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2009年11月 4日 (水)

三中信宏著『分類思考の世界 なぜヒトは万物を「種」に分けるのか』

三中信宏著『分類思考の世界 なぜヒトは万物を「種」に分けるのか』
講談社現代新書2014
ISBN978-4-06-288014-5
800円+税
2009年9月20日発行
328 pp.

目次
プロローグ 生まれしものは滅びゆく(2006年オアハカ、メキシコ)
第1章 「種」に交わればキリがない
第2章 「種」よ、人の望みの喜びよ
第3章 老狐幽霊非怪物、清風名月是真怪
第4章 真なるものはつねに秘匿されている
第5章 いたるところにリヴァイアサンあり
第6章 プリンキピア・タクソノミカ
インテルメッツォ 実在是表象、表象是実在(2007年ニューオーリンズ、アメリカ)
第7章 一度目は喜劇、二度目は茶番
第8章 つながるつながるつながるなかで
第9章 ナボコフの“ブルース”
第10章 目覚めよ、すべての花よ
第11章 時空ワームの断片として
第12章 「種」よ、安らかに眠りたまえ
エピローグ 滅びしものはよみがえる(2008年トゥクマン、アルゼンチン)
あとがき「分類のための弁明」に代えて
私的ガイド付き文献リスト(現世で迷わないために)
索引

 著者である三中さんの日録を見て本書が出る事を知った。リクエストしなくても図書館に入っていたので借りてきて読んだ。
 三中さんと言えば系統学である。前著『系統樹思考の世界−すべてはツリーとともに』(2006)も手にした記憶はあるが、読後感を書き残していないので、最後まで読み通したかどうかはっきりした記憶がない。
 三中さんは以前から「種は実在しない」という主張をされているので、本書もそれに沿った考えが述べられているのは容易に予想がついた。
 本書では、ヒトがどのようにモノを分類してきたかという歴史が整理されている。本書をひととおり読めば、歴史をほぼ理解する事ができるのではないかと思う。生物学者は生物を分類し、区別して名前をつけてきたが、分類や「種」に関する問題は未だに解決しているわけではない。
 「種」に関する問題が未解決だとは言え、我々「種」の利用者は、「種」がないと不便で仕方がない。三中さんは「種」を利用する立場の人ではないので、「種」とは何か、という問題について考え、様々に論考することもできるだろうが、「種」の利用者であるぼくにとっては、便宜的ではあれ、やはり、生物を分類し、記載して「種」を決めてもらわないと困ると思う。
 三中さんが言いたい事はわからないわけではないが、だからと言ってすんなり納得できるものではありませんよ、というのが感想だ。三中さんは何か月かに一度ぐらいこのブログを読みに来ているようなので、ちょっと書きづらかったなぁ。

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コメント

でもやっぱり,「種」は実存すると思うな.

投稿: ぱきた | 2009年11月 4日 (水) 21時16分

「種」が実存するとみなしてよい、あるクレードのある瞬間は確かに存在するんでしょうね。でも、それは時間軸と空間軸のなかにある瞬間に溶解してしまう。

投稿: ウミユスリカ | 2009年11月 4日 (水) 23時08分

ぱきたさん、確かに虫を見ているとそう思えますよね。でも、生物の進化が末広がりだとしても、先細りだとしても、進化という過程の存在を前提にすると、ウミユスリカさんがおっしゃるように、例えばある時間で切り取った断面を見るような形にならざるを得ないと思うのですよ。時間を止めることができれば、「種」を定義できるかも知れない。

投稿: Ohrwurm | 2009年11月 5日 (木) 21時02分

実用性という点ではどうなんでしょうか?
「種」という概念は、それなりに実用的であり、必要に応じて、育てられてきたように思います。これを捨て去って、クレードなりがその代わりを務められるほど実用的になっているとは思えないのですが。むしろ機能する場面が違って、併存していくものなのではなかろうかと思うのですが。

投稿: Schizo | 2009年11月10日 (火) 23時58分

Schizoさん、コメントありがとうございます。
お返事遅くなり、申し訳ありません。
我々は気軽に「種」を使用していますが、突き詰めて考えると、「種」という概念をうまく定義できないところが最大の問題なんだろうと思います。ぼくとしては、「種」が実在するかどうかに関係なく、道具としての「種」はこれからも使えるようにして欲しいと思っています。

投稿: Ohrwurm | 2009年11月23日 (月) 22時13分

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