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2009年11月

2009年11月30日 (月)

『コール・ネネム』35周年記念演奏会

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 所用で盛岡に帰省していた妻が、たまたま日程が重なったので、この前の土曜日の『コール・ネネム』の演奏会に行って、プログラムの冊子をお土産に帰って来た。
 『コール・ネネム』は1974年に結成されたルネサンスの合唱曲を主なレパートリーとする少人数の合唱団だ。今回出演したメンバーは17人。35年も続いているのは大したことだと思う。
 実は、ぼくはこの合唱団に1986年から1993年にかけてお世話になっていた。大変思い出深い合唱団だ。今回のレパートリーになっている、ジョスカン・デ・プレの『ミサ パンジェ リングァ』もネネムのステージで歌ったことのある懐かしい曲だ。ルネサンスの合唱曲の面白さを教えてくれたのはこの合唱団だし、はまりすぎて他の時代の合唱曲だけでは物足りなく感じられるようになってしまった。
 今回、ぼくが在籍していた当時のメンバーが9人も出演していた。長く続けていることは大変だろうと思うが、同時に大変うらやましい。できることなら、また一緒に歌いたいものだ。
 プログラム冊子と一緒に、いろいろなコンサートのチラシもお土産だったが、面白そうなコンサートがたくさんあり、盛岡の音楽の文化レベルの高さを感じる。今住んでいる津市にも全国的に有名な合唱団はあるのだが、街自体にはあまり文化的なものが感じられない。
 盛岡への転勤の話でもあれば、即、「行きます」などと言ってしまうかも知れない。石垣島へはもっと行きたいけれど。

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2009年11月24日 (火)

死んだことにされてしまった話

 このブログの昨日の記事に中学校の同窓会に出席した話を書いた。そこで物故者とされていたS君宛に早速電子メールを出したところ、今朝ちゃんと返事が来た。ちゃんと生きていたのだ。彼が亡くなったという話は別の筋からも聞いたので、本当に死んでしまったのかと思ったのだが、間違いであって本当に良かった。
 彼のお父さんはいわゆる転勤族だったので、彼が大学に進学した頃には家族はよそへ引っ越してしまっていた。だから、彼と連絡を取ろうと思っても、家族もいなくなってしまっていたので、どうしようもなくなっていたのだ。
 ぼくも自分自身が転勤族になってしまったので、いつ故郷との縁が切れてもおかしくないが、幸い両親が健在で実家に住んでいるので、実家に連絡があれば、ぼくには連絡が届く。
 どこでどう間違ってS君が死んだことにされたかわからないが、あまりあって欲しくない間違いだ。

 同級生の皆さんへ。S君とは“ボッチ”と呼ばれていた彼のことです。

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2009年11月23日 (月)

日高敏隆先生の訃報

 京都大学名誉教授の日高敏隆先生の訃報が届いた。11月14日に亡くなられていたそうである。10月に三重大学で開催された日本昆虫学会第69回大会にもおいでになると聞いていたのだが、実際にはおいでにならなかったので、ご病気だろうと想像はしていた。
 ぼくは子供の頃から虫が好きで、遊びと言えば「虫採り」だった。そんな子供が中学生の頃だったか、日高先生が書かれた「昆虫という世界」(朝日新聞社)という本を読み、本当の昆虫の面白さを知り、大学でも昆虫を学びたいと考えるようになった。
 もっとも、日高先生がおられた京都大学理学部に入学できるだけの学力がなく、農学部に進学したが、やはり日高先生のことは意識していた。
 ぼくは日高先生の弟子ではないので、直接お話しする機会は少なかったが、石垣島で勤務していたとき、日高先生が石垣島に来られ、先生を含めて4人という少人数でテーブルを囲んでお話する機会がたまたまあった。その頃日高先生は『動物と人間の世界認識—イリュージョンなしに世界は見えない 』(筑摩書房)という本を書かれて、「絶対的なものは存在しないのだ」ということを主張されていたようなので、そのときの話もその本に書かれたことが話題の中心になった。イリュージョンという言葉も、そのとき初めて意識した。
 日高先生はダンディで、先生の周りにはいつもすてきな女性がいたような気がする。いつも若々しいと思っていたが、病魔には勝てなかったということだ。ご冥福をお祈りしたい。合掌。

