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2012年1月21日 (土)

高橋雄造著『ラジオの歴史』

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高橋雄造著『ラジオの歴史 工作の<文化>と電子工業のあゆみ』

法政大学出版局
ISBN978-4-588-37117-2
4,800円(+税)
2011年12月5日発行
359+31+ix pp.

目次
はじめに
第I部 ラジオの初めからテレビ普及まで
第1章 電波の発見、無線電話、真空管の登場、放送の開始−欧米におけるラジオ
 無線電話−ロッジとマルコーニ/無線通信周波数帯の拡大/無線電話、連続波、真空管の発明/アマチュアの拡大と放送のルーツ/KDDA局による放送開始/ラジオ放送の拡大、大恐慌とラジオの普及/BCLとSWLの楽しみ
間章1 ラジオ雑誌の系譜I−柴田寛と『ラジオ科学』
第2章 日本におけるラジオ放送開始とラジオ雑誌−濱地常康の『ラヂオ』から『無線と実験』へ
 ラジオ放送事業の開始/濱地常康の『ラジオ』刊行/『無線と実験』の登場と成功
間章2 ラジオ雑誌の系譜II−第二次世界大戦後のラジ雑誌
第3章 日本のラジオ工業のあゆみ−自作ラジオと富士製作所(STAR)
 第二次世界大戦までの日本のラジオ工業/佐藤祐次郎・俊父子と富士商店/第二次世界大戦後のラジオ工業と自作ラジオ/スターコイルの富士製作所/ラジオ用高周波部品の規格全国統一/部品工業界のリーダー、富士製作所/コイルの横綱、スターとトリオ
間章3 山中電機の足跡−第二次世界大戦前のラジオメーカーと戦中の成長
第4章 日本のテレビと受像機工業−JAT、TVK、テレビキット、大企業による量産
 日本におけるテレビ放送の開始/テレビ放送とunofficialなセクターの貢献/日本アマチュアテレビジョン研究会(JAT)/TVK(テレビ部品技術研究会)、関西と名古屋の研究会/テレビキットのブーム/大手メーカーによる受像機量産と市場制覇/JATとTVKの評価
間章4 ポータブルラジオの白砂電機(シルバー)−ラジオ少年がつくった中堅企業
第II部 ラジオ工作とラジオ工業の諸相
第5章 ラジオ・エレクトロニクス技術通信教育の歴史−ラジオ教育研究会の通信教育
 日本における通信教育の歴史/本間晴の『東京無線技術講義』/戦後日本における社会通信教育の制度化/ラジオ教育研究所の設立/星合正治、溝上銈、高木昇らの役割/ラジオ教育研究所のラジオ工学講座の教育内容/代理部、ラジオキット、技術講習会/ラジオ工学講座の受講生たち/ラジオ教育研究所の終末
間章5 神田・秋葉原の電気街−ラジオ少年のふるさと
第6章 ラジオ・テレビと修理技術−修理サービスの重要性
 ラジオの故障と修理/テレビの故障と修理/カラーテレビの場合/修理技術者検定試験/ラジオ技術学校とテレビ技術学校/セットメーカーの受像機サービス要員訓練/修理サービスと海外市場の日本製電子機器/電子機器修理技術の今後
間章6 unofficialな研究グループ−十日会、テープレコーダー研究会、学校のクラブ
第7章 オーディオ愛好家と日本オーディオ境界−「世界のステレオ工場」への道
 電気蓄音機からハイファイへ/日本におけるLPレコードとハイファイ/レコード・コンサートと名曲喫茶/日本オーディオ協会設立のメンバー/全日本オーディオ・フェアの開催/日本オーディオ協会の工業会化
間章7 東京大学の「電気相談部」−第二次大戦後の学生アルバイト団体
第8章 トランジスターラジオ輸出とロックンロール−日本の電子工業の繁栄をもたらしたもの
 第二次世界大戦後の電子工業の成長と輸出の拡大/ロックンロールとトランジスターラジオ−米国の状況/トランジスターラジオ製造−輸出側日本の状況/戦後日本の繁栄はプレスリーや冷戦のおかげである
間章8 戦争、政治とラジオ・テレビ−技術進歩とプロパガンダ
第9章 ラジオ工作とunofficialなセクターの役割−男性性、電気技術者教育、「電気リテラシー」
 unofficialなセクターとofficialなセクターとの関係/ラジオ技術は学校の外で始まった/少年が男になるための技術習得/アマチュア精神とプロフェッショナル/ラジオ・テレビ・オーディオ工作の男性性/ラジオ工作、電気技術教育、市民の「電気リテラシー」
間章9 文芸に見るラジオ、女性とラジオ−世につれて変わるラジオ
おわりに
史料・文献
索引

