加藤尚武編『環境と倫理 自然と人間の共生を求めて』
加藤尚武編『環境と倫理 自然と人間の共生を求めて』
1998年8月20日発行
有斐閣
ISBN4-641-12056-0
1,600円+税
目次
第1章 環境問題を倫理学で解決できるだろうか−未来に関わる地球規模の正義(加藤尚武)
1 環境問題とは何か 環境問題の基本的構造
2 意思決定方式の重点移動 倫理から法律へ
3 自然の歴史性 自然を守れという判断の根拠
4 環境倫理学の三つの主張 地球の有限性,世代間倫理,生物保護
5 環境に対する伝統的宗教の責任 環境問題による半分原理としての正義の問い直し
6 環境を守るための正義 環境的正義の現実化の条件
第2章 文明と人間の原存在の意味への問い—水俣病の教訓(丸山徳次)
1 「公害から環境問題へ」? 「公害」概念の再評価
2 水俣病の原因企業と原因究明 政府見解までの12年
3 水俣病の原因とは何か? 人間無視と差別の仕組み
4 認定制度の問題性と司法・政治システムの限界 水俣病は終わらない
5 水俣病事件の責任とは何か 病根としてのシステム社会
第3章 化石燃料の枯渇と環境破壊とどちらが先にくるか 廃棄の限界と資源の限界(河宮信郎)
1 都市・工業文明の二重の限界 資源枯渇と環境荒廃
2 成長システムの猛威 「成長」は一時的・局所的にのみ可能
3 成長主義転換の必然性 物的欲望・需要は飽和する
4 環境としての水循環と資源としての水 更新性資源の根源が枯渇しつつある
5 現実に進行している温暖化 現実の継続も許されない
6 資源の世代間配分と価格メカニズム
7 科学技術の役割と限界
第4章 アマミノクロウサギに代わって訴訟 自然物も権利をもつか(山村恒年・関根孝道)
1 日本での自然の権利訴訟 自然物の原告適格
2 自然の権利の考え方はどのようにしてできてきたか 環境倫理と自然の権利
3 アメリカにおける自然の権利訴訟の展開 アメリカの判例の変遷
4 日本における自然の権利論の展開 環境権から自然の権利へ
5 自然の権利をどのように考えるか 権利の配分からみら自然の権利
6 まとめ 自然の権利の類型と性格
第5章 「未来世代に対する倫理」は成立するか 世代間の公正の問題(蔵田伸雄)
1 「未来世代に対する倫理」としての環境倫理 未来世代に対する義務と責任
2 「未来世代に対する倫理」の根拠は何か さまざまな倫理的根拠とその問題点
3 「未来世代に対する倫理」の困難 相互関係の不成立
4 選択の結果の想像と因果関係の認識 私たちの選択と未来
第6章 環境正義の思想 環境保全と社会的平等の同時達成(戸田清)
1 便益と被害の不平等な分配 金持ちが環境を壊し,貧乏人が被害を受ける
2 資本主義,ソ連型「社会主義」,南北問題 企業や国家への力の集中が招く環境破壊
3 アメリカにおける「環境人種差別」と「環境主義」 有色人種や低所得層にも広がる環境運動
4 手続きの民主化 民衆の自治と情報公開は環境保全の必要条件
5 「動物の権利」と「自然の権利」 他の生物との共生が環境保全の土台
第7章 生物多様性保護の倫理 「土地倫理」再考(谷本光男)
1 生物多様性の保護と人間中心主義 環境主義者の異議申立て
2 「土地倫理」の思想 倫理的ホーリズム
3 [土地倫理]の問題点 自然主義的誤謬と環境ファシズム
4 結びにかえて 価値の焦点
第8章 自然保護は何をめざすのか 保全/保存論争(須藤自由児)
1 保全と保存 ピンショーとミューア−−−最初の論争
2 保全/保存の定義 自然の権利,内在的価値
3 個体主義的保存論 テーラーとレーガン
4 全体論的保存論 キャリコットの生態系中心主義とその修正
5 自然・環境の保護と社会的公正の実現 「人間と自然との対立」という図式を超えて
第9章 環境問題に宗教はどうかかわるか 人間中心から生命中心への<認識の枠組み>の変換(間瀬啓允)
1 自然に対する人間のかかわり 自然倫理の基盤となるもの
2 日本人の自然観 仏道と結びついた日本人の自然理解
3 西欧の自然観 逸脱した人間中心の自然理解
4 共生の思想 育成されるべき市民意識
5 仏教経済学 非物質的な価値の尊重
6 自然との霊的結合 生命中心の自然理解
第10章 消費者の自由と責任 対環境的に健全な社会を築くために(本田裕志)
1 環境問題における個人の自由と責任 自由社会にひそむ環境破壊の根
2 消費生活を制約する条件 環境倫理のさまざまな立場から
