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2009年1月19日 (月)

CICADA Vol. 19 No. 2/3

 日本セミの会の会報 CICADA の19巻2号3号の合併号が届いた。石垣島に住んでいた頃にはネタがあったので、いくつか報文を投稿したが、こちらに来てからはネタがなくて、もっぱら読者になるのに徹している状態になっている。
 しかし、なんだか久しぶりに CICADA を受け取ったような気がする。中を見ると、一昨年の夏に大阪で開催された例会の記事が載っていた。ぼくと三男坊の姿が2枚の写真に写っていた。もうずいぶん前のことのような記憶だ。
 合併号になっているということは、報文が足りないということなのだろうか。でも、この号は28ページ立てなので、2号と3号を分けても出せたような気がする。
 自分が編集している名古屋昆虫同好会の会誌は3か月に一回定期的に発行しているのだが、その報文が枯渇してきていて、実はちょっと焦っているのだ。 CICADA は必ずしも定期刊行ではないので、ちょっと羨ましい気がする。

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コメント

「報文」という単語、初めて見ました。

 業界用語ですか?

投稿: chunzi | 2009年1月20日 (火) 07時51分

「報文」という言葉は普通に使っていますが、広辞苑には載ってませんね。意外です。「報文」をキーワードにしてネットで検索すると、いくらでも出てきますよ。
ぼくらの場合、「報文」は科学論文の考察の部分が無かったり、短かったりするもののことを言っています。著者が観察したことなどを、その事実を公表することを目的として文章にして印刷物にしたものです。
文系のみなさんには馴染みが無いかも知れないですね。

投稿: Ohrwurm | 2009年1月20日 (火) 18時16分

 なるほど。

 文系では、仮に事実だけを報告しても、「それがどうした?」と言われておしまいになってしまいます。そのことをどう考えるかという部分が必須です。

 そこが違うのですね。

投稿: chunzi | 2009年1月20日 (火) 20時52分

そうですね。
「それがどうした」の部分が無くても、データそのものが意味を持っていれば、報文として通用します。自然現象は、その現象自体の存在が意味を持つことがしばしばあります。もちろん、「それがどうした」がある論文の体裁になっていても、それに越した事はありません。

投稿: Ohrwurm | 2009年1月20日 (火) 21時07分

4回生の時、京大の皮膚科の先生のところで週1回バイトをしてました。仕事の内容は資料のコピーや論文の清書。当時だから手書きです。

 その時に、「あれ?これ、論文かいな?」と思うような、短い、事実だけのものをちょいちょい清書してました。それですね。

 ちなみに、1時間半ほど働いて2000円、毎回キャッシュで貰っていました。

 今は浜松医大におられるようです。

投稿: chunzi | 2009年1月21日 (水) 08時50分

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