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2012年6月

2012年6月30日 (土)

池田清彦著『「進化論」を書き換える』

池田清彦著『「進化論」を書き換える』

新潮社
ISBN978-4-10-423107-2
1,400円+税
2010年3月25日発行
190 pp.

目次
第一章 進化論の歩み−ダーウィンは何を間違えたのか
 進化論のあけぼの/ラマルクの進化論/ダーウィンの進化論/ネオダーウィニズムの勃興とその崩壊
第二章 進化機構論−ゲノム解読をしても生物の仕組みがわかないのはなぜか
 システムとしてのゲノムと細胞/DNAのメチル化/ヒストンたんぱく質によるDNAの転写制御/ゲノムと解釈系の位相/獲得形質は遺伝するのか/進化とは発生プロセスの変更である/発生遺伝子と進化/ホメオティック遺伝子の発現/高分子のネットワークシステムとしての生命/ヘテロクロニーとヘテロトピー/自然選択は進化の主原因ではない
第三章 進化論の最前線−大進化の原因は何なのか
 突然変異と自然選択による進化/形はどのように進化するのか/表現型多型と形態の進化/側系統を擁護する/多様化する生物/収斂と並行進化
あとがき

 表題の『「進化論」を書き換える』というのは、キリスト教原理主義に基づいて「創造説を復活させる」というのではなく、いま進化論の主流になっているネオダーウィニズムに対して批判し、構造主義生物学の考え方にもとづいて「生物進化をあらためて考え直してみよう」というスタンスである。
 ネオダーウィニズムの発達によって生物進化の理論は飛躍的な発展を遂げたが、ネオダーウィニズムが説明できたのは、種レベルの小進化のみであって、高次分類群レベルの進化の説明は完全に失敗していると言える。そのように不完全なネオダーウィニズムであるが、これだけの支持者(ほとんど全ての進化生物学者)を得たのは、R.A.フィッシャーにはじまった「進化の数式による記述」によるところが大きいのではないかと思う。現象を数式として記述できれば、理論を発展させることは極めて容易になる。その極まったところにR.ドーキンスの「利己的な遺伝子」があるのではないかと思う。進化を遺伝子に還元してしまったわけである。
 しかし、高次分類群の進化については、突然変異、自然選択、遺伝子浮動だけを説明原理とするネオダーウィニズムではとうてい説明しきれるものではなく、新たな理論が必要となってくるのは必然とも言える。そこでネオダーウィニズムに対して殴り込みをかけたのは、日本では柴谷篤弘と池田清彦による構造主義生物学である。
 しかし、この構造主義生物学というのは概念的にも大変理解し難い考え方である。もっとも、それはボクがネオダーウィニズムの大きな波の中で研究生活の始まりを過ごしたことが大きいかもしれない。先に記したように、ネオダーウィニズムは数式で記述できる。数式は理解の助けになるし、理論の深化にも大きく貢献する。しかし、構造主義生物学を数式で記述することはできない。あくまで言葉で定義し、言葉で説明できるだけである。
 また、もうひとつ、構造主義生物学には具体的な物証に欠けている部分が大きいというのも、構造主義生物学が支持を得られない大きな理由だと思う。しかし、ネオダーウィニズムについても、高次分類群の進化については全く物証がないのは同じであるから、ネオダーウィニズムが優位にあるとは言えないのも確かだと思う。
 本書は、一貫してネオダーウィニズムを批判しながら、構造主義生物学に基づいて、生物の進化を再び体系化しようという試みであると思われる。生命を遺伝子に還元するのではなく、細胞を中心としたシステムとして捉え、高次分類群の進化についても説明しようとしている。もちろん、構造主義生物学ですべてを説明できるわけではないが、これまでに解明された物証をもとに、ネオダーウィニズムで説明できなかった(ということは、その部分に関してはネオダーウィニズムは間違っている、と池田氏は主張しているわけであるが)現象を構造主義生物学でうまく説明できている部分も多いと思う。
 構造主義生物学はネオダーウィニズムと完全に対立した概念だと考えている人が多いかもしれないが、構造主義生物学はこれまでに明らかにされてきた物証を無視するのではなく、解釈し直すことが多くなっているが、それによってネオダーウィニズムでは説明できなかった多くの現象が解釈可能になってきているように思えるし、種レベルの小進化に関して構造主義生物学はネオダーウィニズムを否定しているわけではない。
 ネオダーウィニズムの基本的な部分を理解している人にとって、本書は「構造主義生物学とは何か」を理解するには適切な文献になっているのではないかと思う。

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2012年6月25日 (月)

ベニシジミ(2012年6月25日)

20120625blog1 ベニシジミは年に数回発生するが、今ちょうど2回目(第1世代)の成虫がたくさん発生している。
 今飛んでいるベニシジミは、春先に出てくる1回目(越冬世代)の成虫と比べると橙色の部分が少なく、飛んでいるところを見ても、明らかに黒っぽいことがわかる。
 しかし、よく見てみると、黒っぽい色の部分は、光の当たり具合によって青色っぽい光を放ったりして、思ったよりも美しく感じられる。
 この界隈なら何処にでもいる普通種なので、ついつい細かいところを見落としがちであるが、よく見てみると意外なところに美しさを見つけることができた。
 普通種だからと言って、逆差別するのはよくないことだと思った。

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2012年6月24日 (日)

池田清彦著『虫の目で人の世を見る』

池田清彦著『虫の目で人の世を見る 構造主義生物学外伝』

平凡社新書 022
ISBN4-582-85022-7
720円+税
1999年11月17日発行
262 pp.

