松永和紀著『踊る「食の安全」』
松永和紀(まつなが・わき)著『踊る「食の安全」 農薬から見える日本の食卓』
家の光協会
ISBN 4-259-54693-7
1,400円+税
2006年7月1日発行
231 pp.
目次
序章 国産のわさびが消える?
第1章 農薬とは何か?
1 あれも農薬、これも農薬/2 農薬はなぜ存在するのか/3 農薬はいつ頃生まれたのか/4 日本における農薬事始め/5 農薬は農家の労力を減らし、生産量を上げた/6 農薬の事故が相次いだ戦後/7 『沈黙の春』による告発の衝撃/8 安全性重視の農薬改革が始まる/9 現在の農薬規制の仕組み/10 無農薬では、大規模栽培は難しい
第二章 農薬は食べると危険?
1 毒性の種類はさまざま/2 危険か安全かの二分法はナンセンス/3 農薬はどれだけなら食べてもよいのか/4 市販されている食品は、残留基準内に収まっているのか/5 水洗いや調理で残留農薬は減るのか/6 気になる農薬の発ガン性は本当?/7 有機農産物にも農薬は使われる/8 植物は、天然の農薬を作り身を守る/9 残留農薬と食中毒のどちらが心配?
第三章 農薬は使うと危険?
1 注意すべきは、食べる人より使う人/2 なぜ新しい農薬を開発し続けるのか/3 「農薬=白い粉」はもう古い/4 農家の責任が問われた無登録農薬問題/5 緑茶、焼酎を農薬代わりに使うワケ/6 「生物農薬」やフェロモン剤の利用/7 病害虫を防ぐのは農薬だけではない/8 天敵農薬を駆使した新しい農家の取り組み
第四章 農薬は環境破壊なのか?
1 ドリン剤 ─ この負の遺産/2 ダイオキシンは農薬由来だった/3 自然と共存できる農薬へ/4 環境ホルモン騒動とは何だったのか/5 メダカがいなくなったのは農薬のせい?/6 暮らしの中にある“農薬”の影響/7 『沈黙の春』への批判
第五章 新しい農薬制度、ポジティブリスト制とは?
1 ポジティブリスト制とは何か/2 心配なドリフト問題/3 農家のとるべき対策は?/4 海外諸国との軋轢も生じる/5 検査“狂騒曲”に踊らされてはいけない/6 「複合汚染」への不安が再来する?
第六章 農薬の未来はどうなるのか?
1 イネに抵抗力をつける新しい農薬/2 平取トマトは農薬に依存せず、否定せず/3 宮崎方式は、検査を農家の技量向上に役立てる/4 嬬恋キャベツは変わった/5 自給率向上へ、農薬の果たす役割/6 マイナー作物の行方/7 国産わさびを守るために
謝辞
参考文献
ぼくの職場の運営委員の一人である松永和紀氏の農薬に関する問題を扱った著書である。去年の春、松永氏にはぼくの職場で『問題の多い食・農業報道に研究者はどう打ち勝つか?』という演題で講演を行っていただき、ぼくが見落としていたようなことをいろいろと気付かせていただいた。その講演を聴き、松永氏が科学的な根拠に基づいた客観的な立場をとられていることがよくわかったので、とりあえず一冊ぐらいは松永氏の著書を読んでおくべきだろうと思った。本書を選んだのは、実を言えばたまたま図書館で目についたからではあるが、あえて意味付けをすれば、本書の直近に読んだ畝山智香子氏の著書『ほんとうの「食の安全」を考える』と扱っている題材が非常に近いということもある。なお、松永氏は個人のブログでも様々な情報を発信されいる。
まず全般的にみて、農薬のどんなところが問題になっているのかが、一般の人が読んでもわかり易く、読み易く書かれていると思った。たいへんお勧めできる本だと思う。畝山智香子氏の著書でも触れられているように、ゼロリスクというのが幻想に過ぎないことは、本書でも触れられている。また、農薬問題に関しては専門ではないものの農薬問題に近い位置にいるぼくが読んで感じたところでも、全体的にうまくまとめられていて、業界寄りでもなく、消費者寄りでもない、バランスの良い視点で書かれていると思った。
本書においてぼくが特に良かったと思うことは、ポジティブリスト制について詳しく解説されていることである。ポジティブリスト制にはマイナー作物における問題など、改善されるべきことがたくさんあると思うが、今後、制度としてさらに整備されていかなくてはいけないことだと思っている。
農薬についての古い知識しかない人や(半世紀も前の農薬は、今の農薬とは全く別物である)、農薬を絶対悪ととらえているような人(ぼくも学生時代はそれに近い立場だった)には、本書を是非読んでいただきたいものだと思う。現代の農薬は、厳しい試験を通過してやっと世に出されたものばかりだ。リスクは農薬ばかりではなく、食品そのものの中にもある。リスクとメリットあるいはベネフィットを量りにかけて物事を考えたい。たとえば、ぼくは無農薬有機栽培を否定する気持ちはさらさら無いが(と言うか、デメリットが克服されれば推奨したいと思っているが)、無農薬有機栽培には現実的でない部分もあり、デメリットも多いので、それを生産者も消費者も理解し納得した上で行う必要があると思う。
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コメント
私も生産者の端くれとして、近年の食品安全の考え方のゆがみに考えさせられることが多々あります。
とりあえず、食べるということは異物を体内にとりこむことなんだから、必ずリスクを伴うってのが常識になってほしいですね。要は程度の問題であって。
安全安全って、いつからこんな世の中になったんだろ……
投稿: 鳥居 | 2010年6月15日 (火) 20時33分
鳥居さん、コメントありがとうございます。
この本の著者の松永和紀さんも、『本当の「食の安全」を考える』の著者の畝山智香子さんも指摘していますが、マスメディアが人々の不安を煽るような誤った情報を垂れ流しているというのも問題で、その積み重ねが「安全神話」を作り出したのではないかと思います。
松永さんや畝山さんのような冷静な目で物事を見られる人にがんばっていただきたいです。
投稿: Ohrwurm | 2010年6月15日 (火) 21時13分
残念ながら、だれかが不安の正体を正しく指摘し、それに基づいて正しいあり方を示し、「もう安心してもいいんだよ」と言って、それですべてが解決するという思考パターンは、人間が人間であり続ける限り成立しないと私は思います。
不安の探索は本能的な性向で、そうした本能を逆手にとって利用し、生計を立てている人(研究者を含む)、企業、メディア、政治家は世の中にごまんといます(自然保護関連業界にもあふれています)。人間は彼らが指摘する不安材料に本能的に食いつきます。まさに入れ食い状態です。
本能に訴えていますから「落ち着けっ!」なんて言葉はだれも聞いてはくれません。本能に対抗するためには本能を利用するしかありません。不安を根本的に取り除くことができるのは新たな不安だけです。つまり不安には別の不安で対抗するしかないということです。当然のことながらそこには正のフィードバックが生じます。いったん戦いを始めたら、(天変地異でもない限り)その戦いに終わりなんかないことを覚悟すべきです。
私はこのことを正すべき過ちという観点からではなく、避けがたい生命の本質であるととらえることが、まずなによりも重要だと思っています。
投稿: 南十字星 | 2010年6月16日 (水) 08時45分
南十字星さん、コメントありがとうございます。
不安の正体の問題は難しいですね。不安を解消するために研究をして、その結果新たなことが明らかになると、また新たな不安が生まれる、という無限循環に陥りそうです。
だからこそ、適当なところで妥協して「安心して良いんだよ」と言ってくれる人も必要とされるのではないでしょうか?松永さんや畝山さんの著書は、そんな役割を持っているように思えます。
投稿: Ohrwurm | 2010年6月16日 (水) 21時29分
そうですね、安心していいんだよ、って言われると確かにほっとします!
「不安のない安心して暮らせる社会」っていうのがいまの日本社会の目標のひとつになっていますが、ここで出てくる安心っていうのは、「あなたが抱く不安の根拠は間違いだから安心しなさい」っていう場合の安心とはだいぶ異なる安心です。
「あなたが抱く不安の根拠は確かに実在する。私がその不安を取り除いてあげよう。だから私の言うことを聞きなさい」っていう際に用いる戦略的「安心」です。
「不安のない安心して暮らせる社会」という言葉に遭遇するたびに「ああ、もういい加減にしてくれよ」っていつも思います。
でも、人間本能の弱点をねらうこういう戦略って、人間が人間であり続けようとするかぎり、決してなくなりはしないです。だからこそ人生は大変で、なおかつおもしろいと言えるのかもしれません。
投稿: 南十字星 | 2010年6月18日 (金) 18時59分