石垣島紀行2007夏

2007年9月24日 (月)

石垣島紀行第6日目(8月4日)

石垣島紀行第5日目(8月3日)から続く)
 石垣島での滞在も、今日で最後になった。あとは帰るだけと言えば確かにそうなのだが、乗る予定の飛行機は午後なので、昼過ぎまでは時間がある。
 釣り道具は送り返してしまったので、今日はもう釣りはできない。そうなると息子たちが目覚める時刻も遅くなってくる。
 朝食はバイキング。エストランの入り口で案内している従業員が中に案内してくれる。ところが、中に入ってみると、空席が無い。空席待ちの人がレストランの入り口を入った場所に溜まってしまっていたのだ。それなりの値段をとっているホテルなのだから、このような対応はいただけない。今では、チェーンのファミリーレストランや回転寿司でも、入り口のところの椅子があり、そこで空席ができるまで待てるようになっているのに。
 しばし待って席に着いた。我が家一行が席に着いた頃からは、徐々に空席が増えてきた。いちばん混雑する時間にレストランに行ってしまったのが悪かったと言えば悪かったが、ホテルの対応も、もう少し考えて欲しいものだと思った。
 食事の後、チェックアウトする前に、ホテルのすぐ前の新しい離島ターミナルの中を探検してみる。かつては、それぞれの船会社の事務所内の小さな待合室で待たなければいけないような状態だったが、新しいターミナルビルには待合室ばかりでなく、売店なども入っており、船の運航予定も電光掲示されている。現在の石垣空港のターミナルより立派なぐらいだ。浮き桟橋の数も増えて、船の乗り降りも楽になったはずだ。
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 ターミナルビルを出ると、目の前に「海人(うみんちゅ)」ブランドで有名な手作り館の本店がある。3年半前に、すでにこの店は存在していたが、外装が派手になっていた。かつては、さんばし通りに小さな店を構えていたことを思えば、大変貌だ。かつては、フリントずれしたTシャツなどをさんばし通りの店で安く買えたが、今ではさんばし通りの店も無くなってそういうことをしなくなったか、あるいは流通ルートが変わったためか、簡単には入手できなくなったようだ。Tシャツの材質は良いので、多少のプリントずれした品物を安く買えたのは重宝していたのだが。
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 ホテルをチェックアウトして、息子たちをかつて住んでいた団地に送り届け、妻と二人でまたバンナ岳スカイラインに向かった。とりあえず「エメラルドの海を見る展望台」へ。昨日の夜に行ったときには暗くてよくわからなかった部分もあったが、昼間に見てあらためて驚いた。ここまで立派にしなくても良いのに、と言うのが偽らざる感想だ。唯一評価できる点は、便所が整備されたことだろうか。
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 展望台に向かうと、植え込みにゲッキツ Murraya exotica が植えられているのに気が付いた。ゲッキツは柑橘類の致命的な病気であるカンキツグリーニング病(黄龍病、huanglongbing)の病原体であるバクテリアを媒介するミカンキジラミ Diaphorina citri Kuwayama, 1908 が好む植物で、ミカンキジラミはこのゲッキツで爆発的に個体数が増えることがある。沖縄県の農業関係の行政部局では、ゲッキツを除去することを奨励してるのだが、公園を整備する部局ではどうやらこのことを理解していないとしか思えない。行政の縦割りが問題だとされることは多いので、このことに驚きはしないが、どうにかならないかと思う。
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 「エメラルドの海を見る展望台」からの展望は良く、市街地を一望できる。この場所まで大型バスを入れて観光コースにしようというのは理解できないことはない。
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 我が家が3年半前まで住んでいた団地も望むことができる。もっとも、我が家は3階建ての1階だったので、この場所からはほとんど見えない。
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 ここからさらに「渡り鳥観測所」の方に向かおうと思ったのだが、工事中で進入できなかった。仕方がないので八重守の塔のところまで戻り、Eゾーンを通ってCゾーン側の登り口から「渡り鳥観測所」に向かった。
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 「渡り鳥観測所」からは名蔵アンパル、ぶざま岳、屋良部岳、於茂登岳などが奇麗に望める。
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 於茂登連山のほぼ西の端のピークがぶざま岳。「ぶざま」とは奇妙な名前だが、どのような意味なのかは知らない。謂われはあるのだろうが、ぼくにとって既に「ぶざま岳」という名前は記号と化している。
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 かつての職場もよく見える。またこの場所で仕事をする機会を得たいものだ。
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 山から下りて、再び街へ。八重泉酒造が製造している「黒麹酢」を買うためだ。これは妻と三男の好物だ。津市界隈では買えないので、ちょっと多めに買うので、飛行機に持ち込むのもためらわれる。美崎町にある稲福酒販に行き、発送してもらうことにした。
 再び団地に行き、息子たちを回収し、食事をとる。何処で食事をとるかという話になると、なかなか意見が一致しないのが我が家の困ったところだ。結局、「島こしょう」という新しい店に入る。一昨日、妻が食事会に行った店だ。あまり食欲が無かったので、ゆしどうふだけを食べた。
 レンタカーを返却し、空港へ。ちょっと時間に余裕がありすぎた。それでも送迎デッキなどで十分に時間をつぶせる。美味しいソフトクリームもゆっくり食べる。
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 そうこうしているうちに、知人友人がたくさん見送りにきてくれた。フクザワさんの奥さんは、息子さんの誕生日だということで作った、豚の三枚肉の煮付けやおいなりさんを持ってきてくれた。フクザワさんのご主人は北海道の出身だが、奥さんは沖縄本島の出身だ。沖縄の人は大雑把なことも多いのだが、友達になれば本当に細かいことを気遣ってくれる。いちゃりばちょーでー、だ。
 飛行機はターミナルから一番近いスポットだったので、ターミナルからは徒歩で飛行機に。送迎デッキではみんなが手を振って見送ってくれる。自分たちも何度も送迎デッキから人を見送ったが、やはり見送られるのは寂しさを感じる。また石垣島を訪れたいものだ。
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 JTA616便はほぼ定刻に石垣空港を出発した。天気は良く、最後の石垣島の姿を見送ることができた。
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 JTA616便からは途中、宮古島も奇麗に望むことができ、慶良間諸島のすぐ近くを通って北上し、大きく右に旋回して残波岬を望むあたりから南に向かって那覇空港に着陸した。今日は夏らしく南風が吹いていたらしい。
 那覇空港では少々待ち時間があったので、一旦外に出てA&Wでルートビアを飲もうとも思ったのだが(この旅行の一つの目的としてA&Wのルートビアを飲むことがあったが、ここまで果たせていたなった)、長男と三男が「ゆいレール」の写真を撮りたいというので、それにつきあうことになり、結局ターミナルビルの中に店があるにもかかわらず、A&Wに入ることは出来なかった。
 那覇空港からはJAL2086便伊丹空港行き。ほぼ定刻に出発。やはり南向きに離陸。今回は通路側の席だったので、外はよく見ることができなかった。伊丹空港に着いてターミナルビルを出たのは18:40頃。リムジンバスの乗り場に向かう。切符を買って乗り場へ行くと、今日は淀川の花火大会が開催されているので、阪神高速が渋滞し、上本町まで50分から1時間ぐらいかかるとのこと。モノレールと地下鉄を乗り継いで行った方が早かったかも知れないが、切符も買ってしまったので、そのままバスを待つ。19:00定刻に出発したバスは上本町に19:48頃到着。近鉄の駅まで急いで20:03発のアーバンラーナーに乗ることができた。電車の中で、フクザワさんにいただいた煮付けとおいなりさんをいただく。21:25頃津駅に到着し、普段は歩く所だが、今日は荷物があるのでタクシーに乗る。ワンメーターなのでちょっと申し訳ないと思い、「すぐ近くで申し訳ないんですけど」と言うと、運転手さんも「もうこれが済めば営業所に戻りますから良いです」と言ってくれた。
 これで、6日間の「濃い」旅が終わった。

