« 団まりな著『生物の複雑さを読む 階層性の生物学』 | トップページ | キャベツはやっぱり五角形 »

2009年12月13日 (日)

ヒョウモンチョウ類の衰亡について考えてみた

 一昨日の夜の三重昆虫談話会の有志によるサロンでヒョウモンチョウ類のことが話題の一つになった。出席者は中西元男、中村泰、乙部宏の各氏にぼくの4名。いつもよりちょっと少なめだった。
 ぼくは三重県のことはよく知らないが、全国的な傾向としてヒョウモンチョウ類が昔に比べると大変減っており、三重県も例外ではないそうだ。種類相についてもかなり変わってきているようだ。津市の市街地の西方にある青山高原では、昔はウラギンスジヒョウモンがたくさんおり、近縁のオオウラギンスジヒョウモンは比較的少なかったそうだ。ところが、最近ではオオウラギンスジヒョウモンは少ないながら見られるものの、昔たくさんいたウラギンスジヒョウモンは全く見られなくなってしまったそうだ。日本の大型のヒョウモンチョウ類の幼虫はすべて幼虫がスミレ類の葉を餌としているため、特定の種が急激に減少する理由はあまり思いつかない。細かく見れば、それぞれのヒョウモンチョウ類の食性は実際には狭く、それぞれの種が特定のスミレの種に依存していて、スミレ類の種構成が変わったという理由も考えられないわけではない。
 熱帯性のヒョウモンチョウ類であるツマグロヒョウモンが1990年代以降に急激に分布を拡大し、三重県の平野部で最優占するヒョウモンチョウ類になっていることは確かだが、これも一頃と比べると個体数増加の勢いは落ち、少なくなりつつあるようにも思える。
 三重県の話ではないが、オオウラギンヒョウモンについても話題になった。ぼくは福岡県久留米市に住んでいた1990年代半ばに、長崎県の大野原という自衛隊の演習地で採集したことがある。オオウラギンヒョウモンは大型で、特に雌では日本最大の大きさを誇るヒョウモンチョウ類だ。オオウラギンヒョウモンの雌を採集したときの喜びは格別のものがある。
 オオウラギンヒョウモンは、かつて東北地方から九州まで、全国的にかなり広く分布していたが、今でも確実に棲息しているのは、山口県の秋吉台や九州の数か所の自衛隊の演習地などの草原だ。この種は大型種である上に、幼虫がスミレ類の中でも、マスミレとその近縁種しか食べないので(タチツボスミレなどの仲間は食べない)、マスミレの仲間が多量に生えるような場所に分布が限られるのは納得できる話だ。
 このオオウラギンヒョウモンは三重県近辺では、1980年前後まで奈良の若草山や京都府南部の木津川の河川敷などで見ることができた(とのことだ)。ところが、若草山や木津川河川敷では1980年前後にほぼ同時に姿を消してしまった。河川敷は色々手が入れられるので、環境が変わって棲息できなくなったということは十分に考えられるが、手入れの仕方が変わってない若草山での消滅を環境の変化で説明するのは難しい。
 話が少し変わるが、進化は末広がりではなく先細りになっている、という考え方がある。河野和男氏などの主張だ。自然選択による進化は、不適になったものをふるい落とすだけで、新しい種を作ることはない、ということである。この考え方が正しいかどうかわからないが、自然選択だけで新しい種ができる可能性は極めて低いという考え方には賛同できる。
 そのように考えると、種(あるいは個体群)には寿命がある、と考えることができる。
 若草山と木津川河川敷は地理的にもそれほど遠くなく、かつては同一の個体群だった可能性が高いように思える。環境が変わったと考えられる木津川河川敷と環境が変わっていないと考えられる若草山のオオウラギンヒョウモンは元々同一の個体群であり、同時に「滅亡のスイッチ」が入ったと考えると、同時に消滅してしまった一応の理由付けにはなる。「滅亡のスイッチ」のメカニズムが何かはわからないが、その個体群が持つ遺伝的な劣化に関わる性質なども関係しているだろう。
 ・・・・・などと色々考えてみた。
 高橋敬一氏が言うところの「郷愁」なのかも知れないが、今までそこに居たものが居なくなると寂しいと感じるし、岸由二氏が「生物多様性とは生き物のにぎわいである」と言ったように、多様性が小さくなるのも寂しい。種が消滅してしまうのは、人間の業によるものでなければ、それはそれで仕方が無いと思うが、ヒョウモンチョウ類(だけでなく、その他の全ての生き物も)も長く生き続けてほしいものだと思う。

|

« 団まりな著『生物の複雑さを読む 階層性の生物学』 | トップページ | キャベツはやっぱり五角形 »

コメント

御出席ありがとうございました。

参加者は少なかったですが話題が分散せず濃い話ができましたね(^^;)

「郷愁」・・・・ 歳と重ねると振り返りたくなるもんですよ(笑)

投稿: シロヘリ | 2009年12月15日 (火) 20時50分

シロヘリさん、どうもです。
サロンでの雑談は、ぼくにとって大変貴重な時間です。
これからもよろしくです。

投稿: Ohrwurm | 2009年12月16日 (水) 22時00分

偶然にマスミレからこのブログを拝見しました。全く同感です。ここ、京都でも由良川の河川敷で1950年代の採集記録はあるものの、今ではオオウラギンの姿を見る事はありません。私はかつて一度だけ兵庫県の神鍋高原でメスを一頭採集した事があります。同様にウラギンスジも私の高校時代には普通にいたように記憶しているのですが、今では全く記録はありません。
 同じことがウラナミジャノメやヒメヒカゲ、クロヒカゲモドキなどでも言えるのではないかと思っております。滅亡した理由がよく分からないのです。
 よろしければメールにご返事いただければ幸いです。

投稿: 95 | 2017年4月25日 (火) 06時48分

95さん、お返事遅くなりました。
 チョウの衰退については、さまざまな憶測がありますが、一部を除き、決定的な理由がわからないものがほとんどだと思います。
幼虫の餌はもちろんのこと、成虫の餌や配偶場所など、棲息に必要な条件はたくさんあり、一部でも欠けると棲息できなくなるのではないかと思いますが、幼虫の餌以外はあまりわかっておらず、「どうして減ったのかわからない」という状況になっているのではないかと思います。
 様々な可能性を想定し、定点観測する必要があったと思いますが、もうそれも難しくなってしまった感じです。

投稿: Ohrwurm | 2017年6月 4日 (日) 08時28分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ヒョウモンチョウ類の衰亡について考えてみた:

« 団まりな著『生物の複雑さを読む 階層性の生物学』 | トップページ | キャベツはやっぱり五角形 »