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2010年2月 5日 (金)

日高敏隆著『ぼくにとっての学校』

日高敏隆著『ぼくにとっての学校 教育という幻想』
講談社
ISBN4-06-209360-X
1,700円+税
1999年2月10日発行
237 pp.

目次
一章 ぼくにとっての学校
二章 成城学園生物部
三章 外国語
四章 ぼくにとっての大学
五章 大学教授の責任
六章 ぼくと動物行動学
七章 熱帯の林の中で
八章 日本動物行動学会
九章 魚の群れと民主主義
十章 大学を問う
十一章 文化とは何か
あとがき

 去年の秋に亡くなった日高敏隆先生の自伝的な本である。数年前に図書館で借りて一度読んだが、もう一度読みたくなってまた借りようと思ったら、図書館の書庫にしまい込まれていてしまっていた。それを書庫から出してもらって借りてきて読んだ。
 日高先生の著書のほとんどは生物、とくに動物に関するものであり、自分自身のことについて語られた著書は他には無いのではないかと思う。
 ぼくが日高先生を知ったのは『昆虫という世界』(朝日新聞社)で、東京農工大学におられた頃の著書だと思う。日高先生が書く文章は、引き込まれるように面白く、その後も日高先生の著書はいろいろ読んだ。ところが本書は、そのような著書とは全く異なった内容で、一見順風満帆の人生を歩まれてきたように見えた日高先生が、山あり谷ありの人生を歩まれてきたことを本書から知ることができる。
 普段は厳しいことを口にも態度にもお出しにならない日高先生だが、本書には日高先生の本音が書かれていると思った。書きぶりは穏やかだが、書かれている内容はなかなか厳しい。だが、どこまでもリベラルである。
 もうあの世に行かれてしまった日高先生だが、本書には日高先生の教育、学問、社会に対する理想像も描かれている。しかしながら、現実の世界で進んでいることは、日高先生が理想として描かれていたこととは反対方向に進んでいることが多いように思われる。亡くなられるとき、日高先生はどのようなことを考えておられたのだろうか?

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