目次
はじめに
1 ネキダリス狂時代
 オオクワガタ今昔/ネキダリス狂時代/幼虫を飼う?/クックホンのフタオチョウ/ベトナム、ハゲ山紀行/珍蝶・クラシプス/ゴキブリ/はじめてのカラスアゲハ/高尾の虫たち/丹沢のギフチョウ/春の虫採り、冬の虫採り/蝶吹雪
2 滅びないホソオチョウ
 里山の自然紀行−多摩丘陵に残る三十年前の風景/笛吹川−土手が見守る人と蝶/ベトナム・、虫紀行
3 ゾウとミズスマシ
 生きている機械/カメキリ目への変身/オーストラリア・クワガタ余談/駄々こね/足立区梅島、一九五〇年代/虫の目 人の目(中身と型/大学改革と責任/クワガタの話/ゾウとミズスマシ/メジロ捕り/クローン人間/台湾とシイの花/パソコン通信と「世界3」/墓の意味/ハノイの子供たち/セミの声/ヨコヤマヒゲナガカミキリ/毎日酒を!/翅のない蛾/猫との交際/「クローン人間」ふたたび/オリンピックの効用/春蘭/「主婦の脳」/ギフチョウ/種ありバナナ/大学審議会VS珍品カミキリ/寿命と多様性/オカルトの時代)
4 サイボーグ・オリンピック
 ぼくは猫と話ができる!/サイボーグ・オリンピック/クローン羊が開く<欲望>/ウィルスというメタファー/生命を流れる時間
5 カッパ「超」進化論
 カッパ「超」進化論
あとがき
初出一覧

 構造主義生物学者・池田清彦氏によるエッセイ集で、1994年から1999年に雑誌等に掲載されたものが再録されたものである。この本は三重県立図書館で借りてきたが、書庫にしまい込まれていたものである。
 池田氏はあちこちで同じネタを使っているので、一見一度読んだことがあるような気がしたものもあったが、本書を読むのは初めてのように思われる。
 副題として『構造主義生物学外伝』となっているが、構造主義生物学そのものについては語られておらず、ところどころに構造主義生物学的な主張が書かれているだけで、構造主義生物学そのものについては全く触れられていないと言っても良い。表題も『虫の目で人の世を見る』となっているが、『虫屋の目線で人の世を見る』の方が当たっていると思う。
 虫採り紀行もあれば世相を見たものもあり、気楽に読める本であった。虫採りを扱った部分では、虫採りにおける虫屋の気持ちが非常によく表現されており、基本的に虫屋であるボクには感情移入できる。
 多摩丘陵における町田市の小野路における昆虫採集について書かれている部分で、写真家の新開氏や出版社の亀澤氏など、ボクが直接面識がある人が実名で登場していて、親近感を感じた。この本が出版されたのは20年以上も前のことだから、その当時良い虫採り環境が残されていたとしても、さすがに今は環境が変わってしまっているだろうな、と想像する。
 最終章の『カッパ「超」進化論』は国立河童研究所の特別研究員である井桁希世氏が書いたという形式がとられているが、もちろん「井桁」は「池田」を捩ったものであり、「希世」は「清彦」を捩ったものである。形式的には鈴木雄一郎氏が書いた論文を紹介する形式になっている清水義範氏の『蕎麦ときしめん』に似ている。また、架空の動物の進化を論じている点は、シュテンプケ氏の『鼻行類』に似ている。おそらくそれらを模したものであろうと想像される。
 まあ、ともかく、気楽に読める本であるので、気分転換にはオススメである。

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柴谷篤弘著『構造主義生物学』

柴谷篤弘著『構造主義生物学』

東京大学出版会
ISBN4-13-063318-X
2,800円+税
1999年10月20日発行
237+20 pp.

目次
序章−もうひとつの生物学総合理論はありうるか
 科学戦争をめぐって/現代生物学「脱構築」のとき
第1章−「構造」への招待 タマゴが先かニワトリが先か
 循環/「構造」という「法則」あるいは「拘束」/拘束あるいは法則の恣意性/言語における恣意性/生物学における「構造」着想の由来/物理法則と生物の恣意性
第2章−遺伝子還元論の限界
 遺伝子万能のわな−遺伝子本質論と社会的構築/職業的専門家と「しろうと」のちがい/細胞とDNA/ヒト・クローンの「恐怖」/遺伝性と生得性の拘束 
第3章−生物学での「情報」概念の矛盾
 細胞にたいする外来性作用因の働き方/同族の遺伝子やタンパク質/連結子と受容子の「対」概念/「構造」か「情報」か/細胞内部で「情報」がもつ矛盾−分子介添え役の登場/「遺伝子の支配」とはなにか/「遺伝情報」とはなにか/予期されたものだけが記号としての遺伝指令になれる
第4章−遺伝子機能の多重性
 タンパク質分子などの機能は一通りとは限らない/遺伝子の徴募あるいは共用/多細胞生物での遺伝子の働き方の全体像−環境と遺伝子/同じ発生遺伝子がつくりだすかたちの多様さ/ちがった生物での発生遺伝子の働き
第5章−生物進化について
 ダーウィン的進化−生物多様性の説明原理/ダーウィン理論と生物模型/ダーウィンの進化論とラマルクの進化論との関係/適応突然変異−その発見/適応突然変異−その性質/隠れ遺伝子を求めて/細胞の相互作用
第6章−生物の多様性について
 隠された同一性/「種」につくりつけの多様性/高次分類群(類位)に含まれる多様性の逆説−並行放散進化/隔離による並行放散の例/「特異化」と「先祖がえり」のはざまで
第7章−個体発生における「構造」
 キリンの頸−体の部分どうしの相互調節/形態の展開/形態の合成/発生遺伝子の組み合わせによる多数の論理回路の創造/発生の論理回路か遺伝子か、どちらが本源か
第8章−「構造」とそれによる拘束の起源
 「構造」の恣意性とその拘束/遺伝暗号系での「内部選抜」による拘束/言語と自然(生物)における恣意性−逆還元主義/発生的拘束/「共時性」の起源−「構造」は一世代以内につくられる/新しい「構造」の成立/構造創発の遺伝的契機
終章−生物学「主流」の外の諸活動
 英米流「構造主義生物学」/分子記号論、主体性と内部観測そのほか
あとがき
引用文献
索引

