地球環境

2014年3月21日 (金)

福岡伸一 著『ロハスの思考』

福岡伸一 著『ロハスの思考』

木楽舎
ISBN4-907818-71-8
762円+税
2006年5月20日発行
253 pp.

目次
はじめに
○ロハスの思考○勉強をしよう
ロハスの思考の基礎知識
○酸化と還元○ワンガリ・マータイさん(2004年ノーベル平和賞受賞者)のこと○ルシャトリエの法則○平衡を乱す操作○食べることの意味○狂牛病が問いかけたもの○エネルギーとエントロピーの原則○流れの思考○生命の新しくて古い定義○小さな生命系のサスティナビリティ○情報受容レセプターの感度を上げよう○五感のレセプター○環境問題を懐疑的に考える
懐かしい言葉を探そう
○時間その1クローン○時間その2進化○時間その3万博○時間その4加速○時間その5リスク
食について考える
○何を食べるか?○脳細胞の求めるものについて○水について考える○水をめぐるキーワード○ロハスな水をどう選ぶか○東京の水○雑穀の科学、あるいは雑穀のリアリティ○食育のための5つのキーワード○ロハス的食育5つの提案○食の未来と見えないプロセス
トーク・ウィズ
○坂本龍一○ヨーヨー・マ○レスター・ブラウン○モーガン・スパーロック○田中康夫
あとがきにかえて

「ロハス」という言葉も最近はあまり聞かなくなってしまったが、「ロハス」に関する本を読んだことがなかったので読んでみた。
「ロハス」とは、Lifestyles Of Health And Sustainabilityの頭文字をとった言葉である、ということである。Sustainableであることは大切なことであると思っているので、共感できる。
ざっと読んでみて、全体的に共感できる部分は多いのであるが、何か変だな、と思う部分が無いわけもない。例えば、PETボトル入りの水のこと。よくわからないけど、PETボトル自体Sustainableではないような気がする。

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2013年11月24日 (日)

川道美枝子・岩槻邦男・堂本暁子 編『移入・外来・侵入種』

川道美枝子・岩槻邦男・堂本暁子 編『移入・外来・侵入種−生物多様性を脅かすもの』

築地書館
ISBN4-8067-1234-5
2,800円+税
2001年12月25日発行
321 pp.

目次
まえがき(岩槻邦男)
1 生物多様性はなぜ守られなければならないか−移入種問題の視点から(堂本暁子)
2 移入種、何が問題なのか(川道美枝子)
3 世界自然保護連合(IUCN)の侵略的な外来種に対する取り組み(M・デポーター、M・クラウト)
4 二一世紀の植物相と移入種(デビッド・ビッフォード)
5 侵入する水生植物(角野康郎)
6 昆虫の世界で起こっていること(森本信生)
7 魚類における外来種問題
8 両生爬虫類の世界で起こっていること(太田英利)
9 絶滅か分布拡大か−鳥たちの明日(竹下信雄)
10 移入哺乳類はどこまで世界を変えたか(川道武男)
11 法律による移入種からの防衛(高橋満彦)
12 水際で病害虫の侵入を防ぐ
植物検疫の現状(森本信生)
動物検疫の現状(川道美枝子)
13 日本は現状の防疫対策で狂犬病の再発を防げるのか(源 宣之)
14 水際の防衛、危険予測は可能か(小池文人)
15 移入生物とわが国の生態系保全(岩槻邦男)
コラム
・輸入牧草や穀物がもたらす非意図的導入(黒川俊二)
・貝類の世界で起きている異変(中井克樹)
・ノヤギ、マングース、アライグマ、タイワンザルの現状(常田邦彦)
・ニュージーランド・検疫犬の活躍(川道美枝子)
用語解説
あとがき
資料・世界の外来侵入種ワースト100
種名索引
事項索引

