰をめぐる二つの基本的教義/愛情の節約
第4章 生と死を扱う市場
 用務員保険/バイアティカル−命を賭けろ/デスプール/生命保険の道徳と簡単な歴史/テロの先物市場/他人の命/死亡債
第五章 命名権
 売られるサイン/名前は大事/スカイボックス/マネーボール/ここに広告をどうぞ/商業主義の何が悪いのか?/自治体のマーケティング[ビーチレスキューと飲料販売権/地下鉄駅と自然遊歩道/パトカーと消火栓/刑務所と学校]/スカイボックス化
謝辞
注釈

 著者のマイケル・サンデル氏はハーバード大学教授。カバーの写真を見て、いつかNHKの番組に出ていた人だと言うのに気付いた。
 金で買えるものと買えないものはあると思うが、昔が金で買えなかったものが、いまでは金で買えるようになったものが随分増えたように感じる。この本では、小さなことから大きなことまで、様々な事例が示され、これまで金で買えなかったものが変えるようになると、不平等に関わるものが目立つようになり、価値が「腐敗」することが示され、それが良いことなのか悪いことなのかを読者に問いかけている。
 ボク自身の経験を振り返れば、かつてボクは生命保険にいかがわしさを感じていた。ボクのナイーブな感覚が命を金に換算することを拒んでいたのだと思う。今ではそれほど違和感を感じることはなくなった。おそらく好む好まざるにかかわらず市場主義に馴らされてきた結果だと思う。その結果として、「同じものであれば安い店で買う」という行動をとるようになったと思う。スーパーマーケットが発達する前は、「信頼できる馴染みの店で買う」という行動をとる人も多かったと思うが、自分自身の経験からすれば、転勤するたびに住む場所が変わると「馴染みの店」を作るのは難しいことだと思う。「信頼による繋がり」を作るのは難しいのだ。それでも、今の街に住むようになってから、家電製品に関しては、昔ながらの大手量販店ではない店を見つけてそこで買うようになったので「同じものであれば安い店で買う」のではなく「信頼できる馴染みの店で買う」ことができているように思う。こういう感覚は「行き過ぎた市場主義を拒む」気持ちなのだと思う。
 それはさておき、かつて市場で取引されるものはモノやサービスだけだったと思うが、その程度の範囲であれば市場主義は健全であったと思う。しかし、この本に取り上げられてきた様々な「かつては金で買えなかったモノ」が市場で取引されるようになったことを見ると、やはり「行き過ぎ」ではないかと感じる。さらに行き過ぎれば、金を持つものの自由度はさらに高まり、持たざるものの自由度はさらに制限されることが目に見える。資本主義は不平等を拡大するものであることがあらためで認識させられた。
 この本では、今まで金で買えなかったものが買えるようになったことについて、様々な問いを投げかけているわけだが、どうすべきなのかという著者自身の強い主張は感じられない。読者に自分自身で考えて欲しい、ということなのだろうと思う。
 ボクの感覚では、「金で買えないものはたくさんあった方が良い」である。

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2013年4月27日 (土)

平川克美 著『株式会社という病』

平川克美 著『株式会社という病』

NTT出版
ISBN978-4-7571-2198-0
1,600円+税
2007年7月27日発行
238 pp.

目次
まえがき
第一章 経済的人間 大きくなり過ぎた経済のちから
株式会社とは誰のことか/跋扈する経済的人間/専門書は人間の内面と会社の関係について教えてはくれない/合理性の限界/株式会社の奇妙な性格/フリードマンとスミス/病の両義的な効用/利便性の尺度と異なる豊かさの尺度/所有と経営の分離の起源/所有者の利害と経営者の利害
第二章 信憑論 かれらが会社を愛した理由
会社が輝いていた時代/消えた国民的時間/もしも会社がなかったら/渦中には見えない時代の変換/商品となった会社/職人のエートスとロイヤリティ/残り続けたお家の風土/互酬的共同体の崩壊/会社信仰の黄昏
第三章 幻想論 欲望がつくりあげた幻想
不条理な会社の命令/会社が会社である理由/利益共同体としての会社/人は自ら設定した枠組みの中で思考する/会社には人間の欲望が刻印されている/もともと反社会的だった株式会社
第四章 因果論 結果は原因の中にすでに胚胎し、原因は結果が作り出す
欲望を駆動する他者/ウロボロスの輪のような原因と結果/事故の「内部化」/他者が誘発する欲望/利息の起源/欲望の共同体と無償の贈与/病の発症−不二家の場合/病の発症−ライブドアの場合
第五章 技術論 『ウェブ進化論』では語りえないこと
ビジネスを変えたインターネット/進化論のあやうさ/インターネット技術と人間関係/インターネットと金融の結合
第六章 倫理論 『国家の品格』と日本人のなし崩し的な宗旨替え
集団的な宗旨替え/落語が伝える見えざる価値/金で買えないもの/近代合理主義とプロテスタンティズム/『国家の品格』に品格なき立ち位置/言葉が欠いてはならない節度/苦難の共有と、会社のエートス
解題と方法 あとがきにかえて