(2007年夏の石垣島紀行これにて完)

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2007年9月23日 (日)

石垣島紀行第5日目(8月3日)

石垣島紀行第4日目(8月2日)から続く)
 石垣島を出発するのは明日だが、今日は民宿をチェックアウトする。ホテルパックで来ているので、今晩はホテルに泊まらなくてはならないのだ。民宿では色々親切にしていただいたうえに、宿泊料金もずいぶんサービスしてもらってしまった。お礼は津に戻ってから、お孫さんの服でも送ろうかと思う。
 さて、とりあえず送れる荷物をまとめて、送れるものはゆうパックで送ることにした。郵便局の駐車場は満車なので、仕方なく路上駐車をして、荷物の発送は妻と長男に任せた。今日の予定は特に無いが、まだ「トミーのぱん屋」に行っていないので、それは予定に入れた。
 まずは、「スーパーかねひで」で飲み物等を調達。3年半前とは場所が変わって大きくなり、奇麗になっていた。品揃えはその当時とはあまり変わっていないように見えた。A&Wのルートビアが箱単位で売られていて大変安いのだが、送料が高くつくので買うのは諦めた。次に馴染みの写真屋だった「T-ラボ」へ。ご主人も奥さんもいたので、しばし雑談。3年半ぶりなので話は尽きない。名残惜しかったが、バンナ公園へ。
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 バンナ公園では、まず「セイシカの橋」のある所へ。ところが何と、「セイシカの橋」は通行止め。おそらく、去年の台風13号で痛んだためだろう。そのかわり、昔は無かった谷の下の方に向かう木道が橋のすぐ隣にできていた。そこを降りてみたが、結局対岸に向かうことはできず、元の場所に戻ってきてしまった。
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 ここではヤエヤマクマゼミ Cryptotympana yaeyamana Kato, 1925 とイワサキゼミ Meimuna iwasakii Matsumura, 1913 の鳴き声を聞くことができた。これで、今回石垣島に来てから鳴き声を聞いたセミは、合計8種ということになる。イワサキゼミはツクツクボウシ Meimuna opalifera (Walker, 1850) の仲間で、石垣島でもやはり夏の終わりから秋にかけて盛んに鳴くセミだ。今回の日程では聞けないと思っていたので、運が良かったと言える。
 バンナ公園は広い。次はEゾーンに向かう。こちらには何か所かモダマが生えている場所がある。落ちている種でも拾えないかと思って探したのだが、見つけることはできなかった。やはり、去年の台風13号の影響だろう。しかし、モダマの花は見つけることができた。やはり真夏がモダマの花の最盛期のようだ。こんな小さな花が咲いて、時には1mにもならんとする巨大な莢ができることを想像するのは極めて困難なことだ。巨大なモダマの莢には気付いても、モダマの花に気付く人はそれほど多くないだろう。
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 次は名蔵を経て、崎枝半島を赤崎、大崎、屋良部崎と回って御神崎の灯台へ。着くとすぐにイワサキクサゼミ Mogannia minuta Matsumura, 1907 の鳴き声が聞こえた。イワサキクサゼミは3月下旬から鳴く春のセミなので、もう鳴き声は聞けないかと思っていた。これで今回石垣島に来てから鳴き声を聞いたセミは、合計9種ということになる。したがって、石垣島に棲息するセミで鳴き声を聞いていないのはイシガキニイニイ Platypleura albivannata Hayashi, 1974 だけだが、もともと希少な種で時期も少し外しているので、これは無理に聞きに行くというようなことはしない。
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 御神崎は風が強いことが多かったが、今回は穏やかで、ゆっくり景色を楽しむことができた。
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 御神崎の次は、ぼくの希望で川平仲筋の海岸へ。ここは、ぼくの学位論文になった研究のために、毎月2回通っていた場所だ。とにかく、ズグロシロジュウジカメムシ Dysdercus decussatus Boisduval, 1835 やベニホシカメムシ Antilochus coqueberti (Fabricius, 1803) に会えないかと思っていた。ところが行ってびっくり、当時の面影が無いほど変わり果てていた。去年の台風13号の影響に違いない。車でも何とか入れそうな道があった場所が、人が通るのも難しくなっていたほどだった。木もたくさん倒れていた。
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 気を取り直してオオハマボウ Hibiscus tiliaceus やサキシマハマボウ Thespesia populnea を探すと、何とかズグロシロジュウジカメムシの幼虫を僅かばかり見つけることができた。
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 仲筋からヤマバレーは車で走ればすぐだ。「トミーのぱん屋」に向かう。昔は米原のキャンプ場のすぐ近くにあったのだが、詳しい理由は知らないが立ち退きを迫られ、現在の場所に移動した。県道から海の方へ少し降りた場所で、こんな場所にパン屋があるとは普通は想像がつかない。転勤が決まって石垣を離れるとき、家族揃って挨拶に行ったのだが、家族一同揃っての再会はほぼ3年半ぶりになる。息子たちが大きくなっているので驚いたことだろう。しばし、ご主人と奥さんと雑談し、お目当てのパンを買って店を後にする。
 買ったパンをどこで食べようか、ということになったのだが、少しでも涼しい所で、ということで荒川の滝に向かった。ここでも何度も川遊びをした思い出がある。今日も子供たちの集団が滝で遊んでいた。滝と言っても幅が広く、段差もそれほど大きくないので、滝の上から滝壺(というほどでも無いが)に滑り降りるのも楽しい。でも、今回は本格的に遊ぶ準備をしていなかったので、水に足を浸す程度にした。
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 薄暗い川の近くには、そういう場所を好む虫がいる。コナカハグロトンボ Euphaea yayeyamana Oguma, 1913 もその一つだ。珍しい種ではないが、懐かしい種だ。
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 川で遊んだあとは、ゆっくり市内に向かい、ホテルにチェックイン。大昔にフェリーターミナルだった場所は、ぼくが住んでいた頃には沖合の埋め立て地に移り、特に何としても利用されている様子ではなかった場所が、今では新しい離島ターミナルとなって活躍している。ホテルはそのすぐ前のミヤヒラだ。昔、両親が遊びにきたときにここに泊まった。自分たちが泊まるのは、もちろん初めてだ。すぐ前が港で眺めは良い。
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 チェックインしたあと、家族はまたもや昔住んでいた団地へ。家族を送り届けたあと、ぼくは一人で昔の職場へ。
 駐車場に車を停めようとしたところ、ナカムラさんが研究棟から圃場に歩いていくのが見えたので、建物には入らず、圃場にある施設の方に向かう。するとそこにはオザワさんもいて、施設の前に設置されていたテントの下で色々な情報交換。いろいろな人が行き来するので、そこに座っているだけで色々な人に会うことができた。
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 職場を後にして家族が待っている団地に戻り、食事に向かう。意見がなかなか合わなかったが、結局は「焼肉の金城」へ。毎月1日は半額なので、その日に行けば良かったような気もするが、まあ仕方がない。肉は悪くなかったが、冷麺には不満が残った。
 夕食後、再びバンナ公園に向かい、「エメラルドの海を見る展望台」へ。昔は東屋があっただけだったが、駐車場も広くなり、展望台も新設され、自動販売機まで設置されていた。ここは星空を観望するにも良い場所だが、はっきり言って自動販売機の明かりは邪魔だ。自動販売機の下には、灯りに集まった虫を食べようとしているのか、巨大なオオヒキガエル Bufo marinus が2匹いた。もともと日本には分布していなかった種だが、サトウキビの害虫を食べるということで導入され、今では完全に定着して数も増えてしまっている。外来生物を排除する法律などもできてしまったが、根絶は不可能だろう。
 空を眺めると、流れ星がいくつか見えた。ペルセウス流星群には時期が早いが、ランダムに飛んでくる宇宙の塵は、たくさんあるのだろう。津に住んでいると、なかなか星空を眺める機会もないのだが、じっくり眺めれば、流れ星ぐらい見えるのかも知れない。
 流れ星をいくつか見たのに満足してホテルに戻った。明日は最終日だ。
石垣島紀行第6日目(8月4日)に続く)

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石垣島紀行第4日目(8月2日)

石垣島紀行第3日目(8月1日)その2から続く)
 昨日に引き続き、今朝もまた夜明け前に起きた。楽しみがあると、自然に目が覚めるのは不思議な気がするが、おそらく誰でもそうなのだろう。今日は午後からカリマタさんの案内でシュノーケリングに行く予定になっている。朝食前は例によって港で釣り。ガーラ(ロウニンアジ)の幼魚が釣れた。
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 朝食のために一旦宿に戻るが、また港に釣りに出かけた。エーグヮー(アイゴ)の幼魚などが釣れた。午後のシュノーケリングでも釣りをする予定なので、こういう小物は大物を釣るためのの餌用として持ち帰ることにする。
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 場所をちょっと変えて、「フェリーよなぐに」が利用している桟橋の方にも行ってみた。しかし、ここでは何も釣れなかった。ここは、離島桟橋の向かいにあるので、離島桟橋と周辺離島の間を行き来する船が頻繁に出入りする。船の名前を確認していると、昔なつかしい名前の船もあったが、前にはなかった「ちゅらさん」という名前の船もあった。
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 午後からはカリマタさんの案内で崎枝の海へ。ぼくが石垣島に行った頃は息子たちがまだ小さかった(と言うより、三男坊は石垣島に行ってから生まれた)ので、息子たちと一緒に海に行くという発想すらほとんど無かったが、石垣島を離れる前の年に、はじめて息子たちと一緒にシュノーケリングを楽しむことができた。このとき案内してくれたのがカリマタさんだ。
 今回も4年前と同じ場所に案内してもらった。今回は、昔住んでいた団地に住む息子たちの友人とそのお母さんも一緒だ。
 向かいに川平石崎を望む内湾で波はない(もちろん潮の流れがあるので、下手をすると流される)ので安全性が高い場所だが、けっこう深みもあり、様々な珊瑚や魚を見る事ができる。
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 残念な事に、海水温が高い影響か、白化している珊瑚もたくさんあった。白化現象が珊瑚の死亡によるものだということを知らなければ、白化した珊瑚は奇麗で素晴らしいものと勘違いしそうだ。
 海の中を覗くと、目の前を小さな魚の群れがピュンピュンと通り過ぎていく。動きが速すぎて全く魚の種名はわからないのだが、おそらくこちらの方言でミジュンと呼ばれているものではないかということだった。
 釣りの方も試みようとしたが、何とリールがこわれてしまって回らなくなってしまった。これでは、投げることはできても巻き取ることが出来ないので、どうしようもない。手で巻けないことは無いのだが、そんな悠長なことはやっていられないので、釣りは諦めることにした。港で釣ったガーラやエーグヮーの幼魚は餌用に半分ぐらいに切ってあったのだが、仕方がないので海に捨てた。いずれ大きな魚が見つけて、それを食べてくれるだろう。
 潮が満ちかけてきた頃、引き上げることにした。帰る途中、名蔵の石垣島製糖の近くにある仲松商店でアイスとてんぷらを買って食べた。海で遊んだあとなので、お腹がすいていたのだ。
 カリマタさんを送り届けてから民宿に戻ってシャワーを浴びる。ちょっと一休みしてから、昔の仲間との食事会に出かける妻をレストランに送り届ける。そのあと、3人の息子たちと一緒に「あやぱにモール」に出かける。一つの目的は土産を買う事。もう一つは食事。「あやぱに」とは「綾羽」と書き、「ばすぬとぅり」=「鷲ぬ鳥」、要するにカンムリワシのことで八重山民謡にもなっている。カンムリワシと言えば具志堅用高のことが有名だが、これがもとになっている、はず。
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 土産は宮城菓子店の「八重山ちんすこう」と決めていた。ちんすこうは本来沖縄本島のものだが、「八重山ちんすこう」は甘すぎず、大変美味しい。一番美味しいと思うのは、首里赤平にある「新垣カミ菓子店」のものだが、これは那覇空港では買うことができず、首里城公園の売店か製造所に行かなければ買えない。同じ宮城菓子店の「石垣の塩ちんすこう」も評判が良い。これを多量に買わなければいけない。
 と言うことで公設市場の上の「石垣島産品販売所」に行ったのだが、既に営業時間が終わっていた。気を取り直して別の土産物店に入ると目的のものを発見。店頭には必要数に足りない数しかなかったので、奥から在庫を出してもらった。こんなにたくさんは持って帰れないので、送料のことをきくと、1万円以上買うなら送料サービスとのこと。袋入りのちんすこうばかり買ったのだが、裕に1万円を突破。送料無しで送ることができた。
 手ぶらで気楽になって、どこで食事をしようか、ということになったのだが、結局「あやぱにモール」の外れにある「たこ焼きK」で食事をすることになった。息子たちと一緒だと結局こういうところになってしまう。純粋な観光旅行なら絶対に入らない店だが、今回は観光旅行兼里帰りなので、許容範囲だ。大阪から出てきた家族が経営している店で、十分に美味しい。たこ焼き、お好み焼き、焼きそばを食べられるが、たこ焼きと焼きそばを食べる。塩にんにく焼きそばはかなり美味しい。(下の写真は別の日に撮影;「山田書店」の文字が読み取れる。「山田書店」は「タウンパルやまだ」となって別の場所に移動して営業している。)
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 満足して宿に戻り、あらかじめ連絡しておいたヤマダさんに電話をかける。すると、ヤマダさんは急遽東京に行く用事ができたということで、会えるのは今晩しかないことがわかった。電話だけで済ますなら、自宅からでも同じなので、とにかくヤマダさんの家に出かける。翌朝一番の飛行機で出かけるということなので、十分に話ができたとは言えず、名残惜しかったがヤマダさんの家から民宿に戻る。戻る途中、名蔵アンパルの近くを通ったのだが、道を何か歩いている。車を停めてよく見てみると、大きなカニだった。こんなのに指を挟まれたら大変なことになりそうだ。
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 民宿に戻ると、妻は戻っており、息子たちは既に寝ていた。そろそろ疲れが溜まってきたのだろう。

