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2010年6月

2010年6月30日 (水)

2010年・クマゼミ初鳴き(6月30日)

 今朝、自宅で朝食を摂っていたらクマゼミの鳴き声が聞こえて来た。7時半頃から数回。今年の初鳴きである。
 クマゼミの初鳴きは、例年より早い気がする。だとすると、今年はクマゼミが大発生か?

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2010年6月29日 (火)

もろもろ観察日記@2010年6月29日

 昨日見つけたキノコをまた見に行った。1日経過しただけでも、かなり劣化が進んだのが実感された。ヒダの色はやはりピンクっぽいので、このキノコはタマゴテングタケモドキなんだろうと思う。近くで幼菌も見つけた。まだシーズンは続くのだろうと思う。
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 職場の建物の外壁には、暗いピンクの毛に覆われた何かを見つけた。昨日までサラサリンガが止まっていた場所だと思われる。灯りに集まって産気づいたサラサリンガが我慢しきれずに産卵してしまったのではないかと思う。こんなところに産卵しても、孵化した幼虫には何も食べ物がないのに。
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 昨日、今年初めて鳴き声を聞いたニイニイゼミだが、まあまあの天気の今日もちゃんと鳴いていた。これから数が増えていくことだろう。

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2010年6月28日 (月)

柏久(かしわ・ひさし)著『環境形成と農業』

柏久(かしわ・ひさし)著『環境形成と農業−新しい農業政策の理念を求めて』

昭和堂
ISBN 4-8122-0534-4
2,000円+税
2005年11月25日発行
202 pp.

目次
序章
第1部:食料と環境
 第1章 食料自給率とは何か?─背景にある政治的意図と構造
 第2章 食料をめぐる貿易政策─何のための自由化阻止か?
 第3章 食生活の変化と農業政策─洋風化はいかにして?
 第4章 大豆・小麦の自給率低下をめぐって─PL480と農林族の出現
 第5章 畜産物消費の増大と食料自給率の低下─飼料政策の不思議
 第6章 食料問題が引き起こす環境悪化─加工型畜産の帰結
特別寄稿:イギリスにおける食料と環境(並松信久)
第2部:食料生産の国内基盤
 第7章 食料生産基盤としての農家と農村─「むら」を構成する農家
 第8章 「むら」社会のエートス─官僚主導型農業構造の基盤
第3部:官僚主導型農業構造
 第9章 農業協同組合は何のために?─官僚主導型農業構造の一翼
 第10章 農業構造の骨格としての食糧管理法─なぜ53年もつづいたのか?
 第11章 コメの自由化と農業構造の揺らぎ─関税率490%の怪?
 第12章 日本農業を衰退させた官僚主導型構造─日本社会のフラクタル
 終章 よりよい環境形成のための農業はどうあるべきか?

 以前読んだ神門善久著『日本の食と農 危機の本質』の半年ぐらい前に出版された本であるが、本書第3部は神門氏の著書が扱っていることと重なっており、主張も共通する部分が多い。神門氏の著書はそれ一冊で本書の第3部で扱っていることを議論しているので、その点に関しては神門氏の著書の方が突っ込み方が深い。もっとも、本書は教科書としても利用されることを考慮して書かれているので、日本の農業における問題点をおおまかに理解しようという目的のためには本書の方が優れているように思われた。本書には「エネルギー」という視点も考慮されているので、その点でも優れているように思われる。
 神門氏の著書は影になっている部分をえぐり出すような書き方がされているが、本書はそれに比べれば書き方は穏やかである。日本の農業の問題はどんなところから始まっており、今どんな問題があるのかを、データを示しながら説明されている。
 本書を読むと、日本の農業がコメに大きく依存しており、それが水利権と深く絡んでおり、それがゆえにヨーロッパのように農地の解放が現実的には進んでおらず、コメが過剰になりつつある時代になっても、政界=農林族議員、官界=農林水産省、業界=農協の三者が一体化しており、学界もその構造を容認しているという構造があるために、その構造がいつまで経ってもかわらないということがよく理解できる。本書の著者は、この三者が一体化している構造こそが問題であるという立場である。
 本書の著者である柏久氏は、本書の書きぶりから察する限り、学界の中では異端の考え方を持っておられる方だと判断される。学界の主流の考え方では日本農業の問題点を解決する方向に持っていけていないという現実を目にすれば、この異端派であろう柏久氏の考え方は注目に値するものかも知れない。
 本書には特別寄稿として並松信久氏による「イギリスにおける食料と環境」という部分があり、その中でイギリスにおける農家の所得補償としての直接支払いについても解説されており、非常に参考になった。日本でも農家に対する直接支払いの制度を作ろうという動きがあるが、農業の形態が大きく異なるイギリス(畑作と畜産が中心)と日本(水田におけるコメが中心で、水利権が大きな問題となる)では、イギリスにおける環境保全に対する直接支払い制度をそのまま日本に適用するのは難しそうな気がするが、いかなものだろうか?

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2010年・ニイニイゼミ初鳴き(6月28日)

 職場で昼食を終えた昼過ぎのこと。離れの実験室から戻ってきた我が研究チームのチーム長のHさんが、「前のケヤキ並木でニイニイゼミが鳴いてたよ。初鳴きだよ。」と言うので、建物の窓から顔を出して耳を澄ませたが、何も聞こえなかった。
 自分で聞かなければ納得できないので、畑に出たときにケヤキ並木の近くで立ち止まり、しばし耳を澄ませていた。すると紛うこと無きニイニイゼミがの鳴き声が聞こえ始めた。ところが、ちょうどそこにダンプカーが通りかかり、そのせいで鳴き止んでしまった。午後2時10分ぐらいのことである。
 これでもとにかく、今年のニイニイゼミの初鳴きの観測である。今日は朝から晴れて、気温も9時には30℃を超えていた。最高気温は35℃を超えていたらしいから、ニイニイゼミの初鳴きを観測するには相応しい天候である。いよいよ本格的なセミの季節がやってきた。
 実を言うと、昨日の午前中、ちょうど図書館に出かけている間に、自宅の近くでクマゼミが鳴いた、と三男坊が言った。三男坊はセミ好きなので聞き間違えることはなく、確かなことだろうと思うが、自分では鳴き声を確認できていないので、とりあえずクマゼミの初鳴きの件は保留としておきたい。

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ふと目にとまったキノコ(6月28日)

 午前中の調査のとき、職場の庭に生えているキノコにふと目にとまった。傘の直径は5〜6cmほどでそれほど大きくないが、ツボがありツバがあるので、テングタケの仲間のように見える。3本ほど生えていたが、2本はもう朽ちかけていて、まともな姿を見せてくれていたのは、この写真に撮った1本だけだった。
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 これとは関係無いが、職場の建物の外壁に止まっているサラサリンガは、今日は5頭に増えていた。同僚のIさんも、市街地にある自宅アパートでも見たと言って携帯電話の写真を見せてくれたので、サラサリンガは広域的に多発生状態なのかも知れない。

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2010年6月27日 (日)

