« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »

2009年5月

2009年5月31日 (日)

いつもの里山へ・・・ウラゴマダラシジミやササユリなど

 今日は明け方にはかなり激しい雨が降り、午前中は天気が悪かったのだが、午後からは晴れてきたので、いつも(と行っても、最近はご無沙汰していることが多いのだが)の里山に出かけた。晴れてはいるが北西の風がやや強く乾燥気味で、生き物の観察にはあまり良い条件ではなかった。でも、家にじっとしているよりはマシだ。
 コアオハナムグリやクロハナムグリなどが集まるイボタノキの花はとうに終わっており、ハナムグリ類は全く見られなかった。咲き残りのイボタノキの花の近くで生き物を物色していると、1頭の蝶が飛んできた。ルリシジミかウラゴマダラシジミかどちらだろうと見当を付けたのだが、止まってくれないと確認できない。運良く目の前のイボタノキの葉の上に止まり、ウラゴマダラシジミだということがわかった。ゼフィルス(ウラゴマダラシジミを含むミドリシジミの仲間の総称)を見るのは、今年はこれが初めてだ。
20090531blog1
 何かいないかとウロウロしていると、何かは見つかる。コナラの葉の裏で交尾しているコイチャコガネ、地面にじっとしているニホンアカガエルなど。
20090531blog2

20090531blog3

 この里山は、あるNPOが管理している。里山の自然を守ろう、という趣旨で運営されている。ところが、このNPOが行っている里山への手の入れ方は、どう見ても適切なものだとは思えない。
 林の下草を全部刈り取ってしまったり、特定の種の植物を管理して「保護」しようとしたり・・・・・。『「自然との共生」というウソ』でうまく説明されているように、特定の種を管理して保護しようという考え方は、ある個人なり、ある集団なりの「趣味」に過ぎない。
 20090531blog4
 このササユリは、木製の杭に支えられている。ここからは「ササユリを保護しよう」という意思が読み取れる。しかし、杭に支えられているササユリは哀れであると同時に、これを見ていると滑稽に思えないだろうか?自然に存在するものは、たとえ傾いたり倒れたりしていても、やはり自然のままの姿の方が美しいと思えるのだが。

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2009年5月30日 (土)

万城目学著『鴨川ホルモー』

万城目学著『鴨川ホルモー』
2006年4月20日発行
産業編集センター
ISBN4-4-916199-82-0
1200円+税

 今年の4月に封切られた同名の映画を連休に見に行ったので、原作を読んでみることにした。津市図書館にあることはわかっていたが生憎貸し出し中で、5月10日に図書館に行ったときに予約を入れておいた。待つこと半月余、やっと水曜日に図書館から電話があったので、昨日の夕方、仕事帰りに図書館まで足を延ばして受け取ってきた。
 小説の類を読むのは久しぶりだ。これまでに映画を見たあとに原作を読んでがっかりした経験があったが、この小説はそんなことはなかった。原作と映画とでは設定に違いが色々あったり、映画では省略されていたりしたエピソードもあったりしたが、登場人物の性格は、そのまましっかり映画にされていたと思う。原作の生き生きとした登場人物は、映画でもしっかり描かれていたと思う。
 原作を読んでみてあらためて映画を思い浮かべると、楠木ふみを演じていた栗山千明は好演だったと思う。原作でも「オニ語」がたくさん出て来るかと思ったのだが、ほんのわずかに出てきただけだった。原作にはなかった「ゲロンチョリ」という言葉は、映画のために創作されたようだ。
 ぼく自身、京都で7年も暮らしたので、懐かしい地名がたくさんでてくる。喫茶店の名前まで現存するものと同じものがあったような気がする。もう、四半世紀近くも前のことなので、記憶は定かではないが。
 まあ、読んで楽しめる青春小説だと思った。京都に縁も所縁も無い人が読んでも楽しめると思う。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2009年5月26日 (火)