3 大量消費生活の克服のために私たちは何をすべきか 対環境的に責任ある生活様式をめざして
4 個人の自由の新しいあり方 対環境的に健全な社会の具体像
事項索引
人名索引
コラム
熊沢蕃山と安藤昌益(加藤尚武)
レイチェル・カーソン(神遠恵子)
ハンス・ヨナス(盛永審一郎)
エマソンとソローと自然の教育(鵜木奎治郎)
ジョン・ミューア(岡島成行)
環境芸術は自然の治癒をめざす(伊東多佳子)
「生物多様性」あるいは「環境」を守るとはどういうことか、ということについて、自分なりの理解をするために読んだ。この本もこの前に読んだ岡本裕一朗著『異議あり!生命・環境倫理学』と同様に、問題点がわかりやすく整理されているという点では読み易かったと思うが、一部を除けば結論のようなことは書かれていない。まあ、ここから先は自分で考えてみなさい、ということだろうと思うが、まさにそのとおりで、各章の終わりには「演習問題」が出されている。参考文献も多数上げられているので、環境問題について考える基礎として本書が読まれることが想定されていると思う。
多数の著者から、さまざまな方向から環境問題への考え方が示されているので幅広く環境問題を理解するのには適した書物だと思われる。
最後の章の「消費者の自由と責任」には、かなり具体的な問題点の指摘があり、著者の考え方が一番強く出されていると思った。普段の生活では、消費することと環境の問題を考えることはなかったが(とは言っても、この行為は本当に環境にとって適切な行為だろうか、と自問することはときどきあったが)、この章を読むことにより、これまでモヤモヤとしてあまり理解できていなかった部分か明確になったように思える。
しかし、全体的に見れば、倫理学者といわれる「文系」の人が書いた文章であり、おおまかな考え方のみが示され、いわゆる「理系」人間であるぼくから見ると、とるべき対策については具体性が欠けるように思われる。
この本には2005年11月に改訂新版が出ているので、目次のみ示す。かなり新しい項目が加えられているので、これも読むべきかも知れない。
2005年11月発行の新版目次(○は新しい項目)
環境問題を倫理学で解決できるだろうか—未来にかかわる地球規模の正義
○人間中心主義と人間非中心主義との不毛な対立—実践的公共哲学としての環境倫理学
○持続可能性とは何か—開発の究極の限界
文明と人間の原存在の意味への問い—水俣病の教訓
○環境正義の思想—環境保全と社会的平等の同時達成
○動物解放論—動物への配慮からの環境保護
○生態系と倫理学—遺伝的決定と人間の自由
○自然保護—どんな自然とどんな社会を求めるのか
環境問題に宗教はどうかかわるか—人間中心から生命中心への“認識の枠組み”の変換
消費者の自由と責任—対環境的に健全な社会を築くために
○京都議定書と国際協力—実効的なレジームの構築へ向けて
○環境と平和—戦争と環境破壊の悪循環
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コメント
他の読者から質問が出たのでおうかがいしますが、目次はOCRですか?
投稿: 熊80 | 2009年6月16日 (火) 10時18分
熊はん、多少の時間はかかりましたが、手入力です。
このブログは自分自身の備忘録としても利用していますので、目次を見ただけでも内容を思い出せるよう、多少の手間をかけました。OCRか、との件ですが、この程度の量だと、OCRを使っても時間と手間を節約することにはならないでしょう。
投稿: Ohrwurm | 2009年6月16日 (火) 20時24分
Oh, my God!
投稿: 熊80 | 2009年6月17日 (水) 09時29分
疑問を持ったのは私です。
ただただ驚いています。
肩凝りませんか?目も疲れそう。
当方、トシのせいか、そのような根気はすっかり枯渇しております。
投稿: chunzi | 2009年6月17日 (水) 17時44分
熊はん、chunziはん、「コスト<ベネフィット」だと思われたので気力が続きました。それでも、10分に足りないぐらいのことですよ。
同好会誌に投稿されてくる長文の手書き原稿を電子化することに較べれば、全然大したことありません。
投稿: Ohrwurm | 2009年6月17日 (水) 22時24分
あることをやりにくには動機が必要でしょう。
それと手間の兼ね合いを考えた時、「すご」と思った次第です。
投稿: chunzi | 2009年6月18日 (木) 08時02分