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2007年9月

2007年9月30日 (日)

郵政民営化はやっぱり田舎切り捨てだと思う

 テレビから夏川りみの歌声と沖縄の風景が出てきたので何かと思ったら、明日から民営化される郵便局のコマーシャルだった。最後に映し出されたのはおばぁの顔と見覚えのある竹富郵便局だった。その前の風景も竹富島で撮影されたものだったのだろう。こういうコマーシャルをテレビで放映されると、いかにも田舎にも配慮していますよ、などという幻想を抱きそうだが、おそらく田舎はますます不便になっていくことだろう。
 前にも書いたが、送金用に郵便振替の口座を持っている利点は全くなくなった。送金するなら現金で送金する方が安くなるのだ。これまでの、15円という低料金での送金のサービスは明らかに原価割れだったと思うが、多少値上げしてでも、安価な文書による送金を残して欲しかった。これまで、送金用に郵便振替の口座を持っていたが、持っていても仕方がないのではないかと思うようになった。誰か、送金してくれるような奇特な人がいれば別だが。それはともかく、郵便振替は基本的には法人対象のサービスではなく、個人対象のサービスだったはずだが、これでは個人が眼中に無かった銀行と全く同じになってしまうではないか。個人が郵便局に見放されてしまったら、郵便局の存在の意義が問われることになると思う。
 前回の総選挙で小泉自民党に投票したみなさん!民営化されればこうなるのは見えていたはずですけど、これで良かったんですか?

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2007年9月29日 (土)

たまには手打ち饂飩でも

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 半月ほど前、初めて手打ち饂飩を作ったが、また作ってみようと思って作り始めた。今日の夜は饂飩だ。

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2007年9月25日 (火)

月より団子・・・中秋の名月

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 帰宅したら団子があったので何だろうと思ったら、今日は太陰暦の8月15日、中秋の名月だった。帰宅するとき、月を眺めながら帰ってきたが、今日は空が澄んでいて、月も大変奇麗だった。
 去年は太陰暦の7月が2回もあったので、中秋の名月の日は10月に入っていた。今年は少しずれて、何とか9月に収まった。
 昼間は気温が上がったが、帰宅するときバイクを運転していると、長袖のシャツでも肌寒く感じるぐらいに気温が下がっていた。やっと秋らしくなってきた感じだ。
 それはともかく、我が家では「月より団子」だ。

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2007年9月24日 (月)

永田輝喜治著『食は土にあり−永田農法の原点』

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永田輝喜治(ながた・てるきち)著『食は土にあり−永田農法の原点』
2003年6月24日初版発行
NTT出版株式会社
ISBN 4-7571-2115-6
1,600円+税

 永田輝喜治氏の『永田農法 おいしさの育て方』に続く著書である。基本的な考え方は『永田農法 おいしさの育て方』に述べられているとおりで、作物の原産地の気候風土に合わせ、肥料も水も極限まで控えることによって作物の美味しさを引き出すというものである。
 1980年代末から1990年代始めごろ、国の農業試験研究機関から栽培や土壌肥料の分野の研究が大幅に削減され、それらの分野の研究者は半ば無理矢理関連の他分野へ転向させられたりして、現在では栽培や土壌肥料の研究はほとんど壊滅状態だと言っても良い。かつての栽培や土壌肥料の分野の研究は、ただひたすら増産を目指すものであり、美味しさを目指したものではなかった。近年は、国の試験研究機関における研究でも、美味しさとか機能性とかいう合言葉での研究が増えてきたが、考え方はあくまで育種中心であり、栽培や土壌肥料は軽視されていると言っても過言ではない。
 この本を読んで気付かされたのは、当たり前のことを当たり前に考える、という考え方が重要であり、自然の法則と矛盾しないものである。
 つい最近、有機農業促進法なる法律ができたが、自然を自然な目で見る立場からすれば、有機農業促進法は頭の中だけで考えられて作られた法律で、宗教的だと言っても誤りではないと思う。
 それに対して永田氏は、実践を重視しているものの、その実践に裏打ちされた考え方は合理的であり、頭の中だけで考えた有機農業よりも科学的だと感じられる。
 「永田農法」などという個人の名前を冠された農法は一見いかがわしいように感じられたが、少なくとも宗教的ではなく、真面目に研究対象として取り組んでもおかしくないものだと思われた。
 害虫研究者の立場から言えば、永田農法を実践するにあたり、病害虫との関係ではもっと明らかにしなければいけないことがあると思った。
 「永田農法」では、肥料や水を制限することによって、えぐみの少ない野菜を作ることができ、それによって病害虫も少なくなる、という趣旨のことが書かれていたが、えぐみとは本来、植物を食べる動物に対する防御物質として植物が生産する化学物質である、というのが定説であり、えぐみが少ないということは、害虫に対する防御物質を欠くことになるので、害虫の被害が増えると予想されることになる。このことは、現時点では納得できないことであり、今後解明すべき研究課題になると思う。

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永田輝喜治著『永田農法 おいしさの育て方』

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永田輝喜治(ながた・てるきち)著『永田農法 おいしさの育て方』
2002年2月20日初版発行
小学館
ISBN 4-09-386080-7
1,500円+税

 とあるきっかけで「永田農法」なるものの存在を知った。津市図書館に行ったら、「永田農法」の考案者であり実践者である永田輝喜治氏の著書をいくつか見つけた。
 端的に言えば「永田農法」とは、作物の原産地の気候風土に合わせ、肥料も水も極限まで控えて作物の美味しさを引き出す農法であり、具体的な方法は、作物ごとに異なる。現代の大量流通に踊らされている農業に対して批判的であるのはもちろんのこと、妄信的な有機農業に対しても批判的である。美味しさを追求する姿勢はあくまで科学的であり、単なる経験の積み重ねだけでもない。現代の大量生産大量消費の思想とは相容れないものであるが、考え方は合理的に感じられる。
 この本では、前半では「永田農法」の考え方について解説されており、後半では具体的な作物における応用が解説されている。

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石垣島紀行第6日目(8月4日)

石垣島紀行第5日目(8月3日)から続く)
 石垣島での滞在も、今日で最後になった。あとは帰るだけと言えば確かにそうなのだが、乗る予定の飛行機は午後なので、昼過ぎまでは時間がある。
 釣り道具は送り返してしまったので、今日はもう釣りはできない。そうなると息子たちが目覚める時刻も遅くなってくる。
 朝食はバイキング。エストランの入り口で案内している従業員が中に案内してくれる。ところが、中に入ってみると、空席が無い。空席待ちの人がレストランの入り口を入った場所に溜まってしまっていたのだ。それなりの値段をとっているホテルなのだから、このような対応はいただけない。今では、チェーンのファミリーレストランや回転寿司でも、入り口のところの椅子があり、そこで空席ができるまで待てるようになっているのに。
 しばし待って席に着いた。我が家一行が席に着いた頃からは、徐々に空席が増えてきた。いちばん混雑する時間にレストランに行ってしまったのが悪かったと言えば悪かったが、ホテルの対応も、もう少し考えて欲しいものだと思った。
 食事の後、チェックアウトする前に、ホテルのすぐ前の新しい離島ターミナルの中を探検してみる。かつては、それぞれの船会社の事務所内の小さな待合室で待たなければいけないような状態だったが、新しいターミナルビルには待合室ばかりでなく、売店なども入っており、船の運航予定も電光掲示されている。現在の石垣空港のターミナルより立派なぐらいだ。浮き桟橋の数も増えて、船の乗り降りも楽になったはずだ。
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 ターミナルビルを出ると、目の前に「海人(うみんちゅ)」ブランドで有名な手作り館の本店がある。3年半前に、すでにこの店は存在していたが、外装が派手になっていた。かつては、さんばし通りに小さな店を構えていたことを思えば、大変貌だ。かつては、フリントずれしたTシャツなどをさんばし通りの店で安く買えたが、今ではさんばし通りの店も無くなってそういうことをしなくなったか、あるいは流通ルートが変わったためか、簡単には入手できなくなったようだ。Tシャツの材質は良いので、多少のプリントずれした品物を安く買えたのは重宝していたのだが。
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 ホテルをチェックアウトして、息子たちをかつて住んでいた団地に送り届け、妻と二人でまたバンナ岳スカイラインに向かった。とりあえず「エメラルドの海を見る展望台」へ。昨日の夜に行ったときには暗くてよくわからなかった部分もあったが、昼間に見てあらためて驚いた。ここまで立派にしなくても良いのに、と言うのが偽らざる感想だ。唯一評価できる点は、便所が整備されたことだろうか。
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 展望台に向かうと、植え込みにゲッキツ Murraya exotica が植えられているのに気が付いた。ゲッキツは柑橘類の致命的な病気であるカンキツグリーニング病(黄龍病、huanglongbing)の病原体であるバクテリアを媒介するミカンキジラミ Diaphorina citri Kuwayama, 1908 が好む植物で、ミカンキジラミはこのゲッキツで爆発的に個体数が増えることがある。沖縄県の農業関係の行政部局では、ゲッキツを除去することを奨励してるのだが、公園を整備する部局ではどうやらこのことを理解していないとしか思えない。行政の縦割りが問題だとされることは多いので、このことに驚きはしないが、どうにかならないかと思う。
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 「エメラルドの海を見る展望台」からの展望は良く、市街地を一望できる。この場所まで大型バスを入れて観光コースにしようというのは理解できないことはない。
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 我が家が3年半前まで住んでいた団地も望むことができる。もっとも、我が家は3階建ての1階だったので、この場所からはほとんど見えない。
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 ここからさらに「渡り鳥観測所」の方に向かおうと思ったのだが、工事中で進入できなかった。仕方がないので八重守の塔のところまで戻り、Eゾーンを通ってCゾーン側の登り口から「渡り鳥観測所」に向かった。
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 「渡り鳥観測所」からは名蔵アンパル、ぶざま岳、屋良部岳、於茂登岳などが奇麗に望める。
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 於茂登連山のほぼ西の端のピークがぶざま岳。「ぶざま」とは奇妙な名前だが、どのような意味なのかは知らない。謂われはあるのだろうが、ぼくにとって既に「ぶざま岳」という名前は記号と化している。
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 かつての職場もよく見える。またこの場所で仕事をする機会を得たいものだ。
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 山から下りて、再び街へ。八重泉酒造が製造している「黒麹酢」を買うためだ。これは妻と三男の好物だ。津市界隈では買えないので、ちょっと多めに買うので、飛行機に持ち込むのもためらわれる。美崎町にある稲福酒販に行き、発送してもらうことにした。
 再び団地に行き、息子たちを回収し、食事をとる。何処で食事をとるかという話になると、なかなか意見が一致しないのが我が家の困ったところだ。結局、「島こしょう」という新しい店に入る。一昨日、妻が食事会に行った店だ。あまり食欲が無かったので、ゆしどうふだけを食べた。
 レンタカーを返却し、空港へ。ちょっと時間に余裕がありすぎた。それでも送迎デッキなどで十分に時間をつぶせる。美味しいソフトクリームもゆっくり食べる。
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 そうこうしているうちに、知人友人がたくさん見送りにきてくれた。フクザワさんの奥さんは、息子さんの誕生日だということで作った、豚の三枚肉の煮付けやおいなりさんを持ってきてくれた。フクザワさんのご主人は北海道の出身だが、奥さんは沖縄本島の出身だ。沖縄の人は大雑把なことも多いのだが、友達になれば本当に細かいことを気遣ってくれる。いちゃりばちょーでー、だ。
 飛行機はターミナルから一番近いスポットだったので、ターミナルからは徒歩で飛行機に。送迎デッキではみんなが手を振って見送ってくれる。自分たちも何度も送迎デッキから人を見送ったが、やはり見送られるのは寂しさを感じる。また石垣島を訪れたいものだ。
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 JTA616便はほぼ定刻に石垣空港を出発した。天気は良く、最後の石垣島の姿を見送ることができた。
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 JTA616便からは途中、宮古島も奇麗に望むことができ、慶良間諸島のすぐ近くを通って北上し、大きく右に旋回して残波岬を望むあたりから南に向かって那覇空港に着陸した。今日は夏らしく南風が吹いていたらしい。
 那覇空港では少々待ち時間があったので、一旦外に出てA&Wでルートビアを飲もうとも思ったのだが(この旅行の一つの目的としてA&Wのルートビアを飲むことがあったが、ここまで果たせていたなった)、長男と三男が「ゆいレール」の写真を撮りたいというので、それにつきあうことになり、結局ターミナルビルの中に店があるにもかかわらず、A&Wに入ることは出来なかった。
 那覇空港からはJAL2086便伊丹空港行き。ほぼ定刻に出発。やはり南向きに離陸。今回は通路側の席だったので、外はよく見ることができなかった。伊丹空港に着いてターミナルビルを出たのは18:40頃。リムジンバスの乗り場に向かう。切符を買って乗り場へ行くと、今日は淀川の花火大会が開催されているので、阪神高速が渋滞し、上本町まで50分から1時間ぐらいかかるとのこと。モノレールと地下鉄を乗り継いで行った方が早かったかも知れないが、切符も買ってしまったので、そのままバスを待つ。19:00定刻に出発したバスは上本町に19:48頃到着。近鉄の駅まで急いで20:03発のアーバンラーナーに乗ることができた。電車の中で、フクザワさんにいただいた煮付けとおいなりさんをいただく。21:25頃津駅に到着し、普段は歩く所だが、今日は荷物があるのでタクシーに乗る。ワンメーターなのでちょっと申し訳ないと思い、「すぐ近くで申し訳ないんですけど」と言うと、運転手さんも「もうこれが済めば営業所に戻りますから良いです」と言ってくれた。
 これで、6日間の「濃い」旅が終わった。

