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2009年2月15日 (日)

三重県環境学習情報センター インタープリター研修『三重県における外来生物の問題』

 三重県環境学習情報センターによる『三重県における外来生物の問題』という表題のインタープリター研修が行われたので、別にインタープリターではないのだが、受講者の対象の中に「自然に興味のある人」というのが含まれていたので、前もって申し込んでおいて出席してきた。
 外来生物については前々から考えるところが色々あったので、自分なりの回答を得るための参考になるのではないかと期待して出かけた。
 外来生物の問題として、生態系への影響、人の生命・身体への影響・農林水産業への影響、等々ある。しかしながら、この研修の講義を受けても、外来生物として特有の問題があるわけではない、という考え方を否定できるほどの自信を持てたわけではなかった。これらの問題は、在来生物でも問題になっているものは問題になっている(例えば、シカ、ニホンザル、イノシシ、オオスズメバチなど)。
 ま、なんだりかんだりで、講義のあと、自分として納得させたかったため、講師の先生にはやや意地悪な質問を重ねてしまって、申し訳ない気持ちが無いわけではないので、この場でお詫びとお礼を申し上げたい。
 納得させられなかったことのひとつとして、ブラックバスの問題がある。ブラックバスの問題は、在来種への影響が大きい、という点に集約されるのだと思うのだが(危険な生物でもないし、少なくとも三重県においては農林水産業への影響があるとは考えにくいので)、ブラックバスが侵入したことによって、そこにいた在来種が絶滅することのどのような点が問題なのかが、自分としては未だに納得させられない。生物の長い進化の歴史から見れば、それぞれの種がいつかは絶滅するのは確実なのだから、それが将来であろうと、今であろうと、あまり関係ないような気がする。絶滅することを問題視している人にとっては、今絶滅するのが問題なのだろうが、どうしてもそれが納得できない(ぼく自身は絶滅しない方が良いと思っているのだが)。
 こういう問題を某Tさんと話し合ったことがあるのだが、今自分の目の前で絶滅するのを見るのが嫌だ、という人間の感情の問題に過ぎないのではないか、というところでほぼ意見が一致した。こういうことを書くと、「自然保護活動」を実践している人たちから突っ込まれそうだな、と思うのだが、やはり自分として納得できるとすれば、感情論に帰着する。だから、すべての人間が納得できるような回答は無いのだと思える。
 そのように考えると「外来生物法(特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関わる法律)」というのは、存在根拠の薄いもののように感じられて仕方がない。日本の生態系にはまりこんでしまった外来種を駆逐するのはまず不可能だから、今まだ日本に入ってきていない種を日本に入れないことに予算を注ぎ込むのがもっとも必要とされることではないかと思う。

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コメント

在来の問題は、生息域の限定化によるものなどで、ブラックバスとは違います。
後者はいうまでもないと思うのですが、人類活動による種の移動、拡散により、そこの在来種が追われることが問題なのだと思います。自然の淘汰ならなんの問題もありません。

さらに農業の問題がからむとややこしい。

投稿: yoku401 | 2009年2月15日 (日) 22時24分

 難しいことは何もわかりません。

 ただ、琵琶湖のほとりで生まれ育ったものとしては、とにかく理屈抜きでブラックバスは憎い存在です。

 我が物顔で湖面を疾走する水上バイクと同じにしか見えません。

投稿: chunzi | 2009年2月15日 (日) 23時24分

yoku401さん、生息地の限定化による在来種の問題も、もとはと言えば、人間の活動の結果だと思いますから、本質的には外来種の問題とそれほど大きな違いがあるとは思えません。

投稿: Ohrwurm | 2009年2月16日 (月) 07時11分

chunziさん、琵琶湖は自然の湖岸がなくなって、コンクリートに固められてしまった湖岸がほとんどになってしまいましたから、在来種が減ったのをすべてブラックバスのせいと考えるのは難しいと思います。多少はブラックバスの影響はあるでしょうけど。いずれにせよ、すべての根源は人間の活動の影響だと思います。

投稿: Ohrwurm | 2009年2月16日 (月) 07時13分

こんにちは。

私も以前某Tさんの著書を読んで納得したものです。ホタルの保護には熱を入れるけれども生息数の減ったカメムシの保護には関心がない、ということですね。

これは馴染んだ環境(目で見える)の変化が自分の目の前で起こってほしくはないということがベースにあるということだと思います。今生きている人間の連帯責任として、我々の責任になるのは避けよう、と。

