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2011年2月16日 (水)

土壌微生物の多様性についてのぼくの理解・・・横山和成さんの話を聞いて・・・さらに外来種の問題を考えてみる

横山和成さんの主張についてのまとめ
 還元主義的な考え方に基づいて土壌微生物を完璧に分類することは不可能であるから、土壌微生物の種数をもとにした土壌微生物の「種の多様性」を求めることは不可能である。しかし、土壌微生物の機能をもとにした多様性の指標を作ることは技術的に可能である。すなわち、様々な有機物を分解(利用)できるかどうかを基準にして多様性を指標化すればいい。そうして求めた指標を基準としてみてみると、土壌微生物の(機能的な)多様性の高い土壌ほど作物の病気が発生しにくいことが明瞭にわかってきている。多様な機能を持つ土壌微生物群が様々な生態的なニッチを占めることにより、特定の機能をもつ土壌微生物種だけが特異的に大発生する可能性が小さくなるので、植物に対して病原性をもつ土壌微生物も増殖しづらくなるのがその理由だと考えられる。ここで、多様な土壌微生物は種がわからなくても、ある機能を持つかどうかがわかればよく、同じ機能を持つ土壌微生物であれば、種が入れ替わってもかまわない。見方としては、土壌微生物の多様性を保持することは、種構成などを静的な状態で維持することではなく、機能的な動的平衡を保たせればいいということである。

そこから植物の土壌病害と有機農業についてぼくが考えたこと
 植物の土壌病害を防ぐために土壌消毒が行われるのが一般的である。土壌消毒は農薬や熱水を使って、微生物を殺すことである。ここで標的とされるのは植物病原菌である。しかしながら、土壌消毒は植物病原菌であるか有用菌であるかにかかわらず、無差別的に微生物を殺す。微生物を殺すことは土壌微生物の多様性を減らすことにほかならない。土壌消毒により病原菌がいなくなれば(発病限界以下の個体数になれば)植物の土壌病害は抑えられる。しかしながら、再び発病限界以上に個体数に病原菌が増えれば、また土壌消毒を行わなくてはならない。それに対して、土壌微生物の多様性を高めれば病原菌は増殖しにくくなり、発病限界以上に個体数を増やす機会は少なくなると考えられる。有機農業を行うには「土をつくることが大切である」と言われるが、これはまさに土壌微生物の多様性を高めることだと思われる。土壌微生物の多様性を高める途中段階では、様々な望まれない微生物が増殖する可能性があり、「土ができる」までには様々な障害があると思われる。有機農業を行うことは、その間の辛抱ができるかどうかにかかっているように思われる。農薬を使わずに熱水を使えば無農薬であるから、それは一見有機農業のようにも見えるが、土壌微生物の多様性を低めるという点では農薬と同じであるから、熱水土壌消毒は有機農業とは相容れないものだと思われる。

転じて一般にいわれている生物多様性と外来種問題について考えたこと
 生物多様性の問題を考えたとき、かならずと言って良いほど外来種の問題が取り上げられる。現在一般には、外来種は排除すべし、という考え方で対策が講じられている。これは、静的な状態を保全する考え方に基づいていると言える。しかし、外来種の中には、既に日本の生態系のなかにはまり込んでしまっていて、排除するのが現実的に困難な種が非常に多い。これは、その外来種が定着できたということは、その種のための生態的ニッチが空いていたということなのだろうと思う。生態的なニッチが空いていなければ、外来種も定着できなかったであろう。そのような外来種を静的な状態の保全の考えに基づいて「何が何でも排除する」ということでは、コストもかかりすぎるだけでなく、いくらコストをかけても排除できない場合がほとんどであると思われる。土壌微生物の機能的な多様性の保全の考え方に従えば、生態系の中で同じ機能を持つ種であれば種が入れ替わってもかまわないことになる。外来種の侵入によって生態的な地位を追われる在来種がいるかも知れないが、外来種によって同じ機能が維持されていれば、生態系全体としては安定性を保てることになるので、必ずしも「外来種の侵入=悪」とは言えないと思える。在来種の絶滅を防ごうとするのは静的な状態を無理矢理維持しようとすることであって、エネルギー的にも無駄が多いのではないかと思われる。誤解されては困るので敢えて書くが、ぼく自身は在来種(と言うより、自分が慣れ親しんでいる種、と言った方が良いであろうか?)がいなくなるのは寂しいことだと思っている。しかし、それはぼくの心の中にある郷愁(高橋敬一氏の言うところの)にすぎないことなのだろうと思う。誰しも、自分の物心がつく前の情景を思い浮かべるのは不可能であるから、せいぜい保全のために遡ることができる時代は、たかだか自分の記憶に残っている範囲にすぎないはずである。

