いつもの里山へ・・・ウラゴマダラシジミやササユリなど
今日は明け方にはかなり激しい雨が降り、午前中は天気が悪かったのだが、午後からは晴れてきたので、いつも(と行っても、最近はご無沙汰していることが多いのだが)の里山に出かけた。晴れてはいるが北西の風がやや強く乾燥気味で、生き物の観察にはあまり良い条件ではなかった。でも、家にじっとしているよりはマシだ。
コアオハナムグリやクロハナムグリなどが集まるイボタノキの花はとうに終わっており、ハナムグリ類は全く見られなかった。咲き残りのイボタノキの花の近くで生き物を物色していると、1頭の蝶が飛んできた。ルリシジミかウラゴマダラシジミかどちらだろうと見当を付けたのだが、止まってくれないと確認できない。運良く目の前のイボタノキの葉の上に止まり、ウラゴマダラシジミだということがわかった。ゼフィルス(ウラゴマダラシジミを含むミドリシジミの仲間の総称)を見るのは、今年はこれが初めてだ。
何かいないかとウロウロしていると、何かは見つかる。コナラの葉の裏で交尾しているコイチャコガネ、地面にじっとしているニホンアカガエルなど。
この里山は、あるNPOが管理している。里山の自然を守ろう、という趣旨で運営されている。ところが、このNPOが行っている里山への手の入れ方は、どう見ても適切なものだとは思えない。
林の下草を全部刈り取ってしまったり、特定の種の植物を管理して「保護」しようとしたり・・・・・。『「自然との共生」というウソ』でうまく説明されているように、特定の種を管理して保護しようという考え方は、ある個人なり、ある集団なりの「趣味」に過ぎない。
このササユリは、木製の杭に支えられている。ここからは「ササユリを保護しよう」という意思が読み取れる。しかし、杭に支えられているササユリは哀れであると同時に、これを見ていると滑稽に思えないだろうか?自然に存在するものは、たとえ傾いたり倒れたりしていても、やはり自然のままの姿の方が美しいと思えるのだが。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
○○のホタル愛護会的な団体があちこちで見られますが、一部では生態系ということを全く理解しようとせずに特定の種だけを保護するような思想や活動があるようです。人の意見に全く耳を貸さないのはある種の宗教のように感じさせられます。
投稿: 楽苦 | 2009年5月31日 (日) 21時02分
楽苦さん、コメントありがとうございます。
『「自然との共生」というウソ』も是非お読みください。ぼくは、なぜ自分が「○○を保護する会」のような団体に違和感を感じていたのかがよくわかるようになりました。
http://ohrwurm.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-7963.html
この場所ではササユリのほか、イチヤクソウも保護の対象になっています。
生態系のしくみ、という視点が決定的に欠けています。
投稿: Ohrwurm | 2009年5月31日 (日) 21時17分
ニホンアカガエルですか。
私なんか、茶色くなったアマガエルにしか
見えないかも。
ササユリの保護はそれほど悪いことのようにも思えません。ササユリの減少の度合い、里山の貴重さと相対的関係にあるのではないでしょうか。
投稿: 熊80 | 2009年6月 2日 (火) 11時50分
熊はん、どうも。
ササユリの保護が悪いことのように思えないのであれば、『「自然との共生」というウソ』を是非お読みください。
http://ohrwurm.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-7963.html
この本には、特定の種を保護しようというのは、ある種のエゴだと書かれていますが、ぼくはそのとおりだと思います。
ぼくは、木の杭に支えられているササユリに、何とも言えぬ違和感を感じます。
投稿: Ohrwurm | 2009年6月 2日 (火) 20時19分
優先順位もあり、ご推薦の本は読めません。
この場のみの議論を。
ササユリに違和感を感じられるのは結構。
>特定の種を保護しようというのは、ある種のエゴだと書かれていますが、
エゴの定義もよく知りませんが、エゴはいけませんか。エゴが無い世界があるのでしょうか。
農薬の存在はどう思われますか。特定の種を保護しようとするエゴの代表と思いますが。農薬ではなくて手で取ればいいというのは別の議論ですね。先回りしすぎました。
投稿: 熊80 | 2009年6月 2日 (火) 22時22分
熊はん、どうも。
特定の種だけを保護しようとする考え方が「自然保護」であるという思想に、ぼくは同意できないというだけです。保護するなら、「名も無い雑草」や「いわゆる害虫」なども一緒に保護するのがより真に近い「自然保護」だと思うわけです。
農薬は全く人間のエゴです。今生きている人間が食べていくためには、農薬は無くてはならないものです。どこまでエゴが許されるか、それは大変難しい問題です。
投稿: Ohrwurm | 2009年6月 2日 (火) 22時36分
NPOの人たちもやっていることが理想的な「自然保護」と思っているわけではないでしょう。人が好むような植物を残して、人々が自然とふれあいやすくしているくらいに思っているのでは?
ハサミムシさんの自然保護は、ゴミなんか捨てられないように、排水が流れ込まないように監視するのみなのでしょうか。知りたくなりました。
投稿: 熊80 | 2009年6月 3日 (水) 09時35分
熊はん、どうも。
NPOの人たちがやっていることは、善かれと思ってやっていることでしょうけど、極論すれば「趣味」だと思います。NPOの人に何か訊ねられれば「余計なことはしなくても良いんじゃないですか」と言うと思いますが、敢えてNPOの人たちにそのことを言おうとは思いません。他人の趣味に余計な口出しをすることもないと思いますので。
ぼくは自然を守ることは大切だと思っていますが、「自然保護活動」に参加することには抵抗感があります。その理由はよくわからなかったのですが、高橋敬一氏の著書を読んで合点がいきました。
ぼくの自然保護は、「自然を人工的に改変しない」ということになろうかと思います。汚さないことはもちろんですが、保護するための余計な手出しもしない、ということです。消極的だと言われそうですけど。
投稿: Ohrwurm | 2009年6月 3日 (水) 19時05分
同じパタンで絡もうとは思いませんが(^^;趣味結構じゃないですか。 失礼ながら、ハサミムシさんの自然観察も多くが趣味だと思います。
だんだん話の本質がわかってきました。NPOの人たちは一般の人たちにわかりやすい生物を保護し、ササユリの花を立てて見やすいようにしました。一般市民も少しは里山に関心を持つかもしれません。
これが、ハサミムシさんの趣味に合わないわけですね。
投稿: 熊80 | 2009年6月 4日 (木) 08時37分
熊はん、どうも。
この場所は普通の人はほとんど来ないような場所なので、NPOの皆さんが一般市民に関心を持ってもらおうと考えているとは解釈しにくいです。ですから真意はわかりません。おそらく別のところにあるでしょう。
ま、いずれにせよ、ぼくの「趣味」には合っていないことは確かだと思います。違和感を感じているわけですから。
投稿: Ohrwurm | 2009年6月 4日 (木) 20時41分