外来種の問題は、結果としてどのような連鎖が起き、どのようになっていくのか分からないので、やはり我々の目の前で結果が出るのを見るのは「責任問題」になるので、人為的持ち込みはやめようと言うことで、台風に乗って持ち込まれたものはわれわれの責任ではないので良しとするとまでは言わないけれど目くじら立てないでおこうと言うのではないでしょうか。

人為的に入ったアルゼンチンアリなど今後在来種を駆逐し、さらに旺盛な生活力のせいでセミも被害を受けるのではないか、と思っているので、私は懸念しています。これも私の目の前でセミがいなくなるのを見たくはないということでしょう。

もちろん持ち込まれた結果がさらにわれわれの生存にかかわるような大変化になるというような理由がきちんとある場合もあるのでしょうが、多くは感情の問題だということでよろしいのではないでしょうか。石が飛んで来そうですが・・・。

投稿: Zikade | 2009年2月16日 (月) 20時33分

Zikadeさん、コメントありがとうございました。
 つまるところ外来種の問題は感情の問題ではないか、と書いたことに対して、ぼくも石を投げつけられるのではないかと恐れています(ちょっと大袈裟か?)。
 ぼくが書いた某Tさんと、Zikadeさんの言うところの某Tさんは、おそらく同一人物だと思いますが、その某Tさんと話をしていて、「今の子どもは、物心ついたときからブラックバスなどが既に身近な存在になっているので、ぼくらの年代の人が持っている感情を持つようなことはないだろう」という話になりました。一例に過ぎませんが、我が家の三男坊は、ブラックバスやブルーギルは、コイやフナと同列の、数ある魚のうちの一つに過ぎないと思っているようです。

投稿: Ohrwurm | 2009年2月16日 (月) 22時13分

セイタカアワダチソウも、定着後かなり経過して、もはや故郷の懐かしい風景と思っている人も多いようです。

保全の問題は、感情論と切り離すことはできませんが、ブラックバスなどの侵略的外来種の場合は、(本当かどうかはともかく)多くの種が絶滅に追いやられ、多様性が低下して生態系が脆弱になる(これも本当かどうかは議論の余地があります)ことが問題なのではないでしょうか。いずれも本当かどうかは検証が必要ですが、失われたら回復不能なのですから、大丈夫だと確信できるまでは保全する方がリスク管理の面からは支持されるでしょう。

投稿: 橘 | 2009年2月17日 (火) 15時29分

橘さん、コメントありがとうございます。
 楽観的すぎるかも知れませんが、いま侵略的外来種だと考えられている種も、いずれ安定した生態系の一員として落ち着くような気がします。しかし、系が落ち着くまで見ている身(我々)としては、見ているだけでは不安なので、いろいろと手を出してみたくなってしまう、というところではないでしょうか。

投稿: Ohrwurm | 2009年2月17日 (火) 19時49分

 管理者様の仰ることもわかります。
 しかし,私は「今を生きるヒトの価値観」で
将来取り返しがつかないことが起きようとしている,それについて何もしない,または許すというのは問題だと思います。
 この意見を言う時には「人間生活そのものが必要悪」みたいなことによくなりますが,もちろん人間生活の利便性を全く排除するつもりはありません。
 ただ,外来種に関しては人間の予想していなかった空間やニッチで,知らないうちに悪さするというのが問題だと思います。
 農業とは,自然から耕作地を借りている。借りている土地の中には肥料も農薬も撒いて良いと思います。しかし予想しない範囲や河川に流入すると,それは借りていない土地であり,問題有りと思います。
 外来種も,人間が管理している庭などを文句言うことはないですが,逸脱してしまうことが問題だと思いますが。

投稿: 金井賢一 | 2009年2月18日 (水) 09時16分

金井賢一さん、始めまして。コメントありがとうございます。
 外来種が予期しない事態を引き起こすのは問題だと思いますが、予期しない事態を引き起こしているのは、何も外来種だけではなく、在来種でも同じことだと思います。本文中にも書きましたが、シカ、ニホンザル、イノシシ等の問題も、無視できない問題だと思います。
 ですから、外来種を特別視し、人間が生態系を操作しようなどと考えることは、大きな思い上がりのようにも思えるわけです。
 誤解の無いように表明しておきますが、ぼく自身は生態系が安定していることを望んでいます。

