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2011年11月 2日 (水)

「ら抜き言葉」(2011年11月2日)

 夜中に蚊に刺されて目が覚めたら眠れなくなってしまった。困ったことである。仕方がないので、こんなことを夜中に書いている。

 ところで、11月1日付け中日新聞夕刊の「読者の森」の欄の「自著を語る」に『「ら抜き言葉」の果ては?』という表題で、『知らなかった!日本語の歴史』という本の著者の浅川哲也氏(首都大学東京准教授)の主張が書かれていた。
 ここでは、「ら抜き言葉」は現代日本語の乱れであり、「誤用」であるとはっきり述べられている。しかしボクは、そこに東京の言葉しか見ていない東京原理主義的な驕りを感じた。
 ボクが生まれ育った尾張地方の言葉は「ら抜き言葉」であるし、今住んでいる伊勢地方の言葉も「ら抜き言葉」である。例えば「食べることができない」は尾張であれば「食べれーせん」であるし、伊勢では「食べれやん」である。
 そのように、まず「ら抜き言葉」が現代日本語の乱れと捉えることがおかしい。「ら抜き言葉」は地方の言葉として昔から存在していたのである。おそらく他の方言にも「ら抜き言葉」はたくさん存在しているであろう。
 つぎに何故「ら抜き言葉」が広まっているのかということを考えることも大切だと思う。「ら抜き言葉」が広がるにはそれなりの長所があるからに決まっているではないか。そこのところの考察を抜きにして「ら抜き言葉」が「誤用」であると断定する浅川氏は、学者として資質を欠くのではないか?
 まず、「食べられない」では「可能」なのか「尊敬」なのか「受け身」なのか文脈から区別するしかないではないか。「来られない」でも同様である。そこを「食べれる」とか「来れる」にすれば、文脈を見なくても「可能」であることが簡単に分かる。その点で、「ら抜き言葉」はより論理的に表現できるという長所がある。ボクは論理的な文章を書くことが仕事であるから、間違っても「食べられない」とは書かない。そういう場合には「食べることができない」と書く。
 「ら抜き言葉」は文法的に間違っているという主張なのかも知れないが、文法というのは「そもそも文法ありき」ではなく、その時代に使われていた言葉の使用法の法則を説明したものが「文法」ではないのか?
 以上のように、素人であるボクが考えただけでも、浅川氏の主張が論理性に欠いているということを指摘できる。
 浅川氏の著書を読んだわけではないが、「日本語の歴史」とは言っても、日本各地の言葉を拾い上げたのではなく、その時代に権力を持っていた人が暮らしていた地方の言葉の変遷を取り上げただけではないかと想像する。
 地方を無視する浅川氏は視野が狭すぎる。


【2011年11月5日追記】
ネットにも記事がでていました。リンクを張っておきます。
http://www.tokyo-np.co.jp/book/jicho/jicho20111101.html

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コメント

爆笑しながら読んだコミックエッセイの『日本人の知らない日本語2』の中に「ら抜き言葉はなぜ生まれたか」という項目があって、まさにOhrwurmさんが指摘されているようなことが記されています。
「出る・着る・来る」を例にあげて、これらは可能形/受身・尊敬形がともに「出られる・着られる・来られる」と同じになる……でも、それではまぎらわしいので「ら抜き言葉」が生まれた(「出れる/出られる・着れる/着られる・来れる/来られる」とすれば判りやすい)という説(?)が紹介されていて、「なるほど合理的だ」と思いました。
現状では話し言葉ならOK・書き言葉はNGとされる場合が多いそうですが、専門家の中には「日本語の乱れというより必然だから」という理由で「ら抜き言葉」容認派もいるそうな。

ちなみにこのシリーズは日本語学校を舞台とした漫画で、日本語を学ぶ外国人と日本人教師のやりとり(素朴な疑問や誤解など)が面白く描かれています。
「ら抜き言葉はなぜ生まれたか」では、尊敬語の授業中、教師に対して「マジですか?」と口走った生徒に対し先生が「丁寧に言い直してみましょう」とたしなめたところ、返ってきたのが「マジでございますか?」──なんてエピソードもあったりします。