 生物多様性に関する理解がまだ足りないので、いろいろな本を読んでいろいろな考え方があることを知りたいと思っている。本書は2001年と出版年がやや古いが、生物多様性と外来種の問題は深く関連しているので読んでみることにした。
 ボクは「外来種によって在来種が駆逐されてしまうことがどのように問題なのか」ということを第三者を納得させることができない。ボク自身は外来種はいない方が良いと思っているし、これ以上外来種が増えて欲しくないと思っていることは、最初に書いておきたい。
 外来種が入ってきて在来種を駆逐してしまうということは、生態系の中である在来種は占めていた地位がある外来種と入れ替わってしまうことだと理解して良いと思う。そのことで何か「人間にとって」都合が悪いことがあれば、それは問題として認識され、それなりの対策がとられることになると思うが、そうでなければ気付かずに済んでしまうかも知れない。要するに、生態系としてそれまでどおりに機能していれば、問題にはならないのではないかと思う。
 生態系のバランスが崩れることによって、ある特定の種の個体数が異常に増えたりすることは、何も外来種だけに関係することではない。もちろん、そのような現象は外来種の方が目立つのは確かだと思う。ここ数年のこと、青森県の落葉樹林でアカシジミというかわいらしい在来種の蝶が異常なほど多数発生していることは愛好家の間ではよく知られている。生物の異常発生という観点から、このアカシジミの大量発生はまさに滅多にない出来事だと思うが、これを問題だと捉えている人はいないと思う。これはアカシジミが在来種だからというわけではなく、経済的にはほとんど価値がない種だからということなのだろうと思う。ニホンザルやニホンジカなどが問題にされているのは、経済的な被害が発生しているからである。
 本書を十分に納得できないままずっと読み進めていたが、最後の岩槻氏が「・・・100万年単位の種形成を基本に進む自然の進化にはマイナスの要因を抱え込んでいると論じても、今日の経済的な功罪でしか物事を判断できない現代人には夢を食うような話にしか聞こえないようである。実際は、孫子の世代まで生物多様性を持続的に利用しようとすれば、生物多様性の総体の未来を予測しなければならないのに、そのような話は現実離れしていると、現実を直視しない人たちが一蹴してしまう。だから、移入種の問題を論じる場合も、今すぐ死ぬ、今すぐ資源が枯渇するというような、大袈裟な話を持ち出さないと聞いてもらえないのである。」と書いている文章に出くわして、環境保全の問題が理解されていない理由がわかっていないわけではないことがわかった。伝染病の問題を出す事は「脅し」になるとボクは感じていたので、科学的な態度ではないと思っていたが、そこまでしなければ理解されない世の中は「どうしようもない」ところまで来ているようにも思える。「脅し」と「騙し」が横行する世の中は嫌なものだ。
 最後まで読んでこの本の印象がちょっと変わったが、本書は読む価値がある本だと思えた。ただし、「移入・外来・侵入種」という言葉自体もひとつの「脅し文句」だと思う。移入・外来・侵入種に限らず、生態系のバランスを崩すことすべてが問題だと思うから。

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2012年10月20日 (土)

高桑正敏(2012)『日本の昆虫における外来種問題(3)外来種と偶産種をめぐって』

高桑正敏(2012)『日本の昆虫における外来種問題(3)外来種と偶産種をめぐって』
月刊むし (501): 36-42 pp. (2012年11月号)

 「月刊むし」に連載されている、高桑正敏氏による「日本の昆虫における外来種問題」の3編目である。これまでの2編を読んで、高桑氏が考える「外来種」の概念については違和感を感じていたが、本編では高桑氏によって外来種の定義について論じられているので、ボクなりの感想を書き遺しておきたいと思った。
 高桑氏は、外来種を人為的な移動によるものか自然の営為による移動によるものであるかを区別しようとしている。しかし、生物の移動が、移動の記録が残っているものを除けば、人為的なものであるか自然の営為によるものであるかを識別するのは極めて困難であることを、高桑氏が本編中で認めているにもかかわらず、あくまで外来種を「人為的なものであるか、自然の営為によるものであるか」に基づいて定義しようとしているため、論理的に破綻していると思う。
 本編の註として、高桑氏によるこの考え方が池田清彦氏の『生物多様性を考える』(中公選書, 2012年)の中で糾弾されていると書かれているにも関わらず、それに対する反論にはなりえていないように感じられた。
 自然史の研究からは人為的な影響を排除すべきである、という高桑氏の考え方には理解できないことは無いが、そもそも、われわれが今暮らしている環境には、人為的な影響が全くない場所は、もしあるとすれば人跡未踏の地のみであり、われわれ人間が少しでも足を踏み入れた場所は、人為的な影響を受けているはずである。つまり、人間が自然史を研究しようとした場合に、人為的な影響を完全に排除することは不可能であるため、ある生物種の分布や生態を論じる場合に、人為的であるかどうかに重きをおくことは、大きな実りのあることではないと思われる。
 本編の中で例としてあげられているクロマダラソテツシジミやムラサキツバメが、人為的に植栽された植物を餌として、それらの植物の本来の分布地を離れた場所で発生することについて、「人為的であるか自然の営為であるか」を議論しているが、無駄なことであると思う。
 既にわれわれは、高桑氏の言わんとする「本来の自然」を知ることは不可能であるから、その生物の分布が「人為的であるか自然の営為であるか」を議論することは論理的にはなりえないと思う。
 生物は本来、人為的であるかどうかにかかわらず、移動する性質を持っている。分布も固定的なものではなく、時間とともに変動するものである。その変動が「人為的であるか自然の営為であるか」にこだわって「外来種と考えるかどうか」を考えるのではなく、ある生物が「どんなメカニズムで移動したのか」を追求する方が「科学的」と言えるのではないだろうか?
 とにかく、高桑氏は「本来の分布」が存在するという古い凝り固まった概念に囚われすぎていると思う。生物は移動するのだから、「本来の分布」など定義できるはずがない。