昆虫食の試み・カブトムシの蛹を食べる

 東南アジアには昆虫食の文化がある。タイ国のタガメやゲンゴロウやコオロギは有名で、ぼくもタイ国に出張したときに、現地の研究員に勧められ、コオロギの素揚げを食べたことがあるが、美味しかった。日本でも信州のハチの子やザザムシは有名だし、昔は全国でイナゴやカイコの蛹が食べられていた。
 ぼくはタイ国に行った2000年8月以来、昆虫を食べていないと思っていたのだが、タイ国のお土産にもらった竹虫を食べたのを思い出した。それでも、何か別の昆虫を食べてみたくて仕方がなかった。先日の仕事での調査のとき、カブトムシの蛹を見つけ、ピンときた。これを食べてみない手はない(成虫は硬くて食べ難そうだ)。そう思って、今日それを実行することにした。こういうことにつき合ってくれるのは、我が家では三男しかいない。まずは畑の持ち主に連絡してカブトムシを採集することに同意をとり、二人で採集に出かけた。
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 こんな感じで作業を進めた。先日は蛹がすぐに見つかるような状態だったが、数日経っただけで、今日は成虫の方がたくさん見つかった。それでも何とか蛹が見つかった。
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 これは羽化間近の成虫。もう硬くなっていて、食べごろは逸している感じ。
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 食べごろの蛹は雄が3頭、雌が2頭採集できた。蛹には独特の臭いがあった。なかなか言葉では表現し難いが、堆肥の臭いにも似ているかも知れない。
 全部食べきる自信はなかったので、料理するのは雌雄1頭ずつにした。こうすれば、雌雄の味の違いも比較できる。これが調理の対象に選ばれた個体。
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 料理の方法は素揚げ。今日の夕食は刺身と天ぷらだったので、天ぷらを揚げたあとの油をそのままカブトムシの蛹を揚げるのに使った。
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 揚げ始めてまもなく、蛹が破裂して、中身が飛び出してきた。蛹の中には気体も入っているだろうから、これは仕方がない。じっくり揚げて出来上がったのがこれ。
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 雄の角の部分は完全に空洞になってしまっていた。中身も縮まってしまった感じ。
 家族の中には食べてみようという勇気のある人はぼく以外にいなかった、と言うか、カブトムシの素揚げが食卓に乗っているというだけで嫌悪感を示す者もあったので、食卓ではなく、リビングで食べることになってしまった。
 カブトムシの蛹を食べてみようという好奇心は大きかったが、いざ食べる段階になると勇気が必要である。それでも、その勇気を何とか振り絞って食べてみた。
 臭いは生きているときとほとんど同じ。あまり食欲をそそる臭いではない。殻を破って中身を食べてみると、肉自体にはそれほど臭いは感じられなかった。胸部の筋肉は、小さなエビか何かの胸部を食べているのと同じような味だった。カブトムシの蛹というと食べる場所がたくさんありそうだと思われるのだが、実際に食べられる部分はそれほど多くない。腹部はそれなりに身が詰まっている。腹部は雄と雌で味の違いが出そうな部分だ。実際に食べてみると、腹部の味は明らかに雄と雌では違っていた。雄の身はかなりクセがあったが、雌の身はクセがなく違和感なく食べられた。やはり、精巣になる部分と卵巣になる部分では成分が異なるのだろうと思う。
 と言うことで、カブトムシの蛹を試食してみたわけだが、結論として、タイ国で食べたコオロギの方が遥かに美味しいと思われた。カブトムシも食べられないわけではないが、好き好んで食べるほどのものではないと思われる。
 話に聞くところによれば、セミは美味しいということだ。今回、カブトムシを食べて多少は自信がついたので、夏になったらセミも試してみたい。最大の問題は、家族との関係をどうするか、ということだ。

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2010年6月25日 (金)

第2回 大門寄席

 夕方から津市の昔の中心・大門で開催された落語会に妻と一緒に出かけた。演ずるのは津市在住でセミプロの落語家さんの切磋亭琢磨さん。会場は「うどんの幸助」本店。うどん屋さんで「時うどん」である。テーブルの上にビールケースを積み上げて作った高座は、何となく不安定そうな感じ。
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・時うどん 切磋亭琢磨
・端唄とトーク 切磋亭いの千代
・竹の水仙 切磋亭琢磨

 切磋亭琢磨さんは本当のプロではないが、プロ顔負けの上手さである。駆け出しの若手プロよりは上手いのではないかと思う。「竹の水仙」は特に良かった。お囃子の人は普通は高座に上がることはないのだが、いの千代さんは琢磨さんとのお付き合いのことなどを喋りながら端唄を披露してくれた。いの千代さんの本業は某大手予備校の古文と漢文の講師。
 落語会のあとは食事。ぶっかけうどんを食べた。コシがあり讃岐のうどん顔負けの美味さだと思った。津駅前にも支店があるので、また行ってみたい。
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 店を出たのが8時半ごろ。アーケードの電灯は消され、暗くなっていた。やっぱりちょっと寂しい感じがした。

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直翅目以外の直翅類大図鑑の計画と浜口哲一さんの訃報

 昨日「ばったりぎす」(日本直翅類学会連絡誌)145号が届いた。最近はハサミムシとも疎遠になってしまっているが、パラパラとめくって中を読んだ。日本直翅類学会のメンバーが中心になって、2006年には『バッタ・コオロギ・キリギリス大図鑑』が発行されたが、今度はバッタ目以外の直翅類系昆虫の図鑑を発行しようというプロジェクトが始まるようである。ハサミムシ目以外はあまりわからないので(カマキリ類は種数が少ないのでそれなりにわかるけど)、ハサミムシ目のリストには目を通した。ざっと見ただけだったが、リストから漏れている種に気が付いた。
Prolabisca infernalis (Burr, 1913), Pygidicranidae
和名なし,ムカシハサミムシ科
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 ぼくは西表島で幼虫を、沖縄島北部で成虫を採集したことがある。西表島で幼虫を採集したときは、ハサミムシ科(Anisolabididae)かと思ったし、飼育して成虫が出てきたときもやはりハサミムシ科だと思った。種名がわからず、いろいろ探しているうちに、ハサミムシの分類の専門家の西川勝さんが台湾で採集したという論文を見つけ、それに付けられている図を見て、この種に間違いないと思った。科は思いもよらぬムカシハサミムシ科であった。ここに写真で示したように、短翅型(左)と長翅型(右)がある。
 というわけで、さっそくプロジェクトの仕掛人でリストの作成者であるIさんに「リストから落ちてますよ」という電子メールを送ることにした。


 「ばったりぎす」には一枚刷りの別紙が入っており、本誌の訂正などが書かれていたが、最後に書かれていた訃報のところを見て驚いた。永年、平塚市博物館におられた浜口哲一さんが亡くなられたとのことだ。直接お会いしたことはなかったが、ぼくが石垣島に住んでいた2002年頃に、何かのこと(それが何だったか思い出せないのだが)で電子メールをやりとりすることがあり、それ以来、ことあるたびに個人的なメールマガジンをお送りいただくようになり、それは2004年からは「平塚から」と題されて毎月1回定期的に送られてくるようになっていた。そのメールマガジンには多くの本の紹介があり、参考になるものも多かった。今年の4月まではそのメールマガジンを受け取っていたが、調べてみたら5月のものは受け取っていなかった。ご病気で5月3日に亡くなられたそうである。一度お会いしてお話をしてみたいと思っていた人であるが、ついにその機会は無くなってしまった。非常に残念である。

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2010年6月24日 (木)

2010年・今年はサラサリンガの当たり年か?

