マジシャンの若すぎる死・・・マーカ・テンドー
今日は職場の研究設計検討会があり、そのあとに懇親会があったため、帰宅がいつもより遅くなった。帰宅すると、実家の母から電話があったと妻が伝えてくれた。「ヤブちゃんが亡くなった」と。食道癌で入院治療していたことは知っており、その手術の費用のカンパもして、復活できることを信じていたのだが。それにしても、色々なことが思い出されてくる。
「ヤブちゃん」とは藪下隆男君のことで、小学校と中学校のときの同級生だ。極めて親しいというほどではなかったが、何となく気が合うことが多かった。ぼくもヤブちゃんも、どちらかと言えばスポーツ音痴で、小学校の体育の授業や、放課後にサッカーやソフトボールをやるときには、ぼくもヤブちゃんも「二軍」に入れられた。ヤブちゃんは強度の近眼で小学生の頃から眼鏡をかけていたが、あるとき、ソフトボールのキャッチャーをやっていて、キャッチャーフライを取り損ねて眼鏡を壊したことを憶えている。
1学年10クラスもあった中学校では2年の時に同じクラスになった。担任は栗本先生。この頃ヤブちゃんはマジックに興味を持ったらしい。しばしば学校に手品の道具を持ってきた。もちろん、そんな物を学校に持ってきてはいけないことになっていた。それでも持ってきていたのだ。
ある日、手品の道具を栗本先生に見つかってしまい、取り上げられてしまった。チャイニーズ・リングだった。3本の金属の輪が離れたり繋がったりするやつだ。栗本先生はそれをマジマジと見て、「こうなっているのか」とタネをばらした。それにもめげず、ヤブちゃんは毎日のように手品の道具を学校に持ってきた。
ぼくは2年生までは生物部に入っていたが、3年生になったとき、顧問の先生が転勤されて別の先生が顧問になり、生物部が面白くなくなっていた。ちょうどその時、合唱部の顧問の先生から「合唱部においで」と声をかけられた。一悶着あったが、ぼくは生物部から合唱部に移籍した。どういういきさつだか知らないが、何故かヤブちゃんも合唱部にいた。合唱コンクールに混声合唱で出るため、男声を集めていて、コンクールには6〜7人の男声が出ていたと思う。しかし、卒業アルバムのクラブの写真を見ると、合唱部はほとんど女の子ばかりで、男はぼくとヤブちゃんの2人だけだった。
中学を卒業すると別の高校に進んだので、ぼくとヤブちゃんが顔を合わせることはほとんど無くなった。人づてに、プロのマジシャンに弟子入りしたらしい、という話が聞こえてきた。実家がすぐ近くなので、ぼくの実家の近くで喫茶店を経営しているヤブちゃんの両親とぼくの母親はしばしば顔を合わせていたので、そんなところからも話が聞こえてきていたのだろうと思う。
その後、テレビや新聞で「マーカ・テンドー」という名前で活躍するようになったヤブちゃんのことを知るようになった。手先の器用さがモノを言うマニュピュレーションという部門のマジックの世界的な大会で入賞するなど、もはや「ヤブちゃん」ではなく、世界の「マーカ・テンドー」になっていた。
直接顔を合わせたのは、中学を卒業して15年も経った頃のことだ。ぼくが結婚することになり、結婚式の披露宴に来て欲しいとお願いしたのだ。世界の「マーカ・テンドー」になったヤブちゃんは、二つ返事で来てくれることになった。披露宴で本格的なカードマジックを披露してくれたのはもちろんのこと、披露宴の二次会でもサービス精神旺盛で、会を盛り上げてくれた。ぼくはどうやらヤブちゃんからは「変わり者」として認識されていたらしく、ぼくが結婚できるなんて考えてもみなかった、などという失礼な発言をしたことも記憶に残っているが、もちろん彼のジョークだと思いたい。
その後、NHKのテレビ番組「音楽・夢コレクション」の準レギュラーの様な形で出演していたので(レギュラーは松尾貴史、中島啓江、森公美子などで、Gクレフなども毎回のように出演していた)、毎週のようにヤブちゃんのマジックを楽しませてもらった。
その後、テレビで見る機会も少なくなったが、どうやらステージ中心に仕事の場所を移していたからということらしい。そういうわけで、その後は年賀状のやりとりだけの状態が続いていた。
ところが、今年の春になって、mixiを通して彼が癌に冒されていることを知った。しかも、簡単な手術では治療できないということだ。普段不義理にしていたので、あの最高のテクニックのカードマジックがまた見られることを期待して、手術の費用をカンパした。しかし、それも無駄に終わってしまった。非常に残念でならない。実家のご両親はまだお元気なので、息子の死を見送ることは、大変辛いことだろうと心中をお察しする。
カンパ運動に関しては、マジシャン仲間のブラボー中谷さんにお世話していただいた。この場をお借りしてお礼申し上げたい。
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コメント
悲しいですね
同級生の急逝
心よりお悔やみ申し上げます。合掌
投稿: シロヘリ | 2009年5月26日 (火) 23時10分
シロヘリさん、どうも。
かなり病状が深刻ということだったので、覚悟はしていたのですが、本当に残念でなりません。
投稿: Ohrwurm | 2009年5月26日 (火) 23時26分
心よりお悔やみ申し上げます.
