岡田正哉さんの訃報(2011年5月22日)
今朝のこと、このブログへのヘテロさんのコメントで岡田正哉さんが5月17日に亡くなったことを知った。ネットで検索すると、既に何人かの方がブログで思いを綴られている。
ぼくと岡田さんは決して深いつながりではなかったが、細く長くおつきあいさせていただいていたと思っている。あまりに細かったせいで、ぼくと岡田さんとの関係を知る人がなかったのか、亡くなったことをすぐに知らせてくれる人もなく、お葬式にも行けなかった。不徳の致すところである。(ヘテロさんによれば、名古屋昆虫同好会会長からのメールが発信されていたとのことだが、何故かぼくのところにはメールは届かなかった。)岡田さんがお住まいだった名古屋には、ここ津市から無理無く行ける距離なので、最後のお別れができなかったことは大変残念である。
最後にお会いしたのは、豊田市の昆虫調査についての会議の席だったと思うので、2009年3月頃のことである。そのときには、パーキンソン病を患っておられるという話を聞いた。
お葬式にも行けなかったので、せめてこのブログで岡田さんへの思い出を書いて、自分の心の整理としたいと思う。
最初の出会いのきっかけは思い出せないのだが、最初の出会いのことは今でも思い出すことができる。時は1978年3月だったはずである。ちょうど大学への進学が決まり、それまで半年ちょっとの間封印してきた昆虫採集に復帰することになり、昆虫採集道具を揃えようと思って出かけたのが、当時名古屋の栄あたりのビルの一室にあった「昆技研昆虫資料室」だったはずである。そこでお会いしたのが岡田正哉さんと臼田明正さんだった。臼田明正さんは既に故人になられている。
そこでは、昆虫採集道具を揃えるのと同時に、ぼくが親から大学進学祝いとして買ってもらえるはずのカメラの話を岡田さんからうかがった。そのとき岡田さんから勧められたのは、オリンパスのOMシリーズだった。そして、リバーサルフィルムで写真を撮ることを教えていただいた。さらに、ナナフシとカマキリを始めとする、直翅系昆虫への熱い思いを語っていただいた。
その直後ぼくは、親から買ってもらったオリンパスOM-2と50mmのマクロレンズを持って京都へ旅立った。その当時ぼくは、蝶ばかり追いかけていたのだが、岡田さんのことが頭にあり、とくにナナフシには気をつけていた。その年の初秋のこと、京都府の北部、滋賀県と福井県の県境に近い芦生演習林に行ったときにトビナナフシの仲間を見つけた。これを採集し、その後愛知県に帰省したときに岡田さんのところへ持って行ったところ、まだ記載されていないシラキトビナナフシだということだった。
その後ぼくは、京都から広島県福山市、岩手県盛岡市、福岡県久留米市を経て、1997年4月には憧れの地、沖縄県の石垣島に転勤したが、それまでの間にも、帰省するたびに岡田さんのもとを訪ねた。その間に岡田さんの居場所も都心のビルの一室から、昭和区駒場町、千種区春里町、瑞穂区関取町へと移り、「名古屋昆虫館」と名前も変わった。
石垣島で住んでいたアパートでは、灯火でカマキリがたくさん採れた。それを岡田さんのところへ送ったら、スジイリコカマキリという未記載種であるとのことであった。これまで未知であったスジイリコカマキリの緑色型も採れたが、これは岡田さんによって「月刊むし」に発表された(岡田正哉,石垣島産スジイリコカマキリの緑色個体,月刊むし (329): 16-17,1998)。
岡田さんによれば、八重山ではもう一種の未記載のコカマキリが知られており、それはヤサガタコカマキリと呼ばれていた。少なくとも国内では、それまで石垣島で雄が1頭、与那国島で雄が3頭採集されているだけの珍しいものだった。自宅アパートに飛来するコカマキリは、すべてがスジイリコカマキリばかりで、ヤサガタコカマキリは幻かと思われていたのだが、それがついに2001年7月9日に採集された。採集したのは、毎日ように灯火を見回っていたぼくではなくて、まだ4歳の幼稚園児だった三男坊だった(河野勝行・河野陽,石垣島でヤサガタコカマキリを採集,月刊むし (370): 11-12,2001)。この標本も岡田さんのところへ送った。
時は前後するが、1990年頃のことだったと思う。「名古屋昆虫館」が大きく発展するという話があったが、バブルの崩壊で寄付が集まらなくなり頓挫したという話を聞いている。「名古屋昆虫館」が昭和区駒場町から千種区春里町へ移転したのも、この直後の頃だったと思う。岡田さんにとっては辛かった時期ではないかと想像する。
さらに前後するが、岡田さんはエダナナフシ類やアマミナナフシ類を詳細に調べられていて、「ナナフシのすべて」(写真右)(トンボ出版,1999)に詳しく解説されているが、学術的な記載論文を書くこと拒否されていた。岡田さんの考え方では、記載論文を書くのはプロの分類学者の仕事で、アマチュアである自分が記載する立場ではない、というところだった。これに関してぼくは、記載するのはプロであろうとアマチュアであろうと関係なく、その分類群にもっとも精通している人の仕事だと思っているので、岡田さんに記載論文を書いていただくことを強く希望していた。しかし、岡田さんの考え方はなかなか変わらなかった。