 昨日もいたのだが、今日もいた。
 今朝、職場に出勤したら、建物の外壁にサラサリンガが3頭見つかった。昨日も3頭ぐらいいた。なかなか奇麗な蛾である。この職場に来て今年で7年目になるが、これまでサラサリンガを見たことはなかった。今年はサラサリンガの当たり年かも知れない。
 サラサリンガの幼虫はクヌギなどの葉を食べるので、クヌギの木のあるところに行けばもっと見られるかもしれないと思って、職場の庭のクヌギのところに行ったのだが、全く見つけることはできなかった。どこか別の場所で発生したのが、まとまって灯りに引き寄せられたのかも知れない。
 ぼくが子供の頃は、サラサリンガはサラサヒトリと呼ばれていて、分類学上の位置も、現在とは違っていた。蛾の分類もなかなか難しそうだ。
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2010年6月24日・今朝の庭

 ネジバナの花の数が増えてきた。他の草も伸びてきたが、ネジバナだけが飛び抜けている。気持ちが良い。
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 ゴーヤーの蔓も伸びてきた。夏には収穫が期待できるかな。
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2010年6月23日 (水)

大きくて奇麗なハネカクシ

 毎週職場の外にも調査に出かけているが、職場の中の畑でも同時進行で調査している。
 今日、職場のキャベツ畑のピットフォールトラップを調べたら、大きな金色に光る奇麗なハネカクシが入っていた。職場の外での調査のときにも一度見つけたことがある種だ。
 名前は「キンボシハネカクシ」。ここらあたりで普通に見られる大きなハネカクシにクロガネハネカクシというのがあるが、それと同じぐらいの大きさで、金色の毛が生えている。あちこちで見られるということは、普通種なのかも知れないが、奇麗な種が採れると嬉しい。
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カブトムシの「山」を発見

 今日は恒例の野外調査の日だが、雨の中の調査になってしまった。最初の調査地でクモを採集していると、同行しているIさんが「あっ」と声を上げた。何かと思ったら、カブトムシの蛹が見つかったのだった。
 調査をしている畑には、敷き藁にするためのヨシが山積みにされていたのだが、畑のカボチャが大きくなり、そのヨシの山の上の方がカボチャの敷き藁にされて、「山」の中が露出した状態になっていたのだ。
 調査の仕事中だったので、あまりゆっくりカブトムシ探しもできなかったのだが、ちょっと探しただけでいくつも蛹が出てきた。1頭だけだが、もう成虫になっているのも見つかった。
 今度の週末には、天気が悪くなければ、息子と一緒に採集に行こうかと思っている。
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【蛹】↑

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【1頭だけ見つかった成虫】↑

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【カブトムシの「山」】↑

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2010年・沖縄慰霊の日と「月桃の花」

今朝、長男がYouTubeのこの動画を見ながら、音楽に合わせて歌を歌っていた。
「月桃の花」

今日は沖縄慰霊の日。
長男は小学校をずっと石垣島で過ごしていたので、毎年この歌を歌っていたのだろうと思う。
6番まである長い歌詞だが、全部覚えているようだった。
石垣島を離れて6年以上になるが、小学校のときに覚えたものは忘れないのかも知れない。

1.月桃ゆれて 花咲けば
  夏のたよりは 南風
  緑は萌える うりずんの
  ふるさとの夏
2.月桃白い花のかんざし
  村のはずれの石垣に
  手に取る人も 今はいない
  ふるさとの夏
3.摩文仁の丘の 祈りの歌に
  夏の真昼は 青い空
  誓いの言葉 今も新たな
  ふるさとの夏
4.海はまぶしい キャンの岬に
  寄せくる波は 変わらねど
  変わるはてない 浮世の情け
  ふるさとの夏
5.六月二十三日待たず
  月桃の花 散りました
  長い長い 煙たなびく
  ふるさとの夏
6.香れよ香れ 月桃の花
  永久(とわ)に咲く身の 花心
  変わらぬ命 変わらぬ心
  ふるさとの夏

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2010年6月22日 (火)

2010年・今シーズン初の近所のクワガタ観察

 夕食後暗くなってから、近所の樹液が出ているクヌギを見に行った。今年は春が遅かったとは言え、そろそろクワガタが見られる時期だからだ。懐中電灯とカメラを持って自転車で出かけた。
 現地に着くと、樹液が醗酵した良い匂いがする。期待は十分に持てる。・・・・・と思ったのだが、見つかったクワガタは小さなコクワガタの雄が1頭だけ。ちょっと期待はずれ。
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 カラスヨトウやエグリバの仲間の蛾も来ていたが数は少なかった。
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 今晩の一番の大物はコレ。あまり出会いたくない虫である。
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2010年・ニホンアマガエル上陸始まる

 今朝職場に着いたら、職場の外壁に成体になったばかりのニホンアマガエルの小型の個体が数頭貼り付いていた。昨日までは気が付かなかったので、昨日の夜のうちに上陸したのかも知れない。昨日の夜から今日の明け方にかけては雨が降っていたので、上陸するには良い条件だったのかも知れない。
 午後、畑で作業をしていたら、畑でも小さなニホンアマガエルが見つかった。一晩のうちに一気に上陸したのだろうか?
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2010年6月20日 (日)

ツクンと伸び出した庭のネジバナ

 ゴーヤーの苗が蔓を伸ばし始めたので、昨日はゴーヤーの蔓(正確には「ヒゲ」か)を絡ませるための紐を設置してやった。陽よけのつもりでゴーヤーを植えたのだが、我が家の庭は芝生になっているので、それほど照り返しがあるわけでもなく、陽よけの必要はないかも知れないのだが、もちろん陽よけだけでなく、収穫物も期待している。このままうまく成長すれば、今年はゴーヤーを買う必要がないはずだ。
 ところで、半月ほど前に今年二度目の庭の芝刈りをしたので、まだそれほど雑草は伸びていないのだが、今日よく見てみたら、ところどころにネジバナの花穂が伸びてきて花を咲かせているのに気付いた。超小型だが、これでも立派なランの仲間である。ぼくの好きな野生植物のひとつ。
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アメリカの「虫めづる姫君」

朝日新聞2010年6月20日付け朝刊の2面「ひと」欄。
虫好きで日本の「昆虫愛」を映画にしてしまったアメリカの女性が紹介されていた。
虫が日本人に愛されていることに感激したとのこと。
そりゃ、堤中納言物語からの伝統がありますからね。
日本はアニメの国だけではないわけです。
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【この画像を表示することが不適切でしたら削除しますので、ご連絡ください。>朝日新聞さま】

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2010年6月19日 (土)