マジシャンの若すぎる死・・・マーカ・テンドー

 今日は職場の研究設計検討会があり、そのあとに懇親会があったため、帰宅がいつもより遅くなった。帰宅すると、実家の母から電話があったと妻が伝えてくれた。「ヤブちゃんが亡くなった」と。食道癌で入院治療していたことは知っており、その手術の費用のカンパもして、復活できることを信じていたのだが。それにしても、色々なことが思い出されてくる。
 「ヤブちゃん」とは藪下隆男君のことで、小学校と中学校のときの同級生だ。極めて親しいというほどではなかったが、何となく気が合うことが多かった。ぼくもヤブちゃんも、どちらかと言えばスポーツ音痴で、小学校の体育の授業や、放課後にサッカーやソフトボールをやるときには、ぼくもヤブちゃんも「二軍」に入れられた。ヤブちゃんは強度の近眼で小学生の頃から眼鏡をかけていたが、あるとき、ソフトボールのキャッチャーをやっていて、キャッチャーフライを取り損ねて眼鏡を壊したことを憶えている。
 1学年10クラスもあった中学校では2年の時に同じクラスになった。担任は栗本先生。この頃ヤブちゃんはマジックに興味を持ったらしい。しばしば学校に手品の道具を持ってきた。もちろん、そんな物を学校に持ってきてはいけないことになっていた。それでも持ってきていたのだ。
 ある日、手品の道具を栗本先生に見つかってしまい、取り上げられてしまった。チャイニーズ・リングだった。3本の金属の輪が離れたり繋がったりするやつだ。栗本先生はそれをマジマジと見て、「こうなっているのか」とタネをばらした。それにもめげず、ヤブちゃんは毎日のように手品の道具を学校に持ってきた。
 ぼくは2年生までは生物部に入っていたが、3年生になったとき、顧問の先生が転勤されて別の先生が顧問になり、生物部が面白くなくなっていた。ちょうどその時、合唱部の顧問の先生から「合唱部においで」と声をかけられた。一悶着あったが、ぼくは生物部から合唱部に移籍した。どういういきさつだか知らないが、何故かヤブちゃんも合唱部にいた。合唱コンクールに混声合唱で出るため、男声を集めていて、コンクールには6〜7人の男声が出ていたと思う。しかし、卒業アルバムのクラブの写真を見ると、合唱部はほとんど女の子ばかりで、男はぼくとヤブちゃんの2人だけだった。
 中学を卒業すると別の高校に進んだので、ぼくとヤブちゃんが顔を合わせることはほとんど無くなった。人づてに、プロのマジシャンに弟子入りしたらしい、という話が聞こえてきた。実家がすぐ近くなので、ぼくの実家の近くで喫茶店を経営しているヤブちゃんの両親とぼくの母親はしばしば顔を合わせていたので、そんなところからも話が聞こえてきていたのだろうと思う。
 その後、テレビや新聞で「マーカ・テンドー」という名前で活躍するようになったヤブちゃんのことを知るようになった。手先の器用さがモノを言うマニュピュレーションという部門のマジックの世界的な大会で入賞するなど、もはや「ヤブちゃん」ではなく、世界の「マーカ・テンドー」になっていた。
 直接顔を合わせたのは、中学を卒業して15年も経った頃のことだ。ぼくが結婚することになり、結婚式の披露宴に来て欲しいとお願いしたのだ。世界の「マーカ・テンドー」になったヤブちゃんは、二つ返事で来てくれることになった。披露宴で本格的なカードマジックを披露してくれたのはもちろんのこと、披露宴の二次会でもサービス精神旺盛で、会を盛り上げてくれた。ぼくはどうやらヤブちゃんからは「変わり者」として認識されていたらしく、ぼくが結婚できるなんて考えてもみなかった、などという失礼な発言をしたことも記憶に残っているが、もちろん彼のジョークだと思いたい。
 その後、NHKのテレビ番組「音楽・夢コレクション」の準レギュラーの様な形で出演していたので(レギュラーは松尾貴史、中島啓江、森公美子などで、Gクレフなども毎回のように出演していた)、毎週のようにヤブちゃんのマジックを楽しませてもらった。
 その後、テレビで見る機会も少なくなったが、どうやらステージ中心に仕事の場所を移していたからということらしい。そういうわけで、その後は年賀状のやりとりだけの状態が続いていた。
 ところが、今年の春になって、mixiを通して彼が癌に冒されていることを知った。しかも、簡単な手術では治療できないということだ。普段不義理にしていたので、あの最高のテクニックのカードマジックがまた見られることを期待して、手術の費用をカンパした。しかし、それも無駄に終わってしまった。非常に残念でならない。実家のご両親はまだお元気なので、息子の死を見送ることは、大変辛いことだろうと心中をお察しする。
 カンパ運動に関しては、マジシャン仲間のブラボー中谷さんにお世話していただいた。この場をお借りしてお礼申し上げたい。