石垣島紀行第5日目(8月3日)に続く)

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2007年9月21日 (金)

石垣島紀行第3日目(8月1日)その2

石垣島紀行第3日目(8月1日)その1から続く)
 野底岳はマーペーとも呼ばれている。野底は「のそこ」だが、琉球方言では「ぬすく」と発音する。だからヌスクマーペーだ。マーペーとは何か?ちょっと読みにくいかも知れないが、この写真の中の文字を読んで欲しい。黒島から野底に強制的に移住させられたマーペーという名の娘の悲しい話の伝説があるのだ。
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 さすがに気温だけは十分に高かったので、たかだか15分の道程とは言え、相当汗をかいた。まさに山頂に着いたそのとき、思わぬ事態に大変驚いた。昨日、於茂登岳で出会った家族に、ここで再会してしまったのだ。家族には昨日の話はしてあったので、すぐに家族も事情をつかんだ。とにかく、長男とは同窓生ということで、しばし雑談する。林道からではなく、野底から登ってきたとのこと。この暑い中、ご苦労さんでした。
 石垣島でもっとも標高が高い山は沖縄県最高峰の於茂登岳だが、石垣島の山で山頂からの景色がもっとも良い山と言えば、野底岳の名を挙げる人が一番多いのではないかと思う。遠くから見ても尖った山頂の異様な形は目立ち、山頂に登らなくても、山頂からの景色が良い事を想像できる。
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 山頂から下を見てあらためて実感させられたのだが、去年の台風13号の傷跡をはっきりと見る事ができた。葉がまばらで、幹の白さが異様に目立つのだ。
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 しばし山頂からの景色を眺めて、山を下り、林道の登山口から野底に向かった。野底の登山口付近の川にはテナガエビがいて、石垣島に住んでいた頃、息子たちと一緒に何度かエビ採りに行ったことがある。せっかくだからそこにも行ってみようということになり、野底側の登山口に向かった。もう夕方で薄暗くなりかけていたので、テナガエビは見つけることができなかった。もっとも、網を持っていないので、見つけても採れるわけではないのだが。
 するとそこに、花と果実をつけたミフクラギ(オキナワキョウチクトウ)を見つけた。クチナガカメムシ Bathycoelia indica Dallas, 1851 がいないかと思って探したが見つからなかった。
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 また、その近くには新芽を出したアコウの仲間を見つけた。詳しい種名はわからないが、アコウの仲間には夏に落葉して、その後新芽をたくさん出すものがある。ここで見つけたのアコウは、ちょうどその時期にあたっていたようだ。アコウの亜tらしい葉が展開し、十分に大きくなった頃、平得の三番アコウの木の下でとぅばらーまの大会の前夜祭が開かれる。石垣島に住んでいた頃は近所だったので、見に行った事はあるが、台風が来てその近くの息子が通っていた小学校の体育館で開催されたこともあった。
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 野底から於茂登トンネルを抜けて市内の民宿に戻ってシャワーを浴び、あやぱにモールで少し買い物をしてから、昔住んでいた人たちが企画してくれた宴会の会場に向かった。新栄公園の近くの中華料理屋だ。少なくとも一度は、石垣島に住んでいた頃に入った記憶がある。
 奥さんがたが中心だったが、フクザワさんのご主人も参加してくれた。フクザワさんは海上保安庁にお勤めで、我が家が石垣島を離れる前に転勤で送り出したのだが、さらにもう一度転勤したあとの今年の春、また石垣島に戻ってきていたのだ。何とも羨ましい。大人の男はフクザワさんだけだったので、もっぱらフクザワさんと話をした。フクザワさんの息子さんたちも全員参加して空手の型を披露してくれた。
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 店を出たあと、すぐ前の新栄公園で子供たちを遊ばせ、大人たちは雑談。話は尽きない。名残惜しかったが、子供たちに夜遊びさせるのも何なので、ほどほどにして民宿に戻った。