2010年・今年も行った沖縄物産展@津松菱

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 今年もやってきました。津松菱百貨店の沖縄物産展。というわけで、ついつい出かけてしまうわけ。長男は部活、次男は行かないと言うので、妻と三男と3人で出かけた。
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 まずは妻の好きなもろみ酢。けっこういいお値段だが2本購入。その他、次から次へと試食品をいただく。
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 ポークたまごおにぎり。これは見ただけ。けっこういいお値段にびっくり。
 最後はソーキそばを食べる。
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 麺も出汁もよろしい。完食。
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 というわけで、今日の午前中は散財しながらも充実した時間だった。

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2010年6月16日 (水)

ラミーカミキリ激減・マメコガネ急増

 今日は定例の調査の日。明け方まで雨が降っていたが、調査の時間には晴れたり曇ったりになった。
 先週は最初の調査地でいっぱい見られたラミーカミキリだが、今日は激減していた。理由はよくわからない。そのかわり、カラムシにはマメコガネがいっぱいいた。マメコガネはごく普通種だが、よく見るとけっこう美しいと思う。
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 蝶もいろいろ目についたが、多かったのはベニシジミ。キマダラセセリも見かけたが、キマダラセセリを見たのは今シーズン初めて。これも珍しい種ではないが、美しいと思う。
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 次の調査地では畑の端っこに生えていたアカザにカメノコハムシが見つかった。見つかった、と書いたが、見つけたのは同行していたIさんだ。けっこうたくさん見つかったので、オン・シーズンなのかも知れない。
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 陽射しも強くなってきたが、今日は徐々に西風が強くなり、体感的には気持ちの良い暑さだった。

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2010年6月15日 (火)

松永和紀著『踊る「食の安全」』

松永和紀(まつなが・わき)著『踊る「食の安全」 農薬から見える日本の食卓』

家の光協会
ISBN 4-259-54693-7
1,400円+税
2006年7月1日発行
231 pp.

目次
序章 国産のわさびが消える?
第1章 農薬とは何か? 
1 あれも農薬、これも農薬/2 農薬はなぜ存在するのか/3 農薬はいつ頃生まれたのか/4 日本における農薬事始め/5 農薬は農家の労力を減らし、生産量を上げた/6 農薬の事故が相次いだ戦後/7 『沈黙の春』による告発の衝撃/8 安全性重視の農薬改革が始まる/9 現在の農薬規制の仕組み/10 無農薬では、大規模栽培は難しい
第二章 農薬は食べると危険?
1 毒性の種類はさまざま/2 危険か安全かの二分法はナンセンス/3 農薬はどれだけなら食べてもよいのか/4 市販されている食品は、残留基準内に収まっているのか/5 水洗いや調理で残留農薬は減るのか/6 気になる農薬の発ガン性は本当?/7 有機農産物にも農薬は使われる/8 植物は、天然の農薬を作り身を守る/9 残留農薬と食中毒のどちらが心配?
第三章 農薬は使うと危険?
1 注意すべきは、食べる人より使う人/2 なぜ新しい農薬を開発し続けるのか/3 「農薬=白い粉」はもう古い/4 農家の責任が問われた無登録農薬問題/5 緑茶、焼酎を農薬代わりに使うワケ/6 「生物農薬」やフェロモン剤の利用/7 病害虫を防ぐのは農薬だけではない/8 天敵農薬を駆使した新しい農家の取り組み
第四章 農薬は環境破壊なのか?
1 ドリン剤 ─ この負の遺産/2 ダイオキシンは農薬由来だった/3 自然と共存できる農薬へ/4 環境ホルモン騒動とは何だったのか/5 メダカがいなくなったのは農薬のせい?/6 暮らしの中にある“農薬”の影響/7 『沈黙の春』への批判
第五章 新しい農薬制度、ポジティブリスト制とは?
1 ポジティブリスト制とは何か/2 心配なドリフト問題/3 農家のとるべき対策は?/4 海外諸国との軋轢も生じる/5 検査“狂騒曲”に踊らされてはいけない/6 「複合汚染」への不安が再来する?
第六章 農薬の未来はどうなるのか?
1 イネに抵抗力をつける新しい農薬/2 平取トマトは農薬に依存せず、否定せず/3 宮崎方式は、検査を農家の技量向上に役立てる/4 嬬恋キャベツは変わった/5 自給率向上へ、農薬の果たす役割/6 マイナー作物の行方/7 国産わさびを守るために
謝辞
参考文献

 ぼくの職場の運営委員の一人である松永和紀氏の農薬に関する問題を扱った著書である。去年の春、松永氏にはぼくの職場で『問題の多い食・農業報道に研究者はどう打ち勝つか?』という演題で講演を行っていただき、ぼくが見落としていたようなことをいろいろと気付かせていただいた。その講演を聴き、松永氏が科学的な根拠に基づいた客観的な立場をとられていることがよくわかったので、とりあえず一冊ぐらいは松永氏の著書を読んでおくべきだろうと思った。本書を選んだのは、実を言えばたまたま図書館で目についたからではあるが、あえて意味付けをすれば、本書の直近に読んだ畝山智香子氏の著書『ほんとうの「食の安全」を考える』と扱っている題材が非常に近いということもある。なお、松永氏は個人のブログでも様々な情報を発信されいる。
 まず全般的にみて、農薬のどんなところが問題になっているのかが、一般の人が読んでもわかり易く、読み易く書かれていると思った。たいへんお勧めできる本だと思う。畝山智香子氏の著書でも触れられているように、ゼロリスクというのが幻想に過ぎないことは、本書でも触れられている。また、農薬問題に関しては専門ではないものの農薬問題に近い位置にいるぼくが読んで感じたところでも、全体的にうまくまとめられていて、業界寄りでもなく、消費者寄りでもない、バランスの良い視点で書かれていると思った。
 本書においてぼくが特に良かったと思うことは、ポジティブリスト制について詳しく解説されていることである。ポジティブリスト制にはマイナー作物における問題など、改善されるべきことがたくさんあると思うが、今後、制度としてさらに整備されていかなくてはいけないことだと思っている。
 農薬についての古い知識しかない人や(半世紀も前の農薬は、今の農薬とは全く別物である)、農薬を絶対悪ととらえているような人(ぼくも学生時代はそれに近い立場だった)には、本書を是非読んでいただきたいものだと思う。現代の農薬は、厳しい試験を通過してやっと世に出されたものばかりだ。リスクは農薬ばかりではなく、食品そのものの中にもある。リスクとメリットあるいはベネフィットを量りにかけて物事を考えたい。たとえば、ぼくは無農薬有機栽培を否定する気持ちはさらさら無いが(と言うか、デメリットが克服されれば推奨したいと思っているが)、無農薬有機栽培には現実的でない部分もあり、デメリットも多いので、それを生産者も消費者も理解し納得した上で行う必要があると思う。

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2010年6月13日 (日)

畝山智香子著『ほんとうの「食の安全」を考える』

畝山智香子著『ほんとうの「食の安全」を考える ゼロリスクという幻想』

化学同人 DOJIN選書028
ISBN978-4-7598-1328-9
1,600円+税
2009年11月30日発行
224 pp.

目次
第1章 「基準値」はいかに決まるか 
一 残留農薬はすべて“危険”なのか?
(毒性影響を確認する実験/一日許容摂取量/最大残留基準値/基準値違反は安全性に問題があるのか/回収・廃棄は正しい対応なのか/農薬の暴露量評価/日本の対応に改善を望む)  
二 天然は常に“安心”なのか?
(食品添加物の基準値違反/天然添加物/天然だから安心なのか/安全側にどれだけ余裕をもたせるか)
 コラム1 安全性試験における優良試験所基準とガイドライン 
三 安全基準は厳しければよいのか?
(タマネギがもし食品添加物だったら/ジャガイモに含まれる配糖体がもし残留農薬だったら/遺伝子組換え食品の安全性)
 コラム2 レギュラトリーサイエンスとはなにか   
四 参考にする値はなにを用いたらよいのか?
(中国製冷凍餃子事件/メタミドホスの影響が出る量/残留農薬の基準は中毒症状の値に当てはまらない/日本での毒物混入事件)
第2章 発がん物質のリスクの大きさをどう考えるか
一 発がん性とはなにか
(「発がん性がある」という言葉の意味/注意すべきは遺伝毒性発がん物質/発がん物質のリスクを比較する/カビ毒と臭素酸カリウムのどちらが危険?)
 コラム3 動物実験での「発がん性」の定義  
二 発がん性のリスク評価
(遺伝毒性発がん物質の評価方法/MOEの計算方法/遺伝毒性のリスクをどう評価するか/微量でも発がん物質は危険か/マラカイトグリーンの危険な摂取量/マラカイトグリーンに発がんリスクはあるのか)
 コラム4 化学発がんの歴史  
三 健康的な食生活にもっとも大切なことはなにか?
(障害調整余命年数の損失原因/日本での推定/一般の人は発がんリスクをどう受け止めているか/がん予防のためにできること)
 コラム5 Alar
第3章 食品のリスク分析はどのようになされているか 
一 魚中メチル水銀のリスク分析
 コラム6 リスクコミュニケーションの一方法としてのパブリックコメント募集
 コラム7 安全性が高いと小さいリスクが問題視される  
二 トランス脂肪酸のリスク分析  
三 緊急時のリスク分析
(中国のメラミン汚染ミルク事件/米国ペットフードのメラミン汚染事件/メラミン汚染事件のその後)  
四 リスクとどう付き合うか
(リスク分析の課題/多様な選択肢でリスクを分散させる/リスク分析は日常生活にも役立つ)
第4章 食品の有効性をどう評価するか
一 抗肥満薬はやせ薬なのか?
(競争の激しい抗肥満薬開発/食欲抑制作用/動物実験だけではわからない副作用/脂肪吸収抑制薬)  
二 ビタミン剤でがんの予防ができるのだろうか?
(ビタミンの健康影響/ビタミン剤にがんの予防効果は期待できない)  
三 健康強調表示の“科学的根拠”とはなにか
(健康強調表示はどのようになされているか/魅力的な健康強調表示は期待できない—FDAによる評価/厳密な根拠を要求するEFSA/特殊な認可基準 —日本の特定保健用食品の評価  必要となる評価基準の統一)
 コラム8 高濃度にジアシルグリセロールを含む食品の安全性について  
四 健康的な食生活とは
 コラム9 食品は効果も毒性も不明な多数の化学物質の塊 終章 健康的な食生活を送るために—科学リテラシーを育む 
一 食の安全の本質はなにか?(オーガニックは優れているか?/情報の本質を見抜く)  
二 ジャガイモから考える食の安全
あとがき

 厚生労働省国立医薬品食品衛生研究所という公的な機関に研究職として在籍しながら個人的なブログで食の安全について情報を発信されている畝山智香子氏の著書である。
 食品添加物は危険だとか、天然ものが安心できるとか、オーガニック食品の方が体に良いとか、様々な食に関する情報が氾濫しているが、そのほとんどには科学的な根拠が無く、様々な事例をあげながら、残留農薬の基準値の設定の仕方やその値の意味、発がん物質のリスクの大きさの考え方、またそれらに関するはリスク分析やリスク評価の方法などを紹介しながら、結局のところ、余計なサプリメントなどは摂らず、様々な食品をバランス良く摂取することが、体にとって一番安全である、ということが語られている。
 ぼくの場合、残留農薬がもっとも関わりが深い部分である。農薬登録には、残留毒性、防除効果など、様々な試験に合格したものが農薬として登録されて流通している。農薬の使用には様々な基準があり、それを守って使用されていれば、生産物を食べる人間にとってのリスクは無視できると考えるのが科学的な態度であると思う。しかし、巷にまかり通っているのは、農薬を使用したものは危険であり、有機栽培で作られたものが安全である、という「神話」である。ぼくたちは確かに「農薬の使用を減らそう」という目的をもって研究している。しかし、その理由は食に対する安全性だけが目的というよりもむしろ、過剰な農薬の使用によるコストの上昇を防いだり、農薬使用の対象となっている害虫なり病害なりの巻き添えを食らう標的外生物への影響を減らしたり、それを通して環境への負荷や生物多様性に対する悪影響を減らしたりしよう、という視点の方が中心になっている(と、ぼくは考えている)。
 それはともかく、天然物の中には食品添加物として認められている人工物より毒性や発がん性の高いものもたくさんあり、天然物そのものの成分組成そのものが明らかになっていないし成分組成のばらつきも大きいためにリスクを評価できないのに対して、医薬品や農薬などの人工物には人畜に対する影響を調べた試験事例の蓄積がたくさんあるので、定量的なリスクが明らかになっている程度という点では、人工物の方がリスク管理がし易いということは確かであり、本書でもそれについて繰り返し述べられている。メディアは人工物に関するリスクを必要以上に強調して不安を煽っていると本書でも指摘されているが、ぼくもまさにそのとおりだと思う。
 本書は、食について不安を持っている人には、ぜひ読んでもらいたいと思う本である。健康で長生きすることを望むなら、余計な情報に惑わされることなく、適量のバランスの良い食事を摂ることだということが理解されると思う。

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2010年6月12日 (土)

