« 虹 | トップページ | 小春日和 »

2006年11月 8日 (水)

竜巻の思い出

 昨日、北海道佐呂間町で発生し、9名の死者を出した竜巻は、国内で発生した竜巻の中では最大規模に近いものだったらしい。竜巻は発生場所の予測が困難なだけに、亡くなった人には本当にお気の毒だと思うが、運が悪かったとしか言いようがない。
 竜巻と言えば、自分も一度だけ怖い目にあった。石垣島に住んでいたときのことだ。
 スポーツなどには無縁な自分だが、マラソンフリークの上司にそそのかされて、マラソン大会に出ることになった。西表島で1998年2月14日に開催された第5回やまねこマラソン大会だ。マラソンと言っても、フルマラソンではなく、一般用の23kmと10kmと、中学生用の3kmのコースだ。走ることはともかく、そのあとのパーティーが豪華だから、というのが上司の誘い文句だった。サバニに山盛の刺身が出るらしい。とにかく、そのパーティーに参加することを主目的として10kmのコースにエントリーした。
 当日は2月としては珍しく良い天気になり、いつもなら荒れて欠航になることが多い船浦航路の船も揺れることなく快適だった。スタート時の気温は25℃を超えており、走っているうちに頭が過熱し、暑さ対策が必要だと痛切に感じさせられた。途中何度も歩き、10kmを1時間ちょっとでゴールインした。
 夕方からは祖納の西表小中学校の体育館と校庭でのパーティーだ。ところが、そこにはサバニの姿はなく、参加者に配られた弁当引換券での牛汁と弁当以外は、校庭に張られたテントで売られているものを買わなければならなかった。一緒に参加した上司は、去年は本当にサバニに山盛の刺身があったんだけど、と言い訳をしていたが、まあ仕方がない。体育館の中でアトラクションが行われていたので、それを見ながら飲んだり食べたりしていたが、一緒について行った子供たちが眠気を催してきたので、タクシーでも呼ぼうかと体育館の外に出ようとした。すると、体育館の入り口に強烈な風が外から吹き込んでいた。何かおかしいと思いながら、体育館から外に出て、校門を出たそのとき、強烈な風の渦がやってきて、校庭に張られていたテントが吹き飛ばされ、一瞬のうちにテントの灯りが消えた。たまたま、目の前にデイゴの木があったので、飛ばされてはいけないと思って、必死にテイゴの木にしがみついたが、運良く風の渦は目の前を通り過ぎて行った。竜巻だった。午後8時ぐらいのことだった。
 この騒ぎでタクシーを呼ぶどころではなくなったし、アトラクションも途中で中止になってしまった。ほどなく主催者の手配で、アトラクション終了後に出るはずだった宿への送迎バスが準備され、それに乗って上原のカンピラ荘に戻った。バスに乗る頃には雨も降り出していた。
 翌日は時々雨が混じる強い北東風が吹く寒い日になった。船浦からの船は欠航になるかと思ったが、予定通り船が来た。しかし、波は高く、船は大きく揺れた。石垣港に着くと、NHKの記者が来ており、インタビューを受けてしまった。竜巻を目の前で見てデイゴの木にしがみついたことを話したら、その日のローカルニュースに出演することになってしまった。
 八重山毎日新聞の報道によれば、テントのところにいた人が1名重傷で八重山病院に運ばれたとのことだった。噂によれば、飛ばされたテントは行方不明になったものがあったそうだ。
 八重山地方では、2月から3月にかけて、東シナ海で発生する低気圧、いわゆる台湾坊主の影響で、急に海が荒れることが多い。これを方言で「ニンガチカジマイ」と言う。漢字で表現すれば「二月風舞」だろう。やまねこマラソン大会のパーティーの会場を襲った竜巻も、この低気圧に伴った寒冷前線によって発生したものだろう。
 その後の話だが、その翌年からサバニに山盛の刺身が復活したらしい。主催者は、刺身をケチったために神様が怒って竜巻を発生させた、と考えたのかも知れない。
20061108blog  写真は2003年2月8日の第10回やまねこマラソン大会のパーティーでのサバニに山盛の刺身です。

|

« 虹 | トップページ | 小春日和 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 竜巻の思い出:

« 虹 | トップページ | 小春日和 »