(2007年夏の石垣島紀行これにて完)

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2007年9月23日 (日)

石垣島紀行第5日目(8月3日)

石垣島紀行第4日目(8月2日)から続く)
 石垣島を出発するのは明日だが、今日は民宿をチェックアウトする。ホテルパックで来ているので、今晩はホテルに泊まらなくてはならないのだ。民宿では色々親切にしていただいたうえに、宿泊料金もずいぶんサービスしてもらってしまった。お礼は津に戻ってから、お孫さんの服でも送ろうかと思う。
 さて、とりあえず送れる荷物をまとめて、送れるものはゆうパックで送ることにした。郵便局の駐車場は満車なので、仕方なく路上駐車をして、荷物の発送は妻と長男に任せた。今日の予定は特に無いが、まだ「トミーのぱん屋」に行っていないので、それは予定に入れた。
 まずは、「スーパーかねひで」で飲み物等を調達。3年半前とは場所が変わって大きくなり、奇麗になっていた。品揃えはその当時とはあまり変わっていないように見えた。A&Wのルートビアが箱単位で売られていて大変安いのだが、送料が高くつくので買うのは諦めた。次に馴染みの写真屋だった「T-ラボ」へ。ご主人も奥さんもいたので、しばし雑談。3年半ぶりなので話は尽きない。名残惜しかったが、バンナ公園へ。
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 バンナ公園では、まず「セイシカの橋」のある所へ。ところが何と、「セイシカの橋」は通行止め。おそらく、去年の台風13号で痛んだためだろう。そのかわり、昔は無かった谷の下の方に向かう木道が橋のすぐ隣にできていた。そこを降りてみたが、結局対岸に向かうことはできず、元の場所に戻ってきてしまった。
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 ここではヤエヤマクマゼミ Cryptotympana yaeyamana Kato, 1925 とイワサキゼミ Meimuna iwasakii Matsumura, 1913 の鳴き声を聞くことができた。これで、今回石垣島に来てから鳴き声を聞いたセミは、合計8種ということになる。イワサキゼミはツクツクボウシ Meimuna opalifera (Walker, 1850) の仲間で、石垣島でもやはり夏の終わりから秋にかけて盛んに鳴くセミだ。今回の日程では聞けないと思っていたので、運が良かったと言える。
 バンナ公園は広い。次はEゾーンに向かう。こちらには何か所かモダマが生えている場所がある。落ちている種でも拾えないかと思って探したのだが、見つけることはできなかった。やはり、去年の台風13号の影響だろう。しかし、モダマの花は見つけることができた。やはり真夏がモダマの花の最盛期のようだ。こんな小さな花が咲いて、時には1mにもならんとする巨大な莢ができることを想像するのは極めて困難なことだ。巨大なモダマの莢には気付いても、モダマの花に気付く人はそれほど多くないだろう。
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 次は名蔵を経て、崎枝半島を赤崎、大崎、屋良部崎と回って御神崎の灯台へ。着くとすぐにイワサキクサゼミ Mogannia minuta Matsumura, 1907 の鳴き声が聞こえた。イワサキクサゼミは3月下旬から鳴く春のセミなので、もう鳴き声は聞けないかと思っていた。これで今回石垣島に来てから鳴き声を聞いたセミは、合計9種ということになる。したがって、石垣島に棲息するセミで鳴き声を聞いていないのはイシガキニイニイ Platypleura albivannata Hayashi, 1974 だけだが、もともと希少な種で時期も少し外しているので、これは無理に聞きに行くというようなことはしない。
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 御神崎は風が強いことが多かったが、今回は穏やかで、ゆっくり景色を楽しむことができた。
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 御神崎の次は、ぼくの希望で川平仲筋の海岸へ。ここは、ぼくの学位論文になった研究のために、毎月2回通っていた場所だ。とにかく、ズグロシロジュウジカメムシ Dysdercus decussatus Boisduval, 1835 やベニホシカメムシ Antilochus coqueberti (Fabricius, 1803) に会えないかと思っていた。ところが行ってびっくり、当時の面影が無いほど変わり果てていた。去年の台風13号の影響に違いない。車でも何とか入れそうな道があった場所が、人が通るのも難しくなっていたほどだった。木もたくさん倒れていた。
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 気を取り直してオオハマボウ Hibiscus tiliaceus やサキシマハマボウ Thespesia populnea を探すと、何とかズグロシロジュウジカメムシの幼虫を僅かばかり見つけることができた。
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 仲筋からヤマバレーは車で走ればすぐだ。「トミーのぱん屋」に向かう。昔は米原のキャンプ場のすぐ近くにあったのだが、詳しい理由は知らないが立ち退きを迫られ、現在の場所に移動した。県道から海の方へ少し降りた場所で、こんな場所にパン屋があるとは普通は想像がつかない。転勤が決まって石垣を離れるとき、家族揃って挨拶に行ったのだが、家族一同揃っての再会はほぼ3年半ぶりになる。息子たちが大きくなっているので驚いたことだろう。しばし、ご主人と奥さんと雑談し、お目当てのパンを買って店を後にする。
 買ったパンをどこで食べようか、ということになったのだが、少しでも涼しい所で、ということで荒川の滝に向かった。ここでも何度も川遊びをした思い出がある。今日も子供たちの集団が滝で遊んでいた。滝と言っても幅が広く、段差もそれほど大きくないので、滝の上から滝壺(というほどでも無いが)に滑り降りるのも楽しい。でも、今回は本格的に遊ぶ準備をしていなかったので、水に足を浸す程度にした。
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 薄暗い川の近くには、そういう場所を好む虫がいる。コナカハグロトンボ Euphaea yayeyamana Oguma, 1913 もその一つだ。珍しい種ではないが、懐かしい種だ。
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 川で遊んだあとは、ゆっくり市内に向かい、ホテルにチェックイン。大昔にフェリーターミナルだった場所は、ぼくが住んでいた頃には沖合の埋め立て地に移り、特に何としても利用されている様子ではなかった場所が、今では新しい離島ターミナルとなって活躍している。ホテルはそのすぐ前のミヤヒラだ。昔、両親が遊びにきたときにここに泊まった。自分たちが泊まるのは、もちろん初めてだ。すぐ前が港で眺めは良い。
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 チェックインしたあと、家族はまたもや昔住んでいた団地へ。家族を送り届けたあと、ぼくは一人で昔の職場へ。
 駐車場に車を停めようとしたところ、ナカムラさんが研究棟から圃場に歩いていくのが見えたので、建物には入らず、圃場にある施設の方に向かう。するとそこにはオザワさんもいて、施設の前に設置されていたテントの下で色々な情報交換。いろいろな人が行き来するので、そこに座っているだけで色々な人に会うことができた。
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 職場を後にして家族が待っている団地に戻り、食事に向かう。意見がなかなか合わなかったが、結局は「焼肉の金城」へ。毎月1日は半額なので、その日に行けば良かったような気もするが、まあ仕方がない。肉は悪くなかったが、冷麺には不満が残った。
 夕食後、再びバンナ公園に向かい、「エメラルドの海を見る展望台」へ。昔は東屋があっただけだったが、駐車場も広くなり、展望台も新設され、自動販売機まで設置されていた。ここは星空を観望するにも良い場所だが、はっきり言って自動販売機の明かりは邪魔だ。自動販売機の下には、灯りに集まった虫を食べようとしているのか、巨大なオオヒキガエル Bufo marinus が2匹いた。もともと日本には分布していなかった種だが、サトウキビの害虫を食べるということで導入され、今では完全に定着して数も増えてしまっている。外来生物を排除する法律などもできてしまったが、根絶は不可能だろう。
 空を眺めると、流れ星がいくつか見えた。ペルセウス流星群には時期が早いが、ランダムに飛んでくる宇宙の塵は、たくさんあるのだろう。津に住んでいると、なかなか星空を眺める機会もないのだが、じっくり眺めれば、流れ星ぐらい見えるのかも知れない。
 流れ星をいくつか見たのに満足してホテルに戻った。明日は最終日だ。
石垣島紀行第6日目(8月4日)に続く)