これに関して動きがあったのは2008年3月のことであった。日本直翅類学会の学会誌"Tettigonia" No. 9には、市川明彦さんと岡田さんの連名でシラキトビナナフシの記載論文が掲載されていた。ぼくがシラキトビナナフシの存在を知ってから30年も経ってからのことなので、それなりの感慨があった。次はエダナナフシ類やアマミナナフシ類だと思っていたので、岡田さんには期待していたのだが、その頃には既に病魔に冒されていて、その実現は難しいと思わないわけにはいかなかった。そこに今回の訃報である。記載論文は一番よく知っている人が書くべきだと思うので、もう日本のエダナナフシ類やアマミナナフシ類は記載されずに終わってしまうかも知れない。
岡田さんは1943年生まれとのことなので、まだ68歳ぐらいである。近年の平均寿命の伸びからすれば、ちょっと早すぎる気がする。傍から見ていても積み残しの仕事が多いように思われるので、ご本人にとってみれば無念のことがさぞ多かったのではないかと思う。それはともかく、まずはご冥福をお祈りしたい。
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コメント
タイトルのお名前で『ナナフシのすべて』が思い浮かびました。僕は一般民間人ですが、この本は読んでいました。1999年発行のこの本ではコブナナフシがコノハムシ科に分類されていたので「日本にもコノハムシ科がいるんだ」なんて思った記憶があります。その後検索してみたところ、今では(?)コブナナフシ科として独立しているみたいですが……。
分類の事はよく判りませんが、この本は素人にも判りやすかったので、ありがい一冊でした。
投稿: 星谷 仁 | 2011年5月22日 (日) 15時14分
星谷さん、コメントありがとうございます。
『ナナフシのすべて』は素人にもわかりやすい良い本だったと思います。でも、エダナナフシ類とアマミナナフシ類の記載を終えてから書いて欲しかったな、というのが本音です。
投稿: Ohrwurm | 2011年5月22日 (日) 15時44分
ナナフシの記載はしていただきたかったですね。『〜のすべて』二冊はバイブルですが。
ヤサガタカマキリの♀を採集したことあります。卵も産んだけど孵化しませんでした。あれは迷虫だと思っています。
投稿: おきしま | 2011年5月22日 (日) 20時27分
おきしまさん、コメントありがとうございます。
ヤサガタコカマキリは、ぼくも何処かから(たぶんフィリピンあたり)から飛んで来たものだと思っています。雌を採集されたことは以前うかがいましたが、採集記録は何処かに発表されたのでしたっけ?まだでしたら、ぜひとも発表してください。日本でヤサガタコカマキリの雌は他に採集されていないはずですので。
投稿: Ohrwurm | 2011年5月22日 (日) 20時54分
岡田さんが一番良かったのは、やはり瑞穂区でK塾と併設していた名古屋昆虫館時代でしょう。チョウの温室こそ無かったものの、ほんとうにあれは立派な昆虫展示施設でしたから。瑞穂区の昆虫館は故・成田さんの口利きで実現できていたのですが。
第三土曜日だったか、昆虫のスライド映写会があって、そこで昆虫写真のノウハウを色々教えて貰えました。アイラフォトとかいう昆虫写真の貸し出しライブラリもしていましたが、あまり儲かっていなかったようですけど。忘年会へも参加した覚えがあります。
名古屋昆虫館友の会というのもあって、会報を出したり、小学生対象の昆虫観察会もやっていました。
よいこの蟲だよりも創刊号から持っています。http://6311.teacup.com/minacyan/bbs
投稿: ヘテロ | 2011年5月22日 (日) 22時46分
月刊むし454号(短報特集号)で報告しています。Ohrwurmさんの報告も引用してありますよ(^^)。
投稿: おきしま | 2011年5月22日 (日) 22時52分
すみません、私が河野さんに連絡すればよかったです。石川から名古屋に飛んで帰り、その後受付や会場との段取りなど、瞬く間に過ぎてしまいました・・・。本当に申し訳ありませんでした。
投稿: 福タマ | 2011年5月26日 (木) 22時24分
福タマさん、こんにちは。
ぼくが愛知県の虫屋さんとの普段のおつきあいがあまり無かったことがいけなかったのだと思います。
さぞたくさんの虫屋さんが駆けつけられたことでしょうね。
投稿: Ohrwurm | 2011年5月27日 (金) 07時18分