石垣島紀行第4日目(8月2日)へ続く)

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石垣島紀行第3日目(8月1日)その1

石垣島紀行第2日目(7月31日)その2から続く)

(2か月近くも前のことを未だにダラダラと書き続けるのは気が引けるが、とにかく始めたことなので、自宅に帰り着くまでのことは書こうと思っている)
 今朝は夜明け前に起きて、3人の息子たちと一緒に登野城漁港の近くへ釣りに出かけた。夜明け前と言っても、石垣島は日本の最西端に近いので、夏とは言え朝が遅いので、朝6時でも日の出前だ。家にいる時、下の2人の息子たちは、こんな時間に起きることは滅多に無いのだが、ここでは文句も言わずに起きる。やはり、楽しいことがある時には目覚めも良いのだろう。
 サザンゲートブリッジの下に着くと、海水が川のように流れていた。大潮で干潮が2:28、満潮が8:16だから、ちょうど潮の動きが激しい時間帯だ。干満の影響だけでなく、黒潮の影響もあるので、右向きに潮が動く時は、本当に流れが速い。
 例よって釣れたものは大したものは無かったが、飽きない程度に釣れるので、本当に楽しい。釣れたのはスズメダイの仲間やアイゴの幼魚など。
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 朝食を摂るため、民宿にもどり、今度は全員で登野城漁港へ向かう。今度は潮の動きが悪くなっていたせいか、スズメダイの仲間ぐらいしか釣れない。
 今日のメインイベントは赤石食堂のソーキそばを食べること、ということになっている。もう一度民宿にもどり、出かける準備。そう言えば、「石垣カメラ」でリバーサルの現像をやっているはずなので、来る時に撮った写真を現像しておいた方が良いな、などと思って、撮影済みのフィルムも持参することにした。自分のところでリバーサル現像をやっているというのは非常に重宝で、その日のお昼ぐらいまでに出せば、当日の夕方には仕上がってくる。石垣島より人口が多い本州の地方都市ですら、こんな写真屋は滅多に無いと思う。
 まずは近いところから、と言う事で、730交差点近くの「石垣カメラ」へ。ところが、店内の配置が昔と変わっていることに気付き、もしや、と思ったら、そのとおりで、リバーサルの現像は辞めて、取り次ぎになったとのこと。これでは帰るまでに現像できないので、あきらめて未現像のフィルムは、帰ってから現像することにした。
 気を取り直して、ドライブに頭を切り替える。まずは、ヤマバレーの「トミーのぱん」を目指す。川良山を越えて名蔵に出て、崎枝、吉原を経由する。ところが「トミーのぱん」は定休日。もう石垣島を離れて3年以上になるので、月・火休みだったのか、火・水休みだったのか、思い出せなかったのだ。結果は火・水休み。「トミーのぱん」には、明日もう一度来ることにする。米原、野底、伊原間を経由して明石へ。野菜販売所は昔どおりだ。それはさておき、まずは「明石(あかいし)食堂」に向かう。すると、駐車場はほとんど満車状態。やはり人気がある食堂だ。外で待つ人のためか、入り口に庇が出来ていた。昔はそんなものはなかったのだが。
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 食べたのは「野菜そば」にソーキを一つ乗せたもの。とにかく肉より野菜が好きなので、ぼくの場合はこれに限る。とは言うものの、本当に好きなのは、伊原間にある「新垣食堂」の「牛そば」。野菜たっぷりの牛汁の中にそば(もちろん八重山そば)を入れたようなものだ。しかし、家族がそれをあまり好きではなく、「明石食堂」のソーキそばが好きなのだ。
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 これが「野菜そば」にソーキを一つ入れたもの。
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 スープまで飲み干して大満足。
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 明石まで来ると平久保崎もそれほど遠くないので、石垣島最北端の平久保崎まで行くことにした。空気が澄んでいる時なら多良間島や、さらにその隣の水納島が見えることもある。
 平久保崎は観光地ということもあり、観光客が多かった。今回は我々も観光客だ。天気は良く、海は奇麗だったが、多良間島を望む事はできなかった。
 そのとき、ふと小さなシジミチョウが飛んでいるのに気が付いた。こんな所を飛ぶのは種類が限られているので、もしやと思って止まるとを待ったら、それは予想したとおりクロマダラソテツシジミ Chilades pandava (Horsfield, [1829]) だった。もともと石垣島で継続的に発生している種ではなく、ぼくが石垣島に住んでいた7年の間に、この蝶が見られたことは無かった。今年の春にはたくさん飛んでいたという話だったので、それがまだ継続的に発生しているのだろう。
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 クロマダラソテツシジミはその名の通りソテツの葉を食べる。しかもその新芽の軟らかい部分だけしか食べない。だから、いくらソテツが生えていても、新芽を出していなければ、この蝶は世代を繰り返す事はできない。
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 幼虫が食い荒らしたソテツは中心の新芽の部分が枯れたように見えるので、遠くから見てもそこに幼虫がいたことがわかる。そういう目でソテツを探したら、すぐに食い荒らされたソテツが見つかり、その回りにはたくさんのクロマダラソテツシジミが飛んでいた。
 石垣島の最北端を後にして南に向かった。次は、何度も足を運んだことがある玉取崎の展望台だ。ここは一面にブッソウゲ Hibiscus rosa-sinensis(いわゆる「ハイビスカス」)が植えられている。ところが、雨が少なかったせいか、花はまばらで、期待していたベニホシカメムシ Antilochus coqueberti (Fabricius, 1803) どころか、その餌になるアカホシカメムシ Dysdercus cingulatus (Fabricius, 1775) すら見つける事ができなかった。捕食性のベニホシカメムシは食植性のアカホシカメムシよりずっと個体数が少ないのだ。アカホシカメムシが見つからなければ、ベニホシカメムシが見つかるはずがない。
 玉取崎をあとにして一路南に向かったが、野底林道が全線開通したということを聞いていたので、大野から野底林道に向かった。この林道も、何のための道なのか全く理解できないが(とても林業用に使われるとは思えない)、途中に景色が良い場所が何か所かあるので、石垣島に住んでいたときにも何度も行ったことがある。もっとも、そのときは、東側の大野あるいは伊野田側からは入ることは出来たが、西側の野底側には通じていなかった。とにかく、これを走破しようと思ったのだ。
 ところが、途中の野底岳登山道入り口のところまで来ると、妻が「登ろうか」と言ったので、予定外だったが、登る事になってしまった。うーむ。何が起こるか分からない。
 もともとの登山道は野底側が登山口だが、この林道ができてからは、山頂のすぐ下まで車で行けるので、15分も歩けば山頂に着いてしまう。本当に軽いハイキング気分だ。
 とにかく、何の準備もなく、家族5人揃って山頂に向かった。
石垣島紀行第3日目(8月1日)その2に続く)

