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2011年5月

2011年5月30日 (月)

低気圧と体調不良(2011年5月30日)

 今朝は起きるのがつらかった。おそらく、台風から変わった温帯低気圧の影響である。出勤しようと外に出たら、西からの猛烈な風が吹いていた。向かい風でバイクのスピードも上がらない。
 出勤しても頭が重く、体もしんどい。それでも仕方が無いので畑に出たら、トラップが風で飛ばされていた。相当強い風である。
 やはり体調が悪いので、昼食後、早退した。
 家に帰ってすぐ布団に潜り込んだのだが、頭痛があり、風の音が騒々しく、風で家が揺れるので、なかなか寝付けない。それでも、夕食までに2時間ぐらいは寝たようだ。
 これを書いている今も頭が重い。

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2011年5月29日 (日)

第6回大門寄席(2011年5月29日)

 台風が近づくなか、不安定な天気だったが、予定していたとおり、妻と二人で「第6回大門寄席」に出かけた。会場は津市だいたて商店街の「甘味処 翁」の2階。ずいぶん狭い場所である。高座と客席の間が異様に近い。

切磋亭琢磨 代書屋
南遊亭栄歌 鷺捕り
切磋亭いの千代 端唄
南遊亭栄歌 お忘れ物承り所
切磋亭琢磨 野崎詣り

 切磋亭琢磨さん南遊亭栄歌さんの二人の組み合わせは「第5回大門寄席」と同じである。あのときは、寒い日だったことを覚えている。今日はちょうど良いぐらいの気温だが、台風の影響か、湿気が高い。
 「代書屋」は枝雀師匠のDVDを持っているが、枝雀師匠のとはかなり演出が違う。代書屋の客の名前が「河合浅次郎」だったので、春団治師匠のがベースになっているのだと思った。「鷺捕り」も昔盛岡に住んでいた頃に枝雀師匠のを観た記憶があるが、どこがどう違うかは思い出せない。「お忘れ物承り所」と「野崎詣り」は初体験。
 切磋亭琢磨さんも南遊亭栄歌さんもプロの噺家さんではないが、芸歴は長く、安心して聴けると思う。南遊亭栄歌さんは医者としての本職の話を「つかみ」にするが、うまく活きていると思う。
 一番前の席には、まだ若い女性が2人いたが、話すほうとしては嬉しかったのだか、やりにくかったのか、本音を聞きたいところである。それはともかく、若い人が落語を聴きに行くことは、落語にとって悪いことではない。
 しかし困ったことは、だいたて商店街の客の少なさである。落語会が始まる前も終わった後も閑散としていた。だいたて商店街は津市の顔であって欲しいと思うのだが、何とかして人寄せ場になって欲しいと思う。そうでないと文化は育たない。郊外の大型小売店は商品の売買という機能だけに特化しすぎて、文化が育つとは思えない。

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2011年5月28日 (土)

若宮健著『なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか』

若宮健著『なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか』

祥伝社新書226
ISBN978-4-396-11226-4
760円(+税)
2010年12月10日発行
215 pp.

目次
一章 なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか
二章 なぜパチンコは、廃止されねばならないのか
三章 なぜ日本は、パチンコを廃止できないのか

 よく売れている本らしいし、何となく気になる内容だったので、図書館で借りてきて読んだ。
 しかしながら、あまり面白いとは感じられなかった。書かれている内容の主題は、本の表題になっている「なぜ韓国ではパチンコを全廃できたのか」ではなく、三章の表題の「なぜ日本は、パチンコを廃止できないのか」であると感じられたし、書き方もあまり論理的ではなく、単なる感情論に過ぎないと感じられた。スラスラと読めたが、何度も同じようなことが繰り返し書かれており、せいぜい30〜40ページもあれば書けそうな内容しか書かれていないと感じられた。
 ぼくはパチンコをやらないので、パチンコのことは詳しくは知らない。しかし、パチンコ屋が儲かっていることは大体知っているので、パチンコをやれば平均的には「必ず負ける」ことぐらいは理解している。本書ではパチンコにはまって依存症になり身を滅ぼす人が多いので、それを防ぐために法律で禁止すべきだ、と主張されているが、それは余計なお節介だと思わないわけにはいかなかった。必ず負けるとわかっているものにはまる人がいけないだけである。パチンコは時間つぶしだと割り切ってやるべきである。勝とうと思ってやってはいけない。
 なぜ韓国でパチンコが全廃できたのかを、本書とは違って生態学的に考察することも可能である。日本のパチンコの歴史は長い。すでに日本の生態系の中にニッチを得てスッポリはまり込んでいる。そのようなものを「根絶」するのは極めて困難であることは容易に想像できる。パチンコという「種」のまわりには、様々な業界団体や監督官庁がいて、安定的な「生態系」を形成しているからである。これに対して韓国におけるパチンコは侵入直後の「外来種」である。まだ韓国の生態系の中に安定的なニッチを得ていなかったはずである。したがって、それを根絶するのは、安定的なニッチを得ている日本に比べれば遥かに容易であることは、想像に難くない。
 それはともかく、パチンコが日本にとって好ましいものではないという本書の主張には同意できる。パチンコは資源やエネルギーを使っているが、カネを動かしているだけで何も生産していない。資源やエネルギーを無駄に消費しているだけだと思う。法律でパチンコを禁止することはお節介だと思うが、パチンコ屋が儲からなくなるような社会になるのは悪くないことだと思う。

