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2009年5月12日 (火)

OM-3Ti

 このブログの"My favorite blogs"に挙げてある「野田俊作の補正項」の5月9日の記事をみて、「お主、やるのぉ」と思った。ブログの主の野田俊作先生は、この世に5000台程度しか存在しないと言われているオリンパスのフルマニュアル一眼レフOM-3Tiをお持ちだのだ。実はぼくも1台持っている。石垣島在住時代にはそれなりに活躍していたのだが、こちらに引っ越してきてから写真をほとんど撮らなくなってしまったので、防湿箱の肥やしになってしまっている。使ってやらなくては、と思うのだが、写真へのモチベーションが下がったままだ。
 石垣島在住時代には、OM-4Tiにはコダクロームを入れて、OM-3Tiにはフジクロームベルビアを入れて、OM-2Nにはフジクロームアスティアを入れて、というように、オリンパスOMシリーズは大活躍だった。撮る対象を考えて、フィルムも使い分けていたのだ。こちらに引っ越して、撮る対象が無くなってしまったということは、本当に寂しい。
 OM-3Tiのメーカー希望小売価格は20万円だった。これだけのお金を出せば、オートフォーカス一眼レフの中級以上の機種が買えた。それをあえてフルマニュアル(フォーカスはもちろん、絞りもシャッター速度もマニュアルである)のメカニカル(露出計以外は電池がなくてもちゃんと動く)のカメラを買うわけだから、OM-3Tiの所有者にはそれなりのこだわりがあるのだと思う。
 ぼくは欲しくて仕方がなかったのだが、なかなか踏ん切りがつかず、なかなか買えずにいた。ところが、ジリジリと実売価格が下がって14万円ほどになったとき、「買い時は今だ」と思って、清水の舞台から飛び降りる気持ちで金をはたいて買った。
 OM-3Tiは今でもそれなりに人気があるらしく、中古の販売価格は15万円程度で、ぼくが新品を買った価格よりも高い。もっとも、買い取ってもらうとすると、そんな値段は付かないだろうから、売る気は無いのだが。やはり、所有していることに(使用することができればさらに)意味があるのだ。
 5月11日の記事を見ると、さらに面白いことが書かれていた。「最新型のデジタル一眼レフに勝った」というところだ。この気持ちは大変よくわかる。ライカやコンタックスのレンジファイダーカメラには勝てないが、そんじょそこらのデジタル一眼レフには負ける気がしない。
 我が家のコンパクトカメラはコンタックスの"TVS II"だ。これも「強い」カメラだと思う。同じコンタックスの"T"をはじめとする固定焦点のチタンボディのカメラには負けるが、それ以外のカメラには負ける気がしないのだ。これは、一昨年の石垣島旅行に持参した。これも使う機会を作ってやりたい。
 話は変わるが、野田俊作先生のブログの5月11日の記事の本題は、ぼくも常々考えていることと似ている。「真理は中間にある」という表現が使われているが、そこまで言うのは極端だとしても、本文に書かれているように「最適解は中間にある」ということだ。どうも最近、何事につけても極端な方向に走ってしまうことが多いようだが(自分自身でもそうなってしまうことがある)、極端なところに最適解などあるはずはないのだ。

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コメント

OMのチタンボディは今でも欲しいカメラです。いいなぁ。オリンパスがZUIKO MACRO 20mm, 38mm,80mmを生産中止にする最後に注文して買いました。これは今でも活躍しています。

オリンパスのマイクロフォーサーズが小型のデジ一をパンケーキレンズで出してくれることを期待しています。

投稿: ドクトルふんふん | 2009年5月12日 (火) 22時58分

ドクトルふんふんさん、コメントありがとうございます。ZUIKO MACRO 20mm, 38mm, 80mm, 135mmもちゃんと持っていますよ。愛用のレンズは21mm/F2, MACRO 50mm/F2, MACRO 90mm/F2でした(過去形)。Fisheye 16mmを買い損ねたのが痛恨の極みです。
愛用していたコダクロームがなくなってしまったことと、OMシリーズを活躍させる機会がなくなってしまったことが本当に悲しいです。
ZUIKOレンズは、アダプターを使ってEシリーズに繋げるのが資産の有効利用でしょうかねぇ?

投稿: Ohrwurm | 2009年5月12日 (火) 23時08分

E3につないで使っています。まるで生物顕微鏡のような円錐形が光を回しやすくて重宝します。エクステンションチューブも使いやすいです。まあ20mmはマニアすぎますが。

投稿: ドクトルふんふん | 2009年5月12日 (火) 23時30分

ドクトルふんふんさん、やはりEシステムに繋がれているわけですね。職場では廉価版のE-300を使っていますけど、自分でもそろそろ買い時かなぁ。20mmマクロの出番があるかどうかわかりませんけど。

