« 2010年2月 | トップページ | 2010年4月 »

2010年3月

2010年3月30日 (火)

風邪を引いてしまったかも知れない・・・・・温泉に行ったのに

 今朝、温泉に浸かったとき、長いこと湯の中に入っていても体が温まらないので、何だか変だと思っていた。自宅に戻っても、人気が無い部屋は寒くて、すぐに炬燵のスイッチを入れ、炬燵に入った。それでも何だか調子が出ない。そこで思い切って、布団を敷いて中に入ることにした。
 頭が何となくボーッとしていたのだが、意識が途切れているところが何か所もある。昼食も食べず、本格的に寝てしまったようだ。しかし、体の冷えは少し治まった気がする。
 それにしても、温泉に行って風邪を引いてしまっては何の話だかわからない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

寒い!・・・・・季節外れの積雪

 昨日、学会があった千葉から戻り、またすぐに出かけた。
 家族揃っての温泉旅行、と言っても、行き先は車で30ほどの榊原温泉である。なかなか家族揃って泊まる機会もないので、是非行こう、ということで実行することにした。
 夕方出かけると、雨が次第にみぞれになり、それが横殴りの雪になった。もう桜も咲き始めているこの時期になって雪が降るとは思わなかった。
 榊原温泉は、旧久居市の青山高原の麓にあるのだが、市町村合併の結果、いまは津市内である。
 雪は夜になっても少しずつ降り積もり、朝起きたら屋根の上は真っ白になっていた。それにしても寒い!今日は代休だが、寒いので、外に出る気も起こらない。
20100330blog1

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年3月28日 (日)

第54回日本応用動物昆虫学会3日目@千葉大学

 学会も最終日。今日は朝から夕方まで一般講演で、夕刻に小集会。面白く感じたものをいくつか。
 まずは午前の部。
・安藤喜一「カマキリタマゴカツオブシムシの夏世代はカマキリの孵化済みの卵包で育つ」
 年1世代のカマキリ(オオカマキリ、チョウセンカマキリなど)の卵に寄生するカマキリタマゴカツオブシムシが、カマキリの卵そのものがなくなってしまった後の卵包を利用して年2世代の生活史を成り立たせていることが紹介された。卵に比べれば栄養価が低いと思われる卵包を利用するというのは、かなり予想しづらいことだと思われるが、そういうことになっているらしい。
・寺尾美里・廣瀬譲・新谷喜紀「マメハンミョウにおける早熟変態の適応的意義」
 マメハンミョウが過変態することは本で読んで知っていたが、実際に擬蛹がどんな形をしているか、ということなどは知らなかったので、それが紹介されただけでも面白かったが、餌条件が悪いときには、そのときの日長条件などにより、擬蛹のステージを飛ばして4齢幼虫から直接蛹になってしまうこともある、ということで面白く感じられた。擬蛹を経過することなく成虫になれるなら、何も擬蛹というステージを経過しなくてもよさそうなものだが、どういう理屈なのだろうか。マメハンミョウは変な虫だ。

 昼は大学の生協の食堂で三重県のNさんと一緒に食事。食事が終わった頃、安藤喜一先生に声をかけられ、講演のあとで質問したことについて、再度説明していただいた。光栄である。
 昼休みが終わったあとは、学生会員によるポスター発表のポスター賞の発表と表彰。19名が表彰された。受賞者の中には、ハンミョウの発表をしていた辻かおるさんの名前もあった。

 午後一番は自分の発表。オチらしいオチの無い話なので、自分で喋っていても、今ひとつ気分が乗らない。その後はずっと同じ会場で、自分が参画しているプロジェクト関係の発表を聞いた。どれもプロジェクトの会議で少なくとも一度は聞いた話である。みなさん、大変な苦労をされてデータを取っているのはわかるが、明瞭な結果が得られるという話でものないので、自分を含め、なかなか辛いものがある。
 夕刻は、「侵略的外来昆虫問題その2:植物防疫の現在と未来」に出た。2日目に「その1」が行われ(自分は他の小集会に出ていたので出ていないが)、外来生物法から見た話題提供と議論が行われたとのことだが、今日の「その2」は植物防疫法から見たもので、以下の4題の話題提供があった。
・森本信生「日本の外来昆虫相の特徴」
・増田俊雄「アシグロハモグリバエの発生状況−トマトハモグリバエとの関係は?−」
・徳田 誠「侵入害虫としてのゴール形成タマバエ類」
・佐藤 雅「日本の植物防疫について」
 どの話も興味深かったが、日本の植物防疫のシステムについて、これまで曖昧にしか知らなかったので、佐藤氏の話を聞いて大変勉強になった。分類学の研究者との関係、植物防疫官の養成のシステム等々、現状にはいろいろ改善が望まれる点があることが理解できた。植物検疫は、新しい病害虫が入ってしまってから防除にかかるコストのことを考えれば、もっとコストをかけても良いことだと思うが、公務員の人件費が減らされている現状では、人員を増やすことも難しいことなのだろうなぁ。
 小集会が終わったあとは、例によって飲み会が準備されていたが、風邪気味なのでまたもやパスして、一人で千葉中央駅の近くで担々麺を食べた。安い割には、まあまあうまかった。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2010年3月27日 (土)