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2011年5月27日 (金)

梅雨入り(2011年5月27日)

 今日は朝からシトシトと雨が降っていて、いかにも梅雨に入ったような感じだったが、予感したとおり、東海地方の梅雨入りが発表された。平年よりかなり早い。ぼくが津市に転居してから5月に梅雨入りしたのは初めてだ。
 爽やかな季節が短かったのは残念だが、梅雨の中休みに期待したい。
 

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2011年5月24日 (火)

岐阜へ(2011年5月24日)

20110524blog1 JR岐阜駅前に燦然と輝く黄金の織田信長像。何でこんなものを作ったのか理解に苦しむ。
 なぜ岐阜に行ったかと言えば「第93回関西病虫害研究会」に参加するためである。今年は発表題数も参加者もいつもより少ない感じがする。講演が始まる前は受付に座っていたが、講演が始まると講演会場へ。ほぼ全部の時間を講演会場で過ごしたが、今回は心に響く講演が少なかったような気がする。個人的には、三重県におけるミナミアオカメムシの分布の拡大についての講演に興味惹かれた。
 昼食はJR岐阜駅構内のアスティ岐阜にある「西安刀削麺岐阜店(劉家)」でトマトと卵の刀削麺を食べた。刀削麺は初めて食べたが、麺が平たいのできしめんのようでもあるが、不規則な形をしているので、独特の食感があった。麺を削っている様子を見るのも面白い。
20110524blog2 全てのプログラムが終わってから、JR岐阜駅前の高いビルの展望台に登った。高さ約150m。入場料は無料である。天気が良かったので遠くまで見渡せた。名古屋駅前のビルも。
20110524blog3 疲れてしまったので、帰りの電車の中では、少し居眠りも。こういう時には、家が駅から近いというのは嬉しい。

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2011年5月22日 (日)

岡田正哉さんの訃報(2011年5月22日)