 とあるSNSで本書の存在を知った。出版されて間もない本なので早速津市津図書館にリクエストしたところ、既に旧郡部である白山町にある津市うぐいす図書館に所蔵されていることがわかり、それを取り寄せてもらって借りてきて読んだ。かなりマニアックな本なので既に津市の図書館、しかも白山町にある図書館に所蔵されていたのが驚きであった。
 本書は表題のとおり、ラジオの歴史について記述されたものであり、副題の「工作の<文化>と電子工業のあゆみ」というのも、本書の内容をよく表している。
 本書の表題は「ラジオ」というものであるが、内容には「テレビ」や「オーディオ」も含まれている。また、ラジトやテレビの技術全体を扱ったものではなく、テレビやラジオを放送する側の技術やそのの歴史には全く触れられておらず、ラジオやテレビを聴いたり観たりする側のみの技術やその歴史について記述されている。テレビやラジオを放送する側の技術の歴史も興味深いものであるが、さすがにあまりに専門的すぎて、一般書としては売れないであろうことが容易に想像できる。
 本書を読むと、ラジオの普及にも、テレビの普及にも、officialなセクターよりもunofficialなセクターが重要な役割を果たしていたことがわかる。大きなメーカーが量産を始めたのはテレビやラジオがある程度普及してからの話で、それまでは小さなメーカーの製品が主流であり、自ら部品を集めて組み立てる自作も大流行したとのことである。ラジオぐらいならそれほど回路も複雑ではないので、自作をするのも容易だったと思うが、テレビの初期にはキットも売り出されていたというから驚きである。この背景には、ラジオやテレビには高率の物品税がかけられていたことも自作を後押ししたということがあるとのことである。また、ラジオやテレビは故障して当たり前であったから、それが多数の技術者が必要となる原因となり、技術者を養成するための学校もたくさんつくられた背景となっているということである。ラジオやテレビの普及の背景には、今となっては想像もできないような歴史があるのには、大変驚かされた。
 本書の内容からは少し外れる。ぼくが物心付いた頃に、既に我が家(実家)にはテレビが存在し、小学校に上がる頃(昭和40年頃)には既にカラーテレビがあった。その背景には、ぼくの父が名古屋にある民間放送テレビ局に勤務していた(技術者ではないが)ということも関係しているはずである。我が家のテレビは本書に書かれているようにしばしば故障し、近所の「スギヤマラジオ」のご主人が、多数の真空管と工具やテスターが入った箱と回路図やサービスマニュアルを持参して修理に来て、それを横から眺めていたことを覚えている。ぼくが中学生ぐらいになり、このカラーテレビがお払い箱になったときには、中を分解して部品を取り外したのだが、これには大きくて重い電源トランスが搭載されており、真空管のヒーターは全部6.3Vの電圧で点灯されていたことがわかった。一番大きな水平出力用の真空管には6JS6Aが使われていた。コスト削減のためにトランスレスのテレビが多かったであろう時代に、大きくて重くてコストがかさむ電源トランスを搭載していた我が家のカラーテレビは高級品だったのかも知れない。
 それ以前の話になるが、我が家(実家)にはST管のマジックアイ付きの中波と短波の2バンドの6球スーパーラジオが存在しており、ぼくが中学校に上がるまではけっこう活躍していた。意外なことに、これが故障したという記憶は残っていない。いくら古くても、テレビとは真空管の数が全然違うので、故障する確率も低かったのだろうと思う。
 こうやって思い返してみると、ぼくがアマチュア無線に興味を持った背景には、「スギヤマラジオのオジサン」がカラーテレビを修理しているのを見ていたことが関係しているのかも知れない。その後、電子機器が壊れると、たいてい中身を見てはバラしたし、ときには壊れていないものでも、中を見たくてバラしてしまうこともあった。今でも、バラせそうなラジオなどは中身を見たくて仕方がない。2003年頃にはダイソーが105円でラジオを売っていた(一般に「100円ラジオ」と呼ばれているものである)ので、それを買って中身をバラしたのだが、中にはワンチップのICが使われているのではなく、普通のトランジスタを使った教科書的なスーパーヘテロダインのラジオだったことに甚く感激した。
 話を本書に戻す。ともあれ、本書は、めまぐるしく変わる情勢のなかでの日本の民生品における電子技術の発展の歴史を俯瞰することができ、最後まで面白く読むことができた。もっとも、ぼくが面白く読むことができたのは、ぼく自身に多少ともなり「ラジオ少年」の遍歴があるからかも知れない。
 ここで、現代に話を移すが、現代の電子機器はあまりに高度に複雑になりすぎて、unofficialなセクターが影響力を持つことができない(アマチュアの手に負えない)ものになっている。本書に書かれているように、テレビやラジオの普及にはアマチュアの存在が大きな影響力を持っていたが、今では電子技術の推進は大きな資本をもっている者に依存せざるをえない状態になっている。コンピュータや携帯電話などもそうで、もうアマチュアが貢献できる場所はほとんど無くなっているように思われる。聞くところによれば、大学の工学部の入学において、いま最も難易度が低いのは電気・電子の分野だそうである。ぼくが大学に入る頃には、電気・電子の分野はまだ工学部の中では上位の方であった。電気・電子機器がブラックボックス化されてくると、電気・電子機器そのものに興味を持つ若い人が少なくなることは自然の流れなのかも知れない。一時期「電子立国日本」などというキャッチフレーズが使われたこともあったが、今となっては霞んでしまっているように思える。そういう意味では、本書は日本が「電子立国」として発展しつつある時代を描いたものであり、本書のような記録が残されたことは意義のあることだと思う。
 話は全く変わるが、本書のなかにコオロギの研究家として著名な松浦一郎氏の名前が出てきたことに驚いた。昆虫少年でもあるぼくが知っている松浦一郎氏はコオロギの研究家であり、まさか本職が音響技術者であるとは知らなかった。コオロギは鳴く虫であるから音響技術者である松浦一郎氏が興味を持ったのか、鳴く虫であるコオロギが好きだったから松浦一郎氏が音響技術者になったのかはわからないが、この繋がりには「なるほど」と思わされた。