| | コメント (13) | トラックバック (0)

2009年5月24日 (日)

今年も鱒を食べに「大吉」へ

 去年の5月11日に初めて行った「大吉」。今は津市になっているが、かつては一志郡美杉村だったところ。その美杉村の中でも、最も山奥の方だ。気に入ったので今年も行くことになった。
 実家の両親を誘ったのだが、今年も父親は仕事の都合で来られず、母親だけが来て、我が家の5人と合わせて6人ででかけた。去年は霧雨が降るような肌寒い日で、我々以外の客は全くおらず、何となく寂しかったが、今日は他に4〜5組の客があり、賑わっていた。山の奥とは言え、やっぱり、多少は賑わっていた方が楽しい。
20090524blog1
 まずは川の水を引き込んだ生け簀で釣りを楽しんでから、釣った魚を料理してもらう。簡単に釣れるはずだったが、最初はなかなか思い通りに釣れず、どうなることかと思ったが、三男坊だけは順調に釣って、お昼に食べるには十分なぐらいになった。普段もたまには釣りをしている三男坊は、やはり釣りのセンスが良いのだろう。
20090524blog2

20090524blog3

20090524blog4

 次男坊が1匹大きなマスを釣り上げたので、それは刺身にしてもらい、残りは塩焼きと唐揚げにしてもらった。
20090524blog5

20090524blog6

20090524blog7

 天気がやや心配されたが、現地に着いたときには晴れ間も出てきて気持ちの良い日になり、清々しい空気の中で食べる鱒は美味しかった。お値段も手頃で、味も満足。良い休日になった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年5月22日 (金)

あっと言う間の英文校閲・・・こういうこともあるわけね

 某学会誌に投稿するための短い論文を日本語で書いたのだが、それには英文の摘要を付けなければならない。その英文の摘要は、投稿前にネイティブによる英文校閲を受けることが義務づけられている。
 というわけで、今朝、いつも(お金を払って)お願いしているアメリカ人に「今すぐできるか?」と電子メールを出した。するとすぐに返事が返ってきて「週末前ならすぐにできる」との返事。おお、アメリカは時間が遅れているから、まだ週末までには時間があるな、などと考えながら、早速原稿を送ったところ、昼前には校閲が済んで原稿が返ってきた。短い論文の英文摘要とは言え、2時間半足らずで片付いてしまった。アメリカ合衆国東部時間では、木曜日の夕食後にくつろいているような時間帯だと思うが、こうやってすぐに対応してもらえると嬉しい。
 というわけで、論文は早速投稿することができた。論文を一つ投稿すると、一つ仕事が片付いたような気がする。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年5月20日 (水)

本川達雄著『「長生き」が地球を滅ぼす』

本川達雄著『「長生き」が地球を滅ぼす』−−現代人の時間とエネルギー
2006年1月23日発行
阪急コミュニケーションズ
ISBN4-484-06202-X
1600円+税

