北杜夫さんご逝去(2011年10月26日)
作家の北杜夫さんが2011年10月24日にお亡くなりになった。1927年5月1日生まれだから84歳。ボクの父より2歳年上である。最近は体の自由が利かなくなってきたという話は聞いていたので、新しい作品が生まれることはもう無いのではないかと覚悟はしていた。
北杜夫さんは、ボクが好きな作家の一人である。と言うか、ボク自身文学自体にほとんど縁がないので、ボクが作品を読んだことがある数少ない作家のなかの一人である。
初めて北杜夫さんの作品を読んだのは、ボクが中学生のときの「どくとるマンボウ昆虫記」である。それまでのボクは、本と言えば、学校の教科書を除けば昆虫図鑑か自然科学系の百科事典しか開いたことがなかったので、初めて文学に接したのが北杜夫さんの作品だと言っても良い。「どくとるマンボウ昆虫記」を読んだのも、学校の夏休みの宿題で読書感想文を書かなければいけなかったので、仕方なく読んだというのが実態である。
しかし、これをきっかけにして「どくとるマンボウ航海記」など「マンボウもの」を手始めに色々と北杜夫さんの作品を読むようになった。そして高校生のときのことである。短編集「夜と霧の隅で」の中に収録されている「谿間にて」を読んで、ゾクゾクするような興奮を感じた。虫好きのボクにとって、滅茶苦茶リアリティの高い作品で、それ以降に読んだ文学作品の中で、これ以上の興奮を感じたものはない。
比較的最近になって(5〜6年前のことだったと記憶している)、古本屋に並んでいる箱入りの「白きたおやかな峰」を何となく買って読み始めた。これは、北杜夫さんがカラコルムのディラン峰の登山隊に医師として参加したことを取材源として書かれたものであるが、これもリアリティに溢れゾクゾクさせられた作品だった。
今年の日本昆虫学会の大会は、北杜夫さんが旧制高校時代を過ごした信州大学の松本キャンパスで開催され、会場の一角では「どくとるマンボウ昆虫展」が開催されていた。そこには、さまざまな作品についての解説ばかりでなく、北杜夫さんが旧制松本高校の学生だった頃に上高地や疎開先の山形で採集した昆虫が展示されていた。北杜夫さんはコガネムシが好きだということだが、採集されていたのはコガネムシだけでなく、ありとあらゆる分類群にわたる昆虫であった。その会場では北杜夫さんのサイン入りの「どくとるマンボウ昆虫記」の文庫本が販売されていたので、迷うこと無く買い求め、あらためて「どくとるマンボウ昆虫記」を読み直してみた。ほとんど40年ぶりぐらいに読んだ「どくとるマンボウ昆虫記」であったが、北杜夫さんが様々な分類群の昆虫についての知識を持っていたことにあらためて感心させられ、また文章の巧さ(プロの作家なのだから当たり前かも知れないが)にも感心させられた。
これに刺激され、昆虫学会から帰ってきてから、図書館から北杜夫さんの本を何冊か借りてきて読んだが、どれも楽しかった。
晩年は北杜夫さんの父である斎藤茂吉についての評伝もまとめられていたようであるが、ボクには斎藤茂吉の偉大さがわからないので、これについてはよくわからない。
まだまだ長生きされれば、もっと面白い作品が生まれたかも知れないが、北杜夫さんは純文学からユーモア小説やエッセイまで、幅広いジャンルで十分たくさんの作品を遺されたと思う。安らかに眠っていただきたいと思う。合掌。
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コメント
北杜夫さんは、信州大に進んだものは多少の差はともかくみんな興味を持つ人です。特にドクトルマンボウ青春記はかつてあった県の森の寮の話が中心なので県の森には特別の思いがあります。北さんの標本は自宅の火事で殆ど無くなりそれ以来虫はやめたと聞いたことがありますが、残っていたのですね。その当時上高地は行くのは多分島々谷を遡行するしかなくて大変だったでしょうけれど、それはそれは沢山の虫が花に群がっていたのでしょう。徳本峠の辺りは一時道が整備されて虫が少なくなっていましたが、10年以上前に久々に徳本峠に行ったら登山者が減って虫はまた増えていました。10年以上前の豪雨で島々谷はズタズタになり、岩魚止めの小屋もやっていなくて、谷を通ることはできなくなってしまいましたが、それが結果的に虫には良かったのでしょうね。あのコースは上高地の分岐点から岩魚止めまでが採集ポイントだったのですけれど、残念です。人が入らなくなったので徳本峠から岩魚止めまでのところはきっともっと虫が復活して増えていると思います。北さんは躁うつ病持ちで有名でしたが、ある番組でマレーへコーカサスカブトムシを採りに行く番組の収録時は最悪の欝だったそうです。そんななかで勿論やらせでカブトムシを見つけたふりをさせられて更に滅入って散々だったと後日語っておられました。
投稿: Harpalini | 2011年10月27日 (木) 06時55分
北杜夫さんの昆虫記に私たち虫屋が今でも経験するくだりがありますね。昆虫記を読んで思わず笑ってしまいました。 好奇心旺盛なおばちゃん登山者:なにしたはるんですか? 私:虫を取ってるんですが・・。登山者:何の虫ぃ? 私:答えをちょっと躊躇して、地面を這ってる小さな歩行虫です(ゴミムシというと更に質問が飛んできて厄介なので)。登山者:どんなん、見せて。ワーちっちゃぁ。こんなとこにこんな虫いてるんや。これ採ってどないしはりますのん。私:はぁ、標本にして色々調べます。登山者:ふ~~ん、調べてどないしはりますのん。私:(しつこいなぁと思いつつ)面白い虫がいてたら学会誌で発表します。登山者:へえ~~、いろんな人がいたはるねんあぁ。佃煮にでもするんかと思うたわ。お金になるのん? ははは~~。ほしたら頑張ってやぁ。 というわけでようやく解放されるわけですが、採集に行ったら好奇心に満ちた一般登山者から目をそらすのは私だけでしょうか。
投稿: Harpalini | 2011年10月27日 (木) 11時27分
Harpaliniさん、コメントありがとうございます。
ボクも中学生や高校生だった頃には信州に憧れたこともありましたが、大学受験の頃には、高山蝶が長野県の天然記念物になって採集できなくなっていたので、かなり魅力がそがれたと感じました。それ以降は南方志向です。石垣島で仕事をする機会を得たのも非常に幸運だと思いました。
一般人が虫屋を見る目は、昔も今もあまり変わっていないかも知れないですね。ボクは幸か不幸か、変な一般人の尋問を受けた経験はありません。「いかにも虫屋」と言った格好をしていないからかも知れません。
投稿: Ohrwurm | 2011年10月27日 (木) 23時29分