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コメント

なるほどね~
生物や微生物までもの多様性が作り出す自然界の均衡が見えた気がしました。
現代での在来・外来というのも、あくまでも現段階での種の均衡であって、長い年月の間には、外来どころか、宇宙から流星として運び込まれた地球外種・・・が、いつの間にか郷愁と言われる(笑)在来種さえ作っている可能性もあるはずですから、、、あ~~~自然って偉大なはずだわ~~って、思ってしまいます。(違う?)

投稿: ぺこん | 2011年2月17日 (木) 00時29分

本当にそうかなぁ?。ニッチの隙間にすっぽり入る場合と、力ずくでニッチを奪い取る「競争的排除」による均衡の例もあるわけだから(例えば外国の飼料に混じって入り込んだ外国の雑草種子が堆廐肥と供に畑に侵入し繁茂している事例)、土壌微生物群の均衡則を外来生物にも一般則として当てはめて論ずるのはどうなんでしょうか?。

投稿: オコック | 2011年2月17日 (木) 16時04分

ぺこんさん、コメントありがとうございます。大雑把なところで、ぼくが考えているところをご理解いただけたと思います。諸行無常です。

オコックさん、コメントありがとうございます。競争的排除の法則は、微生物の場合でも、大型の生物の場合でも、ほとんどの場合当てはまるのではないかと思います。2種が競争になった場合、その時の周りの状態(これは定常状態にあるかどうかはわからない)やそれぞれの種の初期密度(これはかなり重要な要素)に依存しており、どちらが勝つかがあらかじめ決まっているわけではないと思います。

投稿: Ohrwurm | 2011年2月17日 (木) 19時54分

こんばんは。
外来種と在来種で、占めるニッチがまったく同一かどうかは難しいと思います。何もデータを持ち合わせないので空想の世界ですが、お書きになっているように外来種が侵入先でニッチを占めることは一般にはそんなに簡単なことではないと思われます。だとすると繁殖能力等の面で、必ず競合する在来種より何か優れたものを持ち合わせていると思われます。旺盛な繁殖力をもったものが定着すると、そこで従来からあった生物同士の関わり合いに必ず何かの変化が起きると考えるべきではないでしょうか。その変化が結果として連鎖反応的に、関わる生物に影響を与えるとすると、その結果を予測することはたいへん難しいような気がします。土壌微生物は個々の種の同定が不可能で、その機能を捉えて同定するということであれば、まったく機能が同じならそれでもやむを得ないかもしれませんが、一般的な生物にそれを当てはめることは危険はないでしょうか。

もうひとつ別の次元の話ですが、気になることは、「既に定着した」という考え方で、たとえば私の中で、アメリカザリガニは幼時から慣れ親しんだ既に定着した動物でした。しかしまだ分布を拡大し続けており、侵入先で次々と水草を食い荒らして水生昆虫の生息環境を破壊し続けているとも言われています。ところがG県の未分布地のホームセンターでアメリカザリガニを売っているから何か対応して欲しいと言っても行政の腰は思いようです。本庁のある県庁所在地では、既にどこにでも見られる動物だからではないかと、私は疑念を持っています。これは既に定着した種だからとどこかの地域で認めてしまえば、面倒なことを好まない行政機関は、右に習えになってしまいはしないか、と私はたいへん気になっています。まったく学問的な世界とは別な話ですが、しかし保全とか保護とかは結局人間の行為ですから、そこまで含めて考えないと、学問と実践はいつまでも結びつかないのではないかと思っています。

投稿: 甲太郎 | 2011年2月19日 (土) 01時01分

「外来種によって同じ機能が維持されていれば」という条件はどれくらい満たされているものでしょうか。
お書きになっている考えはさほど違和感がありませんが、侵略的外来種と呼ばれる生物はほとんどこの条件を満たしていないのではないでしょうか。

投稿: 橘 | 2011年2月19日 (土) 01時05分

甲太郎さん、コメントありがとうございます。
 新しい種が加わった場合、その結果の予測が難しいことは甲太郎が書かれたとおりだと思います。しかし、侵入に成功した外来種が必ずしも優れた性質を持っているとは言えないでしょう。環境条件は、場所により違いますし、しかも時々刻々と変化しています。だから、たまたま旺盛な繁殖をしてしまうことがある、というのが実態ではないかと思います。土壌微生物での考え方を大型の生物にあてはめるのは「危険」とおっしゃっていますが、「危険」もなにもなく、正しいかどうかにかかわらず、一つのモノの見方だと思います。
 外来種問題の実践についてですが、たとえば「元にもどす」のが「正しい」ことなのかは、誰にも判断できないのではないでしょうか?生物はすべて、常に分布を拡げようとしていますから、それを力で抑えつけるのが「正しい」のかどうか?ニッチが空けば、そこに生物が侵入するのは必然ですから、生物の侵入を阻止するためにはニッチを空けないようにするしかないと思います。それは、人間が人間としての活動を行っている限り無理なことではないかと思います。

投稿: Ohrwurm | 2011年2月19日 (土) 10時13分

橘さん、コメントありがとうございます。
 「外来種によって同じ機能が維持されていれば」という条件は、「その生態系が全体として安定性を保っていること」だとぼくは考えています。
 「侵略的外来種」とは、たまたまある生態系で異常なほどに個体数を増してしまった種のことだと思いますが、日本における「侵略的外来種」のほとんどは、原産地ではそこの生態系の中でおとなしくしている種ですから、日本の生態系で、たまたまニッチが空いていたために異常なほどに増えてしまっただけなのだとぼくは考えています。今の日本には外来種が溢れかえっていますが、「侵略的外来種」だとされている種は、その中のごく一部ではありませんか?
 むしろ、今生態系を大きく変えてしまっているという点でいちばん問題になっているのは、「在来種」であるニホンジカではないかと、ぼくは思っています。

投稿: Ohrwurm | 2011年2月19日 (土) 10時23分

Ohrwurmさま

再び、話題を提供しました横山です。

長文でお庭先を汚すことにならないか心配ですが、コメントさせて頂きます。

全体として、あの短い時間の中で、非常に適格に私の論旨をご理解くださっている事に一種の感動を覚えます。

生態的ニッチ占有により、土壌病原菌の特異的大増殖を抑制できる、と言う肝の部分の理解はほぼ完璧です。

過去に多くの先人達は、「連作障害抑止型土壌=連作によっても土壌病害の大発生を起こさない特殊な土壌=植物病理学における一種の謎」の原因を特異なエージェント、つまり特殊な(人間にとっては誠に都合の良い)微生物の存在に見出そうと長い間、もしかすると今でも・・・追い求めてきました。成功したという論文は枚挙に暇がありません。しかし、その証明として、現場で効果が実用化された「エージェント」は殆どありません。特に土壌中で働く実証例は皆無と言って良いでしょう。

私の場合、生来の天の邪鬼性から、思考を、世の中にそんな都合の良いスーパー微生物など「無い」という、誠に悲観的世界観からスタートさせました。

スーパーマンが救うことが出来るのは、同僚のおねーちゃんであって、現代社会は救えない。現代社会を救うのは、社会を構成する一人ひとりの、如何にも地道な日常の所作の総体なのだと。スーパーマンが現実に存在しないように、スーパー微生物を夢想するのは間違いであると。天の邪鬼でしょう?