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 今朝のこと、このブログへのヘテロさんのコメントで岡田正哉さんが5月17日に亡くなったことを知った。ネットで検索すると、既に何人かの方がブログで思いを綴られている。
 ぼくと岡田さんは決して深いつながりではなかったが、細く長くおつきあいさせていただいていたと思っている。あまりに細かったせいで、ぼくと岡田さんとの関係を知る人がなかったのか、亡くなったことをすぐに知らせてくれる人もなく、お葬式にも行けなかった。不徳の致すところである。(ヘテロさんによれば、名古屋昆虫同好会会長からのメールが発信されていたとのことだが、何故かぼくのところにはメールは届かなかった。)岡田さんがお住まいだった名古屋には、ここ津市から無理無く行ける距離なので、最後のお別れができなかったことは大変残念である。
 最後にお会いしたのは、豊田市の昆虫調査についての会議の席だったと思うので、2009年3月頃のことである。そのときには、パーキンソン病を患っておられるという話を聞いた。
 お葬式にも行けなかったので、せめてこのブログで岡田さんへの思い出を書いて、自分の心の整理としたいと思う。
 最初の出会いのきっかけは思い出せないのだが、最初の出会いのことは今でも思い出すことができる。時は1978年3月だったはずである。ちょうど大学への進学が決まり、それまで半年ちょっとの間封印してきた昆虫採集に復帰することになり、昆虫採集道具を揃えようと思って出かけたのが、当時名古屋の栄あたりのビルの一室にあった「昆技研昆虫資料室」だったはずである。そこでお会いしたのが岡田正哉さんと臼田明正さんだった。臼田明正さんは既に故人になられている。
 そこでは、昆虫採集道具を揃えるのと同時に、ぼくが親から大学進学祝いとして買ってもらえるはずのカメラの話を岡田さんからうかがった。そのとき岡田さんから勧められたのは、オリンパスのOMシリーズだった。そして、リバーサルフィルムで写真を撮ることを教えていただいた。さらに、ナナフシとカマキリを始めとする、直翅系昆虫への熱い思いを語っていただいた。
 その直後ぼくは、親から買ってもらったオリンパスOM-2と50mmのマクロレンズを持って京都へ旅立った。その当時ぼくは、蝶ばかり追いかけていたのだが、岡田さんのことが頭にあり、とくにナナフシには気をつけていた。その年の初秋のこと、京都府の北部、滋賀県と福井県の県境に近い芦生演習林に行ったときにトビナナフシの仲間を見つけた。これを採集し、その後愛知県に帰省したときに岡田さんのところへ持って行ったところ、まだ記載されていないシラキトビナナフシだということだった。
 その後ぼくは、京都から広島県福山市、岩手県盛岡市、福岡県久留米市を経て、1997年4月には憧れの地、沖縄県の石垣島に転勤したが、それまでの間にも、帰省するたびに岡田さんのもとを訪ねた。その間に岡田さんの居場所も都心のビルの一室から、昭和区駒場町、千種区春里町、瑞穂区関取町へと移り、「名古屋昆虫館」と名前も変わった。
 石垣島で住んでいたアパートでは、灯火でカマキリがたくさん採れた。それを岡田さんのところへ送ったら、スジイリコカマキリという未記載種であるとのことであった。これまで未知であったスジイリコカマキリの緑色型も採れたが、これは岡田さんによって「月刊むし」に発表された(岡田正哉,石垣島産スジイリコカマキリの緑色個体,月刊むし (329): 16-17,1998)。
 岡田さんによれば、八重山ではもう一種の未記載のコカマキリが知られており、それはヤサガタコカマキリと呼ばれていた。少なくとも国内では、それまで石垣島で雄が1頭、与那国島で雄が3頭採集されているだけの珍しいものだった。自宅アパートに飛来するコカマキリは、すべてがスジイリコカマキリばかりで、ヤサガタコカマキリは幻かと思われていたのだが、それがついに2001年7月9日に採集された。採集したのは、毎日ように灯火を見回っていたぼくではなくて、まだ4歳の幼稚園児だった三男坊だった(河野勝行・河野陽,石垣島でヤサガタコカマキリを採集,月刊むし (370): 11-12,2001)。この標本も岡田さんのところへ送った。
 時は前後するが、1990年頃のことだったと思う。「名古屋昆虫館」が大きく発展するという話があったが、バブルの崩壊で寄付が集まらなくなり頓挫したという話を聞いている。「名古屋昆虫館」が昭和区駒場町から千種区春里町へ移転したのも、この直後の頃だったと思う。岡田さんにとっては辛かった時期ではないかと想像する。
 さらに前後するが、岡田さんはエダナナフシ類やアマミナナフシ類を詳細に調べられていて、「ナナフシのすべて」(写真右)(トンボ出版,1999)に詳しく解説されているが、学術的な記載論文を書くこと拒否されていた。岡田さんの考え方では、記載論文を書くのはプロの分類学者の仕事で、アマチュアである自分が記載する立場ではない、というところだった。これに関してぼくは、記載するのはプロであろうとアマチュアであろうと関係なく、その分類群にもっとも精通している人の仕事だと思っているので、岡田さんに記載論文を書いていただくことを強く希望していた。しかし、岡田さんの考え方はなかなか変わらなかった。
 これに関して動きがあったのは2008年3月のことであった。日本直翅類学会の学会誌"Tettigonia" No. 9には、市川明彦さんと岡田さんの連名でシラキトビナナフシの記載論文が掲載されていた。ぼくがシラキトビナナフシの存在を知ってから30年も経ってからのことなので、それなりの感慨があった。次はエダナナフシ類やアマミナナフシ類だと思っていたので、岡田さんには期待していたのだが、その頃には既に病魔に冒されていて、その実現は難しいと思わないわけにはいかなかった。そこに今回の訃報である。記載論文は一番よく知っている人が書くべきだと思うので、もう日本のエダナナフシ類やアマミナナフシ類は記載されずに終わってしまうかも知れない。
 岡田さんは1943年生まれとのことなので、まだ68歳ぐらいである。近年の平均寿命の伸びからすれば、ちょっと早すぎる気がする。傍から見ていても積み残しの仕事が多いように思われるので、ご本人にとってみれば無念のことがさぞ多かったのではないかと思う。それはともかく、まずはご冥福をお祈りしたい。

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2011年5月21日 (土)

ハルゼミ(2011年5月21日)

