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2010年2月

2010年2月28日 (日)

津波警報の影響

 次男坊、三男坊がそれぞれ高校、中学に進学するので、尾張一宮の実家の両親がお祝いを持って来てくれた。昼は近所の焼き肉レストラン(バイキングに非ず)で食事をして、家に戻って歓談していたところ、大津波警報が発令されたとの情報が入った。
 帰りのことがあるので、インターネットで鉄道の運行状況を調べたら、関西本線の四日市〜永和間が運転見合わせになっていた。永和の隣の弥富駅は、地下駅ができるまでは、旧国鉄で一番低いところにある駅として有名だったので、浸水の危険が予想され、その区間が運転見合わせになるのは納得できる。しかし、弥富の隣の桑名と四日市の間も運転見合わせというのは、どうも理由がわからない。それともう一つわからないのは、関西本線と近鉄名古屋線がほぼ平行して通っている弥富近辺では、関西本線よりも近鉄名古屋線の方が海に近いところを通っている。それなのに、近鉄の方は運転を見合わせていないようだった。
 そんな状況だったので、早く帰らないと帰れなくなるかも知れない、という話になり、両親はそそくさと帰宅することになってしまった。もちろん、近鉄を使ってである。
 幸い、近鉄は止まることなく、両親は無事に尾張一宮までたどり着いた。関西本線の四日市〜永和間はまだ止まっているようである。JRの方が基準が厳しいのか?

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2010年2月27日 (土)

第153回日本昆虫学会・第90回日本応用動物昆虫学会合同東海支部会講演会

 今日は午後から三重大学で開催された第153回日本昆虫学会・第90回日本応用動物昆虫学会合同東海支部会講演会に出かけた。自宅から自転車で出かけたが、気温は低くはないものの、風が強い。

講演
1. 長澤恵介・塚田森生(三重大院・生物資源)甲虫を誘引するAnnona属の花の香気成分とその時間的変化
2. 杉本健太朗・塚田森生(三重大院・生物資源)寄主転換しないトサカグンバイの相対翅長に対する温度・日長の影響
3. 水谷祐真・山田佳廣(三重大院・生物資源)不完全な自己寄生寄主認識能力を持ったクロハラカマバチの過寄生と子殺し戦略
4. 増田 実・山田佳廣(三重大院・生物資源)異なる寄主齢に対する寄生蜂セグロカマバチの性配分と寄主選好
5. 駒井綾香(岐阜大・応用生物科学)クロツブハダカアリの雄間闘争に関する研究
6. 河野勝行(野菜茶研)オオキベリアオゴミムシEpomis nigricansの生活史について
7. 後藤真理(岐阜大・応用生物科学)ギフチョウの遺伝学的集団構造に関する研究
8. 佐々木隆行・山岸健三(名城大・農)タイワンタケクマバチの分布拡大と生態
9. 小出哲哉・山口和広(愛知農総試)愛知県におけるモモのクワシロカイガラムシとウメシロカイガラムシの分布と発生予察
10. 戸田浩子(愛知農総試)静電噴口を利用したトマト栽培におけるタバココナジラミ防除技術の確立
11. 飯田博之(野菜茶研)タバココナジラミバイオタイプBとQの生理・生態的特徴

 せっかく地元で開催されるので、ぼくも発表することにした。データは全く不完全なものだが、とりあえずはこれまでに明らかにできたことを話した。
 大きく心を動かされた講演はなかったが、ギフチョウの遺伝解析の結果は面白いと思った。ギフチョウは朝鮮半島から日本に入って来て分化したと考えられているが、中国地方の個体群で遺伝的多様性が少ないという結果が得られたのは、多くの他の昆虫とは異なっている。はたして、真実や如何に、というところだ。
 静電噴口を利用した薬剤撒布も新しい技術として面白そうだと思った。噴霧器の噴霧口に帯電させるための装置を付けて、噴霧される薬液を帯電させ、作物に薬液を付着しやすくするするというものだ。農薬の使用量を削減できることは間違いない。
 講演会のあとは懇親会。会費はたったの百円だったので、ガツガツすることは無かった。会がお開きになったあとは、江戸橋の駅までゾウムシ屋のIさんと虫談義をしながら歩いた。このときには、風は止んでいた。

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2010年2月26日 (金)

バイキングレストランでの心得

 バイキングレストランで「元をとる」方法を特集する、というテレビ番組の予告を見ていた中学生の次男坊が、「バイキングで元をとろうとするのはおかしい。バイキングでは好きな物を好きなだけ食べるのが良い。」と言った。
 そのとおりである。次男坊の言うことは正しい。
 しかし、公務員準拠の安月給では、バイキングレストランに入ると、ついつい元をとろうと思っちゃうのよね。悲しいことに。
 次男坊よ、大きくなったら、好きな物を好きなだけ食べるだけの給料を稼ぐようになってくれ。期待しているからね。

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2010年2月25日 (木)

2010年・今年もスギ花粉の季節到来か?

