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2010年7月

2010年7月29日 (木)

新開孝著『ぼくは昆虫カメラマン』

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新開孝著『ぼくは昆虫カメラマン 小さな命を見つめて』

岩崎書店
ノンフィクション・生きるチカラ3
ISBN978-4-265-04289-0
1,300円+税
2010年8月10日発行
152 pp.

目次
まえがき−ヘッセ「少年の日の思い出」との出会い
教育映画の仕事[ミミズのうんち/昆虫カメラマンへのあこがれ/馬糞にまみれて/ミミズの撮影の工夫]
池上本門寺のアカスジキンカメムシ[昆虫雑誌「インセクタリゥム」/カメムシとぼく]
アリスアブとの出会い[ナメクジ歩きをする奇妙な生き物/もう一種類のアリスアブ/すみわけ/幼虫、発見!/成虫のくらし/クリ林での発見/月刊誌「アニマ」]
カマキリモドキ撮影記[初めて買った自家用車/カマキリとクサカゲロウの合体生物(キメラ)/不思議な生活/深まる謎]
ウスタビガの繭[ケヤキの梢で/羽化の撮影]
身近な自然を見つめて[散歩の楽しみ/チビアメバチの秘密]
九州の自然[あこがれのダイコクコガネ/雑木林のある家で/常緑照葉樹の森へ]
あとがき

 昆虫写真家・新開孝さんから新刊を贈っていただいたので紹介したい。
 新開さんと初めてお会いしたのは、ぼくが石垣島に住んでいた2002年頃のことだったと思う。何を見に行った時だか憶えていないが、石垣島白水の谷に入ろうとしていたときのことだったということだけは確かである。車で白水の入り口に向かおうとしていたら、地面に這いつくばって写真を撮っている人物がいた。虫の写真を撮っていることは確かだと思われたので、声を掛けて少し話をしたところ、それが新開さんだということがわかった。
 ぼくにとって昆虫写真家と言えば、年齢順にまず栗林慧さんであり、次に海野和男さん、さらに今森光彦さんであった。栗林慧さんはぼくより20歳年上、海野さんは一回り年上、今森さんは5歳年上である。それぞれ作風が異なり、誰が一番とは言えないが、これらの写真家の作品にはぼくの心に訴えるものがある。
 石垣島で新開さんとお会いした時、新開さんのことは知らなかった。その後、「里山 昆虫ガイドブック」(2002年)、「里山 蝶ガイドブック」(2003年)などを見て、新開さんもぼくの心に訴える写真を撮る方であるということがわかった。新開さんの作品は、決して珍しいとは言えない身近に見られる虫の、あまり知られていない暮らしの部分を捉えたものが多い。昆虫の生活史の解明に焦点を当てたところは、ぼくが昆虫を見ることに関して心がけていることと共通する。新開さんの写真の光の使い方も穏やかで、自然な感じを与えてくれる。そういうことで、新開さんの作品を知って以来、新開さんも、栗林さん、海野さん、今森さんと肩を並べる実力者であると理解した。新開さんはぼくより1歳年上。ほとんど同世代である。ついに自分と同世代の昆虫写真家の大物が登場したと思った。
 本書は、そういう写真を撮る新開孝という写真家がいかにして作られたか、ということが書かれている自伝のようなものとも言える。これまでに新開さんが歩んできた人生の中で出会ったキーになる虫を中心に、そのとき新開さんが何を感じて、どのように行動して、どのような新しい発見があったかが紹介されている。昆虫の生活史の中での新しい発見をすることが紹介されている部分は、昆虫観察のための方法のガイドブックのような役割も果たしていると思う。
 本書を出版してる岩崎書店は、子ども向きの本をたくさん出している出版社である。本書には漢字に振仮名がつけられており、また子どもにもよくわかるような語りかけるような文章で書かれているので、小学校の中学年程度でも楽しむことができるし、ぜひともまだ若い人に読んでもらいたいと思う。もちろん、大人が読んでも「なるほど」と感じさせられることが多い。
 新開孝さんのウェブサイトはこちら。 こちらのブログ『ひむか昆虫記』はほとんど毎日、新しい写真と文章が掲載されている。

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2010年7月27日 (火)

梅雨明け以来の雨・・・街中ではほとんど降らなかったらしい

 今日は午後から雷が鳴って、一時はかなり強い雨が降った。梅雨明け以来、雨らしい雨が降っていなかったので、ちょうど良いお湿りになった。
 ところが帰宅して妻に訊いたところ、市内ではほとんど降らなかったとのこと。直線距離にして8kmぐらいしか離れていないのに。それでも、津地方気象台のデータを見ると、午後7時ぐらいからはっきりと気温が下がったのがわかる。

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2010年7月25日 (日)

福岡伸一著『プリオン説はほんとうか?』

福岡伸一著『プリオン説はほんとうか? タンパク質病原体説をめぐるミステリー』

講談社 ブルーバックス B-1504
ISBN978-4-16-372430-0
900円+税
2005年11月20日発行
246 pp.

目次
はじめに
第1章 プルシナーのノーベル賞受賞と狂牛病
第2章 プリオン病とは何か
第3章 プリオン説の誕生
第4章 プリオン説を強力に支持する証拠
第5章 プリオン説はほんとうか−その弱点
第6章 データの再検討でわかった意外な事実
第7章 ウィルスの存在を示唆するデータ
第8章 アンチ・プリオン説−レセプター仮説
第9章 特異的ウイルス核酸を追って
おわりに
さくいん