 午前中、いつものフィールドに出かけた。ここに行くのは4月10日以来である。今回は同行者なし。
 晴れていて適度に湿気があるので、虫を見るにはちょうど良い天気ではないかと思ったが、最初のうちは活動している虫はそれほど多くないように感じられた。
 するとそのとき、湿地の向こう側の林からハルゼミの鳴き声が聞こえた。
20110521blog1 この界隈では何度かハルゼミの鳴き声を聞いたことがあるので、今日は姿を拝めるのではないかと思って、湿地の向こう側に行ってみた。すると思いがけぬことに、今度はハルゼミの合唱が始まった。三重県に来てからハルゼミの合唱らしい合唱を聞いたことがなかったので、大変嬉しかった。合唱をするぐらいの個体数がいることがわかったので、今度は姿を見つけることができるのではないかと思って、アカマツの枝をじっくり探した。するとすぐに2頭のハルゼミが見つかった。残念ながら(とは言え、当然のことなのだが)、それほど近い場所ではないので、ハルゼミと同定できるような写真は撮れないと思われた。でも、一応の証拠写真ということで撮影だけは試みた。すると、何とか姿が確認できる程度の写真は撮れていた。
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 その後、この里山のあちこちを徘徊しているうちに、いろいろな虫を見つけた。やけに小さいコマルハナバチが飛んでいたので、もうワーカーが出ているのかと思ったら、それはオオイシアブだった。
 チョウもいろいろ見た。ダイミョウセセリ、イチモンジチョウ、ツマグロヒョウモン、ナガサキアゲハ、キチョウ、クロヒカゲ、サトキマダラヒカゲなど。アカマツの幹に止まったサトキマダラヒカゲは羽化したばかりと思われる新鮮さだった。
20110521blog3 種名不明のマメ科植物の茎にはハラビロヘリカメムシがいた。
20110521blog4 例によってヒトクチタケではクロハサミムシを探すが見つからず。ゴミムシの仲間が見つかったが、逃げられてしまった。
20110521blog5 林床ではヤマトシリアゲも見つかったし、オオスズメバチも見られた。
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 最初は虫が少なく感じられたが、結果的にはけっこう色々な虫が見られたと思う。特に珍しいものは無かったと思うが、ハルゼミの鳴き声だけでなく、姿そのものを見たのは中学生のとき以来だから、実に39年ぶりである。やはりこれが嬉しかった。

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自宅でヒバリのさえずりを聞く(2011年5月21日)

 今朝8時前、自宅で朝食をとっていたら、窓の外からヒバリのさえずりが聞こえた。すぐ近くにはヒバリが巣を作りそうな畑や荒れ地などなさそうに見えるので、大変意外だった。どこかにそんな場所があるのであろうか?

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2011年5月19日 (木)

カブトムシの幼虫とノビル(2011年5月19日)

 今日は恒例の野外調査。最初の調査地点は去年カブトムシの蛹を採集した場所。何故か外から見えるところにカブトムシの幼虫がいた。
20110519blog1 この近くの雑草地にはノビルが生えている。晩ご飯のときに食べようと思って少し採集した。
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 次の調査地に行くと、何台もの車が停まっていた。畑の主のTさんのほかに、1組の夫婦と2人の幼児、さらに2人の中学生がいた。やがて、Tさんの奥さんも登場。
 話を聞くと、2人の中学生は職場体験とのこと。夫婦と2人の幼児は茨城県北部から来たという有機農家さん。原発事故を機会に茨城県を離れて別の場所で就農しようということで、Tさんのところを訪ねてきたとのこと。ご本人から話を聞くと茨城県で就農して7年とのことだが、7年ぐらいといえば、やっと軌道に乗り始めた頃ではないかと思う。また違う場所で1から始めるとなると、困難も多いことだろうと思う。原発事故の影響は実に裾野が広いと思わされた。

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2011年5月18日 (水)

震災後初の東京出張(2011年5月18日)