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2007年9月 8日 (土)

石垣島紀行第2日目(7月31日)その2

石垣島紀行第2日目(7月31日)その1から続く)
 家族を昔住んでいた団地へ送り届けてから一人で於茂登岳登山口へ。登山口に着いたのは午後3時20分頃。まだ暑い盛りだ。セミの鳴き声はヤエヤマニイニイ Platypleura yayeyamana Matsumura, 1917 の鳴き声だけしか聞こえない。ふと張り出した木の葉を見るとコノハチョウ Kallima inachus eucerca Fruhstorfer, 1898 がいた。やはり懐かしく感じられる。
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 山道を歩いていると虫は少ないものの、何がしかの虫が目につく。ときどき道の脇から、ピューンと勢い良く飛び出すものがあった。何かなぁ、と思ってみて見るとイシガキモリバッタ Taulia ornata ishigakiensis Yamasaki, 1966 だった。モリバッタは跳ねることはできるが飛ぶことはできない。しかし、この跳ねる勢いを見ると、それなりの飛べなくても飛ぶのと対して違わない跳躍力があるように思われた。石垣島に住んでいた頃、モリバッタなどにはあまり注意したことが無かったのだが、意外なことに気付かされた。
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 さらに山道を歩いているうち、何か様子が違うのに気が付いた。何が違うかと言えば、森の中がスカスカに感じられるのだ。要するに、森の下生えの灌木の密度が低くなっていて、高木の幹が白く目立つのだ。おそらくこれも、去年の台風13号の残した爪痕なのだろう。
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 地面も乾燥している。いつもは歩くとき、道に生える苔などに注意しながら歩かなければ行けないのだた、今回は道もカラカラに乾燥していて、足を滑らす心配など全く無かった。そんななかにも、いつも湿った所にいるヒメヤツボシハンミョウ Cicindela psilica luchuensis Brouerius van Nidek, 1957 を辛うじて見つけることができた。後にも先にもこれ1頭だけだったのだが。
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 森の密度が低くなっているので、多少は風通しが良かったのだろうと思うが、さすがに気温が高く、飲み物を飲んでも次から次へと汗になって吹き出してくる。その汗が臭いこと臭いこと。途中水場は少ないのだが、最後の給水ポイントのところで一息ついて、顔もあらって多少はさっぱりした。
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 最後の給水ポイントを過ぎると急な坂が続く。これを登りきると尾根に出て風が期待できるので、もう少しの辛抱だと思って登る。まだまだ上り坂が辛いはずだが、もう少しだと思うと元気が出る。
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 ほぼ急な坂を上りきったあたり、道の脇の木を見るとイシガキヒグラシ Tanna japonensis ishigakiana Kato, 1960 を見つけた。すると、上から降りてきた家族連れにすれ違った。「何がいるのですか?」と訊かれたので、「イシガキヒグラシというセミで、この鳴き声を聞くために登ってきたんですよ」と言うと、感心されてしまった。地元の人で山に登るひとは大変少ないので、珍しいと思いながらちょっと話を訊いてみると、小学校の自由研究で山の生き物を見にきたとのことだった。小学生の息子さんは、うちの長男が卒業した小学校に通っているとのこと。せっかくなので、イシガキヒグラシの写真を撮ってもらおうと思ったのだが、そのお父さんが持ったデジタルカメラは電池切れで役に立たなかった。
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 尾根に出てからも坂はきついのだが、風がよく通るので、登っていてもそれほど苦にならない。しかし、鳴き声が聞こえるのはヤエヤマニイニイばかりだ。とにかく山頂へ急ぐ。ところが、ふと気が付くと、何とツマグロゼミの鳴き声が聞こえた。ツマグロゼミ Nipponosemia terminalis (Matsumura, 1913) は春のセミなので鳴き声を聞けるとは全く予想していなかった。運が良いとしか言いようがない。さらに先を急ぐ。
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 午後5時25分頃に山頂に着いた。山頂の無線鉄塔は昔どおりだ。ところが、三角点のところまで行ってみると、噂に聞いていたとおり、リュウキュウチクが刈り払われて見晴らしが良くなっていた。何と、ウマヌファ岳や桴海於茂登岳が目の前に見えるのだ。於茂登岳の山頂はなだらかで、さらに背丈の高いリュウキュウチクに覆われているので、見晴らしが悪いのは仕方がないと思っていた。おそらくリュウキュウチクを刈り払った人も、善かれと思ってやったことなのだろうが、自然とはどういうものか、ということに対して配慮を欠いていたことに間違いはない。
 夕方6時を過ぎた頃になってやっとタイワンヒグラシ Pomponia linearis (Walker, 1850) の鳴き声が谷の底の方から聞こえ始めた。だんだん鳴き声が賑やかになり、山頂付近でも鳴き出した。持参したポータブルMDレコーダーで録音する。やがてイワサキヒメハルゼミ Euterpnosia iwasakii (Matsumura, 1913) と待望のイシガキヒグラシの鳴き声も聞こえ始めた。イシガキヒグラシの鳴き声が聞こえ始めた時刻は午後6時20分頃だった。これらの鳴き声も録音する。
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 山頂付近でのセミの合唱を堪能し、そろそろ下山しようかと思って歩き始めると、目の前の木の低い所にタイワンヒグラシが止まって鳴き出した。これも録音して撮影する。山麓でタイワンヒグラシの間近で見ることは難しいので、これだけでも山を登ってきた価値があったと感じる。
 下山するには、途中何もしなくても、1時間近くかかってしまう。この時刻に下山すれば、登山口に着く頃にはかなり暗くなっていると予想される。懐中電灯は持ってきているが、とにかく早足で下山する。
 最後の給水ポイントのあたりでも、イシガキヒグラシとタイワンヒグラシとヤエヤマニイニイとイワサキヒメハルゼミの鳴き声が聞こえる。とにかく汗が臭いので、最後の給水ポイントの水場で顔を洗う。
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 さらに下った所に「頂上まで25分」という標識板がある。そのあたりでもかなりの数のイシガキヒグラシが鳴いていた。ここで時間を使えば麓に着く頃にはさらに暗くなってしまうのは明白だが、ここでもイシガキヒグラシを撮影して鳴き声を録音する。
 さらに下り、滝への分岐あたりに来ると、セミの鳴き声はヤエヤマニイニイだけになり、さらに下って暗くなると、セミはすべて鳴き止んでしまった。登山口に着いたのは、辛うじて薄明かりが残っていた午後7時40分頃。
 思い出してみれば、昼に嵩田植物園でトンカツ定食を食べて以来、飲み物はたくさん飲んだが食べ物は何も食べていない。体がほてって食欲もあまり無いので、とにかくそのまま街に戻ることにした。宿に戻ってもあまり何も食べる気がしないので、山に持参した嵩田植物園製の「黒糖甘餅の天麩羅」を食べた。家族はA&Wで食事をし、ルートビアを飲んだとのことだった。そんなことだったら、A&Wに行けば良かったと、若干後悔した。
 とにかく疲れたが、充実した一日だった。
石垣島紀行第3日目(8月1日)その1へ続く)