 昔(1990年前後)、「構造主義生物学」という考え方があるのを知り、「構造主義生物学」という文字が表題についている本を何冊か読もうとしたが、ほとんど理解不能であった。その当時ボクは、勢力を拡げつつあったネオダーウィニズムの波の中にあり、ネオダーウィニズムこそが生物進化を説明する最高のものだと思わされており、それに異を唱える考え方を理解できなかったからであると思うし、そもそも「構造主義生物学」について書かれている本に出てくる言葉が難解であった。ボクは自分が買った本をあまり処分していないのだが、池田清彦氏の『構造主義生物学とは何か』(1988)と『構造主義と進化論』(1989)の2冊については、「もう読むことはなかろう」と思って、石垣島からこちらに引っ越してくる前に、石垣市立図書館に寄贈してきてしまった。今となっては書庫にしまい込まれているか、あるいは除籍されてしまっているかも知れない。
 時を経て、生物進化に関する本をいろいろ読んでみると、ネオダーウィニズムだけでは説明できないことがたくさんあることがわかり(種レベル以下の進化についてはネオダーウィニズムで進化を理解することが可能であるが、高次分類群の進化に関してはほとんど説明できないし、そもそも原核生物から真核生物の進化、単細胞生物から多細胞生物の進化を説明できない)、構造主義生物学について、再び理解しようと努力するようになった。
 日本における構造主義生物学の先駆者は本書の著書である柴谷篤弘氏であり、池田清彦氏はその同士である。たまたま三重県立図書館に本書が所蔵されていることがわかったので、借りてきて読んだ。
 先に書いた池田清彦氏の2冊の著書は難解であったが、わざと分かり難く書いてあったか、それとも当時の池田氏が実は構造主義生物学を十分に説明する能力を持っていなかったのか、いずれかであったのかも知れない。少なくとも、第三者に理解し易く説明しようという意思がなかったことは確かだと思う。その後、池田清彦著『構造主義進化論入門』(2011)を読んで、やっと朧げながらも構造主義生物学を理解できるようになって、生物進化についてネオダーウィニズムでは説明しきれない部分を構造主義生物学的な考え方が補うことができるのではないかと思えるようになった。
 本書は池田氏の最初の2冊の本が出版された時期と『構造主義進化論入門』が出版された時期のちょうど中間時点ぐらで書かれた本である。最初からこの本を読んでいたら構造主義生物学を理解できたかどうかわからないが、構造主義生物学の考え方が丁寧に説明されており、池田氏の最初の2冊の本のようにわざと難解な言葉や言い回しが使われているわけでものないので、構造主義生物学を理解するためには適切な本になっていると思う。かなりオススメな本である。ただし、本書を読む前に池田清彦著『構造主義進化論入門』(2011)を読んでおいた方が理解が容易かも知れない。
 本書には引用文献がたくさん挙げてあり、それらも構造主義生物学を理解するために役立つのではないかと思う。

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2012年6月23日 (土)

精密検査(2012年6月23日)

 今月はじめに人間ドックを受診していたのだが、つい先日その結果が届いた。
 すると、腹部エコーの検査の結果、前立腺に異常がないとは言えない、ということであった。胆嚢に結石があるのは前からわかっていたが、前立腺の異常を指摘されたのは今回が初めてである。そう言われてみれば、半年か1年ぐらい前から排尿時の尿の切れが悪いという自覚症状があるので、何か異常が生じたのかも知れないと思った。
 というわけで、今日の午前中に市内のやや大きな病院に行った。前に住んでいた家からもそれほど遠いところではないので、前は何度も通っていたが、中に入るのは今日が初めてである。
 病院の待合室は人でいっぱいで大繁盛の様相であった。病院内には小さいながらも売店もあるので、本格的な病院である。こういう光景を見ると、医者や看護士が忙しいという状況を実感できる。
 受け付けで人間ドックの結果を渡し、問診票に記入して、診察の順番を待った。
 まずは問診。しばらくしてから、肛門に器具を突っ込んでのエコー検査をされた。長さ10cmちょっとの途中でちょっと曲がった棒状の器具であったが、そんなもので検査ができるというのは不思議である。エコー検査ではとくに異常が見つからなかったので、肛門から指を突っ込まれての直検もされた。それでも特に異常はないようであった。
 そのあとは、排尿の具合を調べる検査。漏斗のような物の中に尿をすると、排尿の量の時間的推移がグラフになって出てくる。これまでの自覚症状としては、尿が一気に出きらないというものだったが、この検査でもやはりそうだった。
 そのあと、膀胱の場所に超音波検査機(だと思われる)を当てられて膀胱内に残っている尿の量を調べられた。20ccほど残っているということであるが、異常な値ではないらしい。外部から器具を当てただけて膀胱内の尿の量を量ることができるということ自体驚きであった。
 このあと、排出した尿は、一般的な尿の成分検査に回された。
 というようなことを検査されたわけだったが、尿自体にも異常はなく、特に問題になる所見はなかったようであった。「何か不都合が出るようになったらまた来てください」ということで、検査は無事に終了し、病院通いをする必要もなくなって、一安心というところである。

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沖縄慰霊の日(2012年6月23日)

 1997年に石垣島に転居するまでは沖縄慰霊の日のことは知らなかった。いまでは6月23日と言えば思い出さないわけがないほどである。テレビのニュースなどでも、むかし以上に取り上げられることが多くなったような気がする。
 沖縄慰霊の日になると「月桃の花」の歌が思い出される。一昨年のブログにも書いたが、今年も「月桃の花」の歌にリンクを張っておこうと思う。

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2012年6月22日 (金)

永井 愛著『ら抜きの殺意』

永井 愛著『ら抜きの殺意』

而立書房
ISBN4-88059-249-8
1,500円+税
1998年2月25日発行
150 pp.

登場人物
 海老名俊彦/伴 篤男/遠部その子/宇藤樹里/雨宮直人/日下 勉/殿村金弥/堀田八重子/堀田与平

上演記録
 テアトル・エコー第105回公演
 1997年12月5日(金)〜11日(木)
 紀伊國屋アザンシアター
スタッフ
 作・演出 永井 愛/美術 島 次郎/照明 中川隆一/衣裳 竹原典子/音響 深川定次/演出助手 保科耕一/舞台監督 小山博道/舞台監督助手 金子武男 加藤美江/方言指導 萩生田千津子/製作 明石 誠 テアトル・エコー
キャスト
 海老名俊彦 安原義人/伴 篤男 落合弘治/遠部その子 雨蘭咲木子/宇藤樹里 吉川亜紀子/雨宮直人 藤原堅一/日下 勉 後藤 敦/殿村金弥 梶 哲也/堀田八重子 牧野和子/堀田与平 熊倉一雄

 本書は戯曲である。普段は文学作品など滅多に読まないので、何でこんなものを読んだかと言えば、ボクが「ら抜き言葉」に興味があるからにほかならない。しかし、なぜこんな作品の存在を知り得たかと言えば、なぜか生物学の本(柴谷篤弘著『構造主義生物学』)に参考文献としてリストに上がっていたからである。三重県立図書館の蔵書検索をしたら、書庫に所蔵されていることがわかったので、さっそく書庫から出してもらって借りてきて読んだ。
 この戯曲の中では、ら抜き言葉に我慢できないアルバイト社員の海老名俊彦と、ら抜き言葉を使う正社員の伴 篤男の間の対立が描かれている。それぞれの弱みを相手に知られてしまい、海老名俊彦がら抜き言葉を使わざるをえなくなり、伴 篤男がら抜き言葉の使用を禁止されるという状況になり、お互いに険悪な関係になる。
 別の場所では女らしい言葉にまつわるやりとりや、田舎の方言をめぐるやりとりもあり、日本語表現の豊かさを考えさせられる作品になっている。
 作者はら抜き言葉に我慢ができないタイプの人間とのことであるが、最後は方言もおおらかに認めましょう、というような締めくくりになっており、好感が持てる作品であると感じた。
 途中で思わず吹き出してしまうことが何度もあり、娯楽作品としてももちろん楽しめる。オススメ。

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2012年6月17日 (日)

日高敏隆編『生物多様性はなぜ大切か?』

日高敏隆編『生物多様性はなぜ大切か?』

地球研叢書
ISBN4-8112-0506-9
2,300円+税
2005年4月20日発行
183 pp.

目次
まえがき
第1章 生物多様性とはなんだろう?……中静 透
 はじめに/生物多様性問題とは?/生物多様性は減っているのか?/なぜ生物多様性が大切なのか?/生物多様性がとくに重要な役割をはたす生態系サービス/なぜ生物多様性問題はむずかしいのか?/おわりに
第2章 「雑食動物」人間……日高敏隆
 人間にとって生物多様性は?/何から栄養をとるか?/草食動物の苦労/肉食動物/人間はそのどちらでもない/雑食は日和見か?/食物としての生物多様性
第3章 遺伝子からみた多様性と人間の特徴……川本 芳
 遺伝的多様性/遺伝的多様性からみた人間の特性/人間と類人猿の遺伝的多様性のちがい
第4章 文化の多様性は必要か?……内山純蔵
 なぜ多様な文化があるのか?/さまざまな解釈/先史時代の生活からみてみよう/未来のための多様性
第5章 生活のなかの多様性……佐藤洋一郎
 はじめに/食の生物多様性/人体とその周辺に起きていること/生活空間のなかの生物多様性/しのびよる危機/衣食住に多様性を−どうすれば多様性は守れるか?

 本書は2005年の出版であり、名古屋でCOP10が開催された5年も前に出版されたものなので、そのあたりを割り引いて評価しなければいけないかも知れない。COP10でもっとも重要な議題になったのは、遺伝資源から得られる利益を原産国と開発国の間でどのように配分するか、ということであり、すぐれて政治的な問題であるが、本書ではその点についてはほとんど触れられていない。
 第1章。生物多様性とは何か、という根本的な疑問に対する言及であるが、著者である中静氏は、「生物多様性」というタームを「生物多様性」という概念そのものと「生物多様性が高いこと」の両方に使用しているので、説明しようとしていることが曖昧に感じられた。また、「わかっていないことが多い」ということを繰り返し述べていて、やはり「生物多様性とは何か」を明快に理解できるようにはなっていない。書いている本人も、やはりよく理解しきれていないのではないかと思った。
 第2章。2009年に亡くなった日高先生は動物行動学がご専門である。人間をひとつの雑食動物として捉え、さまざまな生き物がいることが必要であることを説いている。しかし、「生物多様性はなぜ大切か?」という問いに対する回答としては、いまひとつ説得力が弱いのではないかと感じた。
 第3章。ヒトの遺伝的多様性について説いているが、やはり「生物多様性はなぜ大切か?」という問いに対する回答としては物足りないものを感じた。
 第4章。生物多様性を論じるにあたり、あまり語られない文化の多様性について説いている。ヒトが生き延びるにあたり、文化的にも多様性が高い方が望ましいと説いている。視点としては面白いと思うが、やはり「生物多様性はなぜ大切か?」という問いに対する回答としては何となく物足りなさを感じた。
 第5章。ヒトの生活のなかでの生物多様性について説いている。ヒトの安定的な生活のためには生物多様性が低いと様々な不都合が起こることをいろいろ例示しているが、今の時点での考え方からみると、あまり目新しいものはなく、物足りなさを感じた。
 全体的に「生物多様性が高いことは望ましいことである」という論調であるが、「生物多様性とな何か?」という根本的な点について掘り下げられていないので、物足りなさを感じることが多かった。出版された年代(2005年)ということを考えてみると、まだ今ほど「生物多様性」という言葉が一般的ではなかったので、この程度のことでも仕方がなかったと思わなければいけないのかも知れない。
 決して悪書ではないが、だからと言って、いま読んでもそれほど新しい視点がなく、政治的な視点について全く触れられていないので、必読の書とは言えないように思える。

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越後長岡へ(2012年6月13〜16日)

