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2013年3月17日 (日)

平川克美 著『移行期的混乱 経済成長神話の終わり』

平川克美 著『移行期的混乱 経済成長神話の終わり』

筑摩書房
ISBN978-4-480-86404-8
1,600円+税
2010年9月10日発行
262 pp.

目次
第1章 百年単位の時間軸で時代の転換期を読み解く
第2章 「義」のために働いた日本人 60年安保と高度経済成長の時代
第3章 消費時代の幕開け 一億総中流の時代
第4章 金銭一元的な価値観への収斂 グローバリズムの跋扈
第5章 移行期的混乱 経済合理性の及ばない時代へ
終章 未来を語るときの方法について
付録 「右下がり時代」の労働哲学 鷲田清一×平川克美
むすびにかえて

 下がらないはずだった公務員の給与が下がり始め、公務員準拠の給料をもらっている自分としても、経済の縮小を肌で感じないわけにはいかない時代になってきた。政治は与野党にかかわりなく、どの政党も未だに経済の拡大を叫んでいるだけである。ボクは直感的に、経済の拡大路線には無理があると感じており、これからの時代は経済の成長がなくても国民が幸せを感じることができるような政策が必要だと感じていた。しかし、このような考え方は異端として見られ、誰も相手にしてくれなかった。そのような中で、H県農業技術センターのHさんのfacebookへの書き込みでHさんが本書を読んでいることを知った。表題に惹かれ、早速図書館で借りてきて読んだ。
 本書の最も重要な主張は次の指摘である。『経団連をはじめとする財界が「政府に成長戦略がないのが問題」といい、自民党が「民主党には成長戦略がない」といい、民主党が「わが党の成長戦略」というように口を揃えるが、成長戦略がないことが日本の喫緊の問題かどうかを吟味する発言はない。
「日本には成長戦略がないのが問題」ということに対して、わたしはこう言いたいと思う。
問題なのは、成長戦略がないことではない、成長しなくてもやっていけるための戦略がないことが問題なのだと。』
(p. 140〜141)
 本書は「労働の意味」や「社会構造」の変遷を読み解き、2006年以来、日本がかつて経験しなかった「人口の減少」の意味を考え、著者は上のような主張に至ったと考えられる。ボクは本書を読む前から日本の人口の減少については無視できないことだと考えており、単に「これから日本は人口が減っていくのだから経済が縮小するのは当たり前で、縮小する経済に対してソフトランディングするための政策が必要だ」と考えていた。人口減少については「日本の人口が減少しているのは資源エネルギー的に限界に達したからである」と考えていた。著者の考え方は、日本の人口が減少してきたのは民主化の中での社会構造の変化の結果として必然であると考えるべきだ、ということであるが、これはボクの考えが及ばなかったところだった。前の民主党政権にしても今の自民党政権にしても、日本の人口の減少を解決すべき問題だとしているが、政治家も経済学者も誰も人口減少の本質を考えようとせず、素人が考えても的を外しているとしか考えられない対症療法(児童手当とか)で乗り切ろうとしていたが、これは本書でも指摘されている「経済成長という病」に冒されているからだと思う。
 本書には、縮小する今の日本の経済に対して、希望的な観測を述べるのではなく、現状を客観的に認識することが必要だと主張されている。それに対する対処法は書かれていない。この世の中には、「問題点だけ指摘して対処法を示さないのは無責任である」という考える人が多いようであり、本書のような本は評判が悪いようであるが、根拠のない夢ばかり語る方がよほど無責任であると思う。
 いずれにしても、人口が減少する社会は有史以来なかったことであるから、これまでの常識は通用しない(ことは本書でもたびたび主張されている)。これまでのように公共事業などに予算を支出するやり方は、傷を大きくするだけだと気付くはずである。これまでの「経済成長の夢」にすがりつくのはやめて、新しい方策を国民全体で考えるべきではないだろうか?

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