市橋甫さんの訃報
三重県在住のアマチュア昆虫研究家・市橋甫さんの訃報が届いた。3月に三重昆虫談話会の総会でお会いして、名古屋昆虫同好会の会報に寄稿していただいた原稿のことで少しお話させていただいた。その日の懇親会にも出席されていたが、別のテーブルになったため、懇親会の席ではお話した記憶がない。
あまり深いお付き合いをさせていただいたわけではないが、市橋甫の名前は全国のアマチュア虫屋に知れ渡っているほどの人なので、それなりに意識していた。
虫屋としてではなかったが、ぼくの父(虫とは縁がない人だ)と仕事上で何かのお付き合いがあり、父と市橋さんが年賀状を交換していることを知っていた。そのこともあって、実家の父に電話をかけてみることにした。父は市橋さんが亡くなったことを知らないと思っていたが、新聞にも訃報が出ていたとのことで、父は既に知っていた。色々話をしているうちに意外な事実がわかった。
ぼくがまだ小学生だった頃、父に連れられて冬の御在所岳に行ったことがある。ぼくはそこで生まれて初めてスキーを履いた。風が強く寒い日で、リフトに乗るのが怖かったのを憶えている。下も雪ではなく、完全なアイスバーンの状態で、転んで尻餅をついて、お尻が痛かったことも憶えている。その日は、御在所岳山頂のレストハウスでシシ鍋を食べたのを憶えている。父の話によれば、そこに市橋さんが同席していたということなのだ。市橋さんが居たこと以外はちゃんと憶えているのに、市橋さんのことは全く記憶にない。市橋さんは、そこに居た何人かの大人のうちの一人に過ぎなかったのだ。
そこに市橋さんが居たことをちゃんと知っていたならば、市橋さんとのお付き合いも、ちょっと違ったものになっていたかも知れない。三重県に転居して三重昆虫談話会の集まりで市橋さんにお会いしたときに、父と年賀状を交換していることを市橋さんにお話したことは憶えている。ひょっとしたら、あのときの小学生が今のぼくであることを市橋さんは気付かれたかも知れない。だからと言って、虫屋としてのお付き合いはそれほど違ったものになったわけではないかも知れないが。
73歳という年齢は父よりもちょっと若く、死ぬにはまだちょっと早すぎたような気もする。10日ほど前に三重昆虫談話会の重鎮Iさんと一緒に昆虫採集をされていたということなので、訪れた死は突然のものだったのだと思う。まだやり残したことも多かったのではないかと思う。名古屋昆虫同好会の会報に寄稿していただいた原稿も、相談した結果、三重昆虫談話会の会報に出していただくのが適切だろう、ということになったのだが、その原稿もどうなっているのかわからない。自分としては、その原稿の扱いのことが少々心残りになっている。
ご冥福をお祈りします。
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コメント
私は中学生の時、博物館1泊2日採集会の時に初めてお会いしました。何も知らない私にやさしい笑顔で色々教えてくださりました。
月曜朝、博物館の方から連絡が来たときは何がなんだか判らずただ、呆然となり、電話を切った途端、涙が溢れてきました。
投稿: しろへり | 2008年7月16日 (水) 21時55分
しろへりさん、余所者のぼくにとっても、三重県の虫屋さんにとって市橋さんが大切な人だったということが、痛切に感じられます。
投稿: Ohrwurm | 2008年7月20日 (日) 00時09分