第54回日本応用動物昆虫学会2日目@千葉大学

 学会2日目である。昨日は懇親会をパスして早めに寝たので、体調は少し回復した感じがする。今日の一般講演は午前中だけ。
今野浩太郎ら『オオバイヌビワ乳液に含まれる耐虫性物質Phenanthroindolizidine alkaroid類』
 イヌビワの仲間Ficus属植物の乳液が近縁種間で異なった耐虫性物質を持っていることが紹介された。あるものはシステインプロテアーゼを持つが、オオバイヌビワなどはアルカロイドを持つ。遠縁のガガイモ科植物であるツルモウリンカも類似のアルカロイドを持っているとのこと。食植性昆虫との間で共進化がうかがわれ、面白いと思った。
池本孝哉『昆虫に「発育適温範囲」は存在しない!?』
 昆虫はある温度以下では発育できず、ある温度以上では発育が悪くなり、その中間でうまく発育でき、その間では温度と発育速度に直線関係が認められ、その直線関係が認められる温度範囲が一般には発育適温とされている。低温による悪影響と高温による悪影響を組み込んだ熱力学モデルを解析し、低温と高温の両方の悪影響がもっとも小さくなる温度を発育適温とすると、発育速度が最大になる温度よりも低い温度になり、「発育適温範囲」は存在しないことになる。新しい見方で面白いと思った。
 一般講演のあとはポスター発表。会場が狭すぎて身動きがとれないほど。とてもすべてのポスターを見る気にはならない。
 辻かおるさんは、まだ中学生だった頃に石垣島に蛾の採集に来たときに会ったことがあり、10数年ぶりの再会。大学院生になってポスター発表していた。蛾ではなく、何故かハンミョウの研究の発表。ナミハンミョウと近縁種の遺伝子を解析して、奄美に分布するハンミョウが最も古く、そのあとに中国大陸から日本本土と沖縄にそれぞれ進出したものがそれそれ種分化したことが示唆されるという結果。
 午後からはシンポジウム「応用昆虫学が拓く未来」。
・David A. Andow "Ecological risk assesment of GMO crops"
・佐々木正己「ポリネーターの利用・現状の問題点と将来」
・松浦健二「シロアリなんてこわくない:頭を使って害虫に克つ」
・松村正哉「イネウンカ類の薬剤抵抗性の現状と今後の対策」
・野田博明「ゲノム研究からみた応用動物昆虫学研究」
 Andow氏の顔は20年ぶりぐらいに見た。内容自体なじみがないうえに、英語についていけず、よくわかならなかった。なさけない。
 いちばん面白かったのは松浦氏。これまでの常識をくつがえすシロアリの配偶システムの発見には驚いた。見る人が見れば(と言うか、やるべきことをやれば)、新しいことが見えてくることを教えてくれたような気がする。
 夕刻は小集会。「カンキツグリーニング病小集会〜媒介虫の移動分散と病害の拡大について考える〜」に出席。最近のミカンキジラミの生態や防除に関する研究の紹介があった。ミカンキジラミの生態は未だにわからない部分が多く、まだ防除対策の要点をしぼるためには情報が少ないことが再認識させられた。
 まだ体調がよくないので、小集会のあとの飲み会はパスして、一人で大学の前のインド風のカレー屋に入った。うまかった。
 明日はいよいよ自分の講演。早く寝て明日に備えよう。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2010年3月26日 (金)

第54回日本応用動物昆虫学会1日目@千葉大学

 今日から第54回日本応用動物昆虫学会が始まった。会場は千葉大学西千葉キャンパス。
 午前中は総会と学会賞および奨励賞の受賞講演。
奨励賞
一木 良子「捕食寄生性ヤドリバエ類の生態と応用に関する研究」
奥 圭子「ハダニ類の表現型可塑性と捕食回避・交尾行動に関する研究」
学会賞
宮竹 貴久「不妊化法の効率を左右する昆虫時計遺伝子の生態遺伝学的研究」
大野 和朗「天敵を利用した総合的害虫管理技術に関する一連の研究」
 今年の奨励賞は二人とも女性だった。おそらく史上初。二人ともこれからの活躍が期待される内容だと思った。学会賞の二人は、いずれも中味が濃いと実感させられた。いずれも十分受賞に値する内容だと思った。
 午後は一般講演。主にカンキツグリーニング病の媒介昆虫ミカンキジラミに関する講演と、ヤシの害虫キムネクロナガハムシに関する講演を中心に聴いた。カンキツグリーニング病に関しては、なかなか決定打が出ない感じだが、遅々としながらも前進している感じ。
 井上広光さんから論文の別刷をいただいた。ぼくが石垣島に住んでいた2001年12月にサルカケミカンから採集したキジラミが日本初記録になるCacopsylla toddaliae (Yang, 1984)だったということを含む報告。和名はサルカケミカンキジラミになるのかな?
 今日の夕方は懇親会だが、パスすることにしていた。パスすることにして良かった。何となく風邪がぶりかえしてきたような感じ。単に、季節外れの寒さのせいかも知れないが。
 あまり体調が良くないので、今日はこれぐらいにしておこう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月24日 (水)

デイゴとハチのはなし

 ぼくが石垣島を離れたのは2004年4月のことだが、2005年になってから石垣島でデイゴの花が咲かなくなってきたという話を聞いた。その原因は、デイゴヒメコバチという小さなハチがデイゴの花芽に寄生して虫えい(虫こぶ)を作ることにあるとのことだ。天敵WikiのWeb昆虫図鑑によれば、学名はQuadrastichus erythrinaeで、2004年に新種として記載されたとのことだ。ヒメコバチの仲間は他の昆虫に寄生するものが多く、例えばミカンキジラミヒメコバチは、カンキツグリーニング病というカンキツ類のやっかいな病気を媒介するミカンキジラミに寄生するので歓迎されるべき種だ。デイゴの花が咲かなくなって、その原因がヒメコバチによるものだという話を聞いて、最初は耳を疑ったのだが、ヒメコバチの中には植物に寄生するものもいるということなのだ。
 話はデイゴに戻る。デイゴは、石垣島なら、ちょうど今ぐらいの季節から咲き始める春の花だ。デイゴは冬に葉を落とし、葉の無いところに真っ赤な花を咲かせる。もっとも、石垣島の八重山農林高校にの南東側の道路に面したところには白い花を咲かせるデイゴもあるのだが(少なくとも2004年までは咲いていた)。そのデイゴは、季節感やそれを愛でる気持ちを考えれば、日本本土で言うならソメイヨシノに相当する存在であると言っても良いと思う。それぐらい愛されている花だ。だから、デイゴの花が咲かなくなったというのは多くの琉球人にとって大問題だと思う。問題の大きさは、ソメイヨシノが咲かなくなったものと想像してみたらわかるだろう。
 そのようなデイゴであるが、実は琉球在来の植物ではない。インドが原産だとされている。琉球在来でないことは、デイゴが生えている場所をみたらわかる。みんな人の手が入った場所に生えているのだ。昨今の外来種を排除しようという風潮を鑑みれば、デイゴは排除すべき外来生物なのかも知れない。でも、琉球の人にとっては、既に慣れ親しんだ無くてはならない存在になっている。まさに、高橋敬一氏によるところの「郷愁」の効果である。
 そこで、そのデイゴを復活させようと様々な人が対策を研究した。その結果、幹に穴をあけて農薬を処理することでヒメコバチを殺すことができることがわかった。だが、そのためにはお金がかかるという問題がある。
 今日、ぼくの今の職場から2年前に石垣島に転勤したJさんから、竹富島のデイゴを復活させるための募金を募っているので協力して欲しい、という電子メールが届いた。詳しくはこちらをご覧いただきたい。
 最近ぼくがよく読んでいる池田清彦氏のような考え方では、こういうことに税金を投入するのは間違っていることになる。ぼくはその考え方を支持する。だから、有志による寄付を募るのは大いにけっこう、ということになる。もしこのブログを読まれた方で、趣旨に賛同される方はには寄付をお願いしたいと思う。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年3月21日 (日)

