鈴鹿工業高等専門学校・第45回高専祭
上の息子が通っている学校の学園祭が今日、明日と開催されている。先日のロボコン大会に出場したロボットを間近で見られるし、そのほか色々なものが見られるので、下の二人の息子を連れて鈴鹿高専に出かけた。快晴で湿度も低く、爽快な日だ。
まずは息子が所属しているロボ研の展示場へ。大会では思うように動かなかったロボットだが、その後手を入れて、それなりに動くようになっていた。
その後、息子たちとは一旦別れて保護者懇談へ。担任の先生から前期の成績表が渡されて、成績等について懇談。成績は決して良い方ではないが、赤点が一つも無いという点で、一応親としても安心できる。高専は留年する学生も多いと聞いているが、留年だけはして欲しくない。次に来月早々に行われる韓国への研修旅行の説明。自分が普通の県立高校の高校生だった頃は、愛知県から中国地方一周の修学旅行だった。時代が変わったと感じざるをえない。出発が朝早いので遅れないように、という注意だけをいただく。
その後、無線部の展示場へ。無線機に繋がれたパソコンには、航空機の航跡が表示されている。上空を飛ぶ航空機が出す標識電波を受信して、それを表示していることだった。面白そうだったので、持参した無線機で息子たちを呼び出した。説明してくれたのは、現役の学生ではなくOBだった。現役の部員は一人しかいないとのこと。30年前の学校の無線部はもっと盛んだったが、他の楽しみも多いので、なかなか無線に興味を持つ学生も少ないということなのだろう。工業系の学校ですらこの程度なので、他の学校のことは言わずと知れたことだ。それはともかく、説明してくれたそのOBは、何とも見事なメイド姿のコスプレをしていた。OBまでそんな格好をするのに抵抗は無いのか、と訊いたのだが、これも楽しみだから、ということだった。これも自分の高校生時代と比較すると時代の流れを感じざるをえなかった。自分が高校生だった頃は、せいぜい恥ずかしがりながらセーラー服を来て女装するのが関の山だった。このメイド姿のOBに、航空無線のことを色々説明してもらった。残念ながら我が家にはMacだけでWindowsのパソコンはなく、我が家ですぐにそれを実現するわけにはいかないようだが、ソフトウエアはフリーソフトということなので、Windowsのパソコンさえあれば、我が家でも楽しめそうだ。見ていてなかなか面白いと思ったので、機会があればやってみたいものだ。無線の周波数と電波形式は、131.25MHzのAMとのこと。最近のVHF・UHFのアマチュア無線用の無線機であれば、この周波数は受信できるし、我が家にもこの周波数を受信できる無線機が複数ある。ちょっとやってみたい。でもWindowsは嫌いだ。
その後は模擬店で売られているもので食事。息子が所属しているロボ研では「箸巻き」を売っていた。薄っぺらいお好み焼きのようなものを箸に巻いたものだ。前売り券が買ってあったので、それで購入する。去年の高専祭でも食べたが、なかなか美味しかった。それだけでは腹が満足しないので、そのほかの模擬店の品物を物色する。そこで目に留ったのが、留学生がやっている店。モロッコ人とベトナム人が一人ずつと数名のマレーシア人の留学生がいた。マレーシアのサーテーと呼ばれる焼き鳥のようなものと、ベトナムのフォーを注文する。どちらも異様に美味しかった。フォーは一時期スーパーマーケットなどでも袋入り即席麺として売られていたが、それに較べれば遥かに本格的な味だった。サーテーに塗られているタレも独特の風味で美味しかった。沖縄のサーターアンダギーを売っている店もあった。これも購入して食べる。紅芋入りで揚げたてのアツアツで美味しかった。他の店が出している食べ物が美味しかったかどうかは知らないが、幸いにも美味しいものばかりに当たって幸運だったと思う。
昼食後、上の息子がいるロボ研の展示をもう一度見てから息子に別れを告げて帰途につく。帰り道の国道23号線は、河芸町あたりで道路工事をしていて車線が減っており、かなりの渋滞になっていた。抜け道を知っているわけではないので、渋滞のゆっくりした流れに任せて車を走らせる。工事箇所を抜けたらあとは順調、と言いたいが津駅前の踏切でもう一度小さい渋滞に引っかかってから無事に帰宅する。
帰途につく頃から、何か変な寒気がするので葛根湯をお湯に溶かして飲み、一休みしてから職場に出かけた。出張で二日間不在にしていたので、飼育している虫の様子を見てやらないといけないのだ。さすがに二日間あけていると、ややまずい状態になっているものもあった。まあ、仕方がない。
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コメント
フォーを好まれますね。
以前、スーパーのフォーを全部買い占められたのを思い出しました。
投稿: 熊80 | 2008年10月20日 (月) 16時16分
ケバエのことを調べていたら、ここにたどり着きました。
実は昭和50年代の無線部OBだったりするわけですが…。
投稿: KOH | 2008年10月23日 (木) 01時29分
KOHさん、はじめまして。コメントありがとうございました。もうそろそろケバエの幼虫の集団を見る季節かも知れないですね。
ブログを拝見しました。自然とうまくつき合った生活をおくられているようで、大変羨ましく思います。転勤族の宿命で、10年先どころか5年先すら全く読めないため、ぼくにとってスローライフをおくることは夢のまた夢です。
ところで、昭和50年代と言えば、峠は越えていたものの、まだ学校の無線部の活動が活発だった頃ですよね。ぼくは高校時代、無線部に籍を置いていたわけではありませんでしたが(音楽部=合唱部でした)、物化部電気班=無線部(JA2YKO)にはしょっちゅう出入りしていました。
最近、一番下の息子が4アマの免許を取ったので、息子にくっついて、少しずつリハビリして、無線に復活しようかと目論んでいます。
投稿: Ohrwurm | 2008年10月23日 (木) 21時25分