目次
はじめに−−時間の見方を変えて生き方を変えよう
プロローグ 東京は悲しいところ−−ネズミなみの人口密度で暮らす異常さ
第1章 動物の時間−−動物によって時間は異なる
第2章 動物のエネルギー消費−−恐竜は意外に小食だった
第3章 エネルギー問題を考える−−日本人はゾウなみのエネルギーを使う
第4章 現代人の時間−−人はエネルギーを使って時間を早める
第5章 ヒトの寿命・現代人の寿命−−縄文人の寿命は三〇歳
第6章 老いを生きるヒント−−意味のある時間は次世代のために働くことによって生まれる
エピローグ 天国のつくり方−−ナマコに学ぶ究極の省エネ
あとがき
読書案内
付録
索引

 著者である本川達雄氏は「歌う生物学者」として知られている。NHKテレビの「ようこそ先輩」か何かの中で歌っているのを聴いたことがある。「ゾウの時間ネズミの時間〜歌う生物学」という著書があることも知っており、かすかに読んだような記憶があるが、内容はごく一部しか憶えていない。その憶えている内容とは、ゾウもネズミも死ぬまでの心臓の鼓動の数は同じだ、というところだ。
 それはともかく、『「長生き」が地球を滅ぼす』とはかなり刺激的な表題である。しかしながら、中身は期待はずれなほどマトモなことが書かれていた。表題からはもっと過激な内容を期待していたのだ。無駄に長生きしてもエネルギーを食いつぶすだけで、後の世代に負担をかけているから、無駄に長生きすることはなく早く死に、そのために良い死に方を考えることが必要だ、というようなことが書かれていることを期待していたのだ。そういう点では、表題が刺激的なだけに、がっかりした。
 全体として著者が言いたかっただろうと思われることは、第6章の「老いを生きるヒント」にまとめられている。有効に老後を過ごすには、次世代のために働くことが大切である、と。あるい意味、本当にマトモすぎる結論だ。
 自分もそのうち老人になっていくであろうが、無駄に長生きはしたくはないと思うし、もし本格的な老人になってしまっても、若い世代の人たちの役に立つような生き方をしたいものだ。少なくとも、若い世代の人たちに迷惑をかけるようなことだけはしたくない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月18日 (月)

新型インフルエンザの影響・・・研究会中止

 昨日「新型インフルエンザの影響は?」と書いたばかりだったが、案の定、関西病虫害研究会の研究会と大会が中止(延期?)になった。この研究会の開催のために努力されていた現地の運営担当者の皆さんのご苦労は大変なものだと思う。自分としても、神戸に行くのはそれなりに楽しみにしていたので(3月に開通した阪神なんば線に乗ったり・・・とかを予定していたので)、ちょっと残念だ。
 新型インフルエンザは三重県にはまだ入っていないようだが、入ってくるのも時間の問題のように思えてきた。体調管理には気をつけないといけない。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2009年5月17日 (日)

新型インフルエンザの影響は?

 今週の金曜日に神戸市中央区で関西病虫害研究会の研究会と大会が開催されることになっている。それに出席する予定になっているのだが、新型インフルエンザの発生が急激に広がっているのが気に懸かる。学校などは軒並み休校になっているようだし、ひょっとしたら中止などということもあるかも知れない。
 中止にならなけれれば行くつもりだが、体調管理など、対策は講じておかなければならない。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2009年5月16日 (土)

我が家の裏の崖に獣の姿が!

 今日のお昼ちょっと前、勝手口から外に出たら、我が家の裏の崖になっている斜面に茶色い獣のような姿が見えた。正体が確認できる前に、その動物は崖にできているらしい穴らしきものの中に入ってしまったようなので、正体が何であるかはわからないままだ。大きさと色から判断するとアナグマの可能性が高いように思える。そのうちに正体を確かめたいものだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年5月15日 (金)