 「第17回農林害虫防除研究会新潟大会」に参加するために越後長岡に出かけた。
 大会前日に出発し、前日は長野に泊まった。長野駅前のホテルは安くて極めて便利であったが、かなり古さを感じさせられた。最上階のラウンジからの眺めはけっこう良かった。
20120613blog01 翌朝はまず普通列車「妙高」に乗る。普通列車であるが指定席があり、かつて特急列車に使われている車輛なので快適であった。「妙高」は直江津行きであるが、乗り継ぐ列車が新井始発なので新井で下車。ここからは快速列車「くびき野」に乗る。これもグリーン車と指定席車もある、特急と同等の列車で、直江津までは各駅停車であるが、直江津から先は特急列車並みの停車駅で、非常にお得感がある列車であった。
20120614blog01 これは鯨波あたり(だと思う。停車駅が少ないので正確な場所がわからないのだ)の日本海の風景。遥か向こうに佐渡の山と思われる山影が見える。
20120614blog02 11時過ぎに長岡駅に到着。まずはホテルに行って大きな荷物を預けて、再び駅方面へ。
 長岡駅は駅も立派で(新幹線が通っているから当たり前か?)県庁所在地である三重県津市よりも大きな街に見える。
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20120614blog04 石垣島に住んでいた10年ぐらい前に一度長岡を訪れ、その時に壊してしまったカメラの代替機を買った「東京カメラ」は健在であった。
20120614blog05 昼食は「越後長岡小嶋屋本店」で「野菜天へぎそば」を食べた。「へぎそば」は独特の歯ごたえがあった。美味。
20120614blog06
20120614blog07 ブラブラ歩いて長岡駅まで戻る途中、奇抜な外観の建物を発見。
20120614blog08 「アオーレ長岡」。市役所の一部でもあるらしい。
 駅を通り過ぎて、会場へ。「第17回農林害虫防除研究会新潟大会」の印象については別のエントリーに記述。
 懇親会には参加したが、二次会には出席せずにホテルに戻る。部屋に入ったところ、何やらタバコ臭い。見回してみると灰皿もあった。禁煙室を予約したつもりだったが、どうやらそうではなかったようだ。
 翌朝は前の夜にコンビニエンスストアで買ったもので朝食を済ませた。ホテルには840円の朝食バイキングがあったが、バイキングはついつい「元を取ろう」と思ってしまうので、840円の朝食は高すぎる。
 9時頃には会場へ。12時過ぎに午前の部が終わり昼食休憩。前の日には本店に行ったが、駅ビル「Cocolo」に入っている「小嶋屋」の支店に行った。
20120615blog01 「えび天冷ぶっかけそば」。それなりに美味。
20120615blog02
 研究会は15時半ぐらいに終了。駅前からバスに乗って長男の下宿、というか義理の叔母の家へ。家についても誰もおらず、しばらく待っていたら長男が帰宅。義理の叔母は親類の葬式にいっているということだったが、予定よりかなり遅れて帰宅。ぼくの息子からみると再従兄弟にあたる姉妹(こういう関係を自分からみた場合にどういうのか知らない)も一緒だった。80歳になる義理の叔母が「ファミレスに食事に行こう」と言うので5人揃って息子が運転する車で出かけたが、行った先はファミリーレストランではなく居酒屋だった。「和処ダイニング暖や長岡店」。義理の叔母はこれをファミリーレストランだと認識していたらしい。誰も酒を飲まなかったので、5人分あわせて通常の1.5人分ぐらいの会計。
 その後、息子は学習塾の講師のアルバイトへ。息子の再従兄弟にあたる姉妹は買い物に出かけ、しばらくして戻り、義理の叔母が運転する車で駅まで送られて帰っていった。
 義理の叔母はよくしゃべり元気である。息子がアルバイトから戻ってしばし3人で雑談してから就寝。
 翌朝は食事のあと、息子が運転する義理の叔母の車に乗って息子が通う大学へ。雨が降っていたので、キャンパスをグルッと一回りして戻り、長岡駅まで送ってもらった。土産と昼食の弁当を調達。
 長岡駅10:20発の直江津行き普通列車に乗り直江津へ。さらに長野行きの普通列車に乗り長野へ。この列車は往路のときと違って115系の普通の電車だったが、クロスシートだったので、列車内で長岡駅で買った弁当を食べる。
20120616blog01 車窓からの景色。まだ雪が残っている。場所は妙高高原の近く。
20120616blog02 長野からは「特急しなの」に乗る。「特急しなの」はほとんど名古屋行きであるが、1日に1本だけ大阪行きがある。乗ったのはその大阪行きだった。
20120616blog03
20120616blog04 長野は始発駅であり、乗り継ぎ時間がたっぷりあったので、一番乗りで特等席をとった。8号車自由席15番C席である。
20120616blog05 名古屋までの3時間は、前方に見える景色に釘付けである。3時間もたっぷりと(大阪まで乗れば5時間である)前方を眺めることができる列車は他に無いと思う。振り子電車であるので、カーブを走る時に車体が傾いているのがわかって面白い。
20120616blog06 姨捨駅付近の車窓からの景色。日本三大車窓のひとつに数えられている。このあたりを走っているときは、まだ晴れ間の見える天気だったが、塩尻を過ぎて木曽路に入ったあたりからは雨になった。
 大阪まで足を伸ばす「特急しなの」はJR東日本、JR東海、JR西日本の3社をまたいで走る。東日本と東海の境界の塩尻駅で乗務員が交代し、名古屋の先の米原(ここは東海と西日本の境界である)で交代するらしい。塩尻までは運転席には一人しかいなかったが、塩尻からは二人になり、途中で運転を交代していた。長野から塩尻までは1時間ちょっと。塩尻から名古屋までは2時間近くかかるので、交代要員が必要ということなのだろうと理解した。
 名古屋からはごく普通に近鉄の急行に乗った。18時半前に帰宅。それほど疲れはなかった。

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第17回農林害虫防除研究会新潟大会@ホテルニューオータニ長岡(2012年6月14〜15日)