黄砂が飛んでいる(2010年3月21日)

 夜中に目が覚めたら、雨が降っていて、遠くで雷鳴が聞こえた。雷鳴はだんだん近くなったが、近くに落雷はなかった模様で、またそのまま寝てしまった。
 朝起きたら、雨は止んでいたが、風が強くなっていた。外を見たら景色が霞んでいる。どうやら黄砂が飛んでいるらしい。これでは洗濯物を外に出すわけにはいかない(自分が洗濯物を干しているわけではないが)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月20日 (土)

しぜん文化祭inみえ(1日目:2010年3月20日)

 菰野地区コミュニティセンターで開催された「しぜん文化祭inみえ」の1日目のシンポジウムに参加し、ブース展示を見てきた。
 シンポジウムのプログラムは以下のとおり。

第1部「生物多様性の保全と博物館の役割」
基調講演「海やまのあひだ:三重の自然と生物多様性」加藤真(京都大学)
話題提供「身近な川の自然をみんなで調べよう〜市民と博物館の協働による調査研究の事例紹介〜」石田惣(大阪市立自然史博物館)
話題提供「ニホンカモシカをめぐる生物多様性と大学博物館」子安和弘(愛知学院大学)
生徒実践発表「豊かな湧水が育むいきものたち」三重県立四日市西高校自然研究会 The Waders
生徒実践発表「ビオトープ4年目の挑戦」津市立西郊中学校
講演者と会場とのフリートーク
第2部「市民団体と博物館の連携」
話題提供「市民団体と博物館の連携」布谷知夫(滋賀県立琵琶湖博物館)
説明「新県立博物館のめざすもの」三重県生活文化部新博物館整備推進室)

 加藤さんは三重県が自然豊かな地域であることを紹介。石田さんは、淀川水系での市民と一緒になっての調査の事例の紹介。子安さんは、カモシカの現状と標本の管理についての紹介。石田さんと子安さんは、採集した標本の管理の大切さを強調されていた。博物館の役割として、標本の収集と管理は大切なことだと思う。
 四日市西高校自然研究会The Wadersによる生徒の実践発表では、ワンドに棲息するハリヨ(トゲウオ科)の3年間の調査が紹介されたが、その最後で、河川の改修によって去年ハリヨの棲息地が破壊され、ハリヨが絶滅してしまったことが発表され、大変おどろいた。プレゼンテーションを聞いていただけのぼくでも悲しい気分になったのだから、実際に調査をしていた生徒たちにとっても大変無念なことだっただろうと思う。これは、生物を保護しようという動きがある一方で、それとはおかまいなく河川改修が行われるという、大変ちぐはぐな行政が行われていることがあらわになったと言えるだろう。
 第2部では、布谷さんから新県立博物館の役割についての提言があり、そのあとで整備推進室からの新博物館の構想についての説明があった。新博物館の特色となる7つのポイントとして、「協創の視点」、「連携の視点」、「新しい“総合”」、「人づくり・地域づくり」、「公文書館機能の一体化」、「交流創造」、「多彩な展示」が上げられていたが、この中で「公文書館機能の一体化」というポイントがあまりに異質だと思われたので、「そんなスペースを設けるぐらいなら、地域の団体等の発行する機関誌などを揃えるスペースを作った方が良いのではないか」と質問した。時間がなかったので、全体の場での回答はいただけなかったが、会が終わったあと、整備推進室の方がぼくの方に近寄ってきて説明していただけた。その説明を聞いてもあまり納得できるような回答ではなかったが、要するに予算がとれないので公文書館単独では認められず、やむをえず博物館の構想のなかに潜り込ませた、というように理解した。限られた予算なのだから仕方がないとは思わないでもないが、博物館の本来の機能を下げることのないようにして欲しいものだと思う。せっかくの博物館なのだから。
 博物館の開館は2014年が予定されている。あと4年である。それまで三重県に住んでいるかどうかわからないが、地域で活動している団体(例えば三重昆虫談話会)にとって望ましい博物館ができることを期待したい。
 ついでのことではあるが、基調講演をされた加藤さんは、ぼくが大学院に入った時に同じ研究室に机を置いていた先輩である。出席する学会が異なっていたので、就職して以来、初めての再会のような気がする。久しぶりにお話をすることができて有意義であった。
 この文化祭は明日もあるが、菰野町はちょっと遠いので、明日はもう行かないつもりだ。車で慣れない道を走ったので、帰宅したらドッと疲れが出た。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年3月17日 (水)

西田隆義著『天敵なんてこわくない』

西田隆義著『天敵なんてこわくない 虫たちの生き残り戦略』
八坂書房
ISBN978-4-89694-909-4
2,000円+税
2008年6月5日発行
206 pp.