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2012年7月 5日 (木)

井田徹治著『生物多様性とは何か?』

井田徹治著『生物多様性とは何か?』

岩波新書(新赤版)1257
ISBN978-4-00-431257-4
720円+税
2010年6月18日発行
ix+224+2 pp.

目次
はじめに
第1章 生物が支える人の暮らし
 1 破れてわかる命のネットワーク
 2 生態系サービスという見方
 3 生物多様性の経済学
 コラム/サメとナマコの危機
第2章 生命史上最大の危機
 1 増える「レッドリスト」
 2 地球史上第六の大絶滅
 3 生態系の未来
 4 里山−日本の生物多様性保全の鍵
 コラム/侵略的外来種
第3章 世界のホットスポットを歩く
 1 ホットスポットとは
 2 開発と生物多様性−マダガスカル
 3 南回帰線のサンゴ礁−ニューカレドニア
 4 農地化が脅かす生物多様性−ブラジルのセラード
 5 大河が支えた生物多様性−インドシナ半島
 6 日本人が知らない日本
 コラム/地球温暖化と生物多様性
第4章 保護から再生へ
 1 漁民が作った海洋保護区−漁業と保全の両立
 2 森の中のカカオ畑−アグロフォレストリー
 3 森を守って温暖化防止
 4 種を絶滅から救う−人工繁殖と野生復帰
 5 自然は復元できるか
 コラム。種子バンク
第5章 利益を分け合う−条約とビジネス
 1 生物多様性条約への道のり
 2 ビジネスと生物多様性
 コラム/ゴリラと「森の肉」
終章 自然との関係を取り戻す
参考文献

 表題は『生物多様性とは何か?』であるが、最後まで読み通してみても、本書には「生物多様性」という言葉の定義すら書かれていなかった。ただひたすら、「いま地球環境が破壊されつつあって『生物多様性』がなくなると困ったことになりますよ」ということについて、様々な例が羅列されているだけである。本書に書かれている『生物多様性』という言葉は様々な意味で使われていると解釈でき、そのまま『生態系』と良い変えてよさそうな箇所もあれば、『自然』と言い換えてよさそうな箇所もある。『生物多様性』というタームが一義的に使用されていないため、理解の妨げになっていのではないかとも思われる。
 だから『生物多様性とは何か?』という表題に惑わされて、本書に本当に『生物多様性とは何か?』が書かれていると思ったら、とんでもない「はぐらかし」を食わされたと感じられるはずである。本書を読んでも、けっきょく『生物多様性ってなんだろう?』という疑問が残るだけではないかと思われる。
 これはボクが「生物多様性」という表題がつけられた様々な本をこれまでに読んできたから以上のように理解できるのであって、『生物多様性』に関する予備知識が何もない人が本書を読んだところで、『生物多様性とは何であるか』は到底理解できないであろう。文字通りの意味で『生物多様性とは何か?』を理解するためには、ボクがこれまで読んだ本の中では池田清彦著『生物多様性を考える』(中公選書)がもっとも適しているように思われる。
 本書に以上のような欠陥があると思われるが、本書の中で主張されていることは、基本的に違和感はないと感じられた。ただし、『生物多様性』という概念が、決して科学的なものではなく、あくまで政治的なものであると書かれていないのは、説明不足であるか、あるいは著者自身が本当に気付いていないかのどちらかであると思う。
 いずれにせよ、本書に書かれていることは「地球環境のバランスが崩れると様々な不都合が起こることが予想され、それを未然に防ぐためには、ここに書かれているような対策が考えられますよ」ということであるので、『生物多様性とは何か?』という表題は全く不適切であり『地球環境のバランスを崩さないために我々ができること』(例)のような表題が適切であると思われた。さらに言えば『生物多様性』という言葉も無理に使われているような箇所も多いので、もっと適切な別の言葉で言い換えた方が、著者の主張が理解し易くなるのではないかとも思われた。

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2012年6月17日 (日)

日高敏隆編『生物多様性はなぜ大切か?』

日高敏隆編『生物多様性はなぜ大切か?』

地球研叢書
ISBN4-8112-0506-9
2,300円+税
2005年4月20日発行
183 pp.