 昨日から暖かい。春近し、という雰囲気だ。
 それと並行するように、顔が腫れぼったくなり、目がしょぼしょぼするようになった。どうやらスギ花粉が飛び始めたらしい。職場の近くの山は一面スギとヒノキの植林だ(だから山に登ってもちっとも面白くない)。今日は南東から風が吹いていたからそれほどでもなかったと思うが、西から風が吹いたらさらに状況が悪くなりそうだ。

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2010年2月24日 (水)

暖かい日・・・ウヅキコモリグモが走り回る

 今日は毎週一回の調査の日だった。晴れていて風もなく、気持ちが良い。
 冬の間もずっと観察していたのだが、半月ぐらい前からウヅキコモリグモが成体になったのが見つかるようになっていた。今日は気温も上がっていたので、活動している個体も多く、畑の中を歩くと、チョロチョロ走り回るウヅキコモリグモがたくさん見つかった。
 春は近くなったという実感はあるものの季節的にはまだ冬だ。ウヅキコモリグモは冬の間も活動を休止することなく成長を続けて、まだ本格的な春になる前に成体になる個体も多いようだ。今は成体や亜成体が多いが、ずっと小さな個体も見つかるので、ウヅキコモリグモには決まった越冬態や周年経過があるわけではないようだ。
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2010年2月22日 (月)

ネチとは何ぞや?

 今日、職場に農家の人がやってきて、「アブラムシにスミチオンをかけても死なないのでどうしたら良いのか」と質問した。さらに「ネチがたくさん付いて困る」とも。「ネチ」というのは聞いたことがないので、「どんな虫ですか?」と訊いたのだが、「小さくて、緑色で・・・」と、あまり要領を得ない説明だった。とりあえず現物を持ってきてもらえばわかるだろう、ということで、現物を持ってきてもらうことにした。
 すると、「ネチ」というのは何のことはないアブラムシのことだった。となれば、この農家さん、「ネチ」をアブラムシとは別のものと認識していたことになる。何をもって別のものと認識していたのか、大きな疑問が残った。

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2010年2月21日 (日)

養老孟司・竹村公太郎著『本質を見抜く力』

養老孟司・竹村公太郎著『本質を見抜く力−環境・食料・エネルギー』
PHP新書 546
ISBN978-4-569-70194-3
760円+税
2008年9月30日発行
245 pp.

目次
まえがき 養老孟司
第一章 人類史は、エネルギー争奪史
第二章 温暖化対策に金をかけるな
第三章 少子化万歳!−小さいことが好きな日本人
第四章 「水争い」をする必要がない日本の役割
第五章 農業・漁業・林業 百年の計
第六章 特別鼎談 日本の農業、本当の問題(養老孟司&竹村公太郎&神門善久)
第七章 いま、もっとも必要なのは「博物学」
あとがき 竹村公太郎

 養老孟司氏と竹村公太郎氏の対談である。第六章は農業経済学が専門の明治学院大学経済学部教授の神門善久氏が加わった鼎談となっている。
 竹村公太郎氏は河川行政畑を歩いてきて、国土交通省の河川局長まで務めた人であるが、本書の読む限りにおいて、様々なデータをもとに、環境問題をはじめとする、様々な問題について考察してきた人だと言うことがわかる。養老孟司氏については、あらためて説明する必要もないと思う。第六章に登場する神門善久氏は『日本の食と農』(NTT出版)で2006年にサントリー学芸賞、2007年に日経BP・BizTech図書賞を受賞した人である。
 あとがきで竹村氏は、文明は下部構造と上部構造で構成されていて、下部構造は安全、食料、エネルギー、交流の四つの柱からなっていて、その上に政治、経済、産業、法律、学問、宗教、医学、芸術、スポーツなどのすべての人間活動からなっていると捉えていると述べているが、本書では、下部構造をしっかり見通す力を持つことが重要であるということが、対談によって明らかにされている。
 環境、食料、エネルギーのいずれの問題についても、人文科学的に実体のない概念だけで考えるのではなく、自然科学的にモノに立ち戻って考えることが、本質に近づくために必要であるということが述べられていると感じた。政治や経済についても、自然科学的にモノを理解している人が動かしていないことが問題である、と述べられているが、そのとおりだと思う。しかし、人間の活動が本格的に困るようになるまで、そのようなことが理解されるようになるとは思えないので、将来は暗いように思える。
 第六章では神門善久氏が加わって農業の問題が語られているが、ぼくの知らないことと言うか、普段気にしていなかったことに多くの病理を抱えていることが語られていて、自分自身反省すべき点が多いと感じさせられた。要するに、ぼくは「農業に被害を与える害虫の問題を、いかに環境に負荷を与えずに解決するか」という狭い問題の中だけに閉じこもっていて、農業全体の問題を理解していない、ということだ。片手間農家や農地持ち非農家のような「農家らしからぬ農家」の問題は、ぼくの普段の仕事の中でも意識しておかなければいけないと感じた。神門氏の『日本の食と農』は、今後読むべき本として記憶しておかなくてはならないと思う。

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2010年2月20日 (土)

池田清彦著『がんばらない生き方』

池田清彦著『がんばらない生き方』−「だましだまし」、「ほどほど」、「いいかげん」、「肩肘はらず」に楽しく生きる52の提言
中経出版
ISBN978-4-8061-3284-4
1,100円+税
2009年1月30日発行

目次
はじめに
第1章 がんばらない生き方
第2章 カネや「欲」と上手に付き合う
第3章 人生の「楽しみ」を生み出すには
第4章 世間の「常識」に惑わされない
第5章 「老い」も「介護」もほどほどに考える
おわりに