久しぶりに新鮮なヒオドシチョウを見て感激した

 今日は良い天気になるのが予想されたので、少しは気合いを入れていつものフィールドに出かけた。このフィールドに行くのは5月22日以来、約3週間ぶりである。
 前回出かけたときにはスイカズラの葉にニセリンゴカミキリの食痕を見つけることはできなかったが、今日はあちこちで見つけることができた。と言うことは、前回はまだ早すぎたということになる。
 ハンノキやヤナギが生える湿地ではミドリシジミがいないかと思って探したのだが、見つけることはできなかった。まだ発生していないのかも知れない。と思ったとき、目の前にやや大きなタテハチョウが飛んできて、ヤナギの木に止まった、何かと思ったらヒオドシチョウだった。ヤナギの幹から滲み出している樹液に集まってきたようだ。春先に越冬してボロボロになったヒオドシチョウは去年も見たが、この時期の羽化したばかりのヒオドシチョウを見るのは何年ぶりだろうか?20年は見ていないような気がする。ヒオドシチョウの裏面は木の幹の模様に擬態しているように見えるが、表は派手な橙色である。この橙色が美しい。これを見ただけで、今日はこのフィールドに来て良かったと思った。
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 裏面はこのとおり。ところが、翅を開くとこのようになる。
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 あたりをあちこち歩き回ってから、枯れたアカマツのところに行った。前回、かなりヒトクチタケを採ってしまったので、まだ残っているかどうか心配だったが、まだいくらか残っていた。今日もクロハサミムシが出てくることを期待しながらヒトクチタケを採集したが、クロハサミムシは出てこなかった。そのかわり、前回も出てきたマツヒラタカメムシと思われるカメムシがたくさんいた。
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 そのあと、そのすぐ近くのタブノキでマルモンツノカメムシを見つけた。よく似ているエサキモンキツノカメムシはよく見るのだが、マルモンツノカメムシを採集したのはこれが初めてかも知れない。タブノキではホシベニカミキリを期待していたのだが、見つけることはできなかった。
 このあたりにはササユリが生えている場所が何か所かあって、ある団体の人たちが保護活動をしている。それにしても、支柱に支えられているササユリは哀れに思える。自然のままにしておけば良いように思うのだが、そういうことをする人たちには変な思い込みがあるのだろうな、と思う。
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 そのあと、前回見た大きなキノコのところに行ったのだが、もう萎びて小さくなってしまっていた。
 ほんの2時間半ぐらいの散策だったが、今日はそれなりの満足感を得ることができた。

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2010年6月10日 (木)

やはり人間ドックは疲れる

 今日は朝から爽やかな快晴だった。今日は職場には行かず、人間ドック。歩いて10数分の医療モールへ。8時前には到着。少し待たされた。津に引っ越してきて以来、毎年ここに行っているが、受付の人、看護婦を始めとしてセカセカした感じの人が多く、あまり好きではないが、自宅から一番近いのでいつもここにしている。
 今回担当になった看護婦さんは今までに見たことがない人だった。他の人よりやや若いのに落ち着いていて、なかなか感じの良い人だった。ちょっと千住真理子に似ている。人間ドック自体は楽しいことではないので、担当の人の感じが良いことは嬉しい。
 胃カメラは口からではなく、鼻から突っ込んでもらった。鼻から突っ込んでもらったのは去年に続いて二度目である。口から突っ込むより遥かに楽である。とは言え、胃カメラの先端が食道あたりを通るときに吐き気を少し催し、やや苦しかった。そこを過ぎれば後は楽で、モニタの画面を見る余裕もあった。もっとも、眼鏡を外していたので、モニタが鮮明に見えたわけではない。胃には3mmほどのポリープができていたが、心配するものではない、と言われた。
 帰り道は道端の植物を観察しながらゆっくり歩いた。日陰のネズミモチか何かの花にはニホンミツバチが来ていた。それほど遠くないところに巣があるのだろうと思った。夏至も近く、日向を歩いていても、できる影は短い。石垣島ではほとんど影ができなくなっているはずだ。
 昼前には帰宅。胃カメラのときの麻酔が切れるまでは飲食をするな、ということだったので、しばらくはボーッとしていた。12時半頃に昼食。特に問題もなく美味しく食べられた。
 しかし、その後は眠くなり、ソファーに寝そべって居眠り(熟睡していたかも知れない)状態。大したことをした訳ではないが、朝食を抜いたり、麻酔をかけられたりしたので疲れていたのだろう。夕食後もまだ疲れている感じだ。

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2010年6月 9日 (水)

オオミズアオとラミーカミキリ

 今朝出勤したら、職場の建物の外壁にオオミズアオが止まっているのに気が付いた。すぐ近くには、夜間に点灯している蛍光灯があるので、それに惹き寄せられ、そのまま朝になってしまったということだろう。オオミズアオを見たのは久しぶりだ。
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 今日は例によって週に一度の調査の日なので、職場の外に出た。最初の調査地にはカラムシがたくさん生えているので、ラミーカミキリがいることはわかっているのだが、まだ今年は見ていなかった。
 今日は、ちょっと探しただけで、ラミーカミキリが齧って萎れた葉が目に付き、そこにはラミーカミキリが見つかった。
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 このほかにもラミーカミキリはいっぱい見つかった。この一週間のうちに一気に出てきたようだ。

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2010年6月 7日 (月)

2010年6月7日・ハラクロコモリグモの雄とオオヒラタシデムシ

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 6月4日ムシの日にはハラクロコモリグモの雌がトラップに入っていたが、今日は雄が2頭入っていた。このところ急に気温が上がってきたので、活動するクモの個体数が増えてきたということなのだろうと思う。
 オオヒラタシデムシも入りだし、今日は8個のトラップ全部で8頭も入っていた。オオヒラタシデムシは大きくて立派だが、他のシデムシ類と同様に嫌な臭いの液体を出すので、ぼくはあまり好きではない。シデムシの仲間にはモンシデムシ類のように、動物の遺体を幼虫の餌にして親が世話をするものもあるが、オオヒラタシデムシの幼虫は、成虫と一緒にトラップに入っていることも多く、大抵の場合はミミズと一緒に入っているので、おそらくミミズの仲間を餌にしている捕食者なのだろうと思う。
 これまではトラップに入る昆虫や小動物は少なかったが、これから徐々に増えていくことだろうと思う。例年4月の始めには姿を見せ始めていたアカガネアオゴミムシは、今年はまだ見ていない。トラップが仕掛けてある付近の林が一部伐採されたので、その影響で個体数が減ってしまったのかも知れない。少し寂しい。

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2010年6月 6日 (日)

2010年・二度目の芝刈りとチャドクガの駆除

 8日前に庭の芝刈りをしたばかりだが、草が少し伸びているのが気になったので、また芝刈りをした。さすがに大した量ではないので、30分もかからなかったと思う。
 前に芝刈りをしたときに既に気がついていたのだが、庭のツバキにチャドクガの幼虫が発生していた。庭にはしばしば小鳥がやってくるので、小鳥に食われることを期待していたのだが、そんなことは全くなかったようだ。チャドクガの幼虫の集団はいくつもあり、半端な数ではなかった。ツバキの葉が食われるだけなら何ともないのだが、成虫になって灯りに引き寄せられて部屋の中に入ってこられて、毒毛が肌について炎症を起こすようではたまらないので、駆除することを思いついた。道具を使って採れるところは採ったのだが、どうしても採れないところもあった。仕方が無いので殺虫剤を取り出してチャドクガの幼虫集団に向けて噴霧した。

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2010年6月 5日 (土)

池田清彦著『楽しく生きるのに準備はいらない』

池田清彦著『楽しく生きるのに準備はいらない』

青春文庫
ISBN978-4-413-09460-3
743円+税
2010年3月20日発行
238 pp.

1999年にサンマーク出版から『楽しく生きるのに努力はいらない』として刊行されたものを改題、加筆修正したもの。

目次
はじめに
楽しく生きる以前に、知っておいてほしいこと
第一部 自分を知る25のヒント
1 法律や道徳に従わないのも、あなたの勝手/2 親切にされた人が、感謝する義務はない/3 死ぬべきときがきたら、いさぎよく死ぬ/4 あなたの命はあなたのものではない/5 アホな社会をあてにしない/6 過去の考え方は、見切る時には見切る/7 人は中途半端に生きて、それで楽しい/8 援助交際を禁じる法律をつくる大人はバカである/9 必ず終わる恋愛は、別れ方が問題となる/10 恋愛がビョーキなら、セックスは運動だ/11 楽しく生きられるのが、一番重要な才能である/12 まるごと美しくなるにはどうしたらいいのか/13 天才でなかったことを喜ぼう/14 結婚するかどうかは、ほとんど趣味の問題にすぎない/15 切なくても苦しい、しかし楽しい不倫にハマる気持ちとは/16 楽しみとは非日常にあるエクスタシーのこと/17 嫉妬するのは楽しく生きるため/18 人生に目的など本当はない/19 検診を受けてオロオロするのは愚の骨頂/20 人は新ではじめて一人前/21 その日暮らしだから、老人は楽しい/22 年寄りは、ムチャクチャなことをしてもよい/23 他人に依存しない趣味が、案外楽しい/24 人生が孤独なのはお互いさまである/25 裏切られるのも人生の楽しみの一つ
第二部 他人と生きる25のヒント
26 夫や妻は赤の他人であるからこそ、面白い/27 結婚とは、1プラス1を2以上にしよう! という契約/28 浮気そのものは本人の自由だが、契約違反である/29 離婚した相手とつき合うのもステキである/30 赤ちゃんのときはただひたすら愛すること/31 子供をおもちゃにしていると、必ずしっぺ返しがくる/32 あなたの子供も、社会の中のワン・オブ・ゼムである/33 学校は勉強を教えるところ以上でも以下でもない/34 自立する子供に、親は口出しするな/35 親が財産をどう使おうと、親の勝手である/36 自分の親が再婚を望んだら/37 自立している親は他人の扱いでよい/38 親の介護に振り回される必要はない/39 兄弟は淡々とつき合うくらいがよい/40 孫と楽しみたいなら、努力をしよう/41 孫が遊んでくれるのは、ボランティアである/42 愛するということは、他人に迷惑をかけるということ/43 恋愛でやけどしないために二番目に賢い方法/44 人がストーカーになるのはなぜか/45 セクハラする人、される人/46 みんなで楽しく遊ぶ必要なんて、どこにある?/47 君子の交わりは淡きこと水のごとし/48 陰口を言われたら、まず相手をほめる/49 人生に、無能な上司とつき合うヒマはない/50 無能な部下をもつのも人生の楽しみの一つである

 池田氏一流のリバタリアニズムに溢れた本である。これまでに受けた教育などから、ついつい人生をマジメに生きようとしてしまいがちであるが、そのことで人生が楽しくなくなっていることは確かにある。本書は、その重苦しい気分を解放してくれる本である。真剣に読む必要はないと思うがが、流し読みするにはちょうど良い本であると思う。

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2010年6月 4日 (金)

2010年・ムシの日

 ぼくにとっての6月4日は、語呂合わせで「ムシの日」ということにしている。今日が「ムシの日」だ。「ムシの日」だから休暇をとって昆虫採集に行きたいところだが、こなさなければいけない仕事もあるので自重した。だからと言って何もしなかったわけではなく、職場の庭で虫を観察した。天気は良かったが、飛んでいる虫の数は少なく、端境期のようにも思われた。しかし、何もいないわけではなかった。
 まず見つかったのは、トラップに入った大きなハラクロコモリグモ。ハラクロコモリグモはコモリグモの仲間でも大きな方だが、今日見た個体は、その中でもとりわけ大きな雌だった。
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 次に見つかったのは、庭に植えられているツツジについていたルリチュウレンジハバチの幼虫。ツツジの葉が葉脈の中肋だけ残して食害されている葉がたくさん見つかった。今年はルリチュウレンジハバチの当たり年かも知れない。
 よく見てみると、ルリチュウレンジハバチの幼虫の頭部の色彩には変異があるようだ。真っ黒のもあれば橙色のものもある。別の種類というわけではないと思うが・・・
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2010年6月 3日 (木)

鷲谷いづみ著『天と地と人の間で』

鷲谷いづみ著『天と地と人の間で 生態学から広がる世界』

岩波書店
ISBN4-00-024021-8
1,600円+税
2006年2月23日発行
146 pp.

目次
はじめに
・日曜日には地下鉄ではなく世田谷線
1 自然の深さ
土の力/マルハナバチの巣が終わるとき/都市の水辺と生態系の健全性/生き物のにぎわいを利用する「戦略」
・シェリーと黒豆とダーウィンと
2 人が自然を変えるとき
地雷の上の愛知万博/尾瀬とシカ/早まる春と速まる絶滅/初日への祈り/クマの棲める森/暴かれたエイリアンの強さの秘密/里魚の受難からの教訓/花粉症シーズン到来/大豆輸入がもたらす生態系の荒廃/軽視される科学—特定外来生物の政令指定
・アルバム『さくらそう』
3 生態系の未来
田んぼの生き物の将来/農業の研究と環境保全との間の溝/危うい食物連環/冷たい流血の近未来シナリオ/気候シフトと順応策/天の夢と地の恐れ—人が未来に光をみいだすために
・現場の教育力を活かす実習
おわりに

 著者の鷲谷いづみ氏は保全生態学の分野の研究者としては我が国の第一人者であろう。その第一人者が岩波書店が発行する雑誌『科学』の中で連載された一般の人に向けて本音を語ったエッセイである。著者は書き下ろしの「はじめに」の項の中で以下のように語っている。

 『世間では,私のような保全生態学の研究者はきわめてマイナーな存在である.生物にかかわる研究分野では,医学やバイオテクノロジーの研究者が圧倒的多数を占めている.それらに比べれば取るに足らない数の生態学研究者のなかでも,野生の動植物を研究対象にフィールドワークをする研究者は少数派である.生物多様性の保全,自然再生といった社会的な課題と関連させ,いわば社会との「間」を意識した生態学の研究をしている保全生態学の研究者は,その中でも希な存在である.
 エッセイには,そのように「世にも珍しい」保全生態学の研究者の目で自然と社会を見つめたときに,感じられたこと,考えたことを素直に淡々と綴ってきたつもりである.とはいっても,その感覚の底流にあるのは,「怒濤をうつ」といってもよいほど急速に進む生態系の不健全化に対する強い危機感である.同時に,その危機感がごく一部の人々にだけしか共有されていないことへの,さらに強い危機感もある.
 その思いをなんとかして伝えたいと願うとき,エッセイはたいへんありがたい表現手段である.専門的な研究の成果に関しては,数式や専門用語で綴る学術論文を表現手段として研究者社会におけるコミュニケーションを常としている私たちだが,感じたことをそのまま感性に,また,平易な理屈によって常識に訴えることを可能にするエッセイは,社会とのコミュニケーションにとってたいへんありがたい手段である.
 しかし,つい肩に力がはいり,独りよがりなエッセイになってしまう危険もないとはいえない.また,華々しい映像文化全開の現代,この地味なコミュニケーション手段がどれほどの力を発揮するのか,正直いって心許ない.しかし,エッセイを綴ることは,忙しい研究者としての毎日の中で,自分自身を見つめ,感覚とこころを研ぎ澄ますよい機会でもあったような気がする.また,このような出版を通じて,読者の方々と互いの心の琴線を多少なりとも共鳴させ合うことができたとしたら,それも嬉しいことだろう.』