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石垣島紀行第4日目(8月2日)

石垣島紀行第3日目(8月1日)その2から続く)
 昨日に引き続き、今朝もまた夜明け前に起きた。楽しみがあると、自然に目が覚めるのは不思議な気がするが、おそらく誰でもそうなのだろう。今日は午後からカリマタさんの案内でシュノーケリングに行く予定になっている。朝食前は例によって港で釣り。ガーラ(ロウニンアジ)の幼魚が釣れた。
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 朝食のために一旦宿に戻るが、また港に釣りに出かけた。エーグヮー(アイゴ)の幼魚などが釣れた。午後のシュノーケリングでも釣りをする予定なので、こういう小物は大物を釣るためのの餌用として持ち帰ることにする。
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 場所をちょっと変えて、「フェリーよなぐに」が利用している桟橋の方にも行ってみた。しかし、ここでは何も釣れなかった。ここは、離島桟橋の向かいにあるので、離島桟橋と周辺離島の間を行き来する船が頻繁に出入りする。船の名前を確認していると、昔なつかしい名前の船もあったが、前にはなかった「ちゅらさん」という名前の船もあった。
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 午後からはカリマタさんの案内で崎枝の海へ。ぼくが石垣島に行った頃は息子たちがまだ小さかった(と言うより、三男坊は石垣島に行ってから生まれた)ので、息子たちと一緒に海に行くという発想すらほとんど無かったが、石垣島を離れる前の年に、はじめて息子たちと一緒にシュノーケリングを楽しむことができた。このとき案内してくれたのがカリマタさんだ。
 今回も4年前と同じ場所に案内してもらった。今回は、昔住んでいた団地に住む息子たちの友人とそのお母さんも一緒だ。
 向かいに川平石崎を望む内湾で波はない(もちろん潮の流れがあるので、下手をすると流される)ので安全性が高い場所だが、けっこう深みもあり、様々な珊瑚や魚を見る事ができる。
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 残念な事に、海水温が高い影響か、白化している珊瑚もたくさんあった。白化現象が珊瑚の死亡によるものだということを知らなければ、白化した珊瑚は奇麗で素晴らしいものと勘違いしそうだ。
 海の中を覗くと、目の前を小さな魚の群れがピュンピュンと通り過ぎていく。動きが速すぎて全く魚の種名はわからないのだが、おそらくこちらの方言でミジュンと呼ばれているものではないかということだった。
 釣りの方も試みようとしたが、何とリールがこわれてしまって回らなくなってしまった。これでは、投げることはできても巻き取ることが出来ないので、どうしようもない。手で巻けないことは無いのだが、そんな悠長なことはやっていられないので、釣りは諦めることにした。港で釣ったガーラやエーグヮーの幼魚は餌用に半分ぐらいに切ってあったのだが、仕方がないので海に捨てた。いずれ大きな魚が見つけて、それを食べてくれるだろう。
 潮が満ちかけてきた頃、引き上げることにした。帰る途中、名蔵の石垣島製糖の近くにある仲松商店でアイスとてんぷらを買って食べた。海で遊んだあとなので、お腹がすいていたのだ。
 カリマタさんを送り届けてから民宿に戻ってシャワーを浴びる。ちょっと一休みしてから、昔の仲間との食事会に出かける妻をレストランに送り届ける。そのあと、3人の息子たちと一緒に「あやぱにモール」に出かける。一つの目的は土産を買う事。もう一つは食事。「あやぱに」とは「綾羽」と書き、「ばすぬとぅり」=「鷲ぬ鳥」、要するにカンムリワシのことで八重山民謡にもなっている。カンムリワシと言えば具志堅用高のことが有名だが、これがもとになっている、はず。
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 土産は宮城菓子店の「八重山ちんすこう」と決めていた。ちんすこうは本来沖縄本島のものだが、「八重山ちんすこう」は甘すぎず、大変美味しい。一番美味しいと思うのは、首里赤平にある「新垣カミ菓子店」のものだが、これは那覇空港では買うことができず、首里城公園の売店か製造所に行かなければ買えない。同じ宮城菓子店の「石垣の塩ちんすこう」も評判が良い。これを多量に買わなければいけない。
 と言うことで公設市場の上の「石垣島産品販売所」に行ったのだが、既に営業時間が終わっていた。気を取り直して別の土産物店に入ると目的のものを発見。店頭には必要数に足りない数しかなかったので、奥から在庫を出してもらった。こんなにたくさんは持って帰れないので、送料のことをきくと、1万円以上買うなら送料サービスとのこと。袋入りのちんすこうばかり買ったのだが、裕に1万円を突破。送料無しで送ることができた。
 手ぶらで気楽になって、どこで食事をしようか、ということになったのだが、結局「あやぱにモール」の外れにある「たこ焼きK」で食事をすることになった。息子たちと一緒だと結局こういうところになってしまう。純粋な観光旅行なら絶対に入らない店だが、今回は観光旅行兼里帰りなので、許容範囲だ。大阪から出てきた家族が経営している店で、十分に美味しい。たこ焼き、お好み焼き、焼きそばを食べられるが、たこ焼きと焼きそばを食べる。塩にんにく焼きそばはかなり美味しい。(下の写真は別の日に撮影;「山田書店」の文字が読み取れる。「山田書店」は「タウンパルやまだ」となって別の場所に移動して営業している。)
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 満足して宿に戻り、あらかじめ連絡しておいたヤマダさんに電話をかける。すると、ヤマダさんは急遽東京に行く用事ができたということで、会えるのは今晩しかないことがわかった。電話だけで済ますなら、自宅からでも同じなので、とにかくヤマダさんの家に出かける。翌朝一番の飛行機で出かけるということなので、十分に話ができたとは言えず、名残惜しかったがヤマダさんの家から民宿に戻る。戻る途中、名蔵アンパルの近くを通ったのだが、道を何か歩いている。車を停めてよく見てみると、大きなカニだった。こんなのに指を挟まれたら大変なことになりそうだ。
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 民宿に戻ると、妻は戻っており、息子たちは既に寝ていた。そろそろ疲れが溜まってきたのだろう。

石垣島紀行第5日目(8月3日)に続く)

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2007年9月22日 (土)

『森は誰のものか? アジアの森と人の未来』

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地球研叢書 森は誰のものか? アジアの森と人の未来
日高敏隆・秋道智彌 編著

2007年3月10日初版発行
株式会社昭和堂
ISBN 978-4-8122-0708-6
2,300円+税

  • はじめに(日高敏隆)
  • この本のキーワード
  • 序章  森と人の生態史(秋道智彌)
  • 第1章 森の一万年史から(湯本貴和)
  • 第2章 ボルネオ・イバン人の「里山」利用の変化と日本とのかかわり(市川正弘)
  • 第3章 ボルネオ熱帯雨林ランビルの林冠でみえたこと(酒井章子)
  • 第4章 誰のための森か(阿部健一)
  • 第5章 「協治」の思想で森とかかわる(井上 真)
  • 第6章 世界の森の現状からみた地球未来(山田 勇)

 様々な視点、立場から森について議論されている。全体を通して感じさせられることは、人間が自然の上に立って自然を管理する「神」としてではなく、自然の中に生かされている自然の一員に過ぎない、という立場をとるのが、人間自身にとっても望ましいというということである。現実の世界には様々な問題が様々な段階で存在しており、これからの地球環境を考える上で考えなければならないことが浮き彫りにされ、そこに存在する問題を解決するための考え方が提案されている。
 これまで生きてきて様々な体験をすることにより、ぼく自身も人間は「神」になるべきではないという考え方を持つに至った。この本に書かれていることは、ぼく自身にとってみれば「ごくあたりまえ」のことが書かれていたわけだが、そうでない人に対して、このことをいかにして理解してもらおうか、ということに対する並々ならぬ努力が感じられた。問題はまだ山積しており、解決に対する簡便な手段が無いとこは明らかなのだから。

 地球研とは総合地球環境学研究所の略称で、2001年、京都に創設された。大学共同利用研究機関法人・人間文化研究機構の一機関として、地球環境問題を根本からとらえて研究を進めている。

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2007年9月21日 (金)