 一言で言えば、池田清彦氏の人生哲学が語られている本である。
 今の世の中、「ほどほどに生きる」ということがなかなかしづらいのであるが、本書は「ほどほどに生きる」ためのコツを教えてくれる。
 書かれていることは、「もっともだ」と思われることが多いのだが、それを自分に当てはめてみると、なかなかそうもいかない部分も多い。それだけ、自分が世の中に囚われているということだろう。
 まあ、本書を読むことで、気が楽になることも多いので、人生に悩んでいる人には読む価値があるように思える。

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2010年2月19日 (金)

池田清彦著『底抜けブラックバス大騒動』

池田清彦著『底抜けブラックバス大騒動』
つり人社
ISBN4-88536-531-7
1,200円+税
2005年5月1日発行

目次
まえがき
第1章 外来種駆除と生物多様性保全は何のため?
第2章 日本の川とか湖は畑みたいなもの
第3章 多様性保全なのかナチズムなのか
第4章 利権のためのしか思えない外来種駆除
第5章 これは科学の問題ではなく政治の問題
あとがき
コラム
 外来種か移入種か
 和歌山のタイワンザル問題
 特定外来生物被害防止法の概要
 本文注釈

 同じ問題を扱っている植村誠著『ぼくがバス釣りをやめた理由』と比較する意味もあり、それに続けて読んでみたが、『ぼくがバス釣りをやめた理由』よりも遥かに論理的に書かれていると思った。
 全体がQ&A形式で書かれており、ある疑問に対して池田氏がそれに答える形になっている。ブラックバスが表題になっているが、話題はブラックバスに限らず、広く外来生物について扱われている。池田氏自身は釣りはやらないので(昆虫採集は大好きだが)、ブラックバスについての考え方は釣り人の側に偏ることなく、中立的な考えが述べられていると思った。
 池田氏の考え方は、環境保全原理主義に対しては批判的であり、説得力は高いと思った(と、こう書くと、環境保全原理主義的な考え方をしている人から批判されそうだが)。ただ闇雲にブラックバスを捕獲しても、ブラックバスは勝手に殖えるわけだから、根絶できる見込みのない場所でのブラックバスの駆除活動は、駆除活動に関わる人の気持ちはわからないわけではないが、エネルギー的に見てもコスト的に見ても無駄なことだと思う。ぼく自身、ブラックバスの駆除活動に関わっている人を個人的に少し知っているが、手弁当でそういう活動をすることには頭が下がる。でも、やっぱりあまり論理的ではないなぁ、と思う。
 ブラックバスが日本の生態系に与える影響は大きいと思うが、それはブラックバスが外来種であるという理由ではなく(ニホンジカのように、在来種でも問題になっているものは問題になっている)、日本の生態系にはブラックバスが定着しやすいようなニッチェがあったのだと解釈するのは妥当だと思う。「ブラックバスを駆除すべし」という主張が科学的なものではなく、政治的なものだという池田氏の主張は正当だと思われる(と、こういうことを書くと、保全生態学に関わっている多くの科学者からは批判を浴びそうだが)。

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植村誠著『ぼくがバス釣りをやめた理由』

植村誠著『ぼくがバス釣りをやめた理由』
大月書店
ISBN4-272-61212-3
1,500円+税
2003年9月12日発行

目次
プロローグ−2030年の日本
第1章 日本中がバスだらけ!?
 バスフィッシングにハマった
 バスってどういう魚?
 魚は人間のために行きているんじゃない
 キャッチ&リリースはなんのため?
 段階的バス利用について思うこと
 子どもにやらせる?
第2章 バス釣りには不思議がいっぱい
 おかしなバス釣り場ガイド
 バスプロはヒーローになれるか?
第3章 バス不歓迎!
 コクチバスとブルーギル
 漁業活動とバス駆除の戦い
 北海道への上陸を阻止せよ!
第4章 楽しく遊ぶために・・・
 バス釣りは恥ずかしい?
 BASS FISHINGU, GO HOME!
 エピローグ−2030年の憂うつ
あとがき
主な参考文献

 外来生物であるブラックバスの問題を扱っているが、あまり論理的ではなく、感情論に留まっているように思われた。
 本来棲息していないはずの場所でバス釣りをすべきでない、ということが繰り返し書かれているが、現にバスが棲息している場所ではバス釣りができるわけだし、ほっておいてもバスが居なくなるわけでもないから、説得力がないように思われる。
 いまバスが棲息していない場所にバスを放すことは論外だと思うが、本来バスが棲息していなくても、いまバスがいる場所では、キャッチ&リリースをせずに、釣り上げたバスを持ち帰れば、それでいいのではないかと思う。もちろん、バスは生き物だから、少しぐらい釣り上げて減らしたとしても、また殖えてしまうだろうが。まあ、それはそれで仕方がないと思う。本格的にバスを減らすには、池の水を抜くなどして、完全に根絶することが必要だと思われるが、そんなことは小さな池では可能でも(とは言え、そのコストを誰が負担するかは問題だ)、琵琶湖をはじめとする大きな湖では到底不可能であると思われるので、今後は「バスが棲息している」という前提条件で物事を考える必要があると思う。
 釣り人の立場からのブラックバスに関する考え方を知らなかったので、本書はそれを知る良い機会になったと思う。

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池田清彦著『人はダマシ・ダマサレで生きる』

池田清彦著『人はダマシ・ダマサレで生きる』
静山社文庫
ISBN978-4-86389-008-4
684円+税
2009年11月5日発行

目次
はじめに
I 世間は騙しで満ちている
 ルールを守れる人、破れる人
 いい数字、騙しの数字
 効率的システムに踊らされて
 「きれい」で「汚い」世界
II 環境ごっこ
 温暖化というトリック
 エコのまやかし
 法律は金ヅル
III ペテンの国家
 騙す力=先を読む力
 官僚のペテン力
 教育改革はムダ
 まやかしの市場原理主義
 どうする「チャイナ・スタンダード」?
 騙される幸せ
IV 騙しがあるから人間
 お利口で馬鹿
 働きながら怠けもの
 獰猛な農耕民族、おとなしい狩猟民族
 生も死も騙し合い

 またまた池田清彦である。本書は書き下ろしだが、書かれている内容は『そこは自分で考えてくれ』と通じるところがある。
 あまり考えるということをしないで生きていると、ついつい「おかしいこと」を見落としがちである。世の中には「おかしいこと」が満ちあふれているが、本書は「おかしいこと」をいろいろ気付かせてくれる本だと思った。「おぼこい」ぼくにとっては、大変勉強になる。
 かなりいいかげんに書かれている部分もあるとは思うが、基本的な考え方は間違っているわけではないと思う。
 ところで、団まりな氏の著書を読んで、団まりな氏が構造主義生物学という言葉は使っていないものの構造主義生物学的な考えを持っているらしいと気付いていたが、本書の中で池田氏が団まりな氏を尊敬しているような表現があったので、なるほど、と思った。

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2010年2月18日 (木)

2010年・ウグイス初啼き・モンシロチョウ初見(?)

 毎週恒例の調査は水曜日だが、今週は出張だったため今日にずれ込んだ。
 今日は、気温はそれほど高くなかったが、晴れていい天気になった。9時頃、最初の調査地点に着くと、ウグイスの鳴き声が聞こえた。今年の初啼きの確認だ。いよいよ春が来た、という感じになる。
 3か所の調査地点を回って職場に帰る途中、職場から1kmほどに近づいた頃、時刻にして11時頃だったが、白い蝶が飛ぶのが見えた。確かに今日は天気が良いが、このところずっと気温は低めだったので、白い蝶が見えたのは意外だった。春早く見られる白い蝶と言えば、モンシロチョウかモンキチョウの白色型のメスだが、飛び方から判断する限り、今日見た白い蝶はモンシロチョウだと思われた。

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2010年2月17日 (水)

東京へ出張・・・東京は寒かった

 月曜日から、某プロジェクトの評価会議で東京霞ヶ関に出張だった。こちらは評価される側だ。来年度以降の予算に影響が及ぶ重要な会議だ。ということで、行く前は憂鬱だったが、終わったらさすがにホッとした感じだ。
 しかし、それにしても東京は寒かった。昨日の夜は雪もちらついたし。
 行き帰りの列車の中やホテルでは本をけっこう読んだ。2冊と約1/3。読後感はいずれこのブログに書きたいと思う。
 今日は、新幹線から「快速みえ」への乗り継ぎ時間に余裕があったので、その時間を利用して、名古屋駅西口の地下街エスカにある「想吃担担面」に行った。今日は「汁ありひき肉のせ」+杏仁豆腐で950円也。

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2010年2月14日 (日)

池田清彦著『寿命はどこまで延ばせるか?』

池田清彦著『寿命はどこまで延ばせるか?』
PHPサイエンス・ワールド新書 004
ISBN978-4-569-77207-3
800円+税
2009年10月2日発行

目次
はじめに
第1章 寿命の起源—生命のはじまりはどこにあるのか
生命の起源についての諸説;代謝システムと遺伝;生物はいかに進化していったのか?;寿命はなせあるのか
第2章 生物にとって寿命とは何か—寿命をもつことの損得
ゾウリムシに寿命はあるのか;減数分裂とは何か;無性生殖と有性生殖と寿命の関係;アポトーシス(細胞のプログラム死)とは何か
第3章 ヒトの寿命は何で決まるのか
分裂細胞の寿命は決まっている;長寿を妨げる要因—病気になりやすい遺伝子;老化をもたらす要因とは
第4章 ヒトの寿命は延ばせるか
がんを予防する生物学的発想;老化を遅らせる方法;人体システムの改造計画
第5章 長寿社会は善なのか
平均寿命があと二十年延びたら?;不老不死の未来社会を空想する

 第1章から第3章までは、これまでに得られているヒトの寿命に関係する生物学的な知見に関する解説である。池田氏は生命科学に直接関わっている人ではないので、すべて他の研究者などの成果を引用したものであるが、おそらくほぼ適切にまとめられていると思う。
 第4章では、第3章までに書かれたことをもとに、ヒトの寿命を延ばす可能性について考察されている。
 第5章は、もしヒトの寿命が延びたら、という仮定での池田氏の空想である。ここでの空想はSFショートショートのようなものだが、池田氏が、長寿社会はかならずしも人類にとって幸福なものではない、と想像していることがわかる。
 現代でも寿命が延びつつあるが、それによって新たに生じた問題はたくさんある。池田氏のような極端なことを想像しなくても、長寿社会が決して望ましいものではないことはわかる。でも、長生きしたいと思っちゃうのが人間なんだよね。

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2010年2月13日 (土)

冬季オリンピックで思い出すこと

 今日(現地時間では12日)、バンクーバーオリンピックが開幕した。冬季オリンピックというと色々なことが思い出される。
 1972年の札幌大会。ぼくは小学生だった。まだ何も考えずに、日本選手を応援していた。この時代は、まだ昆虫採集に対する規制は今ほど多くなかったと思う。
 1998年の長野大会。このときは、大会の開催に反対する考え方を持っていた。
 スキーのアルペン競技の会場となった白馬村は、ギフチョウの有名な産地だったが、その採集は条例によって規制されていた。「環境の保護」という名目である。ところが、オリンピックの開催となると、この「環境の保護」はどうでもよくなってしまったらしく、昆虫採集の規制までして保護していた場所を地形を改変してまでもその会場としてしまった。それが、ぼくが大会の開催に反対する最大の理由だ。今、現地のギフチョウがどのような状態になっているか知らないが、おそらく採集の規制の条例は残っているのではないかと想像している。ギフチョウが居るかどうかに関係なく。
 ギフチョウなど、居るところにはたくさん居るので、白馬村のギフチョウにこだわることもあまりないのだが(とは言え、白馬村のギフチョウには「イエローバンド」と呼ばれている、縁毛が全部白色になる変異型が高い頻度で出現する)、昆虫採集家を閉め出してきた場所を、環境を改変してまで(環境を改変することは、単に採集することよりもギフチョウに大して大きなインパクトを与える)オリンピックの会場に提供した措置には矛盾を感じざるをえない。
 以来、オリンピックに対しては褪めた目で見るようになってしまった。
 オリンピックはHomo sapiensの単なるお遊びに過ぎない。別にオリンピックがあろうな無かろうが、Homo sapiensの生存にとって何の意味も無いし、オリンピックで選手がいくら活躍しようが、それを見ている人の体力や技術が向上するわけではない。日本でテレビを見ていても、日本人中心で競技の様子が放映されるだけだし、国別のメダルの数を競って、つまらないナショナリズムを感じるだけだ。
 単なるお遊びであると思われることを行うために環境に対して悪い影響を与えることを行うには、それなりの理由付けが必要だと思うが、これまで正当な理由付けは行われてこなかったように思える。何が何でも環境を保全する、という環境原理主義に走るつもりはないが、環境を改変するためには、正当な理由付けが必要だと思う。オリンピックというだけでは、正当な理由にはならないと思う。
 昆虫採集を行うことは、それ自体、環境に対して多少のインパクトを与えるが、昆虫採集を行うことによって得られる情報は少なくない。自然のことを知ろうと思ったら、実際に調べてみなくてはわからないし、昆虫採集はそのために役立っていると思う。
 と書いてみたところで、昆虫採集を楽しみとする人間は所詮マイノリティーである。マイノリティーの意見は、今の世の中では配慮されることはほとんどない。
 と、こんなことを考えながら、今年のバンクーバーの会場も、(会場になる場所の環境の改変については何も報道されないので想像するだけだが)無駄な自然破壊が行われて作られているのだろうな、と思いながら褪めた目で見ている。

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2010年2月11日 (木)

福岡伸一著『できそこないの男たち』

福岡伸一著『できそこないの男たち』
光文社新書371
ISBN978-4-334-03474-0
820円+税
2008年10月20日発行
285 pp.

目次
プロローグ
第一章 見えないものを見た男
第二章 男の秘密を覗いた女
第三章 匂いのない匂い
第四章 誤認逮捕
第五章 SRY遺伝子
第六章 ミュラー博士とウォルフ博士
第七章 アリマキ的人生
第八章 弱きもの、汝の名は男なり
第九章 Yの旅路
第十章 ハーバードの星
第十一章 余剰の起源
エピローグ

 表題から本書の内容について様々なことが想像される。安っぽい小説のようにも見えないことはない。が、本書は生物学とその歴史について書かれたものだ。
 本書の内容は、生物の基本的な性は女であり、男が女になるべくプログラムされた発生の途中段階で改変されたことによって生じた性であることが明らかにされた過程が、自分自身の体験や様々なドラマを交えてエキサイティングに語られたものである。生物学的な内容を、専門用語を用いてではなく、なるべく普通の言葉で語ろうとしている意図が見える。
 性決定遺伝子の同定をめぐる研究者間の競争など、ワクワクさせられるとともに、分子生物学の世界は厳しいものだと実感させられる。
 他の福岡氏の著書にも書かれていたが、福岡氏は昆虫少年であったことが、本書でも告白されている。福岡氏は大学で昆虫学を専攻しようとしようとしていたと思う。ぼくも昆虫学を学ぼうと、福岡氏と同じ大学を同じ年に受験したことになる。福岡氏は食品工学科を卒業しているので、昆虫学の講座のある農林生物学科に入学できなかったということである。ぼくも入学試験の成績が足りず、農林生物学科には入学できず、想定外の畜産学科に回されたのはショックだった。入学した学科が別だったので、ぼくと福岡氏は面識はないが、同じような境遇だったことから、何か親近感を感じさせられる。その後福岡氏はぼくとは異なり、入学した学科で学ぶべきことを受け入れて分子生物学という世界に進んだ。ぼくは当初の望みを捨てられず、転学科の希望を出したところ、運良く転学科を認められて、昆虫学を学ぶことができた。本書の中で、福岡氏の学生時代の生活についても語られているが、生化学系の実験は忍耐の連続で、ぼくにはとても耐えられないもののように思われる。福岡氏はそれをくぐり抜けていった。そしてエキサイティングな経験をした。
 福岡氏は昆虫についてかなりの知識を持っていたはずだが、第七章の「アリマキ的人生」で語られているアリマキの生活環に関する記述は、やや正確性に欠けるところもあると思った。「アリマキ」という名称も今風ではない。今なら「アブラムシ」だ。昔はゴキブリのことも「アブラムシ」と呼んでいたので、「アリマキ」の方が誤解がないのかも知れないが、今はゴキブリのことを「アブラムシ」と呼ぶ人は少なくなっているのではないかと思う。
 アブラムシの生活環は昆虫の中ではかなり複雑だ。本書の中でも書かれているように、環境条件の良い春から夏にかけては、メスだけで仔虫を産んで増える。秋深まると、オスと卵を産むメスを作り出して、交尾をして卵が産まれ、その状態で厳しい冬をやり過ごす。春になって卵から産まれたアブラムシはすべてメスになり、交尾をせずにメスになる仔虫を産む。
 本書の中で全く触れられていないことに、膜翅目(ハチ、アリの仲間)の性決定様式がある。膜翅目はメスは二倍体で、オスは受精していない卵から発生した半数体である。本書で語られていることは、Y染色体にある性決定遺伝子であるSRYによって、メスになったはずである体がオスに作り替えられるということだ。膜翅目にみられる半数倍数性の性決定様式は、「オスができそこないである」ことは確かにそう言えそうであるが、オス化遺伝子の存在を想定したものからは説明できないように思える。実際はどのようになっているのか、どこまで明らかになっているのか、気になるところだ。
 ま、それはともかく、他の福岡氏の著書と同様に、本書も福岡氏の人を惹き付けるような文章の巧さに舌を巻いた。常に「次はどうなるのだろうか」とワクワクしながら読み進むことができた。お勧めの一冊。

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2010年2月10日 (水)

キャベツがムクドリに襲撃された

 明け方に雨が降ったようだったが、出勤する頃には晴れ間が見えていた。今朝は暖かかったようで、通勤のバイクに乗っていても寒さを感じない。晴れていたが、空はぼんやりとしていて、まるで春のようだった。
 今日は恒例の週に1回の調査の日。陽も射し、風もなく、絶好の調査日和だった。最初の調査場所に着いたのは9時ごろ。
 調査場所に着いたら、キャベツの畑にムクドリの集団が来ていた。車を降りると、一斉に飛び立ち、どこかへ行ってしまった。キャベツの近くに行ってみると、ムクドリに食い荒らされてキャベツがひどい状態になっていた。先週の調査のときにも、外葉には食害された痕があったが、今日は玉になっている部分まで食い荒らされていた。この後で別の場所のキャベツ畑も見てみたが、こんなにひどい状態ではなかった。この畑は山に近く、鳥が多く見られるのは確かだと思うのだが、こんなに集中的に攻撃を受けるとは、何かムクドリにとって魅力的なものがあったのかも知れない。
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 午後からは曇ってきて、夕方からは雨が降った。暖かい雨だった。

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2010年2月 8日 (月)

経が峰は・・・・・白くなかった

 週末の土曜日には昼間に雪が舞っていたし、日曜日の朝には家の庭にもうっすらと雪が積もっていたので、今朝の出勤のときには経が峰が白くなっているのが見られるのではないかと期待していた。
 が、しかし・・・・・白くなかった。
 経が峰の左奥に見える青山高原や、右手前方遥か向こうの鈴鹿の山は白くなっていたが。

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2010年2月 7日 (日)

石垣島近海で地震が起こったらしい

 炬燵に入って本を読みながらNHKのFMラジオを聴いていたら、突然音楽が止み、地震に関する放送に切り替わった。
 それによると、15:10頃、石垣島の近海でマグニチュ−ド6.6の地震が起こって津波注意報が発令されたとのことだ。多良間島、石垣島、西表島、与那国島などで震度3とのことだ。
 この数字だけ見れば大した地震のようには思えないが、普段の放送を中断して長々と30分以上も地震に関する放送をしている。おそらく1771年4 月24日(明和8年3月10日)に石垣島近海で発生した地震による明和の大津波のことが影響しているのだろう。この地震の震度は大したことは無かったのだが、大きな津波で多数の人が亡くなり、消滅した集落もいくつかある。
 ぼくが石垣島に住んでいた頃、何年のことだか憶えていないが、5月の連休の最中だったと記憶しているが、震度3の地震が起こり、津波注意報が出されたことがある。そのときは、多少の潮位の変動はあったものの、津波は観測されなかったように記憶している。

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福岡伸一著『もう牛を食べても安心か』

福岡伸一著『もう牛を食べても安心か』
文藝春秋 文春文庫 416
ISBN4-16-660416-3
720円+税
2004年12月20日発行
242 pp.