目次
まえがき
第1章 生物多様性とはなんだろう?……中静 透
 はじめに/生物多様性問題とは?/生物多様性は減っているのか?/なぜ生物多様性が大切なのか?/生物多様性がとくに重要な役割をはたす生態系サービス/なぜ生物多様性問題はむずかしいのか?/おわりに
第2章 「雑食動物」人間……日高敏隆
 人間にとって生物多様性は?/何から栄養をとるか?/草食動物の苦労/肉食動物/人間はそのどちらでもない/雑食は日和見か?/食物としての生物多様性
第3章 遺伝子からみた多様性と人間の特徴……川本 芳
 遺伝的多様性/遺伝的多様性からみた人間の特性/人間と類人猿の遺伝的多様性のちがい
第4章 文化の多様性は必要か?……内山純蔵
 なぜ多様な文化があるのか?/さまざまな解釈/先史時代の生活からみてみよう/未来のための多様性
第5章 生活のなかの多様性……佐藤洋一郎
 はじめに/食の生物多様性/人体とその周辺に起きていること/生活空間のなかの生物多様性/しのびよる危機/衣食住に多様性を−どうすれば多様性は守れるか?

 本書は2005年の出版であり、名古屋でCOP10が開催された5年も前に出版されたものなので、そのあたりを割り引いて評価しなければいけないかも知れない。COP10でもっとも重要な議題になったのは、遺伝資源から得られる利益を原産国と開発国の間でどのように配分するか、ということであり、すぐれて政治的な問題であるが、本書ではその点についてはほとんど触れられていない。
 第1章。生物多様性とは何か、という根本的な疑問に対する言及であるが、著者である中静氏は、「生物多様性」というタームを「生物多様性」という概念そのものと「生物多様性が高いこと」の両方に使用しているので、説明しようとしていることが曖昧に感じられた。また、「わかっていないことが多い」ということを繰り返し述べていて、やはり「生物多様性とは何か」を明快に理解できるようにはなっていない。書いている本人も、やはりよく理解しきれていないのではないかと思った。
 第2章。2009年に亡くなった日高先生は動物行動学がご専門である。人間をひとつの雑食動物として捉え、さまざまな生き物がいることが必要であることを説いている。しかし、「生物多様性はなぜ大切か?」という問いに対する回答としては、いまひとつ説得力が弱いのではないかと感じた。
 第3章。ヒトの遺伝的多様性について説いているが、やはり「生物多様性はなぜ大切か?」という問いに対する回答としては物足りないものを感じた。
 第4章。生物多様性を論じるにあたり、あまり語られない文化の多様性について説いている。ヒトが生き延びるにあたり、文化的にも多様性が高い方が望ましいと説いている。視点としては面白いと思うが、やはり「生物多様性はなぜ大切か?」という問いに対する回答としては何となく物足りなさを感じた。
 第5章。ヒトの生活のなかでの生物多様性について説いている。ヒトの安定的な生活のためには生物多様性が低いと様々な不都合が起こることをいろいろ例示しているが、今の時点での考え方からみると、あまり目新しいものはなく、物足りなさを感じた。
 全体的に「生物多様性が高いことは望ましいことである」という論調であるが、「生物多様性とな何か?」という根本的な点について掘り下げられていないので、物足りなさを感じることが多かった。出版された年代(2005年)ということを考えてみると、まだ今ほど「生物多様性」という言葉が一般的ではなかったので、この程度のことでも仕方がなかったと思わなければいけないのかも知れない。
 決して悪書ではないが、だからと言って、いま読んでもそれほど新しい視点がなく、政治的な視点について全く触れられていないので、必読の書とは言えないように思える。

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2012年6月13日 (水)

池田清彦・養老孟司著『ほんとうの復興』

池田清彦・養老孟司著『ほんとうの復興』

新潮社
ISBN978-4-810-423108-9
1,000円+税
2011年6月25日発行
170 pp.