目次
1章 自然における天敵の役割
疑問のきっかけ−食うものと食われるもの−;天敵による制御は本当にないのか?;天敵による制御をもたらすロジック
2章 適応をいかにして説明するか?
3章 スペシャリスト捕食者と被食者の関係−熱帯林での実態−
研究のきっかけ−隔離されたカメムシの集団−;ホシカメムシの繁殖の実態;捕食圧の操作実験−野外における検証−
4章 天敵導入による検証−寄生蜂とカイガラムシ−
応用研究との接点;天敵導入の効果とその理由−ヤノネカイガラムシを例に−;寄生回避のコスト;寄生回避の進化
5章 身近な生物にみる天敵の影響−日本の休耕田での実態−
普遍化を目指す;休耕田でカエルはなにを食べているのか?;バッタの捕食回避策−死にまねは有効か?−;休耕田における鳥の捕食と自切−生き残りのコスト−;みつからないための工夫−隠蔽色と紋の効果−
6章 捕食回避の生態学的意義
あとがき
文献一覧
索引

 著者の西田隆義氏は、ぼくが大学院に入ったとき、同じ研究室に机を置いていた先輩である。その当時は、オオツマキヘリカメムシというカメムシを材料にして、配偶システムに関する進化生態学的な研究をされていた。近年は捕食者による非致死的効果が被食者に与える影響を様々な視点で研究されていた。
 捕食者と被食者の関係を見ようとしたとき、捕食者がどんな餌種をどれだけ食べたかを調べるのがオーソドックスなやり方だ。西田氏はそれだけでは十分ではないと考える。現在見られる捕食者と被食者の関係は、自然選択の結果、隠されてしまった部分がたくさんあるというのだ。表面からは隠されてしまってる捕食者と被食者の関係を見つけ出そうという過程で、西田氏が何を考え、それに対してどんな実験系を組み立て、どのようなことを明らかにしたかが本書の中に紹介されている。
 捕食者と被食者の関係というのは、古くから生態学的に研究されてきた課題だが、このようなアプローチの仕方もあるのかと感心させられた。知的好奇心が満たされる好著である。読むべし。

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2010年3月16日 (火)

絶滅危惧種を保護するのは何のため?

 家族揃って(と言いながら、長男は合宿で運転免許を取りに行っているので不在だが)夕食をとっているとき、ラジオからトキの保護について(テンらしき動物に食われたことなど)のニュースが流れてきた。
 これを聞いていた今度高校生になる次男が、「絶滅しそうな動物を保護するって意味ないんじゃねぇ?絶滅しそうだったら、そのままほっておけばいいじゃん。」と言った。これはかなり率直な意見だと思った。トキに関して言えば、相当な税金を注ぎ込んでいるが、その先のことがあまり見えてこない。日本の里山にトキが戻ったところで、自然環境が大きく変わるとも思えない。率直に言って、将来像が描かれていないものに税金を注ぎ込むのは、納税者として納得できないものがある。このように書くと、ぼくが反自然保護論者のように思われてしまうかも知れないが、そのようなことはなく、人間にとって必要な自然は残されるべきだと思っている。
 しかし、生物の種に寿命があることはこれまでの歴史がほぼ証明していると思う。種はいつかは絶滅するのだ。ヒトだって例外ではない。そこで特定の種を保護しようというのは、高橋敬一著『「自然との共生」というウソ』に書かれているように、人間の心に宿る郷愁に過ぎないのではないかと。自分が生きているうちに、そのものがいなくなるのを確認することから目を背けたいだけではないのかと。
 トキは絶滅危惧種に違いないだろうが(と言うか、一度は日本の野生のトキは絶滅した)、絶滅危惧種はトキだけではない。ぼくが石垣島で暮らしていたときに発見して、ぼくの名前が属名に付けられたダルマカメムシ(カスミカメムシ科)の一種にKohnometopus fraxini Yasunaga, 2005というのがあるが、これまでに発見された個体数という視点で見れば、トキよりもはるかに個体数が少ないはずだ。そういう点では、この種も絶滅危惧種に指定される価値は十分にあると思う。しかし、そんな動きはまったくない。それもそのはず、そのような種は数えきれないほどあるからだ。それをいちいち絶滅危惧種に指定していたら、絶滅危惧種だらけになってしまう。
 トキがちやほやされるのは、間違いなく「大きくて目立つ」というところにあると思う。トキは目立つから絶滅が早まったということもあるだろう。トキを積極的に絶滅させるのは許されることではないと思うが、日本の自然に居場所を失って、人間が「保護」してやらなければ生きていけないような種(=トキ)は、無理して長生きさせてやるより、自然のままに任せてしまえば良いのではないかと思う。それが「より自然」ではないだろうか。今回の「テンによる捕食事件」はそれを気づかせてくれる良い機会だと思うのだが、自然保護原理主義者にはわからないんだろうなぁ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2010年3月14日 (日)

キンジョの石畳道

 午後、妻と一緒に近所を散歩した。我が家で「近所の石畳道」と呼んでいる場所にも行った。「近所の石畳道」とは、もちろん首里金城の石畳道をもじって名付けたのだ。
 これが「近所の石畳道」。
20100314blog1
 これが「首里金城の石畳道」。中央の右に見える家は、連続テレビ小説「ちゅらさん」でロケに使われた家。
20100314blog2
 これを見たら沖縄に行きたくなってしまった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

神門善久著『日本の食と農』

神門善久著『日本の食と農 危機の本質』
NTT出版 日本の<現代>8
ISBN4-7571-4099-1
2,400円+税
2006年6月28日発行
309 pp.

目次
序章 日本の食と農
1 種と農を語る意味
2 行政バッシングの時代
3 蟻の目からのアプローチ
4 日本なのか日本人なのか?
第二章 食の議論の忘れもの
1 基礎学力問題と食の問題の類似性
2 食の安全・安心は古くからの話題
3 食生活を乱したのは消費者自身
4 食費者のエゴ
5 地産地消、グリーン・ツーリズムの誤謬
6 食育の誤謬
7 安全と安心の違い
8 行政の組織防衛としての「食の安全・安心」
9 食品安全基本法の功罪
10 ほんどうの食の改善とは?
11 社会保険料の食生活連動の提言
第三章 迷宮のJA
1 農協とJA
2 JAの怪しさ
3 JAの組織と活動
4 JAの独擅
5 零細農家のJA依存性の高まり
6 コメ政策とJA
7 法令違反はJAの日常活動の一部
8 高度経済成長支援システムとしてのJA
9 1990年代以降のJAの変容
10独立系農協の提言
付論 戦後日本の都市−農村間の所得再配分の教訓
第四章 農地と政治I(農地問題の構造)
1 梅畑の秘密
2 農地は宝くじ
3 農地転用規則の概要
4 農業委員会の欺瞞
5 農地税制の複雑性・不透明性
6 農地は鎹(農家−政治家−農水省−土建会社)
7 農地転用の実態
8 農地転用の本質が語られない理由
9 農地法と農業経営基盤強化促進法
第五章 農地と政治II(農地政策の行く先)
1 農地流動の現状
2 マスコミによる情報操作
3 農民の嘘
4 悪魔のシナリオ
5 理想のシナリオ
6 転用権入札・課税自己評価の提言
7 農地政策における日本の先導的役割
8 農地問題は日本社会の試金石
付論 都市計画と農地利用計画
第六章 企業の農業参入?
1 流行の議論
2 企業と農業
3 企業による農業の歴史
4 企業参入賛成派の議論
5 企業参入反対派の議論
6 企業の農業参入の是非論が残したもの
結章 明日の食と農を見据えて
1 日本の農を世界に解放しよう
2 食を通じた国際貢献
3 農産物貿易の活性化
4 結語

謝辞
人名索引
事項索引

 著者の神門善久(ごうど・よしひさ)氏は明治学院大学経済学部教授。本書で2006年で第28回サントリー学芸賞(政治・経済部門)受賞。
 全編を通して著者の気迫が感じとられた。日本の食と農に関して、マスメディアに報道されない様々な問題点をえぐり出し、様々な提言を提供している。
 ぼくは農業分野で仕事をしているが、言ってみれば病害虫防除に関する技術的な(要するに政治・経済的な問題とはあまり縁がない)問題という狭い範囲でしかモノを見ていなかったので、本書に書かれていることは新鮮だった。
 本書に書かれていることで特に印象に残ったのは、農地の転用を期待したエゴが日本の農業の構造をいかに歪めているか、ということだ。このエゴ(利権と言い換えても良い)には農家(とくに真面目に農業をしようとは考えていない零細農家)のものばかりでなく、JA、政治家、農水省、土建業者、そして消費者である都市生活者のエゴも含まれる。自分自身をエゴを認めることは大変な勇気が必要なことであるが、自らのエゴを認めないことにより、問題が先送りされ、将来の世代が損失を被ることを憂慮している。
 全編を通して、思い切ったことが書かれており、このようなことを書くのには相当な勇気が必要だったと思う(著者自身、このような研究に関わっていたことによりコワい目にあったと書いている)。また、この本を出版した出版社や編集者の勇気にも拍手を送りたい。
 このように、新鮮な切り口で面白い本であったと思うが、自然観察者から見た場合、大きな視点の欠落があるとも考えられた。それは、物質やエネルギーの流れという生態学的な視点だ。本書の著者のような文系の人間はついつい見落としがちだと思うのだが、農業に限らず、人間の経済活動にはエネルギー(特に化石エネルギー)が必要だ。本書は、基本的にはエネルギーが安定供給されるという前提のもとで書かれていると感じられた。化石エネルギーは有限であると考えた方が良いと思われる。そのような視点を加えれば、著者の主張は少しぐらいは変わるかもしれない。まあ、それはともかく、そういう視点の欠落があるとは言え、現時点での農業に関する問題を深くえぐり出した点において、本書は高く評価されるべき本だと思う。都市住民も読むべし。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月12日 (金)

奥本大三郎訳『ファーブル昆虫記』第8巻 上 が届いた

 身に覚えが無いのに「奥本大三郎訳『ファーブル昆虫記』第8巻 上」が送られてきていた。
 中身を精査すると協力者のところにぼくの名前があった。
 そう言えば、Tさんを介して何かの質問に答えたことがあったっけ。カメムシのことで。
 大したこともしていないのに本を贈呈していただいた編集者さんに感謝!

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年3月11日 (木)

サクラ咲く・ツバメ飛ぶ・2010年

 仕事で調査に使わせてもらっている畑の農家さんの自宅を打合せのために訪ねた。玄関先にサクラの木があり、花が咲き始めていた。このサクラはソメイヨシノではなく、サクランボのなる木だそうだ。ソメイヨシノよりも咲くのが早いということだが、とにかく今年初めてサクラの花を見た。
 もう1件の農家さんの畑に向かう途中、雲出川の橋を渡ろうとしたら、同行したIさんが「ツバメや!」と言うので、よく見てみたら、確かにツバメが飛んでいた。確かに春らしさを感じる季節になったが、昨日、今日あたりは、風が冷たく、まだ寒い。ツバメが渡ってくる季節は、想像していたよりも早いのかも知れない。
 ヒバリはもう半月ぐらい前からさえずっているが、次々と春の便りが届くようになった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年3月 7日 (日)

花里孝幸著『自然はそんなにヤワじゃない』

花里孝幸著『自然はそんなにヤワじゃない 誤解だらけの生態系』
新潮選書
ISBN978-4-10-603639-2
1,000円+税
2009年5月25日発行
175 pp.

目次
まえがき
第一章 生物を差別する人間
邪魔者扱いされる雑草;すばらしい庭でしょう;虫けらはバカものか;やがてロボットになる人間;差別される微生物;クジラだけがなぜ贔屓される;微生物は環境浄化の万能選手ではない;嫌われ者のユスリカが人を助ける;ドジな犬がヒロインになるとき;アマゾン奥地の未開民族が問いかける;誰もが満足する環境はあり得ない
第二章 生物多様性への誤解
生物多様性と直感;プランクトンは殺虫剤にどう反応したか;大型種ほど殺虫剤に弱い;殺虫剤が生物多様性を上げる;汚れた湖の方が生物多様性は高い;食物連鎖とエネルギー;水域で矛盾することを望む人間;洪水が河川の生物多様性を上げる;洪水と人間社会;「見えない」と「いない」は大きなちがい;ビルや道路も多様性に貢献
第三章 人間によってつくられる生態系
温暖化で増える生物もいる;見えることの落とし穴;大きさで異なる生存戦略;人間の攪乱を喜ぶ生物;r-戦略者が優占する生態系;r-戦略者がつくる食物連鎖;連鎖のルートは変わる;かつてある生物が地球環境を激変させた;人間が生態系を変えた後
第四章 生態系は誰のためにあるのか
存在するだけで影響を与えている;故郷は人によってちがう;冷静に水田をながめると;水田の我田引水;里山は人間と自然のせめぎあい;昔ながらの景観の意味;生態系は人類のために;地球に人間はいらない;少子化社会の維持を;火星人に学ぶ;主観的な生態系の危うさ
参考文献

 「生物多様性」、「生態系」、「里山」、「水田」、「農薬」などについて言及している点で、ほぼ同じ時期に出版された高橋敬一著『「自然との共生」というウソ』と通じるところがあるが、著者が置いてる目線はかなり異なっていると思われた。本書の表題は『自然はそんなにヤワじゃない 誤解だらけの生態系』となっているが、「自然はそんなにヤワじゃない」という表現は、やや誤解を与えかねないものだと思われた。本書を読み終えての感想としては「自然はそんなに単純ではない」すなわち「自然は人間の思うままにならない」というところだ。
 本書には、生態学を学んだことがないような人に対する入門書のような役割も感じられる。本書の著者は物質とエネルギーの流れに重きを置いているようで、その点ではオダム流の生態学のように思われる。もちろん本書だけで生態学を理解できるとは思わないが、自然の仕組みについて基本的なところは押さえているように思われた。
 人間と生態系の関係については、第三章、第四章で触れられているが、人間は自分が生まれ育った環境を心地よく感じるという指摘は『「自然との共生」というウソ』と同様であるが、『「自然との共生」というウソ』と較べると、突っ込みが足りないように思われた。何が問題か、という点に関しては『「自然との共生」というウソ』の方が本質を突いていると思う。が、その前に本書を読んでおくのも悪くはないと思う。
 本シリーズの本としては、吉村仁著『強い者は生き残れない』を読んだ。どちらも読者層として、あまり生物学を知らない人を対象にしているように感じられたが、本シリーズの方針なのだろうか?どちらも、ちょっと物足りない感じがした。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

三重昆虫談話会2010年総会

 ここ数日暖かい日が続いていたが、今日は冷たい雨の降る日になった。風もやや強くて寒い。
 今日は、年に1回の三重昆虫談話会の総会に出かけた。
 会長挨拶に続いて会務報告。そのあと3題の講演があった。

1. 文献からみた鳥羽市離島の蝶類研究史(中西元男)
2. 三重県の砂浜海岸で見られるツリアブ その生態と分布・同定(篠木善重)
3. ガ類環境調査の一記録 愛知県豊田市での調査から(間野隆裕)

 中西氏の講演は文献に基づいて、鳥羽市の離島(坂手島、菅島、答志島、神島)の蝶類の記録をまとめたもの。年を重ねるにつれて新しい記録が次々と出てきた様子が理解できた。
 篠木氏の講演は、普通の虫屋にとってあまり馴染みのない海浜性のツリアブについて。まだ、同定の問題がかなり残っているようである。
 間野氏の講演は、主にライトトラップを用いた調査法による環境調査を行った場合の問題点など。ちょっとしたトラップの位置の違いで結果に大きな違いが出てくることもあるという事例。ついでに、三重県で採れる可能性のあるトリバガ類についても紹介があった。

 体調がすぐれないので、懇親会は失礼して、早々に帰宅した。帰宅の途についた時には、出かけるときより雨はやや強くなり、気温も下がり、風も強くなり、寒かった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年3月 5日 (金)

2010年・ヒサカキが匂いはじめる

 外回りの調査のほかに、職場の中でも調査をしており、今日はその調査をした。前の調査は1日の月曜日で、そのときには気付かなかったヒサカキの匂いだったが、今日は至近距離に近づく前から感じられるほど強く匂っていた。このところの暖かさで急激に開花したのだろうと思う。
 ヒサカキの匂いは、ションベン臭いような決していい匂いではないが、春を感じさせてくれる匂いであることは確かだ。
20100305blog1

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月 4日 (木)

ハラルト・シュテュンプケ著『鼻行類』

ハラルト・シュテュンプケ著『鼻行類 新しく発見された哺乳類の構造と生活』
日高敏隆、羽田節子訳
平凡社ライブラリー 289
ISBN4-582-76289-1
800円+税
1999年5月15日発行

初版は、思索社、1987年4月、ISBN4-7835-0145-9

目次
序論
総論
各グループの記載
 単鼻類(Monorrhina)
  古鼻類(Archirrhiniformes)
  軟鼻類(Asclerorrhina)
   漫歩類(Epigeonasida)
   管鼻類(Hypogeonasida)
   地鼻類(Georrhinida)
  硬鼻類(Sclerorrhina)
   跳鼻類(Hopsorrhinida)
 多鼻類(Polyrrhina)
  四鼻類(Tetrarrhina)
  六鼻類(Hexarrhina)
  長吻類(Dolichoproata)
参考文献
あとがき
思索社版への訳者のあとがき
博品社版への訳者のあとがき
平凡社ライブラリー版への訳者のあとがき
解説−この本の正しい読み方 垂水雄二
索引
 鼻行類名索引
 動物名索引(鼻行類を除く)
 人名索引

 この書の存在は昔から知っていたが、手に取って読んだことはなかった。
 真面目に書かれたパロディである。動物分類に関する総説の形式をとっているが、解説されている対象は架空の動物である。生物学に縁のある人が読めば、あまりに真面目に書かれているだけに、面白いと思うだろうと思うが、生物学に縁の無い人には、面白さが理解できないかも知れない。
 パロディであるから、何の役にも立たないが、気晴らしとして読むにはちょうど良い。
 それにしても、この本を日本に紹介した日高先生はすごいと思うし、出版社も偉いと思う。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