石垣島紀行第3日目(8月1日)その2

石垣島紀行第3日目(8月1日)その1から続く)
 野底岳はマーペーとも呼ばれている。野底は「のそこ」だが、琉球方言では「ぬすく」と発音する。だからヌスクマーペーだ。マーペーとは何か?ちょっと読みにくいかも知れないが、この写真の中の文字を読んで欲しい。黒島から野底に強制的に移住させられたマーペーという名の娘の悲しい話の伝説があるのだ。
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 さすがに気温だけは十分に高かったので、たかだか15分の道程とは言え、相当汗をかいた。まさに山頂に着いたそのとき、思わぬ事態に大変驚いた。昨日、於茂登岳で出会った家族に、ここで再会してしまったのだ。家族には昨日の話はしてあったので、すぐに家族も事情をつかんだ。とにかく、長男とは同窓生ということで、しばし雑談する。林道からではなく、野底から登ってきたとのこと。この暑い中、ご苦労さんでした。
 石垣島でもっとも標高が高い山は沖縄県最高峰の於茂登岳だが、石垣島の山で山頂からの景色がもっとも良い山と言えば、野底岳の名を挙げる人が一番多いのではないかと思う。遠くから見ても尖った山頂の異様な形は目立ち、山頂に登らなくても、山頂からの景色が良い事を想像できる。
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 山頂から下を見てあらためて実感させられたのだが、去年の台風13号の傷跡をはっきりと見る事ができた。葉がまばらで、幹の白さが異様に目立つのだ。
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 しばし山頂からの景色を眺めて、山を下り、林道の登山口から野底に向かった。野底の登山口付近の川にはテナガエビがいて、石垣島に住んでいた頃、息子たちと一緒に何度かエビ採りに行ったことがある。せっかくだからそこにも行ってみようということになり、野底側の登山口に向かった。もう夕方で薄暗くなりかけていたので、テナガエビは見つけることができなかった。もっとも、網を持っていないので、見つけても採れるわけではないのだが。
 するとそこに、花と果実をつけたミフクラギ(オキナワキョウチクトウ)を見つけた。クチナガカメムシ Bathycoelia indica Dallas, 1851 がいないかと思って探したが見つからなかった。
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 また、その近くには新芽を出したアコウの仲間を見つけた。詳しい種名はわからないが、アコウの仲間には夏に落葉して、その後新芽をたくさん出すものがある。ここで見つけたのアコウは、ちょうどその時期にあたっていたようだ。アコウの亜tらしい葉が展開し、十分に大きくなった頃、平得の三番アコウの木の下でとぅばらーまの大会の前夜祭が開かれる。石垣島に住んでいた頃は近所だったので、見に行った事はあるが、台風が来てその近くの息子が通っていた小学校の体育館で開催されたこともあった。
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 野底から於茂登トンネルを抜けて市内の民宿に戻ってシャワーを浴び、あやぱにモールで少し買い物をしてから、昔住んでいた人たちが企画してくれた宴会の会場に向かった。新栄公園の近くの中華料理屋だ。少なくとも一度は、石垣島に住んでいた頃に入った記憶がある。
 奥さんがたが中心だったが、フクザワさんのご主人も参加してくれた。フクザワさんは海上保安庁にお勤めで、我が家が石垣島を離れる前に転勤で送り出したのだが、さらにもう一度転勤したあとの今年の春、また石垣島に戻ってきていたのだ。何とも羨ましい。大人の男はフクザワさんだけだったので、もっぱらフクザワさんと話をした。フクザワさんの息子さんたちも全員参加して空手の型を披露してくれた。
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 店を出たあと、すぐ前の新栄公園で子供たちを遊ばせ、大人たちは雑談。話は尽きない。名残惜しかったが、子供たちに夜遊びさせるのも何なので、ほどほどにして民宿に戻った。

石垣島紀行第4日目(8月2日)へ続く)

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石垣島紀行第3日目(8月1日)その1

石垣島紀行第2日目(7月31日)その2から続く)

(2か月近くも前のことを未だにダラダラと書き続けるのは気が引けるが、とにかく始めたことなので、自宅に帰り着くまでのことは書こうと思っている)
 今朝は夜明け前に起きて、3人の息子たちと一緒に登野城漁港の近くへ釣りに出かけた。夜明け前と言っても、石垣島は日本の最西端に近いので、夏とは言え朝が遅いので、朝6時でも日の出前だ。家にいる時、下の2人の息子たちは、こんな時間に起きることは滅多に無いのだが、ここでは文句も言わずに起きる。やはり、楽しいことがある時には目覚めも良いのだろう。
 サザンゲートブリッジの下に着くと、海水が川のように流れていた。大潮で干潮が2:28、満潮が8:16だから、ちょうど潮の動きが激しい時間帯だ。干満の影響だけでなく、黒潮の影響もあるので、右向きに潮が動く時は、本当に流れが速い。
 例よって釣れたものは大したものは無かったが、飽きない程度に釣れるので、本当に楽しい。釣れたのはスズメダイの仲間やアイゴの幼魚など。
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 朝食を摂るため、民宿にもどり、今度は全員で登野城漁港へ向かう。今度は潮の動きが悪くなっていたせいか、スズメダイの仲間ぐらいしか釣れない。
 今日のメインイベントは赤石食堂のソーキそばを食べること、ということになっている。もう一度民宿にもどり、出かける準備。そう言えば、「石垣カメラ」でリバーサルの現像をやっているはずなので、来る時に撮った写真を現像しておいた方が良いな、などと思って、撮影済みのフィルムも持参することにした。自分のところでリバーサル現像をやっているというのは非常に重宝で、その日のお昼ぐらいまでに出せば、当日の夕方には仕上がってくる。石垣島より人口が多い本州の地方都市ですら、こんな写真屋は滅多に無いと思う。
 まずは近いところから、と言う事で、730交差点近くの「石垣カメラ」へ。ところが、店内の配置が昔と変わっていることに気付き、もしや、と思ったら、そのとおりで、リバーサルの現像は辞めて、取り次ぎになったとのこと。これでは帰るまでに現像できないので、あきらめて未現像のフィルムは、帰ってから現像することにした。
 気を取り直して、ドライブに頭を切り替える。まずは、ヤマバレーの「トミーのぱん」を目指す。川良山を越えて名蔵に出て、崎枝、吉原を経由する。ところが「トミーのぱん」は定休日。もう石垣島を離れて3年以上になるので、月・火休みだったのか、火・水休みだったのか、思い出せなかったのだ。結果は火・水休み。「トミーのぱん」には、明日もう一度来ることにする。米原、野底、伊原間を経由して明石へ。野菜販売所は昔どおりだ。それはさておき、まずは「明石(あかいし)食堂」に向かう。すると、駐車場はほとんど満車状態。やはり人気がある食堂だ。外で待つ人のためか、入り口に庇が出来ていた。昔はそんなものはなかったのだが。
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 食べたのは「野菜そば」にソーキを一つ乗せたもの。とにかく肉より野菜が好きなので、ぼくの場合はこれに限る。とは言うものの、本当に好きなのは、伊原間にある「新垣食堂」の「牛そば」。野菜たっぷりの牛汁の中にそば(もちろん八重山そば)を入れたようなものだ。しかし、家族がそれをあまり好きではなく、「明石食堂」のソーキそばが好きなのだ。
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 これが「野菜そば」にソーキを一つ入れたもの。
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 スープまで飲み干して大満足。
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 明石まで来ると平久保崎もそれほど遠くないので、石垣島最北端の平久保崎まで行くことにした。空気が澄んでいる時なら多良間島や、さらにその隣の水納島が見えることもある。
 平久保崎は観光地ということもあり、観光客が多かった。今回は我々も観光客だ。天気は良く、海は奇麗だったが、多良間島を望む事はできなかった。
 そのとき、ふと小さなシジミチョウが飛んでいるのに気が付いた。こんな所を飛ぶのは種類が限られているので、もしやと思って止まるとを待ったら、それは予想したとおりクロマダラソテツシジミ Chilades pandava (Horsfield, [1829]) だった。もともと石垣島で継続的に発生している種ではなく、ぼくが石垣島に住んでいた7年の間に、この蝶が見られたことは無かった。今年の春にはたくさん飛んでいたという話だったので、それがまだ継続的に発生しているのだろう。
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 クロマダラソテツシジミはその名の通りソテツの葉を食べる。しかもその新芽の軟らかい部分だけしか食べない。だから、いくらソテツが生えていても、新芽を出していなければ、この蝶は世代を繰り返す事はできない。
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 幼虫が食い荒らしたソテツは中心の新芽の部分が枯れたように見えるので、遠くから見てもそこに幼虫がいたことがわかる。そういう目でソテツを探したら、すぐに食い荒らされたソテツが見つかり、その回りにはたくさんのクロマダラソテツシジミが飛んでいた。
 石垣島の最北端を後にして南に向かった。次は、何度も足を運んだことがある玉取崎の展望台だ。ここは一面にブッソウゲ Hibiscus rosa-sinensis(いわゆる「ハイビスカス」)が植えられている。ところが、雨が少なかったせいか、花はまばらで、期待していたベニホシカメムシ Antilochus coqueberti (Fabricius, 1803) どころか、その餌になるアカホシカメムシ Dysdercus cingulatus (Fabricius, 1775) すら見つける事ができなかった。捕食性のベニホシカメムシは食植性のアカホシカメムシよりずっと個体数が少ないのだ。アカホシカメムシが見つからなければ、ベニホシカメムシが見つかるはずがない。
 玉取崎をあとにして一路南に向かったが、野底林道が全線開通したということを聞いていたので、大野から野底林道に向かった。この林道も、何のための道なのか全く理解できないが(とても林業用に使われるとは思えない)、途中に景色が良い場所が何か所かあるので、石垣島に住んでいたときにも何度も行ったことがある。もっとも、そのときは、東側の大野あるいは伊野田側からは入ることは出来たが、西側の野底側には通じていなかった。とにかく、これを走破しようと思ったのだ。
 ところが、途中の野底岳登山道入り口のところまで来ると、妻が「登ろうか」と言ったので、予定外だったが、登る事になってしまった。うーむ。何が起こるか分からない。
 もともとの登山道は野底側が登山口だが、この林道ができてからは、山頂のすぐ下まで車で行けるので、15分も歩けば山頂に着いてしまう。本当に軽いハイキング気分だ。
 とにかく、何の準備もなく、家族5人揃って山頂に向かった。
石垣島紀行第3日目(8月1日)その2に続く)

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2007年9月20日 (木)

