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2012年2月 7日 (火)

橳島次郎著『生命の研究はどこまで自由か』

橳島次郎著『生命の研究はどこまで自由か 池内了・長谷川眞理子・勝木元也・田川陽一 科学者との対話から』

岩波書店
ISBN978-4-00-023690-4
2,400円(+税)
2010年2月24日発行
230 pp.

目次
はじめに−生命科学の「仁義」を求めて
第1章 科学者の自律と責任とは
   《池内了氏との対話から》
第2章 進化生物学からみた科学と人間
   《長谷川眞理子氏との対話から》
第3章 分子生物学の射程と大学の復権
   《勝木元也氏との対話から》
第4章 発生工学と「議論好き」の両立
   《田川陽一氏との対話から》
おわりに−科学と社会の関係のあるべき姿


 本書は橳島次郎氏と4人の科学者との対談をもとに、橳島氏が4人の科学者にインタビューをしたような形式の文章に変換したものである。対談の前に、4人の科学者には以下のような質問が投げかけられていて、それに沿った形での対談が行われている。

質問事項
1.ご専門の科学の真価は何かと聞かれたら、どうお答えになりますでしょうか。
2.科学は何かの役に立つことに価値があるのでしょうか。産業や医療への応用に役立たない科学は、社会から支持され支援される価値がないでしょうか。科学の価値とは何でしょうか。
3.科学研究の自由の根拠は何でしょうか。
 それはすべての人に認められている思想や表現の自由とどう異なるのでしょうか、あるいは同じなのでしょうか。
4.科学研究の自由は、それを職務とする人に限られた特別の権利だとお考えになりますか。そうであるとすれば、そうした特別の件k裏が認められる根拠は何でしょうか。
 一般市民が、たとえば動物や人を対象に実験研究をする自由は認められるでしょうか。認められないとすれば、それはどのような根拠によるでしょうか。一般市民に認められない研究が、研究者に認められるのは、どういう理由・条件によるでしょうか。
5.憲法のいう「学問の自由」に、生命科学の実験研究は含まれるとお考えになりますか。
 知りたいという精神的活動=学問と、知るために現実の事象や生命に働きかける営み=実験研究は、同じ「自由」に括られてよいのでしょうか。
6.生命科学の研究の自由に何らかの条件があるとすれば、それは何でしょうか。また誰によってその条件が決められるべきでしょうか。
 科学は自らのうちに、その探求の限界を画す理論を持つでしょうか。
 倫理が関わるのは、科学の成果の使われ方にだけなのでしょうか。
 科学の営み自体、科学の欲望のコントロールは必要ないでしょうか。
7.科学の営み自体の持つ価値とは別に、「こうあるべし」という価値観を科学は語ってはいけないのでしょうか。「科学の本質は没価値、中立」でしょうか。
 科学は、選択の材料を提供するのに留まるでしょうか、それとも善い悪いについての特定の選択を科学者として示すことはありうるのでしょうか。
 生命・身体を巡る欲望の範囲を画す基準は、科学からは出てこないでしょうか。
以上』

 学問の自由が憲法で認められているなかでの「生命の研究はどこまで自由か」という質問に答えることはなかなか難しいことだと思う。この難しい質問に対して、ここに登場している4人の科学者は、上の質問に対して真摯に答えている。
 4人の考え方はそれぞれ違うが、生命の研究の範囲を決めるのは科学の外にある「有用性」ではなく、「科学」の中に内在しているものである、というところはだいたい共通していると感じられた。「有用性」に基準を求めると、暴走を止められなくなることは容易に想像できる。
 また、「有用性」を基準に科学技術を押し進めると、大学が持つべき本来の役割を果たせなくなるという指摘には納得できる。大学は、役に立つかどうかわからなくても、わかっていないことを明らかにしていくことに価値があり、それがなければ大学の意味がなく、一般市民も大学に「有用性」ばかりを求めていないはずである、という指摘は当たっているかどうかわからないが、そうあって欲しいものだと思っている。「知りたい」という欲望は人間として止められないものであり、学問としては自由であるべきだという考え方は納得できるものであり、また、それを応用するかどうか、というのは別の次元の問題であるという考え方にも納得できる。
 医療技術の進歩はめざましいものがあり、臓器移植やES細胞やiPS細胞などが脚光を浴びているが、いまは「有用性」ばかにり目が向けられ、そのメカニズムについてはほとんど何もわかっていない状況である。いまは「有用性」が主張できなければ予算も獲得しづらい状況であるらしいが、「有用性」の下にある基本原理についても明らかにすることは重要なことであり、「有用性」が主張できる先端技術だけに予算を振り向けるのは、土台を固める前に高いビルディングを建てるようなものであり、望ましいものではないと思う。
 ここに登場した勝木氏と田川氏は分子生物学者であるが、分子生物学者というのは、還元主義、応用主義一辺倒であるかと思っていたのに、勝木氏や田川氏のように、そうではない分子生物学者が存在していることを知ったことには、少しの驚きもあり、安心もした。
 ともあれ、橳島氏と4人の科学者の対話は、いろいろ考えさせられることがあり、読む価値の高い本であると思った。

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