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コメント

故松浦氏はかつて日本セミの会の会員で、何編か会報に報文を書かれていますが、すべてセミの音声に関するものです。セミの録音の方法について書かれたものもありました。様々な鳴く虫に関する音響学的著作もあったはずで、私は音響の専門家だと思っていました。御子息もそうだったと思います。

投稿: Zikade | 2012年1月21日 (土) 14時00分

ラジオ。小さいころはラジオしかなくて、小学校2年やったか3年に初めて我が家にテレビが登場しました。でも中学・高校はラジオの深夜放送が友達、大学生になって一人暮らしになったらテレビが買えず、引き続きラジオ。社会人になっても、虫を見るときはずっとラジオ。テレビは”ながら”ができひんのであかんです。こうやって見るとほとんどがラジオの生活でした。尤も、テレビをさして見たいとも思いません。単身赴任先の寮の一室で一人でテレビを見ても全然面白くないですね。テレビは数人でわーわー言いながら見るものとゆうことが分かりました。

投稿: Harpalini | 2012年1月22日 (日) 07時32分

Zikadeさん、コメントありがとうございます。
松浦一郎さんが日本セミの会の会員だということは知りませんでした。音響の専門家だということであれば、音を出す虫に興味を持たれたのは自然な流れですね。

Halpaliniさん、コメントありがとうございます。
ポクも「ながら」ができないのでラジオの方が好きです。今でもテレビはあまり見ません。「ながら」と言いながら、本当にラジオを聴きながら勉強ができたかどうかは怪しいです。

投稿: Ohrwurm | 2012年1月22日 (日) 21時20分

ラジオやテレビも僕らが生まれる前は自作やキットだったんですね。そういえば、約30年前に大学の寮の先輩がパソコンのキットを組み立ててゲームをやってたことを思いだした。それから3年くらい後に富士通やNECがPCを売り出したはず。

投稿: ミノル | 2012年1月28日 (土) 10時11分

ミノルくん、こんにちは。
いや、ボクも実用に供されるラジオやテレビのキットがあったとは知りませんでした。よく知っているのはボクらより少なくとも10歳は上の人ではないかと思います。
そういえば、某シンちゃんが学生時代に、富士通のFM-8をいじっていたのを覚えています。カセットテープを使ってプログラムを読み込ませてゲームをやっていましたね。今のシンちゃんがあるのも、その頃の経験が大きく影響している感じがしますね。

投稿: Ohrwurm | 2012年1月28日 (土) 20時46分

「ラジオの歴史」拝読。私は70歳を超えた元HAMキチであった元気な老人です。拙宅に、昭和18年12月製造の・東京大森「山中電機株式会社」製-超短波無線連絡装置・形式R-169(自分で改良部分ある)が存在します。何十年か前に太平洋戦争の実写映画で見た記憶有り、転勤のたびに大事に移動させて今になっております。改良は、昭和28年頃に秋葉原で朝鮮動乱後の部品等を使って自分で改良。
最近、寄贈も考え「山中電機(株)」の所在を探したが不明、どこか博物館や自衛隊に寄贈とも思いますが、良い案あればご教示ください。

投稿: 小林 薫 | 2012年4月 1日 (日) 23時35分

小林薫さん、はじめまして。コメントありがとうございます。貴重な無線機をお持ちなんですね。昭和18年製造ということは軍事用の無線機でしょうか?現在でも動作するとすれば、非常に貴重なものだと思えます。もし寄贈されるとすれば、国立科学博物館あたりになろうかと思いますが、たくさんのコレクションなら引き取っていただけるようにも思えますが、1台限りということであれば、難しいかも知れないですね。引き取っていただけなくても、どこか紹介していただけるかも知れませんので、国立科学博物館に問い合わせられたら良いのではないかと思います。

投稿: Ohrwurm | 2012年4月 2日 (月) 21時49分

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