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尾張一宮へ・・・35年ぶりの中学校の同窓会

 卒業以来35年ぶり開催された中学の同窓会に参加するために帰省した。途中、ちょっと用を足すために、名古屋の金山に立ち寄った。駅からほど近い道端にランタナの花を見つけて意外だった。というのは、ランタナというのは南方系の植物で、もう寒くなっている愛知県で元気に花を咲かせているとは思わなかったのだ。これは、単なるぼくの認識不足なのかも知れない。しかし、石垣島に住んでいた頃には、あちこちにランタナが植えられており、たまにはそれにホリイコシジミという珍しい蝶が発生したのが思い出されるのだが、その記憶が「ランタナ=南の島のもの」という記憶を植え付けたのかもしれない。
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 金山の駅ではストリートパフォーマンスが行われていた。南米のインディオ風の2人が南米の音楽だけでなく、ヨーロッパの音楽も演奏していた。ゆっくり聴いていても楽しそうだったが、先の予定があるので、ちょっと立ち止まる程度にした。
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 尾張一宮の駅に降り立ち、まずは実家に向かう途中、ちょっとだけ遠回りをして、つい最近「一時閉店」することになった「三八屋」の前を通ってみた。町起こしの試みとして、店をシェアして日替わりで店主が変わるという店で、面白い試みだと思うのだが、どうも成功したとは言えないようだ。「一時閉店」というのは、「次を準備しているぞ」という意思表明として受け取っておきたいと思う。これを主催しているのは小学校から高校までずっと2年先輩になるHさんだが、頑張って欲しいと思う。
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 実家に戻り、自転車を借り、同窓会の会場へ向かう。途中、3年ほど前に入った昔ながらの中華そば屋の前を通った。相変わらず3年前と同じように営業していて嬉しかった。
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 会場までは、自転車でゆっくり走って10分ほどだったか。会場に着いたのは、ほぼ受付が始まる予定の時刻だったが、既に多くの参加者が集まっていた。何しろ35年ぶりなので、顔を見ても名前がわからない人がほとんどだった。が、名札を見れば、何となく昔のことが思い出されるので面白い。35年も離れているので、何を話して良いのかわからないのではないかと思ったのだが、記憶の奥底に押し込まれていた思い出が発掘され、心配したほど話題に困ることもなかった。
 会が始まる前、前の選挙で市会議員になったK君と話ができた。彼のお父さんも市会議員だったので、お父さんからの勧めかと思ったのだが、自分の意思で立候補したとのことだった。堅い会社務めを辞めて市会議員になるのは相当な決心が必要だったと思う。決して豊かではない町の市会議員をするには苦労が多いことと思うが、おそらく市会議員の中では若手になると思う彼には頑張って欲しいと思う。
 会が始まると、まずは実行委員長のN君の挨拶。彼とは成人式のときに会っている記憶があるので、30年ぶりの再会ということになる。名前だけの実行委員長だと謙遜されていたが、そんなことはないと思う。
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 次に恩師が紹介された。10クラスあったので、10名の先生が出席すると思っていたのだが、1名の先生はご逝去され、1名の先生は病気のため欠席ということだった。忘れていたのが、担任を持っていなかったが学年主任だったS先生。S先生が出席されていたので、出席された恩師は総勢9名だった。恩師の代表として学年主任だったS先生が挨拶された。
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 S先生は思ったよりも若々しく、ぼくが「お変わりありませんね」と言ったところ、S先生は「あの頃君たちは、ぼくを実際より年寄りだと思っていただろ。まだ38だったんだぞ。」と言われて恐縮してしまった。白状すれば、確かに45歳ぐらいだと思っていた。
 恩師の紹介と一緒に物故者の紹介もあった。卒業生が400名余りいたが、10数名が亡くなっていたとのことだ。ぼくの中学の同級生で、一番有名になったのは、マジシャンになった藪下君だったが、今年の5月に惜しまれながら病気で亡くなった。そのほか驚いたのは、とある国立大学の教授になったS君が物故者として紹介されたのだ。信じられなかったので、帰宅してから大学のウェブサイトを検索したところ、彼の名前があったので、とにかく安否を尋ねるメールを出してみた。何かの拍子に誤った情報が伝わったのだと信じたい。
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 テーブルは3年生のときのクラスごとに分けられており、担任だったO先生を囲んで思い出話をした。何時、どんな状況だったか思い出せないのだが、中学校を卒業してから何年かしてから、友人数名とO先生のお宅にお邪魔して麻雀をした記憶があるのだが、O先生も他の友人も記憶になかったようだた。ぼくの記憶違いだろうか?
 まあ、とにかく、今回出席できた皆さんは、それなりに順調に人生を送ってくることができたわけなので、お互い喜びたいと思う。今回の同窓会のクラスの世話役を担っていただいたO君や、全体の世話役を担っていただいた皆さんには、良い機会を作っていただいたことに感謝を申し上げたい。
 次に集まるのは還暦の頃かな?まあ、それまで元気で過ごしていきたいものだと思う。
 同窓会に参加した元3年2組の一部の皆さんには、このブログの存在を紹介した。このブログを読んでいただければ、ぼくが今どんなことを考えて生きているかを少しは知っていただけると思う。気が向いたらコメントを付けてください。誰でも読めるコメントを書くのが憚られるならば、「プロフィール」をクリックしていただければ、個人的なメールを送るボタンがありますので、そちらでも良いですよ。

