佐倉統著『進化論という考え方』
佐倉統著『進化論という考え方』
2002年3月20日初版発行
講談社現代新書 1598
ISBN4-06-149598-4
720円+税
佐倉統氏の名前は、科学史あるいは科学哲学の研究者として、かなり前から知っていて、一度は本を読まないといけないと思っていたのだが、やっと読むことができた。この本が出版されたのは2002年。ぼくが石垣島に住んでいた時のことで、その当時は野山を駆け巡るのに忙しくてあまり本を読まなかったのが、この本を読むのが遅くなってしまった主な理由だ。
佐倉氏はぼくとほぼ同年代であり、学部は違うものの同じ大学で学生生活を送っていたから、同じ空気、あるいは雰囲気に触れていたはずだ。
進化論は言うまでもなくダーウィンによって基本的な考え方が確立され、その後、様々な研究者によって磨き抜かれてきた。ぼくが学生だった頃、ネオダーウィニズムが怒濤のように日本に押し寄せ、E. O. ウィルソンや R. ドーキンスの本を読んで(もちろん訳本を読んだわけだが)興奮した。
佐倉氏がこの本の中で書いているのは、進化論の理論ではなく、進化論と人間との関わり、すなわち自然主義に基づく生物学と人間主義に基づく人文科学との間の関係のあり方である。
佐倉氏は進化論的な考え方は、生物学だけに留まらず、人間が関わる多くの分野に適用できるとしている。現代は、ともすると人間が暴走する危険性も孕んでいるが、そのためには、科学によって人間を考える「第三の文化」と「センス・オヴ・ワンダー(自然への畏敬の念)」が大切であり、謙虚であることが「暴走させないための装置」として重要であるとしてる。
竹内久美子の著書は、動物行動学や社会生物学の研究成果に基づいて、科学者ではない一般の人に大して、人間の行動や心理を説明した、それなりに読んでいて面白いものが多いのだが、佐倉氏は「謙虚でない」と批判している。そう言われればそのとおりである。面白いだけでは、いつ「暴走」してもおかしくない。それと対比されているのが長谷川眞理子である。
ぼくは、科学は面白いことが必要であると常々思っていたが、それだけではなく、謙虚であることも必要であるということを気付かされた点が、この本を読んで良かったことだと思う。科学哲学を学ぶという点でも、この本は良書だと思う。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント