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2010年8月24日 (火)

「雑草」が生えていることは悪いことか?

 8月23日付け中日新聞1面「紙つぶて」で宗次徳二氏(あの「ココイチ」の創業者である)が「雑草をなくそう」という文章を書いている。表題通り「雑草をなくそう」という内容が書かれているが、これを読んで、宗次氏はアホではないかと思った。(宗次氏から見れば、ぼくがアホに見えるだろうが・・・)
 「雑草という名前の草は無い」とは昭和天皇のお言葉である。これは、自分が名前は知らなくても、すべての植物には等しく名前が与えられるべきである、という思想だと思う。美しい考え方だ。
 植物はそれぞれの植物の都合で、生育できる場所では、それぞれの植物の能力に応じて繁殖する。これは自然の理である。
 それを全く考慮すること無く、自分が気に入らない植物を「雑草」と呼んで、それを排除すべき対象と考える宗次氏は、ナチスや戦前の日本のような危険な思想と通じるところがあるように思われるが、考え過ぎだろうか?
 自分の庭に自分が気に入らない植物が生えたのを排除することは、その庭の持ち主の勝手だと思うが、他人が管理する場所に生える植物を、自分が気に入らないからと言って、それを排除せよと主張する宗次氏は、他人の都合を考えることができない人なのだろうなぁ。
 勝手に生える植物も、花を咲かせ実をつける。よく見れば、名前も知らない植物の花も、それなりに美しいものである。おそらく宗次氏は、自然物を美しいと考えることができない人なのであろう。
 ぼくとは正反対だ。

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コメント

多様性という言葉がキーワードとなる時代に偏屈な価値観の押しつけを図るのは許しが痛いと思います。
口先では個性の尊重などと言いながら、同じ価値観しか認めない風潮が高まっています。個性は極力表に出さないように気を使い、みなと同じものや考え方を是とする社会は息が詰まりそうです。老人や障害者を単なる面倒なものとしか見ることができない社会はどこか狂っているとしか思えません。

路傍や空き地にはびこる雑草たちの多様性や生態系、生存へのたくましさは興味深いものがあります。またときとして美しい花に巡り合、季節の移ろいをいち早く教えてくれる雑草こそ日々の暮らしに潤いを与えてくれるものです。

投稿: 楽苦 | 2010年8月24日 (火) 23時04分

楽苦さん、コメントありがとうございます。
 ぼくの価値観が変ではなさそうなどいうことで、心強く思いました。
 考え方の画一化も息苦しく感じさせられる原因だと思いますが、「自然」からの乖離も問題だと思います。「雑草」は最も身近な自然ですから、排除するようなことは考えたくないものです。

投稿: Ohrwurm | 2010年8月25日 (水) 06時24分

一般民間人ながら激しく共感しました。
「気に入らないものは排除」という風潮は危険だし不健全だと僕も危惧しています。
またこうしたデフォルト感覚(?)は「いじめ」の根源となるものだとも考えています。
しばしば問題になる陰湿なイジメ問題。
ひどく暴力的な子や残酷な子が「いじめ」に走るいうよりは、「気に入らないものは徹底的に排除しないと気が済まない」感覚で育った普通の子が「いじめに」に駆り立てられているのではないかと僕は疑っています。

投稿: 星谷 仁 | 2010年8月25日 (水) 20時32分

はじめまして。愛知県に住むもと虫屋のaeshnaです。Zikadeさんのページからこちらに来ました。どうぞ、よろしくお願いします。
雑草の話題をみて、宗次氏みたいなアホがなぜ書いているのか、ギモンだと思います。
この1年ばかり、生物多様性が新聞などで取り上げられますが、多くの人々は自分に都合のよい、害にならない生物だけをとりあげていますね。宗次氏もそういう人なのでしょう。もと生態学にかかわった者としては、なんだか、COP10にむなしさを感じます。

投稿: aeshna | 2010年8月25日 (水) 20時56分

星谷さん、コメントありがとうございます。
 星谷さんが考えておられることに、ぼくは同意できます。
 宗次氏は、自分が商売で成功したものだから、少なからず思い上がりもあるでしょうね。おごれる者は久しからず、だと思います。

投稿: Ohrwurm | 2010年8月25日 (水) 21時07分

aeshnaさん、はじめまして。
 宗次氏は商売はうまいが、人間の都合だけしか考えられない人だと思いました。宗次氏のことは、ココイチを一代で大きくして「宗次ホール」なるクラシック専用ホールを作った人物だということ以外はほとんど知りませんでしたが、やはり「アホ」でしょうか?
 COP10も本当の意味を理解してしようとしている人はごく一部だと思われるので、確かにむなしさを感じます。今は、生物多様性がらみで色々な予算が付いていますが、これが終わったら、おそらく元の木阿弥ではないかと想像しています。
 愛地球博にしても、エコの仮面をかぶった自然破壊でしたね。

投稿: Ohrwurm | 2010年8月25日 (水) 21時16分

今朝の東京新聞「発言」欄に早速載った投書をお知らせします。(筆者は私。以下投稿原文のまま)
 23日夕刊一面のコラム放射線「雑草をなくそう」を読みました。雑草を取り除いて街が平穏で明るくなれば、との志は正しいでしょう。しかし、ここまで雑草を目の敵にすることは果たして正しいのでしょうか。
 地方の幹線道路を通っているとき、自然に生えたその土地の草花を刈って、道沿いに花壇をわざわざ造っているのをよく見ます。除草剤を使っているところもあります。
 こぎれいな外国産の園芸種を植える行為を「手入れ」と考えている人もいるようですが、自然に生えた草花のほうがその土地に合っていて美しいと感じます。
 また、このような園芸行為の延長線上にこそ、植物や昆虫などの外来生物の危険な広がりがあります。
 外来種の駆除なら理解できますが、「雑草をなくそう」と簡単に言い切ってしまう自然観には少し危うさを感じてしまいます。

投稿: ひろ | 2010年8月26日 (木) 18時23分

ひろさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
 「紙つぶて」は中日新聞と東京新聞で共通なのですね。さすがに「発言」は中日新聞と東京新聞では異なるようです。中日新聞には地元の人の声しか掲載されていませんでした。
 ひろさんのご意見は、ぼくの持つ感覚と通じるところがたくさんあります。ぼくの感覚が常識的なところからかけ離れたものではないものであることを確認させていただいたように思えます。
 ご意見のご紹介ありがとうございました。

投稿: Ohrwurm | 2010年8月26日 (木) 22時16分

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