 昨日から1泊の東京出張だった。出張先は靖国神社の近くの某所。
 前回の東京出張は2月だったので、震災後に東京に行ったのは今回が初めてである。新幹線に乗っている最中に地震が起きないことを祈りながら新幹線に乗った。
 予定では江戸橋6:59発の近鉄急行に乗るつもりだったが、早く目が覚めてしまい、早く起きて早く朝食をとったため、2つ前の6:42発の急行に間に合ってしまった。この急行は途中で特急に抜かれず、近鉄名古屋には7:42頃に着き、名古屋7:53発の「のぞみ」に乗ることができた。新横浜まで新幹線に乗り、横浜線に乗り換えて菊名で東急東横線で渋谷に出るのが安いのがわかっていたので、新横浜で新幹線を降りた。東横線に乗ると、節電対策で間引き運転されているようだった。そのせいかどうか知らないが、やや混雑していて渋谷まで座ることができなかった。渋谷で降りて前方に歩くと、地下鉄銀座線の乗り場の案内があったので、そこの階段を上って行くと、そこには銀座線の乗り場しかなく、否応無く銀座線に乗る事になった。目的地は半蔵門駅と九段下駅の間の九段下駅寄りの場所なのだが、午後から始まる会議には早すぎるので、九段下駅の一つ先の神保町駅まで乗って、古本屋を物色することにした。表参道で半蔵門線に乗り換えて神保町へ。神保町の駅を降りて気がついたのだが、駅の蛍光灯がかなり抜かれていた。間違いなく節電対策である。確かに暗くなってるはずなのだろうが、ここまでそれに気づかなかった。ようするに、これぐらいの明るさでも支障がないということなのだろうと思う。おそらくこれまでは明るすぎたのだろうと思う。
 さて、神保町での標的は明倫館書店。自然科学系の古書を専門に扱っている店である。何時入ったのか全く記憶にないのだが、我が家には明倫館書店の値札が付いている本があるので、かつて一度ぐらいは入ったことがあるはずである。しかし、店の前まで行っても、以前入ったという記憶は甦ってこなかった。記憶力が落ちているのだろうか?
 明倫館書店で時間をつぶしたあと、どこかで昼食をとろうとブラブラしていて目に留まったのが「Pattaya」というタイ料理店。迷わず入ってしまう。入ったときすぐにはわからなかったが、店員は全員タイ人らしかった。少なくとも、客との間で交わされる言葉は日本語だったが、店員どうしの会話はすべてタイ語のように聞こえた。タイ語はわからないけれど。出されたお茶は冷たいハス茶(たぶん)。辛いのにしようかと少し迷ったが、結局パッタイ(タイ風焼きそば)セットを注文した。パッタイにスープとデザートが付いている。850円なり。美味しかった。
20110518blog2 食事を終えて九段下方面に歩く。九段下の交差点までは平坦だったが、そこから先はけっこうな上り坂である。湿気が高く蒸し暑いので、汗が出てくる。東京は意外に坂が多いと感じさせられた。さらに、九段下界隈もそうだが、東横線に乗っていたときに見えた多摩川園駅から田園調布駅あたりの多摩川沿いの丘陵地にもけっこう良い緑があった。職場近くにも緑があるが、多くがスギやヒノキの人工林なので、爽やかさが感じられず、東京の広葉樹の緑が爽やかに感じられた。東京は意外に緑が多いと感じさせられた。もっとも、場所にもよるだろうが。会議場には庭があり、人工的な庭園ではあったが、爽やかに感じられた。ジャコウアゲハも飛んでいた。
 17:30頃には会議の1日目が終わると、同僚のIさんと一緒に日本橋へ向かった。会議の途中に雷雨があったが、それと同時に気温が下がっており、昼間の蒸し暑さは無くなっていた。まず九段下駅へ。ここでも節電対策で、切符の自動販売機が半分以上停止されていた。蛍光灯も半分ぐらい抜かれている。半蔵門線に乗り三越前駅へ。日本橋は国道の起点である。「日本国道路原標」を見る。これが目的ではない。真の目的は「金子半之助」で江戸前天丼を食べることである。露地を入っても迷う事無くたどり着けた。店に入ると6席あるカウンターは満席。「2階を準備しますから」と言われて少し外で待たされた。2階も満席なのかと思ったら、客は誰もいなかった。ようするに、まだ本当に準備ができていなかったということなのだと思う。メユーは江戸前天丼しかない。バリエーションは、大盛りにするか、味噌汁をつけるかぐらいである。江戸前天丼(880円)と味噌汁(100円)を注文。待つ事しばし。出てきた天丼には、巨大な穴子の天ぷらが1つと海老天が2つ、その他が乗っていた。ボリューム満点である。テーブルの上の壷には「ガリ牛蒡」と大根の漬け物が乗っており、これも食べ放題。どれも美味しかった。実にコストパフォーマンスが高いと感じられた。
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 店を出てIさんと別れ、神田駅近くのホテルまで歩いた。神田駅近くのガード下はゴチャゴチャしていて、少しわかりづらかったが、予約してあったホテルはすぐに見つかった。この界隈も何となく暗く感じられたので上を見てみたら、街灯が半分以上は点灯していなかった。これも節電対策なのであろう。やや暗く感じられたが、とくに不自由は感じなかったので、この程度の明るさで十分なのだろうと思う。おそらく、これまでが明るすぎたのだ。
 夜は持参した本を読んで過ごしたが、朝早かったにもかかわらず、眠気がこない。しかし、12時前には強制的に消灯。
 熟睡できず、夜中には何度も目を覚まし、朝も6時前に起床。完全に睡眠不足である。7時半前にホテルをチェックアウト。徒歩で目的地に向かう途中で朝マック。会議開始30分前には会場に到着。
 11時半にはほぼ予定通りに会議が終了。同じ会議に出席していた福島県のMさんから震災の話を聞く。原発事故の影響もあり、やはり大変なようだ。
 会議が終わると緊張が解けたのか、睡眠不足の影響か、腹がへっているのか何だかわからない状態になった。神保町を経由して秋葉原まで歩き、再びマクドナルドへ。秋葉原駅の東西連絡自由通路は電灯の数が1/10ぐらいになっていたが、不自由ない程度の明るさだった。これまで無駄に明るかったということなのだと思う。マクドナルドでハンバーガー1個を無理矢理腹に詰め込む。秋葉原で少し買い物をして帰宅。新幹線の中で本を読むが、やはり腹が減っているのだかどうだかわからない状態。夕刻まだ陽が高いうちに帰宅。