2009年アサギマダラ初見

 今朝8時前のことだ。出勤のためにバイクを田圃の中を走らせていたら、田圃の上をフラフラと飛ぶ大型の蝶が目についた。場所は津市河辺(こうべ)町の伊勢自動車道の高架をくぐってちょっと西側に行った場所だ。近くに行ってみると、何とアサギマダラだった。平地の、しかもこんな回りが田圃ばかりのところでアサギマダラを見るのは意外だった。やや肌寒いほど気温は低い。ともあれ、今年のアサギマダラの初見だ。
 一応アサギマダラの移動には興味を持っているので、常に携帯しているネットを使って捕獲してマーキングしようと思ったのだが、やや強い北西の風に煽られて、田圃の上をフラフラと飛ぶばかりで、とても手の届くような所に飛んで来てくれない。しばらく見ていたのだが、逆風に逆らって北西の方角に飛び去り、視界から消えてしまった。
 この時期に三重県中部で見られるアサギマダラは何処から飛んで来たものだろうか?紀伊半島南部なのか、それとももっと遠くの南の島なのか、興味は尽きない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年5月12日 (火)

OM-3Ti

 このブログの"My favorite blogs"に挙げてある「野田俊作の補正項」の5月9日の記事をみて、「お主、やるのぉ」と思った。ブログの主の野田俊作先生は、この世に5000台程度しか存在しないと言われているオリンパスのフルマニュアル一眼レフOM-3Tiをお持ちだのだ。実はぼくも1台持っている。石垣島在住時代にはそれなりに活躍していたのだが、こちらに引っ越してきてから写真をほとんど撮らなくなってしまったので、防湿箱の肥やしになってしまっている。使ってやらなくては、と思うのだが、写真へのモチベーションが下がったままだ。
 石垣島在住時代には、OM-4Tiにはコダクロームを入れて、OM-3Tiにはフジクロームベルビアを入れて、OM-2Nにはフジクロームアスティアを入れて、というように、オリンパスOMシリーズは大活躍だった。撮る対象を考えて、フィルムも使い分けていたのだ。こちらに引っ越して、撮る対象が無くなってしまったということは、本当に寂しい。
 OM-3Tiのメーカー希望小売価格は20万円だった。これだけのお金を出せば、オートフォーカス一眼レフの中級以上の機種が買えた。それをあえてフルマニュアル(フォーカスはもちろん、絞りもシャッター速度もマニュアルである)のメカニカル(露出計以外は電池がなくてもちゃんと動く)のカメラを買うわけだから、OM-3Tiの所有者にはそれなりのこだわりがあるのだと思う。
 ぼくは欲しくて仕方がなかったのだが、なかなか踏ん切りがつかず、なかなか買えずにいた。ところが、ジリジリと実売価格が下がって14万円ほどになったとき、「買い時は今だ」と思って、清水の舞台から飛び降りる気持ちで金をはたいて買った。
 OM-3Tiは今でもそれなりに人気があるらしく、中古の販売価格は15万円程度で、ぼくが新品を買った価格よりも高い。もっとも、買い取ってもらうとすると、そんな値段は付かないだろうから、売る気は無いのだが。やはり、所有していることに(使用することができればさらに)意味があるのだ。
 5月11日の記事を見ると、さらに面白いことが書かれていた。「最新型のデジタル一眼レフに勝った」というところだ。この気持ちは大変よくわかる。ライカやコンタックスのレンジファイダーカメラには勝てないが、そんじょそこらのデジタル一眼レフには負ける気がしない。
 我が家のコンパクトカメラはコンタックスの"TVS II"だ。これも「強い」カメラだと思う。同じコンタックスの"T"をはじめとする固定焦点のチタンボディのカメラには負けるが、それ以外のカメラには負ける気がしないのだ。これは、一昨年の石垣島旅行に持参した。これも使う機会を作ってやりたい。
 話は変わるが、野田俊作先生のブログの5月11日の記事の本題は、ぼくも常々考えていることと似ている。「真理は中間にある」という表現が使われているが、そこまで言うのは極端だとしても、本文に書かれているように「最適解は中間にある」ということだ。どうも最近、何事につけても極端な方向に走ってしまうことが多いようだが(自分自身でもそうなってしまうことがある)、極端なところに最適解などあるはずはないのだ。

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2009年5月 5日 (火)