投稿: Ohrwurm | 2009年5月13日 (水) 06時54分

Ohrwurmさん
カメラの話ではなく「最適解は中間にある」についての話です。とても大切な話ですね。「最適解は中間にある」という言葉はとても「心地よい」言葉です。そのため「最適解は中間にある」について疑義がはさまれることはほとんどありませんし、むしろよく耳にするごく一般的な見解でもあります。でもその一方でコトが個人的経験に基づく「正しさ」に関する場合、「最適解は中間にある」は人を苦しめる言葉でもあります。「最適解は中間にある」はすべての事柄に適応して「ハイ! これで終わり、終わり!」ではないということです。
 ほとんどの場合、「最適解は中間にある」は外部にいる「他人」によってコトの渦中にいる者たちに対し「訓辞」として語られます。他人の争いなどない方が自分の適応度上昇には有利に働くからです。そして自分自身にとってとても大切と思われることについては(私自身も含めて)ほとんどの人は二分法のかなり極端な選択を平気でしたりします。人間を始めとして多くの現生動物(遺伝子)はこの二分法という判断(機能、道具)があって初めて、現在まで生き残ることができました。まさに逃れられない生物学的宿命で、それをいちいち意識することすらできません。
 私はいつも思うのですが、人間の本性を真正面から受け止めることがまずなによりも必要です。そうでないと他人が語る理想論によっていたずらに自分を責めて苦しむことになります(あるいは自分にウソをつくことになります)。失いたくないのに失うコトがどんどん増えていく今日のいろいろな意味におけるグローバリゼーションのただ中にあっては、私たちは適応度上昇に基づく各々の局所的、個人的最適解を持ち出しながら、互いにいがみあい、ののしりあい、「自分は正義の人」であると主張して相手をやりこめようとし、苦しみ、悩み、煩悶し、その裏で相互の力関係を勘案し、自らの利益と照らし合わせ、仕方なくあきらめ、いやいや妥協し、最後には自分まで「自分は結局は勝利したんだ。なかなかよくやった」などとごまかしもし、異質な世界を受容し、融合しながら生きていくしかありません(事実これまでもそうやって生きてきました)。こうして到達した地点を「最適解である中間」と呼ぶのでしたら、まったく異議はありません。要するに様々な価値観が混在する現在、個人的経験に基づく「正しさ」については、最初から「最適解である中間」などの位置は特定しえないし(パラメータの小さな違いで大きく変化することもあります)、最初からそこに位置していなかったことで自分を責めるべきでもありません。個人的経験に基づく「正しさ」についてバイアスを持たない人間など人間ではありません。このことをこそいま、しっかりと受け入れるべきだと私は思うのです。
 

投稿: 南十字星 | 2009年5月13日 (水) 09時07分

南十字星さん、コメントありがとうございました。
 おっしゃることは大変よくわかります。しかし、様々な形で組織の中に身を置いていると、その組織の「正義」の前には、大局的にみた「最適解」を提示する勇気がなかなか出てきませんし、自分の居場所を定めることも困難になることもあります。そういうところで自分は日々苦しんでいるのだろうな、と想像しています。
 ちょっと話が暗くなってきましたね。

投稿: Ohrwurm | 2009年5月13日 (水) 21時43分

暗い話になってしまって、も、もうしわけありません。深く反省しています。
 そういえばついこないだ、国際空港からもほど遠くない湿地で採集した小さな甲虫の種類が分かりませんでした。分類に詳しい方に見ていただいたのですが、いまのところファミリーも確定していません。また住宅地にある我が家の庭で採れた小さな虫はもうじき新種記載される予定です。きのう、郊外の杉林の脇で採った虫も図鑑に出ていませんでした。人間の制圧下に置かれた場所で暮らすこれらの虫たちの来歴がたとえどのようなものであろうとも、自分にとって新しい虫に出会うのはとてもうれしいことです。二~三日は幸福感に浸りながらほんわかと過ごすことができます。これはもう理屈抜きに押さえがたい人間の本能なのかもしれませんね。

投稿: 南十字星 | 2009年5月15日 (金) 08時00分

勝ち負けは何で決まるのでしょうか?

 逆方向に行く私はNIKON D5000を買いました。いろんな撮影モードがあり、私がちょっとくらい考えて設定するより遥かに良い写真が撮れます。ホワイトバランスまで調整されるので、勝ち目はなさそうです。

 観光のついでに撮影するのはこんな感じですね。

投稿: 熊80 | 2009年5月15日 (金) 16時57分

南十字星さん、どうも。
 新種を見つけたときの感激は大きいものでしょうね。でも、ぼくの場合、新種と見つけるより新しい現象を見つけたときの方が充実感があります。このあたりの違いは、どこから来るのでしょうねぇ?

投稿: Ohrwurm | 2009年5月15日 (金) 18時22分

熊はん、どうも。
 勝ち負けは客観的に決まるわけではありません。自分が勝ったと思えば勝ちです。
 ホワイトパランスやトーンまで変えられるデジカメは確かに便利ですね。仕事で使うならデジカメが良いですけど、趣味で使うならデジカメはつまらないです。

投稿: Ohrwurm | 2009年5月15日 (金) 18時23分

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