福島はおそらくこの時期にしては珍しいぐらい暑かった

 朝は6時前に自然に目覚め、檜風呂に入った。朝食はバイキング形式だったが、もうそれなりの歳なので、自分の腹具合に合わせて食べた。何故かコーヒーカップが異様に小さく、何度もお代わりをする事になった。8時30分に旅館を出発し、また研究所へ。
 研修は昼までで終わり、路線バスで福島駅へ。しかし、この2日間、意外に暑く、結果的にはずっとTシャツで過ごし、持参した長袖シャツが登場する機会はなかった。やはり、台風の影響で暑いのだろうか?
 福島駅にはほぼ予定通りの時刻に着いたが、「つばさ」に乗ろうと思うとゆっくり食事ができないので、弁当を買った。妻のリクエストの「ままどおる」を土産に買う。ついでに職場への土産も同じものにする。
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 13:17発の「つばさ114号」の自由席は空いていた。駅で買った弁当を食べ、車内販売が来るのを待った。本を読みながら待っていたのだが、「峠の力餅」のことが頭にあると、読んでいる本の内容があまり頭に入らない感じがする。宇都宮を過ぎたあたりで、やっと車内販売が回ってきた。「峠の力餅はありますか?」と訊くと、「あります」という答えに一安心。
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 新幹線は上野で降り、例によって秋葉原へ。決してメイド喫茶に行くためではない。最近は新幹線の上野駅を利用することは無かったが、地下4階ということで、随分深いところにある。長いエレベータに乗って、やっと地上へ。しかし、ツクバエクスプレスの秋葉原駅よりは、多少マシかも知れない。
 秋葉原では電子パーツ屋をハシゴする。今まで入ったことが無かった(と言うより、その存在を最近まで知らなかった)日米商事へ。いかにもジャンク屋らしい雰囲気で、悪くはない。その後、いつもの鈴商、秋月電子をまわり、秋葉原ラジオデパートへ。最近はここを素通りばかりしていたが、久しぶりに中に入ってみると、古いものもあり、面白かった。さらにニュー秋葉原センターの小沢電気商会へ。ここは、何度かウィンドウショッピングしたことがある場所だが、買い物をしたことは無かった。とにかく、古いものがいっぱい並んでいるし、雑然としており、店主が気難しそうな感じがしていたからだ。ところが実際に話をしてみると、こちらがアマチュア無線家だとわかると、気さくに応じてくれた。また東京方面に出張があれば、立ち寄ってみたい。
 帰りは東京から「のぞみ49号」に乗った。博多行きだったのでN700系を期待したが、500系だった。以前山陽新幹線区間を乗ったとき、あまり良い印象が無かったのだが、乗り心地はそれほど悪いことも無かった。もっとも、荷物を載せる棚が小さすぎるのは問題だと思う。
 この新幹線に乗った時、ぼくは持参したタオルでさかんに汗を拭いていたのだが、隣に座ったぼくよりちょっと若そうなビジネスマンも、やはりタオルで汗を拭いていた。「暑いですねぇ」と声をかけると、応じてくれたので、しばし雑談。京葉線のホームから新幹線のホームまで歩いてきたら、汗が出て仕方がなかったとのこと。でも、このビジネスマンとは新横浜ですぐにお別れだった。東京と新横浜の間はそれほど距離も長い訳ではないのに新幹線に乗るというのは、ぼくには理解しにくいのだが、ビジネスマンはそれだけ忙しいということなのだろう。
 名古屋で降りて新幹線のホームできしめんを食べた。久しぶりにきしめんを食べたが、それなりに美味しいと思った。一応腹ごしらえをしてから近鉄の乗り場へ。それほど疲れていないので、特急料金は節約して急行に乗った。クロスシートを期待して、ホームの前寄りに並んだのだが、6両編成のすべてがロングシートだった。とりあえず席だけは確保できたので、文句は言わないことにする。21時過ぎに津駅に到着。それほど疲れていないので、明日の仕事は大丈夫、だはず。

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2007年9月19日 (水)

意外な場所でハマベハサミムシに出会う

 津駅発7時16分の近鉄特急に乗ったらほぼ満席だった。この時間帯に特別料金(しかもやや高価)が必要な電車にこれだけの人が乗っていることは、やはりすごいことだと思った。お金を余計に使ってでも、楽に座って行きたいということなのだろう、と思ったのは、自分がそう思ったからだ。名古屋からは「のぞみ206号」の禁煙の自由席。近鉄から乗り継ぐと新幹線のホームのほぼ端から端まで歩かなければいけない。東京では8分の乗り継ぎ時間で「Maxやまびこ・つばさ111号」の自由席に乗った。乗り換え改札に行くために北の方に進んだので、何となくそのまま北の方に歩いたら、前の方に連結されている「つばさ111号」の方だった。つばさにはまだ乗った事が無かったので、それに乗ることにした。自由席の場所を車掌さん(女性)に訊ねると、一番前の16、17号車とのこと。東京駅でも、結局ホームの端から端まで歩くことになってしまった。Maxの2階建の車輌より、落ち着いた感じがする。歩いた甲斐があった。宇都宮を過ぎたあたりで車内販売が回ってきた。ちらっと見ると「鉄子の旅」に出ていた「峠の力餅」があった。うちの息子たちが「一度食べたい」と言っていたような気がしたので、帰りに買うことを決意した。と言う事は、帰りも「やまびこ」ではなく「つばさ」に乗らなければいけないことになった。とりあえず、当初の予定寄り1本早い東北新幹線に乗ったので、福島駅では十分に時間があり、帰りに買う土産を物色し、昼食をとった。ラーメンが好きなのだが、東北なので蕎麦にした。しかし、不味くはなかったものの、感激するほどの味でもなかった。やはり、下調べをしておくべきだったかも知れない。やがて、研修の参加者が集まり、13:00発のバスに乗り、目的地の研究所へ。
 途中の仕事の話などは省略する。宿は出張先の研究所からそれほど遠くない土湯温泉の旅館だった。露天の岩風呂と檜風呂が売りらしい。夜は岩風呂が「殿方用」。一緒に講師として参加した別の研究所から来たIさんとの雑談が1時間ぐらいは続いたような気がする。途中、灯りに寄ってくる虫のことも気になり、灯りの回りを探すと、クモがいっぱい巣網を張っていた、ということは、それなりに餌になる虫が多いということだろう。下に目を向けると、何とハサミムシがいた。どんな種かと思って1匹捕獲して灯りの近くで見てみると、ハマベハサミムシ Anisolabis maritima (Bonelli, 1832) の雌成虫だった。他にも幼虫が何匹もいた。ハマベハサミムシは海岸や大きな河川の下流域の砂地に多いという印象を持っていたので、こんな山の中の谷底で見られるとは思ってもいなかった。
 ここのハマベハサミムシは、灯りの下に落ちていたガの成虫の屍体を食べていたのだが、温泉で一年中暖かくて湿っており、冬はどうだか知らないが、それなりに餌が確保できるこの場所は、ハサミムシの棲息場所として、それなりに良い条件を備えているのではないかと思った。近年、家の中にハサミムシが出て気持ちが悪いので何とかしたい、という相談を何度か受けた事があるのだが、そのような場所とも条件が似ているのかも知れない。

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今日明日は福島へ

 今日これから出張で福島(大阪の福島じゃないよ)に出かけるのだが、どんな服装で出かけたら良いのかわからない。畑に出たりするので、ネクタイを締めるわけではないが、上着も持って行くべきかどうか。
 結婚したのは盛岡に住んでいたときで、結婚式は9月22日だった。結婚式の翌朝は気温が下がって窓に露が付いたのをよく憶えている。
 福島は盛岡より南だから少しは暖かいだろうが、それにしてもこの時期の出張は服装に悩んでしまう。

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2007年9月18日 (火)

稲のひこ生えに実がついていた

 今日は休日に学会出張した代休なのだが、明日からの別の出張の前にこなさないといけない仕事をこなすために出勤した。一応休日なので、最低限の仕事をこなして帰るつもりだったが、結局午後4時ぐらいまでかかってしまった。でも、まだ十分に明るいうちの帰宅だ。
 これまでしばらくは学会の準備などで暗くなってから帰宅する日が続いていたので全く気付いていなかったのだが、8月に収穫されたあとの田圃の稲のひこ生えが伸びて、中には実がついているのもあったのだ。ひこ生えも、大きなものは50cm近いようなものもあった。
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 これだけ大きく稲が育っているということは、田圃の土の中にはまだ肥料がたくさん残っているのだろう。思い返してみれば、収穫前に稲が倒伏している田圃があちこちに見られたのを憶えている。大した風も吹いていないのに稲が倒伏するのは、肥料が過剰である証拠だと言っても良い。
 これだけ元気にひこ生えが育っている田圃は、これから肥料を入れなくても、来年十分に稲が育つのではないか、というような気がしてならない。肥料を控えめにすれば、植物体自体も堅くなり、病気や害虫に対しても耐性を持つようになるはずだろうが、おそらく収量は少なくなるであろうから、そんなことをする農家がいるとも思えない。現に、肥料過剰で稲を倒伏させている農家がいっぱいいるのだから。

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2007年9月17日 (月)

日本昆虫学会第67回大会3日目(2007年9月17日)

