セミがオスしか鳴かないことを知らない人が身近にもいた
今朝は出勤するとき、目指す方角にきれいな虹が出ているのが見えた。ようするに、向こうは雨が降っているということだ。ということで、職場に着いた時には雨が降っていた。今日は定例の野外調査だったが、西風が強くて、やはりときおり雨も降り、寒い日だった。
上に書いたことは本題ではない。4月の人事異動でうちの職場に来た人の歓迎会を研究グループの中でやることになったので、その打ち合わせのために、今日の夕方、隣の植物病理学の専門家がいる部屋を訪問したところ雑談になった。雑談の中で「鳴かないセミがいるの知ってる?」と聴いたら、そこに居た4人の植物病理学の専門家(いずれもぼくより若い人たちである)は、誰一人として「メスは鳴かない」と答えられなかった。「メスは鳴かないんですよ」と言ったら、一同「へぇ、そうですか」という反応だった。以前、Zikadeさんのブログでメスのセミが鳴かないことを知らない人が居て驚いた、というようなことが書かれていたので、それは数学の専門家だからそれもアリではないかと思っていたのだが、仮にも生物(ウィルスを生物とするかどうかは微妙だが)を専門としている人がセミがオスしか鳴かないことを知らなかったことには驚かざるをえなかった。
ぼくにとって、セミがオスしか鳴かないことは、教科書に書かれていること以前の常識であるが、今は常識ではなくなってきているのかも知れない。自然離れには危機感を感じざるをえない。
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コメント
私は幼い時からセミが好きだということで、三歳の時に母親が加藤コレクションを見に連れて行ってくれたことがあったのですが(これは自慢だ。加藤先生に会ったことがある!)、当然その時にはメスが鳴かないことは知っていたわけです。つまりセミ捕りすれば自然に分かることです。最近の子はセミ捕りをした経験がないのです。あれは日本の文化ですよ。また、何故セミが鳴いているのかという疑問を持たずして過しているのですね(歌が好きなわけではない!)好奇心が欠如しているのでしょうか。いずれにせよ嘆かわしいことです。
そんな子は灘中には入れません(笑):
http://zikade.tea-nifty.com/klingenlassen/2007/03/mar_1_2007_354c.html
投稿: Zikade | 2011年4月20日 (水) 20時44分
Zikadeさん、こんばんは。
子供の頃に夏休みにセミ採りをするのは、ぼくも日本の伝統的な文化だと思っており、大切にすべきものだと思っています。寒さ暑さだけでなく、虫や鳥の鳴き声を聞いて季節を感じるのも、日本人の得意とするところだと思っているのですが・・・・・
それにしても、灘中は粋な出題をするものですね。
投稿: Ohrwurm | 2011年4月20日 (水) 21時41分
こんばんは。
このことでちょっとだけ困るのは、バッタ類にメスも鳴くものがいることです。バッタのことがあるので、普遍的には鳴くのは♂だけと言えません。鳴き声の用途が違うのでしょうが、セミがオスだけ鳴くことを知らない人に「バッタはメスも鳴くものがいるのでセミもそうだと思っていた」とでも言われるとちょっと困る。
まぁ、それでもセミ捕りをしたことがないということは問題だと思いますが。
投稿: Zikade | 2011年4月21日 (木) 20時13分
Zikadeさん、こんばんは。
セミの親戚筋にあたるウンカの「鳴き声」は人間の耳には聞こえませんが、振動でオスとメスが交信しているらしいです。コナジラミも振動で交信しているらしいです。ですから、細かいことに突っ込み始めたら、いくらでも例外が出てきますよね。そこまで全部知っていたら、「ヲタク」だと思いますが。
バッタの親戚筋にあたるケラはメスも鳴く、と聞いたことがありますけど、自分で確認したわけではないので、真偽のほどは定かではありません。
投稿: Ohrwurm | 2011年4月21日 (木) 20時38分
え、バッタの場合、雌が鳴くのもいるのですか。しかしそれは、雄をひきつけるために鳴くのでしょうか。
そうでないのならば、メスをひきつけるために鳴くのはオスだけとはいえますね。
投稿: 混沌 | 2011年5月 8日 (日) 19時18分
混沌さん、こんにちは。
ぼくはバッタのことは詳しいわけではありませんが、コオロギやキリギリスの仲間は、雄だけが特別な構造になっている翅と翅を擦り合せて発音しますが、バッタの場合は翅と後脚を擦り合せて発音するので、雌でも発音ができるのだと思います。
バッタの発音についての詳しい研究事例は知りませんが、雄と雌で交信しているならば(ウンカやコナジラミのように)、雌の発音に意味はあると思います。
いいかげんな事を書いていると思いますので、詳しい方のコメントを待ちたいと思います。
投稿: Ohrwurm | 2011年5月 8日 (日) 19時47分
私も、情報科学の文献の多く高齢の経営学者がそのことを私から聞いて驚いたのにびっくりがっかりさせられたことを思い出します。
しかし、この問題は根が深い。
人間社会はますます人工化し「地球にやさしくとか自然にやさしく」とか言いながら、自然に逆らう、特に、元来自然そのものでもある人間が自然性から自由になる、脱却する、はては離別するということへの強い志向があるようです。
最近、人間の装身や化粧の歴史は非常に古いとかいう見出しをちらっと見かけたことがありましたが、元は自然の部分の強調だったはずがそれは同時に自然の否定でもあり、そのうち否定行為そのものが当たり前となり、それが「進歩」という言葉に置き換えられて久しい。「女性が男性にプロポーズする」など、その典型でしょう。「人間は男女平等であり~!」という価値観の世の中では「セミは雄しかなかない!」なんて強調すると、セクハラ発言とされかねない勢いではありませんか?
なお、僭越ですが、私は動画を多くアップしており、そのほとんどは上に述べたことを音楽で言っているようなものです。言葉ではなく音楽ですから、否定調ではありにくく肯定調ですが、貴方様、のような方なら上の「否定文」でもって私が何を大切に肯定しようとしているか、わかりすぎるほどわかっていただけるものと思っております。2015年3月1日未明
作曲家:ロクリアン正岡拝
投稿: ロクリアン正岡 | 2015年3月 1日 (日) 06時10分
ロクリアン正岡さん
コメントありがとうございました。
お返事遅くなり、申し訳ありませんでした。
自然のことを知るための科学も、いつの間にか手段が目的となってしまうことはよくあるような気がしています。
ボクはまず自然のことを知ることが、人間を知ることの基本となると思っています。
いくつか動画を拝見しました。「原音楽」という考え方は新鮮でした。ツクツクボウシの鳴き声がなぜあんなに音楽的なのか、どのように理解したら良いのか見当もつきません。
投稿: Ohrwurm | 2015年3月26日 (木) 17時45分