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2012年7月 7日 (土)

浅川哲也著『知らなかった!日本語の歴史』

浅川哲也著『知らなかった!日本語の歴史』

東京書籍
ISBN978-4-487-80537-2
1,600円+税
2011年8月22日発行
333 pp.

目次
はじめに
第1章 日本語とは何か
 日本語とは何か/日本語の歴史の時代区分/方言と日本語の歴史の関係/日本語はどこから来たのか−『万葉集』を朝鮮語で読むことはできない−/しりとりはラ行で勝てる−アルタイ語の特徴−/濁音は日本語の接着剤−連濁の機能−/日本語はオペラ向き?−開音節構造と閉音節構造−
第2章 万葉仮名
 万葉仮名−「月」じゃ「都奇」と書く−/万葉仮名の「戯書」/「日」と「火」は異なる発音だった−上代特殊仮名遣い−/上代特殊仮名遣いを発見したのは誰か/上代特殊仮名遣いの正体
第3章 古代日本の音韻
 「衣」と「江」、「お」と「を」/「いろはうた」の秘密/サ行子音の変化/タ行子音の変化/ハ行子音の変化/『万葉集』にある古代の音の響き
第4章 日本語の仮名遣い
 仮名の起源/五十音図のすき間には何があるのか/ハ行転呼音(1)−私は学校へ行く−/ハ行転呼音(2)/古代日本語の音韻が激変して何が起こったか−藤原定家の『下官集』−/歴史的仮名遣いは古代日本語のタイムカプセル/「氷」はなで「こおり」と書くのか/「ふぢ」は「フディ」?−四つ仮名−
第5章 日本語と漢字
 漢語の影響によって日本語の発音が変わった/開音と合音(1)−最後はすべて「ヨー」になっる−/開音と合音(2)−室町時代の開音と合音−/「因縁」の「縁」はなぜ「ネン」なのか−連音−/「埼玉」はなぜ「サイタマ」と読むのか−音便−/「日本」はニホンかニッポンか
第6章 現代語の問題点
 「願わくは」が「願わくば」か−ク語法−/「眠れる森の美女」の意味が分かりますか?/「やばい」ということばはヤバイです/「ちげーよ」は「江戸っ子の使うことばではない/「ら抜きことば」とは何か
第7章 日本語の未来
 「ら抜きことば」の果てにあるもの/日本語母国語の人口/これからの国語教育について−私たちは言語変化とどう向き合うべきか−
おわりに
参考文献

 2011年11月1日付け中日新聞夕刊の「読者の森」の欄の「自著を語る」で本書が紹介されていて、その新聞記事に関する感想は既にこのブログに書いたが、とりあえずは本書を読んでおくべきではないかと思っていたところ、三重県立図書館に所蔵されていたので借りてきて読んだ。
 とは言え、途中まではあまり面白くなかったので途中で読むのをやめ、第6章以降をあらためて読んだ。
 新聞記事を読んだときに書いたとおり、この著者は「学者」としての資質に欠けているのではないかと思ったが、本書を読んでみても、やはり論理に一貫性がなく、最初の印象と変わるどころか、さらにヒドいのではないかと感じられた。とりあえず本文を引用しておこう。

 現在、一部の日本語研究者の中には、本来誤用であるはずの「ら抜きことば」を。可能動詞の範囲が拡大したものだからと擁護したり、あるいは言語変化は当然のことだからと「ら抜きことば」の拡大をむしろ助長するような発言をしたりする人がいますが、そのような発言を耳にすると研究者としての見識を疑います。(p.316)
 これはヒドイと言わざるをえない。言葉の研究者の仕事は、浅川氏のように「とりあえず規範とされている文法を固守する」ことではなく、「同一性の追求」であると思う。具体的には、言葉の由来や他の言語との関係を探ったり、言葉が変化したのなら、その現状を把握し、その原因を探ったりすることであろう。まず、浅川氏は「ら抜きことば」が方言に存在することを知っていながら、それを無視して「誤用」だと根拠もなく言っているが、この態度は「現在正しいとされている日本語文法を唯一正しいものとする原理主義」にほかならないと思う。第1章では、日本が変化してきた歴史について自ら解説しているにもかかわらず、現代の日本語の変化を認めようとしないことは、はっきり言って論理性に欠けていると思う。方言を排除しようという態度も東京原理主義的である。また、日本語が絶滅するのを憂えながら、方言を排除しようとする態度は矛盾している。
 「ら抜きことば」を問答無用で「誤用」と決めつけているにもかかわらず、もうひとつ突っ込みが足りないと思うのは、「なぜ『ら抜きことば』が拡大しているのか」ということの理由を全く追求していないからであろう。このことからも、浅川氏が研究者あるいは学者としての資質を欠いていると思われる理由になっていると思う。「ら抜きことば」を「誤用」と決めつけるのは、浅川氏の「個人的な趣味」に過ぎないように思えるし、「ら抜きことば」が拡大していくのを悲しんでいるのは、浅川氏にとっての理想の日本語に対する郷愁に過ぎないように思える。
 「ら抜きことば」が拡大しているのを悲しんでいるのは、外来生物が日本に定着するのを快しと思わない生物愛好家と同じことではないかと思う。
 最後にかつてボクがtwitterでつぶやいた言葉をもう一度ここに書いておこう。浅川哲也氏は「誤用学者」である。

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コメント

問題の本では「ら抜き言葉」を擁護・助長することが批判されているというので、反対意見もあるという意思表明(?)のつもりで、僕もブログに擁護派(?)の意見をアップしました。
【「ら抜き言葉」について】
http://blogs.yahoo.co.jp/ho4ta214/30754892.html

投稿: 星谷 仁 | 2012年7月 7日 (土) 22時42分

星谷さん、こんばんは。
 さっそくブログの記事を読ませていただきました。文法と生物分類を比較したところは、目のつけどころが流石だと思いました。

投稿: Ohrwurm | 2012年7月 7日 (土) 23時01分

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