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2009年11月20日 (金)

第19回天敵利用研究会−千葉大会−2日目

 今日は一般講演が14題。お昼ちょっと過ぎまでだ。
 今日の講演は、今年2月に生物農薬として登録されたスワルスキーカブリダニに関する発表が目白押しだった。普段は露地野菜しか相手にしていないので、スワルスキーカブリダニについては状況を把握していなかったので、それなりに勉強になった。
 終了後、同僚と一緒にJR千葉駅に向かう途中のチェーン店の饂飩屋に入った。チェーン店ではあるが、それなりに美味しいと思う。「けんちんうどんセット」780円也。
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 千葉駅からはJR総武快速線に乗り、錦糸町で緩行線に乗り換え、秋葉原へ。昨日の夜、NHKの「ブラタモリ」で秋葉原が紹介されていたので、また行きたくなった。紹介されていた公園は確かに存在し、橋の名残りが見つかった。「佐久間橋」と書かれていた。
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 秋葉原駅で電車に乗ろうとしたら、見慣れない色の電車が走ってきた。確認するとE231系なので、単なる色違いの山手線の電車だった。「山手線命名100周年」と書かれていた。
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 その後、東京駅に出て家族への土産を買い、横浜石川町の某所に向かった。某所でちょっと買い物をし、石川町から新横浜駅に出て新幹線に乗った。千葉→秋葉原、秋葉原→石川町、石川町(横浜市内)→名古屋(市内)と3つに分けて乗車券を買ったが、あとで計算してみたら、千葉→名古屋(市内)と乗車券を買うのと、ピッタリ同じ値段になった。さらに細かく見てみたら、東京から名古屋に行くのに、東京→石川町、石川町(横浜市内)→名古屋(市内)と移動する方が安くなることがわかった。意外な発見だ。川崎駅も横浜市内の扱いなので、東京→川崎、川崎(横浜市内)→名古屋(市内)と移動すればさらに安くなる。
 たまたま新横浜で乗った「のぞみ」は、東京を16:30に出発した博多行きだった。名古屋到着は18:13。名古屋18:30の「快速みえ」に乗るのにちょうど良い時間だったので、名古屋駅の地下街「エスカ」で担々麺を食べるのを諦め、そのまま「快速みえ」に乗った。

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2009年11月19日 (木)