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2011年5月15日 (日)

今年もあまご御飯&鱒料理いろいろ@津市美杉町「大吉」(2011年5月15日)

 今年で4年目になるが、毎年この時期に津市美杉町川上にある「大吉」に行っている。三男坊の誕生日のプレゼント代わりである。釣り堀で鱒を釣って、つり上げた鱒を料理してもらう。釣り堀なので釣れないことはまずないので、それなりに楽しい。そしてなによりも空気が良い。今日も爽やかに晴れて気分は良かった。
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 食事のあと、すぐ前を流れる坂本川の流れの中の石を持ち上げてみた。すると、ほとんどの石の下には何らかの生き物がくっついていた。カワゲラの幼虫、トビケラの幼虫、ヘビトンボの幼虫、プラナリアなどなど。実を言えば、今日、生まれて初めてプラナリアを意識して見た。こんなに普通に見られるものだとは思わなかった。教科書に載っているのと同じように目のようなものが見えた。

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2011年5月12日 (木)

本川達雄著『時間』

本川達雄著『時間 生物の視点とヒトの生き方』

日本放送出版協会 NHKライブラリー42
ISBN4-14-084042-0
950円(本体922円)
1996年11月20日発行
281+iv pp.

目次
東京は悲しいところ〜はじめに
第1章 動物の時間
第2章 動物のエネルギー消費
第3章 エネルギー問題を考える
第4章 現代人の時間
第5章 ヒトの寿命・現代人の寿命
第6章 老いを生きるヒント
天国のつくり方〜おわりに

 本川達雄氏の著書を読むのは2冊目である。以前は、本書よりも後に出版された『「長生き」が地球を滅ぼす』(2006年1月23日発行)を2年ほど前に読んだ。それなりに面白かったので、また本川先生の本を読んでみようと思っていたら、この本が図書館で見つかった。
 こうやって読後感を書こうと思って『「長生き」が地球を滅ぼす』の読後感を書いたブログを読み返してみて驚いてしまった。
 あらためて見てみると、本書は『「長生き」が地球を滅ぼす』と本書は章立てが全く同じなのである。ただし、『「長生き」が地球を滅ぼす』の方の各章には副題が添えられている。いま『「長生き」が地球を滅ぼす』が手元にないので、確認はできないが、10年後に表題だけかえて再び出版されただけではなく、多少は修正加筆されたものが『「長生き」が地球を滅ぼす』ではないかと思う。少なくとも、『「長生き」が地球を滅ぼす』と『時間 生物の視点とヒトの生き方』とでは表題が違うが、表題が違うだけだったとしても、読んだあとの印象がかなり異なったのである。もし、この2冊の本がほとんど同じものであったとしたら、本の表題は大切だと思わざるえをえない。
 『「長生き」が地球を滅ぼす』では、第6章に言いたい事が書かれている本のように思われたが、本書では、生物にとっての時間を主題として、サイズの問題とかエネルギーの問題とかが順序立てて書かれており、第6章は「おまけ」のようにも感じられた。
 全体的に素直に理解できることが書かれており、違和感無く読める本だった。丁寧に説明されているので、ヒトの寿命やエネルギーの問題を考えるにあたり、大変参考になる本だと思われた。
 唯一同意できなかった部分は、著者がいわゆる団塊の世代であり、団塊の世代の人間は損している、と書かれている部分である。ぼくは団塊の世代より一回りほど下の世代だが、団塊の世代に対しては良い印象を持っていない。団塊の世代は社会をひっかき回し、そのとばっちりをぼくらの世代が受けているように思えるからだ。
 本書と『「長生き」が地球を滅ぼす』とした場合、『「長生き」が地球を滅ぼす』の方が「売れる」本にはなったと思うが、表題は本書の「時間」の方が内容を的確に表していると思う。

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2011年5月10日 (火)

自宅近くでもクビキリギスの鳴き声(2011年5月10日)

 今日は一日どんよりとして雨が降ったり止んだりの天気だったが、気温も上がり、職場では29.2℃、市内の気象台では30.8℃に達したらしい。今年初めての真夏日である。どうりでTシャツ1枚になっても寒くないはずである。湿度も高く、まるで梅雨のような天気であった。
 この蒸し暑さに誘われたのかどうか知らないが、さきほど窓を開けていたら、どこかからクビキリギスの鳴き声が聞こえてきた。この付近にも棲息しているらしい。前に住んでいた家の付近では珍しくも何ともない種だが、緑が少ない今の家の付近でもクビキリギスの鳴き声が聞けたことは、やはり嬉しいことである。

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2011年5月 9日 (月)

楽譜が届いた(2011年5月9日)