 朝6時半に目覚ましをかけていたが、それが鳴る前の6時過ぎぐらいに目が覚めた。カップ入りの沖縄そばがもう1個残っていたのでそれを朝食にした。シャワーを浴びて、荷物をまとめる。今日はチェックアウトするからだ。8時過ぎにチェックアウトする。今回はノートパソコンを持ち込んでブログなどを書いていたので、部屋のテレビの電源を一度も入れなかった。そのかわり、ラジオ(しかもAM放送だった)はずっと鳴らしていた感じだった。やはり、テレビよりラジオが好きなのだ。最近のビジネスホテルはテレビは必ずあるが、ラジオが無いところが多く、今回もラジオを持参していたのだが、それの出番は無かった。
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 今日は荷物を持って坂の上の大学に行かなければいけないので、駅からはバスに乗る事にした。バスは始発の阪神御影から乗っても、大学のすぐ近くの阪急六甲から乗っても値段は同じなので、時間と料金との兼ね合いから、JR元町からJR六甲道までJRの電車に乗ることにした。阪神元町も神戸高速花隈も地下にあるが、JR元町は地上だ。やはり地上の駅の方が良い。JR六甲道からはバスだ。これまでの2日間は阪急六甲から歩いて会場に向かったので、正規の入り口から入らず、裏道を通っていた。だから、今日は3日目にして、はじめて正規の入り口から大学構内に入った。
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 今日の学会は、午後の最初からシンポジウムなので、一般講演は午前中だけだった。今日は害虫管理と生物的防除関係の発表が行われる会場でほとんど過ごした。それなりに面白いと思ったものもあったが、本当に面白いと思えるものは残念ながら無かった。面白い面白くないといいう判断基準は、ぼくの頭なので、他の人が聞けば違った判断になるのだろうが。
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(↑巨大なカマキリの前脚・↓虫の万華鏡、いずれもシンポジウム会場にて)
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 午後からは「2005年の博物館」というテーマのシンポジウムに出た。これも一般に公開されたシンポジウムだ。4題いずれの話題も、博物館の学芸員をされている方の講演だったが、最初の3題はこれからの博物館で行うことの方向を提案するものだった。いずれも、一般市民に対してどのように博物館を使ってもらうか、という点で、それぞれの博物館で努力されていることがよくわかった。最後の1題は、分類学と系統学の関係がこれからどうなっていくか、という話で、博物館をどのようにしたら良いのか、という点を中心に語られた最初の3題とは全く異なった視点の話だったが、生物系の博物館では分類学や系統学と無関係ではいられないのは確かなので、それなりに意味のある話題提供だったのかも知れない、と言うか、話自体は面白かったのだが、シンポジウムのテーマからはちょっとはずれている感が否めなかった。
 最後は「地表性甲虫談話会」の小集会に出席した。2題の話題提供があり、いずれも生態学関係のものだった。ゴミムシは一般に捕食性のものが多いが、中には植物種子を主な餌とする系統群がいくつもあることが近年の研究で明らかにされてきた。その種子食性のゴミムシ類の雑草種子に対する捕食量としたべた研究が岐阜大学連合大学院(=静岡大学)の大学院生の市原実さんによって紹介された。もう一つは純真短大の石谷正宇さんによって、ゴミムシ類の生態に関する研究の世界的な動向についての紹介があった。ゴミムシ類は種数が多く、分類学的にもまだ様々な問題が残されているということもあろうが、生態に関しては主にヨーロッパで研究が進んでおり、一部アメリカの研究もあるのだが、日本での研究はまだまだ少ない。その中でも、今すぐ手をつけたら面白いのではないかというテーマがいくつか提示された。そのあとは、自己紹介を兼ねた一人一話が行われ、それでほぼ予定の時間が消費された。
 その後、懇親会も予定されていたが、今日は帰らないわけにはいかないので、すぐに帰途についた。阪急六甲から梅田に出て、そのあと地下鉄で日本橋まで出ようとしたのだが、なかなか地下鉄の駅にたどり着けず、余計に時間がかかってしまった。まだ乗った事がなかった谷町線の南森町から谷町九丁目に乗るために、ちょっと遠回りだったが、東梅田→(谷町線)→谷町九丁目→(千日前線)→日本橋の経路を通った。日本橋では帰りの近鉄特急アーバンライナーの切符を確保し、なんばウォークのわしたショップに向かった。わしたショップでは、ルートビアとミキを調達した。そのとき初めて気が付いたのだが、レシートには「わしたショップなんばウォーク店」ではなく「ちゅらりなんばウォーク店」と書かれていたのだ。店の造りも品揃えや品物の配置も前と全く変わっていないので気が付かなかったのだ。どうやら「わしたショップ」から独立したらしい。まあ、これまで通りの品物が入手できれば、「わしたショップ」でも「ちゅらり」でも関係ない。
 店を出てからその近くのラーメン店「古潭」で「あっさりラーメン」というの食べたのだが、どこが「あっさり」なのかわからなかった。不味いわけではないが、とりたてて美味しいというほどでもなかった。しかし、スープを全部飲み干したので、ぼくの基準には合格だ。ラーメンのあとはなんばウォークをずっと西に向かい「551蓬莱」で豚饅を調達した。これは家族への土産で、明日の朝食になるはずだ。
 「551蓬莱」の位置をしっかり把握していなかったのだが、近鉄難波の東改札からかなり西に行ったところにあったような気がしたので、さらに西に向かい西改札から入ることにした。しかしこれはおそらく失敗で、東改札に戻ってから構内に入った方が歩く距離が短かったような気がした。
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 近鉄難波20:00発のアーバンライナーは定刻の21:21よりやや遅れて津駅に着いた。妻と三男が車で迎えに来てくれていた。もちろん、頼んであったわけなのだが。

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2007年9月16日 (日)

日本昆虫学会第67回大会2日目(2007年9月16日)

 今朝は6時半に目覚ましがなるまで熟睡した。シャワーを浴びて、少し持ち帰ってきた昨日の懇親会の残りの料理と、なんばウォークのわしたショップで買ったカップの沖縄そばを食べた。昨日の懇親会の料理がまだお腹の中に残っている感じだったので、これで十分満腹した。
 8時15分ぐらいにホテルを出て、JR元町から六甲道に行こうかとふと考えたのだが、神戸市営地下鉄の「みなと元町」駅の写真を撮ろうと思い直したので、結局そこを通って、神戸高速鉄道の花隈駅に向かった。あとは昨日と同じ経路。
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 朝一番の安藤喜一先生の講演「オオカマキリの「雪予想」は間違いである」の会場へは、一番乗りしたので一番良い席を確保できた。安藤先生は、去年の昆虫学会の大会で、初めて酒井與喜夫著「カマキリは大雪を知っていた」 (社)農山漁村文化協会 人間選書250 ISBN4-540-03114-7 に書かれている内容に対して批判をした。示された根拠は、カマキリの卵のうは雪に埋もれても死なないどころか、雪に埋もれた方がかえって孵化率が高い、というものだった。それだけでも十分だとは思うのだが、さらに今年は、雪解けの水の中に長時間浸されても卵は死なない、というデータも付け加えられた。
 その結果、酒井氏の著書に対する評価は、「雪に埋もれた卵はすべて死んでしまうという間違った思い込みに基づいているため、書かれている内容は全く根拠が無いものである。酒井氏の文章表現が巧みであるため、それを信じてしまう人がいても不思議ではない。この間違いがおこったのは、適切な指導者なり助言者がいなかったことが原因である。酒井氏が得たデータには酒井氏の基準に基づいた様々な補正が加えられた上で有意な相関があることが示されていることから、積雪量を予測しているのはオオカマキリではなく酒井氏自身である。」というもので、ぼくがこの本を読んだときの感想とほとんど同じものだった。酒井氏はこの研究で博士の学位を得ているが、それが理学博士や農学博士ではなく、工学博士だったことは、せめてもの救いだったかも知れない。安藤先生には、酒井氏によって作られた間違った定説を正すための一般の人向けの啓蒙書を書いていただきたいものだと思った。
 世の中に似非科学がはびこっているのは事実らしい。江本勝氏の「水からの伝言」からはある種の悪意を感じ取ることもできるが、「カマキリは大雪を知っていた」からは著者である酒井氏の全く悪意というか、うさんくささは全く感じられず、それがゆえにかえって間違いを正すことが難しいのではないかと感じられる。
 その他の講演で面白く感じられたのは、高知大学の原田哲夫先生グループの外洋棲のウミアメンボの話題2題。ゲッチョ先生の著書『ゲッチョ昆虫記—新種はこうして見つけよう』に書かれていることと併せると、外洋棲のウミアメンボ類の密度はけっこう高く、海流の流れに身を任せて漂っている、という生活をしていることが窺われる。
 午後のシンポジウムは一般への公開も兼ねていた。時間が種分化にどのような影響を与えたか、というような内容の話が3題あったが、結局は時間が種分化に影響を与えたのではなく、進化の結果、時間的な形質が分化したのではないか、というところに落ち着いたと理解した。
 このシンポジウムでは、たまたますぐ前の席に若い女性2がいたので、学会員ではないと思ったので声をかけて話をしたところ、学校の先生に話を聞いて面白そうだと思ったから、という理由で参加した地元の神戸高校と御影高校の生徒だった。2人とも虫が好きで、将来はこの方面の勉強がしたいとのことだった。こういう若い人がたくさん仲間になって欲しいものだ。特に正木先生と竹田先生は英語の専門用語を多用されたので、高校生のためには理解の妨げになったのではないかと思った。この2人には宮竹先生の話が一番面白いと感じたとのことだった。ぼく自身も、宮竹さんの話が一番解りやすかった。しかし、見知らぬ女子高生と話をしたのは何年ぶりのことだろうか。
 シンポジウムの後は「日本半翅類学会」の小集会に出た。京都大学の藤崎先生による奄美大島のカメムシの写真がいろいろ紹介された後、一人一話形式で全員が少しずつ話をした。藤崎先生の奄美大島のカメムシに対してはいろいろ疑問なり自分の考えなりがあったが、時間の制約もあったので、そのあとの懇親会でゆっくりと、と思っていたが、藤崎先生は別のグループの懇親会に参加されたようで、話をしそこねてしまった。藤崎先生も忙しいはずだが、お暇なときに一度京都におしかけて、話をしたいと思う。
 半翅類学会のグループは三宮の居酒屋に繰り出して、多いに喋った。林先生と若い学生さんがいると、話が盛り上がって大変楽しい。明日のこともあるので、10時半ぐらいに一応お開きになり、花隈まで電車に乗り、ホテルに戻った。
 明日は最終日。かなり疲れが溜まってきた感じだ。

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2007年9月15日 (土)

日本昆虫学会第67回大会1日目(2007年9月15日)