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 入会するきっかけを逸していて未だに非会員なので、これまで大会に参加したことがなかった農林害虫防除研究会の大会に参加してみた。入会を逸していた理由は、この研究会が設立された理由のひとつが、「日本応用動物昆虫学会と日本昆虫学会の合併が協議されていた頃、合併に反対していた日本応用動物昆虫学会の会員を中心に、応用関係、とくに都道府県の試験研究機関の職員が参加し易いようなものにしよう」ということだったらしいので、結局、合併が不調に終わり、日本応用動物昆虫学会だけで十分ではないかと考えていたからである。というわけで、今回が初参加である。
 今回の大会は「カメムシ対策のこれから〜カメムシ類の加害種変動とつきあい方〜」というシンポジウムの講演4題と、一般講演25題であった。
 シンポジウム「カメムシ対策のこれから〜カメムシ類の加害種変動とつきあい方〜」では斑点米カメムシに関する講演3題と、最近南方から分布を拡大しているミナミアオカメムシに関する講演1題があった。ボクはこれまで稲作の害虫の研究をしたことがないので、斑点米カメムシは自分では研究対象にしたことはないが、種子食性のカメムシの生態は面白いと思っているので、それなりに興味を持って聴いた。水稲害虫の防除は、一頃と比べると相当な程度に「減農薬」が進んでいて、斑点米カメムシに対する防除も1回きりの場合がほとんどである。その1回の防除をいつ行うのが効果的か、というのが現在の中心的な研究課題になっているように思える。斑点米の問題については、コメ1000粒に1粒の斑点米が混じっただけで「等級落ち」する制度が防除を減らせない原因になっていることは確かなので、これも何とかならないものかと思う。今回の講演は、そんな中で努力されていることの内容の紹介であった。ミナミアオカメムシは様々な作物を加害してイネも加害するが、ダイズでの被害が大きい。ここ数年の急激な分布の拡大について紹介されるとともに、その分布の拡大の要因について考察された。
 一般講演25題のうちの3題は「地元枠」ということで、地元新潟県の非会員による講演があった。地元枠での講演は、新潟県におけるさまざまな害虫の防除に関する取り組みが紹介された。その他の一般講演は、「日本応用動物昆虫学会」のような本格的な学会で発表される内容とは若干傾向が異なり、まだ最終的な結論の出ていない研究途中の紹介のようなものが多かった。奈良県の国本氏による「農薬の包装、ラベルの表示について」の講演は先月の「関西病虫害研究会」の大会で講演されたもの(別の会場の講演を聴いていたので聴けなかった)と重なる部分が多かったとのことであるが、漂白剤や医薬品などと比べると農薬のラベル表示の注意書きが小さいのでもっと大きくすべきである、という意見には同意できる。
 1日目の夜には「情報交換会」という名の懇親会があり、発生予察用フェロモン誘引剤についてMさんからいろいろとお話をうかがった。懇親会の料理の量はちょうど良いぐらいかやや少なめという程度であったが、「ニューオータニ」という名前から期待されるほどの味ではなかったように思えた。
 大会の運営に当たられた新潟県在住の会員の皆さんには有意義な会を開催していただいたことにお礼申し上げたい。
 来年は奈良県で開催される予定である。

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2012年6月13日 (水)

池田清彦・養老孟司著『ほんとうの復興』

池田清彦・養老孟司著『ほんとうの復興』

新潮社
ISBN978-4-810-423108-9
1,000円+税
2011年6月25日発行
170 pp.

目次
I 自然とわれわれ(養老孟司)
 自然の大災害にしばしば出会う分か/目の前にあるのは「解答」である/根本はエネルギー依存/問題の「政治化」が安全性への軽視を生む/戦後日本の自然破壊の総決算
II 大地震・大津波・原発事故から見えたこと(池田清彦×養老孟司)
一 天災と日本人
 震災をきっかけに生き方を考える/「津波てんでんこ」の言い伝え/生き残りの心理/「一律」の陥穽/効率の良さとセキュリティ/首都東京が震災に見舞われたら/疎開先をもつ/都会と田舎/日本の再構築/自然に組み込まれている「攪乱」/ローカリティとグローバリゼーション/関東大震災と軍国主義化
二 原発事故という人災を引き起こしたもの
 発電所に電気が通らない皮肉/なぜ無責任な体制になるのか/安全対策を阻害したもの/現場と司令側の乖離/本気の度合い/高レベル放射性廃棄物の規制期間は百万年!?/原発事故の歴史と、“事故隠し”の歴史/福島第一原発周辺の土地は今後どうなるのか
三 大震災後の世界
 原発の効率/原発問題と大学入試/エネルギーと現代社会/新エネルギーの可能性と考え方/電力供給を分散型に/エネルギー依存の構造はどこまで変わるか/事故の検証はどうなるか/「居心地」の再発見/将来を考える仕組み
III エネルギーが将来を決める(池田清彦)
 「原発は最も安全」という主張/原発停止に向かう合理的な選択/原発による利益と損失/ネルギー利用の短期・中期・長期的な戦略を/風力発電は日本には向かない/補助金なしでは成り立たないのが現状の太陽光発電/日本の自然条件にフィットしているのは地熱発電だが……/小水力発電のメリットとデメリット/日本で唯一有力なバイオエネルギーは藻類/海洋発電の可能性と、それら自然エネルギーの限界性/石炭は自前のエネルギー源となるか/日本近海は世界有数のメタンハイドレート埋蔵域/未来は新エネルギー開発がどうなるかにかかっている

 『ほんとうの環境問題』(2008)『正義で地球は救えない』(2008)に続く池田清彦氏と養老孟司氏の対談本である。東日本大震災が起こって急遽企画されたのではないかと推察される。出版後すぐに読もうと思っていたが、津市津図書館にリクエストをするのを忘れていて、最近たまたま三重県立図書館で発見したので借りてきた。
 大震災が起こったあとでも、池田氏も養老氏も、人間の身の丈に合った暮らしぶりをするのが望ましいという考え方であると思われ、震災以前の著書で語られてたのとは基本的なスタンスはほとんど変わっていないように思われた。
 池田氏は脱原発が望ましいが脱原発原理主義は望ましくないと考えており、「III エネルギーが将来を決める」では原子力や石油以外のエネルギーについて考察している。ここに書かれていることはどこかで読んだことがあるので、『正義で地球は救えない』あたりに書かれていたのかも知れない。そうだとすれば、震災以前に様々なエネルギーについて考察していたということで先見性があると思う。
 東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故の問題は、まだまだ片付きそうにない問題であるが、本書には、復興に際して何をしたらいいのかが自然を自然として捉えて様々な考え方が書かれており、役に立ちそうなことも多く書かれているので一読の価値はあると思う。

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2012年6月11日 (月)

池田清彦著『生物多様性を考える』

池田清彦著『生物多様性を考える』

中公選書
ISBN978-4-12-110009-2
1,300円+税
2012年3月10日発行
214 pp.