池田清彦著「生きる力、死ぬ能力」

池田清彦著「生きる力、死ぬ能力」
2005年1月15日発行
ISBN-4-335-00060-X
1,600円+税
弘文堂

目次
第1部 死の中の生
 第1章 人はなぜ死をおそれるのか
 第2章 もし生物が死ななかったら
 第3章 人の寿命は38億年?
 第4章 死はセックスと同時に出現した能力である
 第5章 寿命を延ばすことはできるのだろうか
 第6章 あなたが死ぬまで殺す生命の数は?
 第7章 かけがえのないあなたに宿るかけがえのある命
第2部 構造(システム)としての生命
 第1章 ゲノムは構造化されたシステムとして動く
 第2章 ハエと哺乳類の遺伝子は同じである
 第3章 生物多様性を神を抜きにして説明
 第4章 遺伝病も遺伝子を変えずに環境で治すことができる
 第5章 世の中も生物も構造を見ないと実相は見えない
あとがき

 池田清彦氏は、正統派とは異なる主張をしているということで、しばしば批判の的にされる生物学者だと思う。池田氏はネオ・ダーウィニズムを批判し、「構造主義生物学」という看板を掲げているが、これも気になる点だ。ぼく自身、1980年前後に「社会生物学」の渦に巻き込まれ、ネオ・ダーウィニズムの洗礼を受けることになったが、どうしてもネオ・ダーウィニズムでは説明できない生物現象があることも徐々にわかってきた。その後、池田氏の「構造主義生物学とは何か?」を読んだが、何が書かれているのか、全く理解できないままになっていた。しかし、最近になって池田氏の様々な著書を読むことにより、池田氏の主張するところの「構造主義生物学」がおぼろげながら理解できるようになり、「構造主義生物学」がネオ・ダーウィニズムと完全に対立する概念ではなく、ネオ・ダーウィニズムでは説明できない部分を説明しようとするものだということがわかってきた。
 まあ、それはともかく、この本は「生命とは何か」ということを色々考えさせられる本だった。最近の生物学(「生命科学」と呼ぶことも多いようだが)は還元的な見方が主流で、マクロにモノを見ることは学問ではないような風潮すら感じられる。しかし、我々が生きているとはどういうことか、ということは還元的なモノの見方だけでは解決できないばかりでなく、例えば長寿を求めることが必ずしも善ではないことなども、還元的なモノの見方では見えてこない。そのような点で、この本の第1部は、「生きるとはどういうことか」とか「死ぬとはどういうことか」ということを再認識させてくれるという点で、多くの示唆があると思った。
 第2部は、池田氏による「構造主義生物学」のインタビュー形式による解説のようなものに感じられた。構造主義生物学そのものは、まだきちんと体系化されたものだとは思えないが、考え方自体は無視できないものだと感じられる。
 第2部は一般の人にとってはあまり意味のないことだと感じられたが、生物学を学ぶ人は読んでおいても悪くないと思う。第1部は、「生きるとはどういうことか」とか「死ぬとはどういうことか」とかいうことを少しでも考えた事のある人ならば、読んでおいた方が良いと思った。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年5月 4日 (月)

ハルゼミの鳴き声を聞く・・・2009年

 南紀・湯ノ口温泉に行った帰り道、紀和鉱山資料館に立ち寄ったところ、近くの山からハルゼミの鳴き声が聞こえた。ぼくにとって、今年初めて聞くセミの鳴き声だ。Zikadeさんによれば、東広島の方では4月30日に鳴き声を聞いたとのことだが、こちらでも少し遅れて鳴き声を聞くことができたということだ。
 もっとも、自宅近辺ではハルゼミの個体数自体が非常に少ないので、今年自宅近辺でハルゼミの鳴き声を聞けるという保証はない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

南紀湯ノ口温泉へ

 今日は家族揃って南紀湯ノ口温泉に行くことにしていた。トロッコ列車に乗って温泉に入るのだ。
 現地までどれだけ時間がかかるかわからないが、瀞流荘11:15発の列車に乗る事を目標として6時半頃に出発した。ところが、途中小休止を数回したにもかかわらず、3時間ほどで到着してしまった。おのおかげて、一つ早い9:55発のトロッコ列車に乗る事ができた。
20090504blog1