日高敏隆著『ネコはどうしてわがままか』

日高敏隆著『ネコはどうしてわがままか 不思議な「いきもの博物誌」』
法研
ISBN4-87954-407-8
1,620円+税
2001年10月14日発行

目次
第一部 四季の『いきもの博物誌』
第一章 春の『いきもの博物誌』
蜂とゼンマイの春;春を告げるウグイス;春の女神ギフチョウ;ドジョウは何を食べている?;イモリの警告色;オタマジャクシの恐怖物質;ミズスマシの水面生活;水面を走るアメンボ忍者;金網パイプ製モグラのトンネル;カラスに大目玉;琵琶湖特産魚イサザの話;クジャクの男選び
第二章 夏の『いきもの博物誌』
カエルの合唱はのどかなものか?;ヘビは自然の偉大なる発明;カタツムリの奇妙な生活;アブラムシの甘露と蜂蜜;トンボとヤゴの驚くべき仕組み;セミはなぜ鳴くのか?;ボウフラのおかしな修正;松枯れと松食い虫;タガメの空中産卵;ムカデとヤスデ;ヤモリの愛嬌
第三章 秋の『いきもの博物誌』
意外に獰猛なテントウムシ;毎晩、冬眠するコウモリたち;スズメのお宿の謎;滑空するムササビ;イヌは散歩が生きがい;秋空に飛ぶミノウスバ
第四章 冬の『いきもの博物誌』
タヌキの交通事故;イタチも謎の多い動物;カマキリの予知能力;飛び出た冬の蛾;オオカミへの恐れと尊敬;ヒマラヤを越えるツル;ネコはどうしてわがままか?
第二部 「いきもの」もしょせんは人間じゃないの!?
「すねる」;「きどる」;「確かめる」;「目覚める」;「落ちこむ」;「選ぶ」;「誇る」;「受ける」;「迷う」;「耐える」;「待つ」
おわりに

 第一章は『ゆたか』(法研)1998年4月号から2001年3月号に連載された「いきもの博物誌」、第二章は『ヴァンテーヌ』アシェット婦人画報社)1992年1月号から12月号(9月号分を除く)に連載された「ちょっとエソロジー」を再編集したものである。

 相変わらず日高先生の著作を読み直している。この本も、前に一度読んだことがある(はず)。
 いきものに関するエッセイ集である。いつものことだが、日高先生のエッセイは読んでいて楽しい。この本もそうである。
 日高先生にはたくさんの著作があるので、ネタの使い回しも多い。この本のエッセイに使われているネタは、他の本でも使われているものがたくさんある。何度も使われているネタは、日高先生のお気に入りなのだろう。
 全編を通して面白いと思うのだが、気になる点について、少し書いておきたい。「カマキリの予知能力」は酒井與喜夫氏の「積雪が多い年にはカマキリが高いところに卵を産む」ということを対象にした研究のことを書いたものである。この研究で酒井與喜夫氏は工学博士の学位を得たのだが、日高先生はこの学位の審査に関わっていたということらしい。この研究結果については、後に元弘前大学の安藤喜一先生によって反証されている。この研究は「卵が雪に埋もれると死んでしまう」という間違った仮定のもとで行われていたわけだが、日高先生がこの点について気が付かなかったのは、弘法も筆の誤り、というところであろうか。
 イタチの話が出てきたので、今の家に引っ越してきたときのことも思い出された。引っ越してきて間もなく、我が家の天井裏にネズミか何かが棲み付いているのがわかった。夜になると、バタバタと騒々しいのだ。ネズミかと思ったのだが、天井裏を見たら鳥の死骸があったので、ネズミではなくイタチだと判断された(2004年5月1日)。どこから出入りしているものかと思っていたら、床下の通気口のところにパン屑が落ちていたので、そこから出入りしているのがわかった(5月15日)。その何日か後に庭に出たところ、雨戸の戸袋のところで何か動物の鳴き声がしたので、そこを見てみたらイタチの子が落ちていた(5月28日)。それを遠くに逃がしてやったところ、もう天井裏は静かになった。家主さんにお願いして、イタチの出入り口になっていると思われるところを塞いでもらったら、もうその後はイタチに悩まされることはなくなった。日高先生のよれば、ちょっとした隙間があればイタチは家に侵入できるそうだ。
20100304blog3

20100304blog1

20100304blog2

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年3月 3日 (水)

気の早いハスモンヨトウとヨトウガ!?

 今日は週に一度の野外調査の日だ。出勤する時には晴れていたが、調査に出かけるときには本曇りになり、少し風もあり、うすら寒くなった。調査地の気温は約10℃。
 調査を始めた頃からずっと継続して、合成性フェロモン剤を使った粘着板トラップで鱗翅目昆虫の調査をしているのだが、今日は思いがけないものが2つ入った。
 まずは、ハスモンヨトウ。ハスモンヨトウ用のトラップに入ったので、その点に関しては何の不思議も無いのだが、ここら界隈では越冬できないと言われているので、この時期に採れたのは意外だった。
20100303blog1
 つぎにヨトウガ。これもヨトウガ用のトラップに入ったので、その点に関しては何の不思議も無いのだが、やはりこの時期に採れたのは意外だった。去年は3月の末にならないと採れなかった。
20100303blog2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月 2日 (火)

コガシラコバネナガカメムシの繁殖を確認した

 ほとんど忘れそうになっていたのだが、と言うのか、見に行くのが億劫で(というのは、職場の畑のいちばん端っこの方なので遠いのだ)見に行っていなかったのだが、ちょっと気が向いたので、一昨年(2008年)の春にネザサの稈に穴を開けておいたところを見に行った。何のためにネザサの稈に穴を開けたのかと言うと、コガシラコバネナガカメムシを採集するためだ。コガシラコバネナガカメムシとは、Pirkimerus japonicusという学名、すなわち「日本の」という名前が付いているにもかかわらず、実は中国からの侵入種だという曰く付きの種だ。この種の生態については高橋(2007)が詳しい。
 実は、2007年の春にもネザサの稈に穴を開け、2008年の春に2頭だけ得たことがあるのだが(河野, 2009)、もうちょっと採ってみようと思ったのだ。
 たくさん穴を開けておいたので、順に稈を割って行くのだが、最初は何も出てこなかった。7つ目の稈を割ったとき、ついに中から多量のコガシラナガメムシの成虫や幼虫が出てきた。ついに三重県での繁殖を確認することができたわけだ。まだ外はそれほど暖かくないので、越冬中だと判断して良いのだろうが、若齢幼虫から成虫までの様々な発育段階が見られた。
 この種の場合、住処であるネザサの稈を割らなければ中の状態を確認できないので、いつ繁殖が始まったのかを確認するのは極めて難しい。とにかく、かなり前から繁殖していたことは確かなようだ。
20100302blog1
 まわりの環境はこんな感じ。
20100302blog2
 まだたくさんの穴が残っているので、またそのうちに割り出しをやってみようと思う。

文献
1) 高橋敬一 (2007) コガシラコバネナガカメムシとは何か?−「日本の」という名前を持つ外来種の話−.インセクト,58 (1): 1-14.
2) 河野勝行 (2009) 三重県で初めて採集されたコガシラコバネナガカメムシ.ひらくら,53 (2): 85.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月 1日 (月)