目次
I 自然とわれわれ(養老孟司)
 自然の大災害にしばしば出会う分か/目の前にあるのは「解答」である/根本はエネルギー依存/問題の「政治化」が安全性への軽視を生む/戦後日本の自然破壊の総決算
II 大地震・大津波・原発事故から見えたこと(池田清彦×養老孟司)
一 天災と日本人
 震災をきっかけに生き方を考える/「津波てんでんこ」の言い伝え/生き残りの心理/「一律」の陥穽/効率の良さとセキュリティ/首都東京が震災に見舞われたら/疎開先をもつ/都会と田舎/日本の再構築/自然に組み込まれている「攪乱」/ローカリティとグローバリゼーション/関東大震災と軍国主義化
二 原発事故という人災を引き起こしたもの
 発電所に電気が通らない皮肉/なぜ無責任な体制になるのか/安全対策を阻害したもの/現場と司令側の乖離/本気の度合い/高レベル放射性廃棄物の規制期間は百万年!?/原発事故の歴史と、“事故隠し”の歴史/福島第一原発周辺の土地は今後どうなるのか
三 大震災後の世界
 原発の効率/原発問題と大学入試/エネルギーと現代社会/新エネルギーの可能性と考え方/電力供給を分散型に/エネルギー依存の構造はどこまで変わるか/事故の検証はどうなるか/「居心地」の再発見/将来を考える仕組み
III エネルギーが将来を決める(池田清彦)
 「原発は最も安全」という主張/原発停止に向かう合理的な選択/原発による利益と損失/ネルギー利用の短期・中期・長期的な戦略を/風力発電は日本には向かない/補助金なしでは成り立たないのが現状の太陽光発電/日本の自然条件にフィットしているのは地熱発電だが……/小水力発電のメリットとデメリット/日本で唯一有力なバイオエネルギーは藻類/海洋発電の可能性と、それら自然エネルギーの限界性/石炭は自前のエネルギー源となるか/日本近海は世界有数のメタンハイドレート埋蔵域/未来は新エネルギー開発がどうなるかにかかっている

 『ほんとうの環境問題』(2008)『正義で地球は救えない』(2008)に続く池田清彦氏と養老孟司氏の対談本である。東日本大震災が起こって急遽企画されたのではないかと推察される。出版後すぐに読もうと思っていたが、津市津図書館にリクエストをするのを忘れていて、最近たまたま三重県立図書館で発見したので借りてきた。
 大震災が起こったあとでも、池田氏も養老氏も、人間の身の丈に合った暮らしぶりをするのが望ましいという考え方であると思われ、震災以前の著書で語られてたのとは基本的なスタンスはほとんど変わっていないように思われた。
 池田氏は脱原発が望ましいが脱原発原理主義は望ましくないと考えており、「III エネルギーが将来を決める」では原子力や石油以外のエネルギーについて考察している。ここに書かれていることはどこかで読んだことがあるので、『正義で地球は救えない』あたりに書かれていたのかも知れない。そうだとすれば、震災以前に様々なエネルギーについて考察していたということで先見性があると思う。
 東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故の問題は、まだまだ片付きそうにない問題であるが、本書には、復興に際して何をしたらいいのかが自然を自然として捉えて様々な考え方が書かれており、役に立ちそうなことも多く書かれているので一読の価値はあると思う。

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2012年6月11日 (月)

池田清彦著『生物多様性を考える』

池田清彦著『生物多様性を考える』

中公選書
ISBN978-4-12-110009-2
1,300円+税
2012年3月10日発行
214 pp.