20090504blog2

20090504blog3

トロッコ列車は2つのトンネルを通り、10分ほどで湯ノ口温泉に到着。
20090504blog4

 列車を降りて、温泉に向かう。湯治場を絵に描いたような鄙びた温泉だ。単純泉のようで、あまりクセの無いお湯だった。道は繋がっているので、車でも来れるが、正面から見ると、こんな感じ。
20090504blog5

 ゆっくりお湯に浸かって、売店で売られていたサンマ寿司を買ってお昼御飯にすることにした。まずは、それを持ってもう一度トロッコ列車に。ぼくらが乗ったトロッコ列車は大して混んでいなかったが、瀞流荘駅に着くと、多数の観光客が待っていた。11:15発のトロッコ列車に乗ろうとしている客だ。乗り切れないの判断されたためか、1両のトロッコが追加連結された。この混雑では、ゆっくり湯に浸かることもできないので、早く着けて良かったと思った。
 瀞流荘駅の近くには遊歩道があり、展望台があるようなので、そこに登ってお昼を食べることにした。すると途中にニホンミツバチの巣を発見。自然巣ではない。紀州ではニホンミツバチを飼う伝統があるという話を聞いていたので、なるほど、と思った。
20090504blog6

 昼食を食べてもまだお昼前。地図を見てみると、熊野本宮大社はそれほど遠くないことがわかった。せっかくなので、熊野本宮大社にも行ってみることにした。
 熊野本宮大社はかなり混雑していた。流石連休だ。一応参拝する。
20090504blog7

 そこから瀞流荘方面に戻り、その近くにあった紀和町鉱山資料館に入ってみた。紀和町は旧くからの鉱山があったらしく、それが解説されている。午前中に乗ったトロッコ列車も、その鉱山で使われていたものだ。
 資料館のすぐ隣に足湯があり、しばらく足を湯に浸けて横になる。ちょっと疲れが溜まってきてきたので、ちょうど良い休憩になった。この時点で時刻は15:00。
 地図を見ると、丸山千枚田がすぐ近くにあることがわかった。せっかくなので、こちらにも行くことにした。
 山道を登ると、突然田圃が出現した。テレビでは何度か見たことがあったが、現物をみると、それなりに感動する。ちょうど田植えの季節で、一部の田圃では田植えが終わっていた。まだこれから田植えになる田圃も多かった。
20090504blog8

20090504blog9

 ここまで見たら、あとは帰るだけ。途中、小休止と夕食をとり、混雑していると思われる高速道路を避けて、下道を走って帰った。我が家の車にはETCは付いていないのだ。帰着したのは20:00頃。走行距離約380km。燃費は16.4km/l。
 それなりに疲れた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 3日 (日)

シイノキの開花

 今日は珍しく映画を観に行った。わざわざ鈴鹿まで。津の映画館では上映されていないのだ。去年も『西の魔女が死んだ』を鈴鹿まで観にいったのだが、これも津では上映されていなかったからだ。
 『鴨川ホルモー』・・・母校のとあるサークルが舞台になっている映画だ。登場人物が携帯電話を使っていることを除けば、ぼくが学生時代を送っていた1980年前後と見間違うような情景が多く、青春時代を思い出すような気分で、リアリティも感じさせられ、何となく気恥ずかしさも感じた。登場人物も、あんな人は確かにいたなぁ、と思わされるキャラクターになっていた、テンポも早すぎず遅すぎずで、楽しめる映画だったと思う。1980年代から1990年代ぐらいにかけて京都大学で学生生活を送った人は、同様な気分を感じさせられるのではないかと思う。一般の人が観たら、また別の感覚を持つかも知れないが。
 鈴鹿からの帰り道、車を走らせていると、シイノキの林が所々が白くなっていた。花が咲いていたのだ。もうそんな季節になってきたのだ。我が家の近所にもシイノキの林がある。帰宅してから嗅覚を集中させると、シイノキの花の臭いが感じられた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »