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2012年10月20日 (土)

神門善久著『日本農業への正しい絶望法』

神門善久著『日本農業への正しい絶望法』

新潮新書 488
ISBN978-4-10-610488-6-5
740円+税
2012年9月20日発行
237 pp.

目次
まえがき
第1章 日本農業の虚構
 二人の名人の死/有機栽培のまやかし/ある野菜農家の嘆き/農地版「消えた年金」事件/担い手不足のウソ/「企業が農業を救う」という幻想/「減反悪玉論」の誤解/「日本ブランド信仰」の虚構
第2章 農業論における三つの罠
 識者の罠/ノスタルジーの罠/経済学の罠/罠から逃れるために
第3章 技能こそが生き残る道
 技能と技術の違い/農業と製造業の違い/日本農業の特徴/欧米農業との対比/技能集約型農業とマニュアル依存型農業/技能こそが生きる道/防疫自由化と日本農業
第4章 技能はなぜ崩壊したのか
 日本の工業化と耕作技能/政府による技能破壊/農地はなぜ無秩序化したか/放射能汚染問題と耕作技能
第5章 むかし満州いま農業
 沈滞する経済、沈滞する農業/農業ブームの不思議/満州ブームの教訓/満州ブームと農業ブームの類似性
第6章 農業改革の空騒ぎ
 ハイテク農業のウソ、「奇跡のリンゴ」の欺瞞/「六次産業」という幻想/規制緩和や大規模化では救えない/JAバッシングのカン違い/JAの真の病巣/農水省、JA、財界の予定調和/農業保護派の不正直/TPP論争の空騒ぎ/日本に交渉力がない本当の理由
第7章 技能は蘇るか
 「土作り名人」の模索/残された選択肢/消費者はどうあるべきか/放射能汚染問題と被災地復興対策
終章 日本農業への遺言
主な参考文献

 神門善久氏の著書を読んだのはこれが2冊目である。最初に読んだのは『日本の食と農』である。この本もなかなか挑発的な本であり、刺激的だった。神門善久氏の新しい本が出ているのは知らなかったので、まずは本書を紹介していただいたH県農業技術センターのHさんにお礼申し上げたい。
 それにしても、刺激的な表題である。目次を見てさらにびっくり、終章の表題は本書が日本農業に対する著者の遺言であることを表している。
 本書の主張は終章の冒頭に要約されている。(1)日本農業の本来の強みは技能集約型農業にある。(2)耕作技能の発信基地化することにより、農業振興はもちろん、国民の健康増進、国土の環境保全、国際的貢献など、さまざまな好ましい効果が期待できる。(3)しかし、その農地利用の乱れという「川上問題」、消費者の舌という「川下問題」、放射能汚染問題の三つが原因となって、農業者が耕作技能の習熟に専念できず、肝心の耕作技能は消失の危機にある。(4)マスコミや「識者」は耕作技能の消失という問題を直視せず、現状逃避的に日本農業を美化するばかりで、耕作技能の低下を助長している。
 著者の日本農業に関する現状認識は、すべて正しいかどうかボクにはわからないが、おそらく大きく間違っていないだろうということは、本書を通して読んで感じることができた。本書の終章の表題は「遺言」となっているが、神門善久氏が存命中に、日本農業の問題点は改善されることはなく、悪い方向に向かっていくのが確実であろう、という予感を神門氏が持っているのであろうということが想像できる。
 本書を読めば、日本の農業だけでなく、他の産業も含め、産業構造、社会構造、政治的な圧力などにさまざまな問題があり、ちょっとやそっとの「手入れ」では改善が望めないであろうことが想像される。神門氏は農地だけでなく、宅地等を含めた土地の権利に関する情報の公開をすることを強く提案しているが、昨今の行き過ぎた「個人情報の保護」の状況を鑑みれば、ほとんど無理な話であるように思える。
 また、技能の継承の話についても、自然保護における希少種の保護の問題と同様であるように思える。人が資源(資金)を注ぎ込まなければ絶滅していくのは避けられないであろう。
 「焼け石に水」かも知れないが、本書では日本農業の改善にかんする様々な提言もなされているので、農業関係者だけでなく、消費者(=すべての国民)も読む価値は高いと思う。もちろん、本書を読んでどのように行動を変えるかは個々人の勝手である。
(以下2012年10月20日午後追記)
 ちょっと書き忘れたので追記する。
 ぼくたち農業技術研究者は、基本的には技術をマニュアル化することを期待されている。マニュアル化されるということは、誰でもできるようにするということなので、経験を積み重ねて習得する「技能」とは必然的に対立することになる。神門氏の主張が正しいとすれば、ぼくたち農業技術研究者がすべきことは、「技能」を身につけようとする農業者を対象に技術開発することになる。あるいは、農業技術研究は不要、ということになるかも知れない。いずれにしても、ぼくたち農業技術研究者は、研究を行うにあたり、どんな農業者を対象として考えるかは重要である。

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