目次
はじめに
第一章 生物多様性とは何か
 ローゼンの提唱/プロパガンダのためのキャッチコピー/生物多様性一般は科学的に記述できない/自然をコントロールしたいという欲望/三つの概念
1.種多様性
 アーウィンの推定/種とは何か/異所的種分岐への疑問/種が融合しない場合/無性種という存在/同所的種形成の例/グループによる種数のばらつき/衰退していくグループ/多様性の極点に達した現在/カンブリア紀以降、新しい門は創設されていない/複雑化したシステムは単純になるのが難しい/アトラクタの数と安定性
2.遺伝的多様性
 アイルランドの大飢饉/単為生殖だけで生き続けている分類群/遺伝的多様性は種の歴史と生態の繁栄/亜種を考える/遺伝子組み換え作物の問題
3.生態系多様性
 生産者、消費者、分解者/シアノバクテリアの登場/カンブリア大爆発/恒常力、抵抗力、復元力/オーストラリアと日本、海と陸上/日本におけるアゲハチョウの分布/異なる出自をもつチョウたちの共存/小笠原諸島の固有種/オーストラリア五生物地理区の蝶相/里山によって増す生態系多様性/種の多様性を決めるもの/マッカーサーとウィルソンの仮説/南米大陸と北米大陸の哺乳類たちの交流/なぜ熱帯の種多様性は高いのか/能動的適応
第二章 生物多様性の保全とは何か
 保全論が抱く“都合のよさ”/どれを優先するかにつきまとう“好み”の問題/人間非中心主義と人間中心主義/リベット論のウソ/野生のトキを復活させる。これはすばらしいことなのか/生息地の保護がとりわけ重要/ヨナグニマルバネクワガタの事例/偶然の僥倖をあてにしてはいけない/人間による関係改変がすべての種にとって悪いわけではない/栽培種ならよく野生種はタメ、は暴論/10万キロ車を走らせると100万頭の昆虫を殺すことになる/一夜にして失踪するミツバチ/林道は舗装しないほうがいい/キーストーン種とアンブレラ種/持続可能な範囲での捕獲は問題ない/遺伝子汚染論を批判する/交雑が怒れば、絶滅確率は減る/トキの二の舞?/あちらを立てればこちらは立たず/外来生物の定義に“正しさ”求めるのは無意味だ/イネは日本の自然史上最悪の外来生物?/ホソオチョウとアカボシゴマダラの場合/礼文島の自生ラン/おいしい料理の材料になれば……/在来生物にとって救いの神となった「要注意外来生物」食物連鎖の中に組み込まれた外来生物/小笠原で最も目立つ外来生物三種/観光客とともに外来生物も増加/里山を残すのは人間のため?/里山の手入れをどうするのか/34の生物多様性ホットスポット/ヤスニIIT計画/生態系の中の異質性<1.海岸線や湖岸、川岸の保全 2.都市公園等の管理された人工生態系における立枯れ等の放置 3.小規模の湿地環境を維持すること>/野生生物が大増殖した場合/人為的な関与は必要だ
第三章 生物多様性と国際政治
 ラムサール条約/CITESは種の保護のための条約/政治に翻弄される締約国会議/CITESと昆虫/エスノセントリズムの害/生物多様性条約/遺伝子組み換え生物/過度に喧伝された危険性/何千年にわたる先人たちの賜であるはず/ターミネーター遺伝子とABS問題/開発の免罪符となり得る生物多様性オフセット/なさけない、しかし本当のことである結論
おわりに

 三重県立図書館にリクエストしたら、「本館では3月に本書を購入しないと判断したので、他館から借ります」という返事をもらい、届いた本を見てみたら名張市立図書館の蔵書だった。
 本書には武田邦彦著『生物多様性のウソ』のように、「『生物多様性』なんていうのは政治的なもので科学的にはいいかげんなものだから深く考える必要はありませんよ」ということが書かれているわけでもなく、多くの「生物多様性」という主題について書かれている本のように「よくわからないけど、とにかく『生物多様性』は大切だから守りましょうね」ということが書かれているわけでもなく、「『生物多様性』とは何か」ということを、その起源に遡って考え直してみよう」というスタンスで書かれているところが、「生物多様性」について書かれている他書と異なり好感が持てる。
 書かれている内容については、目次を見ていただくだけでかなりのことがわかるのではないかと思う。
 本書では「種とは何か」という根源的な問いから始まって、一般に言われている生物多様性の三つのレベル、すなわち「種多様性」、「遺伝的多様性」、「生態系多様性」について、かなり深いところまで、しかし一般の人にも分かり易く考察されている。また、生物や生態系の保全『生物多様性』の政治的な側面についても幅広く解説されている。
 ボク自身もそうであったが、「生物多様性」というのは、科学的に説明し難いだけでなく、自分の頭で整理して考えるのも難しい概念であった。しかしここで、「生物多様性一般は科学的に記述できない」と断言されてしまうと、自分が科学的に理解しようとしていたのが徒労であることがわかり、自分が理解できないのが当然であったのにも納得できる。
 ここに書かれている生物進化に関することは、池田氏や去年亡くなった柴谷篤弘氏が主張している(一般的には主流ではない)構造主義生物学的な考え方(ネオダーウィニズムでは「『種』は実在しない」ということになるのに対して、構造主義生物学的な考え方では「『種』は実在する」ということになる)が前面に出ており、ネオダーウィニズム一辺倒の生物進化に関する理解しかしていないと、少々納得しづらいところがあるかも知れない。
 それはともかく、本書では「生物多様性」が科学的な命題ではなくすぐれて政治的な問題であり、環境保護原理主義や外来種排除原理主義を鋭く批判し、現実的な考え方で(莫大な税金を使って中国から導入したトキを増殖することに対しては批判的であるし、コストとかけたコストから得られる利益との関係を考慮して)種なり遺伝子なり生態系なりを保全しようという考え方が主張されており(池田氏は基本的には環境は大きく変わらないのが望ましいと考えている)、多くの人に対して説得力を持つのではないかと思われた。
 さて、本書には多くの書籍なり論文なりが引用されているが、文献リストがないのは不便である。一般向きの書籍とは言え、文献リストを付けて欲しいものである。
 引用されている文献として、池田氏の著書『「進化論」を書き換える』も構造主義生物学的な考え方をより深く理解するために読まなければいけないかも知れない。
 とまれ、本書は「『生物多様性』とは何か」という点について総括的に解説されているので、三重県立図書館にも蔵書していただきたいものだと思った。

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2012年5月28日 (月)

ピーター・ラウファー著『蝶コレクターの黒い欲望』

ピーター・ラウファー著(寺西のぶ子訳)『蝶コレクターの黒い欲望−乱獲と密売はいかに自然を破壊したか?』
The Dangerous World of Butterflies 2009 by Peter Laufer

河出書房新社
ISBN978-4-309-20546-5
1,900円+税
2010年8月30日発行
312 pp.

目次
はじめに−どこまでも平和を求めて
第1章 ニカラグアへ出発
第2章 蝶を自由に飛ばせる純粋主義者
第3章 放蝶は悪か?
第4章 蝶を愛する人々
第5章 オオカバマダラの大移動
第6章 世界一のお尋ね者蝶密売人を追いかけて
第7章 命知らずの蝶ハンター
第8章 蝶の保護か国家安全保障か
第9章 芸術と蝶
第10章 創造論か進化論か
第11章 蝶の復活
おわりに
謝辞
訳者あとがき
原註

 本書も三重県立図書館で見つけて読んだ。
 原書の表題はそういうわけではないが、訳書は「蝶を採集して集めることがいかに悪いことであるか」ということを喧伝するような表題である。中身を読んでみると、この表題は本書の内容のごく一部を表しているにすぎず、極めて不適切だと思われた。原書の表題の方が(当たり前のことであるが)適切であるように思われた。
 本書の著者はジャーナリストであり、蝶をとりまく様々な問題についてジャーナリストの視点で取材をして問題を提起している。著者はアメリカ人であり、本書で扱われているのはアメリカでの問題が主に扱われているが、日本での問題と共通する部分もいくつかある。
 原著で書かれていることが正しく翻訳されているかどうか疑問な点もあるが、どうも本書の訳者は、蝶の問題を表面的にしか捉えていない感じで、蝶を保護する問題と環境を保全する問題との関係などを正しく認識できていないように思えた。
 そのような問題もあるが、蝶にまつわる様々な問題や、蝶というモノに対する認識が、アメリカではどうなのか、ということを窺い知ることができるので、本書を読む価値はあると思われた。

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2012年5月19日 (土)

岩合光昭どうぶつ写真展@四日市市立博物館(2012年5月19日)

20120519blog1
 四日市に所用があったので、四日市市立博物館で開催されている特別展「岩合光昭どうぶつ写真展」を見てきた。岩合さんの写真は以前から好きだったが、写真展を見るのは今回が初めてである。
 展示されている写真の、本来は写真の題名が書かれているはずの場所には、題名も解説も書かれておらず、その代わりに岩合さんの「自然の動植物の繋がりが大切ですよ」というメッセージが書かれていた。動物の写真を通して生物多様性を維持することの大切さを訴えているような感じである。
 会期は6月24日まで。一般700円、大学生・高校生500円、中学生以下無料。かなりお勧めである。常設展は入場無料だが、それはイマイチであった。

 ところで、ここに行く前に昼食をとったわけだが、四日市と言えば「トンテキ」である。入ったのは近鉄四日市駅の近くの中華料理屋「一楽」。ランチタイムでトンテキ定食が1,050円であった。なかなか美味しかった。
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【2012年5月20日追記】
四日市市立博物館は「博物館」という名前がついているものの、自然科学系はプラネタリウムと地学系がわずかにあるだけである。博物学の王道とも言える動植物については全く展示がない。ボクが四日市市立博物館に魅力を感じなかったのは、このあたりに原因があると思う。

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2012年2月 6日 (月)

福岡伸一著『動的平衡2』

福岡伸一著『動的平衡2 生命は自由になれるのか』
木楽舎
ISBN978-4-86324-044-5
1524円+税
2011年12月7日発行
254 pp.