投稿: Ohrwurm | 2009年2月18日 (水) 21時01分

コメントを全部読んだわけではありませんが、どの生物を残すかは好みの問題と
割り切っていいのではないでしょうか。

山を丸坊主にして羊を飼い、鹿を連れてきて鹿狩りをしていたニュージーランド人が
自然の番人のようなふりをしています。

ニュージーランドには「この島にはネズミを入れてはいけない」と、水際を守っている島があります。単なる好みでしょう。

投稿: 熊80 | 2009年2月20日 (金) 11時33分

熊はん、突き詰めて考えてみると、どうしても「結局は好みの問題ではないか」というところに行き着いてしまいます。だから、「生物多様性」という言葉は政治的な言葉である、という池田清彦氏の言葉に納得してしまいます。
でも、そうではないんではないか、という気もするので、色々悩んでいるわけです。

投稿: Ohrwurm | 2009年2月20日 (金) 18時39分

「そうではないんではないか」を
言葉で表す努力をすべきですね。
労力を払ってもその価値はあります。

失礼ながら、この点の詰めが甘いところが
ハサミ虫さんのweak pointかと。

投稿: 熊80 | 2009年2月20日 (金) 22時45分

>> でも、そうではないんではないか、という気もするので、色々悩んでいるわけです。

言葉にならない部分で何か気がついている。だから、在来生物群集を保全したいという感情を持っている。

でも、自分自身の中で今現在言葉や論理にできている部分に限定してしまうと、池田さんなどの『「生物多様性」という言葉は政治的な言葉である』という議論に反論できない。

それ故に、自らの感情に反する『在来生物群集の保全に合理的な意味はない』とする言説に同意せざるを得ないと考えてしまう。

この辺りがOhrwurmさんの心の引っかかりの核心部分でしょう。

これは、科学の論証や実証の抱える2つの問題に帰結する部分がある。

ひとつには、人間の脳の外界認識の構造が「あたりまえ」と感じる感覚は、必ずしも緻密な科学的論証から導き出され、実証的に検証された「科学的事実」とは必ずしも一致しないという現実があります。

たとえば、地表に立つ人間の感覚では大地(地球)は動かず、大地の広がりより小さな日輪(太陽)が天空と地下を巡っているように見えるというの体感的な「あたりまえ」ですが、科学的論証から導き出され、実証的に検証された事実は、太陽より小さな地球が、自ら自転しながら太陽の周囲を公転しているというものです。

しかし、上記の事実とは逆に、次のようなことも厳然たる事実としてあるわけです。つまり、科学の論証と実証は、関係するパラメータをターゲットにしている要素を浮き立たせるために少数に限定して行われます。つまり、ある制限された条件では科学的に正しいと実証されたことが、パラメータを増やしてみると異なる相貌をあらわします。

物理学で有名な例を挙げると、ニュートン力学で成立していた「正しさ」は、大質量、高速度の世界では正しくなく、そういう世界を物理学的に正しく叙述するためにはアインシュタインの相対性理論が必要になってしまう。

また、生物学で例を挙げると、植物の細胞が生成する物質で、細胞が生理的に生存するのに必要ではないアルカロイドやアントシアニンのような物質を二次代謝物と呼びますが、これらを植物生理学者はつい数十年前まで、生きるのに必要がないのだから、植物の老廃物みたいなものだとみなしていました。培養細胞が生命活動を成り立たせるために合理的に考えて必要ない物質は、なくてもよいものと考えられ、人間で言うとおしっこみたいなものと公言する研究者も多かったのです。

ところが、現実の植物は単独の細胞として人工的な培養基の中で生きていればよいわけではなく、多くの細胞からなる植物体として、さまざまな生物が相互作用を行っている生物群集の中で生活しているわけです。今では二次代謝物はこの現実の生物群集の中で生き抜いていくために(たとえば植食者の摂食を抑制したり、種子散布者を誘引したりするため)、あえてエネルギーをつぎ込んで合成していると考えられています。

つまるところ、Ohrwurmさんの心の引っかかりは、在来生物群集の保全に感情的なもの、政治的なもの意外に今のところ意味を見出せないと「論理的に考えている」自分がいて、その今の論理の位置づけはいったいこの2者のどちらなのだろうか、自分の感情に反する現段階の論理が正しいのか、それとも見逃しているパラメータがあって、それを繰り込むとより高次の意味を見出される可能性があると考えたほうがいいのか、というところにあるのではないかと思うのです。

投稿: ウミユスリカ | 2009年2月24日 (火) 11時07分

ウミユスリカさん、長文のコメントありがとうございます。最後のところに書かれた、見逃しているパラメータを探しているのが、今の自分ではないかと思っています。

投稿: Ohrwurm | 2009年2月24日 (火) 20時19分

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