 この本の著者である平川克美氏の「移行期的混乱 経済成長神話の終わり」を読んで、この人の他の著書を読んでみたいと思って図書館で借りてきて読んだ。
 今世紀に入ったあたりから企業による不祥事が相次ぐようになった。本書では「不二家」と「ライブドア」の事例が取り上げられているが、思い出せるところでは、雪印乳業があるし、本書の出版以降では、「白い恋人」の石屋製菓、赤福などが思い出されるし、JR西日本の福知山線の事故もそうだろうと思う。
 本書の著者によれば、企業の不祥事は、特定の個人に問題があるのではなく、株式会社自体が不祥事を生み出すような構造になっている、というのである。株式会社は、経営者も従業員も、会社の利益を最大化しなければいけない、という「幻想」から自由になれないということである。まだ経済成長が可能だった時代には、それでも問題は発生しなかっただろうが、欲望を肥大化させなければ経済成長が困難になった現代においては、それを隠すことができなくなってしまったということなのだろうと思う。
 株式会社や経済成長を「あたりまえのこと」としてとらえず、あらためてその意味を考え直させてくれる本書は良書だと思った。

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2013年3月17日 (日)

平川克美 著『移行期的混乱 経済成長神話の終わり』

平川克美 著『移行期的混乱 経済成長神話の終わり』

筑摩書房
ISBN978-4-480-86404-8
1,600円+税
2010年9月10日発行
262 pp.

目次
第1章 百年単位の時間軸で時代の転換期を読み解く
第2章 「義」のために働いた日本人 60年安保と高度経済成長の時代
第3章 消費時代の幕開け 一億総中流の時代
第4章 金銭一元的な価値観への収斂 グローバリズムの跋扈
第5章 移行期的混乱 経済合理性の及ばない時代へ
終章 未来を語るときの方法について
付録 「右下がり時代」の労働哲学 鷲田清一×平川克美
むすびにかえて

 下がらないはずだった公務員の給与が下がり始め、公務員準拠の給料をもらっている自分としても、経済の縮小を肌で感じないわけにはいかない時代になってきた。政治は与野党にかかわりなく、どの政党も未だに経済の拡大を叫んでいるだけである。ボクは直感的に、経済の拡大路線には無理があると感じており、これからの時代は経済の成長がなくても国民が幸せを感じることができるような政策が必要だと感じていた。しかし、このような考え方は異端として見られ、誰も相手にしてくれなかった。そのような中で、H県農業技術センターのHさんのfacebookへの書き込みでHさんが本書を読んでいることを知った。表題に惹かれ、早速図書館で借りてきて読んだ。
 本書の最も重要な主張は次の指摘である。『経団連をはじめとする財界が「政府に成長戦略がないのが問題」といい、自民党が「民主党には成長戦略がない」といい、民主党が「わが党の成長戦略」というように口を揃えるが、成長戦略がないことが日本の喫緊の問題かどうかを吟味する発言はない。
「日本には成長戦略がないのが問題」ということに対して、わたしはこう言いたいと思う。
問題なのは、成長戦略がないことではない、成長しなくてもやっていけるための戦略がないことが問題なのだと。』
(p. 140〜141)
 本書は「労働の意味」や「社会構造」の変遷を読み解き、2006年以来、日本がかつて経験しなかった「人口の減少」の意味を考え、著者は上のような主張に至ったと考えられる。ボクは本書を読む前から日本の人口の減少については無視できないことだと考えており、単に「これから日本は人口が減っていくのだから経済が縮小するのは当たり前で、縮小する経済に対してソフトランディングするための政策が必要だ」と考えていた。人口減少については「日本の人口が減少しているのは資源エネルギー的に限界に達したからである」と考えていた。著者の考え方は、日本の人口が減少してきたのは民主化の中での社会構造の変化の結果として必然であると考えるべきだ、ということであるが、これはボクの考えが及ばなかったところだった。前の民主党政権にしても今の自民党政権にしても、日本の人口の減少を解決すべき問題だとしているが、政治家も経済学者も誰も人口減少の本質を考えようとせず、素人が考えても的を外しているとしか考えられない対症療法(児童手当とか)で乗り切ろうとしていたが、これは本書でも指摘されている「経済成長という病」に冒されているからだと思う。
 本書には、縮小する今の日本の経済に対して、希望的な観測を述べるのではなく、現状を客観的に認識することが必要だと主張されている。それに対する対処法は書かれていない。この世の中には、「問題点だけ指摘して対処法を示さないのは無責任である」という考える人が多いようであり、本書のような本は評判が悪いようであるが、根拠のない夢ばかり語る方がよほど無責任であると思う。
 いずれにしても、人口が減少する社会は有史以来なかったことであるから、これまでの常識は通用しない(ことは本書でもたびたび主張されている)。これまでのように公共事業などに予算を支出するやり方は、傷を大きくするだけだと気付くはずである。これまでの「経済成長の夢」にすがりつくのはやめて、新しい方策を国民全体で考えるべきではないだろうか?