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 今年は学生時代に所属していた合唱団の定期演奏会が第50回目になる。50回の記念ということで、OB・OGを含めた合同ステージが予定されている。
 仕事の都合がどうなるかわからないが、とりあえず飛び込みの参加は不可能ということなので、参加するという返事をしておいた。
 それで届いたのがこの楽譜である。モーツァルトの「戴冠ミサ曲」。まだ歌った事はないが、何度も聴いたことのある曲なので、もう長いこと合唱から遠ざかっているとは言え、譜読みは容易だと思う。声を出す訓練もしていないが、たぶん声も出ると思う。

京都大学音楽研究会ハイマート合唱団 第50回記念定期演奏会  
(OBOG合同ステージ)モーツァルト「戴冠ミサ曲」他
2011年12月18日(日) 16時半開演予定 
    兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール
    指揮/伊吹新一 他

 まあ、ボチボチとその時に備えておきたいと思う。

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2011年5月 8日 (日)

青山高原にて(2011年5月8日)

 相変わらず車で外出するのが億劫に感じられるのだが、今日は晴れて暖かくなったので、少し外に出てみようという気になった。妻と三男坊と一緒に、おにぎりのお弁当を持って青山高原に行こうということになった。三男坊がアマチュア無線をやりたいというので、無線機持参である。
 旧美里村から青山高原に行こうとしたのだが、美里村や榊原温泉から青山高原の頂上に抜ける道が工事中で通行止めになっており、国道165号線まで行かねばならず、かなり大回りをさせられた。
 下界は暑いぐらいになっていたが、青山高原は強い西風が吹いており、陽射しは強いのだが、外に居ればそれほど暖かくは感じられなかった。
 高原の上はアセビの花盛りである。至る所にアセビがある感じである。アセビには毒があるので、シカも食べないので、アセビだけが残ってしまっている感じがした。林の下にはササが生えているのだが、シカに食われてしまったらしく、ほとんど葉が残っていない。ちょっと探すと、シカの糞もすぐに見つかった。
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20110508blog4 お弁当を食べてしばし散策したのだが、そのうちに雲が出てきて雨がパラついてきた。帰り時かと思って帰ることにした。
 ところで、駐車場にはこのような看板が立てられていた。かなり壊れているので、もう古いものだと想像された。
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20110508blog2 この看板には、以下のような文字が書かれていた。
ふるさとの丘づくり構想
 この構想は、わたしたちの身近かにある恵まれた風土の中に、みんなの考えとみんなの手で、これからの時代にふさわしいやすらぎのある環境づくりをすすめようとするもので、県内すべての地域にこの運動を広げていきたいと願っています。
 そのモデル地域として、県の中央部に位置する青山高原を中心とする10km圏域を選び、この地域に含まれる久居市、美里村、白山町、美杉村、大山田村、青山町の人たちによるさまざまな実践活動を試みようとするものです。
 そして、この青山高原に「ふるさとの丘づくり」のシンボルとして「ふるさと公園」をつくることにしました。
県政百年記念
 これを見て、「何を考えていたのやら」と思わないわけにはいかなかった。
 いま青山高原には、風力発電の風車が30台ほど立っている。自然エネルギーの利用は良い事だと思うが、そのために破壊された自然も計り知れないほどである。青山高原の稜線には、立派な道が通っている。風車の保守管理には無いわけにはいかない道だろうと思う。
 しかし、道路ができれば道の近くは乾燥し、植生が破壊される。道路だけでなく、無駄に広い駐車場があり、無駄に広い芝生の広場がある。これが「やすらぎのある環境づくり」の結果だとすると、ガッカリしないわけにはいかない。単なる自然破壊である。
 このような道がなければ、今日のように「ふと思いついて」出かけられる場所ではないが、このような道がなかった方が、本当に山の空気を吸いたい人だけが来るような場所になっていたと思うし、「やすらぎのある環境」になっていたのではないかと思う。
 やはり、土建業者に金を落とすために作られた「ふるさと公園」ではないかと思う。
 今日は稜線の道を暴走するスポーツカーやバイクをたくさん見たが、これではとても安らげない。無駄に立派な道は考えものである。
 それはそうと、今日は気温はそれなりに上がったようだが、乾燥していたせいか、虫は少なかった。

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2011年5月 5日 (木)

酒井聡樹著『100ページの文章術』

酒井聡樹著『100ページの文章術 わかりやすい文章の書き方のすべてがここに』

共立出版
ISBN978-4-320-00585-3
1,000円(税別)
2011年3月15日発行
vii+100 pp.