ですから、生態的ニッチの占有と同時に、多様で動的な相互作用の力(力としか表現できませんが、要は食う食われる、資源を取り合う、それぞれの老廃物や産出物が互いの及ぼし合う正負の影響などの総体、これが日々刻々と変わり続けることが、一種の特異な生き物の安住、爆発的増殖を結果として防いでいる力)が、生態系の持つ本当の安定性ではないかと考えています。これを「動的安定性」と呼びます。つまり、一刻も静止しない、変化し続ける故に安定であると言う、理想社会を希求する現代人の常識とは真反対、気を抜くと何時でもその場から排除されてしまう究極の修羅場です。ここで働いている力を嘗て、複雑系の「排多性」あるいは、「排多力」、そう言う系の振る舞いを、、「排多的振る舞い」と表現したことがありました。

つまり、だれも一人勝ちできない世界です。それが最も豊かな系の姿だと言いたかったのです。この辺りは、熱力学の研究者との議論の中で育っていった考え方、思想と言っても良いかも知れません。

それを踏まえて、以下の部分・・・
>ここで、多様な土壌微生物は種がわからなくても、ある機能を持つかどうかがわかればよく、同じ機能を持つ土壌微生物であれば、種が入れ替わってもかまわない。

この部分を見ると、「同じ機能を持つ土壌微生物であれば種が入れ替わってもかまわない」ではなくて、違った機能をもっていてもその系が引き続き変化し続ける安定性を持っていれば全く問題ない。問題は、或る方向に系の変化が一方向に進み始めることです。その行き着く先は、変化が止まった世界、「熱的死」と呼びます。私から見ると、連作しまくりの、土壌消毒しまくりの、病気でまくりの畑は、熱的に死んでいる。だから(単純系になっているから)こそ人間の制御に身を任すことが出来るのかも知れません。逆に言えば、人間は死んだシステムを毎年、お金とエネルギーを掛けて少しずつ動かして連作農業をしていることになり、そこには、自然(生きた)生態系が本来具有しているはずの持続性は微塵もないと言うことが出来ます。

さらに・・・
>見方としては、土壌微生物の多様性を保持することは、種構成などを静的な状態で維持することではなく、機能的な動的平衡を保たせればいいということである。

これはもうちょっと・・・
「平衡」とはバランスのことで、一つの到達点をイメージさせますが、私の考えでは、そのような到達点は人知ではおおよそ謀り得ない。つまり、システムの動きはシステムに任せて、ただ動き続けて貰うのみ、そのためにシステムの動きを止めるような所作(例えば土壌消毒とか、○○菌の大量投与とか・・・)を慎むべきだと思っています。