目次
美は、動的な平衡に宿る−まえがきにかえて
第1章 「自由であれ」という命令−遺伝子は生命の楽譜にすぎない
 生命体は遺伝子の乗り物か/働きアリにみる「パレートの法則」/ホモ・ルーデンスがロボット機械か/サブシステムは自然選択の対象にならない/生命の律動こそ音楽の起源/演奏家それぞれの「変奏曲」/生命を動かしている遺伝子以外の何か/遺伝子は音楽における楽譜/卵環境は子孫に受け継がれる
第2章 なぜ、多様性が必要か−「分際」を知ることが長持ちの秘訣
 子孫を残せないソメイヨシノ/植物は不死である/進化で重要なのは「負ける」こと/センス・オブ・ワンダーを追いかけて/なぜ、蝶は頑ななまでに食性を守るか/動的だからこそ、恒常性が保たれる/多様性が動的平衡の強靭さを支えている
第3章 植物が動物になった日−動物の必須アミノ酸は何を意味しているか
 なぜ食べ続けなければならないか/なぜ、動物が誕生したか/グルタミン酸においしさを感じる理由/「うま味」を探り当てた日本人/地球を支配しているのはトウモロコシ/アミノ酸の桶の理論/運動、老化にはBCAAが効果的/窒素固定のプロセスは細菌が担っていた/Cの時代からNの時代へ
第4章 時間を停めて何が見えるか−世界のあらゆる要素は繋がりあっている
 昆虫少年の夢/日本最大の甲虫ヤンバルテナガコガネ/ファーブルの言明/人間は時間を止めようとする/この世界に因果関係は存在しない
第5章 バイオテクノロジーの恩人−大腸菌の驚くべき遺伝子交換能力
 タンパク質研究の最大の困難/大腸菌が遺伝子組み換え技術を可能に/大腸菌とヒトの共生/風土に合ったものを食べる知恵/大腸菌の驚くべきパワー/細菌たちのリベンジ/遺伝情報を水平伝達するプラスミッド
第6章 生命は宇宙からやって来たか−パンスペルミア説の根拠
 地球外生命体の証し/DNAが先かタンパク質が先か/チェック博士のRNAワールド/「生命誕生までに八億年」はあまりにも短い/パンスペルミア説
第7章 ヒトフェロモンを探して−異性を惹き付ける物質とその感知器官
 ファーブルが探した誘引物質/ブーテナントとシェーンハイマー/なぜ「生理は伝染る」か/ヒトにもあるフェロモン感知器官/フェロモン香水を作った人たち
第8章 遺伝は本当に遺伝子の仕業か?−エピジェネティックスが開く遺伝学の新時代
 トリプレット暗号とは何か/なぜ、生命の起源は単一だと言えるか/生命は不変ではなく、動的なものだ/ダーウィンの予言/遺伝子以外によっても遺伝現象は生じる/ヒトとチンパンジーの違い/遺伝の鍵を握っているマターナルRNA
第9章 木を見て森を見ず−私たちは錯覚に陥っていないか
 花粉症は、薬では治らない/生命は水でエントロピーを捨てている/達成できそうにないCO2削減目標/排出権取引の胡乱さ/相関性と因果性は異なる/DNAの傷にどんな意味があるか/生命現象からシステムを学ぶ/常に分解していることの大切さ/細胞は相互補完的に役割を決める
生命よ、自由であれ−あとがきにかえて

 2009年に出版された『動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』の続編になるエッセイ集である。「世界は止まることなく動いている」という自然観から生まれた「動的平衡」という言葉であるが、その自然観に基づいた福岡氏の考え方が綴られている。還元論一辺倒ではない自然観には親しみを感じる。
 全体的には良い本だと思ったのだが、明らかな間違いも書かれており、残念である。
 まず最初はカゲロウの写真。33ページの「口を捨てたカゲロウ」として紹介されている写真に写っているのはカゲロウではなくクサカゲロウである。カゲロウは蜉蝣目(Ephemeroptera)であるしクサカゲロウは脈翅目(Neuroptera)であるから全く別の昆虫である。クサカゲロウには立派な大顎がある。
 次には50ページに書かれているドーキンスの「ミーム」の説明が明らかに間違っている。「ミーム」を"meam"と書いてあるが、正しくは"meme"である。だから、「意味」の"mean"にかけてある、と書いてあるのも当然間違っていて、「遺伝子」の"gene"にかけて"meme"とした、というのが正しい。ドーキンスの「利己的な遺伝子(生物=生存機械論)」は福岡氏が学部の学生の頃に邦訳が出たが、実はそのころには福岡氏は読んでいなかったのではないかと思える。そうでなければ、こんな間違いを書くはずもないと思うのだが。
 と、まあ、間違いも目についてしまったが、たいへん読み易く、全体的に見れば良書だと思う。書かれている内容は、目次を見ていただければだいたい想像できると思う。

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