« 神門善久著『日本農業への正しい絶望法』 | トップページ | サザンカとオオクロナガオサムシ(2012年10月29日) »

2012年10月20日 (土)

高桑正敏(2012)『日本の昆虫における外来種問題(3)外来種と偶産種をめぐって』

高桑正敏(2012)『日本の昆虫における外来種問題(3)外来種と偶産種をめぐって』
月刊むし (501): 36-42 pp. (2012年11月号)

 「月刊むし」に連載されている、高桑正敏氏による「日本の昆虫における外来種問題」の3編目である。これまでの2編を読んで、高桑氏が考える「外来種」の概念については違和感を感じていたが、本編では高桑氏によって外来種の定義について論じられているので、ボクなりの感想を書き遺しておきたいと思った。
 高桑氏は、外来種を人為的な移動によるものか自然の営為による移動によるものであるかを区別しようとしている。しかし、生物の移動が、移動の記録が残っているものを除けば、人為的なものであるか自然の営為によるものであるかを識別するのは極めて困難であることを、高桑氏が本編中で認めているにもかかわらず、あくまで外来種を「人為的なものであるか、自然の営為によるものであるか」に基づいて定義しようとしているため、論理的に破綻していると思う。
 本編の註として、高桑氏によるこの考え方が池田清彦氏の『生物多様性を考える』(中公選書, 2012年)の中で糾弾されていると書かれているにも関わらず、それに対する反論にはなりえていないように感じられた。
 自然史の研究からは人為的な影響を排除すべきである、という高桑氏の考え方には理解できないことは無いが、そもそも、われわれが今暮らしている環境には、人為的な影響が全くない場所は、もしあるとすれば人跡未踏の地のみであり、われわれ人間が少しでも足を踏み入れた場所は、人為的な影響を受けているはずである。つまり、人間が自然史を研究しようとした場合に、人為的な影響を完全に排除することは不可能であるため、ある生物種の分布や生態を論じる場合に、人為的であるかどうかに重きをおくことは、大きな実りのあることではないと思われる。
 本編の中で例としてあげられているクロマダラソテツシジミやムラサキツバメが、人為的に植栽された植物を餌として、それらの植物の本来の分布地を離れた場所で発生することについて、「人為的であるか自然の営為であるか」を議論しているが、無駄なことであると思う。
 既にわれわれは、高桑氏の言わんとする「本来の自然」を知ることは不可能であるから、その生物の分布が「人為的であるか自然の営為であるか」を議論することは論理的にはなりえないと思う。
 生物は本来、人為的であるかどうかにかかわらず、移動する性質を持っている。分布も固定的なものではなく、時間とともに変動するものである。その変動が「人為的であるか自然の営為であるか」にこだわって「外来種と考えるかどうか」を考えるのではなく、ある生物が「どんなメカニズムで移動したのか」を追求する方が「科学的」と言えるのではないだろうか?
 とにかく、高桑氏は「本来の分布」が存在するという古い凝り固まった概念に囚われすぎていると思う。生物は移動するのだから、「本来の分布」など定義できるはずがない。

|

« 神門善久著『日本農業への正しい絶望法』 | トップページ | サザンカとオオクロナガオサムシ(2012年10月29日) »

コメント

外来種問題は、これまでさんざん繰り返されてきた、人間が持つ「変化への怖れ」の変奏曲のひとつにすぎません。

もっとも重要なのは、人間の歴史の中において、こうした文学的な方向性が繰り返し繰り返し発生してくる生理的な理由を、生物進化の観点から検討することです(言ってみれば「覚悟」の欠如に関する生物学です)。

それはつまり「人間とは何なのか?」、そして「今後も人間が人間であり続けることは何を意味するのか?」を非情なまでに突き詰めていくことでもあると、私は考えています。

さらに言えば、外来種問題においては「技術」の話が繰り返し持ち出されてきますが、「技術」の話は、これはとても科学とは言えません。「科学と技術の区別」はもっとも基本的な注意事項だと私は思います。

投稿: 南十字星 | 2012年10月23日 (火) 07時41分

南十字星さん、コメントありがとうございます。
最初の点は、まさにそのとおりだと思います。
二番目の点についても、これまでほとんど表立って議論されていない事なので、検討する必要があると思います。
三番目の点についても、有意義なことだと考えます。
最後の点にも同意します。が、外来種問題はやはり政治的な問題であり、それを科学の枠組みの中で扱おうとしているところが問題だと考えます。

投稿: Ohrwurm | 2012年10月28日 (日) 21時06分

「人跡未踏の地」ですら、周りの環境が変わったことにより、絶対に変化を受けていますよね。

すべてはつながっているのですから。

例えば、地球温暖化が人為的な影響でおきているのならば、まさにそうですよね。

「ある生物が「どんなメカニズムで移動したのか」を追求する方が」ずっと意味があり、面白いと思うんですけどね。

投稿: 混沌 | 2012年11月 1日 (木) 07時51分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 高桑正敏(2012)『日本の昆虫における外来種問題(3)外来種と偶産種をめぐって』:

« 神門善久著『日本農業への正しい絶望法』 | トップページ | サザンカとオオクロナガオサムシ(2012年10月29日) »