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2007年8月30日 (木)

石垣島紀行第2日目(7月31日)その1

石垣島紀行第1日目(7月30日の夜)から続く)
 石垣島では於茂登岳に登ってイシガキヒグラシ Tanna japonensis ishigakiana Kato, 1960 の鳴き声を聞くことがぼくにとっての最大の目的だったが、いろいろスケジュールが決まってくると、於茂登岳登山を挙行するのは今日しかないことになってしまった。イシガキヒグラシは夕方に鳴くので、登山は午後から日暮れにかけてだ。さて、それまでの予定は・・・・・
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 ということで、午前中は息子たちの希望で港で釣りをすることにした。竿とリールは持ってきたが、餌を買わなければいけない。まずはサザンゲートブリッジの近くの「海の総合スーパー島」へ。100円の練り餌と予備の針を購入。ついでに、メガネに取り付ける偏光フィルターも。1050円也。石垣の強い陽射しの中で眼を楽にするのは重要だし、水面の反射も緩和されるので、水の中の魚もよく見える。
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 場所はよく通っていたサザンゲートブリッジの下。「海の総合スーパー島」のすぐ近くでもある。港の中なので大物は全く期待できないが、遊びで釣るには手軽な場所だ。
 アイゴの幼魚、スズメダイの仲間などの小物がいろいろ釣れたが、一番大きかったのはイラブチャー。なかなか奇麗な魚だ。持って帰っても調理できないので、写真を撮ったあとは海に帰してやった。
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 午前中は釣りで楽しみ、昼食は「嵩田植物園」へ。植物園とは言っても、果樹農家が傍らに飲食店を開いているようなもので、昼食程度になら全く不足のないものも食べられる。石垣島に住んでいたときにも、ちょくちょく通っていた。於茂登岳の近くで気持ちのいいところだ。
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 ところが、着いてみると何か様子が違っている。何となく殺風景になってるのだ。何かおかしい。しかし、とにかく食堂へ行ってみる。
 ここの食堂は東南アジア風の造りをしている。東南アジア風と言っても、ぼくが知っているのはタイとベトナムだが、そのタイやベトナムの(本当の田舎ではなく)ちょっと田舎のレストランという雰囲気だ。屋根はあるが、周囲には網が張ってある程度で、風がよく通る。屋根に水を撒いていることもあり、冷房が無くても十分に涼しい。
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 出迎えてくれたミチエさんはいつものようにニコニコしている。話を聞くと、去年の台風13号でヤシの木がほとんど倒れてしまったとのこと。その台風の時には随分怖い思いをしたとのこと。ぼくが石垣島に住んでいた7年間にはそれほど強烈な台風は無かったので、どんな状況だったのか想像もつかない。
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 嵩田植物園でジュースやカレーや定食物と注文すると、蘭の花が添えられている(さすがに八重山そばには添えられていない)。作り物ではなく本物だ。ちょっとしたことだが、非日常を感じさせてくれることは嬉しい。嵩田植物園では一般にはフルーツカレーがお勧めだが、午後からの於茂登岳登山に備えて、トンカツ定食を食べることにした。もちろんこれにも蘭の花が添えられている。付け合わせには季節の果物が添えられているが、今回はパイナップル、スターフルーツ、ドラゴンフルーツなど。
 於茂登岳には三男と二人で登るということになっていたので、とにかく一度宿に戻ってちょっと休憩してから、その他のメンバーを昔住んでいた団地に送り込むことにした。ところが三男も「ちょっと体調がおかしい」とか言い出したので、結局於茂登岳には一人で登ることになった。ちょっと寂しいが、自分のペースで歩けるので、その点では好都合だったかも知れない。
 とにかく、家族を団地に送り届けて、於茂登岳へ。
(「石垣島紀行第2日目(7月31日)その2」につづく)

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2007年8月29日 (水)

石垣島紀行第1日目(7月30日の夜)

石垣島紀行第1日目(7月30日)から続く
 『磯』で夕食をとったあと、夜景を見に行こうということになった。向かう先は前勢岳の展望所。バンナ岳の山麓の八重守の塔のところを西に入る。バンナ岳スカイラインは東側だ。
 石垣に住んでいた頃には何度も通った道だが、森の下生えが何となく貧弱になったような気がした。新しい遊歩道ができているのも所々で確認できた。
 展望所まで行っても、全く他の車と出会わなかった。ここには夜景を楽しもうとする人がけっこう来るものだが、ちょっと意外だった。
 車を降りて間もなく、地面近くで光るものを発見した。ホタルに疑いは無いのだが、どの種かはわからなかった。灯りで照らしてみると、キイロスジボタル Curtos costipennis (Gorham, 1880) だということがわかった。この種の旬が何時頃だったか記憶になかったが、割と長い期間見られ、個体数も多かったという印象が残っている。いずれにしても、久しぶりの再会だ。地面の灯りは少なかったので、少なくとも最盛期ではなかったようだ。
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 展望所を後にして街へ戻ろうと思ったところ、想定外の一方通行の標識。3年前にはそんなものは無かった。おそらく、この奥に天文台が出来たから一方通行にされたのだろう。というわけで、帰りは新川方面に山を下りた。
 とりあえず石垣の夜景を眺め、ホタルにも出会ったので、一応満足した。

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2007年8月20日 (月)

石垣島紀行第1日目(7月30日)