第19回天敵利用研究会−千葉大会−1日目

 昨日、東京都内で開催された某シンポジウムに参加し、南千住の安ビジネスホテルに泊まり、今朝、京成線の千住大橋駅まで15分ほど歩き、京成線の電車を3本乗り継いで京成千葉中央駅直結の会場にやってきた。千住大橋は隅田川を渡る橋だ。松尾芭蕉の奥の細道への旅への出発点はここらしい。隅田川はコンクリート3面張りのきたない川だとしか思えなかったが、芭蕉の時代はもっときれいだたのだろうと思う。20091119blog2
 昼食は駅近くの「タンメン胖(ばん)」という店で食べた。ちょっと時間が早かったので、誰も客がいなかったが、ぼくが入った後からは、続々と人が入ってきた。食べたのは「タンメンセット」。タンメンと餃子と小さい御飯で800円。タンメン単品なら650円。野菜たっぷりで美味しかった。出張に出ると、野菜が不足するので、たっぷりの野菜は嬉しい。この店のメニューに「ラーメン」というのもあるのだが、入ってくる客のほとんどが「タンメン」(セットを含む)を注文し、ごく一部の人が「みそタンメン」を注文して、「ラーメン」を注文する人は誰一人としていなかった。
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 研究会は午後からの開始。最初は一般講演が8題。そのあとは「露地作物における天敵の保護利用とそのための植生管理」という題目のシンポジウムだった。天敵利用研究会は、これまでに地元開催だった一昨年に参加したことがあるだけで、今回は2回目の参加だ。今回参加したのは、このシンポジウムがあるからだと言って良い。
 シンポジウムの1題目は平井一男さんによる「海外における植生管理と天敵保護の事例−環境直接支払いから機能的生物多様性の活用までー」、2題目以降は具体的な事例紹介で、國友義博氏と赤池一彦氏による「山梨県の有機栽培圃場における間作・混作とその普及」、豊嶋悟郎氏による「長野県における複合交信撹乱剤を用いたキャベツほ場の土着天敵保護とその問題点」、豊島真吾氏らによる「果樹栽培における植生管理と土着天敵の保護」。平井氏の話題提供は、ヨーロッパ各地における取り組みの紹介で、広大なコムギ畑の周辺の植生を管理したり、ビートルバンクを設置したりすることによって生物多様性を維持し、それに対して、農家に対する直接支払いが行われている国があることなどが紹介された。後の3題は、日本国内における、畑と果樹園の園芸作物における事例の紹介だったわけだが、平井氏によって紹介された、普通作物における事例とは性格的にかなり異なっており、ヨーロッパの事例をそのまま日本に当てはめるわけにはいかないと感じた。ヨーロッパにおける事例を日本にあてはめるなら、水田作であろうと感じたので、その点について総合討論のときに平井氏に質問しようと思ったのだが、討論は後の3題の方に集中し、平井氏に質問するのが場違いな雰囲気に思われたので、質問するのを躊躇し、そのまま総合討論は終わってしまった。
 シンポジウムが終了したあと、平井氏に直接質問したところ、平井氏が言いたかったのは、ぼくが質問しようと思っていたまさにそのことであり、平井氏も総合討論の雰囲気の中で発言できなかったとおっしゃっていた。日本で生物多様性を考えた農業を行うとすれば、やはり水田作を中心に据えなければ話にならないと思う。
 そのあとは、情報交換会という名の懇親会。料理は美味しかったと思うが、開始後30分でほとんどの食べ物が無くなってしまい、量的に不満が残った。ちょっと高級感のあるホテルが会場だったので、会費(安かったわけではない)を考えるとそんなものかも知れない。

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2009年11月13日 (金)

まだマツムシが鳴いていた!

 今晩、三重昆虫談話会のサロンに出かけた。津駅西口からほど近いいつものホテルのレストランに行くと「本日貸切」の張り紙。ここでできなければ、コメダ珈琲店津県文前店で集まることになっていたので、そちらに向かう。雨もほとんど上がっていたので、自転車で出かけたわけだが、途中起伏の多い道を1キロ以上ある場所に行くのは疲れた。しかし、思いがけぬことに、途中でマツムシの鳴き声が聞こえた。我が家の近所では、とうの昔に聞かれなくなっていたのに。
 サロンが終わってからは、三重県総合文化センターの前を通って帰宅したが、こちらでもマツムシの鳴き声が聞こえた。
 そろそろ「秋の夜長」という言葉を使っても良い季節になってきたと思うが、この前、「秋の夜長を鳴き通す、ああ面白い虫の声」というのはウソくさいと書いたのを多少は訂正しなければいけないかな、と思った。が、そのほかの虫の声を確認することはできなかった。マツムシは秋遅くまで鳴く虫なのだろうか?

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2009年11月 7日 (土)