投稿: 星谷 仁 | 2011年11月 2日 (水) 05時21分

星谷さん、いつもコメントありがとうございます。
 やはり、ボクと同じようなことを考えている人が少なからず居るんですね。多様性を大切にしたいボクとしては、あえて「ら抜き言葉」を使わない人にまで「ら抜き言葉」を広めようとは思いませんが、自分が子供の頃から慣れ親しんできた「ら抜き言葉」を大切にしようと思います。お互い「日本には自分が使う言葉とは違う言葉がある」ということを認識して、お互いを尊重することが大切だと思います。
 ところで、「マジでございますか?」には笑ってしまいました。

投稿: Ohrwurm | 2011年11月 2日 (水) 20時34分

星谷さん、追伸です。
ずいぶん早起きですね。

投稿: Ohrwurm | 2011年11月 2日 (水) 21時09分

文法は唯一無二ではなく、諸説ありですね。
浅川というセンセイは江戸あたりの歴史的言語が専門らしいので、「ら抜き言葉」なんかに目くじら立てるような学説を唱えるようには思えませんがどうしちゃったんでしょうね?

言葉は社会的な約束の大きな束で、人々の間に「その言い方、とてもイイネ(^_^)/」という暗黙の約束が結ばれると、「誤用」が「誤用」でなくなる・・・とは井上ひさしの言です。

有名な例では「とても良い」は大正期までは誤用だったそうです。

敬語や謙譲語の使用がルーズになってきて、「られる」が可能なのか尊敬なのか受け身なのかわかりにくくなってきて、「ら抜き言葉」は誤用とは言えなくなってきたということでしょうか。東京文化帝国主義とは違うと思いますよ(^_^;)

投稿: こけた | 2011年11月 2日 (水) 21時41分

こけたさん、コメントありがとうございます。
 現代の統一された日本語を作るにあたり、当時(明治初期?)の人たちは苦労されたと思いますけど、「お上」が決めたからと言って、それぞれの土地の言葉がすぐに変わるわけではないはずですので、いろいろな言葉や言い回しがあっても良いと思うわけです。
 浅川センセイの文章の中の「ら抜き言葉は誤用である」という繰り返しの主張からは「東京文化帝国主義」を感じました。東京新聞にも掲載されていたようですので、こけたさんも読まれたのですよね?

投稿: Ohrwurm | 2011年11月 2日 (水) 21時55分

「着られる」というか,「着れる」というか,それとも別の語形を使うかについて,国立国語研究所の方言文法全国地図というのがあります。pdf で見ることができます。また,ダウンロードもできます。僕が生まれ育ったところは神奈川県座間市で,「着れる」の地域です。「黒いイチョウの葉」のような印で示されています。一方,県境をはさんだ東京では「着られる」で,「緑色のしずく」のような印で示されています(神奈川でも川崎では「着られる」ですし,東京でも町田では「着れる」です)。

例えば,「この着物は古くなったけれども,まだ着ることができる」と言うとき,「着ることができる」のところをどのように言いますか。」という質問に対する回答として得られた語形を,全国地図で見ることができます。

凡例
http://www6.ninjal.ac.jp/siryokan_data/drep_siryokan/gaj_map/GAJ_176_e.pdf

地図
http://www6.ninjal.ac.jp/siryokan_data/drep_siryokan/gaj_map/GAJ_176_m.pdf

井上史雄,鑓水兼貴(編)(2002)『辞典〈新しい日本語〉』(東洋書林),235-237頁に「ラ抜きことば」の定義,発生年代,小説などの使用例,全国分布などについて詳しい説明があります。