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2012年10月20日 (土)

神門善久著『日本農業への正しい絶望法』

神門善久著『日本農業への正しい絶望法』

新潮新書 488
ISBN978-4-10-610488-6-5
740円+税
2012年9月20日発行
237 pp.

目次
まえがき
第1章 日本農業の虚構
 二人の名人の死/有機栽培のまやかし/ある野菜農家の嘆き/農地版「消えた年金」事件/担い手不足のウソ/「企業が農業を救う」という幻想/「減反悪玉論」の誤解/「日本ブランド信仰」の虚構
第2章 農業論における三つの罠
 識者の罠/ノスタルジーの罠/経済学の罠/罠から逃れるために
第3章 技能こそが生き残る道
 技能と技術の違い/農業と製造業の違い/日本農業の特徴/欧米農業との対比/技能集約型農業とマニュアル依存型農業/技能こそが生きる道/防疫自由化と日本農業
第4章 技能はなぜ崩壊したのか
 日本の工業化と耕作技能/政府による技能破壊/農地はなぜ無秩序化したか/放射能汚染問題と耕作技能
第5章 むかし満州いま農業
 沈滞する経済、沈滞する農業/農業ブームの不思議/満州ブームの教訓/満州ブームと農業ブームの類似性
第6章 農業改革の空騒ぎ
 ハイテク農業のウソ、「奇跡のリンゴ」の欺瞞/「六次産業」という幻想/規制緩和や大規模化では救えない/JAバッシングのカン違い/JAの真の病巣/農水省、JA、財界の予定調和/農業保護派の不正直/TPP論争の空騒ぎ/日本に交渉力がない本当の理由
第7章 技能は蘇るか
 「土作り名人」の模索/残された選択肢/消費者はどうあるべきか/放射能汚染問題と被災地復興対策
終章 日本農業への遺言
主な参考文献

 神門善久氏の著書を読んだのはこれが2冊目である。最初に読んだのは『日本の食と農』である。この本もなかなか挑発的な本であり、刺激的だった。神門善久氏の新しい本が出ているのは知らなかったので、まずは本書を紹介していただいたH県農業技術センターのHさんにお礼申し上げたい。
 それにしても、刺激的な表題である。目次を見てさらにびっくり、終章の表題は本書が日本農業に対する著者の遺言であることを表している。
 本書の主張は終章の冒頭に要約されている。(1)日本農業の本来の強みは技能集約型農業にある。(2)耕作技能の発信基地化することにより、農業振興はもちろん、国民の健康増進、国土の環境保全、国際的貢献など、さまざまな好ましい効果が期待できる。(3)しかし、その農地利用の乱れという「川上問題」、消費者の舌という「川下問題」、放射能汚染問題の三つが原因となって、農業者が耕作技能の習熟に専念できず、肝心の耕作技能は消失の危機にある。(4)マスコミや「識者」は耕作技能の消失という問題を直視せず、現状逃避的に日本農業を美化するばかりで、耕作技能の低下を助長している。
 著者の日本農業に関する現状認識は、すべて正しいかどうかボクにはわからないが、おそらく大きく間違っていないだろうということは、本書を通して読んで感じることができた。本書の終章の表題は「遺言」となっているが、神門善久氏が存命中に、日本農業の問題点は改善されることはなく、悪い方向に向かっていくのが確実であろう、という予感を神門氏が持っているのであろうということが想像できる。
 本書を読めば、日本の農業だけでなく、他の産業も含め、産業構造、社会構造、政治的な圧力などにさまざまな問題があり、ちょっとやそっとの「手入れ」では改善が望めないであろうことが想像される。神門氏は農地だけでなく、宅地等を含めた土地の権利に関する情報の公開をすることを強く提案しているが、昨今の行き過ぎた「個人情報の保護」の状況を鑑みれば、ほとんど無理な話であるように思える。
 また、技能の継承の話についても、自然保護における希少種の保護の問題と同様であるように思える。人が資源(資金)を注ぎ込まなければ絶滅していくのは避けられないであろう。
 「焼け石に水」かも知れないが、本書では日本農業の改善にかんする様々な提言もなされているので、農業関係者だけでなく、消費者(=すべての国民)も読む価値は高いと思う。もちろん、本書を読んでどのように行動を変えるかは個々人の勝手である。
(以下2012年10月20日午後追記)
 ちょっと書き忘れたので追記する。
 ぼくたち農業技術研究者は、基本的には技術をマニュアル化することを期待されている。マニュアル化されるということは、誰でもできるようにするということなので、経験を積み重ねて習得する「技能」とは必然的に対立することになる。神門氏の主張が正しいとすれば、ぼくたち農業技術研究者がすべきことは、「技能」を身につけようとする農業者を対象に技術開発することになる。あるいは、農業技術研究は不要、ということになるかも知れない。いずれにしても、ぼくたち農業技術研究者は、研究を行うにあたり、どんな農業者を対象として考えるかは重要である。

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2012年7月 5日 (木)

井田徹治著『生物多様性とは何か?』

井田徹治著『生物多様性とは何か?』

岩波新書(新赤版)1257
ISBN978-4-00-431257-4
720円+税
2010年6月18日発行
ix+224+2 pp.