投稿: ぱきた | 2009年5月26日 (火) 23時28分
ご友人の急逝、心よりお悔やみ申し上げます。
人生何処でつながっているのか不思議なもので、このブログの題を見た時に、Izumiさんの患者と、確信しました。
ご友人、Izumiさんの務める病院に入院していました。とても穏やかなお人柄だったそうです。
投稿: Ken爺 | 2009年5月26日 (火) 23時59分
Ken爺さん、どうも。
思わぬところで繋がっているのですね。最初は筑波大学病院に入院していたのですが、やや特殊な治療をしてくれる都内の病院に転院したと聞いていました。
彼とは幼なじみではありますが、もう長い間違う世界に住んでいたので、実を言うとあまり実感がありません。でも、彼のテクニックは素晴らしいもので、もう一度彼の芸を見たいものだと思っていました。
彼の子供の頃のことが思い出されるというのは、やはりそれだけ一緒に遊んでいたのだと思います。
投稿: Ohrwurm | 2009年5月27日 (水) 06時30分
マーカ・テンドー師の動画
http://www.youtube.com/watch?v=eWjX1DJj_v0&NR=1
投稿: Ohrwurm | 2009年5月27日 (水) 06時42分
動画拝見いたしました。見事なテクです。
存じ上げない方ですが、ご冥福をお祈り申し上げます。
ハサミムシさんは変わってらっしゃるとは思いますが、図抜けているかどうかは分かりません。結婚できないとは思いませんでした。
カンパは無駄ではありません。結果がすべてではないと思います。
投稿: 熊80 | 2009年5月27日 (水) 07時42分
50前後というのは亡くなる方の多い時期のように思われます。
昨晩NHKで放送された「あの人に会いたい」は中島らもでした。この方も52歳。桂吉朝さんは50でした。
ご冥福をお祈りします。
ハサミムシさんのブログなのだから、「この場をお借りして」は要らないでしょう。それとも公器だと考えていらっしゃるのかしら。
投稿: chunzi | 2009年5月27日 (水) 08時53分
Ohrwurmさんの文面からは友人の死を悼み、昔を偲ぶお気持ちが切々と伝わってきました。
この歳になると、これから自分が先にならない限り友人・知人との別れにあうことが増えていくのでしょうが、思い出が多ければ多いほど寂しいものです。
mixiでマーカ・テンドー師ご本人のページ
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=4646096
を見ると、つい先日までのことが書かれていますね。
投稿: Zikade | 2009年5月27日 (水) 14時16分
chunziさん、中島らもさんも、桂吉朝さんも、特別な才能があるだけに「早すぎる」と感じさせられますね。
投稿: Ohrwurm | 2009年5月27日 (水) 21時05分
Zikadeさん、ぼくもmixiの彼の日記を見て、びっくりしました。病院の中からの書き込みだと思うのですが、「復活してやるぞ!」という意気込みが感じられました。
彼とは中学生のときまでの付き合いの方が深かったので、有名になってからのことより、子供のときのことばかりが思い出されます。
彼のカードマジックは、またナマで見てみたかったです。
投稿: Ohrwurm | 2009年5月27日 (水) 21時10分
つい最近、近所の長老の集まりがあって聞きました。検索でここが表示されたので来ました。
彼とは、成人式の時の終了後、N女史と一緒に彼の実家の喫茶店の2階で手品を披露してくれたのが最後でしたが、その後 TVで拝見したりしてご活躍を見ておりました。
ご冥福をお祈り申し上げます。
投稿: H.INOUE | 2015年4月20日 (月) 13時55分
H.INOUEさん、コメントありがとう。
大変なつかしいです。
ダイレクトメール送ります。
投稿: Ohrwurm | 2015年4月20日 (月) 18時42分