日高敏隆著『なぜ飼い犬に手をかまれるのか』

日高敏隆著『なぜ飼い犬に手をかまれるのか 動物たちの言い分』
PHPサイエンス・ワールド新書 002
ISBN978-4-569-77205-9
820円+税
2009年10月2日発行

目次
まえがき
第1章 動物たち それぞれの世界
庭のタヌキ;冬の越しかた;春のチョウ;小鳥の給餌;田んぼのカエル;陸の上のホタル;ヒミズ 餌探しのふしぎ;寄生って大変;冬の準備;虫たちの越冬;冬の寒さを意に介さない虫たち;四季と常夏;虫と寒い冬;春を数える;チョウたちの“事情”;アブラムシの季節;夏の夜のヤモリ;カタツムリたち;ガとヒクラシと;秋の鳴く虫;ヘビたちの世界;ヤマネの冬眠;カラスの賢さ;猫の生きかた;犬の由来;ネズミたちの人生;渡り鳥ユリカモメ;猿害;コウモリ;夏のセミたち;シャコ貝;トンボ;イノシシ;サギに冷たい?万葉人;来年のえと「サル」
第2章 動物の言い分、私の言い分
稲むらの火;京都議定書;二つの美;トルコの旅で感じたこと;遠野を訪れて;環境と環世界;日本庭園は自然か?;一年を計る時計;「未来可能」とは何か;珊瑚の未来;地球研いよいよ上賀茂へ;外来生物の幸運;梅雨に思う;デザインと機能;虫がいなくなった;いじめと必修科目;伝統と創造;京都議定書10周年;地球温暖化の思わぬ結果;イサザという魚;京都議定書は大丈夫か?;チョウはなぜ花がわかるか?;靖国神社;虫たちの冬支度;イリオモテヤマネコの日常;紅葉はなぜ美しい?;自動化:温暖化取引;雑木の山;ミツバチ;暑い夏;コスタリカ;雑木林讃;生物多様性;なぜ老いるのか;利己的な遺伝子;ミーム;ぼくのファン

帯・扉イラスト 大田黒摩利
本文イラスト 後藤喜久子

 第1章は中日新聞に2001年1月19日から2003年12月12日まで掲載されたもの、第2章は京都新聞の「天眼」に2005年2月5日から2009年7月11日まで掲載されたものである。日高先生は2009年11月14日に亡くなられたので、第2章の終わりの方は、もう闘病生活に入られてからのものではないかと思う。
 第1章は、日高先生の目を通して見た動物たちの暮らしぶりがエッセイとしてまとめられたものである。日高先生が書かれた動物の暮らしぶりを子どもの頃に読んでこの道に足を踏み入れた研究者も多いのではないかと思うが、これまでに書かれた動物に関するエッセイと同じような書き方がされている。ちょっと気になる動物の変わった暮らし方にはそれなりの理由があるのだ、ということが書かれている。
 第2章は、第1章より取り扱われている範囲が広く、自然観や地球環境についてもふれられている。地球温暖化関して、京都議定書や二酸化炭素排出権取引についての懸念が書かれており、これについては養老孟司氏や池田清彦氏と同様の立場だと思われるが、書き方はかなり控えめである。『ぼくにとっての学校』では、日高先生の本音と思われることがかなり強い調子で書かれていたので、死が見えてきたと思われるこの時期に、こんなに控えめに書かなくてもよかったのではないかと思われるのだが、本書が書き下ろしではなく、新聞の連載だったからなのかも知れないし、こういう書き方をすることが日高先生の「格好良さ」なのかも知れない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

池田清彦著『やがて消えゆく我が身なら』

池田清彦著『やがて消えゆく我が身なら』
角川書店
ISBN4-04-883910-1
1,300円+税
2005年2月25日発行
249 pp.

目次
人は死ぬ
人生を流れる時間
がん検診は受けない
親はあっても子は育つ
人はなせ怒るのか
未来のことはわからない
人はどこまで運命に抗えるか
自殺をしたくなったら
強者の寛容について
病気は待ってくれない
働くということ
親の死に目
老いらくの恋
子どもとつき合う
今日一日の楽しみ
グロ−バリゼーションの行方
趣味に生きる
アモク・シンドローム
食べる楽しみ
不治の病を予測する
自然保全は気分である
人間を変える
老いの悲しみ
病気は人類の友なのか
プライバシーと裁判員制度
自己責任とは何か
「氏」と「育ち」
明るく滅びるということ
身も蓋もない話
ぐずぐず生きる
あとがき

 2002年5月から2004年10月まで「本の旅人」に連載されたエッセイを加筆・訂正したものである。
 池田氏は1947年生まれだから、本書に掲載されている文章が書かれたのは、池田氏が55歳から57歳ぐらいにかけての時期のものである。それにしては、やけに開き直っているというか、悟っているというか、思い切ったことが書かれている。まるで、養老孟司氏のような本格的な年寄りが書いたもののように思える。
 ぼくも40歳を過ぎたあたりから、体のあちこちにガタが来たのが自覚できるようになり、しょっちゅう「調子が悪い」などと口走っているが、「人はどんな時でも、体の調子などウジウジ考えずに今一番大事だと思うことをすべきである。」と言い切っているのを読むと、まあ確かにそうかも知れないが、そういうわけにもいかないのよね、と言いたくなる。あと5年もすれば、池田氏がこの文章を書き始めた歳になるが、ぼくもその時にはそういう気持ちになれるのだろうか。
 本書に限らないが、池田氏のこのての本は、リバータリアニズムを強く感じさせられる。池田氏は「左翼からは右翼と呼ばれ、右翼からは左翼と呼ばれ、普通の人からはただ過激なだけだと思われているようである。」と自己評価している。ぼくは池田氏を「ちょっと過激な発言だなぁ」と思うことが多いので、ぼくはその意味においては普通の人かも知れない。
 まあ、ちょっと過激な書き方がされているなぁ、と思う部分は多いが、書かれていることは物事の本質を突いたものが多いので、読めばそれなりの刺激になると思う。面白かった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年2月 | トップページ | 2010年4月 »