目次
はじめに
第一章 生物多様性とは何か
 ローゼンの提唱/プロパガンダのためのキャッチコピー/生物多様性一般は科学的に記述できない/自然をコントロールしたいという欲望/三つの概念
1.種多様性
 アーウィンの推定/種とは何か/異所的種分岐への疑問/種が融合しない場合/無性種という存在/同所的種形成の例/グループによる種数のばらつき/衰退していくグループ/多様性の極点に達した現在/カンブリア紀以降、新しい門は創設されていない/複雑化したシステムは単純になるのが難しい/アトラクタの数と安定性
2.遺伝的多様性
 アイルランドの大飢饉/単為生殖だけで生き続けている分類群/遺伝的多様性は種の歴史と生態の繁栄/亜種を考える/遺伝子組み換え作物の問題
3.生態系多様性
 生産者、消費者、分解者/シアノバクテリアの登場/カンブリア大爆発/恒常力、抵抗力、復元力/オーストラリアと日本、海と陸上/日本におけるアゲハチョウの分布/異なる出自をもつチョウたちの共存/小笠原諸島の固有種/オーストラリア五生物地理区の蝶相/里山によって増す生態系多様性/種の多様性を決めるもの/マッカーサーとウィルソンの仮説/南米大陸と北米大陸の哺乳類たちの交流/なぜ熱帯の種多様性は高いのか/能動的適応
第二章 生物多様性の保全とは何か
 保全論が抱く“都合のよさ”/どれを優先するかにつきまとう“好み”の問題/人間非中心主義と人間中心主義/リベット論のウソ/野生のトキを復活させる。これはすばらしいことなのか/生息地の保護がとりわけ重要/ヨナグニマルバネクワガタの事例/偶然の僥倖をあてにしてはいけない/人間による関係改変がすべての種にとって悪いわけではない/栽培種ならよく野生種はタメ、は暴論/10万キロ車を走らせると100万頭の昆虫を殺すことになる/一夜にして失踪するミツバチ/林道は舗装しないほうがいい/キーストーン種とアンブレラ種/持続可能な範囲での捕獲は問題ない/遺伝子汚染論を批判する/交雑が怒れば、絶滅確率は減る/トキの二の舞?/あちらを立てればこちらは立たず/外来生物の定義に“正しさ”求めるのは無意味だ/イネは日本の自然史上最悪の外来生物?/ホソオチョウとアカボシゴマダラの場合/礼文島の自生ラン/おいしい料理の材料になれば……/在来生物にとって救いの神となった「要注意外来生物」食物連鎖の中に組み込まれた外来生物/小笠原で最も目立つ外来生物三種/観光客とともに外来生物も増加/里山を残すのは人間のため?/里山の手入れをどうするのか/34の生物多様性ホットスポット/ヤスニIIT計画/生態系の中の異質性<1.海岸線や湖岸、川岸の保全 2.都市公園等の管理された人工生態系における立枯れ等の放置 3.小規模の湿地環境を維持すること>/野生生物が大増殖した場合/人為的な関与は必要だ
第三章 生物多様性と国際政治
 ラムサール条約/CITESは種の保護のための条約/政治に翻弄される締約国会議/CITESと昆虫/エスノセントリズムの害/生物多様性条約/遺伝子組み換え生物/過度に喧伝された危険性/何千年にわたる先人たちの賜であるはず/ターミネーター遺伝子とABS問題/開発の免罪符となり得る生物多様性オフセット/なさけない、しかし本当のことである結論
おわりに

 三重県立図書館にリクエストしたら、「本館では3月に本書を購入しないと判断したので、他館から借ります」という返事をもらい、届いた本を見てみたら名張市立図書館の蔵書だった。
 本書には武田邦彦著『生物多様性のウソ』のように、「『生物多様性』なんていうのは政治的なもので科学的にはいいかげんなものだから深く考える必要はありませんよ」ということが書かれているわけでもなく、多くの「生物多様性」という主題について書かれている本のように「よくわからないけど、とにかく『生物多様性』は大切だから守りましょうね」ということが書かれているわけでもなく、「『生物多様性』とは何か」ということを、その起源に遡って考え直してみよう」というスタンスで書かれているところが、「生物多様性」について書かれている他書と異なり好感が持てる。
 書かれている内容については、目次を見ていただくだけでかなりのことがわかるのではないかと思う。
 本書では「種とは何か」という根源的な問いから始まって、一般に言われている生物多様性の三つのレベル、すなわち「種多様性」、「遺伝的多様性」、「生態系多様性」について、かなり深いところまで、しかし一般の人にも分かり易く考察されている。また、生物や生態系の保全『生物多様性』の政治的な側面についても幅広く解説されている。
 ボク自身もそうであったが、「生物多様性」というのは、科学的に説明し難いだけでなく、自分の頭で整理して考えるのも難しい概念であった。しかしここで、「生物多様性一般は科学的に記述できない」と断言されてしまうと、自分が科学的に理解しようとしていたのが徒労であることがわかり、自分が理解できないのが当然であったのにも納得できる。
 ここに書かれている生物進化に関することは、池田氏や去年亡くなった柴谷篤弘氏が主張している(一般的には主流ではない)構造主義生物学的な考え方(ネオダーウィニズムでは「『種』は実在しない」ということになるのに対して、構造主義生物学的な考え方では「『種』は実在する」ということになる)が前面に出ており、ネオダーウィニズム一辺倒の生物進化に関する理解しかしていないと、少々納得しづらいところがあるかも知れない。
 それはともかく、本書では「生物多様性」が科学的な命題ではなくすぐれて政治的な問題であり、環境保護原理主義や外来種排除原理主義を鋭く批判し、現実的な考え方で(莫大な税金を使って中国から導入したトキを増殖することに対しては批判的であるし、コストとかけたコストから得られる利益との関係を考慮して)種なり遺伝子なり生態系なりを保全しようという考え方が主張されており(池田氏は基本的には環境は大きく変わらないのが望ましいと考えている)、多くの人に対して説得力を持つのではないかと思われた。
 さて、本書には多くの書籍なり論文なりが引用されているが、文献リストがないのは不便である。一般向きの書籍とは言え、文献リストを付けて欲しいものである。
 引用されている文献として、池田氏の著書『「進化論」を書き換える』も構造主義生物学的な考え方をより深く理解するために読まなければいけないかも知れない。
 とまれ、本書は「『生物多様性』とは何か」という点について総括的に解説されているので、三重県立図書館にも蔵書していただきたいものだと思った。