はじめに
目次
第1章 文章術の前に
1.1 読者のために、あなたのために、わかりやすい文章を書こう
1.2 文章の理解とは
1.3 記憶の仕組み
1.4 わかりやすい文章とは
第2章 文章の構成要素
2.1 文章の構成
2.2 章・段落
2.3 文
第3章 文章全体としてわかりやすくるす術
3.1 骨格を練る
3.2 無駄な情報を削る
3.3 一度に一つの話題だけを扱う
3.4 何の話をするのかを前もって知らせる
3.5 前の文の要素を、次の文の話題とする
3.6 読者が知らないであろうことは説明する
第4章 一つ一つの文をわかりやすくする術
4.1 わかりやすい文を書くための心構え
4.2 一つの文で一つのことだけを言う
4.3 語順:重要な要素を先にする
4.4 語と語との修飾関係を明確にする
4.5 係り受けを確認する
4.6 漢字とカナの混じり具合
参考文献

 「これ論」(「これから論文を書く若者のために」)などでお馴染みの酒井聡樹さんの最新刊である。著者である酒井聡樹さんのウェブサイトはこちらで、ここにはこれまでの著書が紹介されている。植物生態学者・進化学者である酒井聡樹さんは、文章を書くことは本来は専門外だと思うのだが、論文を書くことや、学会でのプレゼンテーションを効果的に行うための技術についても情熱を燃やされているようで、これまでにも何冊もの著書があり、ここに紹介されている著書は、みな売り上げ好調のようである。
 ぼくはマニュアルはあまり好きではないのだが、わかりやすく効果的な文章を書くことについては、それなりに考えているので、自分の考え方が間違っていないかどうかを確認するために、この本を読む気になった。幸い、県立図書館に所蔵されており、借りてきて読むことができた。ちなみに、酒井聡樹さんのプレゼンテーションに関する講演は一度聴いたことがあるが、著書を読むのは初めてである。
 大雑把な感想としては、たった100ページに、わかりやすい文章を書くための要素が過不足無く盛り込まれている、というところである。ぼくが書く文章(このブログも含む)は決して良い文章ではないと思うが、自分が考えていた「わかり易い」文章の考え方は、基本的には間違っていないと再確認できた。
 ぼくにとって、まだ完成されていない他人の文章を読む機会には、論文の査読がある。査読に回ってるる論文には、わかり易い文章を書いてくる人はもちろんあるが、何を言いたいのかわからない文章を書いてくる人も無いわけではない。わかりにくい文章には、文章の構成にもケチを付けることがある。よくある「わかりにくい論文」には、記述が単に時系列になっている場合のことが多い。もちろん実験なり調査なりは、時系列で行われたであろうが、それをその順序で書いたからと言って、それが読者にとってわかりやすいという保証は何もない。その理由は本書を読めば理解できる。
 本書には「わかりやすい文章」を書くためのエッセンスが凝縮されており、2〜3時間もあれば読めてしまうほどの分量でもある。内容を理解してもらうための文章を書く人には、文句なしにお勧めできる。
 さいごに酒井聡樹さんへ。図書館で借りてしまったので、印税収入に結びつかなくて申し訳ないです。

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2011年5月 3日 (火)

今年も電波で狐狩り 中電津ハムクラブ主催 第27回FOXハンティング(2011年5月3日)

 今年も行ってきました。中電津ハムクラブ主催FOXハンティング。今年で27回目とのことである。これまでに5回参加したので、今年で6回目になる。3回目のことはここ、4回目のことはここ、5回目のことはここに書いた。何度も書いたので、FOXハンティングのルールについての説明は省略。
 今年は三男坊と2人で参加した。朝から今にも雨が降りそうな天気だったが、何とか終了まで降られずに済んだ。
 144MHz帯の電波は弱すぎ、430MHz帯の電波は強すぎて、両方とも発信場所を捉えるのが難しかった。結局、ぼくも三男坊も40分ぐらいでゴール。約20名の参加者のうち、三男坊は6位、ぼくは7位だった。
 毎年このような機会を作っていただける、中電津ハムクラブの皆さんには大いに感謝している。

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2011年5月 2日 (月)

電気が流れています。ふれるとキケンです。(2011年5月2日)

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 職場の庭に調査に出たら、職場の隣の田圃に電気柵が張り巡らされているのに気づいた。こちらに転勤してきて以来、この田圃に電気柵が設置されたことはなかったので、今年が初めてである。小さな田圃ではないが、かと言ってそれほど大きな田圃でもない。おそらく何かの動物対策なのだろうと思うが、それほど収量が見込めるわけでもないと思われる場所に、不相応なほどの投資がされているように思えた。でも、田圃を荒らされるのは悔しいからなのだろうと思う。
 ここには「電気が流れています。ふれるとキケンです。」と書かれているが、この文章は論理的におかしい。「高い電圧がかかっています。ふれるとキケンです。」なら正しい。何かが電線に触れなければ電流は流れないからだ。まだこの時点では電流は流れていない。もう少し書けば、「電気が流れています。」というのも、それだけでおかしいと思う。「電流が流れています。」の方が良いと思う。
 「電気が流れています。ふれるとキケンです。」でも言わんとすることはわかるから、こういう細かい突っ込みは野暮なのかも知れないが、ついつい気になってしまうのだ。

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