 今日から昆虫学会が始まった。何故か朝早く5時半頃に目覚めてしまった。もう、かなり明るくなりかけていた。昨日の夜にはわからなかったが、遥か沖合には神戸空港も見えた。ずいぶん遠くに空港を作ったものだ。そんなふうに景色を眺めていても、それほど時間が経つわけでもないので、仕方なくシャワーを浴びたり、ネットをチェックしたりしたが、7時半前にはホテルを出た。昨日は阪神元町で降りたが、今日は阪急六甲が目的地なので、神戸高速鉄道の花隈駅に向かった。元町よりは少し遠い感じがしたが、まあ似たような距離だと思った。梅田行きの特急が来たが、六甲には停まらないので、三宮で普通に乗り換えた。それでも10数分でついてしまった。昨日は大阪の梅田から元町まで阪神で310円だったが、今日は途中で会社が変わるということもあり、花隈から六甲までは290円で、乗る時間は30分近く違うのに、値段は20円しか違わなかった。阪神が安いということなのだろうか?
 ホテルでは朝食をとらなかったので、六甲駅の改札口を出た所に喫茶店があるのに気がつき、そこで朝食をとった。コーヒーはほどほどに美味しかった。本を読みながら過ごしたが、コーヒーも飲み干したので、仕方なく店を出て、坂の上にある神戸大学に向かった。受付は9時から始まることになっていたが、それより15分も前に着いてしまった。今日は朝から蒸し暑く、会場に着いた頃には汗がにじんでしまった。早く来た人は他にもいたので、受付が始まるまで虫をネタに雑談で時間をつぶした。受付が始まって中に入ると、中は冷房が効いていて快適だった。
 さて、肝心の講演だが、今日聴いた中で一番面白いと思ったのは、C104 杉本雅志・矢後勝也・上島励「琉球列島における直翅目カマドウマ類の分子生物地理学」だった。カマドウマ類は形態分類で手がかりとなる形質が少なく、分類が遅れていたのだが、杉本氏によって、琉球列島からたくさんの新種が記載されていた。今回はそれを遺伝子の塩基配列からみた分子系統と比較してみるとどうなるか、というものだった。その結果は、形態分類による系統は分子系統とは整合性が希薄で、まさに混沌としている状況である、というものだった。今回の発表は、その第一段階のものということだろうが、今後の解析の結果が楽しみだ。
 午後は自分の講演があったが、やや早口になってしまったものの、ほぼ予定時間に話しきることができ、いくつも質問を受けることができたので、まあまあだったと思う。オオハサミムシなどという普通種も、調べてみると面白いということが伝わっていたとすれば、こちらの意図は果たされたことになる。今回は、仕事をやっていた過程でたまたま気になってしらべた幼虫期の齢数が、けっこう変異があり、メンデル遺伝ではないものの、遺伝的な支配を受けていることは示すことができた。こういう基礎的なことは、なかなかテーマを表に出してやりにくい立場なので(表のテーマの仕事をこなした上でやるなら、誰からも文句を言われないはずだが)、学生さんなどでもっと深く追求してみたいという人がいるなら、引き継いでやってもらっても良いかなぁ、などと思っている。自分は、野外での生態を解明することを先にこなさなければいけないので。
 一般講演が終わってから、神戸大学の大学院生のIさんの誘いもあったので、昆虫飼育室を見学させていただいた。ゴミムシ類の幼虫を見せていただくのが目的だったが、これを見なければここに来た価値は無い、などと脅されたのでT先生のゴキブリも見せていただいた。多量のゴキブリが飼育されており、壮観の一言だった。
Cockroaches
 総会の会場のある場所も、懇親会の会場も大変見晴らしの良い場所だった。懇親会での大会会長の挨拶でも、神戸大学の自慢できることは景色が良いことです、と本当に自慢されていたのかどうかはわからないが(やはり坂道を登り降りするのは大変なので)、嘘ではないと思った。
Landscape
 今日は調子が良く、ビールをグラスに2杯ほど飲んでしまった。暑かったせいだろか。料理も十分にあり、最後にフルーツとケーキも出てきた。ケーキは直径4cmちょっとのそれほど大きくないものだったが、7つも食べてしまった。要するに、美味しかったということだ。それでも最後は食べ物がさくさん残って、もったいないと思い、明日の朝食の足しにしようと少し持ち帰ってきた。
Cakes
 坂の上の懇親会上から、甲太郎さん、ウミユスリカさん(いずれも今は亡き@ニフティ昆虫フォーラムでのハンドル)と一緒に話をしながら六甲駅まで降りてきた。二人は三宮に宿をとっているということなので、三宮で別れた。花隈駅からホテルまでは朝とは違う道を通った。神戸市営地下鉄のみなと元町駅を見つけたときは驚いた。そとは赤煉瓦の建物だったので、中は何だろうと思って覗いたら地下鉄の駅の入り口だったのだ。さらに驚いたのは、その赤煉瓦は道路に面している面だけで、中は空洞だった。何となく騙されたような気がするのだが・・・・・
 と、いうことで、ホテルに戻ってこれを書いている。

 明日の朝一番の講演で、安藤喜一先生の「オオカマキリの「雪予測」は間違いである」の講演がある。明日の一番の楽しみは、この講演だ。

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2007年9月14日 (金)

懐かしの港神戸

 明日から神戸大学で開催される日本昆虫学会の大会に参加するために神戸に来ている。去年の鹿児島大会のときに泊まったホテルは安ホテルだったので、電話回線ですらインターネットに繋げなかったが、今回はほどほどの値段なので、ネットワークが使える。
 泊まっているホテルは、元町駅から中突堤に向かう途中の阪神高速道路をくぐったすぐのところにある。部屋は11階で海側なので、景色も良い(と思う)。まあ、写真をご覧ください。
Port_of_kobe
 思えばこの場所は、今を遡ること27年前、初めて石垣島に行ったときに船に乗った場所だ。あのときは、どのような経路で来たのか、今となっては思い出せないが、最後は阪神の元町駅に降りたことは覚えている。そこから、キスリングに詰めた重い荷物を背負って、中突堤にあるフェリー乗り場まで歩いたのだ。駅から港まで歩くだけで相当疲れたような記憶が残っているが、今回はそれほど荷物が重いわけでもないので、散歩気分のうちに着いてしまった。
 おそらく景色も相当変わったのだろうと思うが、27年前のことはほとんど覚えていないので、どこが変わったのだか、全く判らない。

 今日は津を昼過ぎに出てきた。途中、室生口大野駅では、ミンミンゼミがたくさん鳴いていた。やはり、山の方にミンミンゼミは多いように思える。大阪では日本橋で降りて、なんばウォークのわしたショップで沖縄産品を物色し、さらに例によって日本橋界隈の電子部品販売店を冷やかした。あまりに冷やかし過ぎたので、地下鉄の恵美須町から梅田まで、阪神に乗り継いで出て元町に着いたときには、午後7時を過ぎてしまっていた。目の前の安っぽい中華料理屋に入って中華丼とワンタンを食べた。中華丼はいまいちだったが、ワンタンはまあまあだった。そこからホテルに向かったのだが、その途中に中華街があった。ちらっと覗いたが、そこで食べれば良かったと若干後悔した。明日は学会の懇親会があるし、それ明後日は明後日で、小集会のあと、どこかに流れて行くだろうから、この中華街で食事をとることはなさそうだ。


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2007年9月13日 (木)

思いがけない論文査読の依頼あり

 今日もいつものように何通か英文の電子メールが届いた。ぼくのところに届く英文の電子メールのほとんどがスパムなのだが、一応表題を確認していると、スパムでないものが1通だけあった。それを読んでみると、とある学術雑誌の編集者からの論文査読の依頼文書だった。その雑誌は、インパクトファクターが高く、国際的に名が通っている植物学関係の学術誌だった。とても自分が書いた論文が載るようなインパクトファクターが低い雑誌ではないのだ。
 何で昆虫の研究者であるぼくのところにそんなレベルの高い植物学関係の雑誌の編集者から査読の依頼が来たのか、その理由はすぐにわからなかったが、届いた電子メールに添えられていた論文の要約を読んだらそれなりに合点がいった。しかし、とても自分が正当な評価を下せるとは思わなかったので、迷った末に査読を断ることにした。
 断るためにメールに書いてあるウェブサイトにアクセスすると、断る理由を説明して、代わりの人を推薦して欲しいと書かれていた。仕方がないので、たどたどしい英文でそれらしい理由を書き、某Kさんを代わりの査読者として推薦してしまった。無断でKさんを推薦してしまったので、あとでお詫びの電子メールを入れた。Kさん、余計なお手間をかけてしまって、申し訳ありませんでした。
 日本国内の学術誌の昆虫生態学関係の論文なら、和文でも英文でも査読することに吝かではありませんので、一応ここにそれを表明しておきます。

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2007年9月10日 (月)

夕方に虹を見た

 今週末からの出張に備え、軍資金の調達と切符の手配のため、ちょっと早目に帰宅した。自宅まであと2kmを切ったあたりから、正面に虹が見えた。日没間近な時刻ということもあり、地平線あたりでは垂直に近い角度に見えた。数日前にもそのような事があったが、このような時刻に虹を目にすることは、これまでそれほど多くなかったような気がする。台風9号が近づいていた頃から、不安定な天候のことが多くなっていたということなのだろう。先日は写真を撮るなどということは帰宅した後に気が付いたのだったが、今日はバイクを停めて写真を撮る事ができた。
20070910blog1
 このあとはこの正面に向かって進んだわけだが、その後どうなったのか予想は難しくない。服はびしょ濡れになり、帰宅したらすぐ暖かいシャワーを浴びた。バイクでの通勤は気持ちが良いのだが、突然雨に降られるとやはり辛い。

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2007年9月 9日 (日)

小中学生にとってセミは人気者か?

 津リージョンプラザの中にある市立図書館に行ったら、同じ建物の中で「教育科学展」をやっていたので、ついでに見てきた。「教育科学展」というのは、言わば、市内の小中学校の夏休みの自由研究で、各学校から推薦された優秀作品の展示会のようなものだ。
 毎年見ているわけではないが、もともと少ない昆虫標本の展示がますます少なくなってきたような気がする。去年だったか一昨年だったかわすれたが、ある中学生の作品で、きれいに標本が作られ、きちんとラベルが付けられているものがあって、今でもこんな中学生がいるものか、と感心したのだが、今年はそのような作品は無かった。とくに、実物の標本が展示されていたのは、中学生の作品ではほとんど皆無で、ほとんどが小学生の作品だった。
 全体的に生き物の標本がそのまま作品になっているものは極めて少なく、レポート風にそつなくまとめられているものがほとんどだった。うまくまとめられたレポートは形式的には立派かも知れないが、それを見てもほとんど感動は感じられなかった。子供のうちは、もっと自由にやったら良いのではないかと思った。
 数少ない昆虫を題材とした作品のなかで、もっとも数が多かったのはセミを対象としたものだった。抜け殻調べをしたり、背面と腹面の両方の標本を作って形態の違いがよくわかるようなものがあったり、羽化の様子を観察したりと、まあいろいろだった。蝶や甲虫の標本も無いわけではなかったが、ただ標本を並べてあるものが多かった。
 ということで、小中学生の間で、もっとも関心が高い昆虫はセミではないか、という自分なりの結論を得た。セミは種の違いを問わなければ、どこにでもいるし、夏休み中はもっとも個体数が多いという事情が働いているのかも知れない。
 ぼくもセミは好きだが、自由研究になりそうな題材は他にいくらでもあると思っている。おそらく、なかなかそういう自由研究が出て来ないのは、今の学校の先生たちが、生き物のことをろくに知らないという事情があるのではないかと思う。

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2007年9月 8日 (土)