目次
はじめに−狂牛病が問いかけたもの
第一章 狂牛病はなぜ広がったか−種の壁を超えさせた“人為”
 【コラム1】狂牛病をBSEと呼ぶべきか?
 【コラム2】海綿(スポンジ)状脳症に共通的な特徴
 【コラム3】もう一つのヤコブ病−日本発、薬害ヤコブ病事件
第二章 私たちはなぜ食べ続けるのか−「動的平衡」とシェーンハイマー
 【コラム4】タンパク質代謝の研究前史
第三章 消化するとき何が起こっているのか−臓器移植、遺伝子組み換えを危ぶむ理由
 【コラム5】科学実験の失敗をめぐる判断の難しさ
第四章 狂牛病はいかにして消化機構をすり抜けたか−異物に開かれた「脆弱性の窓」
第五章 動的平衡から導かれること−記憶は実在するのだろうか
 【コラム6】グルタミン酸をとると頭がよくなる?
第六章 狂牛病病原体の正体は何か−未知のウィルスか、プリオンタンパク質か
第七章 日本における狂牛病−全頭検査緩和を批判する
 【コラム7】エライザ法とウェスタンブロット法
おわりに−平衡の回復
主な参考文献

 狂牛病は大変な騒ぎになったが、このところ狂牛病にまつわる話を耳にすることはほとんどなくなった。喉元過ぎれば何とやら、であろうか。それとも、しっかりと検査体制が敷かれることになって、問題とならなくなったのであろうか。
 本書の著書である福岡伸一氏が狂牛病に関する発言をしていることは知っていたが、これまでに著書を読むことはなかった。しかし、最近福岡氏の著書を何冊か読んだことにより、福岡氏の生命や環境に対するモノの見方には共感する部分が多いので、いささか時期外れの話題かと思ったのだが、福岡氏の狂牛病に関する著書を読んでみることにした。本書が書かれたのは2004年。アメリカからの牛肉の輸入が、まだ止まっていた時期だと記憶している
 福岡氏は本書に限らないが、後の著書の表題ともなっている、ルドルフ・シェーンハイマーによる『動的平衡』の考え方に重きを置いている。万物は原子の流れの中に作られたよどみ、あるいは結び目のようなものに過ぎない、という考え方である。
 本書は、狂牛病の問題点がどこにあるのか、ということを生物学的、政治的、経済的な側面から指摘したものであるが、その中で『動的平衡』の考え方についても、かなり詳しく説明している。
 狂牛病の問題点の一つとして、人間の都合だけで生物を操作し「効率的な」システムを作ったことにある。「効率的な」システムは、目先の効率だけを見たもので、生命現象としてとらえれば、実は無理があったシステムであった。栄養価が高い肉骨粉は本来子牛が食べるべきものではなかったのである。
 (アメリカ政府から圧力がかかったと言われている)検査体制の緩和についても、強い口調で批判している。ぼくなりに理解したところでは、特定危険部位を取り去れば安全というものではなく、特定危険部位とされている脳、脊髄、脊柱、遠位回腸などは病原体が集積しやすい場所というだけで、それ以外の場所でも低い濃度ながら病原体が存在しており、特定危険部位を検査すればより確実に病原体を検出できる、ということのようである。福岡氏は、全頭検査しなければ、検出から漏れた病原体が広がってしまう危険性も指摘している。また、全頭検査すれば、未だに全貌が明らかになっていない狂牛病の本質に、少しでも近づくことができることを指摘している。若い牛を検査から除外してしまった場合の危険性もまた指摘の対象となっている。狂牛病が人為による事故であることも指摘しており、全頭検査すれば、狂牛病が広がる可能性を確実に下げることができるとも指摘している。
 結びでは、福岡氏の生命や環境に対する考え方が書かれているが、自然を無理に改変したらそのしっぺ返しが来るという点は、ぼくには大いに同意できるところである。

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2010年2月 5日 (金)

日高敏隆著『ぼくにとっての学校』

日高敏隆著『ぼくにとっての学校 教育という幻想』
講談社
ISBN4-06-209360-X
1,700円+税
1999年2月10日発行
237 pp.

目次
一章 ぼくにとっての学校
二章 成城学園生物部
三章 外国語
四章 ぼくにとっての大学
五章 大学教授の責任
六章 ぼくと動物行動学
七章 熱帯の林の中で
八章 日本動物行動学会
九章 魚の群れと民主主義
十章 大学を問う
十一章 文化とは何か
あとがき

 去年の秋に亡くなった日高敏隆先生の自伝的な本である。数年前に図書館で借りて一度読んだが、もう一度読みたくなってまた借りようと思ったら、図書館の書庫にしまい込まれていてしまっていた。それを書庫から出してもらって借りてきて読んだ。
 日高先生の著書のほとんどは生物、とくに動物に関するものであり、自分自身のことについて語られた著書は他には無いのではないかと思う。
 ぼくが日高先生を知ったのは『昆虫という世界』(朝日新聞社)で、東京農工大学におられた頃の著書だと思う。日高先生が書く文章は、引き込まれるように面白く、その後も日高先生の著書はいろいろ読んだ。ところが本書は、そのような著書とは全く異なった内容で、一見順風満帆の人生を歩まれてきたように見えた日高先生が、山あり谷ありの人生を歩まれてきたことを本書から知ることができる。
 普段は厳しいことを口にも態度にもお出しにならない日高先生だが、本書には日高先生の本音が書かれていると思った。書きぶりは穏やかだが、書かれている内容はなかなか厳しい。だが、どこまでもリベラルである。
 もうあの世に行かれてしまった日高先生だが、本書には日高先生の教育、学問、社会に対する理想像も描かれている。しかしながら、現実の世界で進んでいることは、日高先生が理想として描かれていたこととは反対方向に進んでいることが多いように思われる。亡くなられるとき、日高先生はどのようなことを考えておられたのだろうか?