コラム
 アタキシアの謎
 正常型プリオンタンパク質の機能
 酵母プリオン
 ウイリノ説

 本書は 『もう牛を食べても安全か』に続く福岡氏の著書であるが、2005年発行のものであるので、もう5年も前のものである。この分野の研究は競争が激しいと思われるので、その後の進展もあるものと思われるが、版が重ねられているので(実際に手にしたのは2009年8月28日発行の第11刷である)、それほど大きな進展はないのであろうと想像される。
 本書は、これからこの分野の研究に入ろうとする若い人をターゲットに書かれたように思われた。もちろん、この分野の研究者になろうとする人でなくても、「プリオン説とはどんなものか」とか、本書の表題そのものの「プリオン説はほんとうか」ということに興味がある人が読めば十分に面白いと感じられると思う。ぼく自身、この分野には門外漢であるが、面白く読むことができた。
 プルシナーによるプリオン説はよくできた仮説である。狂牛病の話題が賑やかだった頃、一般の新聞でも、「異常型プリオンタンパク質によって正常型プリオンタンパク質が異常型に変えられることによって狂牛病が発症する」という説明がなされていたのを記憶している。その当時、一般市民と違わないぼくは、それは仮説ではなく事実だ、というような印象を持った。ところが、専門家から見れば、プリオン説では十分に説明できないことがたくさんある、ということだ。本書では、プリオン説が詳しく説明され、さらにプリオン説の弱点が詳しく説明され、プリオン説が完全ではないことを説得力をもって説明されている。
 著者である福岡氏は本書の表題から想像されるとおり、もちろんプリオン説は間違いであるという立場に立っている。すなわち、狂牛病(やそれに類する病気)の病原体はタンパク質ではなく、核酸を持った微小なウイルスか何かであるという立場である。それを説明する仮説も本書の中で解説されている。
 「おわりに」の中で福岡氏自身の言葉によって、このようなこれから証明されるべき仮説を本書のような一般書の中で語るのは科学者の立場としては邪道かも知れないが、自分自身の能力(主に実際の実験を行うための労力)を越えているので、あえて自分の考えを提示することによって、この分野に参入する人にも読んでもらいたい、という趣旨のことが書かれている。プルシナーがノーベル賞を受賞したように、本当に狂牛病のメカニズムを完全に解明できればノーベル賞の受賞に値するものであろうと、素人ながら感じられる。もちろん、福岡氏の仮説にも問題点がないわけではないだろうが(ぼくは素人なのでそこまではわからない)、このような未解明の問題に関する自分の仮説を惜しげも無く提示する福岡氏の態度には賞賛できるものがあると思う。自分の手の内を明かすことは、なかなかできることではないと思う。
 この本が書かれてから5年経っているが、いま疑問は何処まで解明されているのだろうか?

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2010年7月24日 (土)

炎天下の海岸にて・・・・・オオハサミムシ

 昼前、某希少種が見られないかという期待を持ちながら、津市の某海岸に行った。天気は非常によく、歩いていると頭がクラクラしそうだ。
 目指す虫を探すのだが、何処を探したら良いのかポイントがわからず、1時間近く歩き回ったが、結局は見つけることができなかった。やはり希少種なのである。
 もちろん他の虫も探した。打ち上げられた丸太を持ち上げると、その下からオオハサミムシが何頭か出てきた。すると何を思ったのか、2頭の雌がけんかを始めた。オオハサミムシにとってはちょっと迷惑なことをしてしまったかも知れない。
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2010年7月21日 (水)

クソ暑い中での野外調査・・・今日はクワカミキリ

 今日の未明、暑さで目が覚めて、2時ぐらいから4時ぐらいまで眠れなかった。おまけに、6時19分頃に起こった震度2の地震で目を覚まさせられた。最低気温は26.4℃。実に体にキツい。
 今日は朝から暑かった。出勤するとき、陽を背に受けてバイクを走らせるのだが、暑さが衣服を通して中まで突き刺してくる。
 そのクソ暑い中での調査だったので、十分な暑さ対策をしたつもりだった。ツバの大きな帽子はもちろん、濡らしたペーパータオルも首に巻いた。
 先週の調査で大きなトラフカミキリ(体長27ミリもあったので、オオトラカミキリに近い大きさだ)を採集した場所では、二匹目のドジョウがいないかと、暑い中探したのだが、そうそう見つかるものではない。が、Iさんがクワカミキリを見つけてくれた。大型のカミキリムシだが、それほど特徴のあるものではない。でも、大きいことは嬉しいことだ。
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 酷暑の中の調査だったが、今日までで対象としているキャベツが全て無くなったので、ピットフォールトラップの調査は今日で最後だ。これから、秋作が始まるまで、調査が少し(分量的には)楽になる。暑いから大変なのには違いないが。
 今日の津市の最高気温は36.8度。体温を超えていた。

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2010年7月19日 (月)

我が家の裏でもヒグラシが鳴いた

 ちょうど夕食を食べ終えた19:20頃、我が家の裏でヒグラシの鳴き声が聞こえた。今年、我が家でヒグラシの鳴き声を聞いたのはこれが初めてである。

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浜口哲一著『放課後博物館へようこそ』

浜口哲一著『放課後博物館へようこそ 地域と市民を結ぶ博物館』

2000年6月15日発行
地人書館
ISBN4-8052-0656-X
1,800円+税

目次
はじめに
I. 博物館を作る−準備室の日々−
1 学芸員を志して
2 学芸員になった日
3 アクティブな準備室
4 考え、議論し、そして悩む学芸員
5 開館までの道
II. 動き出した博物館
1 博物館オープン
2 地域の自然を調べる−博物館の調査活動
3 新たな活動スタイルを求めて
III. 放課後博物館とその活動
1 浮かび上がった新しい博物館像
2 各地の放課後博物館
IV. あなたの放課後博物館を見つけるには
1 自分の博物館を探す
2 博物館を訪ねたら
3 博物館を使いこなす
4 博物館を作る運動
5 学芸員になるには
6 放課後博物館が作る地域の文化
あとがき

 この5月に亡くなった浜口哲一(はまぐち・てついち)さんの本が何か無いかと津市津図書館で調べたら、この本が書庫に収納されていることがわかったので、出してきてもらって借りてきた。浜口さんからは毎月メールマガジンを送っていただいていたが、このような本を出しておられたことには気付いていなかった。出版の日付を見ると、ぼくが浜口さんと(ネット上で)知り合う以前に出された本である。
 「放課後博物館」とは何かということは、本を読み始めるまではわからなかったが、要するに、地域住民が学校の放課後や仕事の後に気楽に訪れることができ、学芸員と一緒に活動できる博物館、ということのようである。
 浜口さんは、この本書を書かれた当時は平塚市博物館の学芸員であった(その後、館長を最後に定年退職され、その後1年ちょっとで亡くなられた)。本書の前半は、浜口さんが学芸員になられるまでのことや、博物館が軌道に乗るまでのことが書かれている。後半は、浜口さんによる地域の博物館の活動に対する考え方が書かれている。
 ぼくは、博物館の学芸員という仕事にも憧れていたが、残念ながら博物館とは縁がなく、縁あって農水省の試験研究機関に就職した。しかし、この本を読んで浜口さんの行動を知ると、自分には博物館の学芸員としての資質があるかと問われれば「否」と答えざるをえないように思われた。学芸員には、幅広い対象を扱う能力がなければ務まらないと思えたのだ。学生時代のぼくは、昆虫のことはそこそこ知っていたけれど、それ以外の動物や植物に関する知識となると、非常に心もとない。
 本書には、博物館、とくに地域の博物館がいかにあるべきか、ということが書かれていると同時に、活発な博物館活動が行われていることが理解でき、浜口さんが、学芸員として素晴らしい資質をもった方であったことを知ることができる。
 こちらの地元では、三重県立博物館が新しく生まれ変わる計画があるが、その計画を見ていると、なんとなく行政主導で行われており、博物館活動という点がひまひとつぼんやりしているのが心配である。生まれ変わるなら、本書で「放課後博物館」として扱われているような、市民(県民)とともに活発な博物館活動が行われるような博物館になって欲しいと思う。
 博物館をいかに利用するか、ということを考える上でも、本書は必読の書だと思われる。