「見れる」「食べれる」「信じれる」「確かめれる」など,動詞語幹の拍数で,「ラ抜きことば」の使用頻度・容認度を観察するとおもしろいと思いますよ。

僕が習った現代言語学ではことばについて何が正しくて何が誤りであるかについては問題にしないことになっていますが,多様性を重んじる立場からすれば,「いろんな学者」がいてもいいということになるのではないでしょうか。

投稿: もとやす | 2011年11月 3日 (木) 09時27分

いま、東京新聞(11月1日)で、浅川哲也首都大学東京センセの「自著(『日本語の歴史』東京書籍¥1680)を語る」を読みました。

この書でセンセは、奈良時代以前の日本語では「藤原」は「プディパラ」と発音されていたと考えられる・・・という、日本語の「主に発音の変化の歴史を説きたかった・・・ということと、
「「ら抜き言葉」に代表されるような現代日本語の誤用が社会に拡大している状況への危機感」とがどうつながるのか、「東京語を基盤として成立した全国共通語の規範的な運用という観点からみると「ら抜き言葉」は明らかな誤用」と書いているようですが、確かに唐突であり、ファッショ的(原理主義的、帝国主義的)ですね。こんなセンセが教育に関係しているとは、オソロシイ。

このセンセ、略歴を見ると國學院大博士課程を修了(文学博士)、都立高の先生を経て現職(准教授)ということですが、もしかすると「新しい歴史の会」とか石原シンタロー、国歌国旗主義で全国の先陣を張る都教委なんかに長いこと痛めつけられて、脳が石原東京方向に歪んでしまっているのかもしれません。(掲載写真を見るとややメタボですが)。

同じ日の東京新聞の対向面に佐藤愛子の『北杜夫さんをしのぶ』という弔文があって、佐藤愛子が北杜夫に「有名なお父様をお持ちになってどんなお気持ちですか」と神妙に問われた・・その時佐藤は北が斎藤茂吉の子息とは知らなかった・・・後にそれを知って「あの野郎!」と思った・・・とか、同人先輩に礼儀をしらぬとたしなめられた若き北杜夫が、電柱に立ちションベンをしながら「なんでィ! 偉くなりゃいいんだろ・・・偉くなりゃ・・」と夜空に向かって怒鳴っていた・・・という回想に、大爆笑しました(^_^)/

投稿: こけた | 2011年11月 3日 (木) 20時56分

もとやすさん、コメントありがとうございます。
 面白いデータのご紹介ありがとうございました。こういう地道なデータをしっかり集めるということは、やはり研究には必要なことだと思います。データは説得力を持ちますからね。これを見ると、尾張地方だけでなく、愛知県全体が「ら抜き言葉」の地域であることがわかります。三重県も、ボクが住んでいるあたりは「ら抜き言葉」の地域のようですが、県内でもかなり「分化」しているようですね。

こけたさん、再びコメントありがとうございました。
 いや、まさにおっしゃるように、唐突に「ら抜き言葉」のことが出てきて、ありゃりゃ?という感じです。
 そころで、ボクも佐藤愛子さんの北杜夫さんへの弔文を読んで、こけたさんと同じところで笑ってしまいました。有名人を親に持つということは色々と大変なことだと思います。

投稿: Ohrwurm | 2011年11月 3日 (木) 21時20分

確かに、ら抜き言葉は「可能の分離」が可能ですが、これは結果として生じたことであり、「可能の分離」ありきで広まってはいません。
これは「考えられる」など長い動詞では起こりづらいという点から見れば一目瞭然です。
本当に可能との分離を図るのであれば、一律「ら抜き」にならねばなりません。
要するに、「取れる」と「食べられる」など、「れる」でよい場合と「られる」がよい場合の区別が付かなくなって話しているのですから、誤用であるわけです。
それを「可能の分離が附くからよいではないか」と言ったところで、誤用は誤用。利点が有るか否かと誤用は別問題です。
また、私は方言は非常に尊重する考えです。
ですから、方言としてら抜き言葉を使うことは至って宜しいことと考えています。
しかし、それを方言でない語に持ち込んだり、方言でない語で「ら抜き言葉」を用いる根拠にすることは、甚だ見当違いであると私は思うのです。