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2010年2月 4日 (木)

養老孟司・岸由二著『環境を知るとはどういうことか』

養老孟司・岸由二著『環境を知るとはどういうことか 流域思考のすすめ』
PHPサイエンス・ワールド新書 003
ISBN978-4-569-77305-6
800円+税
2009年10月2日発行
212 pp.

目次
まえがき 養老孟司
第1章 五月の小網代を歩く 完璧な流域を訪れて
第2章 小網代はこうして守られた
第3章 流域から考える
第4章 日本人の流域思考
第5章 流域思考が世界を救う
第6章 自然とは「解」である
エピローグ 川と私 養老孟司
あとがき 岸由二

 岸由二氏については、氏の著書『自然へのまなざし ナチュラリストたちの大地』で認識を新たにさせられた。本書は、その岸氏と養老孟司氏(一部は竹村公太郎氏を含む)との対談である。
 岸氏の「流域思考」については『自然へのまなざし ナチュラリストたちの大地』を読んだことにより、既にその概略を知っていたが、本書では養老氏との対談という形で、「流域思考」による環境保全の実践や、それにまつわる苦労や、それを解決したことについて説明されている。対談という形ではあるが、主に語っているのは岸氏であり、養老氏はもっぱら聞き役である。
 本書では表題のとおり、環境を知るとはどういうことか、ということが、表面的ではなく、実践を通して得られた体験をもとに、足が地に着いた話として語られていると思う。「流域思考」という考え方は、この本で初めて知った、というようにな人にはとっつきにくいかも知れない。そういう人は、是非とも『自然へのまなざし ナチュラリストたちの大地』を読むことをお勧めする。

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吉村仁著『強い者は生き残れない』

吉村仁著『強い者は生き残れない 環境から考える新しい進化論』
新潮選書
ISBN978-4-10-603652-1
1,200円+税
2009年11月20日発行
251 pp.

目次
まえがき
第一部 従来の進化理論
 第一章 ダーウィンの自然選択理論
 第二章 利他行動とゲーム理論
 第三章 血縁選択と包括適応度
 第四章 履歴効果
 第五章 遺伝子の進化と表現型の進化
第二部 環境は変動し続ける
 第六章 予測と対応
 第七章 リスクに対する戦略
 第八章 「出会い」の保証
 第九章 「強い者」は生き残れない
第三部 新しい進化理論−環境変動説
 第十章 環境からいかに独立するか
 第十一章 環境改変
 第十二章 共生の進化史
 第十三章 協力の進化
 第十四章 「共生する者」が進化する
あとがき
参考文献

 ダーウィンの進化論の中心の一つである自然選択は、その環境に最も適したものがもっとも多くの子孫を残し、それがもつ形質が次世代以降に集団中に広がって行く、というものである。しかしながら、これには環境の変動という要素は考慮されていない。
 著者である吉村仁氏は、環境は変動するものである、ということを前提とすることにより、環境が変動しないものと仮定した上に成り立つ単純な自然選択からは得られない結果を予測している。結論としては、最も強い者ではなく、他者と協力できるものが最終的に生き残る、というものである。
 本書は、そのことを一般向けに説明しようと試みたものであると思われた。一般向きであるがためか、数式は最小限にとどめられており、生態学や進化学を学んだことのある人から見れば、説明がやや粗いように思われるのではないかと思う。
 著者には少年時代に昆虫採集をした「前科」があるようであるが、やはり吉村氏は理論派であり、ぼくのようにフィールド中心にモノを見ている人間から見れば、人からの借り物で物事を説明しようとしている部分が多々あり、示されている例が適切ではないと思われるものもあった。カメムシやテントウムシが集団で越冬することにより生存率を高めている、という説明があるが、これについてはまだ確かなデータをもって証明されているわけではないと思う。
 とは言え、本書を通しての論考を最終章の第十四章で人間社会へ当てはめていることは、おそらく的を外していないことであると思われる。利己的なものが得をしないような世の中になって欲しいものだ。

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2010年2月 3日 (水)

青山高原に雪・・・経が峰はまだ

20100203blog1
 今日の未明ぐらいに雨が降った形跡があったし、今朝はそれなりに寒かったので、経が峰が白くなっているのではないかと思ったが、経が峰の姿はいつもと同じだった。
 今日は毎週1回の調査で津市の旧一志町や旧久居市の地域に出かけたのだが、そちらから青山高原の方を見たら、青山高原のてっぺんは微かに白くなっていた。雪が積もっているらしい。でも、すぐに融けてしまうのだろうなぁ。

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