目次
はじめに
第1章 生物が支える人の暮らし
 1 破れてわかる命のネットワーク
 2 生態系サービスという見方
 3 生物多様性の経済学
 コラム/サメとナマコの危機
第2章 生命史上最大の危機
 1 増える「レッドリスト」
 2 地球史上第六の大絶滅
 3 生態系の未来
 4 里山−日本の生物多様性保全の鍵
 コラム/侵略的外来種
第3章 世界のホットスポットを歩く
 1 ホットスポットとは
 2 開発と生物多様性−マダガスカル
 3 南回帰線のサンゴ礁−ニューカレドニア
 4 農地化が脅かす生物多様性−ブラジルのセラード
 5 大河が支えた生物多様性−インドシナ半島
 6 日本人が知らない日本
 コラム/地球温暖化と生物多様性
第4章 保護から再生へ
 1 漁民が作った海洋保護区−漁業と保全の両立
 2 森の中のカカオ畑−アグロフォレストリー
 3 森を守って温暖化防止
 4 種を絶滅から救う−人工繁殖と野生復帰
 5 自然は復元できるか
 コラム。種子バンク
第5章 利益を分け合う−条約とビジネス
 1 生物多様性条約への道のり
 2 ビジネスと生物多様性
 コラム/ゴリラと「森の肉」
終章 自然との関係を取り戻す
参考文献

 表題は『生物多様性とは何か?』であるが、最後まで読み通してみても、本書には「生物多様性」という言葉の定義すら書かれていなかった。ただひたすら、「いま地球環境が破壊されつつあって『生物多様性』がなくなると困ったことになりますよ」ということについて、様々な例が羅列されているだけである。本書に書かれている『生物多様性』という言葉は様々な意味で使われていると解釈でき、そのまま『生態系』と良い変えてよさそうな箇所もあれば、『自然』と言い換えてよさそうな箇所もある。『生物多様性』というタームが一義的に使用されていないため、理解の妨げになっていのではないかとも思われる。
 だから『生物多様性とは何か?』という表題に惑わされて、本書に本当に『生物多様性とは何か?』が書かれていると思ったら、とんでもない「はぐらかし」を食わされたと感じられるはずである。本書を読んでも、けっきょく『生物多様性ってなんだろう?』という疑問が残るだけではないかと思われる。
 これはボクが「生物多様性」という表題がつけられた様々な本をこれまでに読んできたから以上のように理解できるのであって、『生物多様性』に関する予備知識が何もない人が本書を読んだところで、『生物多様性とは何であるか』は到底理解できないであろう。文字通りの意味で『生物多様性とは何か?』を理解するためには、ボクがこれまで読んだ本の中では池田清彦著『生物多様性を考える』(中公選書)がもっとも適しているように思われる。
 本書に以上のような欠陥があると思われるが、本書の中で主張されていることは、基本的に違和感はないと感じられた。ただし、『生物多様性』という概念が、決して科学的なものではなく、あくまで政治的なものであると書かれていないのは、説明不足であるか、あるいは著者自身が本当に気付いていないかのどちらかであると思う。
 いずれにせよ、本書に書かれていることは「地球環境のバランスが崩れると様々な不都合が起こることが予想され、それを未然に防ぐためには、ここに書かれているような対策が考えられますよ」ということであるので、『生物多様性とは何か?』という表題は全く不適切であり『地球環境のバランスを崩さないために我々ができること』(例)のような表題が適切であると思われた。さらに言えば『生物多様性』という言葉も無理に使われているような箇所も多いので、もっと適切な別の言葉で言い換えた方が、著者の主張が理解し易くなるのではないかとも思われた。

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2012年6月13日 (水)

池田清彦・養老孟司著『ほんとうの復興』

池田清彦・養老孟司著『ほんとうの復興』

新潮社
ISBN978-4-810-423108-9
1,000円+税
2011年6月25日発行
170 pp.