投稿: makewisteria | 2011年11月 4日 (金) 06時50分

井上史雄(2003)『日本語は年速一キロで動く』(講談社現代新書)の26頁に,ラ抜きことばは,明治初期に愛知県などで使われていたことが分かっており,その後中部地方を経て東京に入ってきたと思われる」とあります。今度,井上先生にこのような「長距離移動」を考えなければいけない理由を訊いてみたいと思いますが,1つのおもしろい仮説であるのは確かです。

投稿: もとやす | 2011年11月 4日 (金) 07時33分

makewisteriaさん、コメントありがとうございます。
 生態学あるいは進化学的な考え方に基づけば、他のものと比べてその形質が有利であれば、その形質は集団の中に広がります。いわゆる「標準語の文法」は人工的に作られたものですが、自然に生まれた言語を人工的に規制しようとしても、その規制が自然に逆らったものであれば、その規制は無視されるものになると考えられます。ここで「標準語の文法」が唯一絶対的な規則であれば、「ら抜き言葉」は「誤用」と認定されることかも知れませんが、たかだか人間が人工的に作ったものが自然に逆らえるわけではないと思います。人工的に作られた「標準語の文法」が唯一絶対的な規則と考える人にとって「ら抜き言葉」は許されないことかも知れませんが、「ら抜き言葉」が有利な形質であれば、それが広がることは自然なことであり、それを抑えることは難しいと考えられます。いくら「ら抜き言葉」は「誤用」だと主張しても、これから「ら抜き言葉」は自然に広がっていくものと思います。浅川氏が「学者」であるのに、それぐらいのことが理解できないから浅川氏には「学者」としての資質に欠くと思えるのです。
makewisteriaさんは守ることが難しいような規則でもすべて守りますか?自動車を運転する時は、常に制限速度を守っていますか?

投稿: Ohrwurm | 2011年11月 4日 (金) 20時20分

ら抜き言葉の是非はともかく、決められた標準語を暗に強要されるのは、かの国の北京語標準語化と同じような感じで拒否感がありますね。もっと伝統の言葉を大切にしないとと思います。関西で落語家を目指す人は、今はかなり使わなくなった船場言葉をまず勉強させられるそうですが、それを使えないと落語に違和感が出るからです。学生の時に愛知県生まれの友人に、”なぜこれだけテレビで標準語が行き渡ってるのに関西人は標準語を使わないのか”と聞かれたことがあります。こちらからすればなぜテレビのアナウンサーの真似をするのかが疑問だったので、そう聞き返しましたが、答えは返ってきませんでした。今は各地の方言が市民権を得て、俳優やタレントや歌手の皆さんは平気で出身地の言葉を使われるのでほっとします。

投稿: Harpalini | 2011年11月 4日 (金) 20時22分

もとやすさん、面白い本の紹介ありがとうございます。
 今の世の中は人の動きが激しいので、言葉の動きも速くなっているでしょうね。
 「学者」は、現状を正しく把握し、それがどんな背景を持っているかを説明すべきで、「ら抜き言葉」は「誤用」であると現状を非難するだけなら「学者」とは呼べないですよね。

投稿: Ohrwurm | 2011年11月 4日 (金) 20時29分

Harpaliniさん、コメントありがとうございます。
 まさにそのとおりで、普段は「ら抜き言葉」を使っているのに「お上が決めた標準語」を強要されるのは、気分は良くないです。関西の人が他所の土地に行っても自分の言葉を変えないことには敬意を表します。尾張の人が他所の土地に行くと地元の言葉を隠そうとするのは、やはり気が小さいからではないかと思います。そのあたりについては作家の清水義範氏が『蕎麦ときしめん』という小説で自説を披露されていますが、「なるほど」と思わされました。
 ボクは学生時代を京都で過ごしましたが、関西の言葉は表現が豊かで羨ましいと思いました。とくに「尊敬」とか「丁寧」の表現は素晴らしいと思いましたし、とても「標準語」では表現できないと思いました。

