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2007年1月 2日 (火)

米原万里著『ガセネッタ&シモネッタ』

米原万里著『ガセネッタ&シモネッタ』
2000年12月10日発行 文藝春秋 ISBN4-16-356880-8 1,524円+税

 今日は雨だった。しかし、風は無く、それほど寒くもない。外に出るのも億劫なので、冬休み中に読もうと思って図書館から借りていた本を読み終えた。米原万里著『ガセネッタ&シモネッタ』。
 表題はいかにも誰もが手に取ろうと思わせられるものだ。中身はロシア語の同時通訳である著者の体験などを綴ったエッセイ。ごく始めの方の面白さは表面的なものが多かったので、こんなものか、と思っていたが、読み進むにすれて、著者の経験から生まれてきた考えが随所にちりばめられていて、納得させられることも多く、読み終えたときは満足感があった。
 日本における英語の地位に関する批判は大いに納得させられるものだった。日本で外国語と言えば今でも英語以外が取り上げられることは少ないが、この世の中には英語以外の言語はいくらでもある。外国語として英語しか知らないとどうしても一面的な見方しかできなくなるのは確かだろう。かつて英語を公用語にしようなどと口走った政治家があったが、当然のごとく激しい批判の対象になっている。痛快だ。
 自分は英語で苦しめられている。得意でもない英語で論文を書かなければいけない。しかし、自然科学は西洋で発祥した学問であり、それを記述する言語はラテン語であったり、ドイツ語であったり、フランス語であったり、英語であったりするのは仕方がない。現在では自然科学を記述する事実上の公用言語は英語であるから、その土俵で相撲を取ろうと思えば、英語で書くしか選択の余地はない。しかし、日本で生まれた文化芸術を担う言語として、日本語をもっと大切にしていかなければならないと思う。
 米原万里さんは、名前は以前から聞いたことがあったが、著書を読むのは初めてだ。亡くなってから良さを知るというのは、もったいない事だといつも感じさせられる。落語の桂吉朝師匠の芸を知ったのも亡くなったあとのことだ。

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» 米原万里 『打ちのめされるようなすごい本』 書評 [試稿錯誤]
                                         2006年(昨年)5月25日に卵巣癌により56歳で亡くなったロシア語通訳者米原万里の遺著である。 朝日新聞2006/6/6の追悼記事で、米原万里から「師匠」と呼ばれていた徳永晴美(上智大教授、男性)は次のように米原万里を紹介した: 「チェコスロバキアに派遣された父親のもとで在プラハ・ソビエト学校に5年間通った彼女はきれいに響くロシヤ語を身につけた。帰国後、東京外大から東大の大学院修士課程を経て職探しを始めた... [続きを読む]

受信: 2007年1月 5日 (金) 11時27分

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