目次
I 自然とわれわれ(養老孟司)
 自然の大災害にしばしば出会う分か/目の前にあるのは「解答」である/根本はエネルギー依存/問題の「政治化」が安全性への軽視を生む/戦後日本の自然破壊の総決算
II 大地震・大津波・原発事故から見えたこと(池田清彦×養老孟司)
一 天災と日本人
 震災をきっかけに生き方を考える/「津波てんでんこ」の言い伝え/生き残りの心理/「一律」の陥穽/効率の良さとセキュリティ/首都東京が震災に見舞われたら/疎開先をもつ/都会と田舎/日本の再構築/自然に組み込まれている「攪乱」/ローカリティとグローバリゼーション/関東大震災と軍国主義化
二 原発事故という人災を引き起こしたもの
 発電所に電気が通らない皮肉/なぜ無責任な体制になるのか/安全対策を阻害したもの/現場と司令側の乖離/本気の度合い/高レベル放射性廃棄物の規制期間は百万年!?/原発事故の歴史と、“事故隠し”の歴史/福島第一原発周辺の土地は今後どうなるのか
三 大震災後の世界
 原発の効率/原発問題と大学入試/エネルギーと現代社会/新エネルギーの可能性と考え方/電力供給を分散型に/エネルギー依存の構造はどこまで変わるか/事故の検証はどうなるか/「居心地」の再発見/将来を考える仕組み
III エネルギーが将来を決める(池田清彦)
 「原発は最も安全」という主張/原発停止に向かう合理的な選択/原発による利益と損失/ネルギー利用の短期・中期・長期的な戦略を/風力発電は日本には向かない/補助金なしでは成り立たないのが現状の太陽光発電/日本の自然条件にフィットしているのは地熱発電だが……/小水力発電のメリットとデメリット/日本で唯一有力なバイオエネルギーは藻類/海洋発電の可能性と、それら自然エネルギーの限界性/石炭は自前のエネルギー源となるか/日本近海は世界有数のメタンハイドレート埋蔵域/未来は新エネルギー開発がどうなるかにかかっている

 『ほんとうの環境問題』(2008)『正義で地球は救えない』(2008)に続く池田清彦氏と養老孟司氏の対談本である。東日本大震災が起こって急遽企画されたのではないかと推察される。出版後すぐに読もうと思っていたが、津市津図書館にリクエストをするのを忘れていて、最近たまたま三重県立図書館で発見したので借りてきた。
 大震災が起こったあとでも、池田氏も養老氏も、人間の身の丈に合った暮らしぶりをするのが望ましいという考え方であると思われ、震災以前の著書で語られてたのとは基本的なスタンスはほとんど変わっていないように思われた。
 池田氏は脱原発が望ましいが脱原発原理主義は望ましくないと考えており、「III エネルギーが将来を決める」では原子力や石油以外のエネルギーについて考察している。ここに書かれていることはどこかで読んだことがあるので、『正義で地球は救えない』あたりに書かれていたのかも知れない。そうだとすれば、震災以前に様々なエネルギーについて考察していたということで先見性があると思う。
 東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故の問題は、まだまだ片付きそうにない問題であるが、本書には、復興に際して何をしたらいいのかが自然を自然として捉えて様々な考え方が書かれており、役に立ちそうなことも多く書かれているので一読の価値はあると思う。

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2011年11月 6日 (日)

高橋敬一著『鉄道と生物・運命の出会い』

高橋敬一著『鉄道と生物・運命の出会い』

現代書館
ISBN978-4-7684-5667-5
1,800円+税
2011年10月15日発行
251 pp.

目次
はじめに
1. 列車と生物は似ている?/2. スピード/3. トイレ/4. 地下鉄/5. 新幹線/6. 鉄道と慣れ/7. 都会と鉄道/8. 鉄道における主体/9. 戦争と鉄道/10. 私たちが見ているもの/11. 女性専用車輛/12. たま駅長/13. 在来種/14. 線路が生物に与える影響/15. 切符/16. 乗り酔い/17. 中身と外見/18. 車の登場/19. エコ/20. 時刻表/21. 駅/22. タバコ/23. 忘れ物/24. 鉄道が運ぶもの/25. 車内環境/26. 照明/27. 駅弁/28. 蒸気機関車/29. ゴキブリとネズミ/30. 軌道幅/31. 郷愁/32. 理髪車/33. 鉄道ファン/34. 天候/35. 現在位置と目的地/36. 科学と科学技術/37. 名称/38. エコノミー症候群/39. 遵法闘争/40. 外国の鉄道事情
主な参考文献
あとがき