投稿: Ohrwurm | 2011年11月 4日 (金) 20時40分

言葉は生き物ですから、らぬき言葉もOKとなる日が来るかもしれませんね。辞典の次の改訂版で、”来られるの欄で、1.来ることが可能な事、話し言葉では来れるともいう”から更なる改訂版で”来れるともいう”になってみたいな感じで。老人の方は孫の成長を見て、”大きゅうなったなぁ”などとよく言いますが、今の若い人は使わないですよね。う音便は古典の名残ですが、関西では今でも結構使います。昆虫の分類の論文は殆どが英語ですので、このニュアンスの理解が難しくて、査読で誤った指摘をしないようにするのに結構苦労します。分類では古い論文を沢山読まざるを得ないので、誤って今や使わなくなった言葉に修正する懸念があります。常に新しい辞書を用意しておかなければなりませんね。

投稿: Harpalini | 2011年11月 5日 (土) 09時15分

makewisteriaさん,はじめまして。「方言でない語」というのを何度かお使いですが,makewisteriaさんの考える「方言でない語」というのは,どこにあるのでしょうか。国語教科書? NHKアナウンサーの規範? 国語辞典?

たとえば,「十匹」ということばの発音を小学校1年生にどのように教えるかという問題があります。ここには,明らかに「国語」「標準語」が顔を出します。

たとえ教科書に「じっぴき」が正しくて,「じゅっぴき」は間違いだと書いてあったとしても,教育の現場でそのように教えたとしたら生徒の間に無用な混乱を招きます。ですから,僕は「じゅっぴき」という読み方でもよい,でも「じっぴき」という読み方もある,と教えれば良いと思います。

makewisteriaさんのお考えだとどのようになるのでしょうか。

投稿: もとやす | 2011年11月 5日 (土) 09時41分

Harpaliniさん、おはようございます。
 「ら抜き言葉」についてはともかく、英語のニュアンスとなるとお手上げですね。ボクには英語の言い回しの細かいところはわかりませんので、査読のときには「論理の流れに矛盾や誤りはないか」という点のみに気をつけています。

投稿: Ohrwurm | 2011年11月 5日 (土) 09時45分

もとやすさん、おはようございます。
 ボクは「十匹」と同様の例には中学生時代の思い出がありまして、「五十歩百歩」を普段「ごじゅっぽひゃっぽ」と発音しているのに辞書には「ごじっぽひゃっぽ」と書かれていて驚きました。このことを当時の中学の国語の教師も知りませんでした。

投稿: Ohrwurm | 2011年11月 5日 (土) 09時52分

方言の話で小学生の頃の傑作なテストを思い出しました。作り話やないです。ホンマにあった事です。
先生が向こうからやってきます。正しい言い方を次から選びなさい。
1.先生が来る。
2.先生が来ます。
3.先生が来られます。
4.先生がいらっしゃいます。
5.先生が来はります。
模範解答では3と4が正しいわけですが、5はほんま地域色を表してると思いませんか。こんなとぼけたあほな問題を出す地域はまずあらへんでしょう。それくらい関西の人間は方言にまみれて、というより方言を方言と思わず子供のころからしみついています。これを、NHKのアナウンサー語に直すんはなみたいていやおまへんでぇ。ひと昔前は関西出身者が俳優や歌手を目指すにはまず言葉づかい矯正からやったそうです。到底無理やと思いますが。

投稿: Harpalini | 2011年11月 5日 (土) 17時13分

Halpaliniさん、コメントありがとうございます。
関西を標準とすれば(5)が正解ですね。(笑)
尾張なら「先生がいりゃーす。」が正解になります。

投稿: Ohrwurm | 2011年11月 5日 (土) 19時27分

”くりゃーす”やのうて”いりゃーす”なんですね。そういえば愛知県の友人はよく”まわしする”と言っておりました。準備するという意味らしいのですが、今でも使うのでしょうか。それと、あほなことをいうのを”とろくせゃーことこーとる”と言ってました。今の赴任先の三河はそれに比べるといささか言葉が荒っぽい感じがします。行くよねぇ、と言うのを”行くだらぁ”と言います。オバサマから言われると、ちょっと引きますね。方言ネタで引っ張るのはこれくらいにしておきます。興味は尽きないですが。