石垣島紀行第2日目(7月31日)その2

石垣島紀行第2日目(7月31日)その1から続く)
 家族を昔住んでいた団地へ送り届けてから一人で於茂登岳登山口へ。登山口に着いたのは午後3時20分頃。まだ暑い盛りだ。セミの鳴き声はヤエヤマニイニイ Platypleura yayeyamana Matsumura, 1917 の鳴き声だけしか聞こえない。ふと張り出した木の葉を見るとコノハチョウ Kallima inachus eucerca Fruhstorfer, 1898 がいた。やはり懐かしく感じられる。
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 山道を歩いていると虫は少ないものの、何がしかの虫が目につく。ときどき道の脇から、ピューンと勢い良く飛び出すものがあった。何かなぁ、と思ってみて見るとイシガキモリバッタ Taulia ornata ishigakiensis Yamasaki, 1966 だった。モリバッタは跳ねることはできるが飛ぶことはできない。しかし、この跳ねる勢いを見ると、それなりの飛べなくても飛ぶのと対して違わない跳躍力があるように思われた。石垣島に住んでいた頃、モリバッタなどにはあまり注意したことが無かったのだが、意外なことに気付かされた。
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 さらに山道を歩いているうち、何か様子が違うのに気が付いた。何が違うかと言えば、森の中がスカスカに感じられるのだ。要するに、森の下生えの灌木の密度が低くなっていて、高木の幹が白く目立つのだ。おそらくこれも、去年の台風13号の残した爪痕なのだろう。
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 地面も乾燥している。いつもは歩くとき、道に生える苔などに注意しながら歩かなければ行けないのだた、今回は道もカラカラに乾燥していて、足を滑らす心配など全く無かった。そんななかにも、いつも湿った所にいるヒメヤツボシハンミョウ Cicindela psilica luchuensis Brouerius van Nidek, 1957 を辛うじて見つけることができた。後にも先にもこれ1頭だけだったのだが。
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 森の密度が低くなっているので、多少は風通しが良かったのだろうと思うが、さすがに気温が高く、飲み物を飲んでも次から次へと汗になって吹き出してくる。その汗が臭いこと臭いこと。途中水場は少ないのだが、最後の給水ポイントのところで一息ついて、顔もあらって多少はさっぱりした。
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 最後の給水ポイントを過ぎると急な坂が続く。これを登りきると尾根に出て風が期待できるので、もう少しの辛抱だと思って登る。まだまだ上り坂が辛いはずだが、もう少しだと思うと元気が出る。
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 ほぼ急な坂を上りきったあたり、道の脇の木を見るとイシガキヒグラシ Tanna japonensis ishigakiana Kato, 1960 を見つけた。すると、上から降りてきた家族連れにすれ違った。「何がいるのですか?」と訊かれたので、「イシガキヒグラシというセミで、この鳴き声を聞くために登ってきたんですよ」と言うと、感心されてしまった。地元の人で山に登るひとは大変少ないので、珍しいと思いながらちょっと話を訊いてみると、小学校の自由研究で山の生き物を見にきたとのことだった。小学生の息子さんは、うちの長男が卒業した小学校に通っているとのこと。せっかくなので、イシガキヒグラシの写真を撮ってもらおうと思ったのだが、そのお父さんが持ったデジタルカメラは電池切れで役に立たなかった。
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 尾根に出てからも坂はきついのだが、風がよく通るので、登っていてもそれほど苦にならない。しかし、鳴き声が聞こえるのはヤエヤマニイニイばかりだ。とにかく山頂へ急ぐ。ところが、ふと気が付くと、何とツマグロゼミの鳴き声が聞こえた。ツマグロゼミ Nipponosemia terminalis (Matsumura, 1913) は春のセミなので鳴き声を聞けるとは全く予想していなかった。運が良いとしか言いようがない。さらに先を急ぐ。
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 午後5時25分頃に山頂に着いた。山頂の無線鉄塔は昔どおりだ。ところが、三角点のところまで行ってみると、噂に聞いていたとおり、リュウキュウチクが刈り払われて見晴らしが良くなっていた。何と、ウマヌファ岳や桴海於茂登岳が目の前に見えるのだ。於茂登岳の山頂はなだらかで、さらに背丈の高いリュウキュウチクに覆われているので、見晴らしが悪いのは仕方がないと思っていた。おそらくリュウキュウチクを刈り払った人も、善かれと思ってやったことなのだろうが、自然とはどういうものか、ということに対して配慮を欠いていたことに間違いはない。
 夕方6時を過ぎた頃になってやっとタイワンヒグラシ Pomponia linearis (Walker, 1850) の鳴き声が谷の底の方から聞こえ始めた。だんだん鳴き声が賑やかになり、山頂付近でも鳴き出した。持参したポータブルMDレコーダーで録音する。やがてイワサキヒメハルゼミ Euterpnosia iwasakii (Matsumura, 1913) と待望のイシガキヒグラシの鳴き声も聞こえ始めた。イシガキヒグラシの鳴き声が聞こえ始めた時刻は午後6時20分頃だった。これらの鳴き声も録音する。
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 山頂付近でのセミの合唱を堪能し、そろそろ下山しようかと思って歩き始めると、目の前の木の低い所にタイワンヒグラシが止まって鳴き出した。これも録音して撮影する。山麓でタイワンヒグラシの間近で見ることは難しいので、これだけでも山を登ってきた価値があったと感じる。
 下山するには、途中何もしなくても、1時間近くかかってしまう。この時刻に下山すれば、登山口に着く頃にはかなり暗くなっていると予想される。懐中電灯は持ってきているが、とにかく早足で下山する。
 最後の給水ポイントのあたりでも、イシガキヒグラシとタイワンヒグラシとヤエヤマニイニイとイワサキヒメハルゼミの鳴き声が聞こえる。とにかく汗が臭いので、最後の給水ポイントの水場で顔を洗う。
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 さらに下った所に「頂上まで25分」という標識板がある。そのあたりでもかなりの数のイシガキヒグラシが鳴いていた。ここで時間を使えば麓に着く頃にはさらに暗くなってしまうのは明白だが、ここでもイシガキヒグラシを撮影して鳴き声を録音する。
 さらに下り、滝への分岐あたりに来ると、セミの鳴き声はヤエヤマニイニイだけになり、さらに下って暗くなると、セミはすべて鳴き止んでしまった。登山口に着いたのは、辛うじて薄明かりが残っていた午後7時40分頃。
 思い出してみれば、昼に嵩田植物園でトンカツ定食を食べて以来、飲み物はたくさん飲んだが食べ物は何も食べていない。体がほてって食欲もあまり無いので、とにかくそのまま街に戻ることにした。宿に戻ってもあまり何も食べる気がしないので、山に持参した嵩田植物園製の「黒糖甘餅の天麩羅」を食べた。家族はA&Wで食事をし、ルートビアを飲んだとのことだった。そんなことだったら、A&Wに行けば良かったと、若干後悔した。
 とにかく疲れたが、充実した一日だった。
石垣島紀行第3日目(8月1日)その1へ続く)

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三重県におけるドクターペッパーの衰亡

 メール便を出す用事があったので、1kmちょっと離れたところにあるコンビニエンスストアFに出かけた。長男が8月20日に津駅西口にあるコンビニエンスストアFでドクターペッパーを買ってきたので、この店でもちょっと探してみたら2本だけあった。ちょっと気になったので店主に訊いてみると、コンビニエンスストアの系列の元締めが仕切っているので、もう入荷しないとのこと。とりあえず、残っていた2本を買い占めて帰ってきた。
 ツクバに出張したとき、秋葉原の電気街の自動販売機でドクターペッパーのPETボトルを何本も買ってザックに詰めている自分の姿が頭の中に浮かんだ。

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2007年9月 4日 (火)

自宅の裏に猿が出没した・・・らしい

 7月に四日市に出張で来た友人がまた出張で来たので、夕方から四日市に出かけた。前回と同じメンバーだったし、2か月しか経っていないのでどうなるかと思ったが、昔の思い出話やら、昨今の世情のこととか、話題は尽きなかった。居酒屋で飲んだあと(と行っても、ぼくはノンアルコールビール)、前回果たせなかったベトコンラーメンを食べに行くことにした。今度はちゃんと地図で確認したので迷わずに行けた。前回食べたラーメン屋から100mも離れていなかったので、前回見つけられなかったのが不思議だったが、前回は月曜日だったので定休日らしかった。店の正しい名前は「ベトコン亭」。食べたのは「国士無双」という名前のラーメン。野菜がたっぷり乗っていてスープも麺も美味しかった。クセになりそうだ。
 津駅に戻ったのが11時前。偕楽公園の中を通ったらツクツクボウシの前奏音らしきものが聞こえた。水銀灯の近くだ。しばらく粘っていると、予想通りツクツクボウシが鳴き出した。夜中にアブラゼミの鳴き声を聞くことは多かったが、ツクツクボウシは初めてだ。一通り最後まで鳴いたら飛んで行ってしまった。
 家に帰ると妻が「今日、裏に猿の親子が出た」と言う。3年前には庭にも出たので、それほどびっくりすることではないのかも知れないが、今年も山に餌が少ないのかも知れない。3年前には、県庁あたりにも出没して、学校からは「猿に注意」というチラシが回ってきたが、今年はこれからどうなるか、ちょっと楽しみでもある。

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2007年9月 2日 (日)

今日もまたまた同好会誌の編集作業

 昨日は体調が悪く、ゴロゴロしていることが多かったが、今日は何とか回復し、数日前に返送されてきた同好会誌の原稿に向き合っている。未処理の原稿が二つもあるのだ。一つは最後の段階の修正だったので、それほど時間はかからなかったが、もう一つはまだ最終原稿になる二段階ほど前。25文字×30行で50ページ近い原稿なので、さすがに目を通すのにも時間がかかる。この原稿には午前中から向き合っているのだが、まだ半分ちょっとしか終わっていない。

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2007年9月 1日 (土)

津市の市街地近くにもミンミンゼミが棲息しているのか?

 午前中、津駅方面に出かけたところ、偕楽公園の駐車場付近でミンミンゼミ Oncotympana maculaticollis (Motschulsky, 1866) の鳴き声が聞こえた。こう何度もミンミンゼミの鳴き声を聞くと、このあたりにはミンミンゼミが継続的に棲息しているとしか思えないようになってきた。実際はどうなのだろう?

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