 この中で「危機感」という言葉が使われているが、自然環境に興味を持つ多くの人にとって、近年の急激な環境の変化、在来種の衰退、外来種の繁栄を見れば、心安らかでいられないのは確かなことだと思う。おそらく鷲谷氏自身は本当に危機感と言うか、不安感を感じているのだろうと思う。しかし、鷲谷氏自身がなぜ危機感なり不安感を感じているのかという本質的な理由は、本書を読んだかぎりにおいて、鷲谷氏が自分自身で理解していないのだろうと思われた。
 自分が経験してきた様々なことの中で不都合がなければ、環境の変化はない方が安心であろう。しかし、鷲谷氏自身が生まれる前から、環境は留まることなく変化してきたことは言うまでもないことである。鷲谷氏は「自然再生」という言葉を使っているが、これには極めて曖昧な意味しか持たせられないことは容易に想像できる。だれしも、自分が物心つくまでのところまでは意識を遡らせることは可能だが、それ以前のことはたとえ様々な歴史的な証拠があったとしても、実感として意識することは不可能である。本書を読めば、鷲谷氏がサクラソウなりアサザなりの再生を実行しようとしていることはわかるが、目指す到達点は、おそらく鷲谷氏が実感として意識できる風景、すなわち鷲谷氏の「心の中の原風景」でしかありえないだろうと思う。
 結局本書の中では、環境の変化に対する危機感が科学的に語られているわけではなく、心情的に語られているに過ぎず、穿った見方をすれば、単に不安感を煽って研究費を獲得しようという目的に過ぎないのではないか、という見方もできないわけではないので、政治や行政に携わる人や、環境の変化に対する危機感に鈍感な人の心を動かすのは困難であろうと感じられた。
 「侵略的外来種」という言葉についても定義が曖昧で、何を言っているのかわからない。在来種に対して悪い影響を与える外来種が「侵略的外来種」ということになろうが、ある非在来種が侵入する前に、その非在来種が定着して繁栄し、在来種に対して悪い影響を与えるのか、それとも定着できずに消え去ってくのか、あるいは侵入が起こったことも気付かれないまま終わってしまうのかは、事前に予測することは極めて困難である。だから、「侵略的」であるかどうかは結果論であり、「侵略的外来種」という言葉の定義はトートロジーになっていると思う。だから、科学的な文章の中では「侵略的外来種」という言葉は使うべきではないと思う。
 ぼく自身の環境や生態系に対する考え方は保守的(変化が少ないのが良いと考えている)であるので、基本的な考え方としては鷲谷氏に同意できる部分も多い。例えばひとつの同意できる部分は、ある地域に現在棲息していない生物は他所からその地域に持ち込むべきではない、という点である。しかし、既に他所の地域から侵入して定着してしまったものを排除すべきだ、という考え方は、それが科学的に可能であれば同意できるが(例えば、南西諸島に侵入したウリミバエをガンマ線を照射した人工飼育のウリミバエを野外に放すことによって、交雑しても卵が孵化できないようにして野外のウリミバエの個体数を減らし、ついには根絶に成功した事例がある)、それが不可能であるとわかれば、あるいはかけるコストに見合う以上のメリットが期待できなければ、公的な資金を使って事業を行うことには無駄なことだと思う。公的な資金を使わず、そのことに同意する人が資金を出して事業を行うことには同意できる。ぼくは、セイヨウオオマルハナバチが輸入されはじめた1992年頃、輸入に反対する署名運動に同意して署名した。しかし、署名運動の甲斐無く、輸入は継続され、危惧されたとおり、セイヨウオオマルハナバチは北海道で野生化し、定着してしまった。定着してしまったということは、そこにセイヨウオオマルハナバチが入り込む生態的ニッチェに空白があったためであろうから、あるいは在来のマルハナバチよりもその生態的ニッチェにより適応的だったということであろうから、おそらく根絶は不可能だと思う。セイヨウオオマルハナバチが定着してしまったことは悔しいことだとぼくは思うが、駆除するためのコストに見合うだけのメリットが得られないとわかれば、駆除のために研究費を使うことは無駄だとも思う。我々にできることは、定着してしまった外来種を駆除することではなく、同様な新たな事例を作らないことぐらいではないかと思う。
 外来種問題とは表裏一体のことだが、絶滅危惧種についても同様である。鷲谷氏の場合は、サクラソウなどが該当する。絶滅危惧種がなぜ絶滅が危惧されるようになったかと言えば、その種に適した生態的ニッチェが少なくなってきたからに違いない。人間が生活するために改変した環境は計り知れない規模である。これまでの古生物学の歴史が明らかにしてきたように、これまでに誕生した生物種の多くは既に絶滅してしまっている。つまり、生物の種には種の寿命があり永遠不滅ではない、ということである。いま目の前にある種が絶滅寸前でその絶滅を見届けることは忍びないことであるが、生物の種に寿命がある以上、それはそれで仕方がないことではないかと思う。これについても、保護するためのコストに見合うだけのメリットが期待できないのであれば、公的資金を使うのではなく(公的な研究資金に応募することを否定するわけではないが)、有志が資金を募って保護活動に充てたら良いと思う。
 本書を全体的にみて、感情論が前面に出ている部分が多いように思われた(エッセイだから当たり前かも知れない)が、この分野の第一人者である鷲谷氏には、環境の保全や外来種の問題について、もっと理論的に詰めた議論をしていただくこと(専門の学術誌などでは既に理論的なことを書かれているのかも知れないが)を期待したいと思う。


外来種および生物多様性関連のエントリー
2010年5月4日 (火)アラン・バーディック著『翳りゆく楽園 外来種vs.在来種の攻防をたどる』
2010年5月8日 (土)崎尾均編『ニセアカシアの生態学─外来樹の歴史・使用・生態とその管理』

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2010年6月 2日 (水)

エンマムシが飛んできた

 今日は恒例の週に一度の野外調査である。2か所目の有機栽培の畑の調査を終えて車に戻ったとき、ちょうど車のすぐ後ろに何か虫が飛んできて地面に落ちた。よく見ると大きなエンマムシであった。エンマムシの種名のことはよく知らないが、何も前につかない、ただのエンマムシではないかと思う。地面に落ちたエンマムシはすぐに地面に潜り込もうとしていたが、それを阻止しながら何とかカメラに収めた。
 エンマムシそのものはそれほど珍しいものではないと思うが、やはり大型のエンマムシを見ると嬉しくなる。
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