 著者である高橋敬一さんから本書が贈られたので、内容を紹介したいと思う。高橋さんには、「自然とはどんなものか」という視点から書かれた『「自然との共生」というウソ』(祥伝社新書, 2009)『昆虫にとってコンビニとは何か』(朝日選書, 2006)という著書のほか、高橋さんの石垣島での暮らしの中から書かれた『八重山列島昆虫記』(随想舎, 2001)や『八重山列島釣り日記』(随想舎, 2000)などのユーモアにあふれたもの、さらには『熱汗山脈』(随想舎, 1997)という、それまで誰も手を出していなかった亜熱帯である八重山諸島の山への登山の日記のようなものもある。
 本書は昭和32年生まれの小浜浩二さんという鉄道ファンと、その大学時代の野球部の後輩である昭和52年生まれの竹富安輝くんという分子生物学者の会話という形式で書かれており、「鉄道」を話題にしていることは確かなのであるが、この二人、とくに竹富くんの発言は、著者である高橋さんの『「自然との共生」というウソ』や『昆虫にとってコンビニとは何か』の著書での視点に通じるところがある。ちなみに、「小浜」も「竹富」も八重山諸島の島の名前であり、「浩二」と「安輝」は高橋さん(とボク)の石垣島勤務時代の同僚の下の名前を拝借したもので、いずれも架空の人物である。
 目次を読むと、鉄道と生物の関わりが語られているように思われる。確かにそのとおりなのであるが、実際に読んでみると、この登場人物の二人、とくに竹富くんの発言は物事の本質を突いたものが多く、そこには「自然とはどんなものであるか」さらには「人間とはどんな生物であるか」ということから始まり、「現状の社会システムにはどんな問題があるのか」などという問題に対して生物学的に考察した高橋さんの考え方が書かれている。表題の『鉄道と生物・運命の出会い』というのを見ると、一件軽そうな内容の本であるように思われるが、実は表面的ではなく、本質を追究していて奥の深さが感じられる。
 ここに、いくつか印象に残った文章を紹介したい。
 人間の思考傾向について竹富くんは、牧草として導入された植物種が牧場から逸脱して線路際に生えてしまうことによって雑草として人間が認識することについて、「つまりボクたちは主観でしか物事を見ることができないということです。自然保護活動家を自認する人には特にその傾向が強いですね。彼らには自分が好むものしか見えていないんです。」(p.107)と語っている。
 社会システムが複雑化することによって人間が忘れることが問題になることについて竹富くんは、「問題は忘れることにあるのではなく、複雑であるのに物忘れを許さない、つまりは人間が人間であることを許さないシステムをつくり出し、それが常に正常に働いて当たり前だとする前提のほうにあります。」(p.157)と語っている。
 そのほかにも、様々な日頃見逃されがちなことが書かれており、「人間とはどんな動物であるか」ということを再認識するには、非常に参考になる本である。
 少し気になることと言えば、ドーキンス流の遺伝子中心主義的な考え方が強すぎるということであろうか。

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2011年9月17日 (土)

日本昆虫学会第71回大会@信州大学松本キャンパス・1日目(2011年9月17日)

20110917blog1 昆虫学会の本番が始まった。しかし、どうも風邪っぽく調子が悪い。午前中は一般講演で、あちこちの会場を渡り歩いていろいろな講演を聴いたが、特に心に響く講演はなかった。
 会場の一角では、旧制高校時代を松本で過ごした北杜夫の「どくとるマンボウ昆虫記」にちなんだ昆虫の展示もあった。「どくとるマンボウ昆虫記」の各章に登場する昆虫ごとの標本箱が並べられ、北杜夫氏自身が採集した標本や、平沢伴明氏が最近記載して北杜夫氏に献名されたマンボウビロウドコガネの標本などもあった。
20110917blog2
20110917blog3
 午後は「2020年の生物多様性と昆虫学〜COP10の成果から何が求められるのか〜」のシンポジウムに出た。3氏の講演があったが、外来種の問題にしても、絶滅危惧種の問題にしても、技術的な問題ばかりでなく、政治的な話にもなるため、なかなか難しいと思った。提供された話題はそれなりに面白いと思ったが、なぜ外来種がいけないのか?とか、なぜ絶滅危惧種を保護しなければいけないのか?などという根源的な問題についてはほとんど触れられておらず、ぼくとしては食い足りない感じがしたのは確かである。
 学会賞受賞講演は、論文が完成するまでの裏話の紹介であったが、研究の中身より、論文が出来上がるまでの過程が面白く感じられた。何度もリジェクトを食らってもあきらめてはいけないと思わされた。自分もちょっと頑張ってみようかという気になる。
 総会は滞り無く終了。
 懇親会は駅前のホテルに会場を移しての実施。信州は昆虫食がさかんな土地であるが、それを意識してか、昆虫の料理が10品ほど出されていた。セミは信州大学の構内で採集されたもののようであるが、それ以外は東南アジアから取り寄せたようなものだった。いろいろ食べてみたが、悪くはなかった。
20110917blog4
20110917blog5 と、昆虫食を楽しんで、次は普通の料理を、と思ってメインテーブルを見ると、もう食べるものはほとんど残っていなかった。安くはない懇親会費を払っているのだから、まともに食事ができないのはおかしい。ここ何年かは、昆虫学会の懇親会で食べ物が不足することは無かったので、ちょっと油断してしまったのがいけなかったのかも知れない。最後に蕎麦が出てきて、それはそれなりに美味しかったが、やはり不満が残る懇親会の料理であった。
 相変わらず調子が悪いので、二次会には行かず、ホテルに戻ってこれを書いている。明日は朝一番で講演なので、寝坊をしないようにしなければいけない。

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2011年9月 1日 (木)

フォン・ベルタランフィ著『一般システム理論』

ルートヴィヒ・フォン・ベルタランフィ著『一般システム理論 その基礎・発展・応用』

みすず書房
1973年7月10日発行
288 pp.

目次
序文
英語版への序文
第1章 序論
 システムはいたるところに/システム理論の歴史/システム理論の方向
第2章 一般システム理論の意味
 一般システム理論の探求/一般システム理論の目標/閉鎖システムと開放システム−伝統的物理学の限界/情報とエントロピー/因果性と合目的性/オーガニゼーションとは何か/一般システム理論と科学の統一性/教育における一般システム理論−一般科学者の養成/科学と社会/最後の教訓−個人としての人間
第3章 いくつかのシステム概念の初等数学的考察
 システム概念/生長/競争/全体性,総和,機械化,集中化/目的性(終局性)/目的性のいろいろな型/科学における同形性/科学の統一性/数学的システム理論の発展についてのノート(1970年)
第4章 一般システム理論の進歩
 システム科学のアプローチと目標/一般システム研究の諸方法/一般システム理論の進歩
第5章 物理学的システムとして考えた生物体
 開放システムとしての生物体/開放化学システムの一般性質/等結果性/生物学的応用
第6章 開放システムのモデル
 生命機械とその限界/開放システムのいくつかの特徴/生物学における開放システム/開放システムとサイバネティクス/未解決の問題/結論
第7章 生物学におけるシステム理論のいくつかの側面
 開放システムと定常状態/フィードバックとホメオスタシス/アロメトリーと表面積法則/動物の生長理論/結論
第8章 人間の科学とシステム概念
 有機体論革命/現代思想における人間像/システム理論的な方向転換/社会科学とシステム/システム理論的な歴史概念/システム理論から見た将来
第9章 心理学と精神医学における一般システム理論
 現代心理学の窮境/精神病理学におけるシステム概念/結論
第10章 カテゴリーの相対性
 ウォーフの仮説/カテゴリーの生物学的相対性/カテゴリーの文化的相対性/遠近法主義的な見方/注
付録 科学の意味と統一性
謝辞
参考文献
読書案内
訳者あとがき
索引

 横山和成さんから本書を読むことを勧められていたのだが、そのままになっていた。ところが、某所で横山さんが講演されるという情報を得たので、その講演を拝聴する前に目を通しておくべきだと思って慌てて読もうと思った。津市立津図書館にも三重県立図書館にもなく、三重大学にあることを確認したのだが、夏休み中で開館時間が短くてどうしようかと思ったのだが、職場のルートで取り寄せられることがわかったので、結局は職場のルートで取り寄せて借りて読んだ、というより「目を通した」という表現の方がより正確である。
 著者のルートヴィヒ・フォン・ベルタランフィは既に1972年に亡くなっており、そのとき本書はまだ翻訳作業の途中であった。
 大雑把に理解したことは、「あらゆる現象を物理学的なものに還元して理解することには限界があるため、無生物・生物・精神過程・社会過程のいずれをも貫ぬく一般原理の同形性の根拠を究明し、連立微分方程式で記述したモデルに定式化して理解しようというのが『一般システム理論』の目的である」ということである。
 このような「一般システム理論」全体については学生時代に勉強したことはなかったが、この理論の特殊な場合については昆虫生態学の講義を聴いてちゃんと勉強していた。ただそれが、一般的なシステムとして記述できるなどということに思いもついていなかったということである。例えば、捕食者と被食者の増減関係をモデル化し、その増殖速度を表現した「ロトカ=ヴォルテラの方程式」がそうであるし、同じ生態学的要求を持つ複数の種が同所的に存在すると競争によって一方が排除されるため、他の環境要因などがない場合は安定的に共存することはないということを示した「ガウゼの法則(競争排除則)」もそうである。
 横山和成さんによれば、多様性を考えるにあたっても「一般システム理論」が役に立つだろう、ということなのだが、ざっと目を通したに過ぎない現在の段階では、具体的にどこにどのように応用したらいいのか、まだよくわからない。でも、還元的にモノを見ることだけが科学ではなく、そうではない方法でも科学ができますよ、というところが横山さんが言いたかったことなのかも知れないし、その点について「なるほど、こういう考え方もできるのか!」と感じたのは確かであるので、何かの役には立つのではないかと思う。
 それはそれとして、本書は1973年出版ということで、ボクがまだ中学生だった40年近く前に出版されていたわけであるから、当然その後、この理論に関する考察が進んでいることと思う。しかしながら、それがどの程度進んでいるのかは全くわからない。
 ネットで検索したら、驚くべきことに出版元にはまだ在庫があるみたいだけど、個人で買うにはちょっと躊躇する値段だな。

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2011年8月28日 (日)

池田清彦著『激変する核エネルギー環境』

池田清彦著『激変する核エネルギー環境』

ベスト新書 328
ISBN978-4-584-12328-7
762円+税
2011年5月5日発行
223 pp.

目次
はじめに
序章 福島原発事故で激変する日本のエネルギー政策
 福島原発事後は防げなかったものだったか/政府や東電の事故後の対応/放射能の本当の恐ろしさ/危機管理の設計思想/これからのエネルギー問題/日本はエネルギー大国になれるのに
第1章 温暖化問題より重要なエネルギー問題
 やがて尽きる資源を目前に明るい未来はない/根拠のない気球温暖化説にみんなが踊らされている/日本は世界一の省エネ先進国/国のムダな取り組みでエネルギー後進国に/もう簡単に手放せない潤沢な生活/排出権取引で血税が一兆円以上ドブに捨てられる
第2章 原子力発電を推進する危険性
 原子力依存でささやかれる放射能露出の恐ろしさ/放射能汚染のリスクを回避できるのか/二〇三〇年に原発の寿命が尽きる!/放射性廃棄物が無害化するまでに一〇〇万年/高速増殖炉が実現する可能性/原油代わりの原子力発電が世界的に急増する/立ちはだかる電力会社の壁/新エネルギー開発に電力会社子会社が参入
第3章 世界諸外国が行うエネルギー対策
 日本よりはるかにエネルギー政策で先行する海外勢/EU−ロシア依存から決別するための原子力復帰/ロシア−埋蔵資源を有効利用するエネルギー政策/ドイツ−日本も真似るべき「買電義務」/フランス−世界でトップクラスの原発依存/中国−次世代リーダーを目指す資源パラノイアの国/米国−多様な戦略でエネルギーを確保して脱・化石エネルギー
第4章 日本の新エネルギー開発の希望
 太陽光発電は諸外国より障害だらけ/技術開発が進める太陽光発電の普及/グリーン電力ビジネスは泥沼システム/地熱は優秀な自然エネルギーにもかかわらず無策/メタンハイドレートは日本の虎の子エネルギー/風力発電は台風が来ただけで故障する/水力発電は破綻寸前の地方自治体を救う/さまざまな新エネルギーの問題点
第5章 バイオマスや水素など、代替エネルギーの問題点
 安価なエネルギーが新エネルギーを追い払う/流行に流されない代替エネルギーの推進/バイオマス利用が進まぬ日本/水素エネルギー実現の壁は製造コストと取り扱い方/水素エネルギー実用化に必要なインフラの整備は実現できるか
第6章 エネルギー開発が抱えるほんとうの問題
 CO2を排出して新技術を開発することが本当のCO2削減につながる/ローカルな発電システムを普及させる/全体のバランスを考えたエネルギーの供給システムを/マクロな視点でエネルギー効率について考える/人口増加に追いつかない自然資源の供給/マスコミの報道する嘘の原発情報/エネルギーが増えると人工が増加するというジレンマ/理想的な社会を築くためのシステムの構築は可能か
あとがき

 序章は3月11日の震災と原発事故の後に新たに書き下ろされたものだが、第1章以降は2008年に発行された『ほんとうのエネルギー問題』を下敷きに大幅な修正を加えて読み易くしたものであると「はじめに」の部分に書かれている。したがって、第1章以降は原発事故が起こる前の考え方が書かれていると解釈しても良いと思われる。
 本書を読めば、著者の池田清彦氏が、基本的には原理主義的ではない脱・原発論者であり、原子力以外の代替エネルギーの開発をすべきだと主張していたことがわかる。原発事故が起こる前から先を見越した主張をしていたことは注目に値すると思う。
 強く主張されていることは、石油が使えるうちにいずれ枯渇することが明らかな石油に変わる代替エネルギーを、石油が使えるうちに開発すべきである、ということである。その代替エネルギーの選択肢に原子力は含まれていない。具体的にどの代替策が一番優れているかについての強い主張が述べられているわけではなく、それぞれの代替エネルギーの長所と短所についての考えと、それを政策としてとのように反映させていくかについての考え方がまとめられており、代替エネルギーの中では中小規模水力と地熱が効率の面で有利ではないかと述べられている。いずれにせよ、一つの方法に集約するのではなく、たくさんの手段を用意しておいた方が良いと述べられている。
 池田清彦氏は原子力の専門家でもなく、エネルギーの専門家でもない生物学者であるが、それゆえに(多少は細かい点で間違ったことも書かれているだろうが)考え方はマクロな生態学的視点に立っており、納得させられることが多い。人口問題をエネルギー問題を結びつけているところは、生態学を理解していない人には不可能であろうと思うが、これは正しい指摘だと思う。
 解り易く書かれているので、どんなところが原理的あるいは政治的にエネルギー問題のポイントなのかが、一般の人にも理解できるのではないかと思う。もちろん、問題が問題だけに、具体的な解決方法が書かれているわけではない。政策にも大いに関係しているので、中長期的な思考が必要でありながら目先のことしか見えていない官僚など、政策に影響力を持つ人にも読んでもらいたいものである。

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