実際、世にある篤農家と言われる農家はそのへんは研究者がゴチャゴチャ言うことなく、ちゃんと弁えて農業しています。

最近は、そう言う農家に学ぶ毎日です。

外来種に関してはまた、回を改めてコメントします。これもまた深い問題があります。

つまり、内と外に違いはあるのか否かという・・・

投稿: 横山和成 | 2011年4月22日 (金) 16時37分

横山和成さん、ご本人からのコメント、大変嬉しく思います。
会議の場では横山さんのお話をすぐに理解できたわけではありませんが、家に帰ってから反芻しなおしてみて、ここに書いたようなこととして理解しました。ぼくの理解に大きな間違いはなかったようですので安心しました。
土壌肥料分野としては、土壌微生物の多様性を高めることが究極的な持続可能な農業の実現に繋がることが期待できますが、ぼくのような病害虫分野の場合は、かならずしもそうとは言えないということが直感的に理解できるので(この点については後に書きます)、今後どのような方向性をもって研究したらいいのか、未だにわかりません。
 病害虫の防除は、農業生態系における物質なりエネルギーなりの流れを意図的に変えて人間の取り分を多くしよう、ということだと理解しています。となれば、物質なりエネルギーなりを病害虫に持って行かれないようにするということになります。もっとも単純に考えれば、害虫なり病原体なりを減らす(=多様性を減少させる)ということになります。
 現在、農業生態系における多様性を高めて持続的な農業生産ができるようにしよう、という研究プロジェクトに関わっていますが、この命題の中には多少ともなり矛盾が含まれているものと思っています。この点に関してお知恵を拝借できれば幸甚です。

投稿: Ohrwurm | 2011年4月24日 (日) 09時56分

Ohrwurm様

>ご本人からのコメント、大変嬉しく思います。

と言っていただき正直ホッとしました。この様な場に実名で投稿するのは、もしかしたら野暮で無粋なことだったのかなと、内心冷や冷やしておりました。

「害虫防除」と多様性との共存というか、協調関係というか、そう言う問題設定もしくはその解答にお悩みなのではと拝察いたしましたので、少しだけコメントを・・・

そもそも、農業の成り立ち自体にも係わる根元的なこの問題に、一朝一夕で御名答があるとも思われませんが、考えるヒントはあると思います。

つまり、農業を自動車製造や電気製品製造などの製造業の一つとして捉えるか、人間社会が持続的に存立するために不可欠な人間活動の一つとして捉えるか、或いはそのどちらをも含んだものとして捉えるかです。

恐らく、第3の道が現代の農業なのだと思われますが、その場合、両者の割合はどの程度が適切なのかが今度は問題になります。

おそらく、19世紀から20世紀の先進国農業は、かなりの部分が製造業として捉えてきたのではないでしょうか?そのため、自国、周辺地域で消費する量を超えて製造し、それを他国、他地域までコストを掛けて輸送し、販売する農業が成立したのもその現れだと思います。

ただ、忘れてはいけないのは、余剰食糧は流通する商品として扱い得たかもしれませんが、食料生産の基本は生命維持のための必須資源であるということです。ですから、最低限の自給力(現時点での自給率ではなく、いざとなった時の潜在生産力です)を維持する必要があります。

それら諸々の条件を考慮したとき、どの様な生産形態が適切であるかを考える必要があります。そうなった時、今年一年採れれば良い的な害虫防除は、却下されることになるでしょう。

一つのヒントとして、全ての評価に時間軸を入れることです。つまり、防除でも、抵抗性品種導入でも良いです。なにかの所作の評価に、このインパクトがどれだけ(の時間)影響を持つか?持続するか?と言う評価軸を持つことで、世界は一変します。

別のスレッドで拙書のことを触れていただき(汗顔の至りです・・・が)、内容の大半が「経済学者」の手によるようだった、みたいな評価を頂きましたが、私は、病害防除も、土壌微生物生態系管理も、一種のシステムとの交信だと考えていて、根幹は一つです。その意味で、件の書は日本という国システムが連作障害を起こしていると言う観点から幾つかの治療処方箋をシナリオとして述べたもので、私としては全く違和感がありません。当節の経済学が、どれほど現実の経済に肉薄しているかどうかは、不勉強にして知りません(精々数理経済学の一部が金融工学商品を使って世界経済を混乱させているくらいの認識しかありませんが・・・)ので、どちらかと言えば「経営学」もしくは、現実の会社経営にシンパシーを感じます。

もしまだでしたら、ルートヴィヒ・フォン・ベルタランフィの「一般システム理論」などをパラパラ見てみたら如何でしょう。違った切り口が見えてくるかも知れません。

と言うことで、外来生物考は次回にします。

投稿: 横山和成 | 2011年4月26日 (火) 15時29分

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