三重県の四季の移ろいは印象的・・・らしい

 今日は本来なら休日だが、職場の一般公開だったので、仕事として職場に出かけた。そこで、沖縄県農業試験場で研究員をやっていたホカマさん(現在は結婚して別の名前になっている)に18年ぶりにお会いした。ぼくが内地留学で沖縄県農業試験場のサトウキビ害虫研究室に3か月ばかり居候していたときには彼女にも色々お世話になった。どうでも良い話だが、我が家にある三線は彼女のお父さんが作ったものだ。その後、彼女は北海道にある国の農業試験場の研究員の方と結婚され、去年ご主人の転勤で三重県にやってきた。久しぶりにお会いしたので、四方山話。
 彼女の三重県の印象は、四季の移ろいが楽しい、ということだった。沖縄の冬は天気が悪い日が多く北風も強く吹くので、それなりに寒いのだが、冬になっても木々が葉を落とすことはないから、景色だけ見ていたら冬らしくない。北海道は半年が冬で、春から夏にかけて一気に花が咲き、それが終わると急速に冬に向かってしまう。それと比較すると、三重県では季節が(北海道と比べれば)ゆっくり進み、次から次へと色々な花が咲き、冬にはそれなりに冬らしくなる、というのが彼女にとっては印象的だというのだ。
 ぼくは生まれが愛知県なので、気候的には三重県とほとんど違わないところで高校卒業まで育ち、大学は京都で、そこでもあまり差がなく、就職してから岩手県の盛岡に行って、季節感の違いを初めて肌で感じた。岩手県の7年半と石垣島の7年は、ぼくにとっては何かを意識せざるをえない環境だったが、それ以外は今の場所とあまり違わない環境のもとで暮らしてきたので、今の季節感は、ぼくにとっては全く自然なものなので、特に何かを意識するということはない。
 それでも、そうではない人から見ると、教科書的かもしれないような明瞭な四季がある場所というのは、意識せざるをえないものだということなのだろう。今日は彼女の発言から思わぬことを意識させられたと思う。

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2009年11月 4日 (水)

三中信宏著『分類思考の世界 なぜヒトは万物を「種」に分けるのか』

三中信宏著『分類思考の世界 なぜヒトは万物を「種」に分けるのか』
講談社現代新書2014
ISBN978-4-06-288014-5
800円+税
2009年9月20日発行
328 pp.

目次
プロローグ 生まれしものは滅びゆく(2006年オアハカ、メキシコ)
第1章 「種」に交わればキリがない
第2章 「種」よ、人の望みの喜びよ
第3章 老狐幽霊非怪物、清風名月是真怪
第4章 真なるものはつねに秘匿されている
第5章 いたるところにリヴァイアサンあり
第6章 プリンキピア・タクソノミカ
インテルメッツォ 実在是表象、表象是実在(2007年ニューオーリンズ、アメリカ)
第7章 一度目は喜劇、二度目は茶番
第8章 つながるつながるつながるなかで
第9章 ナボコフの“ブルース”
第10章 目覚めよ、すべての花よ
第11章 時空ワームの断片として
第12章 「種」よ、安らかに眠りたまえ
エピローグ 滅びしものはよみがえる(2008年トゥクマン、アルゼンチン)
あとがき「分類のための弁明」に代えて
私的ガイド付き文献リスト(現世で迷わないために)
索引

 著者である三中さんの日録を見て本書が出る事を知った。リクエストしなくても図書館に入っていたので借りてきて読んだ。
 三中さんと言えば系統学である。前著『系統樹思考の世界−すべてはツリーとともに』(2006)も手にした記憶はあるが、読後感を書き残していないので、最後まで読み通したかどうかはっきりした記憶がない。
 三中さんは以前から「種は実在しない」という主張をされているので、本書もそれに沿った考えが述べられているのは容易に予想がついた。
 本書では、ヒトがどのようにモノを分類してきたかという歴史が整理されている。本書をひととおり読めば、歴史をほぼ理解する事ができるのではないかと思う。生物学者は生物を分類し、区別して名前をつけてきたが、分類や「種」に関する問題は未だに解決しているわけではない。
 「種」に関する問題が未解決だとは言え、我々「種」の利用者は、「種」がないと不便で仕方がない。三中さんは「種」を利用する立場の人ではないので、「種」とは何か、という問題について考え、様々に論考することもできるだろうが、「種」の利用者であるぼくにとっては、便宜的ではあれ、やはり、生物を分類し、記載して「種」を決めてもらわないと困ると思う。
 三中さんが言いたい事はわからないわけではないが、だからと言ってすんなり納得できるものではありませんよ、というのが感想だ。三中さんは何か月かに一度ぐらいこのブログを読みに来ているようなので、ちょっと書きづらかったなぁ。

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2009年11月 3日 (火)

日本のアカヘリカメムシは誤同定かも知れない

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【写真は波照間島で撮影したコフウセンカズラ(ムクロジ科)の上のアカヘリカメムシ(ヒメヘリカメムシ科)】