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再びキノコゴミムシ登場

 まだ体調が思わしくないが、トラップ調査のために出勤した。クマゼミは鳴いていたが、まだニイニイゼミが中心である。
 出勤したついでなので、いつもの朽木を見回った。7月5日にこの朽木を見つけて、7月6日にいろいろ採集したのだが、その日以来、何度もこの朽木を見回っているにもかかわらず、キノコゴミムシだけには7月6日以来お目にかかっていなかった。コキノコゴミムシとハギキノコゴミムシはいつも見つかっていたのだが。
 そのキノコゴミムシに、やっと再び出会うことができた。3種のキノコゴミムシ類の中では一番大きく、赤色の斑紋も鮮やかである。
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2010年7月18日 (日)

体調不良続く・・・やっぱり風邪か?

 今日も体調は良くなかった。まず、朝から食欲がなかった。頭もボーッとする。外は天気が良いのに、虫を見に行こうという意欲も湧かない。
 図書館に本を返さなければいけないのので、とりあえず図書館には行った。
 昼も食欲がなかった。午後は布団の上での読書。昨日は本を読む気にもならなかったので、多少は体調が戻っているのかも知れない。それでも何となく気になったので体温計で体温を測ってみると37℃。ビミョーな体温である。腹具合もあまりよくなく、オナラが臭い。普段はそれほど臭くないのだが。やっぱり風邪だろうか?
 夕食のときには朝昼ほど食欲がないわけではなく、普通に食べられた。ゆっくり休めば、明日はもっと回復するかなぁ?

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内田麻理香著『科学との正しい付き合い方』

内田麻理香著『科学との正しい付き合い方 疑うことからはじめよう』

2010年4月15日発行
ディスカヴァー・トゥエンティワン
ISBN978-4-88759-793-8
1,200円+税

286 pp.

目次
はじめにー科学の物語性
 科学が私を助けてくれた/科学は私たちに、新しい視点をくれるもの
初級編 科学によくある3つの「誤解」
 誤解1:「『科学離れ』が進んでいる」ってホント?
 誤解2:もともと『科学アレルギー』の人は多いってホント?
  科学好きな人は、いつからそうなった?/科学ギライにさせるブレーキペダルがある?/人は生まれながらにして科学好き?/大人になっても科学好きな人は「マニア」/もう1つのブレーキペダル−科学に対するがっかり感
 誤解3:「科学技術は、身近ではない」ってホント?
  電線の存在に気づいていますか?/科学が見えなくなっている/シンプルライフへのあこがれ?
☆コラム☆あなたの回りにある科学
 ・ カソウケン「家庭科学総合研究所」という架空の研究所
 ・ 美容と科学
中級編 科学リテラシーは「疑う心」から
 科学リテラシーとは?
  そもそも、リテラシーってなに?/では、科学リテラシーとは?/科学リテラシーをめぐるさまざまな定義
 知識よりも、思考が重要
  疑う心は科学の大前提/なぜ、「疑う」ことが必要なの?/「なるほど」ち「なぜ」のあいだに−「?」の前には「!」が必須
 科学的なものの考え方とは?
  1 答えが出ないことはペンディングする
  2 「わからない」と潔く認める
  3 人に聞くのを恥ずかしいと思わない
  4 失敗から学ぶ
 疑う心を阻害するもの
  「科学教」を狂信する?/悩ましい疑似科学/科学は「役に立つ」もの?
☆コラム☆愛と恋と科学と
 ・ チョコレートと恋を科学してみると
 ・ どうぶつたちの婚姻の科学
上級編 科学と付き合うための3つの視点
 視点1 社会の中に科学技術を見る
  なぜこれまでのサイエンスコミュニケーションは失敗したのか/科学は、社会から切り離されている?/視点を変えれば、違うものに見えてくる
 視点2 見えない科学技術に目を向ける—「見える」科学技術と「見えない」科学技術
  ギリシャ神話から科学技術を読む?/科学技術は、そのままでもおいしい素材?/再考!科学リテラシーが必要な理由/見えないものが見えるようになる
 視点3 理系だけにまかせない
  白黒つけられない問題にであったら、どうする?/人は、「おまかせ型」をとりやすい/専門家、マニア、そして普通の人/理系だけにまかせられない3つの理由
☆ コラム☆私に影響を与えた科学者たち
 ・ ファインマン
 ・ 寺田寅彦
あとがきーー科学技術の監視団に

 図書館で書棚を見ていてたまたま見つけた。ぼく自身、自然科学をベースに仕事をしているので『科学との正しい付き合い方』という表題が気になったのだ。
 著者は家庭科学総合研究所というインターネットのサイトを主催しているサイエンスコミュニケーターの内田麻理香氏である。
 著者は科学技術とそれ以外の社会の間に対立があると捉えており、その隙間を少しでも埋めようと考えていることはわかったが、本書を通して読んでみると、読者をどんな層の人を想定しているのかが曖昧で、中途半端な内容だと感じられた。また、科学の捉え方が表面的であるように感じられた。ぼく自身が科学の世界に身を置いているので、そのように感じられたのかも知れない。おそらく、著者自身の書きたいことはたくさんあるのだろうと想像されるのだが、何となく意気込みだけが空回りしている感じがした。
 副表題として「疑うことからはじめよう」というのがあるが、この姿勢には同意できる。
 内容としては同意できる部分が多いが、ひとつ異論を唱えたい部分がある。事業仕分けで蓮舫議員が「なぜスーパーコンピュータが世界で一番でなければいけないのか?」と質問したことに対して、著者はそれが一般の人が持つ感覚ではないだろうか、と言っている。しかし、これを「日本の経済はなぜ世界のトップ水準でなければいけないのか?」という質問に変えてみたらどうだろう。そうすれば多くの経済人が反論するだろう。だから蓮舫議員の質問に対してに多くの科学者が反論したのは当然だと思う。
 著者の紹介を読めば、1974年生まれとある。ということは、まだ36歳ぐらいである。今後を期待したいと思う。

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2010年7月17日 (土)

池内了著『科学の落し穴』

池内了著『科学の落し穴 ウソではないがホントでもない』

2009年3月30日発行
晶文社
ISBN978-4-7949-6743-5
1,800円+税

306 pp.

まえがき
目次
1 何が起こっているのか
 技術革新「四十分の一の法則」/人類の英知の進化速度/三十四年の長きにわたって/コピューター社会の脆弱さ/技術が道徳を代行するとき/人間の幸福と技術革新/JRの大事故に思う/技術的合理性とは何か/監視社会のゆくえ/地球温暖化と豪雪/暖冬と生態系の変化/ウソではないがホントでもない/ウイルスの逆襲/IPCCの統合報告書の警告/新幹線に携帯禁止車を/困難な国の天文学者たち/相次ぐ科学者の不正行為/八個になった太陽系惑星/納豆騒動が教えること/「宇宙基本法」の危険性/新技術のゆくえ
2 科学の歴史にまなぶ
 ピカソは科学がお好き?/科学者と教養/実験的科学者の二つの要素−直感と職人性/科学のコミュニケーション/科学と物語の道行き/江戸の科学者
3 技術とうまくつきあう
 地域の自立のための技術/技術教育の大切さ/「発明は必要の母」としてのケータイ/食べ物を「はかる」/ラジオ通信と宇宙/科学と写真
4 科学が好きになる
 市民と科学、市民の科学/見世物としての科学/地域の宝物をこの手に/科学の教育の再定義/子どもの科学、子どもと科学/科学絵本というジャンル/「なんで?」の授業をして
5 科学はどこへいく
 大学は「企業化」するのか?/働き方を見直す/医療の倫理を講義して/「生まれ」も「育ち」も大事/科学者の共有地/公正な科学とは/情報化時代の科学
6 科学にできること、できないこと
 信じることと考えること/複雑系としての地球の環境問題/地震は予知できない/日本の宇宙研究
あとがき

 天文学者である池内了(いけうち・さとる)氏の科学に関する時評集である。科学者である池内氏が科学に関して、そのときどきにどのようなことを考えたかがよくわかって面白かった。
 中には同意できないようなことも書かれている箇所もあったが、おおむねウンウンと頷きながら読むことになった。
 「発明は必要の母」とはひとつのパラドックスである。池内氏は携帯電話を使っていないようであるが、じつはぼくも使っていない。使うと必要以上に忙しくなりそうな気がするからだ。池内氏はパソコン(=インターネット)も大学でしか使っていないとのことである。ぼくは自宅でも使っている。パソコン(=インターネット)を自宅で使っていると、忙しくなるのは確かだが、携帯電話ほどではないと思う。気が向いた時にメールをチェックすれば良いわけだから。ブログも気が向いたときに書けば良いし、後から自分で読み返してみるのも面白いと思う。ちょっと前にTwitterを始めてみたが、テンポが速すぎて性に合わない。ブログぐらいがちょうど良い。

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2010年・梅雨明け

 今日は九州北部から関東甲信地方までの梅雨明けが発表された。あとは、九州南部と東北地方が残るだけ。何で九州南部が残っているのかわからない。当地方も朝から良い天気になった。
 一方、ぼくの方はと言えば、ここ一週間ばかり風邪気味で体調が悪かったので、今日一日風邪薬を飲んで、何もせずに(と言いながら、ずっとNHKラジオ第一放送を聴きながらなのだが)寝ていることにした。窓を開けていると風が吹き込んで過ごし易い暑さだった。一日寝ていてかなり楽になった気がする。
 窓を開けているとセミの鳴き声が聞こえてくる。午前中はクマゼミが、夕方はアブラゼミの鳴き声が聞こえてきたが、まだ本格的に鳴いているわけではない。

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2010年7月14日 (水)

雨の中でトラフカミキリ

 今日も先週に続いて雨の中の調査になってしまった。傘をさしての調査は鬱陶しい。
 2か所目の調査を終えようとしたとき、同行していたIさんが「変わった虫がいますよ」と言うので行ってみたら、原っぱの中に生えている草の上に大きなトラフカミキリがいた。トラフカミキリは珍種というほどのものでもないと思うが、生きているのを見るのは初めてである。十分に存在感がある「良い虫」だと思う。これに似ている珍種にオオオラカミキリというのがいるが、もちろんぼくは見たことが無い。トラフカミキリでも十分に立派なのだから、オオトラカミキリはさぞ素晴らしいことだろうと思う。大勢の虫屋がオオトラカミキリに夢中になるのは理解できる。
 採集した原っぱは、周囲にクワが少し残っているので、もともとは桑畑だったかも知れない。クワの害虫としても知られているトラフカミキリなので、そこに居ても不思議ではない。
 雨の中だったので、現地では写真は撮らなかった。
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2010年7月13日 (火)

2010年・アブラゼミ初鳴き(7月13日)

 今日は一日中、雨が降ったり止んだりの天気だったが、夕方には雨が上がっていた。仕事を終えて帰宅したところ、自宅近くでアブラゼミの鳴き声が聞こえた。18:40頃のことである。クマゼミから遅れること13日。やっとアブラゼミの鳴き声を聞く事ができた、という感じだ。

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2010年7月11日 (日)

日高敏隆著『世界を、こんなふうに見てごらん』

日高敏隆著『世界を、こんなふうに見てごらん』

2010年1月31日発行
集英社
ISBN978-4-08-781436-1
1,300円+税

163 pp.

まえがき
目次
◎エッセイ
 「なぜ」をあたため続けよう
 人間、この変わったいきもの
 宙に浮くすすめ
 それは遺伝か学習か
 コスタリカを旅して
 いろんな生き方があっていい
 行ってごらん、会ってごらん
 イリュージョンなしに世界は見えない
 じかに、ずっと、見続ける
 いつでもダンスするように
◎講演録
 イマジネーション、イリュージョン、そして幽霊
あとがき(今福道夫)

 去年(2009年)の11月14日に亡くなった日高敏隆先生のエッセイと講演録である。
 ぼくは、中学生だった頃に日高先生の『昆虫という世界』(朝日新聞社)を読んで以来、日高先生のファンである。日高先生には憧れていたが、大学に進学するとき、日高先生のいる理学部に入るだけの学力がないと判断して昆虫学の講座がある農学部に進んだが、ファンであり続けたことは間違いない。日高先生は京都大学を定年で退官されたあとも、滋賀県立大学学長や総合地球環境学研究所所長を歴任され、その間にも若々しい発言を続けられた。
 本書に収録されているエッセイは『青春と読書』2009年2月号から12月号までに掲載されたものであるから、まさに日高先生の最後の言葉とも言えるものである。2009年10月の昆虫学会大会には出席の連絡をいただいていたにもかかわらず出席もままならなかったわけで、「これが最後の言葉だ」とご自分でわかっておられたのではないかと思う。本来あとがきは著者によって書かれるものであるが、本書が出されたのは日高先生が亡くなったあとであり、お弟子さんである今福道夫先生によって書かれている。
 本書の中のもっとも重要な言葉は「イリュージョン」であると思う。2003年ごろだったと思うが、ぼくが当時住んでいた石垣島に、何かの調査で日高先生がおいでになり、日高先生とぼくを含んだ4人で食事をする機会に恵まれたことがあった。そのときの日高先生のお話の中でも何度も「イリュージョン」ということばが出てきたことが強く印象に残っている。人間は真実を実感することはできず、実感されるものは、人間の感覚を通して理解されるイリュージョンに過ぎない、ということである。ちょうどその頃、『動物と人間の世界認識−イリュージョンなしに世界は見えない』 という本が出るか出ないかぐらいの時期だたと思う。その食事のときにはよくわからなかったが、その後『動物と人間の世界認識 - イリュージョンなしに世界は見えない』 を読み、なるほど、と思った。
 本書でしきりに強調されているが、日高先生の研究の進め方は、普通の型にはまった自然科学のやり方、すなわち「仮説を立ててそれを検証するというやり方」ではない。一般に自然科学では「どのように(How)」を明らかにしなければいけないという暗黙の了解があるが、日高先生は「なぜ(Why)」をもっと大切にしなければいけないと説いている。ちょうどぼくが大学院生だった頃、日高先生が中心になって動物行動学会が設立され、動物行動学が科学として認知されるようになり、「どのように(How)」を明らかにすることだけが科学ではなく、「なぜ(Why)」を説明できることにすることも大切だとされるようになった。「なぜ(Why)」を明らかにしたところで、新しい「コト」が生まれるわけではないが、これまでわからなかったことが理解されることで、霧が晴れたような気持ちになり、面白く感じられるものだ。ぼくは日高先生の弟子ではなく、ひとりのファンに過ぎないが、ぼく自身の研究スタイルは、日高先生から大きく影響を受けていると思っている。
 日高先生のような研究スタイルは、自然科学のなかで主流派にはなりえないと思うが、研究の面白さを知ることができるという点で、日本の科学にとって大変貴重な人だったと思う。このエッセイ集には、そのエッセンスが詰まっていると思う。

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もろもろ観察日記@2010年7月11日

 雨がポツポツ降り始めたが、いつものように庭の野菜を見回った。苗を買ってきて植えた地這いキュウリは雌花が咲き始めた。ミニトマトはたくさん果実をつけ始めたが、1個だけ色づいたのがあったので、昨日収穫した。三男が食べたが、酸味がなくて甘かったとのこと。種を蒔いて育てたゴーヤーも庇の上まで蔓を延ばし、毎日花を咲かせるようになった。まだ雄花ばかりだが。
 ふとゴーヤーの葉の上を見ると、シマサシガメが何かを食べているのを見つけた。獲物はヤセバチの仲間のように見える。シマサシガメの動作は、どちらかと言えば緩慢なのだが、どのようにすばしっこいハチをつかまえたのか、その瞬間を見られなかったのは残念である。
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2010年7月10日 (土)

外来昆虫の調査@三重県(2010年7月10日)

 去年三重県松阪市で発見された外来種のハムシSagra femorata(フェモラータオオモモブトハムシ)の調査に出かけた。Sagra femorataは既にかなり分布を広げているらしく、北の方は雲出川を越えて津市に侵入したという情報が入っている。昨日の三重昆虫談話会のサロンで、このあたりを調査してはどうか、という場所を提案されたので、そこに出かけた。場所は伊勢自動車道の久居インターからそれほど遠くない場所。
 Sagra femorataはクズを主な寄主植物にしているので、クズの群落を捜索することになる。ほどほどに大きなクズの群落を見つけ、それなりに丹念に探したが、そのあたりのクズではSagra femorataを見つけることはできなかった。

 全く見つからないのもつまらないので、去年採集した松阪市の某所に転戦した。探し始めてまもなく1頭、しばらくしてまた1頭というように、2頭のSagra femorataを見つけることができた。目的には全く入っていなかったが、ドウガネブイブイも見つけることができた。昔はどこでも普通に見られたドウガネブイブイだが、最近はより南方系のアオドウガネに置き換わってしまい、ほとんど見られなくなってしまっている。ぼくが三重県に引っ越してきてからドウガネブイブイを見たのは今日が初めてである。
 そんなふうに虫を探していると、日本におけるSagra femorataの最初の発見者であり、昨日のサロンでお会いしたばかりのNさんが登場した。ぼくとNさんが目の前にしているクズが繁茂した小高い山は、Sagra femorataの大きな発生源になっていることは疑いない。ひとしきり雑談したあと、Nさんは他の場所に出発された。
 ぼくもそろそろ場所を変えようかと小用を足していると、頭の上を飛んでいるSagra femorataに気が付いた。小走りで十分に追い付けるほどの早さで飛翔していたが、50mほど離れた場所に生えているササのてっぺんに止まった。Sagra femorataは高い場所が好きなようである。
 もう一度小高い山の下に行ってみると、ササに絡んだクズの蔓がちょっと上の方に飛び出しているような場所に、交尾しようとしているSagra femorataのペアを見つけた。
 ということで、この場所では5頭のSagra femorataを採集した。

 探し方のコツがわかったような気がしたので、もう一度高速道路を走って最初の場所に戻った。ひとしきり探したのだが、やはり見つからなかった。まだこの場所にまで広がってきていないのかも知れない。いずれにせよ、雲出川を渡ってきたということなので、そのうちこの場所でも見つかるようになるのではないかと思う。

 それはともかく、暑い盛りの調査なので疲れてしまった。体力の無さを痛感した次第。

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2010年7月 9日 (金)

2010年・初カトカラ

 夜、三重昆虫談話会のサロンに出かけた。その行き帰りに、いつものクヌギの樹液を観察した。今日はクワガタは全くいなかったが、大型のガが何種類か来ていた。その中に今年初めてみるカトカラ(Catolcala)であるキシタバがいた。キシタバはカトカラの中でも普通に見られる種だが、後翅が黄色い種の中では最も大型の種なので、見栄えがすることは確かだ。その他にも、今年初めて見る大型のガが少なくとも2種いたが、名前を忘れてしまって思い出せない。情けない。
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もろもろ観察日記@2010年7月9日

 出勤時には雨は降っていなかったが、その後はずっと雨降りであった。
 昼食のとき、Oさんから「丸坊主にされている木があって虫がついてるよ」という情報を得たので、雨の中、傘をさして偵察に行った。
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 もう葉が完全に食われてしまっていて、何の木だか判断がつかない。しかし、樹皮を見るとイヌマキのようにも見える。相当多数の虫が発生したらしく、虫が吐いたと思われる糸が網状になっていた。
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 もう、虫そのものは少ししか残っていなかったが、すぐに見つけることができた。シャクガの仲間の幼虫であることは確かである。種名はわからない。
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2010年7月 8日 (木)

2010年・ヒグラシ初鳴き(7月8日)

 午前中の調査のとき、キノコを少し観察したのだが、カレバキツネタケはもう盛りを過ぎて、ほとんどがひからびかけていた。キノコの旬はかなり短いのだと実感せざるをえなかった。ちょっと離れた場所に大きなイグチの仲間が生えていたが、もうこれも旬を過ぎている感じだった。
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 仕事を終えた後、また見事に枯れた朽木のところに出かけた。キノコゴミムシ類3種のうち、一番大きいキノコゴミムシはまだ2頭しか採っていないので、もう少し採りたいと思っていたのだが、今日は全く見られず、小型の2種が見られただけだった。オオキノコムシの仲間なども、ちょっと個体数が減っている感じだった。
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 と、色々観察していると、突然ヒグラシの鳴き声が聞こえてきた。17:50ぐらいだった。やがて、合唱というほどでもないが、複数のヒグラシが次々と鳴き始めた。昨日はこの場所に行かなかったのでわからないが、一昨日は全く鳴かなかったで、とりあえず今年のヒグラシの初鳴きの観測である。
 去年までは、この季節にこの場所に行くことが無かったので、いつもヒグラシの鳴き声を聞くのは7月の半ばを過ぎてからだった。やはり、当地方でもヒグラシもけっこう早い時期から鳴くようだ。

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2010年7月 6日 (火)

夜の樹液の観察@2010年7月6日

 ほどほどに蒸しているので、夕食後、近所のクヌギの樹液の観察に出かけた。スズメバチが頻繁に来ているらしく、「立入禁止」のテープが張られ「ハチに注意してください」と書かれていた立て札がちょっと前から立っている。もちろん、そんなものはお構いなしに樹液に近づく。
 まず出迎えてくれたのは巨大なアシダカグモ。かなりの大きさだった。ガは比較的多かった。いちばん多かったのがカラスヨトウ。そのほか、フクラスズメやオオシマカラスヨトウ(?)なども。
 クワガタはコクワガタの雌が1頭見られたのみ。今年はクワガタが不作かも知れない。
 キリギリスの仲間も来ていた。ヤブキリか何かか?
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もろもろ観察日記@2010年7月6日

 今日の午前中、10時前ぐらいだったと思うが、職場の前のケヤキ並木でもクマゼミが鳴いた。いよいよ本格的な夏が近づいてきた感じだ。
 今日は毒管持参で昨日見つけた朽ち木に行った。まさに、採り放題である。その気になればごっそり採れる感じ。いろいろ採集して調べたところ、キノコゴミムシ類は3種採れたことがわかった。昨日のコキノコゴミムシに加え、キノコゴミムシとハギキノコゴミムシ。その他もろもろである。
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 本当に見事な枯れ方をしているな、と思っていたのだが、根元を見てちょっと不審に思った。奇麗に等間隔に穴が開いているのである。
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 この木の近くにも、変な枯れ方をしている木が2本あった。よく見てみると、その2本の木の根元にも等間隔で穴が開いている。
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 これはひょっとすると、林の持ち主が、木に穴を開けてラウンドアップか何かをぶち込んだのではないかという気がしてきた。こちらのまだ朽ちていない枯れ木にはキノコゴミムシやオオキノコムシなどはおらず、ゴマフカミキリの仲間がいた。
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 まだ腐朽が進んでいないので、集まる昆虫も異なるのだろう。
 この林の持ち主の考えていることはわからないので、いつまで観察できるかわからないが、ちょっとした楽しみができた感じだ。

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ゴーヤーの花が咲いた@2010年7月6日

 肥料の加減が不安だったが、5月30日に苗を植えたゴーヤーは順調に蔓を伸ばし、今朝気が付いたら花が咲いていた。まだ雄花だけだが、そのうちに雌花も咲くだろう。
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 同じ日に植えたミニトマトやタカノツメや地這いキュウリも順調に生育している。

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2010年7月 5日 (月)

毎日新聞科学環境部著『「理系」という生き方』

毎日新聞科学環境部著『「理系」という生き方−理系白書2』

2007年12月14日発行
講談社文庫
ISBN978-4-06-275926-7
533円+税

243 pp.

目次
まえがき
第一章 文理分け教育
第二章 破れ、専門の壁
第三章 文系社会で生きる
第四章 博士という「壁」
第五章 よみがえれ科学技術教育
あとがき

 著者は「毎日新聞科学環境部」となっている。「毎日新聞科学環境部」は従来の「科学部」を1996年4月に改称したもので、日本のマスコミでは「環境」の名を冠した唯一の部である、と解説されている。
 本書は「理系白書2」となっているように、2003年6月20日に発行された『理系白書−この国を静かに支える人たち−』(これは発行してそれほど時間が経過していなかった頃に読んだ。講談社,ISBN4-06-211711-8)の続編のようなものである。本書は文庫本であるが、オリジナルである。
 それなりに真面目に取材をしていると感じられ、説得力は感じられる。
 各章についての感想を書いておこうと思う。
 第一章:ぼくが高校生だったとき、理科は1年で生物Iと地学I、2年で物理Iと化学I、三年は理系クラスで物理IIと化学IIを履修した。3年では物理IIのかわりに生物IIも選択可能だったが、大学では生物学を学ぼうと思っていたにも関わらず、生物よりも物理の方が点数がとり易いと思って物理を選んだ。社会は、1年で地理B、2年で世界史と倫理社会、3年で日本史と政治経済を履修したが、歴史科目ではどうしても点数が稼げなかったので、自分で勉強して地理Bで受験した。ということで、理科と社会に関しては、まあひととおりざっと勉強したと思う。いまの高校生はそうではないらしい。物理を全く学んだことのない文系の人があったり、生物を学んだことのない人が医学部に進むこともあるという。受験の効率を考えれば、受験科目だけ勉強すれば良いかも知れないが、その先のことを考えれば問題点が大きいような気がする。高校では幅広く勉強すべきだと思うが、それができていない現状は問題である。解決する方法は、すべての受験生に全ての科目の試験を課するしかないと思う。センター試験を大学受験資格試験に変えて、理科4科目、社会5科目を必須としたら良いのではないかと思う。
 第二章:最近の世の中は複雑であるから、一つの専門の殻に閉じこもるのは良くないのはよく理解できる。やはりπ型の専門性をもった人間が必要とされるのだと思う。自分がどうかと言われれば、I型ではなく、T型ぐらいにはなっていると思う。
 第三章:文系社会で生きる理系出身の人間を個人的に知っているが、うまくやっているようである。うまくやっていけるかどうか、それは個人個人で違うと思うが。
 第四章:大学院重点化が進んでから博士が量産されたが、量産された博士が社会の中でうまく活用されているとは言えないことはよくわかる。博士が期限無しの職に就くのは、極端に言えば博打に近いものがあるように思える。このような状況では、優秀な人材が博士課程に進まず、結果的には日本の科学技術のレベルを下げることになり、日本の国力の低下を招くことになると思う。ぼく自身は、自分の能力を見極めてドロップアウトして公務員試験を受験し、博士課程を中退して農林水産省の研究職に就いたが、今考えてみれば、マトモに就職できたので悪い選択ではなかったと思う(就職したときは、大学から見放されたと感じていたが)。遅まきながら論文博士を取ることもできたし。とにかく、優秀な人材が安心して博士課程に進学できるような状況をつくる必要があると思う。
 第五章:やはり小学生、中学生の頃に、理科の楽しみに触れることができるかどうかが、その先を左右することになると思う。机の上の勉強だけではだめで、実験をしたり、観察をしたり、ということを小学校や中学校でもしっかりやるべきだと思う。今の学校の先生は異様に忙しそうだから、何らかの対策は必要だと思う。
 いずれにせよ、社会において給与面における理系の評価は低すぎると思う。日本の基盤を支えているのは主に理系人間なのだから。

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浜口哲一著『海辺の漂着物ハンドブック』

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浜口哲一著『海辺の漂着物ハンドブック』

2009年6月11日発行
文一総合出版
ISBN978-4-8299-0144-1
1,200円+税

目次
 ビーチコーミング8つの楽しみ
 ビーチコーミングの準備
Chapter 1 海からきた自然物
 貝/ツメタガイ/海を漂う貝/貝の色彩変異/摩滅する貝/外来種の貝/イカとタコ/コウイカの甲/カニ/エボシガイ/ツジツボ/ヒトデ/ウニ/ブンブクとカシパン/ゴカイ/クラゲ/外洋性のクラゲ/その他の無脊椎動物/クジラとイルカ/海鳥/ウミガメ/ハコフグ/深海魚/サメとエイ/海藻/石灰藻/流れ藻/アマモ/海流に運ばれる実
Chapter 2 海からきた人工物
 漁の道具/釣りの道具/浮き/外国製品/アシアのライター/廃油ボール/漂着瓶/船
Chapter 3 野山からきた自然物
 流木/木の実/オニグルミ/落ち葉/草の実/野菜/陸上の昆虫/淡水魚/砂/砂鉄/鳴き砂/砂の上の模様/石/軽石
Chapter 4 街からきた人工物
 季節の民俗行事/生活用品/はきもの/手袋/おもちゃとボール/電化製品/缶/ビーチグラス/プラスチック容器/プラスチック片/レジンペレット/たばこのフィルター/危険な人工物
参考施設
参考文献
海の動植物名索引

 この5月に亡くなった浜口哲一(はまぐち・てついち)さんの本が何か無いかと津市津図書館で物色していてこの本を見つけた。浜口さんからは毎月メールマガジンを送っていただいていたが、漂着物に興味をもっておられることには気付いていなかった。たぶん、読み流してしまっていたからだろうと思う。
 本書は文一総合出版から出版されているシリーズもののハンドブックのひとつで、これまでにこのシリーズのハンドブックは、森上信夫著『樹液に集まる昆虫ハンドブック』、森上信夫・林 将之著『昆虫の食草・食樹ハンドブック』、鈴木知之著『朽ち木にあつまる虫ハンドブック』を読んだ(というより観た、という方が適切かも知れない)。
 このハンドブックはビーチコーミングを楽しむためのハンドブックである。ビーチコーミングとは、海辺を歩いて漂着物を拾い集めることである。津は伊勢湾に面しているため、その気になればビーチコーミングをすることができるが、前に住んでいた石垣島と比べると遥かに魅力が劣るので、ほとんど海辺を歩いたことがない。石垣島では、外国から流れてくるペットボトルなどを見つけ、外国と繋がっていることを身近に感じることができた。
 本書は、海由来かそうでないか、自然物か人工物かという基準で漂着物を4種類に分類して解説している。ポケットにも入れられるような大きさのハンドブックに多くのことを盛り込むのは不可能なので、このハンドブックがあれば見つけた漂着物が何であるかを同定できるようなものではないが、ビーチコーミングの楽しみ方だけは十分に理解できると思う。
 海辺を歩くときには必帯の一冊。

 本題ではないが………2006年7月2日に書き始めたこのブログも始めてから4年を過ぎ、この記事がちょうど1000記事目になる。

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もろもろ観察日記@2010年7月5日

 今日は週末と違って比較的いい天気である。梅雨の中休みという感じ。暑い。
 職場の中の調査のとき、いろいろ見つけた。まず、ネジバナ。けっこうたくさん生えており、自宅の庭に生えているのより背丈が高い。
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 ちょっとした林の林床で見つけたキノコ。列をなしてたくさん生えていた。名前はわからない。ちょっと前に見つけたタマゴテングタケモドキと思われるキノコは見つからなかった。
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 小さなニホンアマガエルも見つけた。しかし、今年は職場のすぐ横の田圃の稲が作付けされているにもかかわらず、アマガエルの個体数は少ない。今日はこの1頭を見つけただけ。
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 ニイニイゼミの鳴き声は着実に増えている。しかし、自宅近くでのクマゼミもその後は鳴き声が聞こえないし、職場の前のケヤキ並木でもまだ鳴き声は聞こえない。そろそろキリギリスの鳴き声が聞こえても良いと思うのだが、職場のキリギリスが多い場所が念入りに草刈りをされてしまったせいか、まだキリギリスの鳴き声は聞こえない。

 夕方にはヒグラシの鳴き声でも聞けないかと思って職場の畑の端にある林に行ったが、ニイニイゼミの鳴き声は聞こえたが、ヒグラシの鳴き声は聞こえなかった。そのかわり、見事に枯れて幹が白くなっている木を発見した。
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 毒管を持っていなかったので採集はあきらめたが、枯れた木の幹を見たらたくさんの甲虫がいた。またあらためて毒管を持参して採集しようと思う。
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2010年7月 3日 (土)

松永和紀著『メディア・バイアス』

松永和紀(まつなが・わき)著『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学』

光文社新書
ISBN 978-4-334-03398-9
740円+税
2007年4月20日発行
259 pp.

目次
はじめに
第1章 健康情報番組のウソ
第2章 黒か白かは単純すぎる
第3章 フードファデイズムの世界へようこそ
第4章 警鐘報道をしたがる人びと
第5章 添加物バッシングの罪
第6章 自然志向の罠
第7章 「昔はよかった」の過ち
第8章 ニセ科学に騙されるな
第9章 ウソつき科学者を見破れ
第10章 政治経済に翻弄される科学
第11章 科学報道を見破る十カ条
おわりに

 過日、本書の本書の著者、松永和紀氏の前著である『踊る「食の安全」 農薬から見える日本の食卓』を読んだので、その次の著書である本書を読んだ。松永氏は本書で日本科学技術ジャーナリスト賞2008を受賞している。
 前著は農薬に関する問題に焦点を絞ったものだったが、本書はテレビ、新聞、週刊誌等のメディアが、科学的に明らかにされた事実を如何に歪めて報道しているか、を問題にしたものである。松永氏には、ぼくの職場で『問題の多い食・農業報道に研究者はどう打ち勝つか?』という演題で講演していただいたことがあるが、本書はほぼその内容と重なっている。
 食や健康に関しては多くの人が興味を持っているが、科学に明らかにされたその根拠となる事実は、大抵の場合は一般の人が容易に理解することが困難なものである。それをテレビ、新聞、週刊誌等のメディアは、自分たちにとって都合の良い部分だけを抜き出して、自分たちの頭の中に描いたストーリーに沿った番組や記事に仕立て上げる。さらには、「専門家」とされる科学者の中にも、自分を有名人に仕立て上げるために、メディアに乗ってトンデモ説を喧伝するものまで現れる(ぼくから見れば「ニセ科学者」だ)。
 専門知識の乏しい一般の人は、大手のメディアが報道しており、「科学者(=ニセ科学者)」がそれを「保証」していれば、それが都合の良い部分だけを取り出して捏造されたものだとしても、そのウソを信じてしまう、ということになってしまう。
 メディアが「売れる」番組なり記事なりを発信するという傾向があるのは自然のなりゆきであるが、それを「仕方がない」として放置することは、メディアがメディアとしての本来の義務を放棄していることになる。
 さいごに、著者が提唱する科学報道を見破る十カ条が書かれている。
1. 懐疑主義を貫き、多様な情報を収集して自分自身で判断する
2. 「○○を食べれば……」というような単純な情報は排除する
3. 「危険」「効く」など極端な情報は、まず警戒する
4. その情報をだれが利するか、を考える
5. 体験談、感情的な訴えには冷静に対処する
6. 発表された「場」に注目する。学術論文ならば、信頼性は比較的高い
7. 問題にされている「量」に注目する
8. 問題にされている事象が発生する条件、とくに人に当てはまるのかを考える
9. 他のものと比較する目を持つ
10. 新しい情報に応じて柔軟に考えを変えていく
 ここに書かれている十カ条は、たしかにそのとおりだと思うが、このように何事についても懐疑的にならなければいけないような社会は健全ではないと思う。メディアに職を置いている人の中には、マトモな人もいないわけではないと思うが、多くのメディア人には反省をしてもらいたいと思う。
 メディアが報道することを簡単に信じてしまう人は本書を読むべし。

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2010年7月 1日 (木)

香山リカ著『しがみつかない生き方』

香山リカ著『しがみつかない生き方−「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール』

冬幻舎新書
ISBN 978-4-344-98132-4
740円+税
2009年7月30日発行
204 pp.

目次
序章 ほしいのは「ふつうの幸せ」
第1章 恋愛にすべてを捧げない
第2章 自慢・自己PRをしない
第3章 すぐに白黒つけない
第4章 老・病・死で落ち込まない
第5章 すぐに水に流さない
第6章 仕事に夢をもとめない
第7章 子どもにしがみつかない
第8章 お金にしがみつかない
第9章 生まれた意味を問わない
第10章 <勝間和代>を目指さない
あとがき

 去年の11月に図書館に予約を入れたのだが、7か月以上待たされた。津市津図書館には3冊の所蔵があるが、これほど待たされるとは思わなかった。人気があるんだなぁ、と思わざるをえない。
 ふつうに生きることが難しい世の中になりつつあるのは、ここ10年来感じていたことである。そこで、それをテーマとしていると思われる本書を読んでみようと思った。
 読んでみて感じたのは、ふつうに当たり前のことが書かれているなぁ、ということである。と言うことは、本書に人気があるということは、今の世の中は当たり前ではなくなっている、と言うことが言えるようにも思える。
 著者の香山リカ氏は、精神科医であり、その経験に基づいた具体的なことも多く書かれていた。しかし、まだ考え方に迷いがあるような部分も多々あり、まだ悟りきっていないと思えた。香山氏はぼくと同世代だから、まあそんなものだろう、と思う。ぼくも悟りが足りないし。
 同じようなことをテーマにした本の中で、ぼくが読んだことがある本に、例えば池田清彦著『他人と深く関わらずに生きるには』がある。この本に限らないが、池田氏の著書には池田氏独特のリバタリアニズムが溢れ、また多少毒気を含んだ考え方が書かれており、年齢相応に(ぼくより一回りほど上の世代だ)悟りきった書き方がされており、ぼくにとっては池田氏の本の方が面白く感じられた。
 図書館で本書の順番を待っている人は、その前に池田清彦氏の本を読んでみるのも良いと思う。しかし、本書にも読む価値は十分にあると思う。

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