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2009年5月30日 (土)

万城目学著『鴨川ホルモー』

万城目学著『鴨川ホルモー』
2006年4月20日発行
産業編集センター
ISBN4-4-916199-82-0
1200円+税

 今年の4月に封切られた同名の映画を連休に見に行ったので、原作を読んでみることにした。津市図書館にあることはわかっていたが生憎貸し出し中で、5月10日に図書館に行ったときに予約を入れておいた。待つこと半月余、やっと水曜日に図書館から電話があったので、昨日の夕方、仕事帰りに図書館まで足を延ばして受け取ってきた。
 小説の類を読むのは久しぶりだ。これまでに映画を見たあとに原作を読んでがっかりした経験があったが、この小説はそんなことはなかった。原作と映画とでは設定に違いが色々あったり、映画では省略されていたりしたエピソードもあったりしたが、登場人物の性格は、そのまましっかり映画にされていたと思う。原作の生き生きとした登場人物は、映画でもしっかり描かれていたと思う。
 原作を読んでみてあらためて映画を思い浮かべると、楠木ふみを演じていた栗山千明は好演だったと思う。原作でも「オニ語」がたくさん出て来るかと思ったのだが、ほんのわずかに出てきただけだった。原作にはなかった「ゲロンチョリ」という言葉は、映画のために創作されたようだ。
 ぼく自身、京都で7年も暮らしたので、懐かしい地名がたくさんでてくる。喫茶店の名前まで現存するものと同じものがあったような気がする。もう、四半世紀近くも前のことなので、記憶は定かではないが。
 まあ、読んで楽しめる青春小説だと思った。京都に縁も所縁も無い人が読んでも楽しめると思う。

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コメント

 喫茶店というのは、荒神橋西詰めの「リバーバンク」のことでしょうか。

 1回生の時に、さる男子学生(非ハイマート)とここでお茶して、インベーダーゲームを初めてしました。

 うちの配偶者は、鴨泝高校時代、ここでタバコを吸っていて教師に捕まったことがあるとか。

 リバーバンクは、あの近辺での「青春」を象徴する場所だと思います。

 登場人物の名前と性格は、全て陰陽道を踏まえています。そのつもりでもう1度目を通されると面白いかもしれません。

 などと薀蓄を傾けましたが、私は原作を読んでいません。

投稿: chunzi | 2009年5月30日 (土) 23時16分

chunziはん、どうも。
 吉田泉殿町の「ZACO」(こちらは知らなかった)とか百万遍の「おらんじゅ」などは実在する喫茶店のようです。
 陰陽道はよくわかりません。知っていて読み直すと、さらに面白いかも知れませんね。
 ま、1日あれば読めますので、ご一読を。
 それはそうと、非常にタイムリーなことに、昨日の午後のNHKラジオ第一放送「かんさい土曜ほっとタイム」2時台の「おもしろ人物ファイル」に、作者の万城目学さんが出てはりました。意外に落ち着いた、奇麗な大阪弁を話さはる人でした。

投稿: Ohrwurm | 2009年5月31日 (日) 08時07分

 おらんじゅをご存知なかったですか!

 ここも上述の男子学生と何度か行っています。百万石の隣の方です。今もあるのかな。

 昨日は1時台だけ聞いて昼寝してしまいました。よね吉さんが出ていましたね。

投稿: chunzi | 2009年5月31日 (日) 14時28分

chunziはん、どうも。
 書き方が間違ってました。「実在」ではなくて「現存」ですね。さすがに「おらんじゅ」は知っています。今も現存しているのでしょうか?入ったかどうかは、記憶が定かではありませんが、1回ぐらいは入ったような記憶があります。「ZACO」は全く知りません。
 小説には出てきませんが、出町柳の「柳月堂」にも学生時代に1回か2回入ったことがあります。「柳月堂」には2年前の学位授与式のあと妻と一緒に入りましたが、学生時代に入ったときより、ずっと落ち着いた雰囲気になっていたように思えました。
 しかしあの学生時代は、喫茶店に入るのは贅沢で、せいぜい北部生協の2階でコーヒーを飲むぐらいでしたね。あまり喫茶店に入った記憶がありません。食堂にしてもそうです。もっぱら生協の食堂のお世話になりました。

投稿: Ohrwurm | 2009年5月31日 (日) 16時21分

そうですね。喫茶店に行くのは、デートまがいの時だけだったかもしれません。

 百万辺の北西の角に出来たちょっと洒落た喫茶店は珈琲が美味しくて、アルトの同級生とちょいちょい行ってましたが、すぐ無くなった気がします。

 学部に入って、院生(Iさんだけではなく)のお供をするようになると、ハイマートで出かけるのとは違った場所が増えました。

 進々堂、学士堂、コントワールなどが多かったと思います。

 河原町界隈では、夜の窓、六曜社、ソワレ、ミューズなどにもよく行きました。

投稿: chunzi | 2009年5月31日 (日) 17時34分

chunziはん、どうも。

百万遍界隈では、進々堂には少なくとも一度は入ったことがあります。たぶんコーヒーでもすすっていたんじゃないかと思います。誰と一緒だったかも憶えていません。学士堂やコントワールは、名前だけは記憶にありますが、どこにあったのやら、記憶がありません。

市街地では、堺町三条の「イノダコーヒ」本店に二回ぐらい入ったような記憶があります。ずいぶん贅沢をしたような気持ちだったという印象が強く残っています。

投稿: Ohrwurm | 2009年5月31日 (日) 19時16分

 どうも行動パターンが違いますなあ。学部時代に一気にハイマートの生活圏から飛び出してしまったのかしら。

 イノダは子どもの頃から大丸の帰りにちょいちょい行ってました。BGMの無い雰囲気が大好きです。ただ、贅沢な店ではありません。

 娘が幼児の時も連れて行ってました。子供にも親切にしてくれます。チキンライスを取ると、可愛いお皿とスプーンが出てきたり。

 5歳で三重に移ったわけですが、京都の思い出というと、まずはイノダのチキンライスだそうです。

 チキンライスといえば、平安神宮の東側の「小宝」というお店もよく行きました。これは配偶者が育った生活圏です。

投稿: chunzi | 2009年6月 1日 (月) 07時41分

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