投稿: Harpalini | 2011年11月 5日 (土) 20時39分

なかなか盛り上がってますね、皆様のコメント楽しく拝見しました。話が多少ずれるかもしれませんが、以前NHKで標準語がどのようにできたかという歴史物の話。政府から依頼されたある学者が明治新政府に配慮して、基本骨格の東京弁に京都の公家弁、長州弁、鹿児島弁の単語をブレンド。負け組の尾張弁は当然不採用、最大目的は各地から寄せ集めた軍隊での指示命令や意志疎通を図ること。言語学者が後付けでもっともらしく文法を作ってもなかなかね?国の名前でさえ前後の文脈などで、ニホン ニッポン と使いわけている柔軟性のある日本国民。新聞記事は別としても、日常会話における ら の有無で目くじらをたてるほどのことは無いのでは。

投稿: ミノル | 2011年11月 6日 (日) 10時42分

Halpaliniさん、またまたコメントありがとうございます。
 同じ愛知県でも尾張と三河では言葉が多少違うようです。「〜だらぁ」というのは遠州の言葉の影響を受けていると思います。尾張では使われません。

ミノルくん、コメントありがとう。
 まさにおっしゃるとおりです。あまり細かいところにばかり目が向くと、本質を見失ってしまう危険がありますね。

投稿: Ohrwurm | 2011年11月 6日 (日) 19時48分

標準語の成り立ち、納得しました。ただ京都の公家の言葉やアクセントは殆ど標準語に反映されていないような気がします。先に書いたう音便くらいのような。話はそれますが、関西人の言葉を完全な標準語にさせるのはほぼ無理ですが、それと同じくらい関東圏の方が京言葉や大阪弁をしゃべるのも不可能ですね。お江に出演していた千利休の石坂浩二の大阪弁は受け入れがたかったですね。聞いていてはらはらしました、どこでアクセントを間違えるかと。字面はまねられてもアクセントがハチャメチャです。あれは大阪出身の役者を使うべきだったでしょう。

投稿: Harpalini | 2011年11月 7日 (月) 11時57分

Harpaliniさん、コメントありがとうございます。
 関西の人が東京に行っても東京の言葉を使わないのは、自分の言葉に自信を持っているというわけではないかも知れませんね。京都の大学時代のこと、東京から来ていた友達で、全く関西の言葉に染まらず、ずっと東京の言葉(標準語というわけでもない)を喋っていたのには感心しました。ボクは7年も京都に住んでいたおかげで、今の喋り言葉には関西訛りが入っていることが多いです。でも、ミノルくんたちのような高校の同級生が集まって一緒になれば、完全に尾張の言葉になります。やはり尾張の言葉が一番安心して喋れますし。

投稿: Ohrwurm | 2011年11月 7日 (月) 20時04分

大阪弁は気づかない間に染まるようですよ。大学の時に東京出身の友人がいつの間にか、”あかん”とか”あれへん”とか”何とかやろ”とか、ついつい使いやすい言葉を発していました。でもアクセントまでは移らないので、けったいな大阪弁でした。会社は元々大阪に本社があったので、今の赴任先の豊川の開発部でも、会議をすると、愛知県その他の県の方が多いにもかかわらず、おかしな大阪弁が飛び交っております。

投稿: Harpalini | 2011年11月 8日 (火) 07時11分

Harpaliniさん、いつもありがとうございます。
 関西の言葉はテレビやラジオからも聞こえてきますから、知らないうちに染まってしまうこともありますね。

投稿: Ohrwurm | 2011年11月 9日 (水) 06時49分

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