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2012年6月 7日 (木)

今日のヒメジュウジナガカメムシ(2012年6月7日)

 5月31日に新天地に移植したヒメジュウジナガカメムシがどうなったのか確かめに行ったところ、移植先の場所のガガイモの蔓の先端は吸汁されて萎れていたが、カメムシそのものは見つからなかった。
20120607blog2 付近にいるに違いないと思って探したら、移植先の株から3mほど離れた、地面を這っているガガイモの蔓の近くに交尾をしているペアを2組見つけた。一緒にまとまってここまで移動したらしい。移植した先のガガイモは木に絡み付いている元気そうな株だったが、そういう株より地面を這っている株の方がお好みなのだろうか?
20120607blog1 この写真の上部に見える緑色のものがガガイモの蔓。蔓から離れているということは、これから産卵でもしようというところなのか?

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2012年6月 6日 (水)

Venus(2012年6月6日)

 今日は2004年6月8日以来の金星の日面通過であった。2004年6月8日は津に引っ越してきた年だが、そのときのことは記憶に無い。おそらく天気が悪くて見ることができなかったのではないかと思う。
 今日は、日面通過が始まる頃は太陽は雲の中であったが、8時半ぐらいから太陽が顔を出し、その後は時折雲がかかるくらいで、ずっと太陽を観察できた。
 この写真は午後に撮ったもの。もうすぐ通過が終わろうとするころのものである。太陽の黒点もたくさん見え、太陽の表面の活動は活発な様子である。
 次に見ることができるのは2117年12月11日とのこと。今生きている人はほとんど死んでいるはずである。
20120606_venus_sunクリックすると拡大します。

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2012年6月 3日 (日)

伊勢街道を歩く【江戸橋→松阪】(2012年6月3日)

 今朝は雨は降っていなかったものの、どんよりと曇っていて、昆虫観察の天気ではないように感じられた。そこで街道歩きの続きを行うことにした。4月28日に旧伊勢街道を起点の日永の追分から江戸橋まで歩いたので、今日はその続きで、江戸橋から歩けるところまで歩くことにした。
 朝9時過ぎに江戸橋を出発。雲出川の手前でお昼になり、「長崎屋」でラーメンを食べ、順調に歩いていたが、午後3時頃、松阪市の市街地に入った頃から腹具合に不調をきたし、我慢できなくなり、松阪駅のトイレに駆け込んで出す物を出した。トイレに入ったのが15:25頃。
 もう少し先まで歩くつもりだったが、このトラブルで気力が減退し、今日は松阪までで終了することにした。15:47発の「快速みえ」に乗って津まで行き、津から自宅まで歩いた。歩いた距離は全部で23kmちょっとぐらい。

20120603blog01伊勢別街道との分岐にある常夜灯

20120603blog02上浜町の阿部喜兵衛商店

20120603blog03栄町の四天王寺

20120603blog04大門の津観音

20120603blog05大門の「とらや本家」
いちご大福発祥の地

20120603blog07藤方の香良洲道の分岐

20120603blog08ラーメンの長崎屋
屋台でラーメンを作って建物の中で食べるシステムになっている

20120603blog09長崎屋のラーメン
ゆで卵がサービスで500円なり

20120603blog10雲出島貫の常夜灯

20120603blog11松浦武四郎(北海道の名付け親)の生家
松阪市(旧三雲町)小野江町

20120603blog12奈良街道との分岐点の道標

20120603blog13初瀬街道との分岐点の道標

20120603blog14松阪市域に入ると参宮道(伊勢街道)であることをうかがわされるものがたくさん目につく

20120603blog15m旧三雲町あたりの格子のある家には屋号がかかれた札があるが、ここに案内板があった(クリックすると拡大します)

20120603blog16昔の面影を残す須川屋
松阪市の中心部にほど近い場所にある

20120603blog17ここが参宮道であることが示されている

20120603blog18松阪牛の「和田金」

20120603blog19松阪市の中心にある和歌山街道との分岐点の道標

 この先、もう少し伊勢方面に歩き始めたのだが、腹痛が我慢できなくなり、松阪駅方面に方向転換。トイレにしゃがんでから松阪駅に向かったら、まもなく名古屋行きの「快速みえ」が来ることがわかり、心が折れてここで終了。

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2012年6月 1日 (金)

初夏の虫いろいろ(2012年6月1日)

20120601blog1 昨日、別の場所に移したヒメジュウジナガカメムシを見てみると、もうメスの腹部が膨満していた。栄養を吸収するとすぐに卵巣が発達するかのようだ。餌のガガイモがふんだんにあるので、ヒメジュウジナガカメムシは集団を作らず、オスとメスがベアになって新芽あたりで茎から吸汁している個体がほとんどだった。もう先端が萎れてしまったガガイモもあった。

20120601blog2 ミズイロオナガシジミ。こちら三重県に来てから初めて見た。職場の中で見ることができるとは思いもしなかった。まだ羽化したばかりらしく新鮮である。

20120601blog3 ホシベニカミキリ。これも決して珍しい種ではないが、こちらに来てから初めて見た。というか、これまでに見たことはなかったので、見たのは今日が初めてである。タブノキを注意して見ていればちゃんと見つかったはずなのだが、ようするに注意して見ていなかったということだ。名前が似ているベニボシカミキリは西表島で撮った(採った)が、ホシベニカミキリよりベニボシカミキリを先に見たという人は極めて珍しいと思う。


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