 早朝には雨が降っていたが、出発する頃には雨も上がり、気分良く出発することができた。8時少し前に家を出て8:22発の近鉄特急に乗った。この列車はいわゆるノンストップではなく、名張と大和八木にも停車するのだが、使用されている車輌はアーバンライナーだった。同じ近鉄特急でも車輌によって座席の善し悪しがあるので、座席が良いアーバンライナーは嬉しい。伊丹空港に行くためには、終点の難波ではなく、一つ手前の上本町で電車を降りてリムジンバスで行く。
 上本町の地下ホームから地上に出たとき、騒々しいので何かと思ったら、外から聞こえてくるクマゼミ Cryptotympana facialis (Walker, 1858) の鳴き声だった。大阪ではクマゼミが増えているという話はよく聞いていたが、まさにそのとおりだった。都会のビル街では建物に反響もするだろうから、よけいに騒々しく感じられることもあると思う。
 上本町10:15発のリムジンバスに乗ったが、空港には10:40前には着いてしまった。所要時間は30分ほどということだったが、実際には23分程度で着いてしまったことになる。飛行機は13:15発なのでたっぷり時間があった。もう1時間遅く出発しても十分に間に合ったはずだ。
 クーポンを搭乗券に引き換えたときに座席を指定してもらったのだが、窓口担当の女性は非常に丁寧で、景色がよく見える窓際の席が多くなるようにしてくれた。待っている客もいなかったので、暇だったのかも知れない。
 食事を済ませてもまだ時間があったので、展望デッキに出て離発着する航空機を眺めた。石垣島に住んでいた頃も、客の出迎えなどのときによく展望デッキで航空機を眺めたものだったが、石垣島はほとんどがB-737なので多様性に欠けていた。それに比べると、伊丹空港はB-777などの大型機やDHC-8などのプロペラ機など多彩で、見ていて飽きることは無かった。
 乗ったのは那覇行きのJAL2085便。B-767だ。展望デッキで眺めていたからわかっていたが、北向きの離陸だった。夏は南風が吹くことが多いので南向きかと思っていたが、北から風が吹いていたらしい。離陸してしばらくすると雲の中に入ってしまったので、下界の景色が見られたのは僅かな時間だった。
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 南に向かうにつれ雲が晴れて、奄美大島の上空を通過する頃にはほとんど晴れていた。東京や名古屋から那覇へ向かう飛行機に乗ると、奄美大島を右に見ることが多いのだが、今回の大阪からの飛行機では、左に奄美大島が見えた。ようするに左の窓際に席があったということだ。その後、徳之島は見えたが、沖永良部島や与論島は見えなかったので、ちょうど真上ぐらいを飛んでいたのかも知れない。次に見えたのは、もう沖縄本島で、ヤンバルの山を左に見た。その後、大宜味村や東村あたりで沖縄本島を横切り、太平洋側に出たら、そのあとはもうどこを飛んでいるのだかわからなくなった。おそらく知念半島あたりを右に見ていたのだろうと思う。那覇空港への着陸も北向き。真夏にしては珍しいことではないかと思う。南ターミナル北側の一番西側の27番スポットへ。
 次に乗るのは石垣行きのJTA621便。28番スポットから。ここで息子たちへのクイズ。ぼく「次に乗るのは何?」、息子たち「B-737」、ぼく「ブッブー!」、息子たち「うそ!」、ぼく「答えはバス」。ようするに28番スポットからはバスに乗って飛行機のところまで行くということ。
 28番スポットへ行くと、すぐ前の出発する予定だったJTA619便が機体の整備不良とかで出発が遅れるというアナウンス。その乗客が全員JTA621便に振り替えられたので、ほとんど満席になるようだ。具体的にはどういうことをやったのか知らないが、JTA619便の客は自動的にJTA621便の空いている席が指定されたようだ。改札機から出て来る半券を見ると、赤字で便名と座席を訂正された半券が出てきていた。これを見たのは今回が初めてだ。ともあれ、こんなことがあったので、JTA621便の出発も30分ほど遅れてしまった。
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 今度は右側の窓際。やはり、北向きの離陸。石垣島へ向かうと、まず最初に右側から島を望むことができる。だから、右側の窓際は嬉しい。宮古島の上空を通過したときに下の景色が見えたが、もう夕刻近いということもあり、逆光にもなっていたのでシルエットとして見えただけだ。多良間島は確認することができず、次に見えたのは石垣島の平久保半島だった。石垣に行くときに最初に見えるのは大抵平久保半島なので、それが見えれば「石垣島に来たぞぉ」という気分になれる。飛行機は石垣島の東側の海上を南西に飛び、右に旋回して北向きに着陸した。石垣島の滑走路は1500mしかないので、他では味わえない急ブレーキを体験することができる。これもなつかしい。
 レンタカーは「Be-1レンタカー」で予約していた。名前ははっきり憶えていたが、営業所がどこだったか全く思い出せなかった。レンタカー屋の送迎車に連れられて行った先は、空港のすぐ近くだった。営業所の担当者は最初は無愛想だったが、こちらが3年前まで石垣に住んでいたことを話すと、急に愛想が良くなった。まあ、そういうものかも知れない。
 宿に行く前に以前住んでいた団地に向かった。ほんのちょっと、などと思っていたが、懐かしい顔を前に、結局そこでは1時間以上過ごすことになり、出発前にはほとんど決まっていなかった石垣島での滞在中のスケジュールが次々と決まっていった。
 あまり遅くなってもいけないということで、後ろ髪を引かれながらも民宿「なぎさ荘」に向かった。久しぶりの対面となった女将さんはお孫さんを抱えていた。今年初孫が生まれたとのこと。嬉しくて仕方がないという様子。先に送ってあった荷物の中からお土産を取り出し、女将さんへ。
 夕食は730交差点の近くの「磯」へ。手頃な値段で郷土料理を食べることができる。「磯定食(中)」とぐるくんの唐揚げを食べる。ジーマミ豆腐やもずくが懐かしい。
 いよいよこれから石垣島での本格的な活動が始まる。
石垣島紀行第1日目(7月30日の夜)へ続く)

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2007年8月12日 (日)

石垣島紀行・・・出かける前の準備その2

 石垣島では珊瑚礁の海で遊ぶことを当初から予定に入れていた。水中めがねを使う時にはメガネが使えないので、そのままでは十分に海の中の景色を楽しめない。そういう場合には、水中めがねに貼り付けるレンズを使うと良い。石垣島に住んできたときに買ったはずなのでどこかにあるはずだと思って探したら、ちゃんと出てきた。その後、近眼と老眼が進んだので、度は若干合っていないが、それは我慢することにする。何も付けないよりはマシだから。
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