 最近、下記の文献(河野・高橋,2006)を読んだと思われる外国人研究者二人から立て続けに電子メールが届いた。一人はアカヘリカメムシとフチベニヘリカメムシの標本が見たいと言ってきている。もう一人はアカヘリカメムシのLeptocoris augurLeptocoris vicinusの誤同定ではないかと言っている。台湾ではLeptocoris augurはもっと明るいオレンジ色のような色でタイワンモクゲンジに寄生し、Leptocoris vicinusはコフウセンカズラに寄生しているという。ここに示した写真はコフウセンカズラに寄生していたもの。八重山諸島でみられるアカヘリカメムシはコフウセンカズラとアカギモドキに寄生しているのを確認している。タイ国に出張したとき、アカヘリカメムシだと思われるものを見たが、それは赤色というよりはオレンジ色と言える色だったが、単なる色彩変異だと思っていた。ぼくは分類学に関しては素人なので、事の真偽はわからない。今後の研究の進展の経過を見守りたい。

文献
・河野勝行・高橋敬一 (2006) 八重山諸島におけるアカヘリカメムシとフチベニヘリカメムシ(カメムシ目:ヒメヘリカメムシ科)の生態と分布.Rostria (52): 72-74.(英文要約付き)

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山が近くに見えた・・・冬のような天気

 今日は気温が上がらないという予報が出ていたこともあったので、一日じゅう図書館から借りてきた本を読んで過ごすつもりだったが、午前中にちょっと買い物に出かけた。ショッピングモールの屋上の駐車場に車を停めたら、西の方角にある山がすぐ近くに見えた。かなり空気が澄んでいるということらしい。まるで冬のような天気だ。
 午後からは縁側の陽が当たるところでゴロゴロしながら本を読んでいたが、3時を過ぎた頃には陽が当たらなくなり、急に寒さを感じるようになった。やはり、今日は寒い。そのあとは、昨日準備したばかりの炬燵に足を突っ込んで本を読んだ。まるで冬の光景。

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2009年11月 1日 (日)

四代目桂文我のおやこよせ

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 津市教育委員会の主催で、四代目桂文我さんのおやこよせに行ってきた。文我さんは、こども相手に落語の普及に努め、全国あちこちで「おやこよせ」を開いている。
 文我さんの「おやこよせ」はほぼ5年ぶりの二度目だ。前回はちゃんとお金を払って見たが、今回は教育委員会からお金が出ているらしくロハだった。同行したのは妻と三男坊。
 前回は桂宗助さんと2人でお囃子つきだったが、今回は文我さんひとりで、お囃子はなし。演目は「平林」など。文我さんの話術は前回にも増して磨きがかかった感じだったが、お囃子がなかったのはちょっと寂しかった。
 会が終わったあと、会場に同じ職場のTさんがいるのに気が付いた。声をかけてちょっと話をしたところ、落語がお好きとのこと。来月は松阪の三雲で桂米二さんの会があることを紹介した。

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養老孟司・河野和男著『虫のフリ見て我がフリ直せ』

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養老孟司・河野和男著『虫のフリ見て我がフリ直せ』
明石書店
ISBN978-4-7503-3045-7
1,800円+税
2009年9月25日発行
228 pp.

目次
第I部 虫の目で世界を眺めて
 人はなせ虫を集めるのか
 「種」や「属」は存在するのか
 進化論者たち
 発生遺伝子と遺伝率
 種の分布と分化の関係性
  コラム
   個体発生と系統発生
    −クワガタムシの大顎のパターンによる属の記述(河野)
   高位分類群とホックス遺伝子(河野)
   内部選択説(養老)
   バベルの図書館(河野)
   進化は末広がりではなく先細り(河野)
   ネオダーウィニズム(河野)
   工業暗化(河野)
第II部 生き物たちのつどう社会
 人為的な生態系
 文化と地形
 「お国のため」と「愛国心」
 日本人と森
 世界と日本−大気、海洋資源、森林
 進化と進歩
 生物は遺伝子の「乗り物」なのか?
 生物学は情報学だ
  コラム
   愛国心か「お国のため」か(養老)
   ダーウィンの図(河野)
   似ているということの異端児−並行進化(河野)
対談のあとで(河野)

