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2007年6月 8日 (金)

虫の名前は《記号》・・・だと思う

 昆虫はやたらに種類が多い。それに名前を付けようと思うから大変だ。しかし、区別するためには名前を付けなければ始まらない。ところが困ったことに、近年「差別用語」として使用が控えられるようになった言葉がやたら増えて来た。しかし、昆虫の名前には「差別用語」としてしばしば扱われる言葉を含むものがたくさんある。これを何とかすべきだという動きもあり、学名でMiridaeと呼ばれているカメムシ類の一群は「カスミカメムシ」と改名された。これは改名がうまくいった例だと思う。ところが、多くの「差別用語」を含む昆虫の名前はそのままだ。魚類では大々的に改名が行われたが、ちゃんと定着するのかどうか、今後の動向を見守りたい。
 世の中には「差別用語」の使用を控えようとする動きがあるが、それとは関係なく、ぼく自身は昆虫の名前を単なる《記号》として捉えていたということが今では自覚できている。意味がわからないことば、例えば「ジンサンシバンムシ」とかでもそのまま憶え、その虫の名前を何の違和感もなく使ってきていたからだ。だから、差別用語が含まれるからと言って、特に違和感は無かったし、差別用語とされていることにすら気が付いていないことも多い。自分自身には差別するという意識がないということもあるからだろう。だから、「差別用語」に対する攻撃は、「言葉狩り」とすら感じることが多い。
 最近、外界の情報を受けとるときに使う感覚器官や、感覚した後の脳内情報処理の型を[視覚型/聴覚型/触覚型]に分類するという考え方を知った。これによれば、自分はある程度視覚型だが、主として聴覚型に分類される人間であるように思われる。この分類法によれば、「差別用語」を使うことに対して攻撃する人々は触覚型の人間に分類されるように思われる。要するに、「差別用語」に対する攻撃は《記号》と《象徴》を混同しており、論理的ではないと思うのだ。これに限らず、現代の日本人には触覚型に分類される人間が極めて多くなったように感じられる。触覚型の人間には論理だてて説明しても話が通じないことが多いであろうから、対応が難しい、とぼくには思われる。自然保護団体や動物愛護団体なども触覚型人間の集まりではないかと思われるのだが、本当のところはどうなのだろうか?
 自然保護は、人間の感覚に基づくのではなく、やはり客観的なデータに基づいて、科学的に行われるのが本来の姿だと思う。

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