天笠啓祐著『生物多様性と食・農』
天笠啓祐著『生物多様性と食・農』
緑風出版
ISBN978-4-8461-0909-7
1,900円+税
2009年9月10日発行
206 pp.
目次
はじめに
第1部 生物多様性とカルタヘナ議定書
第1章 生物多様性とは?
第2章 生物多様性条約の争点
第3章 カルタヘナ議定書とその争点
第2部 遺伝子組み換え生物と生物多様性
第1章 遺伝子組み換え作物はどのように生物多様性を破壊するか
第2章 遺伝子汚染を防ぐことは可能か?
第3章 遺伝子組み換え動物が食品に
第4章 体細胞クローン家畜
第3部 生命特許とグリーン・ニューディール政策
第1章 生命特許・遺伝子特許
第2章 オバマ政権とバイオ燃料
第3章 グリーン・ニューディール政策と地球環境
第4部 生物多様性を守る取り組み
第1章 市民による遺伝子組み換えナタネ自生調査
第2章 拡大するGMOフリーゾーン(GM作物のない地域)
第3章 自治体の遺伝子組み換え作物栽培規制の条例化
おわりに 食と民主主義
あとがき
「生物多様性と食・農」という表題に惹かれて読んだが、生物多様性そのものが中心的に扱われていたのは第1章だけで、第2章から第4章までは、主として遺伝子組み換え生物の問題が中心として扱われていた。生物多様性と遺伝子組み換え生物は無関係だとは思わないが、遺伝子組み換え生物が生物多様性の問題の中心的な問題だとは思わないので、本書で扱われている内容は、本書の表題から期待されるものとは違っていたと言わざるをえない。
「生物多様性」とは非常にわかりにくい概念だと思うし、本書でも著者の天笠氏もそのように書いている。だからと言って、やはり十分な説明が必要だと思われるが、生物多様性に関心を持っている人であればそうでもなかろうが、そうではない一般の人にとって、本書を読んだだけでは「生物多様性とは何か?」ということを理解するのは難しいだろうと感じるし、本書の説明は、ABS問題など、やや政治的な側面に偏りすぎているように感じられた。ABS問題とは、"Access and Benefit-Shareing"のことで、「遺伝資源から生じる利益の公正かつ公平な配分」ということである。要するに、貴重な遺伝資源をもつ途上国の遺伝資源を先進国が勝手に持ち出し、それを特許化あるいは製品化して利益を上げても、遺伝資源の原産国には何の利益ももたらされないのは公正ではない、ということが問題にされているわけである。この問題は政治的には大きな重みを持つ問題だろうと思うが、生物多様性が失われた場合に、どのような事態が予想されるか、言い換えれば、このまま生物多様性が失われて行けば、人類は存続していけるのだろうか、ということの方がぼくは重要な問題に思える。この点に関しては、あくまで想像の域を出ない議論にならざるをえないと思うが、もっと突っ込んだ説明があった方が、一般の人にとって「生物多様性を守ることは重要である」ということが理解し易いのではないかと思う。その点では、本書は説明不足であると思う。もっとも、それを説明するだけで大著になってしまうかも知れないが。
第2章から第4章までは、遺伝子組み換え生物が中心的に扱われている。遺伝子組み換え生物は様々な問題をかかえていると思うが、ぼくが感じる問題点と本書の著者の天笠氏が重要だと感じている点には、ある程度の違いがあると感じた。天笠氏は遺伝子組み換え生物そのものが危険だ捉えているように感じられるのだが、ぼくは必ずしもそうだとは思わない。遺伝子組み換え生物を食べても、おそらく人間の健康にとって、それほど悪い影響があるとは、ぼくは考えない。これまでの作物なり家畜なりの育種では、交雑することにより別の品種、時には別の種から遺伝子を導入して新しい品種が作られてきた。遺伝子組み換え技術は、その速度を変え、全く交雑が不可能だった生物からも遺伝子を導入できるようにしたという点で従来の交雑育種とは異なるが、やっている事には本質的な違いはないと思う。だから、できた品種が危険であるかどうかは、従来の交雑育種と遺伝子組み換え技術を使用した育種で、本質的な差があるとは思えない。だからと言って、ぼくは遺伝子組み換えを推進しようという立場に立とうとも思わない。組み換え生物を認めるかどうかは、市民の意見に基づいて決めれば良いことだと思う。日本の各地で、組み換え生物を規制する条例ができているが、それは市民の声を反映したものであり、尊重すべきものだと思う。
ぼくが遺伝子組み換え生物について最も重要な問題だと思うのは、本書の中で天笠氏も指摘している生物多様性の喪失の危険があるということである。世界的に見れば既に多量に生産されている遺伝子組み換え(GM)作物は、モンサント社が開発した除草剤ラウンドアップ抵抗性のダイズ、トウモロコシ、ワタ、ナタネや、Bacillus thuringiensis (Bt)という土壌細菌が生産する殺虫性タンパクを作る遺伝子を組み込んだトウモロコシ、ワタなどがある。モンサント社は農家の自家採種を許さず、毎年新しい種子を除草剤とセットで売りつけ、利益を独占している。これらのGM作物は、一度使い始めたら止められなくなるという罠があり、それが原因で、除草剤抵抗性雑草やBt抵抗性害虫が出現するという危険を助長している。これにより、地方で細々と作られていた地方品種が作られなくなり、遺伝資源が次々と失われていっている。遺伝資源が失われるということは、新しい品種を作るための特性が失われることであり、新たな病気や害虫が発生したときに、殺菌剤や殺虫剤を多量に使用せざるをえなくなり、それがまたさらに殺菌剤や殺虫剤に抵抗性を示す病原菌や害虫の発生を助長するという悪循環をつくるという危険性を生む。実際にBtタンパクに対して抵抗性を持った害虫の存在は既に確認されている。また、本書の中でも指摘されているが、組み換え遺伝子が一般の作物の中にも予期せず広がってしまっていることも問題である。これは外来種の問題と似ている。そう言えば、本書の中では、生物多様性にとって無視できないと思われる外来種の問題については一切触れられていなかった。これは片手落ちであろう。
その他にも様々な問題点が本書では指摘されているが、大筋において納得できる部分が多い。例えば、多様性を維持することは安定化を可能にすることだと思うし、グローバル化は多様性を喪失させる原因だと思うし、エネルギー問題にしても代替エネルギーを追い求めるのではなく、エネルギー消費自体を減らすことが本筋だと思うし、何でも貨幣価値に換算して市場経済に任せてしまうのはまずいというところなどは、ぼくが考えていることと本質的には違わない。
本書の出版は2009年なので、2010年に名古屋で開催されたMOP5とCOP10の開催の前である。実を言うと、ぼくはMOP5なりCOP10で議論されたことを詳しく知らない。MOP5ではABS問題が中心的に議論されていたという報道を見たような気がするのだが、実はよく知らない。だから、本書で書かれていることの状況が、今ではどの程度変わったのか、実のところ、よくわからない。
とは言え、「生物多様性と食・農」という表題に若干の偽りがあるとは言え、良いか悪いかを別にして、書かれていることは記憶にとどめておいた方が良いことがたくさん書かれていると思う。とりあえずは、いま読んでおいて損はない本だとは思う。評価は読んだ人自身が行えばいい。
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