 解剖学者の養老孟司氏と熱帯作物であるキャッサバの育種家の河野(かわの)和男氏との対談である。両者とも、昆虫の収集家でありアマチュアの昆虫研究者としてよく知られている。
 「対談のあとで」で河野氏が「この対談は好みと思考パターンが初めから一致している仲良し子供会的な話し合いではなかったのは当然として、またもう一方の極端である思い込みと見解の表示様式に初めから全く共通点のないすれ違いの意見交換でももちろんなく、知的緊張感がバランスよく保たれた議論の時間だったと思う。」と書いているように、これまでの養老氏を交えた虫屋どうしの対談(例えば、「虫屋」である池田清彦氏や奥本大三郎氏などとの)とはひと味もふた味も違うものだったように思えた。これまでの養老氏による虫屋との対談は、学問的なものというよりも、放談に近いものだったが、本書では、生物進化という現象に対する考え方についてかなり真面目に議論していると感じられた。
 ぼくは学生時代に出現したネオダーウィニズムの洗礼を受けないわけにいかなかったが、その後ずっと生物を見てきていると、ネオダーウィニズムだけでは大進化を説明できないということが徐々にわかっていた。育種家として仕事をしてきた河野氏は、生物進化は先細りである、という考え方を肌で感じてきているようだが、この対談を読んでいると、確かにそのように思えてくる。
 原理主義的なネオダーウィニストが読めば、滅茶苦茶けなす対象になるかも知れないが、目の敵にせずに読んでみると良いと思う。
 面白い本だったが、ちょっと残念なのは、写真の印刷が悪いこと。本文と同じ紙にモノクロで印刷されているので仕方がないのかも知れないが、もうちょっと鮮明な写真を載せて欲しかった、というのが本音だ。できればクワガタムシの写真だけでも、アート紙にカラーで印刷して欲しかった。
 それともう一つ。『虫のフリ見て我がフリ直せ』という表題は編集者が付けたものだろうと思うが、本書での対談の内容から全くひねりだせないような表題だと思う。だからと言って、どんな表題が良いかと言われても困るが、もう少し内容に即した表題の方が親切だと思う。『虫のフリ見て我がフリ直せ』の方が本がよく売れるかも知れないが。

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福岡伸一著『世界は分けてもわからない』

福岡伸一著『世界は分けてもわからない』
講談社現代新書 2000
ISBN978-4-4-06-288000-8
780円+税
2009年7月20日発行
278 pp.

目次
プロローグ パドヴァ、2002年6月
第1章 ランゲルハンス島、1869年2月
第2章 ヴェネツィア、2002年6月
第3章 相模原、2008年6月
第4章 ES細胞とガン細胞
第5章 トランス・プランテーション
第6章 細胞のなかの墓場
第7章 脳のなかの古い水路
第8章 ニューヨーク州イサカ、1980年1月
第9章 細胞の指紋を求めて
第10章 スペクターの神業
第11章 天空の城に建築学のルールはいらない
第12章 治すすべのない病
エピローグ かすみゆく星座

 福岡氏の前著『動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』にも共通するが、生命をどこまで還元的に解析しても理解することは不可能である、という基本的な考えが感じられた。いくら細かいところが見えるようになっても、視野が狭くなりるばかりで、全体像を理解することは不可能である、という考え方も感じられる。
 ニューヨーク州イサカという町にあるコーネル大学で起こった「スペクター事件」(この本を読むまで知らなかった)は、ガン細胞の中で起こっている生化学反応を解明する研究の過程で起こったマーク・スペクターという人物によるデータ捏造事件だが、その顛末がドラマチックに記述され、途中で読むのを止められなくなってしまった。あらためて福岡氏の文章のうまさを感じさせられる。
 生命現象は物質やエネルギーが常に動いている中での平衡状態にあり、ちょとした操作を加えても、しなやかに次の平衡状態に移るので、人間が頭の中で考えたようには事が進むことを確認できない。
 福岡氏の研究室では、トリプトファンの代謝産物である神経毒のキノリン酸を分解するキノリン酸ホスホリボトランスフェラーゼの遺伝子を解明し、その遺伝子の働きを人為的に停止させたノックアウトマウスを作成し、現在は研究の途中であるとのことである。遺伝子の働きを止めたマウスは死んでしまうのか、別の動的平衡状態に移り、何事もなく過ぎてしまうのか。その結果は、福岡氏が繰り返し書いている「動的平衡」の考え方が妥当なのかどうかを示してくれるはずである。
 『世界は分けてもわからない』という表題は単純な還元主義に対して疑問を投げかけるものであり、これはぼくの考え方とも矛盾しない。

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